玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

ガッチャマンクラウズ1〜5話感想 後篇 世界を滅ぼすのは僕らだ 「風立ちぬ」との共通点

こないだ、ガッチャマンクラウズでのはじめの正義って空想の産物なんじゃないの?ということや、旧作の善悪の要素を混在させている世界観について述べたので、今回はライバルキャラの爾乃美家塁と怪人ベルク・カッツェについて述べたいと思う。
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  • ベルク・カッツェの事実上の悪


はーい、この星終わたーっ!
ベルク・カッツェは自分の手は汚さず、その星の生物が自ら滅ぼし合うのを見るのが好き。
「お前らのせいで、誰も助からない。世界は真っ赤に燃え上がる」
って言う。
そういう目的を達成するために、ベルク・カッツェがやってることは主に二つあります。
まず、変身能力を使って、なりすまし犯罪をします。もともと怒りや嫉妬の心を持っていた人に変身して周りの人を落としたり刺したり信号機を混乱させたり轢き殺したり怪人活動を行った挙句、その罪は変身元の人になすりつけます。悪いですね!


でも、これだけでは小規模な殺人事件にすぎません。死んだ人には悪いですが、これは前座です。
重要なのは、人の心だよー。ベルク・カッツェ自身も「真犯人は心だよー。おまえら愚かな人間がみんな持っている醜い心だよー。それがどんどん溢れてお互い殺し合ってるんだよー」って爾乃美家塁に言ってる。なんでこういうことを言うのかって言うと、爾乃美家塁を煽って絶望させて、ベルク・カッツェが手を汚さなくても世界が真っ赤に燃え上る破滅の切っ掛けに仕立て上げたいからだよー。
つまり、ベルク・カッツェは「風立ちぬ」の堀越二郎を誘惑してゼロ戦を作らせたカプローニおじさんだよー。そして、誰も助からなかったんだよー。
と、言う風に塁を火種にしようという活動がもう一つ、と言うか本筋の目的で、それでクラウズの力を分け与えまし。


爾乃美家塁はソーシャルネットワーキングシステムGALAX(一人一人が星として輝く銀河のような)と、それを処理する人工知能「総裁X」を作り上げた天才プログラマー。縦割り社会の弊害の世界をアップデートさせて、世界を加速させて革命を起こしたいと思っている天才少年だよー。
でも、同時に無血革命を望む心優しい少年です。どんな事件や事故でも人命最優先です。現在の政治体制、組織運営そのものに疑問を抱いて、「国家や組織の枠組みを超えて、個人個人が直接インターネットでつながりあえて、個人個人の能力を最大限発揮し自己実現することを歓びとする人であふれた世界を作りたい」という理想主義者の天才。すごいいい子。


だけど、塁の「人間は個人の能力を発揮することが喜びだ」という高次元の意欲で満たされるのは一握りの天才くらいのものだ。大体の人間は能力が足りないくせに不正に他人を蹴落として自己保身して喜びを感じるし、自分より幸せな人を見るとねたみや怒りを感じる。そういう愚かな人間の醜い心の現実、事実上の不幸を、ベルク・カッツェは爾乃美家塁に突き付け、「救うに足る人間など居はしないのだ」と絶望させ怒りに燃え上がらせるために目の前で人を殺したり、歪な力を与えたりする。


また、前回の記事で書いたとおり、それは主人公の一之瀬はじめにも当てはまって、はじめは「自分や他人に危害を加えるようなマナーの悪い人も本当はいい人だし、マナーが悪いのにも何か事情があるって想像して自分をごまかして納得させる」という想像上のありえない善を信じようとしている。でも、ベルク・カッツェが悪意を利用して喧嘩沙汰を起こさせたカップルは、はじめが「悪い人じゃないかもですよ」って言ったカップルだった。事実、人間は自己中心的で。クズで、正義は想像上のものだが悪は実態のある事実だ。と、そういうことを塁やはじめに突き付けようとしているのがベルク・カッツェ。
これはダーク・ナイトのジョーカーみたいなものなんだけど。
それだと、まあ、「怪人に脅されたり付け込まれたり操られる悪の心も人にはあるけど、それを毎日我慢して生きている理性こそが人間の素晴らしさだから」というよくある道徳論のオチになりそうでどうなんですかね。
もっと経済的必然性、限られた資源を奪い合う生存戦略闘争として、正義も悪も存在しない無機質な戦争で世界が滅んでもいいと思うんですけど。まあ、それはアニメでは無理かな。
「C」は良いアニメだったけど、マクロ経済の部分は文字通り「神の手」を出しちゃったからな…。


