玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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カミューラ・ランバンの死についての補足

自分で読んでて、どうにも誤解を招きそうだから補足します。
Aメカ乗員の虫けらのような死、気が付いたら物になっているのは戦場の死。
それに対して、カミューラ・ランバンの死はドラマティックすぎる、と言う風に読まれると困る。
ランバンの死も、ちゃんと、「人は死んだら物になる」っていうことは徹底している。
死を娯楽としても描いていないし。余計な名台詞みたいな描写は無い。行動と結果だけ。
ただ、物になる過程を体感してしまったコスモにとっては、一生消えない心の傷だろうな。俺なら立ち直れない。
立ち直る代わりに人を殺すために起き上がる。


コスモが傷口を傷で隠すような生き方しか出来ないのは、傷を舐めあう道化芝居?
宇宙を駆け抜けて、君に伝えたい祈りというのは何なんだ?
死んだ後で、何を見つけ、何を思い出にする?


あと、母性の危険性、なんて軽軽しく書いたけど、
じゃあ、ランバンは間違った女性か?と言うと絶対にそんな事は無い!
イデオンは正しい正しくないと言うよりは、こういう人がいる。っていうだけのような。
こういう人がいて、こうなって、ああなって。そこにどうしようもなく巨大なものがあって、アチャー。
みたいな。
イデオンはどうしようもないけど、正しい生き方なんて無いけど、どうしようもないなかでも生きてる!っていう感じはあるな。
うん。


しかし、だからと言って俺はブログを書きすぎだし、学校では間違いだらけなのに、トミノ作品に大しての間違いは気になりまくる。
とりあえず、見たら感想を書かないとしょうがないと思うけど、それ、本来の学生なら授業を受けたら復習する、と言う行動の方が正しいよな・・・。
恋してるなあ。
はてなブックマークによると、僕は富野に関しては天才過ぎるらしいが、イデオンにはまりすぎるのはやばいらしい。
私もそう思おう!


おちついたらブレンパワードで中和しなければ・・・。