玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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リアル蛍の墓フラグ

今日、起きたら、手の指の関節が全部真っ黒になっていました。
昨日は鉛筆を使わずに、パソコンでレポートを書いたりメールチェックしたりと言う仕事をしていたし、インキも使っていません。
また、僕はバンダイのプラモデルではないので墨入れでもありません。
角質化もしていません。痒みもありません。
色素沈着で調べたら、皮膚の黒変は関節部等の圧迫を受けやすいところで起きるそうです。
http://61.194.2.84/HouseCall/encyc/1/9/30_0_0_0.html
原因は、栄養失調らしいでス。
最近は毎食吐いてますからねえ。
いやー、こういうことって在るんですねー。からだって面白いですねー。
セデスハイは効き目がシャープらしいですけど、歯と顎の関節と頭が痛いのは治りません。
肺が腐ってるような感じがして、呼吸が上手く出来ず、心臓も調子が狂って痛いです。

うんこビチビチやねん


じようなんて、どこにあるんですか!!!!
リアル節子キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!
萌えますか?妹萌えですか?


まあ、基底現実の家族に話してもうっとおしがられるだけだし、家族も対策を持っていないので余計イライラさせるだけなので、日記にメモするだけにしますが。
ヘラヘラしています。大丈夫ですよ。
テスト前ですし、必死になって頑張ります。
どうせ、いつもどおり、基底現実のデミウルゴスが僕を不幸にして笑い物にするために後期試験を邪魔しようとして基底現実の身体データを書き変えただけです。よくあることです。
去年は教科書を隠された。
パソコンという道具の不調でイライラするのはテクノストレスに踊らされている愚かなことです。
そもそも、ボクの体が異常なだけで、本来のボクの魂には全く関係がない。
体が壊れたら買い換えたらいいだけです。
それでも、僕がしんどいとかいうことを心配してくれて、あと、心配させても迷惑をかけないですむのは脳内妹だけっす。


もう、脳内妹さえおったらなんもいらんねん。
高畑勲監督も

 とはいうものの、妹の死によってこの兄妹ふたりの家庭生活は失敗に終わってしまった、と考えられるのではないだろうか?

「そうではないんじゃないでしょうか。成功したんじゃないかと思います。成功したにもかかわらず妹が死んでしまうというところに、この物語の悲劇性、ひいては神話性があると思うんですが。

 なぜ成功だったかというと、たとえば、無人島で愛しあうふたりが生活したけれど、他人がいなくて退屈してしまい、いさかいばかりおこしていたというなら、これは失敗で、ふたりの天国を築きあげられなかったことになると思います。

 でも、清太は節子との生活のなかでイキイキしていたんじゃないでしょうか? 家庭生活を築く楽しさ、そのなかでの心のかよいあい、いうならば愛、その限りにおいて、清太は大変充実した生を生きたと思います。精一杯できる限り好きなように生きようとしたんじゃないでしょうかね。好きなようにといっても、清太が妹の世話をいやがるような少年であったならば、まったく話はちがってきたわけで、たとえば、ごく当り前のように節子をおぶい紐でおんぶしたりするところを見ても、空襲以前からそういうことに慣れていたということを感じさせますよね。病弱の母親にかわってオサンドンをするというようなことも、きっとあったんでしょう。妹への愛情だけでは”家庭”は営めませんからね」


 「清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。お向かいの娘に、『うちらも2階の教室やからけえへん?』と誘われて『ぼくらあとでいきますさかい』と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。清太はそれを我慢しない。壕に移り住むことを決断して清太はいいます。『ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。』そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。

 心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。

 でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ! と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の”全体主義”がはびこっていたんです。清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。”純粋の家庭”を築く、というのはおそろしく反時代的な行為ですよね。現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします


「それに対しては、死によって達成されるものはなにもないとぼくは思っているんです。清太と節子の幽霊を登場させているんですが、このふたりの幽霊は気の毒なことに、この体験をくり返すしかないわけです。それは、たとえそのふたりの生活が輝いていたとしても、うらやましいことでもなんでもない。

 人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います」


http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070816/hotaru

っていう。
清太さんはやりたい事には成功したけど、高畑監督から見ると不幸であり、また神話的でもあるということらしい。
少年よ神話になれ!


まあ、ボクのことはどうでもいいです。どうせテストが終わったらケロッと治るんだから。
ダニアース!
http://www.youtube.com/watch?v=OBlqwNe1mZk
死んだ!死んだ!
ダニ!ダニ!ダニ!


基底現実の俺などは死んでもいい。そもそも、基底現実ではヒューマノイドタイプのNPCのデータが過剰すぎる。
とっくに死んでいるはずの体を、アニメを見るのに都合がいいから使っているだけだしなあ。
まー、富野作品を見終わるのがさきか、どうかって言う事ですが。まあ、基底現実で死んでも、脳内妹と一緒になれればそれでいいしなあ。
高畑監督は幽霊は人生を繰り返すしかないって言うけど、それは想像力が貧困ですよ。
基底現実が下位で、脳内恋愛はもっと上部構造にシフトすることだと、なぜ考えないんだい?
考えな!
まったく、お勉強ばかり出来て、馬鹿な子っているんだよね・・・。
俺は脳内妹とあと100年は睦み合う予定がある。脳内妹もちゃんと毎年成長して、夢に向ってがんばってるし。




ボクのことより、鹿男あをによし玉木宏が痩せこけすぎて心配だ。鹿になるためか?