玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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オーバーマンキングゲイナーoverの11「涙は盗めない」

よく動いて、アクションもして、知恵と協力で敵をやっつけて面白い!
メカ作画も複雑なデザインに立体感が出来てるし、キャラもきれいで可愛くて表情豊かだなー。


作画はジブリっぽいなあ!
と言う印象ですが、ジブリはグロスで参加しているわけじゃないんだよねー。
ドームポリス・ポリチェフの移動マーケットの露店とか、リュボフのスクーターが干し藁に突っ込んだりとか、ジブリ要素を意識的に出してるな、と。
原画に吉田健一氏が居るには居るけど。
しかし、安彦良和氏や湖川友謙氏がアニメーションディレクターだった作品に比べると、キングゲイナーは統一感があんまりないなあ。下手したら、Zガンダムよりないかも。
なぜでしょー?
吉田氏の新作はどういう絵柄になるんでしょうね?
まあいい。


そういう感じで、結構面白かったんですけど、富野アニメらしく、不親切っぽい感じもあった。
つまり、絵は綺麗だし良く動いているんだけど、世界観雰囲気情報のカットが短すぎるよな。
視聴3回目にして、ドームポリス・ポリチェフもウルグスクと同じような構造で、ユニットを引き出してのエクソダスが発生しようとしていたって言うのが分かった。
今までは単にアスハムが戦いの前にオーバーマンジンバの性能を紹介するついでにピープルをいじめている事だけが分かっていた。都市ユニットが映ったのは1秒にも満たない。
僕は今まで、移動マーケットがポリチェフの本体だと思っていましたよ!やっぱり、5年前に見たときは富野力が足りなかったんだなー。
全体的に俯瞰の説明的なカットが少ないしねー。
絵コンテには富野監督の名前はないのだが。やぱし、そこら辺の「世界全体は存在するけど、説明してやらん」っていうのはトミノっぽくもある。
あー、「スペースコロニーをリアルだと思う若者が居て困った」って監督は言ってたんで、キングゲイナーにおいては視聴者の興味が世界観に向かないように努力してたって言うところも在ったのかしらね?
でも、世界観は超未来なんだよな。作品自体には世界観がしっかりと設定されているのだ。
設定されているし、劇中の人にとっては自然に存在しているが、視聴者には説明されない世界。
ロンドン・IMAという言葉は出るけど、実態は明かされない。
テレビのニュースで「ヤーパンの民族性」とか微妙な事を言うんだけど、あんまりスポットがあたらない。むしろサラがテレビに出れて舞い上がるって言う方が重要。
よく訓練された富野信者だと変な世界観には慣れているから、世界観を脇に置くと同時に踏まえて、面白かったらいいかなーって言う風に見れるのだが。
やっぱり、普通に見るときには変な設定とかあると気になるものではあるよ。普通のテレビドラマでさえ、家族と見ていると僕に質問されたりするし。「なんでもこみちがロボットなの?」とか。
スタジオジブリ作品とかだったら、もうね、割り切れるくらいファンタジーですからね。
飛行石=飛べる=宝
こんだけ分かれば充分。
それにくらべたら、やっぱりキンゲは入りにくいのかなー?
いや、キングゲイナーのテーマは「思い込みの打破」という視点で見ている僕なので、「アニメの設定や謎は明かされなくてはいけない」と言う事を打破しようとしてるのかもしれない。とか思ったりな。エヴァンゲリオンはそれを最後まで引っぱったが、キングゲイナーは序盤から世界観はスルー。
だが、僕にだって世界観を気にするところがある。


結局、やっぱり、富野作品は時代劇なんだよなー。劇中の設定はア・プリオリ
劇中でロンドン・IMAがInternational Monitoring Agencyとか、エゥーゴがアンチ・アース・ユナイテッド・ガバメント(反地球連邦組織)何て言う説明は一切ないしな。
あ、小説とかムック本では書いてあるんだが。
やっぱり、オタク向けなのかなー?うーん?
設定を借景しないっていうのは頑張ってるとは思うけど。
脱オタク向けっぽいキングゲイナーだけど、オタク向けっぽいと言うのはどうか、と思う。
が、俺が面白かったらいいのカー。そうかー。なーるほどねー。


