玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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STAR DRIVER 輝きのタクト総評 おもしろかった

「僕たちのアプリポワゼ」終わりましたね。
そろそろスタドラファンの人の感想が出尽くしただろうから、外様の私も書いてみる。
いや、しかし、良い勢いで泣けちゃいましたよ。3回くらい最終回を見たけど。

そこら辺のお芝居としての割り切りは1期の魚ちゃん編や23話の神話前夜などのお芝居や、24話の「片づけるまでが舞台ですよ」という校長の言葉にも表れてる。
と、言う訳で、物語としては色々と語り足りない所はあるのだが、舞台や芸能、というかショーという体で見ると非常に面白かったので、それで僕は良いと思う。
正直、マンネリ化したロボットアクションと学園ドラマがうまくかみ合わなくて、なんだかかったるかった中だるみ期もあったんだが、1話のインパクトと、20話過ぎからラストまでの疾走感は非常にレビューという感じで楽しかった。お芝居って言うのは、ショーで切り取られた時間だけ観客の僕を興奮させて騙して嘘をついて楽しませてくれたらそれで良いし、それには十分な作品でした。銀河美少年綺羅星十字団、特にキングやヘッドの衣装のレビューっぽさを見た目で主張した服装や零時間と言う舞台装置もショーでした。
ショーだから多少唐突でも良いかなーと。
最終回も絵画芸術でありながら、音楽や効果音の間も駆使した時間芸術として、ヘッドのシンパシー打破→ザメク解放→ザメク封印の各場面の間にちょっとタメを入れて視聴者の期待感や不安をあおってから、豪快銀河ラストホーミングレーザーアクションで盛り上げつつ、同時にアゲマキワコの後日談語りを載せて切なさも炊きつけて、壮大な宇宙の空を見るツナシ・タクトとシンドウ・スガタの美少年二人と、宇宙で朽ちたロボットというすごいラストカットを「これからももっとすごい空を何度でも見るさ」「人生と言う冒険は続く」というこれまで繰り返されて力を持ったテーマ的セリフで、強引にギロチンの如く緞帳を落として終わる。芝居としては最高潮の所でいきなり暗転終了と言う、すごい強引かつ颯爽とした幕引きで、僕は好きだな。

STAR DRIVER 輝きのタクト(1) (ヤングガンガンコミックス)

STAR DRIVER 輝きのタクト(1) (ヤングガンガンコミックス)

  • 語られなかった謎

宇宙人エントロピープルのエンドウ・サリナ演劇部部長や、ミセス・ワタナベの旦那などの外社会の大人組織や、その他のサイバディの過去と宇宙の知的生物たちとの関係などの謎はほとんど謎のまま?
だけど、前述の童話や芝居の断片を通じて、確定した事実はわからなくても、芝居の雰囲気やサイバディやスタードライバー達の物語的な立ち位置の臭いはわかる。
「これはタクト達の青春の一ページを切り取ったお芝居です」っていう雰囲気を醸し出していて、「人生と言う冒険は続く」でカメラだけを止めた感じの映画なので、まあ、良いんじゃないかな、と思う。
魔法少女まどか☆マギカ暁美ほむらがヤクザや自衛隊や米軍を便利な武器庫扱いしてるのは好きじゃなかったけど、ミセスワタナベとその旦那の繋がりや島民への配慮をちらっと感じられるカットを入れるだけで、世界観をそれなりに軽視はしてないという事がわかって許せた。ちゃんとキャラの掘り下げにもなってるし。
(もちろん、イデオンなどの兵站を通じて宇宙、彼岸、未来レベルで広い人間関係を描きたがる富野作品に比べたら全然薄いんだけど、富野が人類全体を描こうとするのに対して、輝きのタクトは輝くタクト達銀河美少年の青春を描こうとしていたという判断基準は明確だし、その様に判断をした上での描写なら交換は持てる。無思慮な作品は嫌いだけど)


