玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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∀ ガンダム 第27話「夜中の夜明け」

脚本・高山治郎 絵コンテ・斧谷稔 演出・森邦宏 作画監督・菱沼義仁/後藤雅巳
∀ガンダムターンエーガンダムターンAガンダム
http://www.turn-a-gundam.net/story/27.html
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words27_TurnA.html
ついに核兵器の炸裂である。3クール目の突入と言う事で、がらっと状況が動く。その始まりの標しとしての死の光である。2クール目のキャラクタールジャーナ編を牽引してきたキャラクターが死ぬし。

今回は核兵器の話と言うデリケートな話題なので、クソのように長いです。結論としては、核兵器よりもディアナ様が萌えると言う話です。
それにしても、富野アニメは本当に反核運動アニメですね!核兵器(あるいはそのメタファ)が出てこない富野作品の方が少ない。ラ・セーヌの星F91、ガーゼィの翼、正体を見る、くらいか?ザンボ、ダイターン、ザブングルエルガイムは見てない。
25話でホワイトドールが長崎の平和祈念像のポーズを真似たり、そういうメッセージ性が強い。高畑勲反戦だけど、トミノはとにかく反核です。富野は戦う事で生きること自体は嫌っているけど、核兵器ほど否定してはいない。
核兵器は戦うと言う人の意志や行動をも無駄にするから許せないのだろうか。でも、人の意志が暴走した結果だと言う風にも見えるし、そう言う描き方もしているんだよね。暴走した個人の影響力が決定的になりすぎるということへの嫌悪だろうか。
あー、セカイ系中二病とは対極ですね。でも、ガンダムと言う超パワーもそれに匹敵するのでは・・・?
とか、核兵器は奥が深いのですが。



今回の核描写は、どうなんだろうな。富野由悠季監督本人である斧谷稔の絵コンテで在ります。
爆発する前はものすごく怖かったんだけど、爆発自体は怖くなくて以外だったと言うのが正直な感想です。ま、実際、アニメの中で何が怒ろうが俺はのんびりアニメを見とるだけなんだわ(笑)

  • 爆発する前の怖さ=個々のディバイド(情報、知識、性格、知力、場所)が全面的破局へ向う事を俯瞰で見る恐ろしさ。

「霊長類、南へ」という核戦争による人類の絶滅を描いた筒井康隆の小説がある。これの冒頭では、中国のミサイルサイトの管理人が言い争いを始め、取っ組み合いになった結果ウッカリ核ミサイルを発射して、ソ連とアメリカの自動報復システムによって世界が崩壊するというドタバタが描かれている。小さないさかいがドミノ倒しになるということだ。
筒井の小説の場合は、女性職員と男性職員のヒステリックないさかいだが。


今回はむしろ、各人の認識能力の差がいさかいを起こすのである。ターンエーガンダムは超能力的ニュータイプは出ない代わりに、こういう認識論はむしろ前面に出ているのだ。分かり難いけど。
ま、むしろ、こちらの「人はわかりあえない」描写の方がトミノ演出の得意とする所。ニュータイプとかイデとかオーラとか、テレパシー的なガジェットが目立つ分、「人がわかりあう」事を描く作家だと思われがちだが、ガジェット以外の部分でのすれ違いを描くのが物凄く上手いのだ。で、分かり合えないなりにニュータイプになった子供がアムロを助けたり、カイがミハルに優しくしたり、って言うのが引き立つわけだなあー。
しかし、上手くてさり気なさ過ぎるアニメキャラの個人個人の動的な認識状況などと言うものを、パッと見て分かれと言うのはオールドタイプの僕には無理ですよおおおおっ!
でも、時が未来に進むと誰が決めたんだ!DVDで見るアニメは時間を巻き戻す。で、見てみた。
25話の感想で、「ヒゲが平和祈念像と同じポーズをとるということを知識として知っておく、と言うリテラシーがあったからこそ、僕はこの意味が分かった。リテラシーがないと意味不明のポーズだ」
と、書いた。
で、今回は実践編。キャラクター感のリテラシー・ディバイドがこれでもか!これでもか!と、描かれます。
僕のブログの基本的な作法は、最近、富野演出の圧縮された30分番組を好き勝手にデコードして長々とブログに書き直すというものになってきてしまいました。めんどいけど、大事な話なので書きます。アーめんどい。
ちなみに、リテラシーとは読み書き能力。識字能力。 ある分野に関する知識、教養、能力。ってことです。
このブログでは若干、拡大解釈して書いてるかもしれません。


