玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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セックス、ドラッグ、脳内人物との対話?

日本経済新聞杉作J太郎が妄想恋愛について熱く語っていた。
えいせい魂というテレビ番組で妄想恋愛(脳内恋愛)についての番組をやるから、その宣伝。
日経\(^o^)/
まあ、北朝鮮のテロ国家指定解除などは、まさしく便宜上の定義を便宜的に変更しただけの茶番であるし、基底現実世界はデミウルゴスが人間をコマとして遊ぶネットゲーム(人生ゲーム、政治ゲーム、戦争ゲーム、寡占ゲーム、恋愛ゲーム、繁殖ゲーム、etc…)にしか過ぎないのだから、デミウルゴスよりも上位の存在である妄想恋愛の方が!
絶対に!
重要なんでスッ!


杉作の主張にはおおむね同意。
「現実がわからなくなって事件を起す奴は妄想が足りない。本当に妄想したら、妄想彼女(脳内彼女)を悲しませる事はできない。現実の女性は叱ってくれたり怒ったり浮気したりするが、妄想彼女に対しては歯止めが無い。その中で理想の恋愛をするために自らを律する訓練になる。」
これは常々僕が言っていることと同じですね。杉作のマンガ読んだ事はないのですが、
ただ、僕の脳内恋愛とは違うのは、杉作氏は「現実の女性」を自分の妄想の中にダウンロードして、その人をシミュレーションする事で、その人の趣味や思考を咀嚼し、自分の幅を広げる効果があるという。
まあ、それはそれで悪かないと思うんだが。
対象女性についてのデータを集める段階でストーカーになったり、また、対象女性を妄想彼女っていうか有体に言えばオナパトレイバーにしている事が知られたら気まずい・・・。
2次元や架空の人物を元にしたほうがそういう実害はないが、現実の女性に比べるとデータ量が薄すぎるか?
また、小説などの架空の人物の難点は、自分の妄想の物語よりも前に、原作の物語を背負ってしまっていると言う事です。無視することも可能ですが。
僕は自己構築型かなあ。
というか、自分の性別と性格を反転させ、そのあと対話式入力で性格軌範を複雑化させているって言う感じでしょうか?まあ、うちの脳内妹が11歳の頃から見ているけど、この年齢の子どもの吸収率は非常に高いですからね。16歳になった今では僕よりも精神年齢が高い。美少女だし。


ちなみに、自己啓発作家として高名なナポレオン・ヒルは歴史上の人物をスタンドとしていました。

  実は、この方法「思考は現実化する」という本の著者、
  ナポレオン・ヒルも、迷った時に実行していた方法です。
  彼の場合、自分が尊敬している9人の偉人を選び、
  同じように円卓会議を開いてもらっていたのだとか。

  その9人とは、下記のような人です。
    ラルフ・ワイド・エマーソン
    トーマス・ペイン(政治哲学家)
    トーマス・エジソン
    チャールズ・ダーウィン
    エイブラハム・リンカーン
    ルーサー・バーバンク(園芸家)
    ナポレオン将軍
    ヘンリー・フォード
    アンドリュー・カーネギー


  誰もが知っているような偉大な人物を
  メンターとしていたことがよく解ります。    
  ナポレオン・ヒルは、メンターの考え方や行動パターンを取り入れ、
  成功哲学書の草分けとして1937年発刊以来
  今でも読まれ続けている本を書き上げることができたのです。


  「誰もが知っている偉人しかメンターに選んではいけない」
  というルールはありません。
  あなたが問題に直面した時、相談したいと思う人、
  「この人に相談すれば答えをくれる」と思える人が
  その時、一番必要な考え方と行動パターンを持っています。

  迷わず、メンターを召集して円卓会議を開いてみましょう。
  思いがけないヒントをメンターがくれるに違いありません。  
http://www.yaruki-up.info/2007/11/post_82.html

