玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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∀ガンダム第50話(最終話)「黄金の秋」前編(=全否定+全肯定=システム∀の司祭)

脚本・浅川美也 絵コンテ・川瀬敏文/斧谷稔 演出・森邦宏 作監・菱沼義仁/後藤雅巳
http://www.turn-a-gundam.net/story/50.html
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words50_TurnA.html
ゼロ年代の魁となったターンエーガンダムの一巻の終わりで御座います。
正直、感想を書く気が失せるくらい美しい最終回だった。腑に落ちる話で納得が行った。うむ、確かにこの人はそうなるよねえ。
10年前は全く分からなかったのになあ。エウレカ
それにしても、美しい。
最終回の脚本は浅川美也氏。舞台作家だからか?演劇的な速いテンポ。富野演出とも相まって心地よい。一見ではよくわからんが、勢いはすごい。アニメーションキャラクターの演技も身振り手振りが大きく、演劇的ですね。声優も勿論!オ・ノーレ!
そして、美しさと言えば、池田繁美氏が率いるアトリエムサの背景美術と富野構図の相乗効果による絵画的美しさ。
キャラクターデザインの安田朗氏はターンエーガンダムの仕事の前に印象派技法を取り入れたそうだが、ラストの後日談のアニメーションの絵はそれぞれが一枚絵として美術館に飾られていてもおかしくないレベルです。画壇の文化は知らない!
私は釣りをするロランの秋が好きです。あと、印象派的な、川遊びをする貴婦人のボートとローラの巨大宇宙船の対照構図もSFですげー。
メシェーの人力飛行機の雲の色合いも良いね。
池田繁美氏はザブングルからずーーーーーっと富野作品の美術のほっとんどと、あとサンライズ作品の美術のいくつかをやってる人。
http://www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/242.html
トミーノがこれだけずーーーーーっと組んでる人は珍しいよなあ。そして、今も上手くなってるからナー。すげー。リーンの翼とかやばい。
アフロサムライエミー賞受賞おめでとう御座います。最近、ニュースとか見てなくってサ、今日知った。


以下、箇条書きでキャラを追いながら、テーマについても少々書く。


  • コレン・ナンダー軍曹

黒歴史の体現者である侍は最後にアナベル・ガトーのように戦士たる者の生き様を後世に伝えるように若者たちに託して逝った。
OVAガンダムも包括するのね。
ただし、相手は男の兵士ではなく、女子高生のメシェーとソシエ。メシェーとソシエがコレンに転ばされたりバタバタ走るのがすごくかわいい。メシェーがキュアブラックとか、君に届けの爽子の友人っぽい。
「嬢ちゃん達はおうちへ帰ってメシの用意でもしていてくれ」「ブルーノヤコップどこにいる?嬢ちゃん二人を収容してうちへ帰れ」というのは、すごく風の谷のナウシカ萬画版の巨神兵のオーマみたいですな。
というか、ナウシカ黒歴史の遺産をめぐっての戦争の話だしなー。似てる似てる。巨神兵ってモビルスーツみたいに(というかエヴァンゲリオンみたいにw)コックピットをゾイドみたいに生体ユニットに取り付けて操縦する兵器でもあるし。
結構、宮さんとトミノは意識し合ってか知らずか、似たようなモチーフを使う所があるのか。違う所の方が勿論多いが。


(この間、1週間,病に臥せり、ナウシカ漫画を読み返す)



あー、箇条書きにするのもめんどくさい。っていうか、文章を書くだけで緊張して全身に矢が刺さったように痛い。とりあえずビールで鎮痛。酒の勢いでブログ。さーて、順調にやばい。
酔ってめんどくさいから、テーマだけ要約する。
あと、僕のブログの感動と解説の文体が何かに似ていると思ったら、味皇の語りだった。それは終盤で体を壊すよ。


