玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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リトルバスターズ! 〜Refrain〜11、12話を連続視聴し、感涙

第11話 世界の終わり
第12話 お願いごとひとつ
を連続で見ました。東映でも出崎統でも京都アニメーションでもないkeyのリトルバスターズ!ですが、感動しました。
私は世代的には大学生の時に周囲でONE、kanonAIRCLANNADが流行して、出崎統監督バージョンの映画に熱中し、その2作品は原作のゲームもフルコンプした。

そんなわけでリトバスも興味はあったのだが、ゲームはやってない。だから、リトルバスターズ!については全然世界観や設定が分かってなかった。たくさん奇跡がサラッと起きたり、次の週から奇跡とは全く違う話が始まったりしてよくわからなかった。よくわからなかったのに、なぜか気になる作品で、なぜか録画を消すのが忍びなくて残していた。その割に、やっぱり話の流れや世界観の設定が全然わかってなかったので、感想もブログにもTwitterにも書いて無かった、という微妙な作品、リトルバスターズ!Refrainである。
(追記:もちろん、シスコンなので全体的に緑川光が兄と言うのは好きだし、堀江由衣さんややなせなつみさんの声は好きですし、それで見てた分も大きい)
ですが、やっと3クール目の終盤になって世界観が明かされました。


ラジオCD「リトルバスターズ! R Vol.4」

ラジオCD「リトルバスターズ! R Vol.4」

不思議な世界の謎の世界観が明かされたので話が分かった。しかし明瞭になった感じだけでなく同時に、棗恭介、井ノ原真人、宮沢謙吾たちの男泣きの号泣に感涙しました。声優陣の熱演がすごかったです。それぞれのキャラクターの泣きの表情の描き分けのアニメーターも巧かった。
棗恭介 - Green★Pharmacy
緑川光さんのLittle Busters!にかける思い。

11話だけだと、男性キャラクター中心で、ヒロインの鈴ちゃんが兄の恭介や親友の昇天に際してリアクションを取っていなかったので、「守られる女の子」と言う面だけに見えて、フェミニズム的に消化不良だった。というか、鈴も理樹と同じ場所で恭介たちを見てるのに、リアクションを取っていないのが明らかに不自然な演出で、フェミニズム論を抜きにしても不自然だし、どうなんだろう、って思った。でも、理樹と恭介たちとの会話では巧妙に鈴がカメラに映らないようなアングルで演出してるし、意図的に鈴を蚊帳の外にしてるってのは分かった。だから、何も考えてない演出ではないし、上手いと思った。
シナリオノベルゲームが原作なので、原作だと主人公の理樹と会話相手のテキストと立ち絵が中心に描写されていて、その外で鈴がどういうリアクションをしているかはゲームでは多分描写されてない。

リトルバスターズ! Converted Edition

リトルバスターズ! Converted Edition

アニメは1次元のシナリオと違って、2次元の絵が動いて声も重なるので、そこら辺が違うのだが、鈴の無反応ぶりが(おそらく)原作通りでありつつ、無反応かどうかはわからないように微妙に鈴を外していくカメラワークが面白かった。
でも、やっぱり目の前で人が消えることについて鈴がノーリアクションなのは変だ。しかし、リトルバスターズ!自体が前述のとおり奇蹟や不条理が頻出する不思議な世界を舞台にしたアニメなので、こんなもんかなーって言う気もしていた。
でも12話では、逆に棗鈴が、神北小毬三枝葉留佳来ヶ谷唯湖能美クドリャフカたち、兄に用意された女の子の親友と対話するシーンがじっくりと描かれていて、よかった。一方的に理樹が鈴を守るだけでなく、鈴も立ち上がる強さを身につけて良かった。
11話がリトルバスターズの男子組の友情と世界の謎の開示と世界の崩壊で、12話が女子組の友情と世界の現実と再構成って感じで、バランスが取れてるシナリオですね。
最終回がどうなるか知らないけど、楽しみです。
リトルバスターズ! ~Refrain~ カレンダー 2014年

