玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動戦士クロスボーン・ガンダム ゴースト第6巻 海賊武侠小説から神話へ

長谷川裕一先生は、この宇宙で富野的なものを吸収している人のうち四天王の一角だと思っている。そんな最新宇宙世紀ガンダムのクロスボーン・ガンダムゴーストの感想です。素晴らしすぎて、発売から1カ月以上感想が遅れてしまった。

  • ゴールド・ビルケナウ

まず、序盤の戦闘で目につくのがゴールド・エッグス部隊の首領キゾ中将の駆る指揮官用重MAビルケナウ出る!
あの、機動戦士Vガンダム本編でもアルベオ・ピピニーデンが乗った途端に爆発し、ゴーストの1巻でも登場シーンですでに破壊されてたビルケナウである。
出撃する前に撃墜されることで有名なビルケナウが、やっと戦う所が絵になった!スゴイ!
しかも、戦い方がすごくユニーク。
まさか、ビルケナウがあんな戦い方をするMAだったなんて!というか、こういう戦い方をするMA自体が初めてですね。初めてですけど、機動戦士Vガンダム外伝のゴールデンエッグス部隊のジョングと同じくビルケナウもジオン軍モビルアーマーを元ネタにしていたという設定が、またガノタ心をくすぐりますね。
いや、元ネタのモビルアーマーはこんな戦い方はできてなかっただろ…。宇宙世紀0153の技術がすごいのか、キゾ中将の技量がすごいのか?ジャックに言わせると技量が別物らしいが。
ゴールデンエッグス部隊はNT部隊だからなのか?機動戦士Vガンダム外伝ではゴールデンエッグスの隊員は少年少女兵のニュータイプ候補生だと言われていたけど、クロスボーン・ガンダムゴーストのキゾ中将の部下の兵士たちは大人が多いですね。

そして、子ども兵士や部下を切り捨てて民間人も虐殺するキゾはVガンダム外伝(プロジェクトエクソダス、脱出計画編)に出てきたゴールデンエッグスの中隊長の「心で嘘を付けるNT」のスケイル少尉の残酷さにもリンクしている。
アニメのVガンダム本編や、長谷川裕一先生のVガンダム外伝とのリンクが自覚的だ。しかもそのオマージュが鼻に付く感じではなく、分かるファンにはにやりとできる、という程度なのでますますガノタ心をくすぐります。
ガンダムのスピンオフのゲームや漫画やOVAなど、「別にガンダムじゃなくて他の世界観をオリジナルで作ってやればいいだろ」という物もありますが、クロスボーンガンダムゴーストはまさに「ガンダムだからこそ」と言う所を上手く掬っている。さすが、長谷川裕一先生はこの宇宙でただ一人富野監督とタッグを組んで、宇宙世紀公式ガンダム萬画を書いた萬画家です。富野的なものをすごく吸収している。しかも、SFジュブナイル作家としてのオリジナリティや実力も高い。
SF作家として「すごい科学で守ります」などの考証の能力も高いのだが、同時にわかりやすいスーパーロボットのカッコよさを見せるのもすごい上手い作家で、ゴールド・ビルケナウをやっつけるファントムガンダムのファントムライト解放・強制冷却フェイスオープン・クジャクムラマサバスター&フレイムソードの二刀流の全力斬撃とか、超かっこいいです。
主人公交代の予感。

