玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

無敵超人ザンボット3「7、8話」善き母と悪しき母性。ビアル星人はおおかみこどもか?

一昨日、細田守監督のサマーウォーズの野球カットバージョンがテレビ放送され、昨日は「おおかみこどもの雨と雪」の公開初日であり、富野監督も「おおかみこどもの雨と雪」を褒めていた。
と、言うわけで、ブログの話題性的には、細田守監督と富野監督の母性を絡めて取り上げてみたい。
まあ、ザンボットは初見で、7,8話を見たのは偶然なんですけど。
時をかける少女は見たけど、いじめられっ子の脇役の扱いが酷過ぎて、主役連中のリア充だけ注目する態度が嫌いです。サマーウォーズはいろいろと強引だと思いますし、「人工衛星は自分の家以外に落ちたらそれで良い」という態度が戦士の一族として糞だと思います。ネット描写もキングゲイナーの方がインフラレベルを支配するシベ鉄がリアルだし。
でも、サマーウォーズザンボット3と同じく永井一郎の爺さんが出ている大家族なので、似ていると思います。


富野監督は、おおかみこどもの雨と雪について、

新しい時代を作ったと言っていい。革新を目指していると言ってもいいだろう。が、作者であり監督は、そこまで意識していたかどうか。手法を追求していったらこうなったのかも知れない。


過去のジャンル分けなどを飛び越えた物語になっている。描写が冷静だからだろう。文芸大作と言っても良い。それほどリアルに命の連鎖を描き、子供の成長の問題を取りあげている。そこに至った意味は刮目(かつもく)すべきなのだ。
http://mantan-web.jp/2012/07/20/20120720dog00m200050000c.html

と、絶賛している。


また、富野監督は時をかける少女に対して、文化庁メディア芸術大賞を選考委員長として受賞させ、細田守監督、樋口真嗣監督と鼎談した事もあった。

細田「脚本の奥寺さんが『男も女もたいして変わんない』と言ってくれたので、その価値観に乗っかって作った。あそこで『やっぱり違うのよね』といわれていたらこの作品は完成しなかった」
富野「それは作家の日常感覚の問題。現象だけでなく社会性も取り込んでいる作家のつくりを見せて欲しい。
つきあいたいの次が見えてこない。人物配置はあれでいいと思うが、現在の言葉遣いしか見えてこない。
セックスにしかいってない。もっと先の社会に出てどうするのかが見えない。それはかなり御目出度いことよ」
樋口「でも俺らが高校生のガキの頃なんてあんなもんじゃないですか?」
行ってきましたメディア芸術祭シンポジウム(続き) | ひびのたわごと


僕は細田守さんのナージャとかおジャ魔女どれみとかはすごく好きなんですけど、映画は主に脚本の奥寺佐渡子さんのリア充的な視野の狭さが気に食わないし、そういう女性的な視野の狭さが”一般受けする””デートムービーやファミリームービーとしてヒットする”という世の中も気に食わないので、あまり好きではない。
細田さんの演出技法自体はすごいいいと思うんですけどねー。なんかストーリーのご都合主義とか主人公補正とか、脇役への冷たさが、リア充の女って感じで気に食わない。まあ、女って自己中だし、理屈に合わないし、そんなもんだという気もするんだけど。

おおかみこどもの雨と雪』は、おそらく、世界でもっとも価値のある“カーネーション”となりました。全国のお母さんがた、それからお母さんのお腹から生まれてきたこどもたち、是非観に行ってください。この映画はあなたの生命を祝福します。 #ookamikodomo
https://twitter.com/americopun/status/226599477602037760

おおかみこどもの雨と雪」は、太母(グレートマザー)のお話。それも日本的な太母。支配し、全てを呑み込もうとする。それはそれはとても強い毒なのだ。
https://twitter.com/Agano/status/226760043125698560

僕は、ほら、こういうのより、ブレンパワードの「子供を作れたから、親が子の上なのか?」と言うクインシィ・イッサーに共感するタイプだから・・・。(渡辺久美子さん、辻谷耕史さん、ご結婚おめでとうございます)
お母さんの子宮の中に閉じ込められて母親の愚痴を聞かされるのがドグラ・マグラのように恐ろしいから、世界に生まれて野垂れ死にした方がマシだって思う。