そういう風に考えて生きていたら、基底現実での母親が自殺しました。
特に、母に自殺を強要した覚えはないのですが、母は父親の少ない退職金で新築の家を建てようとして、京都中央信用金庫紫野支店と梅津支店の取り立てと、http://www.e-unc.com/不動産の株式会社アンクルに売りつけられた土地とhttp://www.kawamurakoumuten.com/index.html河村工務店の雑な設計図に苦しんで、自殺しました。銀行も不動産屋も工務店も、自己保身をして生活していただけの犬畜生で普通の動物です。動物がただ生きるだけで、ほかの動物を傷つけて食い物にして自殺に追い込みます。それが現実です。そういう、人間が生きる上で持っている業の汚さや、生きる価値のくだらなさを教えてくれるベルク・カッツェのような怪人はとても博愛主義だと思いませんか。


  • 爾乃美家塁の弱点

5話で爾乃美家塁はハンドレッドナンバー26号の梅田さんに言った。
「私はヒーローにもリーダーにも興味がありません。そんなものがもてはやされる世界はまだ未熟です。ヒーローでもリーダーでもない、一人一人の人間が意識を変えて立ち上がらなければ世界は、永遠にアップデートできない。」
「それは心の底から湧き出る喜びです。金や名誉、地位や報酬など外発的なもののためではなく、同じ志を持つものとつながり、困った人に手を差し伸べ、その手を取り合い、ともに間違ったことを正していく。本来人間が持つ内発的な喜び。その輪が広がって、やがて誰もが無償で助け合う世界になる。そこにはヒーローもリーダーも必要ない。みんなが自分の行為を誇ることなく、緩やかに世界を変えていく。それがギャラックスの目指す革命です」
梅田の言ったとおり、割とこれは甘ったれた考えで、見るからに爾乃美家塁は広い家に住んでデカいコンピューターを作り、バンバン広告を町に張り出す金を持っていて衣食住には不自由していない。飯を食べても(精神的に)「お腹すいたなー」と言うので、逆に精神的な欲望以外は満たされている。マズローの欲求5段階説で、内的に満たされたいってのが塁で、それをすごいセリフでそのまんま説明しちゃっててビビる。まあ、そういう内面の美徳が結局は一番の幸せで、そのためなら別に手足が亡くなっても妄想だけしていれば楽しいという点では同意するが。

梅田は、もっと庶民派で、普通の家庭を持っていて、自分の子供のために金を稼いで生活を良くしたいと思っている。そのためなら、ギャラックスで革命を起こしてヒーローになって、お金持ちになりたい。それはエゴとか名誉欲じゃなくて、子供や家庭を維持したいって言う普通の人の考えだし。むしろ愛です。
こういう家族の経済的生活を守るために他人や国に手をかけたいという考え方は「C」でも何度か繰り返されたモチーフ。
で、爾乃美家塁の理想を共有できるのは、マズローの欲求5段階説での上2段の尊厳欲求、自己実現欲求を課題にしてるくらい余裕のあるエリートなんだわ。
でも、梅田とか一般の人は経済的に安定して食べていくための生理的欲求安全欲求、地位が保証される社会的欲求が必要。だから、自分の職業とは別に総裁Xから割り振られた仕事を無償でギャラクターのハンドレッドとしてオーバーワークすると、自己実現してうれしい、と言うより先に体を壊すし時間もなくなるから大損です。
そこら辺が塁はわかってない。自分と志を同じくする仲間は、みんな自分と同じくらい能力を持ってるんじゃないか、って思ってしまう。天才だから天才でいて当たり前で、そうじゃない奴の気持ちとずれてる。
「きっとそういうのが本当の敵なんだろうな。個人個人の顔を見ようとしない相手。報酬や名誉を抜きに、誰かのために役立つことを喜びだと思えない相手。とにかく…楽しくない相手、みんなかな。」って、塁が言ってるけど、個人個人の顔、考え方の差異を見ようとしないのは塁にもある。同じ方向にアップデートさせていきたいし、それが正しいと思ってる。


