吾妻ひでお先生の公式サイトでの書き込み曰く、「けいおん!のアニメはメイドカフェと同じく気持ち悪い。おまえらそんなに現実がきらいか?」
とのこと。
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たしかに、メイドカフェで「蝋燭がついている間は夢の国へご招待」「お帰りの時は現実へ戻ってしまいます」と言われた時は
「なにそれこわい」
と思った。
まるで、クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲のヒロシのようじゃないか!
しかし、ひろしが泣いているのは、ふたたび大人に戻れた喜びからではない。彼が泣きじゃくっているのは「失った」からだ。
いつのまにか「失った」ことさえ忘れていた「あの時」を、秘密結社の洗脳で取り戻し、そして再び「失う」ことを強要される。
それも、今度は意識しながら「捨てなければいけなくなった」から、ひろしは泣いたのだ。
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しかし、アニメやメイドカフェは果たして非現実だろうか?
シャンパンを開けたら褒めてくれるメイドさんは現実経済の延長ではないか?
そして、逆に けいおん!は、背景が私の実家に近い場所をロケハンしていたので、非常に現実的だった。
氷川竜介先生も指摘していたのが、曰く
「けいおん!の小道具は現実のアイテムそのままで、それがキャラクターアイテムとしてアマゾンで売れているわけです。これはアニメから現実への侵食のようで興味深い」
とのこと
[rakuten:e-earphone:10000512:detail]
けいおん!はキャラクターや物語こそ、非現実的、というか空虚だが、その舞台や企画背景は非常に現実的であり、だからこそ、濃いオタクからライトな小中学生まで、作品内に迷い込める間口がポッカリと開いている気がします。
だから、物語作家で美少女絵かき(安彦良和先生は「吾妻ひでおは僕よりも肉感的な絵を描きます」と発言)である吾妻ひでお先生はキャラクターの空虚さに着目して「現実がきらいか?」と言う。
だが、背景を見ると、むしろ現実の延長であるし、ドラマや成長といったキャラクター性がない(というか見せない。練習とか)、把握しにくい人物像の方が、現実での人間関係の印象に近いのではないだろうか?
と、吾妻ひでお発言を完璧に逆転させてみた。
というか、秋山澪はただの絵だ。 現実にある物体なんだよ。
だからこそ、吾妻先生やヘンリー・ダーガーの眷属は自分だけの現実、非現実の王国を建国せよ!
と、また文章を逆転させてみた。
文章もどうにでもなるんだよな