玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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彼氏彼女の事情をバンダイチャンネルで1カ月で視聴する偉業を達成した(やはり妹

時に前世紀末、私は中学2年生の時に新世紀エヴァンゲリオンにドはまりして、それ以来キモヲタ街道一直線の19年間を過ごしていた。(元々、風の谷のナウシカの原作を読むためにアニメージュを読み、マイトガイン評論を読むような小学生だったのだが)
そのエヴァヲタぶりは成績優秀の私の生活を一変させ母親をして「息子がエヴァに取られてしまう!」と言わしめ、17年後に母親を自殺に至らしめた。
そんな私だったが、旧劇場版エヴァンゲリオンが終劇した後の高校時代から大学時代後期に個人用HDDレコーダーを購入するまでは、テレビ東京系アニメや衛星放送のマニアックなアニメの名前とあらすじは知っていても見れない状況が続き、母親を自殺させ30代の無職となった今も見逃した90年代のアニメを取り戻すような虚しい人生を送っている。

90年代のホームワークが終わらない。


そんな過去ばかり振り返るカウボーイビバップの男のような活動の一環として、見てなかった彼氏彼女の事情バンダイチャンネル月額千円見放題で見終わるという偉業を達成した。2月末付で見放題から外れるからである。せこいのである。


で、そんなエヴァヲタの割にちゃんとガイナックスアニメを消化していなかった悪いオタクなんだが、カレカノの感想である。
ガイナックス的には今石さん平松さんのキルラキルにつながるねー、声優的にもトップ2とかまほろにつながりますねー。と。史観の再履修みたいなお勉強モードで見る感じで、そんなに作品自体にハマるって感じはしなかったなー。カレカノのアニメが面白いから見る、と言うよりは見逃した10代の体験を取り戻すという儀式的な意味合いの方が大きい。


しかし、まあ、総括すると惜しいアニメだと思います。
原作に追いついて後半の展開が総集編ばかりになったのも惜しいし、終盤の文化際が完結しなかったのも惜しい。
演出面でもガイナックスらしい、(というかあのころの庵野さんと摩砂雪さんの)猫目小僧みたいな実写素材引用の実験的映像とか少女漫画の紙面をそのまま引用する手法とか、前衛的な手法があったんだけど、それが上手く整理されてないな、と言うのが惜しかった。
そこら辺がデジタル制作移行期の98年のアニメって感じはすごくして、資料的な価値はあるんだけど。
庵野さんは大学時代から、エヴァの終盤もセルアニメだけでなく紙アニメが得意だったけど、そういうパタパタ萬画みたいな手法はデジタル環境になった近年のパンストとかキルラキルのガイナックスとか今石さん作品で整理されてるなーと言う。
実写背景もデジカメの普及とかで、他のアニメでも多く使われるようになったし、今は違和感が少なく視聴者にも受け入れられてるし、作り手も慣れてきている。でも、この頃はまだそういう手法が「前衛」として意識されるわけで、そこら辺の「のどに引っかかったような異物感」みたいなのが、面白くもあり、作品全体の流れが散漫な印象になる部分でもある。

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また、ストーリーライン的にも、未整理な部分が目についた。
彼氏彼女の事情の原作では「カレカノメイツ」との高校生の男女数人グループ内での恋愛関係や友情を描いたわけで、複数のカップルの恋愛を同時進行的に描くオムニバス形式なものだったんだけど、アニメでは主人公の宮沢雪野と有馬総一郎のカップルのセックスとその後の中途半端なモヤモヤを描いただけで、他のメンバーの恋愛描写がお座成りというか、中途半端で、テーマ的にも咀嚼されていなかったと思える。
(最終回の終幕が、終盤に登場した佐々木望の恋愛への目覚めで「彼氏彼女の物語は、つづく」で終わらせたのは原作に忠実でありつつも、中途半端に終わらざるを得ないことへの制作者側の自覚的な部分ではあろうと思うんだけども)
少女漫画原作でグループ内交際のオムニバス形式は、カレカノに笠井賢一名義で演出に参加したカサヰケンイチ監督のハチミツとクローバーのだめカンタービレでより一層整理されて完成したと言えるが、カレカノはメインカップルの物語とその周りの恋愛事情の物語の重点の置き方が整理されてないし荒削りで惜しいなーって思った。


