玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

超電磁ロボ コン・バトラーV 1〜8話 富野中心に

当時は前代未聞だった「5体のメカが合体して巨大ロボットになる」というコンセプトで誕生した伝説のロボットアニメ。その魅力はメカにとどまらず、数多くの個性的キャラクターやテーマ性を重視した優れたストーリーで、男女を問わない多くのファンを魅了した。スタッフには総監督の長浜忠夫をはじめ、安彦良和高橋良輔富野喜幸(現:由悠季)、坂口尚など、今では信じられない豪華なメンバーが名を連ねている。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00867/v00396/

と言うわけで、GyaO!の動画無料配信でコンVが配信されているので、ザンボット3を見ている途中だけど、見始めたのだった。
だが、気付いた時にはもう12話まで配信されていたので、序盤はレンタルビデオ屋で借りてきたのである。金を出したのである。
最近はVHSのコンVを置いてある店が減った。
困ったことだ。


勇者ライディーンの感想は先日書きあげたのだが、これはライディーンの直後の放送開始である。

超電磁ロボ コン・バトラーV』(ちょうでんじロボ コン・バトラーブイ)とは、NETの土曜日18:00-18:30枠において、1976年(昭和51年)4月17日から1977年(昭和52年)5月28日にかけて全54話が放送されたテレビシリーズの題名。なお、1977年4月2日放送分からのキー局名は、テレビ朝日に変更されている。


本作は東映本社が初めて製作したテレビアニメである。それまでの東映アニメとは違い、東映テレビ事業部が企画、制作を創映社に委託するという手法をとった[1]。


1976年3月26日まで放送されていた『勇者ライディーン』のメインスタッフを招集することで、後に「長浜ロマンロボット3部作」と呼ばれる作品群の第1作目に数えられている。通称は『コンV』。
超電磁ロボ コン・バトラーV - Wikipedia

超電磁ロボ コン・バトラーV DVD-BOX

超電磁ロボ コン・バトラーV DVD-BOX

wiki情報だが、いろいろとライディーンからのドタバタとした引き継ぎがあったようで、面白い。
長浜監督はライディーンの続編を考えていたけど、バンダイ・ポピーの村上克司天皇の要請でライディーンではなくコン・バトラーVとしたとの事。
ライディーンは神秘的な古代の遺産であるという設定上、パワーアップで玩具の追加がやりにくかったからなあ。主人公は一人だし。それで、コンVでは戦隊にして、おもちゃを売ろうとしたわけだ。論理的である。
長浜監督としては、ライディーンの最終回の、ひびき博士の「これからは平和のためにライディーンを役立てるんだ。これからが本当の戦いだ」という打ち切りっぽい台詞にライディーン続編への気持ちを込めたんだろうね。
村上天皇としては毎年新しいデザインを試して、おもちゃを出して行きたいという企画があっただろうし。
そこら辺はいろいろと事情があるよね・・・。
村上天皇は今のバンダイの主軸となるウルトラマン、ロボットアニメ、スーパー戦隊メタルヒーローに関わっていて(プリキュアには関わってないと思うけど―)機動戦士Vガンダムではバイク戦艦を富野監督に出すように指示したりした。(村上天皇は「子供が喜ぶデカイ戦艦を出せ」と富野監督に言って「じゃあ、バイクにします」と富野が言って、村上天皇は「派手で子供が喜ぶなら良い」とした)

何故、バトルフィーバーJ以降から巨大ロボが出るようになりましたか? - Yahoo!知恵袋
バンダイとウルトラマンとの出会いと関係は、何時頃から始まったのですか。 - Yahoo!知恵袋
ポピニカ - Wikipedia


ちょっと検索したが、上記のように、いろいろと関係があるようだ。

コン・バトラーVテレビ朝日系 土曜18時放送であった。
そのスタッフが直前に作っていた、ABCテレビ金曜19時の勇者ライディーンの前番組はウルトラマンレオである。
[rakuten:auc-toysmn:10005662:detail]
で、ウルトラマンレオウルトラマンタロウの後番組である。
ウルトラマンタロウと言えば、ゴテゴテとしたZATウルトラマンをサポートする科学特捜隊的なアレ)の異形な派手なメカのミニカーおもちゃで特撮ファンには苦い思い出のあるアレである。
http://www.garitto.com/product/13622536
↑こういうの


