玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

伝説巨神イデオン劇場版接触篇

THE IDEON - A CONTACT1982/07/19(月)公開
あらすじ
http://www.sepia.dti.ne.jp/stillness/ideon/story/movie01.html
スタッフ・キャスト
http://www.sepia.dti.ne.jp/stillness/ideon/data/movie.html
感想
あれえー?
あれあれー?
あ、あんまり、
富野アニメなのに、
あんまり、うれしくない。
あんまりおもしろくないです。
どうしてエレクチオンしないのよーッ!


とりあえず、ロゴが秀逸。
日本サンライズのロゴがイデマークに似ているという適当ぶり。
ちなみに、このマークはミライさんがブライトさんのシャツに刺繍した模様でもある。ミライ・ヤシマヲタージョ説。


で、再編集版としては、やっぱり43話を3本にしたガンダムに比べると全然はしょりすぎ。と、言わざるを得ない。
所々、新作画になってたし、ブラシ処理で質感を高めたり、特殊効果がきれいになったりはしていたのだが、そこまでうれしくもなかった。


トミノの言い訳としては、

元来がテレビのシリーズ物であった”イデオン”はかなり膨大なストーリーをかかえこんでいて、3時間強の分量の中に収まるものではなかった。
にもかかわらず、あえて一挙公開という暴挙に出たのに3つの理由があった。


1つは、物語の気分が全くみえないダイジェストとすることを嫌ったということ。
2つ目はテレビ版のダイジェストでしかない作品を映画と銘うって2本、3本と上映して、ファンたちに必要以上の出資を強要することを嫌ったということ。
特にこれについては、この数年のアニメ・ブームとかいう風潮の中、所詮はテレビ版の改竄でしかない映画版が大手を振って通るということへの疑問があるからである。
小生に関して言えば、それを先の”ガンダム”でやった張本人である。
張本人であるから、その痛みが分る。
殊に、ファンに対して3度まで出資を強要したということには申しわけないことだと思っている。同じ金を使うのならもっと他の良きことへ使って欲しいという思いが、他の世の父親たちと同じにあるからだ。

http://homepage3.nifty.com/mana/ideon-message.html

だから、お金をあんまり払わないで済むように、1本にしたのだそうだ。
いやー、あのさー、コンテンツ業界(っていう言葉も無かった時代だけど)に限らず、商業行為って言うのは、頭のいい人が頭の悪い人間から金を如何に取るか、と言う事なの。
世の中は金だぜ兄貴!
でも、売れたらファンに金を出させたという発想になるのか富野。
そりゃー、会社的には嫌がられるなあ。
(とか言いつつ、出資を強要したと反省して見せる振りだけかもしれんが。どうせ売れると思ってた?このころは調子に乗ってたからなあ。まあ、VガンダムのDVDも若干調子に乗ってるよな)
そういう富野の二枚舌と本音の紙一重の所が大好きだな。
存在自体が矛盾している!
ちなみに、僕が一番嫌いな一人称は「小生」です。最近のトミノ氏はボクっ子になってくれたので愛せるな。

ともかく完結部分を描き、発表したいという作り手のできる最小限度のことをやってみようとしたわけである。我々スタッフはファンと共に、かつて見ることのなかったエピローグを見たかったのだというたった1つの点に賭けて、今回のダブル・リリース方式を採用したのである。


そのために映画版のドラマは、ドラマとして成立することなく発端と発動を直結させた。まとめたのではない。直結でしかない。
これは作劇を遠く離れ、そのために各スタッフから声優から「冗談じゃない」という声があがった。


矛盾に満ちて、何が物語なのかという思考さえも働かせることなく、”イデオン”は”発動編のラスト・アクションに入る。それ故、どう断罪されてもそれに抗弁する術を小生は持たない。

と、まあ、
監督自身が自覚しているように、接触篇は映画としての体裁はかろうじて保っていて、最小限のストーリーの形はなしていますが、
あんまりおもしろくないです。


全体的に薄味すぎます。
バッフ・クランの襲撃の回数が少ないので、蔓延する死の臭いも、バッフ・クランのしつこさも、戦争の焦燥感も、ギジェの失敗の連続も、ダミドの悪辣ぶりも、植民星での断絶感も、イデの不条理も、軽い。台詞で言われてもナ。
コスモの母のようなかミューラ・ランバンも、対性クローンのような初恋のキッチ・キッチンの死も無かったし。
今まで、39話に渡って見てきたものはこんなに軽いものではありません。
もっと、どうしようもなかった。
みんなが戦争をやめてより良い世界に成ろうとして、頑張ったけど、所詮人間だからどうしようもない感じのどうしようもなさがあった。
まー、短いから仕方ないんすけどね。


が、では、全く見る価値が無いのか?というとそんな事は全く無かったです!



というのは、最近流行りのループ物だと考えたからです。
ですから、接触篇は発動篇からもまた独立した、可能性宇宙の一つであるように思えました。
その証拠に、どうも、接触篇のイデオンはスムーズに成っている。
もちろん、アニメ制作的には流れをスムーズにしていると言う事なんですが、テレビ版との変更点を見ると、やり直しルートっぽいんです。

  • 冒頭からすでにイデオンの名が浸透している。
  • 冒頭ではソロ星の軍と科学庁が協力して遺跡の発掘にあたっている。
  • イデオンメカの解析はテレビ版よりも進んでいて、子どもが乗ったら動くと言う実験も出来ている。
  • シェリルは前世でギジェとくっついたので、接触篇ではコルボックに対する感情が薄い。


だいたいこんなところが、やりなおしっぽい。


ただ、カララが生体発信機を持ったままソロシップに乗り込んでいて、仲間になっても、発信機を捨てる描写が無かったので、カララの意図が不明瞭でした。
そこはおかしかったなあ。



ただ、繰り返しだとすると、テレビ版でやりきれなかった人がちょっとはマシになろうとしてるのかなーって言う気もしないではない。ギジェがあんまり殺してないし。


ロッタが思いっきり泥を被った形になったが。

伝説巨神イデオンのテーマは明快で「馬鹿は死ななきゃ治らない」である

とはよく言われるけど、僕としては、繰り返し輪廻永劫回帰時空内スパイラルビーム宇宙説を採用したいので、
「死んだらバカは治る(かもしれない)んだ!だったら何度でも死んでやるぜ!」
というネガティブハッピーエンドな終わりの無いディフェンスで、まだ絶望に沈む悲しみがあるなら、恐怖を払って行けよ!
渦巻く血潮を燃やせ!
甦る!甦る君よ!掴め!
まだ愛に震える心があるなら、平和を求めて翔べよ!
銀河へ向かって翔べよ!


という、「手に入らなくても求めつづける」という、僕の中での富野主義のような気がします。
そう考えないと、テレビ版39話が辛すぎて間尺に合わない。


でも、そんなにすぐには良くならないんで、発動篇はやりますけど。
何度でも、何度でも、
やられてもやられても立ち上がってガッツポーズ!


http://yasuaki.cocolog-nifty.com/new/2005/08/post_0584.html
こちらのブログさまでは、逆襲のギガンティスで、ガンダムイデオンの後と言うのはおかしくね?
Vガンダムイデオン
という順じゃなくね?
という風に書いてらっしゃるんですが。


僕はイデオンガンダムVガンダムイデオン、アベニール、イデオンドラグナーイデオンガンダムガンダムX∀ガンダム、SD戦国伝、イデオンダンバインイデオンリーンの翼イデオン、ファウ・ファウ物語
くらいの火の鳥っぽさがあっても良いかなーっておもう。
まー、妄想ですがね。
徹夜で発動篇を見よう。