玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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シャクティーとカテジナの違いについて本気出して考えてみた(就職活動中に)

カテジナ・ルースさんは評価をする人だ。何につけても誰に対しても。
序列をつける人。
シャクティーは天然でニュートラルでからっぽだ。
戦争は良くない。とか、この人たちおかしいわ。とか、そーいう感想は持つのだけれど、シャクティーはそれを何かの順列に組み込んで考えるという事があまりなく、場当たり的なのだ。
そこらへんが、苦労の違いで、カテジナさんは馬鹿にされてると思ってのかもしれないなあ。
結構、お姫様願望とか寂しがりなところは似てると思ったんだが。
カテジナはクロノクルに愛されている自分がどういう序列なのか考えて、上位に立っていると思うためにウッソと戦わせたりしてしまうけど、シャクティはとりあえずウッソとかと入れたらそれで良いかなー、という感じで、わりとからっぽ。
ウッソが好き、というのがあって、他の人は全員普通。
処女性か?
ある意味、怖いんだけども。
理想論かもなあ?やっぱり社会の中で女性が生きてくと、カテジナタイプになる方が普通だと思うし。
でも、家の脳内妹シャクティ・カリン以上に何かか欠落しているので、僕を愛してくれますヨ。
「美少女あたし>お兄ちゃん>=おんなのこ>存在」
という。
へっへっへ。
クロノクルはとてもいい男だと思うんだから、世界最強の男じゃなくても満足してやれたらよかったのにな。
環境や立場の問題に摩り替わっちゃった二人だけど。



psb1981氏がVガンダムの秀逸な感想で、オチの部分の解釈だけはお書きになっていらっしゃらなかったので、僕はこうコメントしました。
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20070728/1185674288

nuryouguda 2007/08/07 12:26
では、あのオチは自意識と他人の視線をなくすという事なのかもしれません

挿入歌の使い方も秀逸です

psb1981 2007/08/08 22:39
ああ、そういう解釈もいいかもしれません。
あの、ラストは泣かせますね。



と。


でも、今回見直してみると、カテジナは他人の視線は見えなくなったけど、どうやら、記憶は取り戻したようですよね。
で、自意識の思い出の重さを引きずりながら、生活無能力者に成った自分を抱えて、見えない他人の視線を疑心暗鬼に想像しつづける地獄を味わうんでしょうね。
うわあああああ。
その上で、

引き裂かれた 愛が
それっきりおしまいになると思わず
一度、知った 愛は
鍛えられ 次のもの さがす 力に


引き裂かれた 愛が
残すもの何もないなどと言わずに
胸焦がした 愛は
抱き合った温もりを残し今でも

だもんなあ!
カテジナ主人公過ぎる。
この歌はリーンホース特攻でもかかったけど、カテジナさんは一度自爆して死ねる、というわけではなく、これから延々と終わりの無い特攻をして生きていくのだろうか?
何か見つけられるといいんだけど。
カテジナさん・・・。
カテジナさんの事に成ると落ち着きを失います。