粗削りで惜しい割に、毎回決まりきった「これまでの粗筋」で無理に整理しようとするところも、不協和音だったと思う。

まあ、原作のストーリー自体も、割とモテない男子の僕にとっては苦手な部類なんだけどね。
眉目秀麗才色兼備で才能と努力にあふれた美しい登場人物が、愛の力によって精神的な問題を乗り越え、社会的にも成功をおさめ温かい家庭を築く、っていうの、そういうフィクションの救済は安っぽく見える。
私の人生では国立大学を卒業して六本木ヒルズで働いても体を壊して無職だし、家庭は崩壊して母親が自殺したのに特に救済も人間関係の再生もなく、クソみたいな社会でクソみたいな飯を毎日モソモソ食って寝るだけのクソみたいな生活なので、少女漫画の中でそういう家族のごたごたがドラマを盛り上げる道具として扱われているのを見ると、「これは他人の不幸を見ても平気でいられる一般人向けの消費物だな」って思って、普通に不幸で無能な人生を生きている私にとっては不愉快ですね。
そーいう不幸とか精神的に満たされない感覚を「恋愛」とか「家族」とか「出産」とかで克服していこうって言う、宮台真司が言いそうな救済も薄っぺらく見えるな。
僕の母親は僕を産んだせいで嫌な親戚関係から逃れられなくなって精神を病んで自殺したわけだし。家族とか出産が幸せだというのはよくわからんです。私の母親の自殺は特にトラウマとか愛憎のもつれとかドラマ性もなく、単に金が無くなって人間関係が希薄になったから死ぬことしか考えられなくなって普通に死んだってだけだし。
なんつーか、僕にとっては人間は崩壊して死ぬことの方が普通だと思うんで、「恋愛や家族のつながり」が普遍的な価値なんだー、みたいに言われると、鼻で笑いたくなりますね。
そりゃあ、動物として出産したり子孫が生まれると幸福感を感じる本能があるのは分かる。だが、それは単に動物が生き延びるためにプレインストールされたプログラムとしての感情に過ぎないと思うので、それが崇高な愛だとか救済だとか言われると、「乙女チックな少女漫画だなあ」と思う。


いや、まあ、32歳のオッサンが少女漫画アニメを見て精神的な救済がどうのこうの、って言うのも筋違いだね。
僕としては、人は単に生まれて壊れて死ぬだけだと思うし、救済や幸せなんて言うのも一時的な気分の高揚にしかすぎず、人は救われないし、また救われる必要も幸福になる必然もない、何もないと思うんだ。
だから、まあ、彼氏彼女の事情でイケメンや美少女が努力と才能で社会的な成功を収めて家庭にも恵まれて、って言うのはフィクションの中の出来事だなーって思うだけで、それ以上でもそれ以下でもないですね。


ただ、有馬総一郎の見てくれがシンジ君を長身にしたような感じで、庵野秀明エヴァンゲリオンの次回作として見ると、「シンジ君が努力してイケメンになって、才色兼備でメンタルも安定している彼女とセックスしたのに、幼児的な愛情飢餓が満たされない」という展開は心理的にエヴァの続編として地続きとして面白いな、って思う。
思うんだが、どうも、演出の空気感とかお芝居くささを見るにつけ、庵野秀明監督自身が、そう言う「美少女からの救済」「母性の再獲得による救済」「家庭の再構築による社会の主路線に復帰することによる精神の安定」みたいなのをあんまり信じてない、どこか冷めて作ってるな、と言う印象がある。
原作に追いついて無いころの前半のハイテンポでハイテンションなギャグを交えた恋愛初期の佐藤順一の少女漫画アニメみたいなコメディー演出も、どこか庵野秀明の地ではなくサトジュン先輩から借りてきた模造品、って感じがするんですよね。
カレカノの話の筋書的には、雪野が優等生の仮面を捨てて、地の下品で乱暴で家族の仲の良さに裏打ちされた自身と明るさを出していく、って言う話なんですが。庵野さん的には「優等生の仮面を被りつづける態度」の方が地で、「明るく振舞う」というサトジュンみたいな態度の方が演技みたいな感じがするんだよなー。
やっぱり、雪野の明るいギャグ演出より、有馬のドロドロとした心象風景の方が庵野さんっぽいんですよー。
まあ、庵野さんはメンタルヘルス患者みたいなものを根底に抱えているけど、セーラームーンのサトジュンパロディだけでなく、スーパーアニメーターとしての技量とか、他にも特撮パロディとかで色々演技を積み重ねてるなーと言うのはある。
実写演出とかもその演技ぶりの延長かなー。


しかし、有馬と雪野の初夜の話、っていう、シリアスと救済、思春期と大人の両面が問われる「ACT18.0 シン・カ」で、まさに佐藤順一本人に絵コンテを単発ゲストで頼む、って言うのが、実にサトジュンのサトジュンらしさです。ウテナでもサトジュンはサトジュンらしいので、気を付けて見たいと思います。あと、サトジュンの自伝的ストーリーと言われるカレイドスターバンダイチャンネルで見放題配信中です。
「カレイドスター」 | バンダイチャンネル
「プリンセスチュチュ」 | バンダイチャンネル


ただ、サトジュンが18話で物語に一区切りつけちゃって、その後は物語としてやることが無くなって、文化祭の話も尻切れトンボで有耶無耶、と言うのが残念と言うか。まー、その惜しい所も含めてこの作品らしさなんですかねー。
庵野さんと原作物の相性の良しあしとか。まあ、安野モヨコ先生と結婚して自伝萬画も売れたんで、悪くはないんだろうけど。