だから、梅田の反逆は必然的だし、とても理詰めのストーリー展開です。でも、本当に梅田が自分の利益を優先するんなら、ギャラクターによる革命を塁に強引に提言したり、塁がゴスロリメガネだって批判したり自分が名誉を欲しがってると明かすより、もっと狡猾に塁がクラウズを使うハードルを自ら下げたくなるようなことを言うべきだったけど。
しかし、4話でクラウズの力で人助けして成果を上げたのに、4話中盤でベルク・カッツェが殺人をしたら「クラウズもベルク・カッツェからの力だから使うのはやめよう」ってなって、それは飛躍しすぎなようにも見えた。
ベルク・カッツェのことを知らないメンバーからは理不尽に見えて当然。
ただ、丹下桜総裁Xに「クラウズは異星人の力ではなく、塁、あなたの力です」って言われて再使用に踏み切ったのはヒーローっぽくてカッコよかった。


ただ、爾乃美家塁のウィークポイントって、「ベルク・カッツェと契約してるから」と言うだけじゃないんだよな。
「AIの総裁Xがユーザーをうまく取り仕切ってる」と見せて「LOAD」としての自分は表に出たがらない、と言うのも弱点。(思いっきり広告打ったり、実務っぽいこともしてるようなのに、若手社長として財界に出ていかないのは不自然。年齢的なこともあるだろうけど。『C‐THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY CONTROL』の三國壮一郎は財界人だったが。爾乃美家塁はむしろ天才ハッカーとしての若さと理想主義を描くために子供として描かれたのかな。あと、ボーイミーツガール)


また、総裁Xの取り仕切りは上手いとユーザーには評判だが、これも割と危うい。
牛乳の件では、ギャラックスからの情報を使って学生たちが自動販売機の電源を落とすって言うオーバーキルをしたり、結構暴走気味だったんだが。
なんでそういうことをしたのかって言うと、結局総裁Xが「牛乳の一部が常温で殺菌が不十分だった」ということを恣意的にユーザーに流さず隠蔽したからであろう。
なぜ隠ぺいせざるを得なかったのかと言うと、「牛乳の成分を超法規的に調査しました」「クラッキングした」から。
ベルクカッツェ関係なく、SNSの管理AIが企業の情報をクラッキングするってばれたらヤバいっすよねー。だから、ぼかして通達してるし、総裁Xの恣意的な情報の流し方は人工知能なんだけど、自己保身機能が働いてるので人間のマスコミに近い問題を孕んでいる。

総裁Xから「食中毒が発生する恐れがあります。地域別の注意情報にアクセスしてください。」

ってメッセージは来るけど、じゃあ、具体的にどういう成分が危険なのか、って言う詳細は

視聴者には見せない。(これは劇中で2回以上の説明を省く演出の基本テクニックでもある)映像を利用した叙述トリックみたいな所もあるね。

だから、3話で塁がギャラックスを信用しなかった、ギャラックスからの情報を有効活用できなかった人たちに対して、「責任の所在を怖がって、外部からの情報では軽々と動けなくなる、縦社会の弊害って奴だよね。きっとそういうのが本当の敵なんだろうな」って、言ってたけど、彼は世間のアップデートされるべきシステムの不完全さに注目するあまり、同時に自分の作ったギャラックスに自信を持ちすぎてるから、自分の組織の構造的問題が見えにくくなってるんだろう。


ちなみに、ガッチャマンの情報について、総裁Xは2話の時点で知っていて、知った上で恣意的に

パイマンの画像を一般人向けに流していたのかと思ったら、本当に監視カメラにはパイマンしか映ってなかったから、ベルク・カッツェについて知っていても総裁Xはガッチャマンについての知識はなかったのか…。
っていうか、パイマンはリーダーなのに映るのか…。つーか、これからっしょ。

  • リーダーの顔を見たがらないギャラクターはつまらない相手?

