玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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Genjiを嗤うような、アニメ芸術にも照れ隠しをする視聴者は田舎者

源氏 物語 千年紀 Genji 第8話 嵯峨野 - 玖足手帖-アニメ&創作-
こちらの源氏物語千年紀 Genjiの記事へのコメントレスです。
>>id:mattuneさん
なるほど。とてもよくわかる話です。
ガンダムって素直な熱血ロマン(ガルマ、イセリナランバ・ラルとかミハルとかウッディとか)をどこか「愚かで考えなしだから死んだ」とシニカルに描くようなところがあります。ヤマトの反動でしょうかね。
で、それがさらに反動になって今西監督系の戦場まんがガンダムシリーズ(0083とかイグルー)になったりもしてますが、基本的にガンダムってリアルでニヒルって思われがちな所が在りますね。そこら辺を鵜呑みにしてニヒリズムのまま作ってるのが今のガンダム00かと思います。
アニューの恋とか、新堂圭と釘宮理恵斉藤千和の因縁も、リジェネの裏切りも感情線がテキトーすぎる。
インタビューによると皆を連帯させて救いを担うらしい役割のマリナ姫の扱いや積み重ねも、感情的なシャクティや放浪したディアナに比べてあまりにぞんざい。


でも、確かに富野作品はシニカルを積み重ねますが、ラストは感情的に発動して決着がつくわけです。感情を押さえつける世間を徹底的に描いておいて、最後にひっくり返すからジーンとするわけです。なんか、切なる願いみたいな物があるんですよね。全滅のイデオンですらそう言う部分が在る。


ですけど、富野作品に関する感想やブログを読んでいても、途中の世間の部分やシニカルな部分に注目するような理論がありまして、そう言う人はほとんどラストや主人公に注目していないのが変だと思うんですよ。
ニュータイプは方便だから」とか「終わらせるために殺した」とか言って、途中までの人間関係の分析はしっかりしている人でも、ラストの奇跡部分に対してはスルーしてるのを見ると、それは違うと思うんです。だって、途中がしっかりしてるからこその決着でしょうが。
Vガンダムは母性の挫折を繰りかえし描いてますけど、そこに注目する人って「ガンダムよ天に昇れ!」っていう少年の叫びは無視してる事が多くて、どうも違うんじゃないかって思います。
ちゃんと見たら、ラストの感情の爆発もちゃんとそれまでのドラマの積み重ねがあるんですよ。


富野監督自身も「ニュータイプは最初は主人公が強い事の理由付け」とか「イデオンは才能が無いからああした」と言う時もありますけど、監督の言う事は本当にコロコロ代わるから眉唾です。作品が全てです。
最初はニュータイプは後付けですけど、ターンエーガンダムまでニュータイプというか、人が分かり合えるかどうかということをテーマにしてるんですから、方便以上のものである事は明らかです。


どうも、僕は現実では感情を押し殺す所があるので、反動でアニメの中では本気が見たいんだよ!観鈴
あと、自分のブログの中くらいは感情的です。


「巷」の人は、そもそも押し殺すほど感情が無いんでしょう。アニメでも息抜きでぬるく見るのが主流なんじゃないでしょうかね。
つまり何が言いたいかと言うと、「巷」の人はしっかりしてはりますなあ〜。えらいですなあ〜。
で、アニメを見るときも「照れ隠し」を忘れない。偉いね。
で、ちょっと死んだり感動用のコンテンツを見たらしたら「泣きました」とかいう。そうですか。泣きましたか。泣ける作品だったら泣けるのか。泣いていいといわれたら泣くのか。それくらい自分の感情で決めろ!



ロリコン感情についても、宮崎駿よりも今回の紫の上にドキドキする源氏の方がやばいですね。本気で抱きますからね。
まあ、第二次性徴期がくるまで待つわけですが。やっぱり、出崎統は子どもから女になる危うい魅力を地上波で直撃です。最高だ。


つまりどういうことかというと、僕は京都の人なので芸事には感動したいんです、東京に出てきた地方出身者がハイカラを気取って感情を消してるのを見たら、余計田舎者だと思います。
富野監督もどこかで言ってましたけど、そういう地方の田舎者が東京発の文化とか言って日本中に広めてるんですよ。で、どんどん地付きの文化を忘れて、感情の出し方も分からんわけ。
富野監督も「上井草にガンダムの銅像を立てるよりも井草八幡の祭りを大事にしろ」って仰ってます。


富野由悠季監督は東京から小田原に来ても東京のプライドを忘れないでオシャレぶって地方でバカにされていた親を見ているので、そこら辺のコンプレックスが作品の感情表現に現れているんじゃないかと思います。僕もそういう所がありますし。
出崎監督は江戸っ子でしたっけ。
僕は福井と長崎県民の親について、地方を転々として、今は京都に10年以上住んでるので、文化や感情をなくした地方に対する蔑視がひどいんだと思います。
かと言って、伝統を受け継いでいる京都人にもなりきれない根無し草感覚。
祇園祭でも外国人の担ぎ手も多いんで、やる気の問題ですけどね。