これもまた富野的に重要なものだ。核兵器
しかも、震災以降という事で、原発事故の風評被害放射能拡散のメタファーもいれている。しかもたくさん。
宇宙細菌のエンジェル・コールを焼却するために、ジャブローの核爆弾爆心地跡で、廃棄モビルスーツ核融合炉エンジンを暴走させる熱核反応の灼熱地獄。同時にそこに放射能を出すタイプの水爆が撃ち込まれて鳥獣が焼き殺されて地獄絵図となる。
核兵器の恐ろしさを描く!これは富野的なものを非常に吸収している長谷川裕一先生らしいですねー。
でも、富野監督よりも長谷川裕一先生の方がSF作家として理系に詳しい。
なので、∀ガンダムで非常にあいまいだった「放射能放射線の違い」とか「ガンダム世界の中のミノフスキー物理学による核爆発は放射線は出るけど放射能は少ない」と言う所をきちんと説明してくれた。
一応、∀ガンダムでも設定で「ロストマウンテンの核兵器は威力は高いが放射能が少ない未来の核爆弾」との説明はあったのだが。
その違いをきちんと説明したのはおそらくゴーストが初めてだったんじゃないかなー?(Vガンダムや08小隊でもモビルスーツを核爆弾にする描写はあったが、放射線放射能の違いについてわかりやすく説明した作品は少ないかと)
このおかげで、Vガンダム∀ガンダムの核爆発シーンを見る時に感じていたもやもやした気持ちが、ちょっと軽くなったので、長谷川裕一先生のSF的な考え方はありがたいことです。

  • 核を利用する宗教

で、後半、舞台は南米のブラジル側のジャブローから、アンデス山脈を挟んだペルー側のマチュ・ピチュの遺跡に建造されたマリアの街に移っている。
これも意外!
機動戦士クロスボーン・ガンダム本編が6巻で完結しているにもかかわらず、その続編のゴーストが6巻を超えてさらに舞台を広げるとは!
だが、これは単なる連載の引き延ばし工作ではなく、F91の流れをくむクロスボーン・ガンダムの世界からVガンダムの時代へとサーガが繋がっていくためのものだと思う。Vガンダム的な要素が、単にメカとしてVガンダムの時代のMSが出るだけにとどまらず、Vガンダムのテーマ的な所にまで踏み込もうとしている!
機動戦士Vガンダムは地球連邦政府の権力が衰え、独立戦争が多発する宇宙戦国時代です。そして、ザンスカール帝国は新興宗教のマリア主義を掲げる宗教国家として独裁制を敷いています。また、宇宙2世紀中ごろにはニュータイプサイキッカーとして認知されたことで新興宗教が流行している時代。
宇宙のザンスカール帝国本土以外にも海中に住む事を教義としつつマリア主義を信仰するアンダーフックのような宗教都市は地球上にも存在する時代。
なので、ゴースト6巻に登場したマチュ・ピチュのマリア・エル・トモエの街もそのような拠点の一つだろう。そう言う意味での説得力がある。
また、なんで、マチュ・ピチュなどという遺跡を舞台にしたのかと言うのも考えてみた。まず、南米ジャブローアンデス山脈をはさんで近いということ。だからザンスカールが撃ち込んだ旧型水爆の核爆発による放射性物質の汚染に敏感になるという立地。事実、放射能汚染におびえる群衆が登場していた。
フォント・ボーが上記のように核兵器放射能放射線の違いや宇宙世紀の核物理学について説明したのも併せて、東日本大震災での原発事故のメタファーをガンダムと言うファンタジーSFの中で象徴的に描こうという意図があるのだろう。特に、ガンダム核兵器のメタファーがもともと多い作品であるし。
(ただし、富野以外のガンダム核兵器を使うことが少ない。分裂炉で動くフリーダムガンダムも登場シーン以降は大して核のイメージは強くなかったし…。00は疑似GNエンジンが核のメタファーではあったけど、なし崩しになった印象。Xは核兵器そのものは出ていないけど、放射線での遺伝子汚染は見られた)


で、教祖のマリア・エル・トモエは「マリアの力でこの町は放射能から守られています」って言うけど、それは多分、高所にあるからとか気流の関係だからとか、そう言う手品なんだろうなあ。そういう現実でも起きた放射性物質の拡散について表現するためにマチュ・ピチュが舞台として選ばれたのではないでしょうか。
また、ザンスカール帝国サイキッカーを集める町として海中都市のアンダーフックを使っていたけど、高所の都市も地上から隔絶された環境の街という事で、似ている。Vガンダムの要素を入れていますね。
それは作者の演出の事情だが、作中のキゾ中将がそのマチュ・ピチュをザンスカール帝国の第二の首都にしようとしたのは、細菌兵器のエンジェル・コールを使って地上を滅ぼしても、高所の街を首都にしたら地球に君臨できると考えたから…だろうか?


