玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

リーンの翼新装版4巻 第十一章「地上人のオーラ力」

とりあえず、
http://b.hatena.ne.jp/nuryouguda/20101104?with_favorites=1
とか、
http://www11.ocn.ne.jp/~garamani/rean-wings.mokuji.html
良い感想です。
僕は小説中心で、今回こそは、軽く書く。
id:garamaniガラマニさんが注目しているインテリアや自然描写は小説版でも割と共通している。
大体、迫水家の事情や、エイサップと迫水の対比といった話題は前回書いた通り。
まず、

反乱軍の三人娘がかわいい。
オテンバ少女パイロットのキキ・アーテル(渡辺明乃)。
眼鏡っ子で細かいことにも気がつくオーラバトラー飼育係のセレ、
同じく飼育係で女の勘でセレと違った感覚でオーラバトラーの体調を感じ取る、体型も性格も大らかな巨乳のクロト。
彼女達は、アマルガンの反乱軍の中では若い娘たちだが3人セットなら大人と同じくらいの働きができるっていう事でつるんでる。
そんで、アマルガンが捕虜にしてきたホウジョウ国のリュクス姫は反乱軍の男や小母さんにハブられてたけど、リュクスを監視してる間に、若い娘同士の気安さでリュクスが仲間になるんじゃないかなって思っていつの間にか仲良くなって、リーンの翼の靴を取り換えっこ遊びしたりしてキャッキャウフフする。かわいい。
ヘベはちょっと年増…。
エレボスもかわいいな。
「あんたたちはすぐにあたしを捨てるからさ!」とか、さっそく反乱軍の宿営地でナンパされてる。
姫と格闘少女と眼鏡娘と巨乳と堀江由衣ロリツインテール妖精ってエロゲー的萌えキャラ配置。隙がないなー。
しかも、ギャルゲーの攻略用ヒロインになっても大丈夫なように、反乱軍の少女たちはホウジョウ国の強制労働で親兄弟を無くしてるっていう、オタク好みの可哀そう属性もついてる。それでもけなげに頑張ってて可愛いじゃないですか。デザインはokamaだし。
リュクスも親父がアレっていう主に属性があるし、エレボスも娼婦だって差別されてるロリ妖精で、しかも実年齢は60歳くらいっていうロリババァ属性で堀江由衣声ですからねー。隙がないなあ。

  • リュクスの純情が可愛い。

アニメではリュクスが「私は(リーンの翼の)仲介者です」ってサラっと言ったが小説だと「あなたはリーンの翼とエイサップ殿を結ぶ仲介者」だとアマルガンに言われて初めてエイサップを異性だと意識するリュクス姫がすごく姫。姫だから、それまではエイサップを空を飛ぶ道具とかにして、馬乗りに成ったりオーラバトラーでタンデムして体を触らせても異性として全然意識しないくらい高貴だが、エイサップと不思議な絆があるって指摘された途端に、急に喜んで頬を赤らめたり、可愛い。萌える。特別なつながりってのに弱いのか。女の子らしいな。女は運命に弱い。
アニメでは、そこら辺の喜ぶ表情の変化が0.4秒くらいしか作画されてなかった。富野コンテ、細かすぎて演技の意図が伝わらない……。


あと、リーンの翼は父親の靴でもあるんだから、ファザコンもちょっと入ってる。
エイサップも最初はリュクスに欲情してなかったけど、前の章の戦いの中で、リュクスを守るべき女として意識し始めたからこそ逃がしたって小説で追加されてる。
フラグの立った瞬間が明確に成ってるなあ。文字だし。アニメだと、エイサップが嵐の壁に飛び込む時の「これが、君の世界なら」なのかなー。
で、この章の最後でのエイサップがリュクスをさがし、リュクスがエイサップをさがす同様の二つの事象が反乱軍とホウジョウ軍が会敵して戦端が開くと言うドラマになる。
鏡映しだなー。

