玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

無敵超人ザンボット3第6話 神家の理想と香月家の現実の交錯!

第6話 父が帰ってきた日

脚本:荒木芳久
演出・絵コンテ:斧谷稔 行田進


無敵超人ザンボット3を全話語ってみる(第6話) これって何か、よくないっスか?/ウェブリブログ

あらすじ


今回は、アニメで家族、特に父親を描くという事に非常に苦心した事が見てとれる良い話だったので、説明する。

今回、主人公・神勝平の父、神源五郎遠洋漁業から帰ってくる。彼は非常に理想的な人物である。
それで、ガンダムの家族論やザンボット3ロマンアルバムで、富野由悠季本人が語ったように、

たいへん理想的な家族になってしまった事が、残念といえば残念なのです。

という問題は観測できる。
それくらい、いい男なのだ。
腕っ節が強く、駿河湾の港町の網元として船団のリーダーを務め、乗組員からの信頼もそれなりに篤い。
それでいて、荒っぽい漁師と言うわけではなく、怪獣が来たときなど非常時には自分の事よりも一般人の安全や部下の気持ちを優先できる。論理的に話をする事をおっくうがらず、判断力が高く、責任感も強い。
宇宙人との開戦時は海に出ていて、神ファミリーから離れていたが、戻ってきて町の人に神ファミリーが排斥されるのを感じると神ファミリーが社会的にどういう立場であるのか、すぐに理解して勝平を説得するなど、非常に社会性も強い。


素晴らしい父親だと言える。
ここら辺は、同時期に富野喜幸が関わっていた世界名作劇場母をたずねて三千里のマルコの父や、あらいぐまラスカルスターリングの父親など、教養と社会的責任を持つ理想的な父親の影響が見てとれるだろう。

 でも実のところ、それより何より、この作品で私が「これは違和感だわ」と思ったのは、“ファミリー”ってことなんですよね。第6話で遠洋漁業に出ていたお父さんが帰ってくるんですけど、このお父さんが立派な人なんで、びっくり。富野アニメに出てくる親に、こんな人もいるなんてね。それもそうだけど、社会を敵に回しても、家族に一族の信頼と団結でしょ。(笑)
 何だかそこが、今では一番失われてしまったもののような気がして、あれこれの何よりも「昔」の作品だなぁと感じられたことでした。
「無敵超人ザンボット3」第1話~第6話 囚人022の避難所

富野ファンとして濃い囚人022さんもこう語っている。
やはり、富野アニメとしてはこのように父親や社会に希望を持つ、というか、理想的な父親が出てくる事はかなり珍しい事だと言える。
もちろん、富野アニメの父親がダメなばかりだとは、もちろん思えず、もっと重層的なんだけどね。
テム・レイZガンダムカミーユの父のフランクリン・ビダンはダメだったけど、父である事より技術者である事を優先したという人物として重層的。
ガンダムF91Vガンダムレジスタンスをしていたレズリー・アノーやハンゲルグ・エヴィンも戦う事以外にも少しは人間性を息子に残そうとしていたシーンがある。それはブレンパワードで敵グループのボスであった伊佐未研作博士や迫水王ですら深みのある人物として造形されている。
そういうわけで、富野アニメの父親たちは色々ですが。ダメな部分がクローズアップされがちですが、まあ、人間らしさもある。ダンバインのショウ・ザマの父が割とトップクラスにダメだったが、ラストではなんかちょっと哲学的な事も言ってたし。
ザブングルキングゲイナーの父親は立派すぎて、割と物語が始まる前に死んでる・・・。