あ、でも、不親切設計で詰め込みすぎなんだけど、一瞬だけ商店街で映ったマネキンがゲインのガチコに身代わり爆弾として使われているって言う事に気付いたら、ゲインの臨機応変さが端的に現れていて爽快だったね!
ガチコの登場からジンバをやっつけるまでの動きの導線が一続きで、かつ、ガチコ→ジンバ→爆弾→キングゲイナー→アナとリュボフを掴んだ腕→サラのパンサーと気持ちよくリレーされてて面白かったなー!


萬画版のキングゲイナーは、それはそれで、描くものの取捨選択によって視線の誘導がわかりやすい活劇になっていて、それもまたよろしい。ま、媒体のスピード感は違って、やっぱりアニメの方が速いけどね。ほかの話数の要素も入れなあかんし。
最初のころのマンガは立体的過ぎて読みにくかったが。4巻では流石にこなれてるな。白くなったけど。中村嘉宏先生は最初のころよりもドンドン水木しげるっぽい絵柄になっていったのが面白いな。


今回の話で面白かったのは、まー、もちろんアナ姫の説教とかもあるんだけども。
それだけじゃなくって、それが今までのアナ姫の行動に意味を持たせるって言う構造になってるのが面白かった。
つまり、アナ・メダイユが成長したなーって言う事。
アナ姫の才能もあるんだろうけど、1話のアナではこういう説教は言えないよな。
だって、親父は美術品オタクだし。アナもお姫様ごっこという役割を演じて遊んでるような子でした。
それが、エクソダスをして、また今回エクソダスから逃げようか?と言う風に考えて、つまり、色んな立場に実際に立ってみて考えると言う経験を通して、アナが成長したんだな。と。
ニュータイプとか、子どもの素直さとか、そういうことじゃないんだ。(まあ、真のニュータイプはそういうものなのだが)
それで、洞察力が高まったアナだからこそ、アスハム・ブーンがエクソダスを止めると言う目的を逸脱した暴走をしている、と言う事を見抜いて説教ができるようになったんだよなー。
アナはただのマスコットじゃなくって、アナがエクソダスに参加した事に、ちゃんと意味があったんだなー。アナの人生にとって。
そーいうわけで、メダイユ公に電話をかけたのは里心だけではなくって、お家おとり潰しの危機に瀕した家のために自分が出来る事はないか?というふうに父親を慮ったのかもしれない。
んで、メダイユ公爵だが、彼も登場していない間に、アナの不在とか御取り潰しとか、ドームポリス暮らしでは味わえなかったリアルなピンチに晒されて、どうやら成長したっぽい。
アナを追っては転んでいたオタク親父がなー。娘の生存を第一に考えて、寂しさを我慢して電話を切った。親父頑張ったな。
親父は最終回では、また一気に成長して自らエクソダスを計画しようという風になっている。なかなか親父も頑張ってるな。


ただ、力を暴走させるものに対しては、理念を持った王女様だけでは負ける。
だから、キングゲイナーやパンサーもがんばっちゃう!
そういう風な力の使い方を見せてくれるキングゲイナーは気持ちがいいな。