そういう母性感覚に気をつけながら見ると、ザンボット3の6話「父が帰って来た日」は強烈な父親の話、7話は神勝平の母の良い母性が描かれ、8話で神江宇宙太の母の悪い母性と、夫の弱い父性が描かれた話、と言う風に家族の描写が繋がって連鎖的に化学反応している。構成が上手い。
やっぱり、大家族とか、そんなに都合のいいものではないっていう家族のめんどくささを正直に描いてくれる富野作品は、大衆娯楽としてヒットするサマーウォーズとかおおかみこどもより好感が持てる。ほら、僕、対人恐怖症ですし・・・。
家族に恵まれてる人は、なんか自信があって、メンヘラとしては、怖い。普通の人が怖い。

「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

■第7話「さらば! 我が友よ」
脚本:荒木芳久 絵コンテ、演出:四辻たかお  作画監督:鈴木康彦


演出的な味付けは薄めで、作画もアクションもそれほど熱量があるわけではない。
(ザンボエースが敵の触手を狙撃する所のフォーカス演出くらいかなあ?あと、哀れな犠牲者が吹き飛んでカットからアウトして、入れ替わりにザンボットが飛んでくるのがすごい残酷でカッコよかった)
また、サブタイトルほど、勝平と香月の友情のこじれが描かれているという風でもない。香月は5,6話で勝平とは心理的には決定的に決別したからなあ。5話で香月の家族がいなくなったし。今回は勝平と香月は顔を合わせてないし。(逆に残酷だが)
ただ、事件的には香月組が今回、勝平の実家の基地を襲撃して、新世紀エヴァンゲリオンの劇場版25話の戦略自衛隊みたいになってしまった。これが「さらば!わが友よ」なのかな?
いや、ブスペアのアキとミチとの決別だろうか?
香月に基地を荒らされて、勝平が「徹底的に戦ってやる!香月に見せてやるんだ!」と叫ぶのが、決別かなあ?いろんな決別があるよなあ。


しかし、ザンボット3は7話で人類同士に基地を荒らされるのがエヴァンゲリオンより展開早いな。ファフナーで人類同士で戦ったのは10話くらいでしたっけ?ていうか、キング・ビアルの司令室の大モニターやコンピューターのキーボードの配置がエヴァンゲリオンのNERVの発令所に似てるなあ。やっぱり庵野監督はライディーンとかザンボットとかが好きなんだなあ。


●母の体罰
今回のドラマの主軸は、攻めてきた香月が勝平の母の花江に猟銃で威嚇射撃して、花江のビンタで吹っ飛ばされるという教育的指導の場面。
引き金を引いて、銃を構えながら「だから言ったじゃん、動いたら撃つって言ったじゃん」と震えて言い訳をする中学生の香月をビンタする花江がすごい母の強さ。
他人の子に対しても、自分の子供のかつての友達であった香月に、猟銃を向けられてるのに命がけで体罰で身体的接触をする、って言うのが花江の母親としての強さだなあって思う。
体罰を描いていこう、って言うのはザンボット3のテーマだった、って言うのは富野自身の「ガンダムの家族論」でも触れられてましたねー。70年代後半も既に親子の語らいという肉体言語や接触が減っているのが問題視されてた。
まあ、それは21世紀が10年過ぎても悪化してるんですけど。90年代に育った人がゲーム感覚で子供を作って、子供を捨てたりする時代ですもんねー。70年代の問題意識は全く役に立たなかったのかしら?まあいい。
やっぱり花江さんは理想的な母親ですよね。女性ってのはやっぱりうちに閉じる傾向があるけど、よそのうちの子供も叱る小母さんというのがすごい偉い。
で、香月は殴られて泣くんだけども。それはそれで、かわいそうなんだよな。なんでかって言うと、香月は実の両親と妹を戦いで無くしているから。
前回の感想でも書いたけど、ガンダムの家族論で書いてあったように、ザンボット3での体罰は親が権力を振るうっていう側面もあるけど、「肉体の接触」「ふれあい」「あなたの事を本気で考えています、と言う態度を感覚で分からせる行動」って言う風に描かれているのね。だから、花江が香月を殴って「人に銃を向けるのはよくない」ってわからせる、っていうのは温かみのある行動なんだけども。同時に「香月は実の親にこういう風に殴ってもらう事は永遠にない」「香月の母親の手の温かみは失われた」って言う事も香月は感覚で理解しちゃった。それで、泣いた。
単純に花江に悪い事をしたって言う反省だけでは、こういう泣き方はしない。「自分の事を本気で心配して手をあげてくれる人は、他人の親で、自分の親はもういないのだ」と言う事を、香月は思い知らされてしまって、泣く。それで、退散するんだけど、花江も香月のそういう寂しさを理解して「こうちゃん・・・ごめんよ・・・」と泣く。花江が泣いて詫びたという事は、花江も香月に親がいない事を思い出させて、彼を傷つけたという事を実感したんだと思う。銃を向けられて反撃しただけだと、こういう謝り方はしないし。
それと、ここでの花江のビンタ行動は「母として」とか「息子の友達に対して」じゃなくて「相手が子供だろうと、大人の人間として全力で意見する」という、人間としての温かみであって、家族と言う狭い領域に捕らわれた行動ではない。だから、僕みたいなマザコンをこじらせた人間でも、いい人だな、って思える。


