玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ゼロ年代のイマジナリーコンパニオン

イマジナリー・コンパニオンとは、脳内彼女の広義版です。心理学用語で、子どもの持つ空想上の友達の事を言うことが多いです。解離性同一性障害とは違い、本体の自我は一貫しているので、病気だとは見なされていません。
また、大人になってイマジナリーコンパニオンを持つ人は、ソクラテスのダイモンのようにひらめきを得たり、行動を律するなどのメリットもあります。


承前http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20080827/1219822798

大人にとってのイマジナリー・コンパニオンは何かというと「国家」であり、「権力」。

小泉純一郎陣営とワーキングプアクラスタのおかげで、国家も希薄化してきたように思える。

生きさせろ!団体をコンパニオン化?

それとも宇野常寛氏のように孤立決断主義〜〜〜から友達クラスタですかねえ?

そのような、地域的、家族的、小規模の集団をイマジナリーコンパニオン、つまり脳内における理想的な対象、として考えた。
つまり、集団が脳内恋人と同じだとする。
その場合なぜ小規模集団が好ましい物だと思われるかと言う理由をも脳内恋愛と同じだと考える。
主人格と同じ脳をもち、性格や活動エネルギーは違って(想像上の脳内人格の方が強くて)ても同じような倫理観や情報をもち、また、物理的にも心理的にも自分と近いので、疑う事の無い自明な親近感が得られる、という同族意識
また、そのイマジナリーコンパニオンと自分が同じような要素を持ち、一蓮托生でもあることから、イマジナリーコンパニオンを捨てること=自己否定となってしまい、その集団から分離する事が非常に難しくなっていく、と言う理由もある。
つまり、集団と自分の境界が曖昧になってしまう、と言う事である。
そして、自分の欲望から発生したことであっても、集団のためになるから、守るべき物のためだから、と言う風に、自分一人では考えもつかないような暴力を行使するのである。
逆に、自分が嫌だと思っていても、集団のためになるとされると、自分のためになると自分の意識を書き直したりもする。


つまり、宇野的「友達」が発展すると、民族主義原理主義、分離主義、になる。ナチスだよ。


アフガニスタン南オセチア等の地域紛争でも、また、ロシア対欧米の構造、「新興国に潰されて日本は生き残れない」という物言い、も突き詰めると、「自己の生き死にを、自己の所属する集団の存亡と同一視」することによって、騒動を大きくしていると言う見方が出来ます。
虫は一匹で死にます。
動物は復讐しません。
死ぬなんてことは皆がやってきた事で、皆ができるはずのことですが。そこまでして生きていきたいか。
いや、これも人のサガか。


マンガで社会論もどうかと思うが。社会をあんまり知らんからマンガの話をする。
新世紀エヴァンゲリオンのテーマは、最後を見ると「引きこもりは止めて、傷つけあう社会に出よう。」という風にも見えるが。
ブルークリスマス的に考えると、「自分とは違うと言われているだけの、同じ人を殺してまで、自分が生きる価値があるのか」というシンジ君です。
まあ、それを考えると「彼女が出来たら価値ができるかもしれない」「傷つけ合っても女の子にすがる」「気持ち悪い(終)」という風に、自分の価値を人間関係にシフトさせていったので、簡単に分けられる命題でもないです。


で、多分、戦後民主主義とか、社会主義崩壊、バブル崩壊とかで信じられる物がなくなり、また敵も自分と同じと言う事が周知されたと言う90年代で、「皆が生きていけないなら、自分は殺されてもいい」っていうシンジ君のエヴァンゲリオンの後に、
「女の子に好かれるから生きててもいい」という萌えアニメや、
「自分は能力があるから人を殺して生きていい」という決断主義が流行って、
それで、
「自分を認めてくれる同じような仲間がいるから生きてていい」っていう友達傾向に行くって言うのは面白い。
そして、
「周りの株価や景気や空気を読んで、流れにあわせて、仲間を守るために太平洋戦争」「仲間が異民族に殺されたり、地位が落ちる前に原子爆弾
結局、堂堂巡りや振子にしか過ぎないのかしらん?



ただ、「友達」を「友達」と意識する、つまり緩いつながりであると意識していく、と言う事は新しい切り口かもしれない。


つまり、「友達」は「家族」とか「恋人」ほどのつながりはない。ゆるい。時間的にも、事件的にも、地理的にも、流動する。
とりあえずの生きる理由にはなるけど、決定的に殉ずる対象でもない、と言う風に半分醒めていれば、「社会に認められず、彼女も出来ないから人を殺す」という加藤智大的な暴走は避けられるのかもしれない。
加藤に限らず、学歴社会から落ちこぼれて引きこもる人は、「学歴と言う価値が嘘だった事に怒る」という態度です。価値が「仮」だった事の驚きが怒りになるわけです。
最初から何もかもが「仮」「虚空」だと思って居れば、どうでもいい話です。