しかし、エンドウ・サリナ部長は宇宙人だけど、それに対して学園長が「私は面白い芝居を描く彼女の将来にも期待をしています」って言ってたのが結構好き。
太古に地球に来た宇宙人に対しても「将来」と言う事が出来る世界観のおおらかさは良いと思う。
学園長が宇宙人の将来を知らないから勘違いしてるだけ、と言う冷笑的な見方もできるが、学園長は24話での食堂のシーンで学生の事を熟知していると臭わせてるし、演劇部の顧問だし、エンドウ・サリナが書いた南十字学園祭、「夜間飛行」による演劇『神話前夜』(半自伝的宇宙人芝居)のポスターの貼り残しを見て「後片付けまでが舞台ですよ」とタクトとスガタをたしなめる事で、エンドウ部長に対しても学園長は理解を示しているんじゃないだろうか?と、思わせる演出が洒落ていていいね。
22話の舞台以降、部長は出番が消えたけど、そういう風に省略しても、前述の学園長の日常芝居で存在感を感じさせるって言うキャラクターへの愛と言うか、目配りは良いと思う。
だから、謎や伏線がダラダラと説明されなくても、なんとなく雰囲気で臭わせてくれたら、芝居としてはそれでいいのよ、って思うのが私の価値観です。
説明セリフ嫌いだし。
ま、細かい設定はブレンパワード神無月の巫女ジョジョの奇妙な冒険など、過去の類似作品を参照、ってことで。このアニメはこのアニメにしかない部分を楽しめたら良いかな、と。
過去の作品と類似してても良いと思うのよ。大多数の若者はその時々の流行りしか見ないで、産まれる前の事は気にしないで大人になっていくんだから。その時々に放送される新作アニメにはそういう意義がある。
今のアニメファンの中心が、うっかり小学生の時にウテナに遭遇した人たちだったりするので。その時々の思い出を大事に生きて行けばいいんじゃないでしょうか。
(俺は3カ月以内に少女革命ウテナを見る計画を立てているが・・・)


  • アクションの見せ方

ていうか、やっぱり颯爽登場!銀河美少年!なアニメなので、美少年美少女が大活躍していて面白かったです。作画的にも。
僕は最終回は、タクトがピンチの時に外に出て行った巫女達が島に戻ってきて、全員集合大進撃バトルをしてくれるかなーって思ってたんですが、それはハズレ。その代わり、「タウバーンが破壊したおかげでサイバディが逆に復活して、みんなが銀河美少年になって大進撃!」っていうとても愉快なバトルシーンで楽しかった。
銀河美少年たちがサイバディと一体化しているが故に、モビルトレースシステムや融合合体を上手い事使ったタクトの直接パイロットへのパンチも迫力があった。(タウバーンさん自体のすごさはガンダムイデオンに比べると薄かったけど、ま、タクトの衣装の一つと言う事で)
俺たちが銀河美少年だ!綺羅星!ってのは迫力があったし、一話から鬱憤を溜めていたホンダ・ジョージのアレフィスト等の復活の喜ばしい戦い方も楽しかった。綺羅星十字団スタードライバーとサイバディとの友情みたいなのも、おれとヤマトとか洸とライディーンみたいで良い。シモーヌとタカシのコンビ戦闘とか、寮長のページェントのチャンバラとか、作画も良かったなー。ラストのやられ役のために帰ってこれないサイバディも良いやられ役だ。
その上で、その中でもやっぱりタクトが一番!っていう一貫した主人公無双な見せ方は良かった。

ラストシーンのモビルトレースシステムと∀ガンダム型キャノピーロボットを活かして、宇宙軌道上を漂うロボットの中に居ても窓越しに目を合わせて談笑するタクトとスガタの清々しさは良いねえ。壮大だねえ。

  • 世代論

石田彰ヘッド/ミヤビ・レイジ/ツナシ・トキオのダメおやじぶりはひどいですが。何回も息子に殴られるし負ける。
おなじ「そら」名前の脳内妹を生きる支えにしてる俺にとっては、タクトの母のソラさんが出てったのが全部悪いと思う。そりゃー凹むよ。碇ゲンドウになるよ。エヴァになってネルフに残ってる碇ユイとは違う意味で酷いよ。ヘッドは記憶喪失の変な人になっちゃってるよ。
ダメ人間の横にはついて居てあげろよ!マリノはミズノの傍に居てくれてよかったです。
ていうか、ヨウ姉妹の母親のフジノも酷かったし、巫女の母親たちもあんまり出ないで、世話役は祖母や叔母やメイドだったり、親父たちのダメっぷりに隠蔽されて水面下でかなり母親も酷いよね・・・。
野望に執着して事件を起こす父親は同じ土俵で殴る事が出来るが、失踪して水商売の女になってつぶれて行く母親は殴っても仕方がない。父親がダメなアニメだが、描く価値もないくらい醜いとされた母親に対するミソジニーも感じるな。いや、まあ、僕もそういう人間だけどさ。