であるが、ここでドラマの軸となる重要な感情の要素である、「香月が親を亡くした事に傷ついている」って言う事は全然言葉では説明されず、表面上は香月はほとんど神ファミリーに攻撃を仕掛けまくっているという行動面ばかりが目立つ。ここらへん、何でも言葉で説明しないで演出の雰囲気とか台詞や表情の変化の繋がりで、間接的に雰囲気を伝えるという奥ゆかしさがある。



それと、香月も自分の気持ちを気付いてはドラマが動かなくなる。
「俺は両親がいなくてさびしいんだ!」と言う事を香月が自分の口で言っちゃうと、彼が自分で自覚しちゃうことになるし。あくまで、香月も自分の気持ちに気付かなくて、気付かないふりをして、強がって、悲しみを攻撃性に転嫁させるって言うのが実際なので、内面は説明されないのだ。香月も自分がどういう心理なのかわからずに狂ってるからこそ、その漠然とした欲求不満感を解消するために間違った暴力を振るう。
だが、なんとなく視聴者には伝わる。ここら辺のドラマ演出の素晴らしさがすごい!作画はすごく漫画っぽい、4等身とかのキャラクターなのに・・・。でも、ちょっとしたまゆ毛とか目じりの変化で表情の細かいニュアンスを伝えるのがいい。むしろ、リアル作画の洋画表情は読み取りにくいのかもしれない・・・。漫画っぽいキャラの方が細かい感情を増幅して描けるのかなあ?


ちなみに、おおかみこどもでは母親はパワフルで優しい、良くできた母親だが、

だって子供に手え上げないんだもん。あげるだろ普通。上げてしまう母親が人間なのであって、だからこそ他者が必要なのである。手を上げない母親像を称揚しちゃうのは、上げざるを得ない母親を救うことにはならないと思う。
https://twitter.com/yusukelala/status/226756091638321152

おおかみこども、いい映画であることを認めた上で、それでもあの映画の母子関係部分を素直に受け入れちゃう男は、俺は信用できない。
https://twitter.com/yusukelala/status/226754875759943680

体罰はないのか・・・。
そして、時をかける少女で富野が問題にした、社会性もないのか・・・。

山奥に篭る以前の、子どもの異能について誰にも相談せず、人に会わせず、病気になっても病院にも連れて行かないで自己解決を図ると言った部分ですね
https://twitter.com/gigir/status/226854611372355584

雨と雪が「おおかみこども」であるということは1対1の関係性をもったもの以外には秘匿されたまま映画は閉じる。彼らの生活を保障した「ムラ社会」は最後まで彼らの来歴に無関心を貫く。ここは人間の暮らす世界ではなく幻想郷の一種なのだろうという納得はしたが。
https://twitter.com/gigir/status/226859170408833024

ザンボット3は、家族が社会からどう見られているか、って言う事と、家族の母親が息子の友達に対して激しいアクションをする、という事が描かれてて、社会性の塊みたいな話だ。でも、アニメでは社会を見たくない、って言うのが、オタクや一般の娯楽期待視聴者の気分だし、やっぱり富野は一般社会では売れない系なんだと思う。

やっぱり、ライトに娯楽を消費したい人は、富野ほど胃に持たれるようなアニメは見たくないもん。見た目と演出が綺麗で、軽いストーリーが良いんだよー。ジブリとかね。


●父の体罰
で、花江の夫の源五郎が殴るのは息子だ。
勝平は自分の留守の間に香月組にキングビアルの操作設備を金属バットなどで破壊されて、香月に対して怒りをあらわにして泣く。「香月の馬鹿!バカ!」と泣き叫ぶ。
で、父は「それ以上言うな!今後の事を話し合うんだ!」って言って勝平を殴る。それで、勝平はちょっと大人しくなる。
前回の6話の勝平は父に殴られた後、「お前の気持ちは父ちゃんが全部分かっている。それではいやか?」と言ってもらっているから。こういう風に、子供は一回殴った程度では話を完全に理解しないで、感情で動いちゃう幼いものだ、って言う視線が大人の作り手が作ってる感じがして、リアル。子供には何度も何度も教えて、体と体でふれあって信頼関係を作らないとなあ。子供は何度も失敗するし。
でも、源五郎が「これはゲームではない、本当の戦いなんだぞ!」って言うと、勝平は「だから嫌なんだよーぅ!」と叫んでしまう。これは本当に辛い・・・。


