玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

アイドルマスター劇場版 感想4 演出解釈〜後編 春香の成熟を見る その3(アリーナ編)

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アホみたいに長くなりました、公開1か月を過ぎたアイドルマスターの映画の感想の続きです。
前回までは鏡の演出に着目しながら、コフートの自己対象理論の自己愛心理学と、フロムの「愛するということ」を引用しつつ春香を中心にアイドルたちの心の動きを見てきました。ホントアホみたいに長くなったし遅くなったので申し訳ない。感想1の末尾に書いたように、大体の骨子は初見から思いついていたんですけど、文字に治すには時間がかかりましたし、6回見て時間とレイアウトをメモった。(そのせいで他のアニメやオリンピックはほとんど見てない)
今回はアリーナでの集合シーンから最後まで考えてみたい。
今回こそ、短くまとめるぞ!寝てないし。



端的に言うと、天海春香矢吹可奈の脱落を認めなかったのは、春香が自己愛に傷を負いたくなかったからです。
春香が可奈が「アイドルを諦めます」と言った電話の時、春香は可奈の声が無理してると感じたと同時に、可奈と自分の写った写真を凝視します。自分に似ている可奈だから、自分の隣で合宿の記念写真に写っている可奈がアイドルを諦めるのは不自然だ、と自分の気持ちと比較して直感した。

同時に、その写真の隣に映ってるのはテレビシリーズ最終回の765プロの和気あいあいとした花見での集合写真。どちらも、春香にとっては大事な思い出だし、自分の自信になってる礎だ。
そこで、可奈が欠けてしまったら、楽しい合宿の思い出に後悔が付く。思い出の集合写真を素直に見ることが出来なくなる。そうすると、その前のテレビシリーズの最後の思い出の写真にもケチがついて、どんどん春香は過去を後悔することになるんですね。それが、嫌だと。
いや、春香にとって本当に嫌だったのは、可奈が抜けることよりも、「あの時ああしておけば、と後悔すること」の方だろう。春香が全力で可奈にぶつかって、その結果として可奈がやっぱり出演をキャンセル、って成ったら春香はそれなりに納得しただろう。でも、春香は全力で可奈やダンサー組とぶつからないままメールだけで別れたら、春香は後悔する。で、この物語は心の問題を描いた人間ドラマなので、ライブが実際に成功するかどうかということよりも、「あの時全力を出したか」と自分に胸を張れるかどうかが大事。
で、心理的な人間ドラマなので、実際の練習量がパフォーマンスに影響するとかは表現できない。フィクションだし。だから、春香の頑張りとか全力ぶりを表現するためには、「全力で人間関係にぶつかる」と言う所を強調して描くのだ。
そして、全力で人間関係にぶつかるってことがどういうことかと言うと、「今を大切に、後悔しないように」というプロデューサーの言葉に集約される。10年後、アイドルを続けていても、他の仕事をしていたり他の人を愛していても、どんな道に進んでもいい。ただ、その時々の今を大切に全力で後悔しないで生きていれば、きっとキラキラと輝いているだろう、とプロデューサーは語る。
それが、今なんだよ。

みんながいて、たくさんの人に支えられきたから、今アイドルしての自分がいる。
 誰か1人でも欠けたら、今アイドルとしてここに立つことはできなかった。
 一人一人の名前を呼びながら、春香はそう語ります。
 春香にとって『みんな』とはそれくらい大切なもの。
 それは、知り合ったばかりのミリオン組だって、みんなと同じ。
 だから、誰か1人でも欠けてしまったら次に進めない。
 「もしかしたら、もっと上手いやり方があるのかもしれないけど…」
 「私は、『天海春香』だから」
 「私はみんなと一緒に駆け抜けたい。今の…全部で!このライブを成功させたいの!」
Maison simple de [Rene] : 増殖する劇場版アイドルマスター感想

春香は自己像が曖昧で仲間のアイドルに気持ちを重ねる癖があると、何度も書いた。
だからこそ、リーダーとして仲間の痛みを自分の痛みとして感じることもできる反面、自分の意志を決めるのが苦手。
そんな春香が考え方を逆転させて、「自分が後悔したくない。自分を支えてきた自分のこれまでの人生に嫌な思い出を作りたくない。だから、もはや自分の一部の仲間にも全力を出してほしい!自分は全力な天海春香だから!」
と。
自分と他人の気持ちを重ねるのは理性的に考えると失礼で、幼稚なやり方かもしれない。だけど、17歳の天海春香の全力な本心はこれしかなかったんだ。


