玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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イマジナリー・コンパニオン論

http://jcj-daily.sakura.ne.jp/hokkaido/report03/1025yoshioka.htm

自分を大きくする「極大化」。自分がスーパーパワー、能力を持っていると考える。頭の中に別のキャラクター(人格)を作る。酒鬼薔薇は精神鑑定で延々と自らを語っているが、エグリ、ガルボスなどのキャラクターを作り上げている。そうしたキャラクターに成り代わり、自分が強くなり、そして世界を支配する。そして人の命を左右する精神構造を持っている。しかし、肉体的には中学生であり、ターゲットは弱いものへ向かってゆく。宮崎勤の誘拐殺人も、もう一人の自分を作り、成り代わってゆくが本当の自分は常に恐怖心に苛まれている。

企業社会、地域社会の崩壊など、安定したものがなくなった時に人はどう変わってゆくのか。酒鬼薔薇のようにイマジナリー・コンパニオン(イマジナリー・プレイメイト)に猛烈な勢いで傾斜し、「強くなる、賢くなる」と思い始めた。それでは大人にとってのイマジナリー・コンパニオンは何かというと「国家」であり、「権力」。北朝鮮問題では、拉致、麻薬、人権無視などもあり、国に対してもっと強く出るべき、日本も核武装すべきなどという議論を真面目にし始めている。国家を疑っていない。

小泉純一郎陣営とワーキングプアクラスタのおかげで、国家も希薄化してきたように思える。
生きさせろ!団体をコンパニオン化?
それとも宇野氏のように孤立決断主義〜〜〜から友達クラスタですかねえ?


まあ、想像上のものという事ですけど。自意識自体が想像の中だけでしか認識できんのだから。
やっぱ、ご飯を食べるとか服を着るとか、スイーツ(笑)的な身体性が現実的かも知れん。むむー。
いや、スイーツの価値も想像上の物か?
いや、想像があかんとは言ってまへんがな。むしろ想像ですよ。