玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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最近のポルフィの長い旅とコードギアス 反逆のルルーシュの比較はもう手遅れになっている

(↑ホッテントリメーカー
全然毛色の違うように見える、復活2作目の世界名作劇場と日曜5時から撤退寸前のロボット女体ホモセカイ系征服超能力アニメですがー。
まあ、どっちも妹兄メーションだ!
そう言う訳で、けっこう似た印象のある部分もあるのだヨ。
ただ、ポルフィの長い旅は商売に成らないんですけどね!
そこら辺の感覚が分からない僕は業界人にはなれずに、一生漠然としたオタクのまま朽ちて行くんでしょうけどネー(笑)


でも、アレです。
妹萌えのお兄ちゃんの暴走と言う共通項以上に、ポルフィルルーシュっぽい。
つまり、谷口悟朗監督の発言なのですが。

さらに言うならば、実は『コードギアス』というのは、谷口版『最強伝説 黒沢』なんです。
何も無い人間が、社会とぶつかって、自分はどうやったらこの社会でやっていけるのかってことを苦悩する点においては、私の中では同じなんです。

ポルフィラス・パタゴスのほうが、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアよりもよっぽど何にもないですし、数倍社会とぶつかってますが!
うーん。
僕の読解力が足りないのかなあ?
僕から見るとルルーシュって、何もない人間というよりは、何もない(と社会では見られているが、それは社会が俺の才能を見抜いてくれてないだけだし、世を忍んでいるだけで、本当は俺はすごい事をやるから絶対俺のことを認めさせてやるぜ!っていう)人間。
と言う感じなのだが。
ガン×ソードの夜明けのヴァンの性格は嫌いじゃないけど、作中のもてはやされ方はそんな感じでした。
プラネテスも結構好きで面白かったけど、サラブレッドって言えばそうだしなあー。まあ、それは原作からだが。
他の監督作品とかは見てないしよー知らんが。


分かりやすくポルフィと比較してみると、ポルフィって「出来なかったことが出来るようになる」っていうイベントが結構多いんだな。
ルルーシュはいきなり超能力と天才的頭脳で、そのあとの伸びしろがあんまりないなー。今までのピンチの切り抜け方も、「出来なかったことが出来るようになる」というよりは「手駒を最適に置く方法を思いつく」「手付かずのニッチに気付く」って言う感じ。
だから、ポルフィは自動車整備工でルルーシュは政治家タイプ、というわけなんだよな。
でも、ナイトメアフレームの練習とかしてもいいのにな!
しねえよな!
ギアスを使いこなすために精神を鍛え、一回命令するだけでなく、周りの人間が自律的にルルーシュの外部端末になるギアスにレベルアップ!とか、そういうのがあれば良い。


また、「出来なかったことが出来るようになる」っていうのはまず、「やらないといけないけど出来ない状態の自分」を自覚するって言ううっとおしさを通過儀礼しないといけない。
ルルーシュは「ナイトメアフレームの操縦は他の奴がやるし、俺は別にちょっと運転できるくらいでいいやー」見たいなところがあるよね。出来ない事は出来ないから、あんまり苦にしない。
ポルフィは出来ない事に直面して、いろいろやって、失敗したり泥にまみれたりする。
それはアニメとしては快感が薄くなるのかなー?
うーん。まー、難しいんですけどネー、そういう描写って。
「他人がじゃまして出来ない」って言うよりも「単純に自分がヘボイ」って言う方がダメージがでかい。
ぶっちゃけ、僕の最大の敵は僕だ。
エウレカセブンとか、それをがんばってたけど出来るようになる部分の説得力がちと薄かったかなー?って。まあ、女子をゲットするにはラブがあればいいので、それで良いのだが。
今、僕が修行の固まりであるGガンダムを見直しているという関係性もあるな。
「出来ない事が出来るようになる」って結構普遍的感情だと思うんで、そこを上手く刺激で来たら名作だと思うんだけども。


あと、社会とのぶつかり合いですが。
ポルフィの社会とのぶつかり方は本当に見てて怖い。
いや、割といい人にめぐり合ってるんですけど、それって、運じゃん。運だから、極端な話、いきなり悪い人に遭遇してぶっ殺されても文句は言えないわけですよ!
そんで、実際、結構ポルフィって悪い人やわるそうに見える人に絡まれることも多いわけです。
いい人も悪い人も社会の中に同じくらい居て、しかも初見ではそれが判断できん。
だが、ポルフィは無力なので相手がいい人か悪い人か判断できなくてもとりあえず助けを請わないとどうしようもないわけです。運まかせ。
しかも、相手の悪意の有無に関わらず、助けてもらえるかどうかは偶然に左右される要素が大きい。
それが、はっきり言ってコードギアスの戦闘シーンよりもハラハラドキドキしますね!
コードギアスは結構性格がハッキリした主要キャラ同士の戦いなので、大体どういうことが起きそうか分かるわけです。ま、それはそれで個性的なキャラクターの魅力とか、情報の読み合いとか、そういうバトルマンガ的おもしろさがあっていいのです。
でも、リアルな話をすると初対面で何を考えているか分からない一般人の方がよっぽど怖いですよ。何するかマジでわからん。
ルルーシュ先生は一般人の恐怖からは解放されてるので、そこら辺は安心ですね。逸範人に囲まれてるけど。
ポルフィは純朴で素直で物覚えも良いので、あんまり他人を恐怖せずにとりあえずやってみる勇気があって、子どもなのにえらいなーって思う。
ミーナは他人をメッチャ恐れている状態になってしまったが、いい人に拾われた?のか?


簡単に対比してみると、コードギアスは物事を制御したい!っていう話で、ポルフィはハナっから制御不可能な物事のなかで何とかせな!っていう話っぽい。



でも、ポルフィの長い旅の怖いだけじゃない所は、「何もない人間」であるところのポルフィでも人間なので、人間と関わるだけで、相手の人間に「何か」を与える事が出来るのではないか?人間は知らない人とでもちょっと関わるだけで、ちょっと嬉しいっていう部分が在る。
っていう展開がこれまでにも何度か在った。親父の工場やアメリカ軍やお爺さんの所やイタリアの工場で働いた時も、ポルフィの仕事のスキルって言うよりは、家族とか話し相手とかモノを教える相手とか、そういう部分の方が重要だったように見える。ポルフィ自身はボンクラなガキなのであんまりそこら辺の自分の価値が自覚できてないけど。(そこがまた素朴で好感だ)
それはコミュニケーションに飢えている視聴者には癒しにもなるだろうし、逆に非現実的な憧れに見えるかもしれない。




というわけで、僕としてはコードギアスよりもポルフィの長い旅の方が谷口版最強伝説黒沢の定義に近いと思います。
谷口監督が作ればいいのに(爆




っていうか、宇宙漂流バイファムに出てきそうな格好のイタリア人青年レオンの声を当てていた桜塚やっくんに違和感がなさ過ぎてヤック・デカルチャー
なるほど、アニメだったら扮装を変えなくても演技の幅が広がると言う訳ですね!プロデューサーさん!ハイターッチ!



ザイミスのスルーされ力は異常。
えっと、再登場するの?


妹分が足りない・・・。