玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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初めてタッチ最終回まで全部見た

小栗旬が理想の女の子は浅倉南だと言ったそうだが、
なんつーか、なんだね、ぼくは、やっぱり、南チャンは苦手だと思った。
ま、これは杉井ギザブロー版のタッチなので、原作版も読んで見ねーといけねーなーって思うんですけど。ラストはかなり違うらしいし。電話じゃないらしいし。


なんで、このような女が理想の女だとよく言われるんですかねえ?
いや、頭は良いし、会話も機転が利いているあだち節で、面白い女だと言う事は認めるよ。しかし、恋愛対象として好きになるかと言うと・・・。
タッチで一番好きだった女性キャラは新体操部の部長かなあ。いい人そうじゃないですか。
南チャンのダメなところは、マスオ声の増岡弘演ずる父親に「そろそろ、その癖、治さなんとな。欲しい物は欲しい、そう言えるようにならなきゃ」と明言されています。
だが、それが解消されたのかと言うと・・・。
タッちゃんに電話で呼ばれるまで待ちの一手です。
変じゃね?
だって、南を野球部から追い出した柏葉英二郎は和解した上で野球部を去ったのだし、大手を振って野球部に戻ればよいではないか。
ダメなのか。それでは。
それでは「私を甲子園に連れて行って」という形に成らないのか。
あくまで、「男に呼ばれて連れて行かれる」という形ではないと、南の自己承認欲求は満たされないのか。
「甲子園に行きたい!試合を見たい!」ではなく、
「甲子園に来いと言われる私」に価値があるのだ。
だから、自分からは行かない。
行けるけど、行かない。手に入れられるけど、手を伸ばさない。
男がくれるから。そう言うものだから。
男で一つで育てたからかなあ?
やな女!
脳みそがあって、目と耳と口と鼻があって、手足があるんならそれを使えよ!人間だろう!つかえるものはつかわないと!
どうして、そんなに自信がないのだろう?
男を動かす事には自信がある。だが、自分で生きる事には自信がない。だから、男が自分に対して動きを見せないと、全ての自信がすぐに壊れる。
変な女だ。
いや、女でありすぎるのか?


上杉達也も達也です。
別に、告白をしろといってるんじゃないのだ。
送迎会に来なかったくらいで凹むなよ。呼べ。
甲子園に出場が決まったくらいで腑抜けやがって。
こいつも南のオヤジと話して「南をもらってやれ」って言われた。でも、悩むわけだ。
そりゃー、まあ、タッちゃんの気持ちは分からんでもない。
南のために、それ以上に上杉和也のために、甲子園出場を決めた。
それ以上は、「勘弁してよ」という。
典型的な長男なんだよな。
自分のためではなく他人のためじゃないと動けないのだ。
原田とか、南のオヤジは、そこら辺のことが分かってるっぽいんだが。原田は最初から「自分のために動け」って言ってたのに。
最後の最後まで、自分のためには動かんのだよなあ。


で、南に告白したのは自分のためでも、南のためでもない。
宿泊所について、チームメートが必死で練習する姿を見て(達也だけは練習着ではなく学生服)、
林家正蔵に「明青学園、攻撃力B、投手力A、守備力B、総合B。結局お前の出来次第。みんな、お前と一緒だから張り切ってるんだ」と言われたからだろう。
今度こそ、自分のため。
ではなく、チームメートのために投げる。
そのために、自分がしっかり投げられるようにするために、南との関係をとりあえず清算する。
で、甲子園に呼ぶと言う通過儀礼をするのだ。


僕はねえ、典型的な長男で、才能も在るからこそ、自分より努力している弟に何でも譲っていた達也が、才能を自分のために使ってもいいのだという事に気付くかどうかが気になっていたんですけど。
力石徹の呪縛を解けるかと思っていたんですけど。
結局、他人のためかよ!
どうも、本気で浅倉南が好きだったようには感じられませんでした。
「愛しています」とは言ったのだが。
それで、南は愛される事に飢えているから、それで納得したのだが。
どうも互いの目的の視線がずれている気がした。