また、そういう恣意的な部分も持っている総裁Xなのに、ハンドレッドはLOAD GALAXとして塁が前線に出たとき「総裁Xが仕切ってるんじゃなくて、あのゴスロリメガネに選ばれたの?」と不満を持った。顔のないAIだって、情報を取捨選択するし隠ぺいもするし、実際恣意的にユーザーをマッチングするのが総裁Xの仕事。なのに、人工知能と言う顔のないものだとストレスなく従って、リーダーのロードが出てきたら不満に思う、というのもおかしい。だから、ギャラックスのメンバーも「個人個人の顔を見ようとしない相手。報酬や名誉を抜きに、誰かのために役立つことを喜びだと思えない相手。」という要素を持ってる。
(牛乳の件で最終的に発表するゴーサインを出したのは塁だから、注意文の文面も塁が考えたのかもしれないが)
4話でも、5話でも、結局実際に人命救助をしてるのは一人一人のギャラクター隊員なのに、「ギャラクターに助けられた」って言う風にまとめて言っちゃってるから、ギャラックスのユーザーもきっとそういうのが本当の敵なんだろうな。個人個人の顔を見ようとしない相手。報酬や名誉を抜きに、誰かのために役立つことを喜びだと思えない相手。とにかく楽しくない相手、と言う面を持っていて、塁と部下の衝突は容易に予想される。


それで、4話で目の前でベルク・カッツェに人を殺されたくらいで、そのショックでいきなり「何のためにギャラックスを作ったんだ!」って言って、塁はクラウズを凍結する。突発的殺人と、看護師召集アプリでは責任の次元が全く違うのに。
まあ、それはベルク・カッツェが爾乃美家塁の精神を追い詰めようとすることのうまさ、雰囲気の鬱陶しさの有効活用のせいなんだろうな。


また、5話で塁が「金や名誉だけが全てじゃない。真の喜びやつながりこそが大事」と言った思想は、90年代のジブリとなりのトトロみたいな「日本人が忘れてきたものがあるんじゃないか」という思想で、それを前回のブログで書いた「直近の過去で正しいと言われたことを疑うのが新作アニメ」という理論で言うと、そのような塁の理想主義もある程度問題視して描かれてるアニメなんじゃないかな、と思う。
「正義の目的のために手段は超法規的」っていう所も、ガンダムSEEDコードギアスみたいだし、もちろんデスノートでは「殺人はとにかくダメ」って言われてたけど。
老朽化した社会システムをアップデートさせたい、っていう考え方はけっこう新しめの思想だと思って、それは塁の中の善なのかもないけど。
まあ、政治が腐ってるのは2400年前からの常識ではありますが。


  • ヒーローと僕らとは

5話を見ると、でも、やっぱり「世界をアップデートさせるのはヒーローじゃない、僕らだ」という理念を健全に持って、自分の技能を生かしてる看護師やレスキュー隊員がいて、やっぱり彼らもヒーローだと思う。
皆がヒーローじゃないの。「僕ら」はヒーローにはなれないのか?「僕ら」ってくくってしまうと、個人個人の顔を見ようとしない態度に近づきそうだけど。
それに、やっぱり世の中には何の能力も持てない人や、生産性の低い人や、何となく生きてるだけの奴や、人から財産をかすめて生きることが楽しいクズもいる。
そういう人らも「僕ら」に含められるのか?
「僕らにも醜い心がある」ってベルク・カッツェは取り出してる。
今のところ、災害救助隊みたいなガッチャマンだが、明らかに私利私欲にまみれた者や、悪の権化と対峙した場合、はじめはどうするのか?丈と清音は頑張って戦うだろうが。
パイマンとO・Dは宇宙人の方のルールに従うかもしれない。JJはポエマー。


あと、はじめはそういう皆がヒーローって言うことを結構自覚的に考えてて、友だちの消防署長、市長、自衛隊員、警察官もガッチャマンとほとんど同列に考えてるっぽい。
それで、ガッチャマン自衛隊も警察も連絡網とか作って連携して、世界が燃え上がった時に備えようよー!とか言ってる。
これって、意外と旧作の科学忍者隊ガッチャマンの「国際協調路線」に近いかも。
確かにはじめは個性的だし、個性の押しつけがうっとうしいところもあるけど、でも互いの個性を尊重したうえで助け合おう、って言ってるの、時代が一周回って昔のガッチャマンやヒーローが国連のに期待していた国際協調路線に似てる。
新作は直近の過去で正義とされて失敗したことを悪って言う事で、時代に対する問題提起をするんだけど、時代が一周回ると、逆に同じような懐古路線になるのかも。
ギャラクターのユーザーは総裁Xに丸投げで、実際に助け合ってるのは個人個人なのに、それを見ないようになって「ギャラクター」っていう概念になってるけど、はじめは「ギャラックスがあれば政治も警察もいらないよね」って言う友人たちとは違って、「政治も警察も自衛隊も消防も、中の人がちゃんといるから動くっす」と言う風に人の力を信じてる。
前回、僕はブログではじめは「いじめられっ子の発想」で「誰かを理不尽に喪ってる」んじゃないか?「喪失感や飢餓感や抑圧された怒りを抱えているんじゃないか?」と書いた。だが、「怒りを何とか自分でなだめすかそう」という考え方は適応的思考である。また、はじめが消防隊や警察や自衛隊の中の人に対して信頼感を持っている風なのは、はじめが「理不尽な災害や事件で誰かを亡くしたかもしれない」と同時に「はじめが誰かに助けられた経験を持つかもしれない」ともいえる。だから、はじめは「助けてくれる人」を具体的にイメージできる。