●個々人のリテラシーレベル表。
難しい時は図表を出しましょうと小学校で教わったリテラシー(笑)
リテラシーレベル0
(知らないし、分からないし、無力)
ソシエちゃん、メシェー・クン、ミリシャの兵隊さん
核兵器と言う物が出ても、なんのこっちゃわからん。とりあえずギャロップやカプルの中で右往左往して泣き喚く。質問しまくりだから、ある意味若い視聴者の代弁者かも?


リテラシーレベル1
(知らないし、分からないが、強力)
ギャバン・グーニーたちスエサイド部隊
核兵器は知らない。ちょっとした爆弾程度に思って軽々しく扱う。火をつけなかったら爆発しないと思っている。また、ゼノア隊が戦闘力の無い補給部隊だからハッタリを言っていると決め付ける。
また、これまでのセリフからも分かるように、ギャバン・グーニーは熱血ロボットパイロットなのでボルジャーノンの装甲がビームの高熱高速粒子を受けて、表面にピンホールが空いているというかなりヤバい状態なのに「気合でカバーだな!(笑)」という好漢である。戦場では死ぬ。
実際、内部が故障していたようで、テールノズルが作動せずにクレバスに突き落とされてしまう。
ザクとフラットの性能の差以前に、近代兵器に対する認識が全くなっていない。まあ、これはミリシャの練度がマダマダと言う事でもあるんだが・・・。ギャバンは「特攻する事しか考えていない」と言い切るロマンを持った男。死ぬ前にやっておきたいと言って、結婚も申し込む。宇宙戦艦ヤマトに出てきそうだ。
でも、そう言う男は生きることをあんまり考えていないで生活していて、整備不良を起こして、ロマンも無く死ぬ。
ひどい。
ヤマトから20年以上たってるのに、未だに反ロマン主義なのかトミノ。そんなにコンテを批判された事を恨んでるのか。
いや、でも、ギャバン・グーニーは愚かだったかもしれないけど、決してそれを冷笑したり馬鹿にするような描き方ではないんだよな。ギャバン個人が取り立てて馬鹿なんじゃなくて地球人全般に技術への感覚が無いわけだから。
ロランもギャバンの名を絶叫した。人間としては好意を持てる人だったのだ・・・。


リテラシーレベル2
(知っているが、分かってない。その上強力)
ムーンレイスに多いタイプ。
核兵器という知識は知っている。でも、実感としてどうなるかと言う事が感じられないし分かってない。
ゼノア隊で、ゼノアのウァッドに同乗していたノーマルスーツの男が代表だ。
核爆弾を発見した時「放射性物質って言うマークじゃないっすか?」核爆弾が作動して、「たいしたもんじゃないですか」ゼノアが核兵器の回収を命じた時「いやですよ」爆発しそうな時「ノーマルスーツを着てたら、放射能よけになったのに」
全体的にやる気と実感が無い。
核兵器のことを知っているし、科学技術を持っているけど、なんとなく科学の力で上手くいくだろー程度の認識しか持てないで、無責任に行動してしまう。
知識とマニュアルさえあれば人間はちゃんと行動できると言う事を否定するためのキャラ。
ある意味、現代人の代表かも?
ちなみに、JOCの職員が濃縮ウランをバケツで運んで臨界事故を起こしたのは1999年9月30日。この27話が放送されたのは1999年10月14日。うわー。
前からの伏線とか、後の展開に核兵器が影響しているので、時事ネタにあわせたということは無いはずだが。
富野監督は常日頃から世間に対するアンテナが広いので、世間にいそうな奴が起す事件を作品で描いたら、世間の奴が実際に事件を起こしてしまう・・・。もう、トミノったら!