で、体格のいい漁師の網元の父親が殴るのは息子で、その妻が殴るのは息子の友達。
やっぱり、たくましい男が他の家の子を殴ると、リアルな暴力と宣戦布告に成るからな・・・。源五郎が戦う相手は香月君ではなく、ガイゾックだし。
ただ、男の子には男親の体罰って言うか、本気でぶつかってくれる信頼感みたいなのは必要だよな・・・。でも、6話で、源五郎体罰ではなく、ものすごい理路整然とした正論を香月に教え諭していたから、やっぱりこの夫婦は香月に対しても真剣に向き合ってる。源五郎は縛られた状態で敵の空襲のど真ん中にいるという危機的状況で、香月に正論で説教する事を命がけで優先したので、すごく大人の責任から逃げない大人だ・・・。香月の将来の人格形成を心配してくれている。
でも、今の親の体罰は単に親の権力で弱い子供を命令するだけのDVで、教育的指導、子供の将来の人格構築を考えてない人が多い。まあ、それだけ親にも余裕がないんだろうけど。私も三十路だしなあ。自分の子供は作らないけど、他の子供の模範となるような大人にはなるように交通ルールは守りたい。



●疑似家族の崩壊
7話では、神夫婦の香月真吾と神勝平への体罰が印象的だが、今回はもう一つ、ブスペアの疑似家族という要素もある事に注目したい。
ブスペアの茶髪でそばかすのアキとふとましいミチが静岡から怪獣の襲撃を避けて四日市に避難して、それでも怪獣の空襲に遭って酷い目に合う。それで、二人は両親からはぐれる。(ほんと、富野アニメの親ってすぐ死にますね)
そこで、戦火の中で投げ出されて生きていた乳飲み子を抱いた東京から逃げてきたトラック運転手のオッサンと、アキとミチが一時的にグループに成る。こういう風に、酷い空襲の後に、行きずりの人たちが仕方なく助け合う疑似家族を作る、って言うのがあるあるネタですね。東日本大震災で直接被災した人も、自分たちの親の所在がはっきりしなくても、とりあえず近くにいた生き残りの人と励まし合った経験があると思う。
だが、そのグループはあっさり解散。
ミチは大けがをして、神ファミリーの基地での治療を受けるために収容される。オッサンと赤ちゃんは、アキと勝平が口論している間にどこかへ去る。(再登場するの?)
そしてアキは「私たちは次々と起こる恐ろしい空襲から逃げまどうばかりなのに、勝平君は得意になってロボットを操縦して、キライ!」と言ってしまう。
勝平は元気で単純だけど、戦闘を楽しむように人格を改造されているような面もあるし、改造されてなくても好戦的だ。だから、戦闘が得意になっていて鬱陶しいって女の子に言われるのはわかるなー。そして、それって、ロボットの玩具で遊ぶ男子が一番聞きたくない意見だったりするんで、富野は残酷な作品作りですね。ていうか、ロボット玩具を売るためのアニメで、こういうロボット戦闘批判をするとか、嫌がらせかよ。でも、ザンボットのポピニカの玩具とか、キングビアルとザンボットの合体したおもちゃは割と売れたらしく、ダイターンやガンダムの資本的土台となった。そこが不思議ではある。コン・バトラーVみたいな楽しいロボット戦闘を批判してるザンボットなのに・・・。


しかし、この脇役の赤ちゃんとおじさんの疑似家族みたいな展開はストーリーの主軸には関係しないけど、戦場での避難民らしさは出ていますね。


●香月の使命感
香月が治療のためにキングビアルに収容されたミチを助けるために、キングビアルを襲ったのは、「ミチがキングビアルにいたら治るものも治らなくなるから取り戻す」っていう暴走した正義感だ。神ファミリーをガイゾックに引き渡したら襲撃はやむんだ、っていう間違った思い込みだ。
香月は両親が死んだことや、戦闘に関われない無力さに捕らわれているけど、そういう欲求不満が「ミチのため」という親切心や女の子の前でいい恰好をしたいという理由付けがあると、すごく暴走しちゃうよね・・・。もちろん、女の子を守ろうとするために頑張る事は良いんだが、どういう風に頑張るのが正しいかわからないとどうしようもないな。