私も幼稚園〜小学生の頃にウルトラマンを続けて見ていたのだが、科学特捜隊ウルトラ警備隊の渋い雰囲気のメカに比べて、A、タロウ、レオと、どんどん人間側のメカが意味不明な装飾過多になって行ったのは、不愉快だった。当時の私は顧客層の子供だったのだが、あからさまに玩具的な装備を警備隊員が装備し始めたのはスポンサーの作為を感じて、嫌だった。ストーリーや作中世界に必要のない、玩具的装飾は不快であった。
なにしろ、子供としてはウルトラマンの周りの科学特捜隊は「大人」の代表であるべきなのである。「大人」の「科学」でも解決できない怪獣や事件をウルトラマンが解決するのが爽快なのである。だからして、地球防衛隊の装備は「大人っぽいカッコよさ」や「科学的スマートさ」をまとっていて欲しいのである。
だが、ウルトラマンエース、特にタロウ、レオあたりになると人間側も怪獣と同じような派手なデザインになって行って、大人っぽさを無くしていった。それで、子供としての私はあまりストーリーにのめり込めなくなって、「しょせん子供向けの作りごとだなあ」と覚めて行った時期があった。
ここら辺は庵野秀明監督や氷川竜介先生も詳しい。
(私個人としては、ウルトラマンティガで人間側のストーリーや芝居の軸も硬派に作りなおされた路線が好きである。平成ウルトラマンではやはりティガだなあ。コスモス以降はパーティームービーとみている。本稿ではウルトラの話は割愛する)


と、言うわけで特撮とアニメと言う違いはあれど、玩具展開的には勇者〜超電磁シリーズはウルトラマンからの60〜70年代をまたいだプロジェクトだったんですねー。

http://blogs.yahoo.co.jp/kdxrx8/60848557.html

で、ポピーのポピニカブランドでは勇者ライディーンのおもちゃも、コン・バトラーのおもちゃも出ている。
で、長浜ロマンが衰退し、機動戦士ガンダムが発生した1979年に、合体ロボット玩具はバトルフィーバーJバトルフィーバーロボスーパー戦隊シリーズに移行したようだ。


こういう、村上天皇を中心にしたバンダイ内部の事業部やおもちゃ業界の年代記としても、ロボットアニメと特撮の関係性は面白い。

  • 戦隊要素

で、特撮のスーパー戦隊とコンVがスポンサー階層で繋がっているので、ロボットのデザインもそういう事なんだ。コンVはスーパー戦隊的な感じですよねー。
また、勇者ライディーンが「ウルトラマン」的な「不思議な力で戦う巨大な異物」という体裁の「一人ヒーロー」だったのに対し、コン・バトラーVは「ウルトラマンの周りの防衛隊」が主人公という感じだ。
ポピニカの防衛隊メカの玩具から発展して、それが変形合体してロボットになるというのがコン・バトラーVの面白さであろう。
コンVは企画段階から「戦隊」を取り入れている。コンバット・Vだし。

コン・バトラーVの名称の由来は、コンバイン(combine 一体化)+バトラー(battler 戦う人)+V(ヴィクトリー+5機(ローマ数字の5)のマシン)、またはコンバトルCombattle((戦術的)戦闘。コンバット(combat (団体)戦闘) + バトル(battle (格闘的)戦闘)よりなる合成語…英語に実在する) + er(〜を為す者)+ V(同)である。

個的に戦うウルトラマンライディーンと対比して、集団戦闘を行うウルトラ警備隊・コンバトラーV→戦隊ということだろうか?
(ところで、今気付いたのだが「ライディーン」に出てきたレッド団の「ボインダー」というメカは「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊の「ポインター」から来てるのか?)