  • 近年のSFアニメの父親たち

それはそうなんだが、そのなかでも神源五郎は立派さがトップクラスの富野アニメの父親だ。
また、親を無視する事が多い子供向け、ティーン向けアニメ(つまりほとんどのアニメ)の中でもトップクラスに理想的な父親と言えるだろう。
少なくとも、新世紀エヴァンゲリオン碇ゲンドウよりは立派だと言える。また、立派な父親の出るロボットアニメと言えば、蒼穹のファフナーの主人公の父親もかなり立派度が高い。だが、これはこれで、「カッコいい大人の見本」という簡単なレッテルで、富野ほどの重層さはないような気がした。蒼穹のファフナーは親たちが子供に黙って秘密結社を作っていて、そのロボットの操縦者として子供が選ばれる・・・というSFアニメなんで、ザンボット3に似ているが、ファフナーは世界が滅びまくっているので、あまり社会が描かれず、社会の中の大人としての父親たちがあまり描かれなかったため、社会人として評価されるべき父親たちの重層さが表現されなかったのだろう。
マクロスフロンティア早乙女アルトAKB0048など、近年の河森正治作品の父親は「主人公が活躍するのを邪魔する障害」として記号的に描かれていて、あまり人間的な重層さは薄い。
エウレカセブンAOの父親は出てきてないけど・・・。エウレカセブンの父親は「偉大すぎて主人公の活躍に暗い影を落とす」という役割だったか。やはり、人間性は薄い。エウレカセブンAOの父親代わりの部隊指揮官も、やはりちょっとやさしい碇ゲンドウ、というレベルだろう。
STAR DRIVER 輝きのタクトでは、親父も一個の人間として描かれていたが、親父は親である事を放棄していて一個の少年である事にこだわり続けていたので、親父はダメだな!
魔法少女まどかマギカの父親はイクメンという記号。
BLOOD-Cの父親はかわいそうな怪人。
輪るピングドラムの高倉の父親たちは・・・子供を守る側面と、子供を守りきれない所と、子供にめんどくさい遺産を残す所があって、回想シーンでは人間味があったけど実際は死んでる。荻野目苹果の父は普通の男だった。苹果は父へのこだわりを卒業して高倉家へ嫁に行ったようなもんだからなー。でも乗り換え後の世界だと、苹果は・・・。まあ、可愛いから普通に彼氏できるだろ。幾原作品の女は強いし。


社会や他の家族との交渉をする事によって、父親の父親性が描かれると思うのだが。そういう家族や家制度の面倒くさい部分は21世紀と言っても我々視聴者にとっては現実的に不愉快なものだし、高齢化社会においてはさらに不愉快な介護などの連鎖になっているので、家族は不愉快だし、それをアニメでもわざわざ見たいとは思わないだろう。だから、家族を描いたアニメは減る。
ただし、本当の子供向けアニメだと、親が描かれる事がある。未就学児童の世界は自分か友達か親、友達の親、後は他人、という登場人物のパターンしか認識されてないんで、親の領分は大きい。つまり、スマイルプリキュア!の父の日のやよい回はよかった。ということだ。

そんなもんですかね。
これ以上、他のアニメの事を書くのは本論の趣旨から外れるし、私も忘れっぽいのでこれくらいにする。

  • 不幸な家族・香月家

これだけだと「源五郎は立派」でおしまいであり、やはり「立派な父親」という類型的な薄っぺらいドラマになってしまう。
しかし、そうではない所がこのザンボット3の6話の素晴らしい所なのだ。
それは、立派な源五郎の立派さを盛りたてるために「立派でない父親・香月真吾の父親」のドラマがあるからだ。光を明るく演出するには陰影が重要なのだ。ここら辺の配分が非常に文学的で感心した。台詞の一言一言がものすごく精緻に配置されて、短い描写ながら香月のドラマを表現している。非常に素晴らしい。


以下ネタバレ




香月の父親はものすごくちょっとしか出てこない。4話で香月の実家の灯台が怪獣に破壊され、父親がおそらく灯台守だと暗示される。
灯台守!
しかも、避難しようとしていたせいか、香月の父親は4話では出てこず、灯台には香月の妹のかおるだけが取り残されていて、父は何もしてくれなかった。かおるを助けたのは香月のライバルの勝平。これは悔しい。
5話では冒頭で香月と勝平の口論を見ているだけで、「やめるんだ!真吾」と言っただけで、5話ラストでは津波に飲まれて行方不明になる。
この、父親の不在感と言うのはすでに富野喜幸は意識してやっていたようだ。
ガンダムの家族論によると、

 第五話になってようやく父親を登場させる段になって気がついたのは、これは、父親不在という戦後のサラリーマン社会の象徴として見えるということだった。
 そしてそこに気がついたからこそ、逆に圧倒的な存在感のある男として源五郎を見せないと、キャラクターは成立しないと考えた。