ただ、まあ、ガッチャマンクラウズはなんだかんだ言って、立川市民の話が中心なので、国連がどうこう、っていうほど、昔のアニメほど漫画チックなスケールのデカさにはならないと思う。つり球でも国際連合っぽい組織ダックは出てきたけど、マンガっぽく描かれてて基本は江の島だったし。


あと、世界中が真っ赤に燃え上ったら、さすがに消防署長のバラッチでも死ぬと思う。無茶ぶりはやめろ。ちょっとバラッチ困ってただろ。
でも、はじめにとってはみんながヒーローだからみんなで立ち上がろうとしてるのかな。
「世界をアップデートさせるのはヒーローじゃない、僕らだ」という未来志向の爾乃美家塁と「世界を維持してるみんながヒーローっす」っていう協調路線のはじめ、みたいな。似ているけど対立するかもしれないし、分かり合えるかもしれない。どうなるのかなー。

    • 追記

「全部お前らのせい」っていうベルク・カッツェの言葉は「地球人のせい」だと思うんだけど、それを丈から又聞きしたはじめが「僕らのせいって悪いガッチャマンさんが言うのってヤバくないっすか」っていうの、この時のはじめにとっての「僕ら」のせいって「地球人」のせいじゃなくて「ガッチャマンのせいにされたらヤバい」っていう偽物に困るヒーローのセリフみたいにも取れるけど、どうかな。


  • 5話で追加された要素

4話で口喧嘩っぽくなったうつつとはじめだけど、JJの予言のせいで白い鳥、はじめと一緒に箱のバスで警戒する必要が出て、うつつも丈もコラージュの会inふくしまのバス旅行に参加した。
丈が器用なのはキャラらしい。
意外だったのは、うつつもはじめに押し付けられたみたいな折り紙を、恥ずかしがりつつもいじって、カエルを作って、かわいかった。
うつつも前向きに変わりたいと思ってるのかも。根はやさしい子なんだよね。植物の世話とかボランティアとか好きだし。
っていうか普通に赤ちゃん抱いてたし。触ったら傷つけるとか言いつつ、そんなことなかった!
女の子が仲良くするのはいいと思う。
丈はすっごい清音をいじってたけど、それはそれで愛情表現?
既婚自衛官女性と独身婦警さんのツンデレケンカも面白かった。