で、コン・バトラー隊の基地とか南原コネクションとか、メカの感じはウルトラマンの防衛隊っぽい雰囲気である。


また、コンVの1976年は1975〜77年の秘密戦隊ゴレンジャー(これにもポピーが関係している)とも放送時期が被っているため、アイディアの相互作用があったのだろう。
同じようなメンバー構成の科学忍者隊ガッチャマンは1972年。
マジンガーZからの東映の繋がりもあり、こういう証言もある(追記)

コンVショック:マジンガーの成功を受けてグレマジを売り出したものの、思ったほどの結果が出ていなかった(らしい)。しかし、その後に作られたグレンダイザーは内外ともに好評で、会社全体が浮かれている時だった。そこに落ちてきたのがコン・バトラーVという企画だった。
https://twitter.com/#!/kamosan2/status/201306522058366976
コンVショック:コンVはダイナミックのロボット物のノウハウを使い、東映がオリジナルとして企画したものだった。いわば、ロボット物というダイナミックの飯の種(シマ?)を事実上横からかっさらうものだった。第三者的に言えば、ロボットのパテントでの収益という利権をめぐる争奪戦だ。
グダちん(30周年)さんがリツイート


コンVショック:1976年ごろのこと、午後にダイナミックに出社すると、なんだか騒然としていた。いやーな予感が走る。泰宇さん、タカシさん等偉い人たちは血相を変えている。一番口が軽い(失礼、仲がいい)桜井さんに事情を聞いた。すると、「極秘だけど、なんか東映ともめてるみたいだよ」
コンVショック:この企画を黙って通したら会社の存亡に関わる・・・ダイナミック首脳陣は東映テレビ朝日・スポンサー(バンダイ?)を含めて何度も協議を重ねたらしい。(下っ端にはよくわからない)「この合体ロボという形はゲッターロボのパクリだ、磁力でくっつくのはジーグのパクリだ」と・・・


コンVショック:結局、コンV放映を阻止することは出来なかったが、これで決定的に東映と決別することにはならず、東映に貸しを作ったことになったようだ。この企画にはスタジオぬえ藤川桂介さんなどダイナミックの身内同然の人たちも絡んでいる。そういうことも手打ちの原因だったかもしれない。

コンVショック:以上が下っ端から見た事件の顛末だが、本当はどうだったのか、いまだによくわからない。ダイナミックのOBや当時の東映の偉い人にでも詳しい事情(裏の話)を聞いてみたいものですね。



コンVショックおまけ:ロボット利権を生み出した元祖は虫プロのアトムだけど、あれはキャラクターの製作者とアニメの製作者が同じだった。いわばパテントの争奪が起こる余地のない体制だったのです。しかし、ダイナミックと東映は必ずしも利益共同体とはなっていなかったのです。それが原因かも・・・
グダちん(30周年)さんがリツイート


蒲原直樹/白 六郎 ‏ @kamosan2

ここら辺はパクリ、とも思えなくもないが、子供向けアニメを受け取る子供の側の気持ちで言えば、スポンサーや作者が別の作品によって違う人、という認識もあまり芽生えていない年齢である。
子供は子供時代が永遠だと思っているような生き物であり、それにとっては子供向け作品はあまり構成が変わった物だと分かりにくい。子供は理解力が足りないし、思考のパターンや人間関係の経験則も少ないので、似たような舞台背景や登場人物配置が分かりやすいのだ。
少なくとも、私はそういう子どもだった。ストーリーやデザインは毎年変わっても、勇者シリーズ仮面ライダーシリーズやロボットアニメや戦隊シリーズははだいたい「こういうヒーローがいて、こういう敵がいて、味方はこういうの」という認識が分かりやすい方が受け入れやすかった。
(まあ、小学生の時に初めて見た機動戦士ガンダムF91はその定型テンプレートでは理解できないが、非常に魅力的に感じられる大人の雰囲気を持った作品で、今も富野ファンなのだが・・・。Vガンダムなどは子供の時に全部見ていたが全く理解できていませんでしたね。理解できないけどひきつけられたのが富野ガンダム


