玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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どろろ第一話百鬼丸の巻その一

金曜日に京都精華大学に出向いて、YAMATO2520でも見ようかと思ったんだが、仕事を先にやったら時間がなくなったので30分でさくっと見れるのを探したのだが、思いつかん買ったのでどろろ富野喜幸めあてですけどね。キャシャーンもあったが、まあ、年代順という事で。
卒業までにはおそらく見れまい。ルパンIII世やスペースアドベンチャーコブラとかもあるわけだが・・・。
どうして私が必死こいてアニメを見ているかと言うと、別に勉強熱心なわけでもなく、単に見ないと死ぬからです。死んでも死に切れないって言うか。矛盾してますかね?


と言う訳で、まずは一曲


どろろのうた


ホゲホゲタラタラホゲタラポン ホゲホゲタラタラホゲタラピイ
ポケポケざむらいヘーラヘーラ トロトロざむらいヘーラヘーラ
ヘロヘロざむらいヘーラヘラ  メロメロざむらいヘーラヘラ


赤い夕日に照り映えて 燃える鎧に燃える馬 
天下目指して突き進む


とぼけちゃいけねえ 知ってるぜ おまえらみんな ホゲタラだ
ホゲホゲタラタラホゲタラポーン



ホゲホゲタラタラホゲタラポン ホゲホゲタラタラホゲタラピイ
ヘロヘロ妖怪ヘーラヘーラ チンチラ妖怪ヘーラヘーラ
ペケペケ妖怪ヘーラヘラ ピチカン妖怪ヘーラヘラ


赤い瞳でキラキラと にらめば この世はボケの花 星もかくれて 日も落ちる


とぼけちゃいけねえ 知ってるぜ おまえらみんな ホゲタラだ
ホゲホゲタラタラホゲタラポーン



ホゲホゲタラタラホゲタラポン ホゲホゲタラタラホゲタラピイ
プニョプニョホゲタラヘーラヘラ ホキャホキャホゲタラヘーラヘラ
ビョロビョロホゲタラヘーラヘラ ヘロヘロホゲタラヘーラヘラ


青く果てない空の下 いばらの道を踏み越えて これも世のため人のため


とぼけちゃいけねえ 知ってるぜ おまえらみんな ホゲタラだ
ホゲホゲタラタラホゲタラポーン


なんだよこれ。
藤田淑子の歌が上手すぎるんだが。色んなテクニック的な意味でも。
本編には出ないっぽい?歌手オンリーの時もあるのね。堀江美都子みたいなものね。


原作は持ってる。映画は見てない。無限の住人の人の関係のは深く知らない。
そんな感じ。


で、第一話!
原作手塚治虫!総監督杉井ギサブロー!絵コンテ・演出出崎統!主演野沢那智!脚本鈴木良武!
神過ぎる!
ありえない組み合わせだぞ。
まー、それは21世紀視点ですけど。21世紀にも名前が残ってるんだ・・・。っていうかコブラとかリボンの騎士とか。
富野喜幸は3話から。
4話までの1巻のビデオのパッケージには演出・出崎統高橋良輔富野喜幸って書いてあったので、総監督がギッちゃんで驚いた。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/3064/Drr.htm
しかし、2話は遠藤政治氏で、高橋良輔氏はいない。東映ビデオしっかりしろ。
エンディングテーマにはスタッフロールなし。そう言う訳で原画とかはわかりかねる。黎明期だからキャスト表とかを出すとか言う文化も無かったのねー。