(その後3日臥せり、テーマ的に重要な二つのみ、前後編としてアップロードする。∀は全てなので、ブログに書けるのは二つくらいしかない。このブログで理解できるのは全体の20%も無い事をサキに断っておく。)
前編のテーマは、承認欲求の国家的システムについてです。
承前
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100101/p1
シロクマの屑籠(汎適所属)“生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代”



だからさー、ナウシカに似てるの!
ターンエーガンダム巨神兵なの!
ターンXを押さえ込んでロランを解放するターンAガンダムブレンパワードのように声にならない歌を歌ってロランを見送るの!そこで泣けるの!オーマが死ぬの!
富野由悠季ターンエーガンダムナノマシンで、宮崎駿風の谷のナウシカは生態系兵器と生体兵器なの!王蟲や粘菌や巨神兵にも魂があるの!それが悲劇なの!
でもトミノは道具には魂を持たせたくないの!邪魔なだけなの!ファティマは許さぬ!
でも、ア・バオア・クーで戦火に巻かれたアムロをズタズタに切り裂かれながら待っていてくれたガンダムに、ジ・Oからスイカバーを抜いた後に身を振るわせるZガンダムに、浄化とともに弾け飛ぶダンバインに、天に昇るV2ガンダムに、結婚式を挙げるゴッドガンダムに、砕け散るDXやW0に、絶望を融かすキングゲイナーに、特攻隊の妹の思いを伝えるナナジンに、君は見たか!機械天使の魂を!(イデオンとブレンは生ものだから、ちょっと違う分別)
ああ、ガンダム
やっぱりガンダムは少年を導く兄貴だよ。そして、シェーンは去るんだよ!
これが付喪神と言うかアニミズム信仰のヤーパンのアニメーション!
あ、シェーンといえば、シド・ミード爺さんはターンXについてミードガンダムで、「ターンXは悪である。悪は正義を知り尽くし、故に正義を凌駕する。悪は社会から逸脱したアウトローである。だから傷だらけであり、体はツギハギだらけであり、視線は滅多に見せないのダ」とかアメリカン・ダンディズムでダークナイトみたいな事を書いてた(うる覚え)。簡単に言うと、ボバ・フェット。
日本的おもちゃカラーの白い悪魔ホワイトドールが、兄であるアメリカダークヒーロー宇宙のアウトローであるターンXと心中する!


宇宙移民を殺し尽くし、黒歴史を埋葬し、自分すらも埋めた自己否定の権化であるホワイトドールが、体中を軋ませながら、少しずつ走ったりできるようにリハビリして、ロランを乗せ、ディアナ達お嬢さまと触れ合って月にも行った。
白い悪魔と罵られた外道のターンエーがロランという少年と旅をして「正しい使い方をすれば人の役にも立つんです」と肯定され、コレンという因縁の侍にも「時代を拓ける」と許される。
ターンエーガンダムのキャッチコピーは、「人は癒され、ガンダムを呼ぶ」だが、ガンダムも人に癒されるの。オルファンさーん!
そして、大量殺戮兵器のターンエーが自分の兄弟の右手のシャイニングフィンガーを抜けぬように押さえながら、自分を信じてくれて頑張りぬいたロランに「もう殺さずとも良い」と歌いながら、憎みあう兄弟を殺さずに繭になる。ああ、ガンダム


