玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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∀ ガンダム第25話「ウィルゲム離陸」

脚本・太田愛 絵コンテ・鳥羽聡/斧谷稔 演出・北川正人 作画監督・杉光登
ターンエーガンダム ∀ガンダム ターンAガンダム
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words25_TurnA.html
http://www.turn-a-gundam.net/story/25.html
斧谷稔って言う人は頑張るなあ〜。
ウィルゲムが離陸する25話です。折り返しです。
ここは、劇場版では新作画でクライマックスな見せ場だったのですが、テレビ版ではむしろ中継ぎの回に近い。テレビでは五機のウォドムと総力戦だったの割りに、メカ作画の密度がそれほど高くない。
劇場版では「ハリーの災難」の戦闘シーンと合体して、新作画のメカ戦闘が特殊効果も含めてすごい飛翔シーンだったけど、テレビ版だったらウィルゲムはすぐに墜落しちゃうからなあ・・・。
いや、もちろん遺跡が飛ぶという興奮はあったし、ミリシャとディアナカウンターの決戦って言う面白さはあるわけだが。
心情的には起承転結の承と言う流れだ。
と、言うのは、つまり、これまでに始まった恋愛感情が、改めて高まったり、逆に心のすれ違いが強調されたり、という加速段階で、クライマックスの前の途中といった感じである。


関係が深まる組み合わせとしては、
ソシエとギャバンウェディングドレス)、
フィルとポゥ(雪を見て抱き合う)、
ディアナとコレン(ロランの元を出奔したディアナをコレンが拾う)、
フランとジョゼフ(新聞が出ない事にショックを受けキースとケンカもしたフランがジョゼフに慰めてもらいに来る)、
キースとベルレーヌ(このカップルはもともと仲が良いが、より助け合って経営してる)、
ギャバンとロラン(悩んでいるロランをギャバンがねぎらう)


すれ違うのは
キエルとディアナ・カウンターと地球人(略奪行為をエスカレートさせる兵士達、ウィルゲムに攻撃命令を出さざるを得ないキエル)、
ロランとディアナ(ディアナ出奔)
ロランとフランとキース(戦争への態度によってケンカ)、
ロランとソシエ(キースやディアナが気になってソシエの結婚相談を避けてしまう)、
ロランとグエン(「僕はローラでもなければ、道具でもありません!」リリはグエンに、ローラは天使ではなく若くてきれいな豹で、二人とも気づいてはいないが将来、鋭い爪でグエンを引き裂くかもと予言するのであった。 )


うわ。見事にロランがさびしくなる回なんだ・・・。もちろん、リリ様が仰るように、ロラン自身はまだ気づいていない部分もある。だから、今回は伏線を撒く回と言う訳ですね。
さて、結ばれたり離れたりした人たちは、どのような結末を迎えるのでしょうか?とりあえず、次回ではコレンに一応の決着がつき、その次ではギャバンが消える。
こういう人と人の化学反応みたいな出会いと別れはドラマだねえ。
劇場版では「僕はローラでもなければ、道具でもありません!」の意味付けが若干不明瞭だな。テレビ版では伏線回だったのに、劇場版では伏線をほとんどカットして、離陸のクライマックス感にまとめたわけだし。勿論、媒体にあわせた取捨選択としては良いのだけど。
富野カッティングマジックは、結構強引なのかも。ま、見てて気持ちよければそれでいいって言う動物化的な部分もあるのかもね。

  • 戦闘シーンについて

地球光の劇場版が神作画なのだが。
劇場版ではカットされた展開について言うと、フィルに狙い撃ちされた時、ソシエは思わずロランの名を叫んでしまう。ギャバンではなく。
ソシエちゃんはやっぱりロランが一番好きで頼りにしている。
で、ソシエをギャバンとロランが助けて、最初はソシエはギャバンがウォドムを撃退してくれたと思うのだけど、実際はロランのホワイトドールビームライフルが狙撃をした。
つまり、戦闘の強さではロランの方が上だとソシエも実感する。
だけど、ロランが突撃してウォドムのミサイルを跳ね除けた流れ弾がソシエのカプル向ったのを、ギャバンボルジャーノンが撃ち落すが榴弾の破片を受けてギャバンが負傷する。戦闘終了後に、負傷したギャバンにロランが詫びを入れるが、逆にギャバンに励まされてしまう。
ギャバンは戦いでは強くないが、大人の男としてソシエを守ったりロランにアドバイスをしたりと言う所でポイントをゲットする。
で、ソシエは結婚についてロランと話をしたかったのだが、そのようなギャバンとロランを見た後はロランが話を聞こうとしても「もういいのよ」って言ってギャバンと話をする。
ギャバン・グーニーはソシエ・ハイムロラン・セアックの気を引くための当て馬だったのかもしれないが、ここへ来てマジのラブに?
というか、ソシエが父親を求めてる対象としては、(ディアナやキースなど、いろんな葛藤を抱えているからだが)余裕が無くて戦闘で強いだけに見えるロランよりも、人間的に余裕のあるギャバンの方がいいって言う感情が在るんだろうね。
戦闘シーンなんだけど、戦闘シーンも心を動かすためのドラマなんだよなー。ドンパチドンってやって強さを競うだけじゃないわけ。