つまり、圧倒的な源五郎が圧倒的であるべきだ、と富野に気付かせたのは香月の父の不在感である。
第1話で神ファミリーは港町で意味のわからない宝探しをしていて浮いている。だが、神源五郎は網元でありそれなりに地域社会に貢献している職業と言える。
それに対して香月の父は灯台守である。漁業の町では重要な役割だが、街の中心部からはちょっと離れた所に住んでいるし、灯台守は転勤も多い。らしい。映画「喜びも悲しみも幾年月」によると。
そういう背景があるからこそ、香月がふがいない父親に反発を抱いて暴走族になったり、父の代わりに家族を守ろうとして銃を持って神ファミリーに攻撃をしたり暴走したのだ、という想像ができる。
また、漁港の街はよそ者には冷たいので、灯台守の家族として外から引っ越してきたかもしれない香月の家族も神ファミリーと同じく地域社会から浮いていたのかもしれない。だからこそ、1話の時点では香月は勝平を舎弟にしようと決闘を挑むほどの執着と友情と親近感を抱いていたのかもしれない。
いや、灯台守を差別してるわけじゃないです。私は灯台守についてはムーミンパパくらいのことしか知らない。
だが、香月の父親の出番が少なく、また、地球の危機に何も出来ないまま戦いに巻き込まれて死んだ、という情けなさと不在感が少年である香月の心に影響を及ぼしたというのはシナリオの構成として類推できる。
香月の父は存在感がないゆえに、香月少年に影響を及ぼしているのだ。
ここを読みとると、香月のドラマが非常に面白くなる。


5話香月の家族はザンボット3と怪獣メカブーストの戦いの爆風と津波に巻きこまれて行方知れずになる。
この時の香月の家族との別れがすごい。
まず、香月は妹のかおるの手を引いていたが、避難船が爆発した爆風で妹が吹き飛ばされて、「おにいちゃーん!」と叫びながら飛んで行ってしまう。「かおるーっ!」と呼ぶ香月。妹をさがそうとする香月。
だが、その直後、香月の背後から「真吾ーっ!」と母親が自分を呼ぶ叫び声が。母は爆風の瓦礫に足を挟まれていたのだ。
とっさに母親を助けようとする真吾。この時、瞬間的に、本能的に、香月は妹を見捨てた。偶然かもしれない。妹が爆風でもう死んでしまっていたのかもしれない(描写されない)。だが、事実として香月は妹ではなく母親を助けようとした。
しかし、香月が母親にたどり着く直前、ザンボットが海に落ちて津波が押し寄せる。母は何度も「真吾―!」と呼びながら波に飲まれて行く。
母は父ではなく息子の名を呼びながら死ぬ。
父親は出ない。
これは一種の呪いである。父親が弱く、ふがいない不在感が遺した呪い。


戦いが終わり、水が引き、火が消え、廃墟となった街を香月が家族を探して走り回る。
「かおるー!」「かあさーん!」
「かおるー!かあさーん!」
女の名を呼ぶ。
最後に取ってつけたように「とうさーん」と、ちょっと小さめの叫び声で付け足す。この父親の不在感がすごい。家族の喪失感だけでなく、父親のふがいない不在感が表現されている!すさまじい!
父に反抗する事も父に頼る事も助ける事も許されないまま父との生活を中断させられてしまった少年の心の傷!戦場の厳しさ!
そして、少年は街を見回り終わって全てを諦め、高台から二回、妹の名前を叫ぶ。そう、彼にとって本当に救うべきだったのは妹だったのだ。だが、彼は妹の手を離してしまい、反射的に母親を助けようとして、全てを失った。
父が強く母を助けていれば・・・。自分が強く妹の手を離さなければ・・・。
自分の男としての無力感に苛まれる香月の心は深く傷つく。そしてその無力感は怒りに変わる。自分が弱いという事を受け入れるのは辛く、他人を恨んで攻撃し続けている限り自分が強いと錯覚できるからだ。それは生物として鬱病に至らないための処世術だ。
だが、父親不在の家庭に育った香月は父親を恨むという発想にすら至らない。それほど、父との関係が希薄だったのだ。それで、彼は神ファミリーを恨む事にする。弱い父ではなく、強い戦闘力を持つ神ファミリーを憎む事で、エディプス・コンプレックスを解消しようとしているのだ。
ここまで5話

  • 源五郎との会話で救われる香月真吾

それを受けての6話。
遠洋漁業から帰って来た源五郎の船団は怪獣に破壊され、部下は2人を残して殺害される。かろうじて勝平の戦闘機ザンバードに助けられる源五郎
勝平が源五郎と生き残りの漁師を街に降ろすと、神ファミリーを恨む漁民に神親子はリンチされる。