で、黒歴史なんだけど、ナウシカにもシュワの墓所の黒い神殿にイノセントの古代技術のデータが埋葬されてたのネ。
で、それを巡って迷惑を被ったナウシカはマジギレして全部破壊するの。
もののけ姫を昨日見たけど、馬鹿には勝てないの。ナウシカは馬鹿だから仕方ないの。わがままを通すねん。あと、土民も馬鹿ですぐソ連とか崩壊させちゃうからみんなニュータイプには成れないの。だから過ぎた技術は破壊したらいいの。王蟲の血の事はナウシカとセルムの秘密なの。
でも、ディアナ様はもっと馬鹿だし、ターンタイプはもっと無茶苦茶だから放送事故で黒歴史の秘密は月の全市民に暴露される上に、そこら辺を掘ったらいくらでも黒歴史の遺産が出るって地球人も知っちゃいました。わはははは。
宮崎駿も大衆を上手く描くしすごいと思うんだけど、最後の最後はどーも選良主義というかメインキャラで事を済ませるようなところがある気がする。トミーノはノブレス・オブリージュを掲げながらも大衆に飲み込まれるという三流根性がある。
というわけで、ターンエーガンダムは月の高貴な御三家が崩壊し、地球に民主主義とフェミニズムが勃興すると言うハリウッドらしいわかりやすい映画です(半分嘘)。
現状維持のアグリッパが手先のスパイに殺され、明日への希望を語るディアナは隠遁し、過去の伝統を守ったギンガナムは封印される。
封印される?
ギム・ギンガナムは人間だぞ!封印されたままというわけにはいかん!
だが、天皇に疎まれた武家集団の頭領ギンガナムは千年の時を生き長らえて戦闘神ギンガナムと成り、月光蝶に生きたまま埋葬される。
あー、これ、絶対ハリウッドには通用しないわ・・・。アメリア人には絶対わからん。
だって、これ、酒呑童子とか平将門の話じゃん。ターンXは首だけになっても飛んだという!


この魂鎮が宮崎駿ナウシカ黒歴史観へのアンサーのようにも見えますね。
いや、富野がナウシカを読んでたかは知らんけど、ブレンパワードスタジオジブリの若手に受けて吉田健一氏がターンエーから富野仕事をするようになったとか言う。
えっと、だから、古代の神の科学技術を「命への冒涜」とゆってナウシカは粉砕したわけで、ディアナ様もターンエーを破壊しギンガナムを討とうとしたんだけども、それでは西暦2000年当時のニュータイプ理論的には対症療法にしかならんのです。
ギム・ギンガナムの語る闘争本能による自己確認、グエン・サード・ラインフォードの夢見た技術による文明開化もまた、人の一面なのだから命を冒涜しても破壊を止めることはない。


では、それを封じるには?人類全てがニュータイプになるしかないのか?
しかし、黒歴史以前、シャア・アズナブルが夢見たようにアースノイド文明は絶滅した。おかげで人類はかつての数百分の一の人数になり、太陽電池芝や水素燃料固定バクテリアや土壌改善細菌などナノマシン生物EMOの供給するエコロジカルなエネルギーでも暮らしを立てる事が出来た。死んでくれてありがとう!
シャアの夢は何千年か後に確かに叶った。
だが、人類はニュータイプにはならなかった!なった人は地球を捨ててアンドロメダで第六文明人になったかも知れぬ。第六文明人はイデに取り込まれた。
しかし、大宇宙から望郷の念に駆られた宇宙海賊クイーン・ディアナの一団はニュータイプであることも忘れて地球に出戻ってきたらしい。月の風設定。
ニュータイプたちも宇宙でまだ戦争を忘れられず、ターンXのような兵器を作り、そのうちの1機が地球に流れ着いて、異種族となった同胞の技術を怖れた地球人はターンエーガンダムを建造し、黒歴史破局を招いた。
(どうでもいいけど、ターンXトップはスタートレックの小型スペースクルーザーみたいでカッコいいですね。デルタフライヤーくらいのワープ速度だせそうっすね。さすがシド・ミード