ちなみに、僕のバイブルであるトミノ監督のエッセイ、∀の癒しにもJCOの汚染について書いてあるので、引用する。タイプがめんどいから適宜省略。読みたかったら買え。楽天では売切れだ。

承前、なぜ人を殺してはいけないのかという話題。いけないことはないけど、いけないと決めたのだ、と言う教育と法の話。)
これは殺人はいけないとわかれ、という直接法ではないために、理解し、認識する必要がある。
ここに問題が残ってしまう。
しかし、人間はものごとを直接的に理解して、それを行動規範にすることができないバカな動物なのだから、法を立て、律するような手順を踏むしかないのである。
*1
(中略)
それでは、現今のマニュアルと同じで、マニュアルを設定せざるを得なかった本質を理解させる事は出来ない。
その悪い例を、われわれはまいにちのファストフードの店頭で、心にもない対応言葉で体験しつづけている。
1999年のJCOの臨界事故(放射能汚染事件)でも思い知らされたはずだし、マナー問題、ゴミ問題と、(ry)社会全般、組織全般にこのマニュアル主義の悪癖が噴出している。
(ry)
礼儀作法やマニュアルの発生は、自己防衛の必要からきている。だから、まもらなければならないのだし、まもる必要がある。
(要約:自己防衛とは、1不・特定多数のものに対して無礼にならないように武装解除させる手続き。2・礼儀に対応できる能力があるか査定するためのもの)
だから、礼儀に代表されるような法が必要になるのだ。
(中略)
自然との抗争がきびしいなか、生と死の関連性を把握した古代人が、共同社会を確立していく必然の中で生み出した、知的行為なのである。
生と死が、日常から遊離してしまい、自然の驚異などはないと、傲慢になった現代人は、原初的な衝動とか原理をわすれていく。これは、危険だ。
かつて、異端を野蛮と排除したキリスト者のような知恵のつかいかたとおなじで、現代のわれわれの知恵も、物事を狭隘に見るために運用しているかもしれない。
コンピュータは絶対か?と疑う心は必要なのだ。

ここまで考えている富野由悠季だからこそ、偶然とはいえない確率で作品内事件に似た事件が後から起こるのだ。いや、前世紀末に戦略核が爆発はしなかったけどさ・・・。
何故人を殺してはいけないのか問題→マニュアル主義→マニュアルの意味→現代と古代の違いについて、2ページでいきなり考えを疾走させる富野がカッコよくてタマラン。
で、それをアニメにして見たら、ゼノアの後にいた若くて想像力の足りない部下という事になるのだ。


レット隊の小柄なフラット乗りの少女、フレックル(劇団員の多いターンエーには珍しい若手声優の半場友恵)もこちらのレベルに入れていい。
無邪気にザクのエンジンを狙撃して、ファースト1話くらいの小規模な核爆発を起こしてしまう。
それに対して、レット隊の年長の爺と隊長のキャンサーは「モビルスーツへの直撃はタブーなんだぞ!」と叫ぶ。
モビルスーツの操縦と言う知識の継承は少女に伝わっていても、タブーや目に見えない危険を実感として分からせるのは難しいのだ。



ちなみに、機動戦士ガンダム00水島精二監督も、最近のインタビューで自己防衛が生む争いに関して言及している。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090204/184979/?P=1
水島 相手に対する恐怖があるから、「この人より優位に立たなければ」と思ったりする。優位に立っていれば少なくとも害はなくなると考えるから。相手より優位に立とうとするから、対立して争いになる。


――スタンガンの危険性を想定して自分が備えると、相手もスタンガンを持ち出す、という構図が成り立つわけですが。


水島 人間関係でも国家間でも、あらゆる対立が同じ理屈で起きていると思います。
 本当は、その疑念をなくそうという努力が必要だと思うんです。

 相手を恐怖に感じるのは、相手のことがわからないからだと思うんですよ。
 相手は何を欲していてどんな行動に出るか。欲求や行動の動機がわからないと不安になる。

 欲求というのは、「価値観」に基づくもの、ですよね。価値観がわからないというのは、利害関係の対立よりもやっかいだと思いますよ。


(略)
これが、僕が今すごく気になっているテーマなので、「ダブルオー」にも盛り込みました。最初の企画会議のときに、「コミュニケーションが成立しないことが原因で戦争が終わらない」という設定はどうだろう、と提案したんですね。

