玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

おにいさまへ… 4、5巻 17〜26話 生と死を超えて

17 追伸
18 夢の中へ
19 うたかたゲーム
20 花鋏
21 学園祭
22 夏の日のセレナーデ
23 禁じられた贈り物
24 アンコール
25 薔薇のルージュ
26 あかし、二人だけの雪


一気に見た。
おにいさまへ… 13〜16 芸術だけが真実 - 玖足手帖-アニメ&創作-
感想は上記とあまり変わっていない。
話は色々と移り変わっているし、毎回見所があるんだけど、学園日常ものであり、また、いくつもの登場人物の問題行動が並行して進んでいるオムニバス的な構成なので、イマイチ、物語がはっきりと進行した感じはなく、感想もあまり変化していない。
各話解説を書いたり、謎解きをすべき作品でもないしね。わからなくても、雰囲気で感じるアニメだし。


ところで、先月末、母親が自殺する前、私たち家族は毎朝「連続テレビ小説 純と愛」というクソドラマをゲゲゲの女房からの惰性で一家で見るという習慣があって、そのせいで私の母親が心を病んで自殺したという部分もある。
母親は死ぬ前に純と愛を見て「どうしてドラマみたいにうまくいかないんだろう」「私は家族に失敗した」って言っていた。遺書にも純と愛の母親の本性のように「お父さんと結婚したのは間違いだった」って書いてあったし。
純と愛みたいな糞みたいな露悪趣味のドラマをNHKが垂れ流さなければ、母親は死なずに済んだような気がする。


そういうわけで、純と愛を僕は呪っているんだけど。


おにいさまへ・・・も母親の自殺に関係している。


と、言うのは、母親が自殺する2、3日前、僕がおにいさまへ・・・のアニメを見ながら原作本を読んでいると、母親がそれを見て「池田理代子のデビュー作だね」って言ったのだ。私は母親とベルサイユのばらの演劇を見に宝塚に行ったこともある。母親も池田理代子を読んでいたようだ。

おにいさまへ… (Chuko・comics―池田理代子中篇集)

おにいさまへ… (Chuko・comics―池田理代子中篇集)

おにいさまへ・・・も言ってしまえば精神を病んだ女が自殺する話なので、私がおにいさまへ・・・を見ていたことが母親を自殺に追い込んだ一つの要因かもしれないって思って、辛い。


だが、純と愛はもう見なくなったが、おにいさまへ・・・は見る。
純と愛は呪われているが、おにいさまへ・・・は呪われていない。
なぜか?
純と愛はつまらないが、おにいさまへ・・・は面白いからだ。それだけだ。
おにいさまへ・・・は芸術性が高いが、純と愛は芸術ではない。それが感じられない人間は魂のない生物として、永遠に唾棄されるべきだ。


純と愛は純然たる糞ドラマだ。全くつまらない。演出もつまらないし演技もクソだ。NHKという看板と家政婦のミタという過去のヒット作に頼りきって、何も考えて作られていない、糞ドラマだ。思考不足だ。脚本の練り込みも足りてないし、演出も演技も、誰も何も考えずに垂れながして作っているような知性不足を感じる。
単にドラマを進めるために、強引にオチをつけるために、使い捨てキャラクターを出して、その人生を弄ぶ記号的な脚本が非常に糞だし、そんな記号的な脚本を無批判に撮影するスタッフもクソだし、それに従っている俳優もクソだ。


対して、おにいさまへ・・・はNHKで放送されたアニメだろうが、原作が大ヒット作家の池田理代子という作家だろうが関係なく、全スタッフが芸術性を高めるために全力を尽くしていることが、原作からの脚色のさじ加減から、音楽から、絵から、撮影の光と影から、編集のテンポから、声優の声の抑揚から、全て、感じられる。努力と考察と、そして芸術の神の手に委ねる偶然性の覚悟が感じられる。


特に、杉野昭夫の絵がいい。出崎統といえば、ハーモニー演出だが、ハーモニー演出が豪華なものであるという感触は21世紀のアニメにはあまり感じられないものだ。もちろん、これは撮影技術やデジタル作画技術の進歩によるものであり、一概に21世紀のアニメが悪いとも言えない。
ただ、「セル画よりもハーモニー絵の方が豪華」という価値観が90年代初頭には確かにあったし、それを支える、「一枚絵でも充分鑑賞に耐える素晴らしいハーモニー絵」という説得力がおにいさまへ・・・の絵にはある。
近年、ギャグとして用いられることの多いハーモニーだが、実際のハーモニーの使い方はこうだったんだよなあ・・・。俺が子供の頃のアニメは、ハーモニーが美しいものだという感触があったよなあ。

おにいさまへ…DVD-BOX1

おにいさまへ…DVD-BOX1


しかも、おにいさまへ・・・のすごいところは、ハーモニーの一枚絵が一枚の絵ではなく、時間によってほかの絵に切り替わり、あるいは他の絵につながって動き、鑑賞行動が演出によって制限されているということ自体が芸術になっていて、「ああ、一枚絵でありながら一枚絵ではない、時間芸術とも融合した素晴らしい美しさを持っているなあ」と感じ入るのである。
哀しみのベラドンナにも通じているよなあ。水彩画、油彩画とセル動画のハーモニーが織り成す美しい感触。


3回パンの1回1回のPANスピードの一瞬一瞬、カメラの加速度の緩急にもすべて演出意図があり、全てにおいて感動させようという作り手の努力が感じられ、そのような達人のようなお点前を見るに、私は嬉しくなって笑顔になるのです。


