玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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二千年代の創造神富野 V章 解釈したい富野由悠季

2010年の夏のコミックマーケットに出た批評同人誌アニメルカvol2に載せました。
アニメルカ公式ブログ 『アニメルカ vol.2』目次
あと、アニメルカオフィシャルサイトもできた。おめでとう。id:ill_critiqueさん。
http://animerca.net/
ハートキャッチプリキュア!っぽくて絵がかわいいね!


アニメルカエントリを書くのは、時間と体力が中途半端で書く事がない時です。
ちなみに夏コミでは5冊くらい批評同人誌を買いましたけど、アニメルカしか読んでません。な、何てやる気がないんだ・・・。
小説も新書も読んでない。あははははは。とりあえず20周年だからF91を読むぜ!カロッゾだいすき。


二〇〇〇年代の創造神、富野由悠季のアニメる力・目次 - 玖足手帖-アニメ&創作-

では以下。この章はつなぎだから短いな。




 前項に対する反論であり、第II項での芸能論の反復である。富野作品が解釈しにくい構造なら、なぜ考える? なぜそっとしておけないんだ? それは簡単なことで、作品がおもしろいからだ。(完)



 これで終わるのは、いくらなんでも酷すぎるので「なぜ面白いのか?」と考えてみよう。これもまた簡単で、富野作品には人間の真実に近い物が描かれているからだ。
 人は基本的に人に一番興味を持つ。自分が人だからな。そして、同じ種類の人にも興味を持ち関わって生活している。つまり、就職活動などでも多くいわれるコミュニケーション能力。これは富野作品では、ニュータイプとかオーラ力のテレパシーといった超能力だけの話ではなく、日常シーンに描かれている物だ。
 富野作品でのコミュニケーションにおける人間らしさは非常に多くあるが、今思いついたので、「人が嘘をつく」というものを取り上げる。『平気でうそをつく人たち』というベストセラーを「黒歴史」という作品の世界観に盛り込んだ『∀ガンダム』以前から富野作品のキャラクターは嘘吐きだ。


 嘘には、他人につく客観的な嘘と、自分に向ける主観的な嘘(誤解)がある。
 『機動戦士ガンダム』の客観的な嘘では、ランバ・ラルに補給を与えないマ・クベが有名。すごいのはシャアがキシリア・ザビを前にして「震えが止まりません」と言っている場面。絵コンテでは「シャアは震えていないのに嘘をついている」と書いてあり、そんな細かい震えは、作画で表現されない。シャアに作画では真意が伝わらないセリフを言わせ、キシリアにも観客にもウソをつき、観客には「なんだか変な感じ」を与えるという多重にねじれた演出だ。この「なんだか変な感じ」が現実と言う物の解釈し難さに繋がり、リアルを連想させる芝居になる。

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 主観的な嘘では、アムロの母が「ジオンの兵士を震えて撃ったアムロ」の事実を「軍人らしく狙い撃ちにした」と回想シーンで記憶違いするなど。これも観客に「これは嘘ですよ」と明示しない。
 逆に明文化した小説『密会 アムロララァ』(角川書店、一九九九年)ではララァとテレパシーで通じあった中でもアムロは「ああ、言葉にすれば意味が違ってしまう」と悲しむ。ニュータイプでさえ、自分の心も自由にできない。

 だが、虚構としてはありえないが、現実ではこういうタヌキ芝居や勘違いはみんなしてますよね?富野セリフと呼ばれる「会話が成立しないのに好き勝手に言い合う」とか「言いかけてやめる」などもよくやる。芝居の演出やテレビアニメの時間に合わせる省略であると同時に「人間なんだから、齟齬が在って当たり前でしょ」という自然主義でアニメのセオリーを破る部分も存在する。このリアルさが、設定書やあらすじを読み上げる台詞を使う作品と一線を画すところである。
 フィクションという嘘の中の人たちなのに、現実の人のように嘘をつく。フィクションなのに現実と同じくハッキリしないという、ねじれた真実が提示され、私はそれを解釈したい欲求に駆られる。現実に対するように。
 そしてその嘘の中に自分のパーソナルリアリティに似た、人間の真実の欠片を見つけると、鏡を見るかのように凝視する欲求に駆られる。同時に、自分の価値観と作中の登場人物との価値観や世界への見方におけるズレの違和感も強調される。
 この、自分と言うものと、他人と言うもの、そしてその間に有るコミュニケーションという、人間について回るものを本能的に刺激するのが富野作品であり、また、芸能と言うものだ。
 だから、前項で解釈がしにくい富野作品であっても、解釈をしたいという欲求を産みだす。
 そういう本能に訴えかけるのだ。