オタクアニメとかのセカイ系もそうなんだけど、まあ、それに限らず、自分の人生や家庭や仕事を自分独りで取り仕切ろうとして、万能感欲求と現実との齟齬をきたして破綻するような世の中です。
それは、まあ、世の中全てが信じられないって言う事が強調されている世の中だから、一人で生きなければって言う気持ちになるのも当然。
そーいう人が自分のために生きて、それでより一層信じられない世の中な気分になっちゃう。
(ここで「面白いな」、と思うのは、誰も人を信じていないのに、食品や製品の信用を落すような犯罪が起こると、「信用を失った」ってわざわざ言う所が面白いな。ホリエモンやムラカミファンドが逮捕された時も「市場の信頼を裏切ったから悪い」ってみんながいうところが面白かった。なんだよー。信頼したかったのかよー。ただ、動物が食っていくためにしただけの事だろ)
あるいは、反動でちょっとした共通項(民族とか)で群れたり、その中でちょっとした違い(解釈とか)でいがみ合ったり。(新しき村みたいな)
独りとみんな(という小集団、視界によって流動的。陰口とか)の間での揺れ動きみたいな悩ましさがあるよね。
んで、どっちに振れても偏るわけだな。
つまりどういうことかというと、独りの万能感を追い求めても、集団の論理に身を任せても、結局、人間は偏るのよねーって。
そんで、そーいう偏った人間だからこそ、それぞれの持ち味を生かしたらいいんじゃないの?っていうのがキングゲイナー的なものなのかも。って思う。
筋の通ったアナ姫とか、ぼんやりもするけどアナ姫を助けに走るリュボフとか、ゲームチャンプのゲイナー・サンガ、請負人のゲイン、弱めのロボットに乗ってるサラ・コダマ、軍事オタクのガウリ、後方支援のベローやお題目の五賢人やら、あと、寝てばかりいるアデットも。
みんな偏ってるわけだが、まー、そこら辺をだましだましつきあっていきましょうよ。居る人は使いようというか。
ま、言ってしまえば「ロボットアニメの敵は強いけど、協力する個性豊かな主人公達が勝つ」っていう、すごい使い古された王道の価値観なんだわ。
それを「それまでのロボットアニメの枠組みを壊した」って21世紀になっても言われつづける富野由悠季作品でやるっていうのは、なかなか面白い構図だね。
「ソレまでのロボットアニメ」ってなんだよ。コッペリアか?


でも、そーいう協力する愚民よりは極端に強力な天才や美形のサクセス活躍をボケーっと見て憧れる方が娯楽としてはシンプルかも。



小ネタで面白かったのは、シベリア鉄道を査察するという本来の仕事をしているザッキの優秀さ。
そんで、そのシーンで「生ものを横流しした」と言う事が重要視されているっぽいのが時代を先取りしていて面白いな。2002年よりは最近の方が食品偽装問題はハッキリしているよな。
ゲインが「この毛長鹿の肉は冷凍5年ものだな」って見抜くところとかと合わせて、ドームポリスと言う都市の住人にとっては輸入食料が生命線っていう価値観が端的に現されてて面白い。それを分かった上で値切り交渉するゲイン・ビジョウもカッコいいぜ。
富野アニメも5年置けということね。
そう言う訳で、富野監督が死んでから5年は生きないといけないんだわ。
ま、ある意味分かりやすいよな。


というか、私って最高の人生の見つけ方を地で行ってるなあ。やりたい事リストを着々とこなしているな。ふふふ。
やれる事は少ないけど。
しかし、あれだ。
この間、土田晃之氏が「熱血!天才アカデミー 世界をひっくり返した男ダーウィンの進化論」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=103&date=2008-05-06&ch=21&eid=1128
で、「ダーウィンは虫に熱中していたけど、僕はガンダムとサッカーでしたから」
って言って、
茂木健一郎氏だか、学者が「いや、ガンダムでも好きな事に熱中するのは良い事ですよー(^▽^) {ニコ)」って言って、土田氏が「ガンダムを誉められると嬉しいです」
って言ってたのを見て思ったんだが。
ガンダムがいくら好きでも、富野には勝てないし、富野にはなれないし、なったところで大して嬉しくもない。
評論家ってうっとおしいし、要らないですからね。
だからまー、僕は何の価値も無いところでダラダラ遊びますよーっと。
基本的に、このブログのスタンスは平和より自由より正しさより「おもしろいな!おもしろがれ!」という事ですんで、特に役には立たないのだわ。
しかし、キンゲは面白いな。
「もっと面白がりたいのに、あんまり面白くない!」っていう感情も面白かったり。