これはある意味、自己啓発セミナーや洗脳新人社員研修とも近い危うさがある。
トップアイドルで偉い人物が、そのカリスマ性を利用して、未熟な人を自分の奴隷にするために、「カリスマの一部になるために、お前たちは働け」というのに近い。私も実際社会でそう言う研修を受けたことがある。
だが、フロムの言うことに沿うなら、春香のアリーナでの演説と洗脳研修は違う。ブラック企業の研修は部下を信じていないから、権力で押さえつけようとする。
対して、春香は「考え方は人それぞれで良い」とも言うし、自分の言葉を言った後、相手がどう受け止めてくれるかは相手にゆだねて、信じて願うだけ。
また、フロムも自分と他人が融合することは否定していなくて、むしろそこにこそ人間の根源的孤独感を打破する愛が生まれる、と言っている。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』を83ツイートで読む : 八嶋聡ブログ
人間は孤立感から逃れるために、「祝祭的な興奮状態」「集団等への同調」「創造的な活動」といった方法をとるが、完全な答えは人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち「愛」にある。
自分以外の人間と融合したいというこの欲望は、人間の最も強い欲望である。


人を他の人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。
愛によって、人は孤独感や孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。
愛においては二人が一人になり、しかも二人でありつづけるというパラドックスが起きる。


他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。
その信念があるかどうかが教育と洗脳のちがいである。
他人を「信じる」ということをつきつめていけば、人類を「信じる」ということになる。
信念にしたがって生きるということは、生産的に生きることなのだ。


真に人を愛するには、その人の性格が生産的な段階に達していなければならない。
この段階に達した人は、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとなんでも貯めこもうする欲求を克服し、自分の中にある人間的な力を信じ、自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。


愛の能動的性質を示す基本的な要素に「配慮」がある。
愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。


愛の基本的要素「尊敬」。
尊敬とは人間のありままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。
自分が独立していなければ人を尊敬することはできない。
自由であってはじめて人を尊敬できる。
「愛は自由の子」であり、けっして支配の子ではない。


愛の基本的要素「知」。
人を尊敬するにはその人のことを知らなければならない。
自分自身にたいする関心を超越して、相手の立場にたってその人を見ることができたときにはじめて、その人を知ることができる。


他の人と融合したいという基本的な欲求は、「人間の秘密」を知りたいという人間的な欲求と密接にかかわっている。
秘密を知るための方法が一つある。ただし絶望的な方法ではある。
それは、他人を完全に力で抑えこむことである。
「秘密」を知るためのもう一つの方法が愛である。



未成熟な愛は「あなたが必要だからあなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているからあなたが必要だ」と言う。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。


兄弟愛とは、あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊敬、理解(知)のことであり、その人の人生をより深いものにしたいという願望のことである。
もし愛する能力がじゅうぶんに発達していたら、兄弟たちを愛さずにはいられない。
兄弟愛の底にあるのは、私たちは一つだという意識である。



すべての人間がもつ人間的な核は同一であり、それに比べたら、才能や知性や知識のちがいなど取るに足らない。
この同一感を体験するためには、表面から核まで踏みこむことが必要である。
この中心と中心との関係が「中心的関係」である。



自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。

可奈や星梨華や杏奈と百合子はダンスが未熟で、すぐに765プロの役に立つ人材ではなかった。でも、このライブでのバックダンサー組の役割は彼女たちと交流して、愛を765プロのみんなが再確認するためだったんじゃないだろうか。そういう相手と真剣に向き合う事で、アイドルたちは自分自身をもう一度見つめ直し、互いを愛することで世界を愛することを学び、アイドルとしてファンの皆、そして世界に愛を届ける単なる芸能人と言う枠を超えた愛のアイドルとして成長したんじゃないだろうか。


また、千早と春香の中盤での距離の置き方や、志保と伊織の対決なども、愛の文脈で考えられる。

愛があっても対立は起きる。
二人の人間の間に起きる真の対立は決して破壊的ではない。
そういう対立はかならずや解決し、カタルシスをもたらし、それによって二人はより豊かな知識と能力を得る。


二人の人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じあうとき、すなわちそれぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。
この「中心における経験」の中にしか人間の現実はない。