今のところ、メカブーストによって
被害を受けた人々が怒りを向けるのは
ガイゾックではなくて神ファミリーなんですよね。


この辺は両陣営で唯一話が通じる相手が
神ファミリーだったということも影響
しているのではないかと思います。
無敵超人ザンボット3を全話語ってみる(第6話) これって何か、よくないっスか?/ウェブリブログ

大人たちは子供の勝平をたたきのめし、父の源五郎を縛り、「お前たちのせいで街がこうなったんだ。責任を取ってもらおうか!」と迫る。ここら辺は東京電力の社員をボコボコにしたいって思う民意に似てて、親近感が沸く。
原子力や怪獣には立ち向かえなくても、人間には暴力を振るって気晴らしができるというのが大衆だ。
源五郎を人質にして、「神ファミリーが出て行ったら親父さんを返してやる」と言う香月と民衆。ここらへんの無知な愚民どもの理不尽な暴力の描写は富野の愚民に対する軽蔑とSM趣味が出ていて、非常に富野らしい。(ガンダムホワイトベースでごねる避難民や、Zガンダムでリンチされるブライトとかな)
つまり、民衆はふがいない大人たちの集合と言う事である。


そこに、メカブーストが現れて民衆を殺害しまくる。彼らは人質の源五郎を放って蜘蛛の子を散らすように逃げる。愚民どもは確固たる信念があって源五郎や神ファミリーと戦っているのではない。ただ、恨みを晴らしたいだけの怒りにかられた愚民である。だから危険が来ると、さっさと逃げる。愚民たちは理論だって考えず、目の前の事と、その時の感情しかないのだ。だが、それこそがストレス発散と生存本能という人間の動物的な真実かもしれない。


だが、香月は逃げず、源五郎を縛ったまま離さない。犬の千代錦を除けば、二人きりとなる。
怪獣は神ファミリーの3機のメカが引き離す。


ここからドラマの名場面が発生する。

源五郎:香月くん、君だけなんだぞ。こんな下らない事をやっているのは。


香月:俺はもう、ここの連中みたいに逃げる必要なんてないんだ。俺は勝平や親父さんにいなくなってもらいたいだけだよ!

怪獣から逃げないで恨みに任せている香月に説教をする源五郎
香月は勝平とはもともと悪友だったので、親近感があり、自分が弱さを実感しているのに勝平が父を取り戻したり力を持つのが許せないのだ。本人は自覚してないにしろ。
また、香月は家族を失ったので自分が死んでも良いと思っている。これは自覚している。自分の大切な家族を助けられなかった自分を罰したいのだ。(こういう説明台詞はないが、この一言で彼の自暴自棄が分かる)


そこで、縛られたまま香月に体当たりをして突き飛ばす源五郎

源五郎:君の手で、私のロープをほどきなさい。
香月:なに?
源五郎:香月くん、私たちがいるからあのメカブーストが日本を襲うと思うなど、君の誤解だ。しかし今の私には、君の間違った考えを治してやる力はないが、必ず君にも分かってもらえると信じている。
香月:信じられるかよ!もともと宇宙人のお前らを。
源五郎:今は信じなくても良い。しかし香月くん。縛られたままの私がメカブーストにやられでもしたら、君が一生後悔する事になるんだよ。
香月:ほぉーっ。はっはっは。後悔なんか・・・
源五郎:いや…君はそんな少年ではない。人を見殺しにできるような少年ではない。そうだろ!

源五郎は香月が家族を失った事を知らない。だが、自分の人生に絶望して未来がなくなったと思っている少年に「今は分からなくても良い」「一生後悔するぞ」と説教をすると、その語調の強さとは裏腹に「君にはまだ未来があるんだぞ」と言って希望を持たせる事になる。
これこそ、富野がガンダム∀ガンダムを作る時などにいつも言っていた

「子供に向かって、あなたにとってこれはとても大事なことなんだよということを、大人が一生懸命話せば、その時に全部理解できなくても、絶対にその話を思い出してくれる」

という座右の銘だ。子供の未来を信じている大人の言葉だ。香月はこの時点では悪い事をしているし、恨みに心を支配されてねじ曲がっている。凡庸なシナリオなら、そのまま香月は復讐をするだけの薄っぺらい悪漢になるだろう。だが、富野は悪い事をしている子供に対して、悪い事をされている大人が「君には未来がある」と命がけで戦場の中で語りかける。これは、これは感動するしかない!