■第8話「廃虚に誓う戦士」
脚本:吉川惣司 演出:石崎すすむ  絵コンテ:磯浜太郎  作画監督:長谷川憲生

香月に操作系統を破壊されたキングビアルは、たった15人の神ファミリーが寝る暇を惜しんで回路を修理した。しかし、全体は上手く動かず、ピンチ。
そして、さらに、ザンボットメカの2号機、ザンブルのパイロット神江宇宙太の母のすみ江さんが「もう戦いばかりの毎日は嫌ザマス」ッて言って、夫の神江大太も怪獣が自宅のある東京を襲ったからって言って、キングビアルの一部のビアル2世を分離させてグループ行動を乱す。こういう風に、大家族でも結局は自分の財産にこだわって行動して大局を見失う個人の集まりでしかない、って言う絆の限定性がリアルでナイス。
富野キャラはホント、エゴが強いし、その割に頭が適度に悪いしヒステリックで、リアルだよなー。
親のダメな部分を見せられて悔しく思う宇宙太の気持ちには共感する。


●弱い母、すみ江
前回の勝平の母、花江は猟銃を持った中学生を平手で張り倒すような肝っ玉母ちゃんだった。対して、今回、クローズアップされる宇宙太の母、すみ江は宝石と、東京で大きな医院をしている自分の夫の家が大事な、弱くて虚飾にまみれた母だ。
宇宙太の母のすみ江は、息子が地球全体のためにロボットに乗って必死こいて戦っているのに、「お隣まで火が来ていたけど、うちだけは無事だったのよ!」って嬉しそうに言いながら掃除をするような視野の狭い自己中心的な女だ。それで、宇宙太は「この焼け野原の中で、後生大事にこの家を守っていくつもりかい?」って吐き捨てて、すみ江は「いけませんか?!」と逆ギレして、すごく母親の鬱陶しさが炸裂する。
こうだよねー。これが富野アニメの家族だよねー。親であっても自分のことしか考えないクズの大人だから、子供が命をかけなくちゃいけない、って言うすごく残酷な・・・。
でも、女ってそういう部分もあるよね。実際、東京が焼け野原になって自分のうちだけ焼け残ったら、辛い世間の現実から目をそむけて自分の家に引きこもりたくなるもん。一種の精神的逃避行動で、狂気ではあるんだが。特に、女性は自分の夫と子供と家だけを守れれば他の家族はどうでもいい、って言う習性もある。
だから、今回は前回の勝平の母の花江と対比している。
前回の花江は、外向きの母性、違う家の子にも本気で説教をするというという公共精神。
対して、今回のすみ江は、神ファミリーという大家族の中であっても「私の家の周りが火事に成っても、どうせ他人事なんでしょ?私たちは私の自宅を守ります」っていうすごく狭い内向きの女の習性を描いている。嫁姑問題とか有るし、世界の命運を握るという極限状態になったら、むしろ結束するよりも個人個人の生存欲求を優先する奴も出て、共同体が協力しなくなる。
こういう大家族の鬱陶しい面も描いているのが、サマーウォーズよりもザンボット3の方が好感が持てるという所ですね。俺は都合のいい幸せを見たらうらやましくて憎くなるんだ!おれは心が歪んでいる!
幸せな家族ってやつさ!
あと、この神江家の嫌だなーって言う部分は、神江すみ江が宇宙太の正論を聞かないで自己中心的な発言したときに、夫の神江大太が宇宙太に「母さんには私が後で言って聞かせるから、今はそっとしてやれ」と、母のヒステリーを半ばあきらめてる所。
対話を放棄して子供の前で取り繕っているだけの枯れた夫婦って感じがすごい嫌。母親と対話しないで、「どうせ女はヒステリーを起してるだけだから、ほっといたらおさまる」と、放置してるような弱い父親、夫、こういうのがすごくリアル。だから嫌。厭だけど、嫌なものをキチンと描いているこの作品は好き。
母親だとか、妻だとか言っても、所詮女は人間のメスでしかないし、話を聞かない自己中な馬鹿とは会話をするのがめんどくさい、って言う夫の気分もわかるんだよなー。だから、それが余計情けないんだけど。宇宙太は母のクズな所も嫌だし、それをいさめない父の弱さやずるさも嫌だったと思う。
で、だからこそ、宇宙太は親が鬱陶しいからこそ、人間関係を客観視できる子に育ったと見える。そこは皮肉屋な所もあるけど、戦局を客観的に分析できる戦士になった。