リトルバスターズ! ~Refrain~ カレンダー 2014年

そう言う風に、「上手くできてる」と思ったのと同時に、「すごいな」と思った。
「終わる世界」とか永遠に繰り返す世界とか、魂の会話とか、新世紀エヴァンゲリオンのTV版や旧劇場版みたいな精神世界の描写だし、そう言う世界観だ。
11話の終盤の透ける学校の校舎とか12話の線画の背景に部分的に彩色するリトルバスターズの演出は、アニメーションの完成前の素材を見せることで世界の不安定感や、メタ世界観を見せるエヴァンゲリオンの終盤の展開に非常に似ていた。
しかし、エヴァンゲリオンの時はその楽屋落ちにも似た必死さやメタ描写が「ライブ感」とか「未完成感」とか「プログレッシブ・アンダーグラウンド感」とか「目新しくてすごい感じ」だったのに対して、リトルバスターズ!の上記の演出は、メタ感を出して魂の幽玄さを表現しつつも、未完成素材の原画や絵コンテを出しちゃったエヴァンゲリオンとは違って、部分彩色やCGデータを出しつつもそれが美しく見えるようにきちんと整理していて、「丁寧さ」や「手間暇」を感じた。
同じような「世界の終わり」「精神世界」といった題材で「素材描写」「メタフィクション」という手法なのに、エヴァのような凶暴性アングラ感ではなく、リトルバスターズ!は美しさや完成度の高さを感じさせたので、似てるようで違うのがすごいな、と。
それはアニメーション制作におけるCG技術の高度化とか廉化とか普及によるものなんだろ受けど。見てる側も20年前のエヴァの時代とは違い、CGを使った奇抜な演出に慣れているので、新しいと感じない。新しいとは感じないんだけど、それをきちんと「美しい」と感じさせる手法はすごい巧いと思った。
(追記
【アニメ感想】リトルバスターズ!~Refrain~第11話「世界の終わり」 - 二次元世界観測所
CG演出はゲームでもやってたのかな?)
また、人がたくさん死んでる場面なのに、美しいアニメーション映像にまとめることで、気持ち悪さや恐ろしさよりも、情感を感じさせて感涙に結び付けるという演出意図がうまいと思いました。
そう言うわけで、僕は泣いたわけですよ。

  • 美しいアニメ

先週の日曜日は「生きるためにアニメ感想を書こう」と言う風に書いたのですが、やっぱり冬のせいで鬱病が悪化しているし、親が自殺しているし引きこもって泣いていました。睡眠リズムも壊れて、睡眠薬が効かないし、寝てもすぐに起きて朝方まで眠れなかったり、昼間はずっと寝続けて、夢と現実がよくわからない。DIOの息子みたいに神経症で瞼が痙攣して人生がうまくいかないし。

そんな生活なので、割と題材的に共感できるんですが。
ナルコレプシーや人見知りの主人公たちが夢の世界で仲間の力を借りて修行して、大人になって現実に立ち向かう、って言うリトルバスターズの題材には感動を覚える。
でも、僕は三十路なのに、大人になりたくないよー。引きこもりたいよー。子どもに戻って布団の中で居たいよー。
ラブライブ!のKLab株式会社で過労になって精神障碍者になって、精神障害者支援雇用で精神障害をオープンにして配慮してもらう公的機関から紹介を受けて京都大学で働いていたけど、そこも非正規雇用切りに利用されて免職になったし、結局、精神障害も配慮してもらえなくて、大学の事務局と教授会と秘書などの派閥争いのなかで上手く立ち回れず、吃音症が悪化し、失声症になり上司から「君はコミュニケーション能力がないね!それじゃやっていけないね!」って言われて首になった。
六本木ヒルズ帝国大学という名門でもクズしかいなかったし他の人間社会は推して知るべし。誰も優しくしてくれないし、親も自殺したし、誰も僕を大切に思っていないし、僕も何の価値もない。資本主義の民間企業は弱肉強食だけど、精神障碍者になって福祉に助けてもらおうとしても、公的機関は体裁を取り繕うだけで、結局誰も僕を助けてくれなかった。誰も誰かを助けようなんて思っちゃいないんだ!
リトルバスターズ!みたいな美しい仲間は僕にはいない!
クソ現実では誰も自分の糞のような食い扶持と金で飯を食って糞を垂れ流すことしか考えていない!
だから、アニメーションのリトルバスターズ!で「大切な人と別れたくない」「分かれは悲しい」って素直に言える美しいキャラクターの美しい人間関係を見ると「ああ、僕は美しいアニメキャラにはなれなかったんだな…」と、劣等感を覚えて泣きます。
僕は母親が自殺しそうだという事は分かっていたのに助けてやれなかったし、親が大切かどうかもわからない…俺は屑だ…。自分のことしか考えていないのに自分では何もできないクズだ…。きっと、現実が悪いんじゃなくて、僕がクズだから周りにもクズしか集まらないんだろう、、、僕の努力が自己責任なんだ・・・。
だから、アニメキャラが「大切な人は大切だ!」って素直に言う美しさの前に、自分の醜さが強調されるような気がして、いろんな思いが渦巻いて泣きます。
つ、つらい・・・。
現実はほんと嫌だ…。アニメは美しいなあ…。でもアニメーターも大変なんですよね。うん。ごめん、、、ごめんよ・・・
僕は働きもせず、かと言って創作活動もせず、何の才能もない・・・。美しいアニメを作る人は本当に偉いなあ。僕はそれに比べるとクズだなあ。うっ