  • アマルガン・ルドル老人の可愛さ

無頼のアマルガンの姫に対する可愛さが、アマルガンの寂しさ。子供は作ってきたが、流浪の勇者だったので子供に迎えてもらえなかった。
そう言うのがさびしいから、ミストガウル族のミゲル・イッツモ(アニメではミガル・イッツモ)のような中年やキキ達のような娘たちと反乱軍を組織して構ってもらいたいっていう。
前編からも少しあったが、アマルガンって鋭利な刃の勇者だが、どこか脆さがあったよな。迫水と親友に成ったり、女武者カレンと寝たり。でも、自分から親友や愛人を捨てるような侍のハードボイルドぶった愚かしさもあったよなあ。
それに反省して、老境に至って、リュクスに優しく語りかけるような好々爺っぽさになってたりもするのだから人生を感じるな…。爺萌え。富野のサンライズの若いスタッフに対する感情も反映されてる。

  • リュクスとアマルガンの議論。

これは、富野小説に良くある若者と老人の政談って感じだな。一番すごいのは機動戦士Vガンダムでのウッソと伯爵の対談だが。
そこで、アマルガンはリュクスにホウジョウ国の機械主義こそが、バイストン・ウェルの部族主義やコドール個人が地上を見たいと言う好奇心よりも悪いと語る。が、機械主義は好奇心から生まれて新取の気鋭と言う良きものにもなるから難しい、と、アマルガンも老人らしい禅問答を言う。ダンバインで単純にオーラマシンを悪と断じたのから、考察が深まっているな。
また、リュクスをオーラバトラーのギム・ゲネンに乗せる練習をさせながら、迫水真次郎とリーンの翼リンレイ・メラディとの昔話を語ったり。ここでのアマルガンがリュクスに対して言葉を選ぶのが、老人の気遣いや恥や迫水に対する友情とかを感じていいなあ。
そのなかで、アマルガンは結局、「機械主義は迫水王一人の物ではなく、世界の意思が迫水を押し上げてやらせているのではないか。迫水はそう言う勇者だ」って半ば認めるような結論をリュクスに語る。
バイストン・ウェルは生きている世界だから、生々しい…。前編のラストでは、バイストン・ウェルは「核兵器は人を殺しすぎ、世界を歪める」と言って迫水に原子爆弾を阻止させたが、その後70年を経っても地上の機械的な文明の想念は増大し、核兵器や環境汚染と人口増加が世界(魂を生む場である地球と人類)そのものを崩壊させる事態となった。ならばバイストン・ウェルは、あえて迫水を機械人形王国の王者として対抗させていると言う事か。バイストン・ウェルもローマクラブの「成長の限界」の想念を取り込んだのか。
これは、アニメ版でのアマルガンによる迫水評の「故郷に戻りたいと言う一心のみでのホウジョウ建国」より、更に広い視野になっているな。
小説版はさすがに後出しじゃんけんなので、論点が広い。描写の制限も少ないし。
それでいて、故郷に戻りたいと言う迫水の心境も描かれている。それには異境で死んだ蓼科中尉達との友情もあるし、バイストン・ウェルという不思議な世界を不思議なままにしておきたくないと言う迫水の近代的思考もある。「世界を歪める悪の権化」っていうアニメ迫水よりはかなり変わってるな。
まー、前編の主人公だし、迫水の優しさは後編の端々にもある。


あー、なんか、論が逸れたな…。

  • 迫水真次郎の理念

アニメのリュクスとアマルガンの議論で一番気になったのはリュクスの「父は『アメリカ国は鬼畜生だ』と常々申しておりました。そのような妄執に父は捕らわれております」というもの。
なにしろ、小説前編の迫水はアメリカ国への恨みだけでなく、大日本帝国までも異世界から俯瞰して考えなおす事が出来る勇者になったし、新装版3巻ではアメリカ出身の地上人とも協力して異世界で国おこしをしたんだもんなあ。
一応、小説でもリュクスの「父はアメリカ国は鬼畜生だと〜」は残っている。ただし、それに対するアマルガン・ルドルの受け方がアニメの「迫水は妄執に捕らわれた」との言い方とは違っている。
小説では「迫水のアメリカへの恨みはリンレイとの出会いや国おこしで癒されたでしょう。ただ、若いころの私がそれを邪魔してしまったり、世界の意思が迫水を押し上げた面もありますな」と言う風な意味の事を言う。
そう言う多面的な考え方は、リュクスのような若い娘には少し難しい。
「アメリカ国は鬼畜生」と言うのは、ベトナム戦争湾岸戦争同時多発テロからの21世紀戦争による戦死が原因でバイストン・ウェルに来た地上人から聞き知って、改めて考えたことかもしれん。
もしかすると、アメリカ合衆国にテロを仕掛けるロウリィやエメリス・マキャベルとの写像や共鳴かもしれん。
そういう世界のシンクロニシティとしての人物配置と言うのはオペラ的であるな。