つまり、分かりやすく言うとセーラームーンプリキュアは舞台背景がはっきりしているので子供にも「これは子どもである自分のための物だ」と受け入れられやすいのだが、明日のナージャは売れないという事です。
ここら辺は難しいよねー。ウルトラマンタロウみたいにあからさまに子どもを狙ってきてる「商品」は冷めるけど、子供向けに定型がはっきりしている「番組」は子どもでも見やすい。でも、それは「作品」としての評価とは別、という。


「商品」を売る企画がないと「番組」が制作できないけど、「番組」だけでは「作品」としての形が保てない。だよねー。


ちなみに、最近、アイドルマスターシンデレラガールズにハマっているのだが、アイマス以外のモバゲー、GREEのゲームは基本的に全部同じである。トレーディングカードゲームというルールのテンプレートに忠実なんだが。「行動力」「攻撃力」「防御力」を配分してキャラクターを育てたりアイテムを他のプレイヤーとトレードするという枠組みが会社が違ってもほとんど同じ。でも、同じだから嫌というわけでもなく、むしろ同じだと説明書をいちいち読む手間が省けて、あまり頭を使わなくてもプレイしやすい。
ここら辺は「商品」の体裁とか、携帯ゲームというメディアの「番組」の共通体裁だろうねえ。
また、最近の不況のあおりを食って増えている、芸能人のリアクションを見せるだけで内容のほとんどないバラエティー番組も「作品」ではなく芸人と言う「商品」を陳列した「番組」だなあ。それが売れてるんだから仕方ないけど。


村上天皇は商品、長浜忠夫監督は番組、富野監督は作品、を重視しているように見える。
もちろん、長浜監督の熱血物語性や、富野監督の企画力、村上天皇のデザインの芸術性など、各人が他の分野でも才能を発揮しているのが面白い所でもある。


あと、最近あしたのジョー巨人の星のキャラクターがCMに起用されているし、ガンダムのマークをあしらった服飾品やグッズも出ている。こういうのを見ると、やぱり個別のストーリー性は大衆には残らず、分かりやすい記号としてのデザインだけが残るんだろうか?ミッキーマウスは記号としては人気だけど、その原作アニメを全部見た人は少ないだろう。
オタクとしてはちょっと悲しいね。物語があってこそキャラクターは生きると思うんだけど。
ただ、サンタクロースやセントヴァレンタインやキリストや、歌舞伎の題材になった義経赤穂浪士、最近だと戦国バサラの伊達正宗などはその本人の人生よりも季節のイベントの商業的ツールとか、記号として消費されてるので仕方ないのかなあ。エディプスコンプレックスとかロリコンって言っても、ホメロスナボコフを読んでる人は少ないしね。

  • あんまりコンVの話をしてない。

まあ、あんまりおもしろくないんだ・・・。なんかねー、濃さが足りない。
スーパー戦隊は面白くても、そんなに1話ごとに考察しないじゃん。番組だし。みたいな。
コンVも毎週テレビ番組で消費される娯楽としてはおもしろいけど、物語作品や芸能としては粗が目立つなあー。というのが正直な感想。
もちろん、富野監督の後年の作品を私が先に見ていると言う事も大きい。なにしろ、富野自身がスーパーロボット番組を作りながらも、世界名作劇場などの生活感を取り入れて、のちにリアルロボットというスーパーロボットへの自己批判的な作品を作ったわけだし。僕はそういうリアルロボットとか、物語や作品性とマッチしたロボットの使い方に慣れてるので、あまり「商品」を前面に押し出したコンVには素直に乗れないなあー。っていうか、コンV自体が幼児~小学校低学年向けなので、三十路の俺が素直に楽しめる作品ではないのだ!
(今期の子供向けアニメだと銀河へキックオフ!!はおもしろいんだけどねー。プリキュアはかわいい)



