玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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オーバーマン キングゲイナー17 ウソのない世界

脚本大河内一楼 演出五十嵐達也 絵コンテ斧谷稔 作画監督重田敦司
うおっ。シリーズ構成に斧谷コンテに重田敦司作監とは、期待せざるおえない。
おもしろい!
リュボフがお玉を持ったまま照れたらお玉についてたカレーが滴って頭にかかったり、シルエット・マシン・パンサーから乗り降りするのにシールドを滑り降りたり、キングゲイナーがドゴッゾを斬ったら中のコックピットにシベリア警備隊員がいたり、っていう2次元のセルアニメ以上に作品世界の質感を考えて演技をつけてる斧谷コンテがいいなー。おもしろい。
ゲイナー「ゲインが3発も外した?」
カシマル「そう言う敵ですよ!」
の間に「どういう敵なんだ?」というゲイナーのセリフを省略する事でカシマルが心を読んでいるということを間接的に表現しているのも、トミノアニメを見慣れているとグッド。リテラシーがないと電波にしか見えんだろうが。
で、おもしろいんだけど、これもこれで、構成間違ってないか?
端的に言うと16話と17話は大河内脚本連続なんだが、これ、入れ替えた方がよくね?
だって、16話の「奮戦、アデット隊」でアデット隊とゲイナー君が共闘したのに、いきなり仲たがいしてるし。
あと、ガンガランのアデット隊は前回ドーベック部隊を手に入れているのだ。それなのに、パレスチナ難民を抑圧するイスラエル軍のような隔離作戦をしてくるガウリ隊のパンサーに対して、ドーベックを使わない。
使えよ!
アデット・キスラーもゲイナーがキンゲでたしなめた後にうやむやで出てこないし、ゲイナーの告白に対するリアクションもなし。
っていうか、アデットが前回アデット隊の面々とであった時のケンカを今回やってしまえばよかったのでは?
つまり、「ウソのない世界」を16話にして、15話で難民になったガンガランのピープルの暴動をすぐにやって、そこにアデットがしゃしゃり出てアデット隊を結成してゲイナーの告白で暴動は沈静化して、和解した所で17話に「奮戦、アデット隊」をやってゲイナーがヤーパンもガンガランも面倒を見るって言うふうにしたほうが流れがスムーズかなあ。と。
別にネッター系のオーバーマンをそろえないといけないって言う決まりもないわけだし。リオンネッターは顔違うし。
リュボフ・スメッタナとママドゥ・アザフのラブシーンはドミネーター回で充分なので、これを削ればよかったのに。
後だしジャンケンで偉そうな俺。
代アニの学生でもない素人で、自分では何も生み出さないくせに!ああ、ダメだダメだ。
でも、日記だから思った事をダラダラ書くぜ。
まー、アニメって計画どおりの順番で話が作れるわけでもないけどね。斧谷稔のコンテが遅かった?まさか?


ゲイナー・サンガの心を読み取る敵のオーバースキル封じもネタとしてすごく面白かったんだが。
オカマの敵に「心の声は心の叫びでかき消してやる!」という、まあ、GS美神極楽大作戦!!のナイトメアに電波夢を見せるとかそれ系のアレなんだが。
これ、サラに対する告白なのか、カシマルに対する嫌がらせなのか、ちょっと焦点がボケてしまったのが残念かなあ。
僕も辛い時に「そら、好きだ!そら、愛してる!そらと結婚するぞ!」と独り言で口走って気力を高めたりするので、わからない行動ではないんだけども。
告白の文面自体はすごく熱くていいのに、ゲイナー本人はサラ・コダマに聞かせたとは考えてなかったようなりアクション。でも、周りの人は告白したと思ってる。
うーん。そこらへん、ゲイナーが本気の覚悟で告白してないみたいになっちゃっててうーん。
ブコメ的には17話の段階ではハッキリしないほうが良いし、ネタとしても面白いんだが。
でも、文面的にはサラに対する呼びかけって言う風に成ってるんだよな。
というわけで、すごくおもしろいアイディアだし、ゲイナーのすごくカッコいい告白と言うことで、とても期待した分、逆に残念だと思ってしまいました。


他にもゲインが最初の作戦は多分、「心が通じ合っている事を逆手に取った連携作戦」だったのだけど、あまり連携っぽくなかった(むしろ心が通じなくなった後の方が連携してる)。
あと、ゲインは最初プラネッタのオーバースキルを「敵同士の思考を拡散させる」だと思ってたけど、「敵の思考を読み取る」能力をみてすぐにあきらめる所も、最初から予測できないのか!と言う感じでアホっぽかった。
序盤でゲイナーとサラだけが「心が読めるのは敵のオーバースキルのせいだ」って気づいて、他のピープルがノーリアクションって言うのも謎。
「幻覚に踊るウッソ」だと、ニュータイプ的な感受性の差でウッソだけが反応しているって言うのは分かりやすかったんだけど。


うーん。やっぱり、大河内脚本は部分的なアイディアは面白いんだけど、それを表現する事にはしゃいじゃって、全体的な流れとしては粗い所があるのかもしれない。
それ、シリーズ構成としてはどうなんだ。
今回は斧谷稔コンテだったから、富野由悠季監督責任もあるんで、脚本だけの問題ではないけどな。
僕が重箱の隅をつつきすぎる?キンゲネタアニメだからネタのテンションが高ければ良い?細かい男でゴメンね!
トミノ監督が若い大河内一楼氏のエッヂの効いた感覚を「これが新しい世代の感性かなあ」と思って通したって言う気分はあるだろうしな。
スタジオジブリだったらどんなに電波な内容でも作画のテンションと歌で押し切ってしまうんだけど。キンゲの作画水準でも無理か?微妙にリアルな質感が捨てきれていないからなあ。そこら辺がサンライズ臭さと言えるんだが。
ただ、微妙にリアルな世界観に拘束されながら嘘を付くって言うほうが、「まるっきりウソだよー(宮さん)」「この現実も夢だ(押井守)」って言うよりは大人な感じで憧れるって言うのが、大富野教信者としての私。


あ、でも、声優の演技は良かった。
ゲイナーの野島裕史の演技(告白や謝罪)とかゲイナー君に「いやらしい!」とか「恥を忍んで」とか怒るサラの小林愛の演技とか、「大好きなんだよな」「恥ずかしいくらい世界中に叫んでしまったんだぞぅ、ゲイナー君!」というゲイン・ビジョウのかわのをとやとか、「チョメ!」アナ・メダイユ姫様鬼頭典子とか。



カシマル・バーレが時刻表鉄というのはオタク世代の中間管理職への風刺かもしれないが、藤原啓治のオカマという要素にかき消されていて目立たないのは、あざとくなくていいのか?どうなんだ?


「後からなら、真っ向唐竹割り!」と「ごめんなさい!」が一番笑えた。