また、香月は5話で、妹を見捨て、母を助けず、父親と関係が薄いまま別れたという負い目を感じている。そういう東日本大震災などの遺族に似た家族との別れを経験して、遺された自分を罰したい感情や罪悪感を持つ香月に対して
「きみは人を見殺しにできるような少年ではない。そうだろ!」と、源五郎が何の根拠もなく、一生懸命信じて、命がけで肯定してやっている事は、香月の心を大きく救う事になる言葉だろう!


それで、こころが溶けた香月は源五郎のロープをほどきながら自分の身の上を語り始める。つまり、源五郎に酷い事をした理由を告白するのだ。
香月が自分の家族の不幸を源五郎に明言して、源五郎がそれを理解してから源五郎に説教をされるのではなく、説教をされてから心の内を告白するという、脚本のバランスがすごい。ここは順序を入れ替えたら全く違う意味になる重要なシーン。
源五郎は香月の家庭が不幸だから、慰めようとしたのではない。不幸だろうが何だろうが、子供にはいつだって本気で未来があるんだって真剣に向き合おうとしているのだ。これがすごいいい男の証明であり、だからこそ香月は心を開く。安いドラマのように、勝手に悪役が犯行理由を説明するドラマではないのだ。

香月:お、俺はよう・・・。両親も妹も・・・(言えない香月)
源五郎:亡くなられたのか(丁寧に一言で悼んでやる源五郎
香月:いや、はぐれちまってよ・・・(つよがり)
源五郎:そうか・・・。気の毒にな。(自分たちの戦いの責任がどうとかではなく、不幸そのものを悼んでやる態度)

熱い説教のシーンも良いが、ロープをちまちまほどきながらの、この短い静かな会話も染みる・・・。
もしかしたら、香月は自分の父親とこういう会話をした事はなかったのではないだろうか?香月は父親をあまり意識してないか、軽蔑していて暴走族になった気がする。
香月の父も息子と向かい合う事を億劫がって、かける言葉は「やめなさい、真吾」と叱りつける事だけ。
それと違って、理路整然と同時に一生懸命話してくれる源五郎は、まさに理想的な父親、圧倒的な存在感を持つ男と言える。


しかし、そこへ再度怪獣が襲来し、今度は香月が倒れた電柱に足を挟まれて動けなくなる。
助けに来る勝平のザンボ・エース。源五郎は勝平に香月を助けるように言う。勝平は父を酷い目に合わせた香月を嫌いになっているので「天罰だ!」と、愚民のように怒りに身を任せた事を言う。だが、父はその息子に香月を救うようにまた言う。ギリギリの所で助かる香月。しかし、気持ちの整理がつかず、源五郎と一緒に勝平のザンボエースに乗らずに瓦礫と化した街の中に去っていく。
その後ろ姿を見て、勝平は「ああいう奴なんだよ!香月ってやつは!」
だが、香月の心には、明らかに変化があっただろう。もしかすると、源五郎の帰還は勝平以上に香月を変えたのではないだろうか。

だが、立派な教師の子供がぐれる事はよくある。実際、聖戦士ダンバインの父親は学者で、母親は教育評論家だ。
子供にとって、自分の親が自分以外の子を大事にするのは生理的に不安な事だ。これは動物としての本能だ。
あるいは機動戦士ガンダムテム・レイが避難民よりもガンダムを優先するが、アムロの立場から見ると父親に大事にされないと感じたかもしれない。(テムはガンダムを救う事が結果的により多くの人を救う事になると思っていたのだが)
そういうわけで、勝平は、今回のラストで戦いの中で自分よりも香月を心配していたように見えた父親に文句を言って殴られる。
「俺には、香月がただの分からず屋にしか見えないんだ」
と、言って張り倒される。


これは富野の書いた新書の「ガンダム」の家族論でも重要なシーンとして取り上げられている。

「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

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が、正直、本を読んでもアニメを今回正式に見るまでよくわからなかった。
源五郎が勝平を張り倒した事について

 子供に対して圧倒的な権力を持っている。その力をもってして、一家の柱となっている存在を明確に描きだそうと試みたのだ。
 今は、親が子供に対して手をあげることも御法度のような時代になってしまった。でも、それではあまりに腰が引けている。親が明確な理由でもって子供に手をあげるのは「暴力」ではない。