自分の核になる物をぶつけあって、そうすることで逆に相手を知り、己を知ることもできる。それが人生。そして愛と共に新しい力が湧き出る。これが成長。

  • 無垢な輝き

また、春香が自分の思い出を後悔したくない、つまり「傷つきたくない!」という心の叫びも、大事なことだと思う。。
「傷つくのが怖い」というのは、心理を語るときに問題視されやすい。だが、実際、心が傷つくとそれが元で自殺したり病気になって死ぬこともある。私はどちらも経験した。傷つきたくないという気持ち自体は本能として正しいし、それがあるから人の痛みにも優しくなれると思う。
だが、「絶対に傷ついたと思わないために全力を尽くし続ける」というのは、「傷つくこと」よりも大変なことだ。「弾が当たらなければ無敵」みたいなゼロ戦みたいな設計思想で、ある意味、大馬鹿で大甘な考え方だけど、だからこそ、輝いて見える。


アイドルのステキさ、というのは、抽象的でアニメで表現するのが難しい。
もちろん、ライブシーンの作画とかCGとかの描き込みとか、ダンスや歌の表現はできるし、実際がんばってる。
だがストーリーとしてそれに説得力を与えるにはどうしたらいいのか?
これが数多のアイドルアニメの課題である。
ある作品ではファンの数だったり、ファンの熱狂度だったり、パフォーマンスで発揮されるスペシャルアピールとかプリズムジャンプとかボーグ魔法とか、世界同時ハッピーとかファンとアイドルの一体感とか、カルチャーショックとか、ライバルの思想を変えることや、評論家やカリスマに認められることだったりトーナメント方式の勝負だったりする。
THE iDOLM@STERのゲームだとプレイヤーの音ゲームのパフォーマンスの正確さとかステータス戦略とかで数字が出る。
あるいは、アニメの評価だとDVDの売上とか興行収入とかも注目されやすい。
だが、本質的には、芸能の輝きは、そうじゃないんだ!
じゃあ、なんなんだ?というと、すごく抽象的で実体のないものになる。


で、THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!では、「輝き」の結果を描くことではなく、「輝きの向こう側へ」目指し続ける意志とか、今の「全力でやり切った感」を描くことでアンビエント的に”それ”の陰を描いた。

だから、この映画が面白い所なんだな。
ファンに評価されるかどうかとか、アイドルとしての技量とか器量とか実力がどうこうという、アイドルの魅力を主眼に描いてない。魅力を磨くというのは大事なことなんだが、そのレッスンとか特訓はテレビシリーズや映画の合宿の前半で描かれている。
後半の人間ドラマで重視されて描かれているのは、客観的な評価ではなく、「主観的に全力を尽くしたと胸を張るためのぶつかり合い」で、ラストのライブシーンも「これが今の私たちの全力!」と客観的評価を観客に信じてゆだねるような態度だった。
で、「主観的に全力を尽くした」って春香が思うために、コフートみたいな自己愛の成熟の段階だったり、フロムみたいな愛を介して人間関係に取り組んで人格的に成長する描写があったりする。主観的に自分に自分にオーケーを出せるかどうかと言うのが大事。
もちろん、自分の考えが絶対に正しいって思いこむ主観はあんまり素敵ではない。だから、仲間たちが春香に賛同してくれること、春香の一部になってくれること、が大事。
だから、可奈が春香と同じようにアイドルを目指し続けてくれるのが大事で、可奈がアリーナで春香の言葉を聞いて、みんなと一緒にステージに立ちたいって言ってくれるのが春香にとって一番大事なことで、志保も含めたみんなが一緒になってくれるという所で、春香は嬉しくて、緊張の糸が切れて滅茶苦茶泣いたんだろう。


ファン目線としては、サイリウムの輝きとか、ジュピターや小鳥さんが描かれている。でも、春香の主観を補強する客観的評価としては、アイドル候補生の可奈たちがアイドルを目指し続けて一緒の舞台に立って結束してくれるということが一番の評価だったのかもしれん。
春香もアイドルに憧れてアイドルを目指してる子なので、その人生が間違ってないと、それぞれの人生の行動を以って示してくれて同じように憧れを持ち続けてくれる後輩は春香への大きな肯定だろう。
ファンだった子が同じようにアイドルを目指す、っていうのはアイドルにとっても最大のファンからの応援かもしれん。
またフロムの引用だが、

愛とは愛を生む力である。
重要なのは自分自身の愛に対する信念である。
つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである。


他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。
その信念があるかどうかが教育と洗脳のちがいである。
信念にしたがって生きるということは、生産的に生きることなのだ。


信念をもつには勇気がいる。
勇気とはあえて危険をおかす能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟である。
愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。