そして、宇宙太は親を説得するのを諦めて、自分で親からビアルII世を強奪して、戦う。そして、勝平と協力して勝つ。言う事を聞かない親は、無視して自分で命がけで戦わないといけない、と言う、スゴイ辛い家族への認知だな。でも、だからこそ、それが自立心に繋がると思う。それに、親は選べないけど、自分の行動は選べる、それが人生。
親には絶望するけど、自己決定権があれば、人生には絶望しなくて済む・・・。深い。
カミーユやショウ・ザマもそういう所があったよ。


●良い母性の花江と悪い母性のすみ江
どちらも母性の両面を描いていると思う。息子の友人の子に対する優しさ、自分の家に対する防衛本能、どちらも母親らしい。この、神ファミリーは両親だけでも3パターンあるので、外交的な母親とか内向的な母親とか、いろんな人が描けて良い。「母は良いものだ!」って言うのと「母親ウザイ」っていうのと、いろんな面が違う登場人物を介して描けるというのが豪華。それに一方の意見を出すと、次は逆の意見をだして、バランスを取るという構成も、偏った主義主張に成らないように気をつけて作っているという作り手の誠意を感じる。
つまり、人間は色々いるという事です。それぞれに考え方が違うという事実です。
そういう人が集まって社会ができている、って言う社会性を意識した所も、富野らしい目の付けどころだな。
あと、花江の夫の源五郎は地域に密着した網元の漁師で、花江は夫が漁に出てる間に地域をまとめる役。地方共同体の人。だから花江は香月を心配する。
すみ江の夫は裕福な開業医。だからすみ江は自分の財産だけを心配して、近所が焼け野原になっても無視。
こういう、夫の職業でも女が変わるというのを、多少ディフォルメしているだろうが、描いているというのも、示唆的だ。
女も社会の中で生きている。


狂言回し、道化、コロスとしてのガイゾック
今回、自宅にある宝石や財産を守るために、戦艦を私物化するすみ江が描かれた。
同時に、宇宙人のガイゾックの基地では、宇宙人のキラー・ザ・ブッチャーが宇宙全体から集めた宝石を着て遊んでいた。
この、戯画化したガイゾックの漫画チックな悪徳と、すみ江の生々しい人間的な弱さが、劇として繰り返し構造に成っていて、余計すみ江のクズぶりを盛りたてている。
ガイゾックは主人公たちのドラマには絡まないで、分断した世界でひたすらふざけているんだが、演劇におけるメタファーとか道化、狂言回しと言った演劇効果を担っているのだろうか。


●限定された能力と知能で仕方なく生きる人間達。
この、人と人が分かり合えてない、情報の共有ができない、情報の理解のレベルが違う、個人個人で守りたいものが違う、という組織のグダグダ感がすごくリアルで、富野らしい人情(歪んでいるけど)って感じで、好きです。人間ってすごく不完全な存在だなーって言う事をキチンと描いている。SFとしてストーリーを進めるためには、登場人物の性格が整理されていたり、脇役同士の不要なぶつかり合いは省略した方がやりやすい。でも、このアニメはSFアニメの体裁であるが、人のどうしようもない所を描く方に力を入れてる感じだ。だから、どうしようもない彼らの人生を見たいと思う。


●主人公、勝平の不完全な人間性
それから、基本的に主人公の勝平がアホガキなので、人の心をわかる余裕のない小さな子供なのだから、脇役の心が全然理解できないで、もめ事ばかり起こしている。
それに付随して、香月の行動の理由とかがハッキリと説明されず、表情などで暗示されるにとどまる描写に成っている。
視聴者の情報レベルを主人公と同じくらいに設定するのはセオリーなんで、「何だかわからない理由でみんなが俺を嫌いになる。だから嫌なんだ!」という風にしか勝平には理解させない。この時点では世間の誰にも理解されない勝平を描く段階だからだ。
しかし、とても不安定で友人との関係も上手くできないようなダメな悪餓鬼の勝平が主人公で世界の命運を担うロボットのメインパイロットって、その時点でブラックユーモアで、救いようがない。勝平の兄で、冷静な一太郎だったら、もっと的確に戦えただろうに・・・。って言う面もある。でも、それだとドラマチックにならないのか?
人と人が分かり合えない、という現実と同時に、「まだ子供だから現実自体が上手く理解できてない」という子供っぽさが、いろんな事件、ドラマを巻き起こしてるな。勝平が悪餓鬼じゃなかったら、香月関係の闘争は起きなかったわけだし・・・。でも、勝平が事態の深刻さに押しつぶされない元気なガキだから、辛気臭さが薄れる、って言う面もあって、難しい。
それに、人の心や社会の力関係や因果関係を分かっていない中学生の餓鬼が、戦いを通じて少しずつ人の心とか、自分が他人からどう見られているかと言う事を知って、大人になって行く、と言う厳しいビルドゥングス・ロマンという側面もあるんだろうなあ。だから、この段階の勝平は、スーパーヒーローでもないし、人格者でもない。
そんなガキに巨大ロボットを与える残酷さ、と言うのも、バカに刃物、人間に原子力を持たせるような、道具や武器との関わり合いを描く事をライフワークにする富野の初期作として、すごく一貫したテーマだよね。