と、「ガンダム」の家族論で書いてる。でも、去年読んだ時は、正直、「親は体罰をしてもいいのだ」というだけの文章に見えて、あんまりよくわからなかった。だが、アニメを見て実際と照らし合わせると分かった。やっぱり富野は文章よりアニメの方が上手く表現できると思う。
 ここで「明確な理由でもって」と但し書きをしているのが重要なのだ。親や教師が「俺は一家の柱だから、俺は権力を持っているから、俺の言う事を聞け」という幼稚な虐待では体罰にはならないのだ。
今回、源五郎は明確な理由を勝平に説いて聞かせる。
「お前はまだ若い。お前は神ファミリーがどういう立場か分かっておらんのだ」
これを勝平に判らせておかないと神ファミリー全体が危険になるのだ。だから指揮官としても一族の一員としても、勝平には叩きこんでおかないといかんし、そうしなくては勝平自身も危ないのだ。子供は子どももだから、自分を中心に大事にしてもらいたがるけど、親は「お前は社会の一員にならなくてはいかん」と、説教するのだ。
戦闘としても、社会の中における生存戦略としても、大事なことだ。


また、子供に対する体罰で気をつけなくてはいけないのは、「とにかく社会が悪いという事はやめろ」と頭ごなしに言う事だ。それでは香月の父が「やめなさい」としか言わなかった事と同じになってしまう。
香月は「みんなが神ファミリーが悪いって言ってるからお前らをリンチしても良いんだ」と、今回の冒頭で言っていた。「社会に合わせろ」というだけの教育だと「みんなが言ってるから何をしても良い」っていうクズの愚民の再生産にしかならない。
「お前の意志はどうでもいい。社会にとにかく合わせろ」とだけ言っていると、それはそれで子供は歪む。批判される事を恐れすぎて身動きが取れなくなる。


実際、僕も社会恐怖障害で回避性人格障害で、今日もせっかくの土日だというのに、ザンボット3の感想を書くことすら恐ろしくなって鬱状態になって寝ていました。30過ぎてもメンヘラだと体が動きにくくなるよね・・・。情けない事だ。
でも、富野アニメを見るとエネルギー補給ができたので、なんとかこの文章だけ書く。
閑話休題


そういう微妙な子供の心理に対しても気をつけて描かれている。今回。
体罰描写だが、単なる「闘魂注入」というのではなく、かなり繊細に順序を意識して描かれている。
これは、香月と源五郎の対話シーンと対になる名シーンだ。


源五郎は勝平に
「お前はまだ若い。お前は神ファミリーがどういう立場か分かっておらんのだ」
と言った後、

「他人に理解されなくてもいい。
今、日本中の人々がガイゾックの本当の恐ろしさを知らんのだ。

だから今、日本を守り戦ってやれるのは我々しかいなんだよ!」

と、続ける。社会に合わせるとか他人を気にするんではなく、自分の役目を果たす大人になれというのだ。
「明確な理由」での説教だ。
それに対して、勝平は「父ちゃんを酷い目に合わせたのが許せない」と言うような事を反論する。
つまり、勝平はやっぱり強い父が縛られたりして弱い存在に辱められた事が生理的に嫌なのだ。子供の自然な心理だ。それなのに、父親が自分をいじめた香月をかばったのが許せないのだ。子供としては別の家族の子供を親が大事にするのが悔しいのだ。わかる。わかるよー。
だが、源五郎は勝平に対して、自分が辱められた事については何も言わず、勝平の話を黙って聞いてやる。殴った後、言う事を聞かせるだけでなく、勝平の言い分も全部吐き出させる。
それで、勝平は「半年ぶりに父ちゃんに会えたのに、父ちゃんがいじめられて・・・」「自分だって一生懸命たたかっている」「ザンボットの運転は難しいんだ」「香月は俺の苦労をちっとも知らないで」
と、気持ちを全部言う。