  • ヒップ・クレネ城での議論と地上界との交信による重奏

台詞の順番や、話し手と聞き手を入れ替えることで、ウラク(海楽)と田中の海上自衛隊隊員としての矜持と、ロウリィと金本の若い血気と小賢しさが、分けられて強化されてる。
金本が「オーラバトラーでIT技術にカウンターだ」って言うのが「小賢しいのだ」と描かれてる所、ロウリィの勇猛ぶった言葉がコミックの借り物だと地の文で評される所など。
しかし、ロウリィはオーラバトラーを見ただけで、「これは生体工学ですね」って言える勘の良さ、センスもある。というわけで、ロウリィや金本は小物っぽい部分もあるが、大学生にしてはテロを実行するくらい鋭い所
もあるんで、評価しにくい。

また、バイストン・ウェルのホウジョウの地上界侵攻に加担する日本の大学生テロリストのロウリィと金本の理知的な暴力性と危険な鋭利さが、地上界で日本や各国首都への核攻撃を画策するアメリカ第七艦隊を母体としたパパブッシュ艦隊のエメリス・マキャベル司令と岩国基地司令アレックス・ゴレム(主人公エイサップ鈴木の父)の陰謀と似通っているのも面白い。
世代の差、国家の差、身分の差、スケールの差が歴然としているのに、攻撃的粛清思想やコンビとしての関係性が似ている。
エメリスの急進的で暴力的な核兵器による人類削減思想に、アレックスは冷静かつ現場的なアドバイスを加える参謀と言ったところか。ロウリィと金本のやってる事の拡大版。
あと、エメリスはすごく太ってるから軍艦のエレベーターではアレックスと密着するんだけど、エメリス将軍はアレックス司令にウィンクをしたりする。親父ホモい。ロウリィと金本もホモい。
それが、ホウジョウ国から地上に残されたレンザンの司令官とパブッシュのエメリス&アレックスの会見でも対比になっている。肥満体の艦隊司令のガルン・デルと精悍な艦長のオイジ・ヤスがエメリス&アレックスと対照的で「どこでも人の役割は同じように成る」と明記してある。
人物関係が部分相似の集まりで、フラクタル的なのだな。
あんまり目立たなかったけど、海楽がアニメ版よりも冷静な自衛官になってる。海上自衛隊初の実戦を現代人の社会人の冷めた目で観察するのがカッコイイ。で、海楽機長と田中副長と、その自衛隊飛行艇US-1に同乗したホウジョウ国の機銃兵も、リーダーと参謀と部下って言う小さなフラクタル構造部品になってる。


  • 前編のヘテーラとコドールの相似

コドール・サコミズはガダバのゴゾ・ドウの愛妾のヘテーラ・モッスラに似てるかも。女は男を使って国を作りたいと言う。コドールはそれよりも直接的な女か。
ダンバインのルーザ・ルフトのような部分も取り込んでるなあ。でも、コドール・ハッサは小説では生まれてから幼女時代や大学院生の独身時代とかも好奇心旺盛でかわいらしく描かれているので、単純な悪人ではない。
前編に出たヘテーラの旋律を、ここでさりげなく変奏している。