春香は、そして春香に「間違ってるかどうかは気にしなくていい」と言った如月千早は、自分の予想が間違ってて可奈や志保に拒絶されたり失望することを覚悟して、その上で相手を信じた。「アリーナに行けば答えば見つかる」と提案した水瀬伊織も自分の行動が愛につながると信念を持っていた。
千早ほどでないにしろ、「春香がリーダーだから、ミキはミキのできることをするの」と春香を後押ししたライバルの星井美希も、愛の種を与えた。
ダンスが苦手な後輩に「頼ってほしいよ!」と訴えた萩原雪歩も愛していたし、その雪歩を支えた菊地真四条貴音も愛の人だ。さりげなくお泊り会の調整をした双海亜美真美の双子も互いの愛が仲間につながっていくと信じていたし、我那覇響高槻やよいの前向きな周りを明るくする笑顔も愛だ。春香がみんなの気持ちを分かって辛くなっているのを分かってた上で任せた三浦あずささんも愛にあふれている。そして、大人なのにあえて指示を出さず、でも裏方でサポートして、彼女たちの人間的成長を信じて遠くから見守った赤羽根プロデューサーと秋月律子プロデューサーと音無小鳥さんも愛情を持っている。それから、わざと新人の面倒を見させて精神的に成長させるために、苦労させるプランを組んだ高木順二朗社長と、その意向をさりげなく春香に伝えた善澤記者も愛のある大人だ。
ジュピターの天ケ瀬冬馬だって不器用なりに春香の実力を認めて応援してるし、愛だ。
なんだ、みんな愛し合ってるじゃないか!


そして、「アイドルを諦めたくない」という自分の核の憧れを再確認した矢吹可奈だけでなく、他のバックダンサー組の子も改めて愛に気づいた。箱崎梨花、望月杏奈はあきらめずに頑張ることを、可奈に伝えて励ました。七尾百合子はダンスが不得意なりに頑張るから不得意な後輩も大事にして、と横山奈緒佐竹美奈子に言って、ダンスが得意な二人もチームワークの重要性に気づいた。そして、北沢志保もアリーナの広さと、そこに向かっていこうとする先輩を見て、「自分一人の練習だけでは無理だ。単なる技量じゃなくて、仲間への信頼感がないと舞台に立っていられない」と気づいた。でも、まだ若いし春香の考えを急に受け入れることにも戸惑いはある。そんな考え方も春香は「人それぞれだよ」って認めてやって、志保はやっと笑顔になった。
つまり、春香の愛と信念が、可奈の心の中にアイドルへの憧れという愛を生まれさせ、それが一気にバックダンサー皆に広がった、って言うのがアリーナの春香の言葉の効果。
そんな風に、自分が本気で愛することで他の皆にも愛が生まれたら、そりゃあ春香は、声優の中村繪里子は号泣しますよ。うん。

限りなく広いアリーナで歌声が高く遠く響く
心の傷ついた人も笑顔取り戻す
パワーを与えてみせる


可能性信じて挑まなきゃ
そう 何も始まらない
一度や二度の失敗
軽く流してリスタート


誰からも知られ愛される存在になる道を選んで
苦労は絶えないけれども後悔してない
毎日が楽しいから


新しい自分をいつでも見せながら成長して行くよ
まだまだ伸びると信じて今日も頑張れる
エンドレスな向上心で


こういう歌と生きざまを見せることで、ファンだった矢吹可奈はアイドルになり、笑顔を取り戻した。
ジュピターのあまとうが劇場版での男性ファン代表だとしたら矢吹可奈は女性ファン代表だ。そんな可奈の心に愛の灯を付けること、これがアイドルの仲間内の関係性だけでなく、もっと広い人類に愛を届けるファンに対するアイドルの姿として、その代表例として見せられたんだと思う。
プロデューサーが10年後はパティシエになってるかも、と言ったように、ファンは絶対アイドルを目指さなくても良くて、自分の決めたことを後悔しないでやろう、と思えるようになるだけで、愛の生産活動と言える。
通りすがりの渋谷懍さんの心にも届いたよ!