いや、現実が辛いからアニメでも辛いのを見るのは嫌だ、って言う意見もわかるんだけど、僕は人生は辛いのが基本だと思っているので、辛くないものを見ると嘘をつかれてるような不快感があるんです。楽しそうな人ってのが理解できなくて気持ち悪い。
まあ、ギャグアニメなら割り切って見れるけど。


しかし、ザンボット3はギャグみたいな絵柄で身も蓋もない話・・・。

  • しかし、作画のヘボさが逆に残酷

しかし、ザンボット3の作画はヘボいなー。70年代の中でもヘボい。しかも、キャラクターの頭身が低くディフォルメされてて、元祖天才バカボンとかド根性ガエルみたいなギャグアニメみたい。そんなヘッポコなキャラクターが「焼津から四日市まで避難しても、怪獣が襲ってきて日本中がめちゃめちゃになる」「毎日空襲におびえる」「人間同士で不条理に憎み合って、話し合いができていない」という酷いドラマが・・・。
ほのぼの日常ギャグ漫画みたいな絵柄で残酷リアルな人間のギリギリの狂気の感情を描いている・・・。ヤバい・・・。まどかマギカみたいやわ・・・。

  • キラー・ザ・ブッチャーキモい。

あと、こういう残酷な災害という現実や人間同士の憎しみの元凶であるガイゾックが戦場と完璧に分離していて、ギャグアニメっぽく、平和で豊かな生活を満喫して面白半分に地球人を殺しているのが、なんだかアメリカ人の無人爆撃機って感じで皮肉が利いてて、21世紀でも飽きずに楽しく見れる。
ほんと、ガイゾックは酷いなー。魔法少女まどか☆マギカでもキュゥべぇが悪かったけどかわいかったなあ。でも、キュウべぇもブッチャーも生理的に気持ち悪いなあ。

  • ザンボットムーンアタック

あんまりゲージの上昇とか、弾数制限とか、なくて気軽に発射できる感じで、あんまり迫力でないなあ。効果音もふわふわしてるし。まあ、そう快感を味わうためのアニメじゃないからなあ・・・。

  • 永井一郎の神北兵左エ門のリガ・ミリティアっぷり

孫を戦わせて「戦士には戦いしかないのじゃ」「戦って勝つことの積み重ねが世論の共感を呼ぶのじゃ」とか、リガ・ミリティアの爺たちみたいで、子供兵士を肯定していて、マジでキチガイっぽい。子供じゃないと睡眠学習が出来なくてザンボットが動かせないという理由だし、子供番組だから子供がロボットに乗らないといけないけど。
でも、祖父がこんな感じだったら、俺は嫌だな・・・。
でも、本当に戦争に成って人類が滅ぶかどうかの瀬戸際だったら、こういう狂気のような戦闘思考ができないと死ぬ。ガンダムAGEフリットみたいに敵をせん滅させるって言うほどの余裕もなく、ザンボットはとにかく戦い続けないと死ぬから戦う。修羅の地獄だ・・・。ほんと、ザンボットどうしようもない・・・。終わりのないディフェンス・・・。

  • ビアル星人はおおかみこどもか?

