玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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出崎統版あしたのジョー53〜56話 さすらいの矢吹とウルフのちがい!

力石徹を殺して鬱になってる矢吹丈がさすらって、ウルフ金串やゴロマキ権藤をボコる編。

話数 サブタイトル 脚本   作画監督 絵コンテ   演出      視聴率
第53話 憎いあんちくしょう 小林幸   杉野昭夫 崎枕    崎枕      16.0%
第54話 悲しみの十点鐘 伊東恒久   杉野昭夫 富野喜幸 富野喜幸 16.1%
第55話 さすらいのバラード 宮田雪   杉野昭夫  石黒昇  棚橋一徳 15.6%
第56話 よみがえる狼 松岡清治   荒木伸吾  富野喜幸 富野喜幸 15.9%

http://members.jcom.home.ne.jp/daoss/SAKUHIN/tv1/tv1best.htm
↑あらすじ
53話の、崎枕演出で、ジョーが力石の幻影を見る演出がすごい。

雪の中を彷徨う(中野駅付近)ジョー。
”圭子の夢は夜ひらく”がBGM。
オモチャ屋の猿が力石に見えてしまうジョー。

原作変えまくりだなあ。というか、原作の一コマとか、一言からワンシーンを作っちゃうんだもんなー。出崎統すげえ。原作に追い付きそうだから尺を稼ぐっていうレベルじゃなく、独自の美学と作品を作ってるしなー。
おもちゃ屋のサルのゼンマイがキレて止まる所を力石の死に見立てるとか、かっけえ。
ジョーが一人で電車に乗って放浪して、そこで他人を力石に見間違えるとか、出崎統電車だ!出崎統電車空間だ!
逆に、原作であったジョーが痩せて引き締まった西を力石と見間違えるというのはアニメでは無い。
西を力石だと思うと、西がライバルっぽくなるもんな。でも、西は引退してジョーとは戦わないし。
出崎統は原作よりも感情や作劇のラインを上手く整理してアニメにして、その上で美しさも加味していていい。やっぱり原作の方がダイジェスト版に見える・・・。


54話。
富野喜幸演出。出崎統が好きなディスコかと思ったけど、原作にも登場するディスコでした。
点滅するディスコ光でカットを連続して割る演出が映画っぽくカッコつけてる富野っぽい演出です。
白木葉子がジョーに「あなたが腑抜けたら力石くんが犬死に」って言う。原作では西も言ってるけど、それはカット。ジョーが西を「うどん野郎には言われたくねえ」って殴るのもカット。
西の出番は、力石関係ではカットされて、ジョーの親友とか引退ボクサーの悲哀という分野で増量しているアニメ。アニメ版の西に対する視線の方がドラマ性があるし、優しいので好きです。


第55話、56話
ウルフ金串再登場。過去について愚痴を言っているウルフ。ウルフはヤクザの用心棒になっていた。対抗するヤクザの用心棒のゴロマキ権藤(ゴロ=喧嘩のプロ)に金串はボコボコにされる。それを見ていたジョーは、金串に思い入れがあったのか、権藤をボコボコにして留置所へ。


で、ジョーとウルフの違いですが。
ウルフは「ジョーっていう石ころにつまづいたせいで俺の人生は変わったんだ」「あの時にもうちょっと俺が踏み込んでいたら勝ってた」って古い話をずっと自慢してて、過去ばっかり見てるクズになってた。で、「そんなクズとジョーの眼は違う」って喧嘩のプロのゴロマキ権藤は言ってたけど、ジョーはそれにマジギレして権藤をボコボコにする。権藤も所詮はチンピラだし、ジョーには勝てぬ。
ジョーは戦えば勝つ必ず。だから、ウルフみたいに「石につまづいたから人生が変わった」って事を受け入れない。ジョーの人生は力石が立ちはだかったことで変わって、ジョーは自分より強い奴がいるのが許せなくて、力石も自分と引き分けた男がいることが許せなくて、戦った。自分の人生を他人に変えられるのが嫌なジョーと力石の自由の物語な。
で、ジョーと力石は存分に戦って、ジョーが力石に負けたけど、ジョーはそれでスッキリしたみたいで、すがすがしい気持ちで握手しようとした。力石に人生を変えられても、それも自分の人生だとやっと受け入れることができるような充実感を得たのだろう。
でも、握手はできなかった。力石が死んだので。
それで、またジョーの人生は変わった。ジョーはずっと力石を意識せざるを得なくなってしまった。だが、それでもジョーはウルフとは違って、それで自分の人生が変わってしまうのが嫌で、それに従うのが嫌で、苦しむ。
ジョーが戦っているのは力石の亡霊だが、もしかすると運命や人生そのものかもしれない。
運命の前で、人はどれだけ自由になれるのか?自由を貫くことが幸せなのか?自由はどこまで手に入るのか?
そこら辺はボクシングというスポーツを超えた普遍的な物ですね。
それでジョーは「俺はウルフとは違う」「俺はウルフにはなりきれねえ」「俺は矢吹丈だ!」って叫ぶんだなー。


で、アニメ版だと留置所で一緒になった権藤やウルフの手下のヤクザに対して、ジョーは「ウルフの気がついても、俺がウルフを倒した権藤をやっつけた事を、俺の事をウルフに言うなよ」「あいつにはあいつの幸せがあるんだからな」って言い含めて去る。
ジョーは自由を貫くけど、ウルフみたいに人生に屈服する人や、自分のせいで人生が変わった人を切り捨てたり無視しないでフォローするのがアニメ版。
出崎統の人間観が出ていますね。あしたのジョー2のホセに負けた元ボクサーの親父も出崎統のオリジナルだし。負けた奴にも意地がある。だからこそ、ジョーが何度負けても勝とうとするのがいっそう輝くんだよなあ。単に負けた奴を切り捨てて行って、トーナメントバトルマンガみたいに最強を決定するエンタメだけでなく、負けにも美学を見出すのが出崎統
そういう反骨精神や浪漫は出崎統の晩年のCLANNADとかまで、ずーっと続いてていいよなあ。


あと、56話は富野演出だけど、富野も負けた側にも人間性を見出したり、弱者に配慮した演出をすることが多い。ガンダムの脇役とか、ザブングルの最終回のエルチの扱いとか。
富野があしたのジョー出崎統から受けた影響はあると思うなあ。まあ、パクったというよりは、共鳴したっていう感じだと思うけど。
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