 登場人物それぞれが、互いに全く違う価値観を持った国で生まれ育ち、価値観が違うために思いの行き違いや対立が起こる、という物語はどうだろうと。

 今の時代、「どこかに絶対正義があって、絶対悪がある」なんていうことはないじゃないですか。世界でも僕たちの周りでも。みんな自分の利益が欲しいから主張をするのだし、自分が正しいと思うことが正しい、良いことなのだと思っている。ところがそれぞれが自分の正義を主張することで、争いは拡大していく。「ダブルオー」ではそういうところをテーマの一つにしたかった。


(略)
それからだんだんわかってきたのは、さっき言った「自分の正論は、相手にとっての正論じゃないんだな」ということでした。逆に言うと、正論を、「自分が正しい」というふうに貫こうとすると、必ず悪く誤解される。相手は自分とは違う人間で、違う価値観を持っているわけで。


――違う価値観を持った人同士が、どのように手を繋げば良いと考えましたか。


水島 相手の好きなもの、嫌いなもの、正しいと思うもの、それらを全部肯定するのは無理ですよね。相手の価値観を全て受け入れるのは不可能なんです。僕も自分の中に、普段は無自覚な偏見があるし。

 ただ、「相手の価値観は自分と違う」と認識するだけでも、結構違うと思うんですよ。相手を自分と同じ価値観を持つ人間だと思うから、なぜ俺の言うことを理解してくれないんだ、と腹が立ったり行き違いが生まれてしまう。こんなはずじゃなかった、と。


水島 だから、相手を「匿名」で見るのをやめる。相手を、地位や役割という大ざっぱなくくりに追いやって、相手の個人的なパーソナリティを想像せずに「あの人は○○の所属だから」とカテゴライズしてしまうと、そこで思考停止してしまって、相手のことを理解することができなくなるんじゃないかと。


――やはり一対一に立ち戻ることですか。


水島 そう思います。大切なのは「相手と同一であること」ではなく、「違っているお互いを認識し合うこと」なんだと思う。

 それが、相手のことをどこまで思いやれるか、ということだと思うんです。

じゃあ、おまえ、全人類の事を1対70億で演算できるのかよ。ヴェーダかよ。量子コンピューターかよ。
っていうか、ターンエーガンダムの今回の話を見ると、本当に、皆、認識能力から知識から置かれた状況までバラバラ!そんな事は分かってるの!
でも戦争は起こるし、戦争に興奮して戦っていたら核爆弾が爆発して皆バカみたいに死ぬの!
人は分かり合えないの!
富野監督は「人と分かりあいたい!でも出来ない!悔しい!」って、そんな作品ばっっかり作ってるのよね。で、結局は「分かって貰えないけど、許す」って言うのが最強という風に落ち着く事が多い。
海のトリトンは自分の罪を誰にも喋らないで、魚類とともに去っていく。カミーユはオールドタイプのファと一緒になった。
まあ、ガンダム00は後2回で終わるわけだが。果たして、分かり合って終わるのか、許しあって終わるのか、全滅して投げて終わるのか。それは分かりません。
水島監督は昔の富野監督の理想主義的な部分を取り出した感じなのかもね?
トミノサイコフレームによって全人類が分かり合えたと見せかけて、「他人は要らない!」って言ってシャアとアムロの因縁に戻しちゃうもんなー。イデオンは希望もありつつ、どうしようもなさもありつつって言う感じ。
で、富野の場合はひっくるめて「礼儀の問題」という。年の功だねえ。


