玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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リーンの翼新装版3巻 第五章「オーラマシンのもとに」

まず、端的に言うと、泣けた。
各巻2段組み400ページが全4巻と言う超大作小説なのだ。ハリー・ポッター獣の奏者よりも字が小さい。
しかし、スピード感が尋常ではない。なにしろ、19歳の日本海軍特攻隊員の主人公・迫水真次郎が異世界に飛ばされて2年かけて国取りの勇者になり、地上に戻って第三の原子爆弾を粉砕して、その後また異世界に飛ばされて、この5章の終わりでは迫水46歳(迫水は昭和元年生まれ)くらいになり、一国の天皇征夷大将軍を兼ねたような男になる。
異世界なのに目安箱から始まって、年金制度まで作る迫水。超すごい。
すごいスピード感だ。富野編集すげえ…。異世界での経済と言うと、狼と香辛料シリーズが有名ですが、迫水がちょっと5ページくらいでやることで、十分1冊のライトノベルや1クールのアニメになりそうだ。
っていうか、普通に書いてたら北方謙三水滸伝くらいの分量になるのを、ガンガンに削りまくった痕跡が匂う。削って全1600ページ超え。なんだこれ。
かと言ってダイジェスト版でもないのは、迫水が人並みに幸せな家族を得て、そしてそれを、特に悲劇でもない出来事で失うという人間らしい営みなどの挿話があるのでやはり、芝居になっていて、泣けるのだ。
迫水が家族を得て、守るべき街を得て、そこに敵国の空中戦艦オーラ・バトルシップとバイオテクノロジーロボット戦闘機のオーラバトラー・ゼイントが攻めてきた時に、迫水は試作品のオーラバトラー・パジャマリアで奮戦し、遂にロボット戦闘の中でリーンの翼を再び顕現させる!
迫水TUEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!やっぱり聖戦士だ!
家族を守りながらも英雄として国をまとめて行くのは三国志的な面白さがありますなあ。それを異世界ファンタジーロボット小説と言うなんだかよくわからないジャンルでやる。
なのだが、英国紳士で日本人の迫水を差別していた公爵が爆撃にやられ、リーンの翼の光を見ながら成仏すると言うのは、とても王道に泣かせる展開です…。
「アジア人の迫水君を差別する」とはっきり言っていた公爵が亡くなる前に迫水の「豊穣の国」理論に賛同してくれたというのも、オタクっぽい言い方をすればツンデレだ。しかも、それが大英帝国の植民地支配に対して「所詮、植民地はよその土地だ。ゆるやかな理念を国民に共有させねばな」という公爵の意見にも絡んでいて、人間的でありながら広い視点である。
公爵の最後の言葉が「私は、人種差別で異世界の女を抱かなかったわけではない。これでようやく妻の居るエジンバラに帰れる」と言うのが、またツンデレすぎて泣かせる。最近の美少女ツンデレは最初っから「この子はツンデレです」って紹介されていて、全く面白くないが、老いた紳士のツンデレはとても味わい深い…。
東方不敗マスター・アジアとか。ガノタとして訓練されたらガンダムWガンダムSEEDの美少年よりも富野ガンダムGガンダムの野郎どもの方が萌えますね。ドモンがネオロシアに投獄されて拷問される話とか最高過ぎる。
 
 
そして、迫水が王になっていくにつれて、地上人のグループ達もそれぞれに年齢を重ねて国の要職に就く。
彼らも地上に戻りたいという一念で頑張っているのだが、冷静で歴史にも詳しい蓼科中尉であっても戦艦武蔵を建造した時の地上での趣味や生き様をバイストン・ウェルという異世界で、もう一花咲かせようと軍艦建造や、軍艦を模した城塞建造というエゴによる行動を見せてしまう。
バイストン・ウェルのホウジョウ国の軍事態勢も戦艦建造の地上人グループと船作りの部族メッサラ族の派閥と、オーラバトラー学者の地上人に従う強獣狩り部族のオルッメオ族の派閥が、旧日本軍の群内派閥をなぞるようになってしまう。
しかし、それも聖戦士の名の元にホウジョウ国をまとめ、発展させるエネルギーになってしまえば、利用してしまうしかない。
結果、平和を願う迫水の思惑とは違って、軍事編重国家に見えるようになってしまう。
太平洋戦争の敗戦を知り、自らの剣で闘い再興させたシッキェの国に空爆を受ける立場になり、戦争が嫌になっている迫水でも、いつの間にか太平洋戦争中の天皇のように、周りの意見のとりあえずの要と言う責任者になってしまう。
全体主義と言うのはこういうことだろうか?
5章の段階では、まだ迫水は冷静な統治者であり、周りの地上人やコモン人の各部族族長や賢者集団バランモンの意見に耳を傾ける誠実な人間であろうと努めている。
それぞれの国民も平穏な暮らしを望んでいるし、地上人も地上に帰りたいと言う気持ちはありつつ、バイストン・ウェルでそれなりの幸せな家庭を作り、各部族長も悪意はなく民族の共存共栄を望んでいる。哲学者のバランモンや官僚たちが国の税金を食いつぶすと懸念する場面もないのではないが、彼らも国政と国民の間の橋渡しを運営する人々なのだから必要だ、と言う事も書いてある。
色々な思想を富野由悠季が取り入れているが、衒学趣味や蘊蓄披歴ではなく、それら人々の意思の流れの物語として昇華されているのだ。
だから、政治的に何が正しいか、というよりは、迫水がだんだん疲れて行っているのだろうな…。という感慨になる。
 
 
そして、東京オリンピック後の東京から学生運動に巻き込まれた事故でバイストン・ウェルに落ちた男から戦後20年の日本の復興を聞かされ、太平洋戦争当時の熱狂を高度経済成長と言う事で再び繰り返している日本人の性質を感じる。が、それと同じような事を彼は異世界で行っているかもしれないのだ。
これは、明文化されない暗い影を落とす。
 
 
それから、富野監督自身の人生での出来事を俯瞰するようでもあるなあ。学生運動とか、赤塚不二夫の話とか。 
 
 
 
あと、私の感想も全然本文の一部だから!本当に深い小説です。