玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動 戦士ガンダム 00 2 19 イノベイターの影 00はティファが三十路に成ったXのパクリ

機動戦士ガンダム00
鬱なので短く。
説明書を読んでる感じ。
キャラ設定に沿って説明してあるだけなので、ビックリドッキリなシーンなのに驚きが少なくてもったいない。
伏線回収というより、伏線にも成ってない予定調和。
せめてハレルヤは今回初登場だったら良いのに、前に意味なく出たせいでもったいない。しかも、ハレルヤは今回出た割に、理由も無く引っ込む。
なんでそんなに面白さを自分で潰すような構成にしてるのか?

戦争と平和から(抜粋)
(富野作品は矛盾や多様なベクトルの価値観を内包しているという話を受けて)
富野由悠季「だってそれが現世でしょ。戯作者としてある一方だけに行った結論を出す事が気持ちがいいときがあるんですよ。だけどそれは、あまり幸せではないでしょう。だってぼく、止まって作れないんだもん(笑)。」
大塚英志「読者にとって問題だったのは、富野さんの矛盾みたいなものにどう向き合って自らとの整合性を取っていくかだったのかもしれないですね。
 今の読者と付き合っててちょっとしんどいなと思うのは、年表的な整合性だとか、設定やストーリー上の矛盾だとかに敏感なんです。たとえば、ぼくが登場キャラクターをある段階から成長させたつもりで行動原理を変えたりすると、キャラクターの行動原理が変わったからおかしいって言う指摘が読者からくるんですよ」
富野「そういうファンの変化は感じていません。と言うより、全く意識していません。意識しているのは絶えず『公共の場』ということだけです。
 つまり、100人が僕のアニメが好きなお客さんだとしても、僕はその人たちだけを相手にするつもりはありません。101人目に何ということもなくフッと見てる人がいるかもしれない。そう言う人に対してお話したいという欲求がすごくあります。
 そのせいで、ファンに対しては冷たい作品と言うか、意地悪な作品になっているのかもしれません」

戦争と平和 (アニメージュ叢書)

戦争と平和 (アニメージュ叢書)

ガンダム00は今の読者、と言うか、まあ、今も昔もだと思うけど、ガンダムダブルオーは若い視聴者に向けて、分かりやすい「キャラ付け」文化に沿って作劇しているのだろう。


10代がとらドラ!について感じたことを書いてみた - 3LDS -Love,Like,Life!! Diary@SmiLey!-
↑若者のリアルなキャラ文化を描いたとらドラ!感想。

で、お話の都合上、ドラマを動かしたい時は。
「狂ってるから」っていう理解不能な「キャラ付け」を理由にして、グッドマンがいきなり「人類の叡智が積み上げたものを破壊するのだ」とか笑いながら軌道エレベーターに巨大レーザーを撃ちこんだりするのね。
あと、「身内を殺された恨み」とか。そういう一般視聴者には理解出来ない、というかあまり身近にいない感情を抱えたキャラクターを便利に使っている。
だから、機動戦士ガンダム00で物語が動く時は大抵「突発的な狂気」であって、「積み重ねていくドラマ」としての快感があまり無い。
飛べない。


富野作品でも狂ったキャラクターは出るんだけど、どこかまともなんだよな。全部が全部狂っていないから辛い。シェリルも、カテジナも。
で、僕が最近ダラダラ書いたりしてるように、キャラ付けで狂っていると言うよりは、状況によって狂気に追い込まれているって言う分析ができて、とても面白い。
実際、人格障害は遺伝的要因よりも環境要因が大きいしね。
で、富野作品に出てくる環境要因って家族の軋轢とか敵との因果関係も勿論あるんだけど、その作品世界の時代の空気って言うものまで登場人物の心理に影響しているわけだ。
先日、「Zガンダムのキャラクターの配置は戦後の日本の公務員や経済界に似ている」って書いたけど、20年以上経ってそう言う分析ができるような面白さがあるわけだ。



だから、「キャラが狂ってるから何してもいい」っていうのがガンダム00で、「キャラクターがどうしてこういうことをするんだ?→世界全体の問題につながる」っていうのが富野ガンダム
それで、富野の方が逆にキャラクターの問題に対しても真摯だと思う。
「アイツ狂ってるから」って個人の自己責任に小さくまとめるよりも「こういうつながりがあるからこういう人はこうなる」って言うほうがキャラクターに対する視点が深い。
とらドラ!はあんまり見てないし読んでないんだけど、とらドラ!は「キャラ付け」と「つながり」の間でもがく様をバランスよくリアルと虚構を織り交ぜて書いてるんだろうね。作者側も若者のそういうもがきに共感してるから、読者が共感しやすいし、広い世間に受け入れられるものになってるんだろーか?