ぶっちゃけた話をすると、「愚民は絶対的に存在する!思いやろうが何だろうが、愚民は居る!」
そこで、愚民に叡智を授けるか、愚民を理解しようと努力するか、愚民の中でヘラヘラ生きていくか、どれがいいんでしょうねー?
水島監督も多分、価値観の違う人を許そうと言う気持ちは在るみたいですから、http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090216/186236/?P=1
そっち方向で頑張っていただきたい。まあ、ゴロゴロしたいのうたで許せるんなら警察いらんわけだが。熱気バサラが最前線まで歌いに来たら許すかもしれん。
どうも、機動戦士ガンダム00で「相手の事情を情報共有できれば分かり合えるから、変なGN粒子が便利」っていうのは信用できないのだ。
あと、「分かり合って憎しみの連鎖を断ち切る」とかも。あのねー、憎しみの連鎖なんか無いっすよ。
憎しみの連鎖のように見えるゲリラなんて、所詮は経済的に食っていく道がないからやってるだけ。ただ、金のためと思うのは自分がさもしくなるから、誇りとか恨みとか言い訳をしてるんだな。あと、政治的教育ね。
だって、日本人ってドイツに落すはずが余ったって言うだけの理由で原子爆弾を2発も落とされて、B29の爆撃を受けても、アメリカを許したじゃん。20年くらいで。
もちろん、個人的復讐心と言うのは在る。それを象徴するのが∀ガンダムではソシエ・ハイムなんだけど。
でも、そのソシエに対して「憎しみの連鎖を断て!」って上から目線で言うのはかわいそうだろ。そこらへんは、急に「分かり合え!」って言うんじゃなくてロランのように決定的な間違いを起こさないようになだめながら見守って、感情が落ち着くまでより添うほうが、大事なんじゃないだろうか。GN粒子みたいな萬画的な派手さはないけど。


まあ、傭兵ヤクザのアリー・アル・サーシェスと家族の復讐のライル・ディランディの対比はガンダム00でも描いていたわけだが、結局はサーシェス個人が狂人だからって言う見せ方に成ってしまったのはハリウッド娯楽作品としては正しいが、ガンダムとしては・・・・ガンダムは富野(と、直系の弟子)しか作れない・・・。





リテラシーレベル3
(知っているし、分かっている、が、戦闘に興奮して無視する)
レット隊、フィル・アッカマン
ギャバン・グーニーが「この世の終わりか?」と言ったザクのエンジンの爆発について、ムロン・ムロンは「モビルスーツが爆発した!」とリテラシーが上位にあることを対比させるように正確に述べる。
核爆発が驚異だと言う認識はある。
しかし、それ以上にレット隊は武勲をあげる事を優先して戦闘を継続するのだ。これは怖い!
まあ、レット隊は爆発の知識は知ってても起爆方法に付いての正確なイメージが無いために爆発しないと高を括っていたと言う事も考えられるが・・・?
次回、フィル・アッカマンが核兵器を手に入れて覇権を握ろうとするのもこのレベルの事だろう。



リテラシーレベル4
(知っているし、実感も分かっている、しかし、無力)
ゼノア大尉。
きちんと真面目に働いている中間管理職のオジサンが、いきなり大事件に巻き込まれるという悲劇である。
そのちょっと前に新型モビルアーマーを発掘してディアナに扮したキエル・ハイムに誉められると言う幸運にあったのだが、一転、核兵器を拾ってしまいます。
ゼノア大尉はリテラシーが高いので、爆発したときの事を想定して、爆発を避けるように双方に停戦を呼びかけるという行動に出ます。
でも、なんか気の弱いオッサンが、補給部隊という裏方でコツコツやってきたおっさんが、いきなり敵の兵隊やボンクラな部下や違う派閥のレット隊に呼びかけても聞いてもらえません。しかもゼノア自身は恐ろしさを実感しているために慌てすぎてしまって、言葉もまとまらないからしどろもどろっぽくなって余計聞き入れられない。
水島監督の理想のように相手に合わせて、相手の事を思いやって話そうとしても、極限状態ではどうしようもない時もある!
でも、ゼノア大尉は最善を尽くしたとは思う。今まではコレンにいじめられたり後方でアナンに嫌味を言われたりしてたけど、腹を括って核爆弾を自分で処理すると決めた時のゼノア大尉の生き様に男を見たね。


ホレス氏、ブルーノ、ヤコップ、フラン・ドール
彼ら、ギャロップのムーンレイス組もこちらのレベルでしょう。核兵器の恐ろしさを知っている。で、ゼノア大尉の寄越したデータに従って、すみやかに後退行動をとった。
ロランやギャバンがまだ戦っているのに情に流されずに後退を決めたのは素晴らしい判断力。
でも「レベルはいろいろあるからな・・・。覚悟するしかないんじゃないの?」っていうヤコップの言葉もある。
こういう冷静なセリフが逆に恐ろしさを煽る。
ソシエをなだめるフランも大変だよな。
あと、ホレス氏について勉強したようなラダラム・クンもこれくらいの理解度があるかも。