機動戦士ガンダム 逆襲のシャアで地球連邦政府の首都がチベットのラサに有ったのは、小説版によると「宇宙に近いから地球からスペースノイドを管理しやすい」という裏設定があるとのことだったが…。これに倣った物だろうか?長谷川裕一先生はガンダムオタクとして群を抜いているからなー。エッセンスの拾い方が上手い。
あと、もちろん、∀ガンダムに出てきたマニューピチも意識してるんだろうけど。(Vガンダムの時代、ここには軌道エレベーターマスドライバーはあったのだろうか?VガンダムマスドライバーはTVの劇中ではヨーロッパのジブラルタルだったが)


ちなみに、機動戦士Vガンダム最終回の最終決戦の後に映った遺跡はグアテマラマヤ文明チチェン・イッツァのピラミッドなので、インカ文明の宗教都市のマチュ・ピチュとは違います。
Vガンダムの最終回は宇宙と成層圏と山脈の間でモビルスーツが天使や悪魔のように乱舞していて神話的な決戦でしたね。
また、マヤ文明チチェン・イッツァの石像は富野監督がVガンダムの次にTVで放送したアニメのブレンパワードのOPに登場したことでも有名。なので、富野監督的にはイメージがVガンダムブレンパワードの間が遺跡でリンクしているんでしょう。

『ブレンパワード』OPのラストカット10秒をていねいに観る - 幻視球ノート
これは余談だが、富野おたくとして造詣が深い長谷川裕一先生はもちろんこういうのも意識して、るんでしょうか?



Vガンダムの最終戦闘が終わった後のマヤの遺跡。


なので、ゴーストのマリアの街が南米の高所にあるのは核汚染の不安を利用して、人心を束ねようという意図でしょう。
Vガンダムオウム真理教とんねるずのテレビとかバラエティー番組でネタとして人気で、まだ事件を起こす1年前だった1993年のアニメです。富野監督は当時オウム真理教の代表の松本を本物の霊能力者だと思い込んでいたと後に供述していた。90年代初頭はオカルトブームがあったからね。オウム以外にもサイババとか統一教会とか(今も存続している子安武人エル・カンターレ幸福の科学なども)
現実のカルト宗教の麻原を本物だと思った富野監督が、サリン事件の前に「宗教国家は崩壊するものなのだ」というVガンダムを描けたことは特筆すべきことだ。これは富野監督の本能的な直感だろうか?もともと海のトリトンライディーンのころからオカルト系のアイディアの人だし、ガンダムニュータイプもニューエイジ思想ですしね。
オウム真理教幸福の科学は布教にアニメーションを使っていたし、メディアもそれを持て囃した時期があった。
しかし、それを反省する動きは少なく、21世紀以降は何となくオカルトや宗教を(ネタではなく)問題意識にする作品は減った。アニメ界がエヴァブームとジブリブームに波をさらわれたという面もある。
Vガンダムファンの幾原邦彦監督の2011年の輪るピングドラムくらいから、震災以降と絡めて90年代の不安のメタファーとしてあったオウムなり宗教を再考する流れが来ているのかもしれない。80年代後半から90年代前半のオカルトブームは、チェルノブイリ原発事故やチャレンジャー号爆発事故など、核兵器や化学への不信感や不安感から、宗教によりどころを求めようとする運動と言う面もあった。なので、福島原発事故の後の世相の不安感が宗教に向かうという流れはあるかもしれない。
で、それをVガンダムの放送から20年後に長谷川裕一先生が改めて、宗教色の強かったVガンダムの世界の中で描こうとしているのかもしれない。それは海賊の武侠萬画の枠を超えた神話になる予感がする。