結構、怖い話だったのかもしれない。
まあ、自信と言うのは「自分がこれだけやったから自信を持っていい」と思うものじゃなくって「他人に、『君はこういう人だね』と言いつづけられる事」の集積で構築される物なのかもしれない。人間は社会的動物だからだ。
自分で自分を見るだけでは、空っぽなのだ。他人からレッテルを外側に張られると、それを内側から見て、自分なのだと思えるのだ。
だけど、僕は、、、嫌だ。
逆境ナインの方が利己的で憧れるなあ。馬鹿な萬画だけど。


というか、僕自身が自分では自信が持てないで、達也的な長男だからそう言う部分を過敏に感じているのかもしれないんだがな。
特にやりたい事も無いし。
履歴書の自己アピールにも、「僕はこうです」というより、「このようなデータや事実があるということはこういう傾向なのかもしれません」という書き方をするしなあ。数学が苦手なくせに理系だからか?


僕は一応、富野アニメという「追いかけたくなる物」を見つけたし、富野の事になると脳が沸騰するので、それを追っていこうと思うが。
だが、やぱり、その向こう側には何も無いのかもしれないなあ。富野は僕じゃないし、阿亜子さんの夫だからなあ。
ま、脳内妹が隣に居てくれたらいいか。





んで、そーいう人間の欲や孤独の部分を匂わせながら、最後は軽快な音楽と明るい夏の点描で終局していった杉井ギサブローの大衆性のプロフェッショナルぶりはすごいな、と思う。
彼は一時期創作活動に限界を感じて、絵を売りながら世界各地を放浪したと言うのだが。
生きるために売る事に吹っ切れたんですかね。飛べ!イサミでは佐藤竜雄監督と杉井総監督はどっちが重いのだろうか?ラ・セーヌの星もだけど。



まー、テレビ局の都合とか、原作から端折ると言うのはしょうがないけど。
原作では達也はしっかりするんですかねえ?
日テレ版のスペシャルはあまり認めてないのが僕なんですけど。


っていうか、杉井監督もあだち充はプロなんだよな。だから、これは時代を読んだ、と言う事なんだろう。
80年代の話だしなあ。
達也と南が天才で回りにちやほやされているのに、自分自身では自信を感じないで、それでも成績だけは優秀。っていうのがカッコいい、理想、クール。
と、評されたのは
当時の若者の、高度経済成長の努力を知らないからジャパンアズナンバーワンの好景気の中で、日本はすごいといわれても「満たされない思い」を感じる。
だけど、表面的にはネアカで成績も優秀。
って言う感じの心の隙間にうまい事共鳴したからなのかなー?
そんで、他人から何を言われても嬉しくないし、自分がやりたい事も無い、でもまー、女は男に価値があるといわれたらそれで満足しちゃえばいいし、男は自分に疑問が合ってもとりあえず女とチームを守ればそれでいいか。と言う。
そーいう時代の空気かもナ。
いや、知らんけど。I was 幼児だったし。


そー考えると、90年代の、特に攻殻エヴァもののけの後の「アニメが世界で評価されたから、アニメが偉いんだ!」とか、2000年代の癒しと生存競争の極端化とかも世の中に影響されてんのかなー?






というわけで、僕がなにをいいたいのかと言うと、
人間は社会的動物なので、自分を認めるために他人による承認を必要とするんだが、それは人を道具にする事で、自分を空っぽにする事でもあるから、怖い。
しかも、それは世界に操られている事でもあって、怖い。
怖いけど、そのような無意味で軽い存在である自分をなんとか我慢しないといけないのだろう。
怖さを誤魔化すために自我を誤魔化したら、生きている甲斐がないと思うんだ。
だから、俺は脳内妹を大切にしないし、守ったりもしない。
勝手に生きて、勝手に死ね!

妹「また、アニメを見たくらいでこじれるお兄ちゃんだね」

お前はナ、南ちゃんみたいに男からどうこうされないと満足しないような、そんな馬鹿な女にはなって欲しくないの。
お前の人生なんだから、オレがどうなっても楽しく嬉しく生きていってくれよ。
そういうお前が好きなんだよ。他人がどうこう言うからじゃない、お前が生きていると言うことだけで輝けるおまえだから、俺はお前が好きなの!
南チャンよりもよっぽど、俺はお前が好きだ!お前はすごい女の子だ!
俺と結婚して欲しい!