コドールは異世界の懸け橋となろうとする迫水を愛している。が、同じ部族のコットウとも通じて、迫水を利用して地上世界をも自分の国にしたいようと言う部分もある。
コドール一派の迫水王打倒の計略は進んでいるのだが、コドール自身は王を愛していて寄り添って地上界の飛行機を、まるで睦み合うように見たりもする。
対抗氏族のメッサラ族への反感か?間男のコットウ・ヒンがコドールの気を惹くために勝手に迫水打倒をオルッメオ族内で進めてるのか?
茶会で、コドールがエイサップに怒った流れで、地上人と地上の戦争について議論している時、迫水真次郎は桜花を愛で、いつの間にか鈴木君と二人でバイストン・ウェルの意思や婿候補としての話をしたりしている。
そのように、迫水が地上とか異世界とか遠くを見ているのが、嫁としてはさびしいのかなー。90歳近くの長老王で40代の若さを持つ聖戦士だからなあ。引け目はあるか。しかし、若き日のコドールは迫水のそういうマレビト的な所に、新世界の息吹を感じて愛したのだから、難しいよな。それで、幼馴染のコットウと不倫をずるずるとしてたりする。
コドールはどこか底の方が浮気症で、女でも国を作ってみたいっていう旋律をヘテーラより強化したフレーズなのだろうか。

バイストン・ウェルと地上世界の鏡映しだけでなく、個々の人間関係も自己相似の渦のように見える。異質なもの同士でありながら、部分では共通項をも持って存在しているんだな。
それは迫水がエイサップに語る「異質な物の組み合わせである混血の君は、自分が危険な物だと思うのか?」というバイストン・ウェル物語らしいテーマに繋がっていく。
そして、迫水は「地上とバイストン・ウェルの行き来が不思議なものであるままにしておきたくないのだから、フガクを建造したのである」という科学技術立国でホウジョウを打ちたてた国王らしい意見を述べる。
松下幸之助みたいな迫水だなー。



前回、アニメ版第2話、新装版4巻十章の感想で、私は「バイストン・ウェルは人々の想念で出来たファンタジー世界で、テレパシーが混ざり合っている。そして、文章自体の視点も一段落ごと、酷い場合では一文の中でも変転する。様々な人の思いが星のように溶け合いながら全体を形成する銀河のような小説だ」と書いた。
が、その銀河も銀河団を形成し、銀河団は超銀河団を……と言う風に部分は全体の相似と言う感じで響き合っているのが、リーンの翼という小説の奥深いところだなあ。
むしろ、これはアニメや小説や文章と言うよりは、音楽的な作品として楽しむ物かもしれん。
また、変奏曲はモーツァルトやベートヴェンが得意としたように、他人の曲の旋律をパクって膨らませると言う物でもある。まあ、今のニコニコ動画みたいな感じ。
んで、富野由悠季は実際に取材して人とあったり本を読んだりして、色々とパクっているので、そう言う他者の発想という命の旋律もこの小説に投入されておる。
これは、色んなアニメやサブカルチャーを取り込んだ交響詩篇エウレカセブン以上の交響組曲になってますねー。


「地上人のオーラ力」というサブタイトルは、単純にロウリィと金本とエイサップがオーラバトラーで初出撃するっていうだけじゃなくて、そういう人々の底にある胆力や和音と言った物を意味しているかもしれん。

で、オーラバトラーナナジンはロボットでありながら、オーラに満たされた世界で作られたフランケンシュタインの怪物的な生体メカで、謎の力を持っている。
ホウジョウ軍、ロウリィと金本たちが、パブッシュの交信に端を発して戦争の話で盛り上がる。その時、はしゃぐ人々に対して、エイサップは辟易して話の輪から逃げようとした。そのとき、ナナジンは「それでいいのか」というような無言で問いただすオーラ波動をエイサップに投げかけてきた。
すっごいガンダムぽい。ガンダムも一話のアムロに対して「私に乗ってくれ」って言う風に腹を開いていたし。こういう、メカと人の謎の繋がりはライディーンから続くトミノらしさだな。
あ、海のトリトンオリハルコンの剣もトリトンの精神力と繋がっていたな。
それについて、先日事故死した西崎義展プロデューサーは