  • めんどくさい女たちと、男

で、「マリア・ピア・アーモニアよりも正しいマリア主義」の教祖のマリア・エル・トモエなど、見るからにめんどくさい女が増えた。
女がめんどくさいのは、機動戦士Vガンダムの特徴だ。Vガンダムの時代はロボット兵器やサイコミュが普及して、女子供の体力的な差がなくなり、素人の女子供でも簡単にモビルスーツを扱うようになる、と言う外道の極みに墜ちたのがVガンダムの時代だ。そして、戦場に出るようになった女たちは精神をこじらせて死んだり殺し合ったりめんどくさい性格になったりしたのがVガンダムと言う作品だ。
Zガンダムの時代では「女性が戦場に出るのは異常だ」と言った美少年のカミーユが精神をこじらせた)
その時代背景に追随するように、クロスボーン・ガンダムゴーストも、女たちがめんどくさくなってきている。
主人公の見方になったジャック・フライディに兄を殺された元恋人のマーメイドも、ジャックの元同僚の変態男的なロナルドとスキンシップをして、ジャックとの関係がめんどくさくなっている。
シュラク隊の女戦士にしては明るく健康的な長谷川裕一キャラに見えた年上のお姉さんパイロットのトレスも唐突にキスをして来たり、めんどくさい女になってきた。
そして、初代クロスボーン・ガンダムでは殺人狂の傭兵で、その後は鋼鉄の七人を経て流しのジャーナリストになった47歳のローズマリー・スズキ女史の再登場。
夫を病死させたり、教祖にめんどくさい喧嘩を売ったり、レジスタンスの活動家になったり、もともとめんどくさかった女が中年になってさらにめんどくさくなった。
ブラックロー運送もなんだかきな臭い巨大企業になり、オンモ会長は登場していないもののレジスタンスを支援したりして、めんどくさそう。
めんどくさい顔つきでキゾ中将に利用されている、女王のなりそこないのサイキッカーのマリア・エル・トモエが、生粋のニュータイプの才能を持つ木星の姫、ベルを「この子を私の娘にすれば私の願いがかなう」「あの子が次のマリアだ!」とか、Vガンのルペ・シノみたいなめんどくさい代理的母性本能を発揮することで、長谷川裕一的な守られる美少女ヒロインと思われたベルもめんどくさくなりそうな予感。
で、1巻から読み返してみたら、ベルの母親のテテニス・ドゥガチが木星を再建する中で政治に疲れて精神を病んで宇宙生物の探索のために10年間も外宇宙を旅行していた、と言うのも物語の導入にエンジェル・コールとクロスボーン・ガンダムX0を登場させるための方便かと思っていたが、改めて考えると、めんどくさい女になったなーと言う感じ。


女がめんどくさいのがVガンの時代!
機動戦士ガンダムF91の流れを汲む機動戦士クロスボーン・ガンダムは鉄仮面のようにクラックス・ドゥガチ総統がめんどくさい親父ぶりを発揮するという話で、じじいがめんどくさかった。
それから劇中でも現実でも20年が過ぎ、女がめんどくさくなってきたのがゴーストの時代。


そういうめんどくさい女たちに対して、長谷川裕一作品のヒーローたちや悪漢の男たちはどう対応するのか?

コンプティーク94年06月号 富野インタビュー - シャア専用ブログ@アクシズ
Vガンダム』で描いたのは、今の皆さんの年代の男と女の関係です。そう受け取ってくれればいい。それだけの物語です。

女はね、男を必要としているんです。必要としている男が、仕事のうえでも、私生活においても、あまりにも頼りにならないので絶望しているんですよ。男性が、女性に対して“男であること”を示すことが少ない。たとえば、テレビゲームに出てくる女性って、オタク少年が喜ぶタイプの女の子ばかりじゃないですか。“そんな女性観しかもってないようじゃ、お前ら、女とセックスなんかできないよ!”ってことです。男が、どうあらねばならないのか、見ている人に考えてもらうためにも、“女性というものの実体”をちゃんと描こう。それが『Vガンダム』の一番大きな狙いでした。


あなたたちも、テレビゲームばっかりやっていると、今にまわりの女の子が、カテジナみたいになっちゃいますよ!