すべてのキャラクターに生命力があり、脇役にも人生の深みを感じさせて、人を使い捨てにしないという態度があり、それが作品全体の群像劇、人生讃歌というテーマ性に通じている。この点においては、一般人を殺戮するジョジョの奇妙な冒険よりも脇役を大事にしているということで生命讃歌と言える。おにいさまへ・・・には人生の重みと美しさがある。


純と愛は「とりあえず沖縄とかアイドルを映しておけばキレイだろう」というような杜撰さを感じてクソだし、「とりあえず持ち上げて落としたり、ショッキングな事件をさせれば興味を持たれるだろう」という糞みたいな筋書きが実にクソだ。呪われている。
だが、私の芸術仲間の友人によると、私は呪われている愚かで汚らしい人間社会を呪うよりも、美しいものを見るほうがいいらしいので、おにいさまへ・・・の話に戻る。


私の母親は若い頃はバスケットボール部員であったし、宮様のようにプライドばかり高くて、それが満たされなかったために自殺したというところがあり、おにいさまへ・・・の女性たちの心の傷のシーンを見ると、私の心も悼むのである。しかし、そんな辛さすらも愛おしく、悲しい人生すらも美しいものに思えるような、そんなカタルシスがおにいさまへ・・・にはある。


もちろん、私や、母の夫である父親には、母親の愛に飢える心を満たしてやれなかったのだ、アニメのように美しくはなれなかったのだ、という辛さも感じる。
その点では「どうしてドラマの純と愛みたいにうまくいかないんだろう」という母親の呪いに近い。
だが、おにいさまへ・・・のアニメは「うまくいかない人生、それもまた、愛おしい」という美学、生命力を感じる。理屈ではない。だが、同時にかなり計算された構成力、脚色の順列組み換えの知恵を感じる。ああ、出崎統は確かに生きていた!


宮様、一の宮蕗子の心の闇が原作よりも深く、アニメーションでは描かれている。詳細なエピソードが付け足されている。だが、それが単なる心情の伏線回収や説明ではない。むしろ説明としては原作の方がわかりやすいのだが。アニメで付け足されたエピソードは情熱や芸術性は高いが、イマイチ何が起きてるのか、キャラクターは何がしたいのか、何を訴えるための演出なのか、わからない点が増えている。だが、そのわからないことをわからないなりに美しく、重みを持って描かれるということに、人生の深さを感じる。


おにいさまへ・・・のOPで印象的な「顔のない少女」は、少女革命ウテナや、さよなら絶望先生ターンエーガンダムDVDの油絵ジャケット、輪るピングドラム(多蕗の母)に受け継がれているし、その源流は佐伯祐三印象派のモネ(日傘の女性)などに遡るのだろうか?美術史的にはもっとあるのだろうが。

本作で、この「影を落として表情を消した顔」が一番効果的に使われているキャラクターが一の宮蕗子であるし、それが宮様の心の深さ、美しい表情を作るのが上手いお嬢様が「絶対に見せられないような表情」「絵にも描けない壮絶な心象」をしているのだ、という表現になっていて、描かれないことで底知れない人の心の深さを描いているなあ、というのが印象的。特に20話ね。この出崎統の黒味を生かした演出のうまさはすごい。


そういうわけで、私の母親の人生は借金と、冷え切った夫婦と、将来の見えない社会や私のような精神を病んだ息子のせいで自殺ということで終わったのだが。だから、自殺を扱った作品をまだ四十九日も住んでいないのに見るのは辛いのだが。
だが、おにいさまへ・・・で自殺未遂を繰り返す精神の不安定な女たちを見るに、辛さよりも、なぜか愛おしさを感じてしまうのです。それはそれで涙が止まりませんが。
中途半端につまらない出来の悪い空気みたいな作品を見るよりも、圧倒的な美意識で構築された思い作品を見たほうが、なんだか心がスッとする。そもそも、僕は母親が生きていた時から、ずっと社会恐怖症で、世界が怖かったが、アニメを見ている時だけスカッとしていた。それは母親が死んでからも変わっていないようで、やはり本当の芸術には肉親の死すら、出崎統の死すらを乗り越える生命力をも超えた力があると思える。
ああ、美しいものだけが真実だ。


しかし、21話の信夫マリ子さんの学園祭での百面相は、原作ではかなり顔を崩した少女漫画だったのだが、アニメでは杉野昭夫の端正な絵柄だった。けど、演出面と、堀内賢雄の演技でユーモアが付け足されていて楽しい。出崎統AIRCLANNADのギャグはちょっと微妙だったけど、出崎統堀内賢雄のコンビはユーモラスだ。
また、若い日の池田理代子フェミニズムの理屈っぽさを超えて、男女の人生を出崎統や素晴らしい脚本家たちがが脚色して、理屈っぽさではなく人の人生らしい台詞回しに落とし込んでいて、人生を感じる。人の人生を大切にして、愛おしむという人を大事にする温かみを感じる。それは人権論争やフェミニズム論争を超えた、もっとプリミティブなよろこびである。
ああ、やはりこういうアニメはいいなあ。


それには、やっぱり原作よりもかなり出番が増えた有賀智子さんの肯定的な友人っぽさが重要な役割を占めていてると思うし、僕もこういう、「明るいけれど、前向きなだけの視野狭窄ではなく、きちんと人の心を察してあげることのできる人」は素敵だと思う。



あと、サン・ジュスト様はなんとなく悩むと、とりあえず海を見に行くところがあり、すごく・・・出崎統です。
僕もいつから海を見ていなかったのかなあ。
海に行くか。
旅に、出たい。