ここで、ニュータイプを3種類に分類。
1.ジオンやギレンの語った難民の立国求心力としてのルサンチマン選民思想
2.アムロ白い悪魔の使徒のような超能力者。人間レーダー兼テレキネシス
3.レビル将軍の仮定した争いなんぞせんで済む人類の事。未来への希望。
んで、正暦2345年の地球と月では、1の思想的ニュータイプはコロニーを木星爺さんを魁としてエクソダスさせてスペースノイドが居なくなってるから無い。あと、2の超能力者としてのニュータイプも、戦争のない時代が続いたためにミノフスキー粒子によるレーダー無効化戦術が無くなっている様子で、アンチミノフスキー兵器としての人間レーダーのニュータイプは無用となっている。ミノフスキー粒子Iフィールドビームドライブシステムの利用の方が盛ん。ターンXサイコミュ的な精神波の流れを操る技術が定着しているんで、これも陳腐化してもはやニュータイプではない。Vガンダムの時代から言われていたが、ただのサイキッカーだ。
コズミック・イラでは空間認知特性者でしかない。C.E.のちょっと昔のA.C.でニュータイプは超能力者と暴露されたしなあ。
(私の中では、西暦、宇宙世紀ガンダムX、西暦(アベニールをさがして)、西暦(ガンダム00)、ガンダムSEEDガンダムWGガンダム∀ガンダムSDガンダムムシャジェネレーション、SDガンダムSDGF。ですかね。西暦は黒歴史の中でリフレインしているか、バイストン・ウェルの中で分岐しているか?)


そんで、黒歴史を封印する事で人々は争いを忘れる事が出来た。
しかし、黒歴史は開かれた。闘争本能だ!侍の世の春が来た!
それは月の社会から爪弾きにされたDQNと愛国右翼の集団であるギンガナム部隊の意趣返し、グエン卿の夢や、血族を殺されたものの個人的な恨みの集まり。だが、それは悪か?
切り裂いてでも世界に己を刻みたいと言う人間のマズロー的感情を否定して、生きていけるか?
ラクス・クラインリリーナ・ピースクラフトの語る絶対平和主義はそれには触れない。
だから、カトルはガンダムを太陽に捨てたり、やっぱりゴミ箱から掘り起こしたり、また捨てたり馬鹿なことをする。リリーナ・ドーリアン外務次官や謎の女ドロシー・カタロニアがテレビ中継のガンダムを出汁に民衆をアジったら民衆が立ち上がって絶対平和の民主主義(笑)。ガンダムチームやプリペンダーやストライクフリーダムの平和維持特殊部隊って、秘密警察だろ!
キラ・ヤマトもいつかは老害になる。
馬鹿!
民衆の中から殺意は自然に生まれるんだよ!
私は絶対平和主義が嫌いだ。少年少女が世界を革命できないからだ。青年が老いることが出来ないからだ。
ちなみに、私は性悪説でも性善説でもなく、縁があれば愛しもするし殺しもするだけかなーって思うので、デフォルトはそんなに気にしないかなー。
そんな因果の縁の中で生まれた闘争意欲や夢をどうするか?
道具や技術を捨てれば良いのか?
戦争の悲惨さを大衆に伝えれば良いのか?
それで人間の感情、無意識の底から心の裂け目を通って現世に出でようとするイドの怪物、植芝理一の言う所の「ちはやぶるあしきかみ」を消すことができるか?ニュータイプになれずに地球に残された愚民が!できるわきゃあああねえだろおおがあああああっ!
ちなみに、僕は「幸せになりたいと思うエゴがあるから悩むのだ、むしろ不幸に成れば良い」という大リーグボール的自暴自棄理論でイドの怪物を消そうとしたら、体を壊しました。イドの怪物とは地獄の中心に居るサタンのように自分の中心にいるものなのですが、核を失うと禁断の惑星は崩壊するんですな。いやー、身を持って痛感。神経痛がひどい。
ロラン・セアックもある意味、核兵器や∀というイドの怪物を背負っていた少年だったな。ロランも49話でとうとう壊れた。
旧世界の科学者が残した虚無やイドの怪物をナウシカが破壊して忘れさせて終わると言うラストが、僕はずっと不愉快でした。技術は正しく使えば人の役に立つというのが富野的理科少年の発想だし、小さい頃から萬画を捨てられたのび太だったので本を焼く人は大嫌いです。あと、エジプトのピラミッドのコンクリートは現代以上の技術だったけどどっかの神懸かりのアホどもがアレクサンドリア図書館を燃やしたせいで新幹線のトンネルのコンクリが剥がれて皆が迷惑する。唯物主義者も宗教家も、知識を無くすものは嫌いだ。自分が理解できなくとも、誰かが理解してくれるかもしれんではないか。