  • オリジナル回

しかし、正直言うと、原作とは関係ない25話の中学生の妹のオリジナル百合回が一番面白かったという…。
前々から、百合オタの間では「カレカノ25話はスゴイ」とか「単発エンディング”風邪ひいた夜”は名曲」とか聞いてはいたんだけど、良いっすよねー。この中学生百合。「お姉さまになってください」とか、マリア様がみてるの開始が1998年で同時期なんだけど、そこを取り入れてくる単発脚本の佐藤竜雄さんの感覚が前衛的でいいよね。
キャラデザも25話は他の話と違って、えーと、作画監督の小倉陳利さんか演出、絵コンテの中山勝一さん?
丸みのあるけどスタイリッシュな線と面で女子中学生の体と制服を描いてて、かわいかったなー。
女性性やエロさがあんまり強くない、あっさりした絵柄でボーイッシュとも言える未成熟な女子中学生の無自覚に近い同性愛を描いてるっての、良いねえ。
中性的な感じの学生の絵柄が、同時代のブギーポップは笑わないの挿絵にも似てて面白いし、下校の時の夕暮れの雰囲気の百合とかはその後の電脳コイルとかにも通じる雰囲気で、きれいでさわやかな百合ですね。
あんまり百合の禁断性とかレズの性欲とか同性愛のセンセーショナリズムなショックさを出さずにサラッと終盤にレズでしたーってまとめる脚本と、絵柄の雰囲気のマッチが、くどすぎず、薄すぎず、良い塩梅の百合だったと思います。
ほぼ全話脚本を書いた庵野監督はこの回は絡んでないんだけどね・・・。
いや、単に僕が「妹の百合」っていうテーマが好きすぎるシスコンの百合糞男子キモヲタって言うだけでアンテナが反応したのかもしれん。
でも、最終回で佐々木望王子が演じる十波健史が男女の性差を高校になって意識するとか、同性愛と異性愛の境界で友情と初恋について考える前の前座のクッションとして、脇役の中学生の妹に同性愛展開をさせる展開を入れる、って言うのは、オリジナルなんだけど、話の流れを補強する意味では綺麗だなーって思う。
雪野について何度も語る総集編を多用するんじゃなくて、こういうオリジナルオムニバスでいろんなカップルを描いたらもっと豊かな作品になったと思うんだけど、それは製作体力が無かったのかなー。残念。

  • ていうか妹が好き


芝姫つばさ(新谷真弓)がかわいいんじゃよー。
この子は、有馬総一郎に初恋してたけど、妹扱いされて恋人には成れず、って言う子で。
シスコンの私としては見た目だけではなく、「恋人になりたいけど妹だから成れない」とか「妹としてかわいがられる距離感が楽な女の子」とか、そういうキャラが好きなんじゃよー。物語シリーズ千石撫子とかな。
なんだけども、そういう芝姫つばさと有馬総一郎の妹扱いと恋人の間の駆け引きってのをもっとこってり描いてくれるかと思ったら、なんか親の結婚で石田彰声の義理の弟がいきなり出てきて、終わったのが、すごい残念。
つばさの有馬への恋愛とか、満たされない家族同士の共依存の関係が「バンドマンで美形の石田が登場したら仕方ないよねー」みたいな雑な救済で終わったのが、ほんと残念ていうか、少女萬画家は「親子三代にわたる家族の因縁!」とか煽りに煽っておいて「イケメンが来たので幸せになりました」みたいな、クッソ雑な救済でキャラを放り出す所があるよね…。
男性としてはそういう所が、ほんと嫌いなんですけど。
アニメとしてのテンションも芝姫編が終わってから一気に落ちた気がして、なんか、つばさの「さあ、幸せになろうか」ってセリフがすごく空々しく聞こえたんじゃよー。むしろ、その後の総集編で挟まれる「有馬とられた」「せめて人間らしく」っていうつばさの愚痴の方が人間味があって聞こえたんですよー。
原作ではその後も一馬とつばさの好いた腫れたとかバンドマンがどうこうとか、少女漫画らしい晴れやかな場面があったらしいんですけども。


でも、女の望む救済って「ぽっと出の王子様を待つ」みたいな理想があるんすかねー。まー、俺はモテないし恋愛もしないから、こうやってだらだらアニメを見て感想文を書いて自分のクソみたいな人生から目を背けて架空の充実感を味わったつもりになるだけで、どっちもどっちなんだよなー。


アニメを見て自分を見つめ直すのは精神的に面白いんだけど、やっぱり僕は糞なので、むなしくなるねえ。



そして、アニメのような救済はなく、自殺するか殺されるまで、人生は、



                                つづく


  • しかし、

「世は世紀末、日本は戦後空前の大不況」ってカレカノで毎回のように冬月先生が言ってたのに、セカンドインパクトが起きてエヴァンゲリオンが建造されるくらいの15年もの年月が経っても、日本はずっと不況なので、ほんと停滞感がすごいな。俺の20代が糞だったからだな。俺の努力が足りないせいで日本を救えなかったよ…。ごめん、ごめんよ…。この世界はバッドエンドルートです。