  • ボーイミーツガール

でも、一番萌えるのはルイルイだよなー。僕は理想主義に燃えつつ苦悩する賢い美少年が好きなんすよ。Zガンダムとかガルガンティアとか。
で、世界をアップデートしようと頑張ってるのに、部下にいろいろ言われて、変な宇宙人に力を与えてもらったと思ったらそいつが快楽殺人者で、絶対にカッツェにかなわないのに「ガッチャマンとかヒーローには頼れないから自分で刺し違えなきゃ」とか思い詰めてて、クラウズの力も使いにくくなって、八方ふさがりで悩んで悩みぬいて、それでも人のために勇気とリスクを振り絞って事故現場に行って、爆発にも耐えて命かけていたルイルイ、すっごく女装で頑張ってるので可愛い。
そんなルイルイが正義のヒーローガッチャマンはじめと運命の出会いをしたシーンはすっごくきれいだった。
っていうか、はじめが王子様でルイルイがお姫様じゃん!キャー!
公式サイトで、「はじめは謎の存在を指揮する美しい人物と運命的な出会いを果たす」って書いてあって、ルイルイもののけ姫じゃん!
萌えるわー!男女逆転のジブリ映画なのかもしれない。
清音は侍ボーイ。
それで、爾乃美家塁は「風立ちぬ」の堀越二郎みたいに怪人ベルク・カッツェに誘惑されて兵器を作っちゃったりしてるが(そして塁はエゴボスラーにはなり切れなくて、そのことの社会的意義を考えて苦悩しているが)、スタジオジブリ映画的に考えたら、一之瀬はじめがハウルの動く城の裁縫屋ソフィーや千と千尋の神隠しの千のように、悪い魔法使いに囚われたルイルイ(ハウル・ハク)の呪いを解いてくれる少女ヒーローとして活躍するかもしれない。
中村健治監督のアニメの絵柄、あんまり萌えとかオタクっぽくないし、スタイリッシュだし、その上でジブリ路線の要素も取り入れたら、すごくヒットするかもしれない。
っていうか、中村健治監督はもともとハウルの動く城のスタッフの予定だった!

フリーとなり、『The Soul Taker 〜魂狩〜』の演出を終える頃、細田守に誘われ『ハウルの動く城』に演出助手(のちに監督補)として参加(本作は諸事情により製作中止となり、後に宮崎駿の手で改めて製作される)
中村健治監督のウィキ

日本テレビスタジオジブリに投資する気持ちでガッチャマンクラウズの応援をお願いしますよ。毎週300円払うから。
やっぱり実写映画の方が本命なんですかーっ!!?
でも実写映画のガッチャマンの「一千万人の命を救うために一人を犠牲にするという考え方を否定する!キリッ」とか「任務は絶対だ!キリッ」とか、シナリオが薄くて…。
って言うかですね戦場で一人を犠牲にしたら一千万人が助かるって言う予想が立つという状況設定がすでにゆとりの発想。
何人殺せば何人助かるかもわからないけど、とにかく戦うしかない地獄が戦争だろうが。なめんな!
ガッチャマンクラウズは今のところ、戦闘をするというより救助隊みたいだなー。

  • 私見

基本的に、僕は人口削減論者だし、(いいアニメを作ってる才能のある人やインフラを提供するツールになる人以外の)人間は嫌いだし、正気を失った精神病患者だし、基底現実で親が自殺してるし、人間関係のいじめと過労でさらに精神を悪化させられて、人間の汚い部分ばかり見せられてストレス障害になってるせいで、ハーイ、この原始人オワタ!って思ってる。輪るピングドラムの渡瀬眞悧先生とか、ハンナ・アレントに「陳腐な悪」と言われながらも処刑される前にユダヤ教に改宗することで最後までユダヤ人を殺す任務に忠実であろうとしたナチスのアドルフ・オットー・アイヒマンと機動戦士ガンダムF91小説版で「過当医療禁止法案」「安楽死の奨励」を唱えたハウゼリー・ロナを尊敬してる。
ダーク・ナイトのジョーカーについては、「映画に映らないところで一人で必死こいて爆弾を敷設してご苦労なことだな」と思ってる。
だから、基本的にはベルク・カッツェの気持ちに共感します。滅びるべき人類がいるんだったら、自分から滅びるんだから、滅ぶように応援してやればいいじゃん!その方が無駄が減るし。
だけど、それでも滅ぶべきではないって言うことを自分で証明し続けるヒーローがいたら、それはカッコいいなーって思うオタクの心も持ってるんですよ。



しかし、5話もかなりクリフハンガー的に「つづく」ってなったし、ストーリーもかなり流動性高いし、やっぱり1クール全体で見たときに一つのストーリーになるのかな。
と言うわけで、あんまり各話感想で価値観を固定させるようなことを描くのはよそうかなあと。
だから、次はまた何話か貯めたところで一気に見て最終回くらいで感想を書こうかと。つーか、序盤の感想と旧作との整理をするだけで3日くらい潰れたし。
ガッチャマンクラウズヤバいよね。すっごい語りたい。
でも語りだすと自分の時間が無くなるから、とりあえず寝ます!

Crowds ガッチャ盤(期間限定)

Crowds ガッチャ盤(期間限定)

っていうか、他人の創作を誉めてばかりいないで自分の仕事の創作もですね…