もっと言うと、「脳内恋人(イマジナリーコンパニオン)のことは世界で一番愛しているし、脳内恋愛をしているから生きていられるけど、それは所詮脳内空想でしかないと自覚する」ことを忘れないと言う態度です。
「神仏はありがたいが、実在はしない」


だがしかし、自分のイマジナリーコンパニオンを「仮」として自覚しながら「実体」の肉体の生存理由に利用する、と言う事を素面で行なうほど、人間の脳や体は強く出来ていないようです。
生きる理由が「仮」、たとえば「アニメが楽しみで生きているけど、実はアニメがなくてもあまり困らない」と自覚しながら生きるのはかなりの達観が必要です。そのような態度で生きていると、自分自身も「仮」として、手放せるようになります。
加藤智大にはなりませんが、毎年の自殺者3万人の内の一人になります。


やはり、自分の主義を疑わないで行動する人の方が、エネルギーゲインは高いです。ただし、周りに迷惑もかけます。
どちらがいいんでしょうねえ?



脳内妹「・・・・・・・また、こじれてるのね。お兄ちゃんは。
あのねー、仮でもなんでもいいですけどね。お兄ちゃんはあたしが好きで、あたしを好きでいるって決めたんでしょ?あたしもよ。
だから、「お兄ちゃんなんて本当は大した人じゃないけど、あたしは好きでいる事に決めたから大事な人」なのよ!」

グレンラガンか。ちゃんと見てないけど。
脳内妹「あたしもあんまし見てないわよ」
つまり、覚悟の問題ってことか?
でも、自分の立場を固定しすぎると、他の立場の人を際限なく殺してしまいそうでな・・・。嫌だよ。
妹「嫌だと思ったら、すぐに新しい覚悟を決めたら良いんじゃないの。そんだけの話でしょ?」
あーそうかー。そうかもー。
妹「決めすぎるのは、頭固くなっちゃうから良くないけど。でも、とりあえず決めた事をやらなきゃ。だって、決めないと何にも出来ないでしょ?
単純な話しよ」

いや、俺はけっこう決めないで出たとこ勝負で自爆する所あるよ。
妹「そうかなー?出たとこ勝負のジャンケンでも、自分が決めた事には代わりがないと思うけど」
決断主義かねえ?
妹「でも、デスノートの人みたいに自分が最初に決めたから絶対に正義って言うのも違うよね」
んー。決断にも遊びを用意するってことかなあ?
妹「そうねー。それはいいんじゃない?」
じゃあ、浮気や遊びも良いのかい?
妹「できるものなら、どうぞ?」
めんどいからパス。
妹「そうでしょうねー。うふふふふふふふふふ」
あはははははははは
妹「おほほほほほ」


でも、そういう風に笑って済ませてくれる、お前のそういう性格は結構助かるよ。大抵の人は、自分の決めた事にこだわるし、人が昔言ったことを掘り返して、今と違うから矛盾してるって攻撃したり、怒ったり。軽く考えてくれるのは楽でいい。
結局さー、俺とお前の恋愛関係もだけど、思い込みを契約関係にしてるだけなんだよな。それを自覚してくれてるっていうお前は賢い。
フツーの人は、契約関係と、「無償の愛」を都合によって、自分でもわからないように誤認してるからな。それはずるくて嫌いだし、馬鹿っぽい。
俺はお前に「無償の愛」っぽい物を感じてるけど、それも「曖昧な自分が」そうする事に「決めた」っていう記号に過ぎないんだよなー。
多分、お前は大きくなったら俺を捨てるだろうし、俺もそれで構わんよ。
妹「そういわれると、それなりにムカつくわね。あたしもそうかもしんないけどさ。未来なんてわかんないもん。考えたくもない。
未来がわかんない関係でも、やっぱり楽しい時もあるし、その現在は真実だわ?」

俺も楽しいよ。
妹「それにね、あたし、お兄ちゃんのそーいう自分の大事な物を軽く言う所、あんまり好きじゃない」
そりゃーすんませんねえ
妹「でもねー。言ってるだけで、お兄ちゃんは心の中ではあたしを超必要としてるもんね。本能や体や運命の絆でつながってるもんネー。えっへっへー。
だからねー。お兄ちゃんの忘れっぽい意志にも、あたしの魅力を毎日おもいださせつづけてあげるのよねー。
これ、結構やりがいのあるゲームなのよ」

ゲームかよ。
妹「人生には楽しみが必要よ?」
そーいう風に利用されるのは、光栄ではあるな。
妹「お兄ちゃんも楽しいんでしょー?」
へっへっへー。まあねー。
妹「うふふー。おにいちゃんだーいすきー」
こやつめ、ハハハハ



結局萌えエンドだが、これはこれでスリリングなのだ。簡単に捨てられる関係をあえて捨てない方向に常時調節するのは、中々手が込んでいて面白い。
武士道とは、死んでもいいけど、ワザと生きる事にした