玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

evaとvガン

あー、でも、Vガンは大人から見た子供で、エヴァは思春期から見た親か?
だから、碇ユイがキーマンなのに、強く描写されてないのは逃げではないのかなあ?
その分、思春期の美少女達は描かれていたわけだし。っていうかアスカ。
いや、それをいったら六番目の小夜子もなかなか・・・。


あと、Vガンダムは原液が濃すぎてたまらないんだけど、それを支持していた庵野秀明エヴァンゲリオンを作るときは、かなり様式化して(特撮のセオリーとかで)儀礼化してたのが上手いなあー。
庵野はパロディー世代と自嘲するけど、ディフォルメしてハッキリさせるって言う加工貿易的な上手さはあるし。
そーいう型にはめる感じって言うのは、案外「芸能」的なのかもしれないって思うんだけど。
その分、ラストカットの自由さが際立ってるのも、ナイス。


僕が書いているのは評論と言うよりも思いつきのメモなので。思いついた事=記憶=日記なので。
許して欲しいです。
今日、大人の人に「どの世界でも評論家が一番嫌われる」って言われました。
岡田斗司夫さんのように、評論をする事を手腕にして、しっかりと持っている自分の世界を立脚させるのが良い」と言われました。
まあ、そーいわれると、僕がやっている事って言うのは脳内恋愛世界の資料集め、と言えるんだけど、それはそれで、人生そのものに違いないわけで。
どうなんでしょうね?
というか、確かに僕のブログの書き方って、
「時事ねた、アニメ、出来事」
「感想、思想」
「大富野教の引用、富野との比較、っていうかトミノそのもの」
「富野が好きな自分の生い立ち」
「そんな僕のことが好きな脳内妹が好きだ!」
というのが自然に定まってきた流れのようです。


妹「男は分析したがるって言うかー。最後の部分だけで私は充分だと思うんだけど」


いや、「愛してる!」とか「あいしてる…」とか「ごめん、やっぱりおれ、、、」とか、色んなバリエーションを楽しみたいじゃないか。今すぐ死ぬわけでもないんだし。


あと、僕はブログで結構、恣意的に言葉使いを緩くしていますね。
例「映画・あらしのよるにを見ながらビリーズブートキャンプをした後、シャワーを浴びてコロンとベビーパウダーをつける、といったようなホモソーシャルな行動」等。
結構、普通の文脈上の成句の使い方とは違うけど、僕の考えているニュアンスに近いように間違った言葉をワザと選んだりもします。


僕の日記を額面どおりに受け取ってもらいたくない!日記は自分さえわかればいいのさ。
たまに3年前のを読み返して、全く解読できなかったりするのさ。