そういう黎明期的な所がすごいある。
出崎統氏は「ばんもんの巻の完結話で自分で絵コンテを描いて原画も描いた。百鬼丸の着物の錨模様が描きにくかった」っていう。無茶だ。
でも、エンディングではその百鬼丸がフルアニメーションで動くよ。無駄に歩いてるだけだけど。ジャングル大帝よりはマシか。
あと、無茶だと思ったのは、冒頭の醍醐景光と住職が板張りの廊下を歩く足元のアップの背景の床も背景動画で立体感を演出。
無茶というか、無駄だという事で後年廃止された技法が見えるのが、黎明期の試行錯誤なのかという感じ。ふーむ。そう言う所から出崎演出技法が発明されたりしたのか。
なるほどね。
あと、白黒なので逆に、実写の白黒映画と同程度の画質と言う訳で、実写映画と同じような雰囲気や密度や張力を感じた。
柴咲コウどろろは色が派手なCGで作り物っぽかったらしいが、白黒の妙というものもあるのだな。
というか、かなり映画を意識してる絵の作り方だなー。雨が白く画面を覆ってる感じとか、羅生門っぽい。それは原作からか?原作の雨はインクの黒だが。
雷で明るく光る背景の絵を別に描いているのはCGが無いんだなーって言う当たり前な感想。


んで、最大の印象はやはり、原作との違いですが。
物凄く映画的に成ってますね。
具体的にはセリフが原作よりも全然少ない。っていうか、手塚萬画ってセリフが多すぎ。説明とか。
んで、アニメはしゃべらなすぎ。
媒体が違うからな。


あと、あとだしジャンケン的にイベントが整理されてる。

醍醐景光の優しさやら弱さが原作では冒頭から匂わせてあるけど、アニメは大分減らしている。渋い。
逆に醍醐が住職を生贄にするのはカットして、百鬼丸だけが生贄になるという所でテーマを明確にしてる。
ベルセルクみたいな話(笑)なんだが、百鬼丸と取り憑いている悪霊の戦いが萬画の冒頭では3回あるのだが、アニメーション1話は一番大きな最後の1回だけに絞ってある。
でもカットだけじゃなく、どろろがダブル主人公みたいな感じで立つように追加シーンが在る。
原作萬画では単純に盗みをしたから男たちにリンチされているだけだったどろろだが、アニメでは飢えた坊主を助けようとしてどろろが盗みをしたりなんたらかんたらっていう所で理由付けと、飢えと死の蔓延する戦国って言う雰囲気作り。で、ちょっとした悲劇の挿話としてもなかなか良い。
いいねー。
そう言うのがまとまって原作よりも、というか、アニメの中でもかなり大人でリアルな感じに成ってて素晴らしい。


つーか、百鬼丸ツエエエええ!
萬画よりもアニメはリアルな雰囲気な分、いきなり橋げたを切り倒して大音響を鳴らすのがアニメならではですごく強そうでした。野沢那智だし。
でも、どろろのリンチシーンは原作よりもリアルに執拗で、しかも幼女なので、変態すぎると思いました。実写なら絶対無理。


んで、百鬼丸がいきなり目玉を落す所で次回に引く。
説明、無し。
原作では微妙に説明セリフがあったのだが、アニメはいきなり目玉を落す。しかも目玉を落すのは原作の話の切れ目ではなく、普通の会話の途中。
で、次回予告で納谷悟郎が「百鬼丸の生い立ちのヒミツとは?」きーにーなーるー。
で、予告でいきなり美少女が出てきたりな。あざといぞ。


原作と大まかな流れは一緒で、戦闘シーンのレイアウトとかも共通してたりするのだが、かなり印象が違うというのが面白い。
演出だなー。


しかし、これが名作劇場に続くカルピスまんが劇場の第1作なんだ。子供向けじゃないじゃん。やらかしてるなー。
まあ、初期ウルトラもあんまり子供向けじゃなかったりする時もあったわけだが。テレビの黎明期は大人的にもテレビが目新しかったし、誰が何を見るかということもあまり分かれてなかったのだろうか?一億総白痴とも言われたらしいが。懺悔したり忙しいな一億。


で、そういう民衆のために戦う反権力と言うのは原作でもちょっと鼻についたりしたのだが、戦争の記憶とかも濃くあったからかなー?安保とか。
まあ、民衆のために戦うけど民衆には入れないと言うのはダークヒーローの定型ではある。
民衆には感謝されないけど、民衆のために生きてるんだという所に個人的な願いを込めたりって言う感じ?
というのは時代を超えた普遍性が在る。
が、やっぱり時代劇の浪人者が「権力と戦う」とかはっきり言わない方がいいと思う。


次にどろろを見る予定は未定