で、それも絡めてスガタが「次の世代にサイバディ問題を持ちこすのはよろしくないんじゃないだろうか」と思ってザメク封印を実行し、それを聞いてないけど心が通じ合った親友のタクトとワコがスガタ(と聞こえた世界の声)を信じて(「エキセントリック・タウ・ミサイル」を放つ時にスガタがタクトに「信じろ!」と言ったし)、ザメク粉砕を実行したんだねー。
語り合わないし、失踪して別れて、殴り合う事もしなかった前の世代が長い間、持ちこし持ちこしでいた島の古いしきたりや課題を、語って入り浸って殴って、最後には信じて、一人だけでは用意できなかった状況を作り出して巨大な王の船、ザメクをやっつけたのだ。
キングゲイナーのオーバーデビル戦での、登場人物一人一人が偶然の状況を作り出して、アーリーミイヤに用意された歴史の想定外の力を出すって言うのにも似てて、良いですね。
(この僕のキングゲイナーの見方について、ウテナ好きのid:mattune氏には「なるほど、ゲイン・ビジョウは世界の果てだったのか」と言われましたが。そういう系譜なのか)


そんな若者のシガラミ断ちきり力を「勢いだけで何とかなると思っている若さ」だと言う風にしか見れなかったヘッド・は外見だけ若くて過去を繰り返していても、やっぱりカタシロ・リョウスケと同じく老いたのかもしれん。だけど、ヘッドはサカナちゃんに逃げられた後、うつになってたけど新しい玩具を手にしたらまたテンションが上がりそうだし、なんか懲りなさそうだから頑張ってくださいねー。やっぱり憎めないですね。ダメ人間。しかし、序盤でヘッドが描いた風景画は褒められてたのに、スガタの肖像画は「支配欲しか感じない」とかいきなり嫌われてて可哀そうではある。
というか、トキオもソラも最悪な親だけど、そんなトラウマに縛られないで無視して、楽しい事を謳歌し、弱い者を助けようとする息子のタクトは良い男だ。
戦後民俗学的に考えると、個人主義世代のトキオやソラを無視して、シンドウ家の家訓に殉じようとした、と言う風にも見えるが。だけど、それだけではないのは16話「タクトのシルシ」でのタクトの過去の友人ナツオや初恋や、祖父がタクトに印を与えようと予定してなかったのを見ればわかる。スガタが家の役割に乗りながら、最後に否定してザメクを封印して、それを破壊するかどうかを半ばタクトにゆだねた風な所も、家の命令に従っただけではない。
ひが日死の巫女家の没落に合わせて、スガタとの距離がワコより遠くなったニチ・ケイトという家や世間の嫌な部分も描いてるし。


「やりたい事」と「やるべき事」の二つが重なることが重要なんだ。
重なるのか?それは!
重なった物は強いよな。

それから、「俺たちはこれからも何度もこのソラとは違うもっとすごいソラを何度でも見るさ」っていうタクトの台詞はソラの名を持つ母親への決別でもあるよね。失踪した母親をさがそうとせず、自分の一人だけの母親には執着せず、自分の好きな女をいくつでも何度でも作って恋愛しても良いって言う、イケメン発言。
外に出て行った巫女たちが戻ってこなかったのも、そういう理由かも。気多の巫女のサカナちゃんは気が多かったんだよ・・・。



でも、そういうダメな家の宿命や痴情のもつれで失踪しちゃう親たちの子のツナシ・タクトとシンドウ・スガタだけど「スガタとワコが結婚して、俺が遊びに行くのかな」「タクトとワコが結婚して、俺が遊びにいくのかな」って二人とも同じ事を言う。
同じように、「結婚して家を作る」「恋愛の結果がどうなろうと、友情や絆は消したくない」って意思表示するわけだ。個人主義を重視して、浮気癖や失踪癖のある親と同じ生き方はしない。新しい家を作りながら、他の人とのつながりも作っていく。辛い事があっても別れたり投げ出したりせず、俺の脳内妹のそらちゃんのようにそばにいてくれる。
あれ、ネット社会を通じて自由主義VS絆主義を説明臭く描いたフラクタルよりも、ロボット学園バトルのついでで親子の戦いを描いたスタドラの方が、なんかちゃんと描けているような・・・。いや、まあ、話数が2倍以上だけどね!うん!ヤマカンはがんばった!うん。