なんかね、コンバトラーVは番組としての体裁が整っているんだけど、リアルロボットに慣れた目で見ると作り物臭いんだよなー。
1話で「悪い宇宙人と戦うために、5人の才能のあるパイロットが集まる」っていう所、簡単に集まり過ぎで面白くねえんだよ!七人の侍でも仲間を集めるのが面白かったのに!番組としての体裁を整えるために御膳立てを整えた感じで萎えるわー。
南原コネクションも簡単に国際的権力を持ちすぎだし。
戦隊としての体裁を整えるためだし、科学特捜隊や科学忍者隊からの流れを組むのがコンバトラーなのでさっさと組織を見せたかったんだろうけど。
まあ、最近はスーパー戦隊プリキュアでも仲間を集める所に重点を置いているので、コンバトラーの頃よりは構成が進化してるんだけど。(機動戦士Vガンダムでは主役ガンダムを放送1話に登場させるために放送順を入れ替えるという気違いじみた構成であったが)


リアルロボットに慣れた目で見ると、ストーリーやキャラクターの感情のラインのつじつまに粗が目立つ。同時に、富野監督のヒーロー性のあるスピリチュアルなロボットに慣れた目で見ると、ライディーンイデオンに比べると、コン・バトラーVには愛着がわかない。なんか、機械っぽい。合体ロボットだから仕方がないんだけど、部品の集まりに見えて、ヒーロー性が感じにくい。デザインが「超電磁」と言う事で理系っぽくて角ばっているせいもあるのかな。なんか表情が見えないんだよなー。戦い方も射撃かスピンだから、剣劇をするザンボットみたいな人間臭さがないし。
ライディーンは美しかったんだけど。イデオンは不気味さとかストーリー上の要の要素があるじゃないですか。
ガンダムアムロガンダムに乗る事にこだわったりするし、なにより安彦良和のシンプルかつ流麗な作画の美しさがあった。∀ガンダムブレンパワードやオーラマシンには魂があるような描写もあった。
でも、コンVは戦隊ロボであり、ウルトラマン科学特捜隊サンダーバードの国際救助隊のメカの延長線上に位置するメカなので、あんまりキャラ性が立っていない。簡単にパイロットの言う事を聞いて動く便利な道具、と言う感覚で、8話の時点ではあまり主役ロボット自体に魅力を感じないなあ。技や武装はたくさんあるけど、戦況に関係なく乱発する事が多いのでありがたみがない。
敵に勝つ理由もはっきりしないで、とりあえず必殺技を出したら勝つ、って言う流れが多くて、あんまり物語に波がない。
ここら辺は、長浜さんがあんまり得意じゃなかったんだろうなーっておもう。



  • 富野演出3話

と言うわけで、富野的見どころ。


3話 どれい獣ゼンダの罠 脚本:辻真先@mtsujiji 絵コンテ、演出:斧谷稔富野喜幸


南原コネクションを私財で作った天才博士の南原猛(なんばら たけし)博士が重傷を負って、指揮官の座を四ッ谷(よつや)博士に譲る話。

南原博士は当初から「戦闘の指揮は友人の四ッ谷に任せよう」と考えていたので、南原博士の急遽の代役、という訳ではない。当初は人間嫌いを公言し、コネクションを引き受けることを固辞していた。
実はお茶の水博士のアンチテーゼとして発案されており、初登場がトラ箱(留置場)の中だったりと不良博士として描かれている。名前の由来は(JR中央線快速における)御茶ノ水の隣の駅四ツ谷から。資料によっては「四谷」と表記されているものもある。

別に、南原博士が不人気だという事ではなく、最初から指揮官交代は予定されていたストーリーだったようだ。
南原ちずるに戦う動機づけを与えるためとかかなあ?あと、実戦の厳しさを体現するような要素。
3話で指揮官が退場するのは、辻真先先生が褒めていた魔法少女まどか☆マギカのマミさんに通じる所がある。ただし、コン・バトラーVはあまり南原博士の死をストーリー的に引きずる事はなく、毎週怪獣と元気に戦うので、やっぱり作品としては微妙かも・・・。


ロボットを作った博士が退場するのは、機動戦士ガンダムテム・レイをも思い起こしますね。やっぱり富野監督は色々、先行作品を参考にしてますね。自己批評的。


四ツ谷博士が人間嫌いを表明し「私は地球を愛しているが、自然を壊しトキ等の他の生き物を絶滅させる人間は滅びるべきだ!」とエコテロリスト的な事を言うのが富野っぽいなー。
だが、四ツ谷博士は他の生き物に害をなす人間という総体は嫌いだけど、南原博士を最後まで気遣ったり、冗談を言ったり、人間味のある温かさも持っているのが面白い所。四ツ谷博士は人間には滅んで欲しいけど、友人の事は大切にするという、義理堅い優しさを持っている。おもしろい性格設定です。