それで源五郎は「そういう事は父ちゃんが分かっている。それではいやか?」とだけ言う。
それで、やっと勝平は涙をあふれさせて気持ちが通じ合う。実際、父ちゃんは5話までの勝平の戦いぶりは知らなかった。でも、これからはずっと一緒にいて分かってやる、と、そういう宣言なのだ。だから安心した勝平は泣くのだ。
泣きながら源五郎に殴りかかり、その拳を受け止めた源五郎が男らしくにやりと笑い、勝平も泣きながら笑う。それで、エンド。
素晴らしい。
つまり、ここでの体罰は「暴力」で勝平を家畜みたいに黙らせて言う事を聞かせる手段ではないのだ。男と男の体と体のぶつかり合いで、身体的な通じ合いで、勝平の心を解き放つための平手打ちなのだ。だから「暴力」ではないのだ。ちなみにうちの祖父は元々憲兵隊の軍人で剣道をやっていた人物で、私もよく暴力をふるわれたのだ。親からも「言う事を聞かない奴は犬と同じだ」と言われて殴られたのだ。それで30を越えても精神障害なのだ。まあ、そんな僕の個人的な事情はどうでもよく、富野アニメは現実の普通の大人とは違って、良く計算されて作られていて芸術的に価値があるという事だ。だいたい三十路になって親のせいで心が歪んだとか言ってるような俺はクズだ。アニメの方が大事なのだ。


また、源五郎の平手打ちは体と体の接触で理屈ではなく生物的に「俺たちは家族だ」って再確認することだ。
だから「他人に理解されなくても、家族で戦って行こう」と言う源五郎の言葉が、実感として勝平に叩きこまれたんだろう。
ただし、こういう体の繋がりや血のつながりだけを重視して仲間意識や士気を高揚させる事は日本軍やブラック企業や米軍の新兵教育や移民排斥運動などの歴史的な暴力や現在進行形の暴力でも使われる手法なので、気をつけて行きたい。
私も株式会社KLabに入社した日に女子と一緒に50km歩かされて、何人も脱水症状で倒れた。私は一年で鬱になって辞めた。人間はダメ!絶対!


あ、あと、重要な事は源五郎が勝平を殴って説教する時、それを勝平の祖父母や母や兄や従兄妹たちや分家の大人達が囲んで見ていたことだ。彼らは源五郎の説教を肯定的に見守っていた。
幼児虐待やDVやドメスティックバイオレンスや行きすぎたスポーツでの体罰は閉じた関係で行われるから陰湿な暴力になる。ここで、体罰をするもの、されるものを見守る輪があるというのも、ある種のセーフティだと感じた。
この第三者の目があるという事で、源五郎の平手打ちが一方的な暴力にならないようにしている。暴力になりすぎないように、気をつけて描かれている。親が子を殴って説教をするという熱血的なシーンだが、ある意味、かなりナイーブな繊細さで描かれている。これも富野らしい気の使い方だと言える。


そして、このことで神ファミリー三家の結束はさらに固まり、7話以降、どう戦っていくのだろうか?
こういう血族の結束の描写、社会や他の家の子供とも向き合う親の描写はとても素晴らしい。35年前にサマーウォーズを越えたね。

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富野アニメでは破綻した家族が多いので、このような理想的な父親が出てきたのは意外だと思った。また、ロボットアニメやSFアニメでは両親が揃っていない主人公が多いことも分かっていた。アニメで親があまり出ないのは、子供の冒険のブレーキになるから楽しくないからだろう、という気もしていた。
だが、富野に関して言えば、ザンボット3で「家族」というテーマはある意味書ききったから、その後は両親が揃っているような作品は少なくなったのだろう、と推察した。
「家族」の総論はザンボットで書ききって、後はアムロ・レイなりジョーダン・ベスなりショウ・ザマなりロナ家なりエヴィン家だったり伊佐未ファミリーなりアレックス・ゴレムなりの個別の家族の各論、変わった家族を描くという方向にシフトしたのだろう。同じ事をやってもつまらないしな。そういうわけで、ロボットアニメに親があまりかかわらない問題は、ザンボットを見れば解決した。良かった。
ちなみに、おジャ魔女どれみといくつかのプリキュアシリーズは親子関係や家族間の関わりを描いているので、いいですよね。
現実ではなかなか理想的な家族に所属したり、家族を運営するのは難しいですけど、良い家族がアニメの中にはあるので、良いですよね。

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鬱だし眠いので寝ます。でも、富野アニメを見ない人生は寝ていても死んでいるのと同じだから、見ます。富野アニメを見たり小説を書かない俺は死んだ方が良い。そう思って、土日はちょっと寝込んでいました。でも、頑張って書けて良かったです。自分の小説も書きたいです。
[rakuten:surugaya-a-too:11211790:detail]