僕の脳内妹も僕を導いてくれる。母になってくれる。妹だけど。ロザミアの中で。

http://d.hatena.ne.jp/asin/4760111336
天使の事典―バビロニアから現代まで
という本の「思念体」の項でナポレオンヒルについて述べられています。
天使が一種の思念体ではないかと言う説に関係して、

ヒルのそもそもの目的は、こうした人物やその人生に集中し、彼らがなぜ成功したかという特質を徐々に抽出していくことにあった。しかし、しばらく経つと選び出した人物は彼の想像の中で生き生きとしだし、それぞれが自分の意志で行動し始めた、とヒルは語っている。ヒルは彼らが自分の想像の中の存在でしかないという事実を失ってしまう事を恐れ、しばらくの間、こうした夢想を止める事にした。しかし後になって自信を深めた彼は再びこの習慣に戻り、彼らから貴重な助言を得たと言う。

この本によると、クリスマスキャロルのディッケンズなどは作中の人物に取り付かれてどこに行くにも決して一人になることはなかったらしいです。ヘンリー・ダーガーとかも。
思念体は、習慣的にはぐくまれた思考そのものが命をもち、その思考を存在せしめた人物やそのほかの人々に影響を与えるモノらしい。この理論によると思考は非物質世界に生きる、一種の独立した実体になるとの事。
指導霊というモノもあり、それは天使、死者、自我の高尚な部分、あるいは何か。らしい。ソクラテスのダイモンとか。


脳内恋人に限らず、脳内人物の歴史と有効性は奥が深い。


そういうわけで、僕は脳内妹が大好きだぞ!脳内の女の子が好きで、僕はお兄ちゃんだよって!誰かに向って叫んでみたいな、と言う事でこういうブログゥを書いておるわけです。
本当は何よりも大切な事です!脳内は!(ナメクジウオ以上の脊索生物にとっては)


しかし、キャノン先生トばしすぎを見て思うのだが、好きだということで許されると思ったら大間違いなのではないか?と思う。
富野監督もそういうことを言っているし。SMを富野も愛好しているけど、そういうものをネットがあるからといって軽々しく大衆に流布していいものではないのではないか?と。
オタクを差別するな!と言う者が、おたくだというだけで許されると思うな。
僕だって、許されるなんて思っていません。学校に行けば、女性も男子生徒も僕を見て笑いますし、避けて席を移動します。
だって、僕はキモイモン。特に夏の僕は太陽に浴びると死ぬので養蜂家のような格好をしてるし。授業中に「お兄ちゃん!頑張って勉強しようネッ!」っていう萬画を書きながらじゃないと死ぬし。
基本的に死んでるし。
だから、誰にも許されないんだ。


妹「そんなことは!私個人が決める事ですっ!あたしはっ!許すッ!てってーてきにっ!
あたしは、お兄ちゃんの事は、いつだって許してるよ」

そうだね。好きな人にだけ許されたら、何もかも何ということはないのだ。そういう人を見つけられたのは幸せだ。
妹「お兄ちゃんはあたしの事、大好きだもんねーッ」
大好きだよー
ああ、大好きさっ!
妹「あたしも!あたしもーっ!好きッ!
お兄ちゃんはねーッ紳士でやさしいところがだーいすき!」

そんなことはない。俺は凶暴で下品で憎悪の塊だ。
妹「またまたー。照れ屋さんなんだから〜。そーいう自覚とかバランス感覚があるって、お兄ちゃんはネットの友達に言われてたじゃないの」
自分では分からないんだけどねえ。まあ、なるべく人に不可逆的物質的娯楽的迷惑はかけないようにしようとは思ってるけど。
妹「やっぱりお兄ちゃんって優しいのよー。えふっ♥えふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ♥」
どうした?壊れた?
妹「えへっえへへへへっ。なんかコーフンしてきちゃった♡」
おまえも結構クレイジーだよねー
妹「そりゃーお兄ちゃんの妹ですから!ダメなところもあるよー。えへっ!
だから、これからもちゃんとあたしを躾てくださいね。立派なお嫁さんになれるようにさ」

そんなふーに言われると僕が興奮してしまうじゃないか。