それに対比して、侵略してくるキャンベル星人のガルーダ達は「太陽光発電施設に覆われたキャンベル星と同じように地球環境を破壊して移民できるようにする」という超エコテロリストな計画を企ててる。それを南原博士が命がけで四ツ谷博士に伝えて、四ツ谷博士は「地球人よりもキャンベル星人の方が地球環境を壊すから悪いなー」って思って味方になる。


ちなみに、コン・バトラーVは胴体のバトルタンクに小型原子力発電所を持っています。それがパワーの秘密です。原発事故後の日本で見ると味わい深いですなあ。
っていうか、キャンベル星人は恒星間移民ができるなら、地球に太陽光パネルを作らなくても、宇宙空間にダイソン球を作れば・・・。まあ、言わぬが花なのか・・・。


それと、演出的な事を言うと、富野演出のコンVは、バトルマシンのコックピットの描写が丁寧です。戦闘機に乗っている感じがする。機体とパイロットの対比の構図が多い。パイロットの生っぽさを感じさせる。∀ガンダムザブングルダンバインリーンの翼でも使われた、パイロットの生の姿がロボットの窓ガラスを通じて見えるっていう構図が多い。バトルジェットの中にカメラがあって葵豹馬をナメて、バトルクラッシャーのコックピットの中の浪花十三と会話するのは、非常に富野的。
また、巨大戦闘機の中に入れ子で球形のコックピットボールがあるというのは、富野演出の時のコンVで多用されている表現だが、これは∀ガンダムコアファイターイデオンメカのコックピットにも通じるデザイン。戦闘の加速度を吸収するためであろう。
富野監督は割とそういう所の考証が細かいのだ。
(ただし、コンVの胸のバトルクラッシャーのコックピットに思いっきり敵の牙が刺さる時もあって、そこはリアルではない。普通死ぬ)


ただ、今回は敵の怪獣がコン・バトラーVを激しく揺さぶって中のパイロットを加速度変化で殺すという話だった。マジンガーZから続く伝統芸ですな。ただ、特にカタルシスはなく豹馬が「俺はバイクに乗ってたから加速に強い」と言う言い訳一言でピンチが終わった。なんだそれ。
つーか、シートベルトを着けろ。(後発のザンボット3には透明エアバッグがついてる。逆襲のシャアの12年前なのに)


今回の敵は分裂怪獣で、新世紀エヴァンゲリオン9話に出てきたイスラフェルと同じようなものだったんだが、片方を倒したらもう片方も自爆するという、ご都合主義なシナリオで、そこはつまんなかった。
あと、コン・バトラーVに合体した後に、基本的に他のメンバーが何もしないので、そこもつまらない。イデオンはもうちょっといろいろしてた。


もうひとつ言うと、今回の怪獣は芦ノ湖の遊園地上空に現れたのだが、芦ノ湖が映った。これは怪獣映画でゴジラゴモラが各地の名勝を訪れるのに似ている。エヴァンゲリオンにも似ている。
遊園地の観覧車の中で殺される人を描いたり、怪獣映画の残虐な部分を描いていた。特撮の流れがあるよなー。ゴジラみたい。
だが、2回くらい一般人が死ぬ所を描いておいて、バトルタンクが観光客に激突しそうな時にバトルマリンが受け止めて助けるというひやひやな演出は上手かった。絶対観光客が死ぬだろう、と視聴者に予測させて、それを裏切ることでコンバトラーチームの頼りがいを描いているな。
そこで「仕事仕事!」って言って元気に戦う南原ちずるはさっぱりしててかわいい。