リテラシーレベル5
(知って、分かり、最強)
ロラン・セアックホワイトドール
ロランはどうやら、最終ニュータイプのようだ。核爆弾の恐ろしさを一瞬で理解するし、戦いを止めるにはどうしたらいいかわかって、行動する。
で、わからずやどもの面倒を見て、最後の最後まで戦います。むしろ、戦いつづけるレット隊の人を逃がすために打ち負かします。
でも、ギャバンを救えないと分かったら全速力で飛んで、メシェーを救いました。ロランはそう言う厳しい判断もできる男なのだ。
そう言う判断が何故、できるのか?
ターンエーの癒しに寄ると、礼儀を知り、衝動を自覚して、知識を疑う事ができる者が良い、と言うらしい。
ロランは礼儀正しい少年執事だ。でも、けっこうヤンチャもするし、地球と月の二つの知識を持って、違った視点で物事を疑いつつ考える事もできる。だから、核兵器の驚異を知っているし、どうすればいいか分かるし、そういう怖いのを我慢して行動できる。
ロランってグレート!ビットは使わないけど、認識論的にはロランがニュータイプだ。
やっぱり主人公最強アニメって見てて気持ちイイな!
いや、今回ばかりはそうでもないか・・・。ギャバンは救えない。


●状況による情報格差
性格によるリテラシーの差もあるけど、状況推移による個人の持っている情報の違いでさらに混乱を増幅させてディスコミュニケーションさせるのが富野のやり方。
核戦争に晒されたロストマウンテンのクレーター状の地形は地球人には禁忌でもムーンレィスには珍しくない、というリテラシーというか解釈の違いもある。
で、ここではゼノア隊、レット隊、スエサイド部隊の地形的状況的な認識の齟齬を整理してみよう

  1. まず、ゼノア隊が南から坑道を北上して、ロストマウンテンでモビルスーツを発見。この功績に調子に乗ってさらに北上し核兵器を発見
  2. スエサイド部隊は浅い部分を南下しつつ、落盤した所で下のゼノア隊と鉢合わせ
  3. ゼノア隊がモビルスーツ、ムットゥーを手に入れたので、ゼノア隊からミリシャのスエサイド部隊を追い払う見返りに地球産のモビルスーツを受領しようとレット隊もロストマウンテンに向う。(レット隊は補給の面でフィルに差別されていたので、それとは違う派閥なのに補給部隊のゼノア隊に恨みを持つという認識の間違いがある)
  4. ゼノア隊は核兵器だと言って、スエサイド部隊と一時休戦。ボルジャーノンを一旦後退させる。
  5. しかし、スエサイド部隊のボルジャーノンはクレバスの陰から隠れて発掘作業をする地上のウォドムを妨害。(戦闘行為ではないという言い訳だが、ウォドムが脅威だから攻撃を加えたことは明白)
  6. そこへ、到着したレット隊のキャンサーは物陰から手榴弾を投げるザクを後ろから目撃し、発砲。地上で。
  7. キャンサーの攻撃をかわしたボルジャーノンのジョン「何が戦うなだ。隊長、むこうからも撃ってきました」と、自分を肩に乗せているクレバスの裂け目に踏ん張るギャバンに言う。
  8. ギャバン「エイムズ、下の連中(ゼノア隊)の言うことなど聞く必要はない。みんなで死んじまうぞなんて脅しをかけてくるなんて、補給部隊らしい」と、ギャバンは自分より下の空洞に居るエイムズに命令。
  9. ゼノア 「ここで戦ってたらみんなで死ぬようなことになると伝えただろう」
  10. エイムズ 「何を言ってんの、先に引き金を引いておいて」 (エイムズは地上での小競り合いの事はよく知らない)
  11. エイムズのボルジャーノン核兵器を乱暴にひっくり返してゼノアさんが死ぬほどビビる。視聴者もここで決定的な危機を実感する。