また、トリトンのふるうオリハルコンの剣は、トリトンの思想の表現です。

精神力がトリトンの中で充実して、初めてこの不思議な剣は威力を発揮するのです。

私はここに、人間の生きる力、強い精神の原点を描きたかったのです。

そして、このテーマは、これからも私の作品の中に、脈々と生き続けていくと思います。

と、海のトリトンロマンアルバムで語ってましたね。西崎プロデューサーの中で、それはヤマトみたいな特攻精神になって行って、富野の中では「精神力を吸い、体も犯す核兵器のメタファー」という風に成ってた。で、富野は核兵器を厳然と道具として扱う作品も有り、同時に道具と人間の精神的主従関係の変転関係についても考えているよな。
リーンの翼の靴も元々はただの靴だったのが迫水に反応して化けたので、ナナジンもエイサップに反応して何かに化けたのかもしれん。
同時に、道具の強大な力が前提となって行動が狭まってしまうというのも、迫水が靴を盗まれたエピソードで語られたりもする。
まあ、それはそれとして。


それで、エイサップはナナジンからの謎のメッセージもあったりして、オーラバトラーの操手になることを承諾するわけだ。ロウリィと金本は珍しいオーラバトラーという兵器を与えられて、地上で途中だったテロ計画の延長で地上に進攻しようと言う風にはしゃいでるし、自衛隊の二人は異世界で食っていくためなら囮作戦だとわかっていてもこなすっていう大人な割り切りで戦場に出る。
エイサップだけは、「世界の意思」を聞いたのが戦う理由になっている。それは迫水王と共通してもいる。
もちろん、エイサップの戦う理由には、リュクスに会いたいという気持ちもあるのだが、その点で、リュクスをホウジョウの城に連れ戻した後の事は「エイサップに考える力はないのだ」と地の文で酷い評論をされるくらいのノープランぶり。エイサップ君は「バイストン・ウェルに任せよう」という受け身主人公だなー。
逆に、迫水真次郎は敵のアマルガンをして「常に、今も、未来と戦って切り開く男」と言われている。それで、迫水はリュクスの事も考えている。
リュクスがコドール派の手の者につかまって一方的な裁判によって処刑されたり、反乱軍との戦闘の中で誤爆という形で殺されないかという想定を持った上で、エイサップ君に「コドールには内密に、君にはリュクスを探してほしい」と知恵を授けたりする。親父さりげなく積極的でかっこいいな。さりげなさ過ぎてアニメでは分からんな。
二人の聖戦士は世界の意思を聞きながら、その対処の仕方が違いますなあ。
それは前回述べた女性関係に対する一徹な迫水と、しなやかな鈴木って言う対比でもある。
同曲異口というか、本当に、音楽的だ。


  • エイサップ&リュクスと迫水&リンレイの対比

前述のように、エイサップとリュクスは別々の場所で、互いへの好意を確認したわけですな。
それで、違うきっかけで、同じようにオーラバトラーに乗る決意をして会いに行くことにした。
そんな二人が戦場の混乱の中で巡り合うのは、エイサップの観察力の良さもあり、世界の旋律の意思でもある。オペラのお芝居なんだから!
だから、アニメの3話での「父のやり方を認めたわけではないのね?」「リュクスに会いたかったから」っていうラブストーリーの段取り的な会話はなくても良いのです。
ただ、ナナジンと青いギム・ゲネンの二機のオーラバトラーが抱き合い、獣のように体温と羽の振動を伝えあうだけで、思いは伝わるし、若い二人の旋律は一瞬で美しい合唱になるでっす。
分かり合った二人には、もう、「分かり合った」という地の文の説明も不要!
手を取り合った二機のオーラバトラーは飛翔し、ホウジョウ軍と反乱軍の空戦の中心で、戦闘状況をニュータイプ的に把握する。
二つの勢力の中にいた二人の若者が、陰陽を和合させるかのように飛ぶ!
で、正にホウジョウ軍の武者カスミと金本がアマルガンの機体を拘束し、ロウリィが討ちとろうとした時に、リュクスの機体の手を引いたままのナナジンがロウリィのシンデンの左腕を切り落とす!
「エイサップ!てめえ!」
「殺生をする道具じゃない!」
アニメーション版から大きく変わってエイサップ君がカッコよくなってますねー!
うーん。陰陽のどちらかが勝つのではなく、合をアウフヘーベンさせるのが一番気持ちいいって富野は常々言ってるけど(出典忘れた。イスタンブールだっけ?)、そんな感じのカッコよさがあるよなー!
OVA版ではアマルガンはロウリィと金本の突進を押しのけたけど、その隙をついたカスミとムラッサの波状斬撃で捕縛されただけ。エイサップはリュクスと会っただけ。二つの場面は分かれている。
小説ではそれをまた一歩アレンジして二つの場面を合体させて新しい見せ場を生み出してる。ほんと、富野は演出家だ。
アムロを小説版Zガンダムで生き返らせたよな強引さを持ってるからな。富野は。だが、オーラが生きている世界であるバイストン・ウェルでは偶然というものは発生しない。それは富野自身も「都合のいい舞台を生み出せた」って言ってるし、聖戦士として七〇年くらい生きてきた迫水も実感していて、偶然ではなくエイサップ・鈴木とリュクス・サコミズのオーラ力が互いに引き合ったのだと判る。