あと、ギャバンって最初は縄張り意識と腕っ節自慢の兵隊でヤナ奴だと思ってたけど、ソシエを年下だからって侮らないで真剣にプロポーズをしてたり、ロランとも腹を割って話すようになったり、視聴者の僕的にも好感度がアップするね。
というか、ターンエーガンダムってヤナ奴だと思ってた奴が案外いい人だったって言う展開が多いな。コレンとかレット隊とか。
そういう人ってマッチョで体育会系キャラなんで、おたくがマッチョを嫌うけど友達になったら案外良い奴って言う風に視聴者に向けてるのかもしれない。あと、意気地なしのやせっぽちだった富野喜幸少年の実感も混じってるのかもしれない。
あ、でも、カミーユやカツが空手をやっている事は、心が野蛮で乱暴になるからあまり好ましいものではないってZガンダムの小説では書いてあったな。体育会系に関して白富野期には方向転換があったのだろうか。
もちろん、体育会系だけで思考停止するだけではだめで、ロランみたいにいろいろ考える事も大事だし、そう言うロランやディアナ様とのふれあいを通じて体育会系キャラも心を開いてくれるようになるわけだしな。でも、ロランは地味にケンカが強い。
で、最後まで分からず屋だった体育会系がギム・ギンガナムなのだ。


あと、ジョゼフ・ヨットも地味に恋愛のステップを踏んでいく。フラットのコックピットでセックスをしたのは今回かもしれない。コックピットで眠るフランに毛布をかけてやってたし。(明示はしない)
ギャバンはソシエに婚前交渉をしないでプロポーズをしてるが、若いジョゼフはフランに種をつけて生き残って結婚する。やったもの勝ち?(笑)
うーん。まあ、色んな偶然が重なった結果ですけどね。
っていうか、マヤリトの前にもう?いや、今回はまだ毛布をかけただけ?どうなんだろ。。。
ガンダムの割に恋バナにばっかり興味がある。タイタニック路線!まー、富野信者になる前は戦争以外のこういう要素があまり読み取れなかったわけなんだけどね。物語にさり気なく織り込まれてるから。
うーん。逆に機動戦士ガンダム00の恋愛描写はハッキリしてるんだなあ。でも、ファンには不評らしい。なんか軸がぶれてるように見えるって聞いた。というか、とってつけた感が。


戦争描写はもちろん∀にもある。
っていうか、補給線が延びきって、冬が来て、不安になったディアナカウンターの兵士が未来兵器を使って街を焼き討ちして小麦や食料を奪う。ひどい。
しかも、装甲車のような小型のモビルスーツで小屋を破壊したり、食料を持って逃げ惑う人間に自動小銃を撃ったり、酷いリアル。パレスチナを報道するネットで見た。そういう兵士とか。
で、略奪をしているのに、ハリー・オードはディアナ・ソレルの立場に居るキエル・ハイムに「部隊は食料を買い付けに行った」と報告している。ハリーはいい人なんだが、組織に波風を立てないために偽装報告しちゃうぞ。軍隊怖い。ハリーって言う人も白馬の騎士キャラって言うだけじゃなくて、そう言う黒さは随所に在るよな。
その割に、本放送時には僕はストレスをあまり感じなくて、一般的なターンエーガンダム評では「人が死ななくて平和なガンダム」っていう雰囲気だと言われる。ガンダムSEEDガンダム00のように直接、死体や血液を描写してないんだな。でも、画面の外で人は撃たれてるのは分かるし、子どもは焼け出されて「ご飯のあるところには敵が来るんだよ」って無邪気に怖い事を言う。しっかり描いてるのだ。
17歳のときの俺はそう言うものをあまり感じ取れなかったのかもしれないし、単に忘れていただけなのかも。富野アニメはリテラシーを要求するんだなあ。まあ、見てたら分かるようになるから良いけど。
でも、パッと見て分かるのは、やっぱり死体が転がる方なのかも?でも、人間って言うのは「テレビで流れてるから死体が転がる戦争がリアルで当たり前」って思って「テレビでやってるからカッコいいし正しい」って思う部分も在るんだよねー。戦争ゲームは兵隊の訓練にも使われてるって監督が言ってるし。だから、暴力の見せ方は難しいですな。そういう描く側のリテラシーも在る。


リテラシーと言えば、キースに「モビルスーツに乗って人を殺したんだろ!」ってなじられてロランが悩んでいると、ホワイトドールは右手のビームライフルを天に、盾を持った左手を水平に向ける。

長崎の平和祈念像ですね。
僕は広島と長崎で幼年期をすごして、毎年夏には原子爆弾を題材にしていたアニメを見てたし平和公園にもよく行ったので*1、ちょっとはリテラシーが在る。
垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を表しているそうだ。
ホワイトドールは、ロランの悩みに反応したのか、無意識にそう言うポーズをとる。ほら、ローラの牛でロランがムーンレイスだと告白した時、操作してないのにロランと同じように手を広げた。
そう言うのを見ると、やっぱりホワイトドールには何らかの意志が在るように見えますね。ロランの無意識にシンクロしてるだけかもしれないけど???
自動的にウォドムを狙撃したり地球を滅ぼしたりしたホワイトドールがロランと一緒に過ごすうちに平和を願う心を手に入れた、って思うのはセンチメンタルだろうか?


ちなみに、上井草のガンダム様像は富野監督がポーズを決めたらしいけど、それも右手を天にかざして、左手には盾を持っている。
ガンダム様の右手は未来への希望を表してるんだけど、武器を持たないで盾で平和を守るって言う意図があるって監督が仰ってた。そう言うのは一貫してると思う。
ガンダムは平和祈念アニメですよーッ!

*1:鳩が怖い