ここの齟齬が素晴らしいな!
スエサイド部隊から見ると、地上のレット隊と地下のゼノア隊の区別はつかず、どちらもディアナカウンターという敵でしかない。
また、地上と地下という違う空間の情報格差があるのに、指揮官であるギャバンがクレバスの裂け目と言う一番視界の利かない所で両方に命令を出していると言う事の決定的な不幸。
もうね、こういう時間的、立体空間的演出で、人間の認識の動的な芝居を描くのが、本当にトミノは上手い!
ただ、富野演出はさり気なさ過ぎて気づき難いんだな。
視聴者が注意を向けるのは核兵器がひっくり返ってビックリしてから。エイムズが「先に引き金を引いておいて!」と、アップで叫んでから視聴者は「あれ?なんで戦端が開いたんだっけ?」とビデオを見返す事になる。僕が。
こういう、フラグがいつだったのか分からないのに戦火ばかりが拡大してどうしようもなくなっていくというのは、戦争のリアルさを描いているのかもしれない。
でも、フラグとか理由とか伏線に拘る視聴者には分かり難いと思われるのかもしれない。
フラグや理由がハッキリしているアニメは、脚本主導なんだろうけど、富野由悠季の場合は絵コンテ主導なんだろうね。で、脚本とコンテのどちらがアニメーションかというと、絵コンテだな。


あと、状況的情報格差でいうと、∀ガンダムのサーチ能力が異常に高いことも挙げて置く。
ミリシャのスエサイド部隊はゼノアの声を聞き入れず、ギャロップ隊はゼノアからの無線通信で危険信号と核兵器の情報を伝えられてる。
レット隊は地下の金属反応をサーチして、ロランに警告されてる。
で、ロランだ。
ボルジャーノンのエンジンが爆発した時に「放射線反応?」ってつぶやいたので、ザクの核融合エンジンの話かと思ったが。
ホワイトドールのディスプレイには核ミサイルの図面が映っていた。コマ送りで確認。
数キロメートル離れていて、ギャバンが持っているだけの核爆弾を認識するホワイトドール
あ、もしかしたら、ビシニティの武器倉庫のように、ロストマウンテンの核兵器庫もシステム∀の備品の一つで、自動的に∀がデータを再生しただけかもしれないか。
ともあれ、ロランはそう言う情報から、核兵器が戦場に存在して、戦闘をしている場合ではないと判断する事ができた。
やっぱり主人公最強だな。



と、いうわけで、今回は色んな面からリテラシーの違い、人と人が分かり合えないと言う事を描き、その決着として核爆発と言う決定的な歪みを示したのだな。


で、あるから、ギャバン・グーニーは誰にも認識されずにクレバスに落とされ、見せ場も死体も無く、消滅する。歪みを示すには、ギャバンのような主要キャラに無駄死にをさせないと、テーマが重くならない。ギャバンは無駄死にをするからこそストーリーの中で生きる。そして、無駄死にをするために最後まで生きようとあがいて、それが悲しい。
スエサイドという特攻のロマンでお涙頂戴でカッコよく見せるのがロボットアニメの伝統でも在るんだが、特攻したいのに特攻できないというバカな事が戦争なんだって言う、決定的反戦アニメなんだなあ。
むしろ、戦争ばかり描いている富野にとっては、そう言う罪滅ぼしのような描写を入れないとたまらないのかもしれないけど・・・。

  • 核爆発自体の事

テーマ的にはよく分かるんだが。
しかし、黒い雨も降らないし、クリーン過ぎない?次回、クレーターをロランたちが見物に行ったりしてるし。そこはどうもなあ・・・。
まあ、僕もヒロシマナガサキレベルの原子爆弾しか知らないので、黒歴史時代の、直系50キロ、深さ8キロのクレーターを穿つ核兵器というものの描写がどうなのかは想像できないけど・・・。
でも、クレーターになった分の粉塵とか、解けた場合の高熱による火災とか、メルトダウンとか、地震の誘発とか、そーいうのは無くていいのだろうか?どうも、晴れすぎていて・・・。
大陸内陸部では黒い雨は降らない?