同時に、これは迫水と鈴木の対比の旋律にもなっている。
迫水真次郎が前編で、親友のアマルガン・ルドルと恋人のリンレイ・メラディの政治的な対立を予感しながらも、政治家としては受け身で、ノープランで武者に徹して戦争だけをしてたために、敵国を滅ぼした瞬間にアマルガンに造反されて殺されかけた。
鈴木はアニメ版でも最後はロウリィと切り合うが、小説では既にこの時点で親友(の乗ってるロボット)を自ら斬って事を収めようとする判断力と、友人に対する毅然とした態度はあるということになる。
それか、迫水はリンレイに助けられる足し算の関係だが、エイサップはリュクスと協力して二人で違う体験を伝えあって、さらに高めようとする掛け算の関係だ、っていう男女関係の対比にもなるな。
いやー、意外に小説版のエイサップ君は底上げされてますねー。さて、後半はどうなるんでしょうか。(速読で読み終わったのが夏ころだったので、いまいちうろ覚え)
富野作品はこういう風にブログで自分用に思考を補助していかないとわからんって部分と、それで判ると面白いって部分があるねえ。

  • 迫水の闇?

リュクスをコドール派から助けようという迫水の優しさはあったのだが、リュクスがアマルガンの反乱軍で製造されたオーラバトラーのギム・ゲネンに乗っていた事で、リュクスがアマルガンに思想を吹きこまれたんじゃないかって言う風に、11章の最後で迫水には暗い心の軋轢が芽生えた。家族の問題に入りこまれたって言うお父ちゃんの肉親的感情が出る。
いや、この二人はもう、70年前から愛憎が渦巻いている80代の大親友で宿敵というどうしようもない男同士だからな。恋人を殺されたり、自分が殺されかけたり無茶苦茶。
そのわりにリュクスは一時滞在していたアマルガンにおしめを変えてもらったりもしたのだから、もうねえ・・・。
そんで、次章で、アマルガンを拷問し、偽の和平交渉でアマルガンの反乱軍に卑怯な奇襲を仕掛けて、その大量殺人と憎悪のエネルギーでオーラロードを開こうとするきっかけに。
もちろん、鈴木君たちへの期待とか、蓼科中尉達への気持ち、地上を糾したいという正義、想念が汚染されたバイストン・ウェルを救いたい勇者の心、それから個人としての望郷の念もある。
もう、迫水王の心に渦巻く魂の旋律が深すぎてたまらん。
読者的にも19歳のガキの頃から知ってる爺だからなー。三国志か。
誰か、京劇かコンテンポラリーダンスか能学にしないかな。
富野幸緒さんとか…。

  • 余談

しかし、前編でのシッキェ建国に関わった迫水の仲間が、アマルガン以外に出てこないのは、ちょっとさびしいかな。まあ、数十年たっているんだけど。死んでるだろうけど。
3巻でのシッキェとの戦争でもシッキェは官僚国家で、顔の見えない異国って言う扱いだったからなー。アンマやダーナの子孫が出てこないんだなー。
新装版ではリンレイ・メラディのサンダルはリーンの翼をはっきりとは出さなかったんだよなあー。シッキェにも別のリーンの翼があったら、さらに話がややこしくなったんだろうけど。それをOVA版のリーンの翼と混ぜてやったら収拾がつかないよなあ。