玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

夏のあらし!のアニメを最後まで、ヱヴァ破の昭和と

先のエントリで「真希波・マリ・イラストリアスって昭和の歌を口ずさむ21世紀の女の子なんじゃないの?」と書いたけど。
ヱヴァンゲリヲン破、ネタバレ3 真希波・マリ・イラストリアスは虚ろなライトヲタ - 玖足手帖-アニメ&創作-
あ、それって夏のあらし!での昭和の歌謡曲を挿入歌として入れたり、ゲームネタやマンガネタやニコニコネタを、戦後の昭和元禄数十年も現代おたく文化もごったごたにサンプリングしていく現代っ子の感覚に近いな。
夏のあらし!の演出感覚って、別に昭和を懐かしんでるって言うよりは、昭和のものが単にクールだから入れたって言う感じ。
それは、ネットとかのデータベースでいくらでも拾えるって言うライト感覚ね。
こういう風に夏のあらし!と絡めて描いたら、先のエントリももうちょっとイカしたものになったかも。
ま、REBUILD OF EVANGELION自体が、クールな素材を前世紀から引っ張ってきたものだし、それにかかわりの深いパチンコも昭和文化と現代アニメのゴタマゼになってる。
それが、2009年の日本の文化風景。

終わってみると、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」は、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターが狂言回しになっていたことに気づかされる。彼女というフレームを通して、観客は――ぼくは、「エヴァンゲリオン」ではない、「ヱヴァンゲリヲン」という、新しい物語と出会うことになったのだ。


つまり「ヱヴァンゲリヲン」とは「エヴァンゲリオン」という物語を、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターの目を通して再構築した、語り直された口承文学だ。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090705/1246763356

と、言われるのは、まさに、マリが戦後と95年と2009年を無造作につなぐキャラクターだからなんじゃないかね。
こういう登場人物力学は面白いな。


いや、夏のあらし!は面白かったですよ。クールだったし。泣かせどころもありつつ。
ただ、やよゐと加奈子ではなく、チェリーを最終回に持っていくのが、昭和ではなく前世紀末でもなく、2009年なんだね。ってさ。
つか、まだ続くしね。
新房昭之のこういう感覚は好きです。
サンプリングで記号的ではあるんだけど、ベタなところは結構ベタだし。いいんじゃないですかね。
ベタに対するテレがサンプリングかもしれないけど、それはそれでおもしろいし。
ちょっと危険球かもしれないけど?
ヱヴァンゲリヲン新劇場版の話なのか、夏のあらし!のはなしなのか?とっぴんぱらり