あと、コン・バトラーチームが出撃するシーンは毎週使いまわしなのだが、3話では初めて欠員出撃である。豹馬と十三が私闘をしている間に出撃したので、この二人がいない。で、いつものバンクシーンなのだが、空席を間に挟んだカメラワークで二人の不在の感覚を描いてるのが富野らしい細かさだった。
また、出撃する所でマスコットロボットのロペットがあわてて大作や小介とぶつかりそうになるのだが、そこも「いつもの繰り返しシーンでも少し変化をつける」「無駄シーンを作らない」という富野の小芝居主義が感じられる。富野アニメは脇役の小芝居が楽しいもんなー。ガンダム以前からこうなんだなー。

  • 7話も富野

7 絶叫! 俺の腕を返せ 脚本:田口章一 絵コンテ、演出;斧谷稔 作画監督塩山紀生、金山明博
怪獣 どれい獣イカゲラ
 6話で大将軍ガルーダの仲間になる事を断った豹馬は、ガルーダに両腕をライフルで撃たれて重傷を負ってしまう。
iPS細胞的なものを培養した腕を付け替えて豹馬は回復する。しかし、その技術を開発した研究者は「無断で人体実験を強行した」という事で人間の学会を追放されて、キャンベル星人の手下として働いていた。
彼はガルーダに命令されて豹馬の腕に付けられた、自分の発明した人工細胞を破壊する毒物を善良な人間を装って豹馬に注射する。豹馬は瀕死になるが、一生懸命戦う。
細胞を発明した博士は、ガルーダに裏切られ、用済みとされて奴隷にされてしまう。奴隷となった人間はキャンベル星人の地下で建設や靴磨きなどの仕事をさせられる。だが、奴隷同士の助け合いの精神があった。それに感動した博士はキャンベル星人に撃ち殺されながらも豹馬に解毒剤の作り方を伝える。
回復した豹馬は怪獣を粉砕する。


人間社会からはじき出されたエリート科学者が、悪の手先になるが、悪に捨てられ、奴隷になって初めて人間の優しさに触れて、死ぬ、と言うこういうドラマ性や人間観がなかなか味わい深い。


敵も悪いが、敵の侵入を許すような人の心の闇も怖いねーって言う。

出崎統の兄の演出家で、4話と8話などをコンVでは担当。
4話は超電磁ヨーヨーを思いつくのに、「実写の」ヨーヨー芸人の番組を豹馬が見てまねをするという奇をてらった演出がある。アニメの登場人物が実写のヨーヨー芸人をテレビで見ているという、かなりアナーキーな演出。実写とアニメの区別のついていない子供だから良いのか?それともヨーヨーの作画がめんどくさかったのか。ヨーヨーブームの販促を子どもにするために、当時の子供が見なれた実写の芸人を使ったのか?今見ると、かなり変だ。
っていうか、コンVの仕上げはシャフトなので、シャフト演出の奇天烈さはこの頃からなのか・・・。


また、4話で豹馬が見ている他の番組には出崎統ガンバの冒険のガクシャみたいなキャラクターが映っていた。ガンバの冒険はコンVの前年の1975年。これも鼠だけど戦隊っぽい感じのアニメだったな。
コン・バトラーチームの北小介もガクシャみたいな小柄なメガネだ。
ちょっと兄弟の楽屋オチギャグで、反則ではないか?という気もするが、視聴者の子供はガンバもコンVも同列の「子供向け番組」として受け取っているのだから良いのかなー???


8話で、浪花十三が暗殺されかかるが、その手引きをした奴隷人(キャンベル星人が拉致して、脳を改造した人)が命令通りに誰にも知られずに海に潜って自爆するのが非常に不気味だった。奴隷人は人間社会では行方不明として処理されているらしい。
人さらいとか拉致事件とか、蒸発事件などが流行った70年代の不穏な空気を醸し出してますね。


古いアニメを見ると、当時のスポンサーやプロデューサーの経営状態や人事、当時の社会情勢などを感じる事ができて、面白いです。
まあ、アニメ単体で見ると、やっぱり現代のプリキュアの方が技術が進歩してるし、良く動くしデッサンも上手いし色も綺麗だし出来は良いんだけど。
あ、辻真先先生の尖った脚本や富野演出は現代でも通用しますけど。