それと、核兵器の炸裂する時に、レット隊の「月の魂」というお祭りを称えるような挿入歌がかかる。
核兵器というものに、そう言う演出を付けると言うのは・・・。
うーん。
単に核兵器を穢れたもの、恐ろしいもの、絶対悪、として描かないという態度に見える。(実際、後半は核兵器を活用するしだし)
むしろ、核兵器をウッカリ爆発させた戦場で暴走する人の熱情のようなものを印象付けようとしているように見える・・・。
が、常識的な演出では決して無い・・・。わかりにくい・・・。承伏していいものか迷う。


っていうか、ぶっちゃけ、夜中の夜明けという蒼い光に照らされる二人のディアナ様がとてもとても美しいので・・・。核兵器ですらディアナ・ソレル様のご尊顔を引き立たせるだけに過ぎないように見えてしまう!


やっぱ、反核アニメと言うよりは金髪萌えアニメなのかなあ?これ(笑)


  • ディアナ様の変な行動

冒頭で、マッチョなハリーとプチマッチョなロランと言う白と黒の王子様を従えて黄金の麦穂を刈り取るディアナ様が既に美しすぎるのだが。
ロランもディアナ様と別れて「さびしくなっちゃう」って泣く。かわいい。


ディアナ様はザック・トレーガーという人工衛星を使用するためにたった一人で、徒歩で南下するつもりだったらしい。世間知らずにもほどがある。
マニューピチに駐留するディアナ・カウンター部隊の所まで行ったら何とかなると思ってたわけ?メキシコなのに・・・。
でも、ハリーが迎えにきたらあっさりソレイユ経由で宇宙に向おうと決める。と、思いきや、ソレイユに来たのはキエル・ハイムに自分の替え玉を正式に頼むためだった。まあ、キエルさんも建国宣言の時から割とやる気があったみたいだけど?
建国宣言の時は戦争を止めようと必死だったってのもあるんだろうが。


ディアナ様は「禁忌の物、禁断であるべき物を使わせた者は罰せられるべきなのです」とザック・トレーガーのことを言うが、それは自分のことだろうか?アグリッパだろうか?
キエルにディアナであることを任せたディアナ様はハリーとともに単独行動することを目論んでいるようだが・・・。そう簡単にいかないのは次回以降の展開で。
しかし、ハリー・オード大尉(今回から)ってディアナ様に秘密の内偵をしていただくって、親衛隊長なのに女王様にそう言う働きをさせちゃうんだ!
いいんだろうか・・・。
親衛隊って、ハリー以外に人材いないの?まあ、アグリッパ・メンテナーという貴族と関わっている親衛隊員も居そうだから警戒してるんだろうけど・・・。ちょっと人材不足。


あと、フィルが次回クーデターを起こすのも人材不足。あれ?フィルの上に中佐が何人かいなかった?ザック・トレーガー経由で月に帰っちゃった?メインキャラばかりで物語を動かすのはどうもなー

  • モブキャラクターの伏線と性格描写。

でも、モブキャラの一般兵士は結構生き生きとしてる。ミラン以外のDC管理職は序盤にちょっと出てから最近消えたけど。
毎回、ちらっとだけ出る各所の兵隊がポロっと言う愚痴みたいなセリフが状況を分からせる手がかりとして面白いな。
目立つ所では今回の女性親衛隊員がディアナ様にからかわれて「またやられた」と苦笑する所でディアナ様の性格がわかったり。
「親衛隊がゼノア隊の手伝いをやってただって?」ではハリーの行動がどのように認知されていたか
「異常なしの消火器でも期限切れのものがあるんですよ」で、ディアナカウンターの補給の不安定さを描いている。
25話でもヤーニがジョゼフに言う前に一般兵士が「ソレイユに動きがあったから前線を構築するんだとよ」って言って、大事な事を2度言う構図にしている。
こういうふうに、隅々まで物語を作る道具にする態度は好ましい。しかし、実際、テレビと言うのはなんとなく見てる人の方が多いということは星山博之先生も認めてるんだよね。こういうモブキャラに設定や情況描写をさせるのは、メインキャラだけに注目していると分かり難い。
実際、僕も高校生の頃はあんまりよく分かってなかったし。今も感想書きながら3回くらい見直してるもん。隣で。
移動の時はイヤホンで音声のみのターンエーを聞くって言うガクトみたいな事をしてるし。その努力を英会話にも向けたら・・・。まあ、英語も聞いてるけど。坂本真綾も聞く。





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∀ガンダム 第27話 夜中の夜明け

*1:グダ注、ニュータイプではない、ということね