だから、「若者の世代がキャラ文化で生活している」からといって「キャラをハッキリさせただけで面白くする」っていうふうに突き放すガンダム00でいいのだろうか?
「確かに若者はキャラだよね、でも、それだけじゃないのが現世でしょ」っていうトミノとかの方が、若者に対して真摯だと思うな。
ま、ガンダム00ミスター・ブシドーっていうキャラ芸とか、美少年好きやプラモ好きのファンに向けてるだけだ。
富野はファンに向けないで、「公共に恥ずかしくない」作品しか作らない。だから「うちらのための作品が好き」っていうケータイ小説文化圏みたいな、「オタク向けの作品しか安心できない」っていう若者の購買意欲は駆り立てないよな。∀ガンダムは売れなかったし。
それに対するアレルギー反応が今のサンライズ作品に見える。
で、タコツボに特化した、ファンには熱狂されるけど、外から見たら気持ち悪いって言う粗製濫造されたヒット作が踊り狂ってるんですよ。
*1


なにそれ?視聴者を馬鹿にしてるの?
ダブルオーライザーがハレルヤを呼んだり、全裸に成ったりするって言うのを事前に説明しちゃうのも同じ。視聴者に事前に教えておかないと分からないだろうって、視聴者の理解力を馬鹿にしてる。
アニメだから、嘘八百をつくのはいいんだけど、その説明を事前にそのまましてしまうと言うのが演出としてあまりにも下手すぎる。
例えば、富野ガンダムだったら、Gアーマーという大嘘をつく前にドダイYSという中くらいの嘘で説明をしたり、∀ガンダムでは、メシェーがモビルスーツに戦闘機から飛び降りて襲い掛かったりする大嘘の前に、ロランが飛行船から戦闘機にはしごで降りるって言う中嘘をついて、視聴者の理解をさり気なくリードするわけだ。
でも、ガンダム00だったら「ツインドライブの機動実験でハレルヤが出たから、今回も出るんですよ」って、そのまま説明していて、何の面白みも無い。
アクションシーンでいきなり登場するから面白いんだろうが!



つーか、何が起きてるか視聴者が理解するよりもさあ、面白くする方が重要なんじゃね?
俺、富野アニメで何が起きてるか理解できつつあるのはここ5年くらい、成人してからですよ。(今の10代オタクはすごいなあ)
でも、分からないなりに「ガンダムはすごい。何がすごいのかはわからんがすごいので見る」って、そう言う小学生でした。
富野監督は「若者に合わせたら受けるだろ」なんて、若者に迎合した振りをして、自分が生き残るために割り切ったりしない。
「俺は、これしか作れないんだもん!」それで視聴者のみならずプロデューサーもスポンサーの期待も裏切って、リアルにガンダムを降ろされる。
だが、全部のガンダムを見た*2俺の立場で言うと、富野ガンダムが一番面白いぞ。他のはなんかぬるい。


富野ガンダムってキャラが一定してないっていうか、「何でお前がそんな事をするんだーッ!」っていう驚きがあって、それが説明書的なアニメとは一線を画した小説的な面白さがある。
だから「アムロは内向的な主人公」って未だにしたり顔で言う人は嫌いです。ア・バオア・クーに侵入して「今の僕ならザビ家も倒せる」ってのたまうアムロのどこが内向的なのか。やる気満々です。
アムロは空気を読まないところもあるけど、最後の方では

アムロ 「嘘ですよ。ニュータイプになって未来のことが判れば苦労しません」
セイラ 「アムロにああでも言ってもらわなければ、みんな逃げ出しているわ。 怖くてね」

とか、空気を読んでるし。
そういうズレや驚きみたいなものが面白いんじゃネーか。説明書にこの味は出せネー!
だから、「アムロはこういうキャラだよねー」とかレッテルを貼る視聴者とはちょっと友達になれないね。まあ、僕も割とレッテルを貼るけど・・・。「シロッコ外資系企業のベンチャー社長。ハゲタカ」とか言うし。ハハハ。

無敵になれるのを待つより、手を組むほうが早い:日経ビジネスオンライン
 プロット(筋立て)を見て、自分が望んでいる部分が複雑で入りきらないと思ったら、そこの部分は主張しない。キャラクターにある立ち回りをさせたかったとしても、そこに持っていくためにはもう2つぐらいプロセスが必要だと思ったら、もうばっさりそのシーンはカットして他の方法で圧縮する。