神ファミリーは宇宙人の子孫だ。だから普通の人間とは違う。でも、普通の人間の嫁とか婿の血も入っている。
ここらへん、おおかみこどもに似ている。だが、おおかみこどもはあくまで普通の人間社会からは隠れている。
対して、ザンボットはその正体を世界中にいつの間にか流れで知られてるし、派手に暴れないと人間社会も滅びるから戦う。
ここらへん、社会という形のない、輪郭も曖昧なものと向き合おうという神ファミリーを通じた社会性の真摯さがあって、富野だなあ・・・。


対して、おおかみこども

(大人の)観客は3人と秘密を共有し、母親に価値観を重ねて映画を観る。子どもふたりはファンタジックな存在だが、母親は普通の人間。彼女は子どもたちに「無事に」「元気に」育ってほしいと願う。「無事に育つ」イコール「秘密がバレない」ということ。そうした不安要素が縦糸として編み込まれた、緊張感のある物語として映画は幕を開ける。


言い換えれば、この作品は刺激的な素性をもっている。明かせない出生の秘密を背骨に据え、ハーフに対する差別のメタファーを陰湿に盛り込めば、辛い出来事が起こるたびに観客が途方にくれる残酷な映画、すなわち「心臓に悪い映画」へと舵を切ることもできる。主題そのものは、そういう資質を備えているわけだ。


しかし安心してほしい。シナリオには「子どもの成長を見守る親」に気持ちを重ね、ただひたすら無事を願う観客の期待にまっすぐ答える用意がある。
INTERVIEW『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督: 「アニメがもつ記号性を、一度解体する必要があった」 « WIRED.jp

ザンボットとは全く逆で、世間との闘争はないハートフル感動ハッピー映画のようだ。
なんで、こんなクソなニュースが飛び交う糞な世間をそこまで信用できるのか、田舎の長野に行けば解決するのか、田舎の人はそんなに優しいのか。夢見てんじゃねえよ。ザンボットの方がよっぽど真剣に作ってある!


って、思うんだが、富野は褒めてるんだよなあ。なんでだろうなあ。
時をかける少女よりは、社会を気にしている母親が描かれていたからなのかなあ。
でも、人間社会から隠れて花は子供を守るために田舎に引っ越す、って言うのは、子供をまもるためだけの狭い視野の女性の悪い部分かなーって思う。でも、雨は先生と出会えたから良いのかなー?
うーん。子供が無事に育てば、社会がどうなっても良い、って言うのは宇宙太の母親みたいに子供のを自分の家や縄張りに閉じ込める鬱陶しい母親って感じだけど。

富野由悠季監督のコメント全文

 「おおかみこどもの雨と雪」の衝撃 富野由悠季


 新しい時代を作ったと言っていい。革新を目指していると言ってもいいだろう。が、作者であり監督は、そこまで意識していたかどうか。手法を追求していったらこうなったのかも知れない。

 どうであれ、本作の前では、もはや過去の映画などは、ただ時代にあわせた手法をなぞっているだけのものに見えてしまうだろう。

 本作は、変身物でもなければ、恋愛物でもないし、エコやら環境問題をあげつらったメッセージ物でもない。まして癒やし系でもない。

 それら過去のジャンル分けなどを飛び越えた物語になっている。描写が冷静だからだろう。文芸大作と言っても良い。それほどリアルに命の連鎖を描き、子供の成長の問題を取りあげている。そこに至った意味は刮目(かつもく)すべきなのだ。

 むろん、技術的に気になる部分があるのだが、細部の問題などには目をつぶれる。しかし、アニメならではの手法で可能になっている構造でもあるので、アニメ映画というレッテルを貼られてしまうのが、無念ではある。

 このような作品に出会えたことは、同じ作り手として幸せである。

 アニメの可能性を開拓してくれたのだから、本作に関係した監督以下のスタッフに敬意を表する。
http://mantan-web.jp/2012/07/20/20120720dog00m200050000c.html
削除される前に魚拓とっておきますね。

富野監督が細田守監督をこのタイミングで褒めたのは、「おおかみこども」が名作、というより「いつまでも宮崎駿を時代の中心にしておいたら業界的に困る」という政治的な意図を感じないでもない・・・。
かといって富野が中心に成っても若手の育成に成らないし。若手世代で、マニアではない軽い一般視聴者層にも目立てる神輿に成ってくれるのが細田さんと言う事かなあ、と。
庵野秀明さんも売れてるけど、もう一人下の世代のスター監督も欲しいよね、と言うマネジメント。
プリキュアも売れてるんですけどねえ・・・。
10年前は富野は小林愛の関係でクレヨンしんちゃん原恵一監督オトナ帝国とアッパレ戦国を褒めてたけど。
まー、富野監督は基本的に世間で評価されてるものはそれなりに評価する、って言う一般受けを重視する面もあるしなあ。でも、僕は富野監督が一般人気を失っても、好きだよ。
一般人って考えが浅いんだもん。もっと絶望しろよ。