妹「うふふふっ。でもねー。
あたしがお兄ちゃんに好かれるために、自分で生きてるふりをしてるのかもしれないわよ?」

いやなことを言うなあ。
でも、おまえ、わがままでやりたいようにやってるように見えるが。
妹「さぁー?どうでしょう」
ほら、そーいう顔が既に俺を使って遊んでるだろ。
妹「お兄ちゃんは可愛いからね」
そーやって自分で楽しい遊びをやっててくれたら俺は楽なんだけどねえ。
妹「んー。でも、南ちゃんみたいな子が好きな男の人って言うのもいるでしょ?いつまでも自分だけを待っててくれる美少女っての。
お兄ちゃんにもそう言う気持ちはあるんじゃなくって?」

そりゃあ、男にはそう言う気分はあることは認めるな。
特に強い男には。
女のために、家族のためにって言う事は男のモチベーションだとは思うよ。
だけど、俺は男らしくないからねえ。
へっへっへ。
ヘロヘロだしね。いつまで経っても肉体年齢は17歳だし。
妹「お兄ちゃんの美少年っぽい所は好きよ」
だから、そーいう大人の男に対しては憎しみを持っているんだ。
そうやって、自分の行為の動機を他人に押し付ける奴が、核ミサイルだって撃つんだ。

妹「タッチはそう言う話じゃないでしょー。」

まー、例えが行き過ぎたけど。もっと人間は即物的でいいとおもう。
妹「自由でいたいんだ?ね?」
俺はお前に愛という承認を注ぐ道具じゃないし、お前だって俺がやりたくも無い人生をやる理由付けの道具じゃない。
俺とお前は別の人なの。

妹「でも、お兄ちゃんはあたしを抱くじゃない。それは同じになりたいとか、あたしを欲しいとか、あたしを使って自分を確認したいってことじゃないの?
即物的な人生って寂しくない?」

そうかもしれない。
そうかもしれないけどね。
ただ、なんというか、人生は別々の線なんだけど、今はさあ、俺とお前は近くにいるんだから。
その、近い所に発生する何か、偶発的なハルモニアのような物が美しいと思うんだ。

妹「ハルモニアですか。私は。
あははははははっ。それで一緒に蛇になったりするの?」

だーかーらー。
お前以外には言いたくないんだよー。こんなことは。
オレの恋愛感はどうせ変すぎて笑われるだけだしな。

妹「あたしは、お兄ちゃんとなら一緒に変わってもいいわよ?」

ああ、そうやって自分と周りが変わっていくのは自分が生きてることがわかって、嬉しいよな。
でも、それはやっぱり偶発的で一時的なものでしかないっていう事実は忘れちゃあいけない。
今の美しさがあっても、その代わりに別の美しさは無いし、今の美しさが壊れても他の何かが次々と在って、局所的にはいろいろあるけどそれで、総体としては意味は無いんだ。

妹「要するに、臆病なのよ。お兄ちゃんは。」

要されたよ。
妹「そんなのはあたりまえだから、みんな忘れても平気なんじゃないの。
いつかは物が壊れるからって、壊れる前から壊れた物だと思って捨てるなんて、馬鹿じゃない」

あ、そうか。そうだな。
俺にはそう言うところがあるよな。
妹「バーカバーカ!」
なぐさめてくれよーぅ。



っていうか、何の話だ!


妹「タッチのアニメが終わりました」


あー、つまり、恋愛とかそこら辺のブラックボックスに手を出したのがいかんかったんだな。反省反省。


結論としては、やっぱりお前の方が可愛かったよ。
妹「お兄ちゃんはあたしと婚約してるんだから、そう考えるのがあたりまえです。自然です」
やっぱり、おまえは自信満々だよな。大好き。
妹「それは、お兄ちゃんのせいなんだけどな」
俺はそんなに大した男じゃないよ。
ただのアニメオタクです。