閑話休題
えーっと、だから、ターンエーガンダムのラストでは黒歴史の技術は封印されません。人は兵器を捨てません。なぜなら、感情を捨てると片輪になるからです。
では、なぜ最終回を迎えられたのか。
黒歴史をまた封印し忘れる繰り返しではなく、黒歴史を抱えたまま生きるわけです。

ただし、イドの怪物、自我の澱、穢れを背負った武士の王、人の知識の究極の暗黒面である二体の機械人形を内包した繭はロスト・マウンテンに立ち続ける。
繭とは容易に崩れるもの。
いくら埋めようとしても、目を背けても、ふとしたきっかけで冥府魔道。


えーっと、つまり何を言いたいのかというとこういう事です。
人間の中には真っ黒い破壊衝動があり、凡俗はそれを捨てる事はできません。えーっと、ここでの凡俗とは仏質に昇華されていないという仙術超攻殻ORION程度のオタクっぽい意味です。天道も所詮は六道のうちと言う事ですね。
そういうわけで、修羅道に落ちる人間や、修羅を引き受けるギンガナムのような英雄も生まれてしまいます。
だから、己の中の修羅と、祟り神になった人を、畏れ敬い宥め賺し(なだめすかし)、神として祀って、なんとか飲み込んで、禁忌のロストマウンテンに潜む怪物の繭を怖れながらも捨てずに生きていくしか無いのかも知れん。そして、荒ぶる気持ちを祭りで晴らしながら日々を送る。(だから、こういうブログでも癒しに成るんだよ?)
おお、なんか、俺、天皇制や靖国神社参拝や六ヶ所村原子力廃棄物処理を肯定するような事を書いてますね。
キングゲイナーの日の踊りや、迫水家の墓参りにも通じる物を感じますね。∀もお祭りから始まったのだから、ディアナの夢見る祭囃子で終わる。
いやー、富野も成長したなあ。イデオンの頃はイドの怪物のままに世界を徹底的に燃やし尽くしたのにねえ。いや、イデオンも好きなんですけどね。イデオンとソロシップも思いっきり鳥居と神社だし。
心理学的にも、トラウマを抑圧したりトラウマの原因となった事件を解決しようとするとしんどいので、トラウマを脇におきつつとりあえず社会生活が出来たらよしとします。医者に「俺にトラウマを負わせた因果に呪われてますねん」的な事を言うと「まあ、事実は変えられないし、性格も変えられないんだから別にいいんじゃないのー」って言われました。空中ブランコか。
ちなみに、壷を売る人に同じ事を言うと「因果を解消するには壷です」って言われます。魔封婆か。


そういうわけで、ターンエーガンダムは富野作品には珍しく、丁寧な後日談が名曲「月の繭」をバックに描かれます。(いや、幸せな王子とライディーンとザンボとダイターンとザブングルエルガイムは見てないけど^ー^)
おそらく、アメリア大陸の人々はかつてホワイトドールを祭ったように、ギンガナムの首塚と封印の白い巨神をまた祀り、祟り神の繭を破らぬように生きていくのだろう。
子供たちには「ケンカをするとギンガナムが来るよ!」「ホワイトドールターンXの体を押さえてくださってる」などと言うのだろう。そのようなメッセージをブルーノとヤコップの人形芝居と、出店で子供に綿飴を売るアナン少尉の終戦記念縁日の1シーンで読み取らせようとする富野演出マジパネエ圧縮です。10年わからんかった。
わかるか!ふざけてるの?大真面目だ!だから好きなんだっ!
(にしても、ブルーノとヤコップとケイサン・ダーカイはちゃっかりキエル・ハイムのディアナ・ソレル襲名会見で側近扱いワロタ。キエルの正体はテレビ版ではモロバレだろ。普通に二人でゲンガナム市民の前を歩いてたし)