  • 注意しておくと、矢吹可奈はちゃんと才能はある。

いや、まあ、ファンって言うだけで軽い気持ちでアイドルを目指すのは危ういものがあるんだけど、その点は「元々アイドル候補生」とか「前半の合宿にはとにかく耐えた」という事で説得力を持たせているので、ギリギリのラインで納得できる。ちゃんと「アイドルになるぞ!」と自覚して、(あんまり描写されないけど)スクールに合格して、映画の後はちゃんとオーディションを他のミリマスキャラに混じって受ける芸能活動に自分を定めた。
バックダンサー組も、元々努力とか素質は持ってる子たちなんです。
努力や素質があるのに、上手くいかないってのが映画としての盛り上がりで、人間的成長の試練が大きなものに見える。だからこそ人間的な逡巡とか気持ちのすれ違いを乗り越えるのがカタルシスになってる。
また、後半で春香が可奈を見捨てないで信じたことは、合宿中の努力パートでの人間関係も間違ってなかったって春香が信じたいがための行動。いろいろあったけど、それも含めて自分の人生はこれで良かったんだ、って思うのが人間にとって一番大事な幸福ですからね。


僕は人生に後悔ばかりで、実際に色んな人を見捨てたり死なせたりしてきたんで、「わが生涯に一片の悔いも持ちたくない」というアイドルがすごく眩しく見えますね。
そう言う、なかなか達しえない納得した態度こそが「輝き」かもしれない。


で、ラスト、可奈は765プロとは別れて一人でオーディションを受けているみたい。GREEアイドルマスターミリオンライブ!では765劇場の仲間の春香たちとバックダンサー組だが、アニメ版では別れることが前提の人間関係だったみたいだ。だが、そうやって別れていっても、思いが繋がっていて思い出がそれぞれの人生に残って自分で納得できるなら、それでいい。
「みんな未来へ進んでいく。だから、私もみんなと一緒に変わっていきたい。一緒に進んでいくことで見える景色を、この目で確かめたい」と言って、変わり続ける人間関係を恐れるだけでなく受け入れることが出来た春香は成長した。
周りが変わることや別れることをすごく嫌がっていたテレビ版の春香が、劇場版の最後で自分も変わって良いと思えるのはやっぱり人格的成長で、大人へ近づいた感じがします。
自分も変わりながら、年下の後輩も変えていって、人生は続く、というのは人間社会全体のつながりも連想させて、きれいな年の取り方とか生き方に通じるものがある。プロデューサーからアイドルへ、アイドルからアイドル候補生へ、という気持ちのバトンもあるので、十代の若者が一つの課題に取り組む青春の一ページの描写でありながら人生の世代間コミュニケーションを描いた壮大な人間ドラマと言う感覚も匂わせていて、良いなあ。

人間の生は「自分の中心における経験」の中にしかなく、従って愛の基盤もそこにしかない。
そうした経験にもとづく愛は、たえまない挑戦である。
それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業である。

トップアイドルと言う遠い輝きの向こうを目指して成長し変わり続ける絶え間ない挑戦こそ、愛の本質なのだ、と、60年前の精神分析家のエーリッヒ・フロムは述べている。それが、輝きの向こう側を目指し続けるアイドルの愛の営みなんだ。


だけど、プロデューサーはやっぱり戻ってきて「俺はずっとお前たちのプロデューサーだからな!」と証明する。
別れることも人生なら、再会するのも人生。
変わることを許す器量も大事だし、成長しながら関係を続けたいという願いを実現するのも強さ。
「傷つきたくない」という本能も大事だし、「後悔したくない」と思う事でぶつかり合うのも大事。
色んな人間のドラマが見れた映画だと思う。


なんか寝てないので、最後はとりとめがない文章になってしまったが、シーンごとに振り返っていくのはこれで終わろう。
あとは、劇中に描かれてない部分をちょっと書いて感想を止めて、だらだらとリピーターになろう。あと、ゲームとかする。


あー、長いブログだった…。なんでこんなことをしたのかな。
僕自身は、結婚もしないし実家は崩壊したし、親族は何人か自殺し、真面目に働いている友人の幸福な生活を邪魔するのも忍びなく疎遠になりがちで、愛する事の資格や相手を失ったような人間です。
でも、だからこそ、現実のダメダメの反動として、アニメを愛することに、行き場のない感情をぶつけてるのかなー。
でも、とりあえず課金はほどほどに!
あと、プリキュアアイカツ!プリティーリズムの映画は楽しみです!
タイバニは…ルナティックさんにちゃんとした決着がつくといいよね。僕は屈折したルナティックさんや実利的な殺人態度が大好きなので。
仏陀は・・・どうしようかな…。
あと、かぐや姫の物語の物語性への批評は書いても良かったけど、そういう大御所の作品を何度も見て長く感想を書くより、アイドルマスターみたいな若手の作品を何度も見て感想を書きたいと思ったので、そっちに力を回しました。
でも、4月からは自分の捜索の仕事に注力したいですし、って言うかザンボット3を半年以上みてないだろ!がんばろう。