  • 男女論

しかし、ワコは最後まで優柔不断でしたね。というか、「タクト君に会わない方が良かった」って予告のセリフって、「好きな男の子が二人もいて困る」ってそんな普通の理由かよ!宇宙とか古代遺跡ロボットバトルアニメなのに・・・。
いや、まあ、女にはそれが重要かもしれんね。
ニチ・ケイトさんも恋愛優先で一番怖い女と化したし。

そーかんがえると、最終局面での既婚者のワタナベさんとプロフェッサー・グリーンの落ち着きっぷりはすごかったな。
やっぱりカップルか。
かといって、外に出て行った巫女を否定してないし、どっちつかずなフィラメント三人組も、どっちつかずな主人公三人組もいるので、カップル至上主義でもないか・・・。


それに、二人の男の子を同時に好きになるくらいリビドーの強いワコだからこそ、ヘッドの操るシンパシー(他のサイバディを支配できる)の攻撃からタクトを守って巫女のサイバディにアプリポワゼして、最後はタクトを声援でスガタが去ろうとする宇宙に押し上げたっていう見方もできるんだよなー。
21話でもウィンドウスターのマドカのオーバーフェイズよりも強いリビドー女子だったし。
皆水の巫女のワコは皆大好きだから滴っちゃったりするのかもwww。そうかー。
だから、「一人の男をずっと好きでいるのが良くて、二人の男の子を同じくらい好きになった女の子は苦しい」って言いながら、そういう女の浮気やリビドーも肯定してて、おおらかなアニメだよなあ。
親の決めた婚約、浮気、すれ違い、妊娠、決別、っていう恋愛ドラマのルールに沿って別れて行ったトキオ・リョウスケ・ソラの親世代に比べて、恋愛に対しておおらかだ。まあ、まだ高校生だしね!


「人生と言う冒険は続く」っていう一言で最後まで物語を固定させないで熱を保ったまま終わらせやがったなあ。上手いなー。二次創作意欲とか持続させるつもりだな。

  • 余談

スタードライバー五十嵐卓哉監督がシリーズディレクターを務めたおジャ魔女どれみドッカ〜ン!のラストも「人生と言う冒険は続く」って感じでどれみ達のその後を曖昧なまま終わらせ、アニメはあくまで青春の一ページとしてましたね。
そういう舞台の幕が下りても幕の向こう側には世界がまだあると思えると言うのは、作品が生きると言う事。好きだね。

  • 不満点

カタシロにフォローされたけど、祭りの場面でヘッドが非常に典型的な悪役になってしまった事。典型的な悪役らしく、狂ったように笑ってみんなをいじめるキャラになってしまった事。過去の女にこだわって繰り返したがると言うのも、分かりやすく悪役的な動機で小さかったこと。(まあ、タクトが父と違って母のソラを振り切る強さを強調するためだけど)
スガタがタクトを信じすぎて出番がすごく少なかったこと。
リビドーを吸われて世界滅亡と言うセーラームーンブレンパワード的なモチーフがやはり陳腐で、取ってつけた感じがした事。
まあ、この作品はショーなので、ショーを見てる時は細かい事は演出の楽しさに押し切られて忘れる事が出来てたので、楽しく見れたけど。


それに、すごく嫌な言い方をしますと、全国放送のアニメで俺の書きたい世の中や超能力や正義と悪の本質を先に描かれると、俺の脳内妹小説の邪魔になるんだよ。
本質は俺が書く。
アニメは俺の創作リビドーを保つための食事にすぎんのだ。
餌なんだよ
ふはははは

僕はこの作品よりももっとすごいそらちゃんを僕はこれから書くよ。それに、そらちゃんは作中で小学6年から中学3年までを描いて、体型も性格も変わるよ!そして、小説部分が終了した後は、今、僕と幸せに暮らしています。今では女子大生2年目。全然体格変わるよ。それでも、ロリコンは治るし、僕はこれからももっとすごいそらを見るんで、楽しみだ。そらが50代になっても、きっと美しくて優しい淑女になってくれるんだろうなああああ。


あ、あと、公式サイトで今までのあらすじやサブタイトルを読み返したら、(バトルの中だるみは感じたけど)やっぱり短編映画の連作として上手く積み上げた上でラストに持ってっているなあーと感心した。
また録画見ようかな。うっかりヨウ姉妹編をダビングする前に消してしまいましてね・・・。ソフト待ちなのか…そこまで熱心に見るべきなのか・・・。