富野作品は戦いが終わると、割とすぐに最終回も終わって、後日談はあまり無い。
だが、∀ガンダムでは後日談がある。これは戦いがまだ終わっていない事を示している。
機動戦士ガンダムSEEDカガリ・ユラ・アスハが叫んだ「生きることが戦いだ!」の具体例ですね。
キースがパン屋を再建したり、フランがテレビ局のキャスターになったり、ジョゼフが妻を見送って子供をオブって魚屋を経営したり、でも野望をやっぱり捨てなかったり、野望を持ってるグエンを馬鹿にしながらメリーベルが女の子らしくなってたり、飛行機を飛ばしたり・・・そう言う戦い方もあるんだ。そういう日常をやりながら、何とか狂ってしまわないように、人を殺さないように、月光蝶を羽化させぬように、戦争なんぞせんで済むように戦うんだねえ。
パン屋のキースはニュータイプ。あと、ドンキーの親方復活。サエグサすげえ!(序盤で重傷を追った人が最終回に出たときの慣用句)。レット隊の双子
これを菅野よう子作曲の奥井亜紀の歌の尺に合わせて富野、浅川、川瀬、富野のラインで構成するんだからねえ、もうねえ・・・。
しかし、そんな戦いが決して悲壮に見えずに、むしろ楽しく生きることが祟り神を祭る事にも成ると言うのが、あきまんキャラクターや演出の可愛さの功名だなー。絵も綺麗過ぎる。
正直、宮さんのファッションセンスは地味だよね・・・。まあ、地味だからキラキラしたオタク美少女よりは一般受けするんだろうねー。ロリなのに。
パヤオ作品のおしゃれって割と「虚飾」として描かれるよーな気がするー。良い子ほど地味。でもメシェーは華美ではないがオシャレだなー。
ナウシカの飛行服は土鬼の娘の晴れ着を仕立て直すとか、そう言うのがおしゃれなのかも知れんが。まあ、本稿ではもういいや。


http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100101/p1
シロクマの屑籠(汎適所属)“生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代”
と言う訳で、私が先にシロクマ先生を紹介した意味が分かっていただけたかと思う。

えーとつまり、どういうことかというと、ギム・ギンガナムが先祖からディアナを守る誇りを受け継いで、ディアナカウンターに交換可能の部品のように誇りを奪われて、グエンから自己責任のタブー破りを吹き込まれて、グエンも潰し、生き甲斐をただ自分で勝ち取りつづける戦いの修羅道に求め、人の道を外れる。
それを神として半ば強制的に祀る事で再び宗教的な意味付けのシステムに組み込んで怨念を払う。
と言う流れです。


ターンエーガンダムは特定の宗教を廃除して作っていると、富野監督は語り、ハリーは「南無三」のかわりに「ユニバース!」と叫んだのだが、「ホワイトドールの御加護の元に!」と最初から歌っているんだから、ガンダムが神だよなあ。
ゴッドガンダムだよなあ。Gガンダムも怨念払いの話だし。


シロクマ先生の問題提起の後、僕が疑問に思ったのは、
「自分の生き甲斐を見つけるのが困難なら、人に生き甲斐(死に甲斐)を与えればいいじゃないか?」
ということです。「与えよ、さらば与えられん」です。
∀では、それがディアナの勅令であったり、ホワイトドールの繭だったりする。


で、そのように人に与えるためにロランは前回のように自分を見失って「自分を捨てて戦える者には!」と叫びながら戦う必要がある。まさに、ホワイトドールの司祭。
しかし、自分を捨てた司祭の生き甲斐はどうするのだ?
それは次回。
つづく、のか?