―― ご自身が入れたかったシーンも、切ったりしたのですか。

 ええ。僕のほうで変えられることは変えてしまいたかったんです。だって、せっかく黒田くんと一緒にやっているのに、僕が「そうじゃないんだよな」なんて言って、構成を変えたりセリフを書き直してしまったりしたら、それ以降の構成は崩れて、黒田くんの負担は増えるし、仮に上手くいったところで僕のレベルに留まってしまいますから。

だから、水島精二監督は根本的に自信が無い人なのかもしれない。
黒田洋介の脚本がそんなに優れているんなら、エヴァンゲリオンテレビ版最終回みたいに脚本を映せよ!
アニメにするんだったら、コンテで書きなおせ!


まあ、俺が富野由悠季出崎統っていうコンテ主義者のファンだからそういう事を言ってるのかなあ。
でもさあ、ガンダム00における黒田脚本の面白さって、突発的なブシドー語録でしかない気がする。全体の構成や芝居としてはそんなによくないと思うぞ。
黒田君の脚本を再現したら面白くなるのか?それ、黒田君のレベルに留まるだけでは?
うーん。
俺は絵コンテ修正主義が好きすぎる・・・。
水島監督が修正したらキャラの面白さが消えたって言うけど、それは面白さを抽出する要約能力が低いだけな気がするなあ。
刹那「俺がガンダムだ」グラ公「正しく愛だ!」ティエリア「万死!」っていうキラー・ワードはあって、それは確かに面白いんだけど、それは部分でしかないんだから、そこだけ要約して、残りの部分は絵コンテで上手くテンポを作ればいいのに。


うーん。
どーも、水島精二監督って、スタジオの空気を和やかにして、隣の席の人と仲良くする事を主眼においてるって言うか、人の目を気にする人みたいだなあ。ネットの評判もすごく気にしてるみたいだし。
でも、評判が良ければいいのか?
相手に合わせたらいいのか?
俺は本気が見たいんだよ!(劇AIRハーモニーがドーン!)
星山博之氏は「脚本なんて所詮設計図。変えられて当たり前。しかし、どんなに変えられても絶対に俺が書いたという柱の部分は残すぜ!」
安彦良和氏とかアニメーターも「絵コンテ以上の芝居を見せないと、絵コンテの意味が無い!」
そういう、みんなが互いにケンカを売りあってるような、全員が俺様主義な本気が見たいんだよ!
まあ、∀の癒しでも富野監督は「アニメーターは雇われの身だから、あんまり意見は言わないのよね」って書いてるけど。


あーもう。長文飽きたな。
とりあえず、俺が好きな富野や出崎とは水島精二は根っこの部分から正反対だから、俺には合わないんだ。
終わり。



あと、刹那はガンダム細胞に感染してるから、さっさとガンダムに成ればいいと思うよ。
ラーゼフォン最終回みたいに成るんかなー?
紅龍お兄さまが死んでたら何のために出てきたのか全く分からないもったいなさだから、密かに建造していたホンロンガンダムで脱出していて欲しいなー。
王留美が精神崩壊して、壊れた妹をたった一人、カンフーガンダムファイターの力で守るとか。
おお、燃える。
問題は、本筋と全く関係ないことだ。
いや、ベルセルクのセルピコみたいにソレスタに合流したらいいのか?


あと、イノベイターってテレパシストで分かり合ってる割に意思統一がなされてないね。
恣意的な感じの見せ方だなあ。
っていうか、テレパシストなの?双子の間だけ通信できるのか?じゃあ、リボンズとリジェネは分かり合えないね。
じゃあ、ニュータイプって言うかカテゴリーFか。なんだ。ガンダムXか。
ガンダムXのパクリ。兄弟の間のつながりもフロスト兄弟よりも全然冷たい。ダメじゃん。
しかもティファにあたるマリナ保母は三十路歌姫。
そうか・・・。
機動戦士ガンダム00はティファ・アディールが三十路になった機動新世紀ガンダムXなのか・・。そうか・・・。
それは、その、なんだ・・・。うーん。
とりあえず、ガロード・ランのティファに対する愛情の方が刹那・F・セイエイのマリナに対する気持ちよりよっぽど熱い。
でも、ガロードガンダムをすぐに売ってしまうので、刹那の方がガンダム愛は強い。

*1:ちなみに俺は、現実ですごく鬱なときに富野作品と出崎作品に出会って「これだけはなんか本気で見れる」って思った。これもタコツボかなあ?出崎統は「さびしい奴等のために作った」とか言うし。

*2:SDGF∀ガンダムの次の時代だからまだ見てない