玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

21世紀のデジタルネイティブが父親的オラクルより母親的視線を求めるという事

禁書に置けるオラクルと上条当麻が説教臭いと感じる理由 - TinyRain
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090209/1234169785
↑こちらにインスパイアを頂きましたー
上の碇ユイとオルファンのエントリの最後で「誰かに見てて欲しい」とかカッコ悪いことをほざいたんで、勢いで書く。

とある魔術の禁書目録上条さんは父権的なオラクルの位置で、とらドラ!の亜美さんは母性的、っていうのが上記エントリの要約でしょうか。どっちのアニメもライトノベルもちょっとしか見てないけど。
父親的なオラクルって言うのは、「こういうのが正しいんだよ」って教えてくれる人。
母親的に見守る人って言うのは、「まあ、間違っても見てるから大丈夫」って励ます人。
と、乱暴に括ってしまう。
んで、見守る人を求めるってぇのはどういう心情か考えてみたんだが。つまり、情報化社会だからなんだよな。
「こういうのが正しいんだよ」っていわれても、「いや、それはあんたの意見だろ」って相対化されてんのね。情報は溢れてるし、親子関係も絶対じゃないって言うのが日本の空気だし、親の言う事も雑多な情報源の内の一つでしかないわけ。
だから、父親的キャラクターのオラクルが「こうしろ」って言ってきてもm9(^Д^)プギャー。うぜえ。ってなる。雑多な情報源の癖に、親って言う生物学的に大きい位置だから強権を発動するのはフェアじゃないし、暴力的で怖いしウザい。
むしろ、「たくさん在る情報の中から、間違っているかもしれないけど選んで、行動に移らないと情報を調べてるだけで人生が終わる。でも、不安。だから、キッカケが欲しい。間違って自爆するかもしれないけど、その時に受け止めて欲しい。見ててくれる誰かが欲しい」っていう風に母親的見守りを求めるのが情報化社会の、特にライトノベルなんか読んでる頭でっかちな人たちの実感なのかもね。
(ぼくら、といわないのは、僕はラノベは富野とマリみてしか読まんから)
id:y_arim氏は境界例人格障害の観点から読み解いてらしたけど、もっと多くの人も行動力をオーバーヒートさせて愛と勇気を信じる力に変えるために、誰かの視線を求めてるのか、と。
まー、物語の構造としては、両方とも在っていいと思いますけどね。
父権的なゲイン・ビジョウや東方不敗もオラクルの位置から最後には見守り役になりましたしね。