周りの女の子がカテジナみたいになっちゃう!という問題意識を富野監督は予言したが、それから20年の月日が経って、日本の商業主義は堕落し、男たちはますます役割を示すことが無くなった。
オタク文化が認知されたのは自由主義的には良いが、萌えキャラが経済効果となって社会もそれに乗っかり、日陰者だったオタクが増えた。オタクみたいな若者が増えた。ゲームやインターネットの普及でもある。
そして、そのオタクの男たちの社会の中で、ニコ生のエロ生主やサークラの姫やメンヘラ風俗嬢など、カテジナみたいにこじらせた女は増えた。一時期、児童遺棄も多かった。
90年代に宮台真司が「援助交際は自由だ!」っと言ったが、それから20年後、女たちは精神をこじらせた。

荻上:元援交少女や現援交少女、元リストカッター、現リストカッター、元出会い系ギャル、今でもテレクラやスタビなんかで出会い系を続けているギャル、援交転じて風俗を経由した子、出会い系などでも結局「まったり」できずメンヘラーになってしまった子、恋愛ゲームを「タフ」に勝利しているかに見えるギャルを嫌悪しつつリスカをやめられない文系の子、テンプレコミュニケーションで盛り上がれるオタクを軽蔑しながら、自らもテンプレのコミュニケーションに参加していかざることにまだ「納得」できない子…。
自分の友人には「援交世代、のち、メンヘラー」なタイプの人は非常に多いですね。
http://d.hatena.ne.jp/miyadialogues/20061221/p1

僕も荻上チキさんと同じくキレる17歳世代だったのだが、富野監督は「アニメばっかり見てるとみんなカミーユみたいにキレるぞ!」と言っていて、その予言は当たってみんなキレる時期があった。
その後、カテジナみたいな女が…。
あと、ゲイナー君みたいなギーグもアメリカには居る?(日本でのネットベンチャーマネーゲーム化して、あまり良い印象が無い)


男たちも曲者ぞろいだ。オタク主人公のフォント・ボー、謎のエージェントのカーティス・ロスコ、味方に付いた殺し屋のジャック、損得だけで動く犯罪者の傭兵部隊サーカスの団長とその配下たち、味方も敵も人の命も数字と自分の利益で計算する頭脳と蛮刀とモビルアーマーを振り回す暴力性を持ったキゾ中将(しかも、キゾはVガンダム外伝で登場した進化したニュータイプ兵士育成部隊ゴールデンエッグスの首魁でもある)。
どうなってしまうのかーっ!

ゼロ年代の想像力で一時期一世を風靡した後東浩紀さんとふんどし姿になったりした富野ファンの文筆家の宇野常寛さんはクロスボーン・ガンダムをネット動画や著作で批判していたらしい。

宇野常寛「プレ・母性のディストピア」第4回テーマ:富野由悠季。 - Togetterまとめ


@nuryouguda クロスボーンガンダムゴースト読まずにdisられた事意外は概ね面白く聴けましたよ〜。
@nuryouguda ちょっと誤解があったので訂正するとクロスボーン無印は安彦と福井と同じ宇宙世紀に戯れているだけで全く興味ない旨の発言されていて、ゴーストを読んでいるか個人的にお聴きしたかったのですが、機会を逃してしまいましてね。
Sensyu_Chris 2013-09-06 01:01:02


@Sensyu_Chris ちょっと伺いしたいですが、宇野氏はクロボンのトミノ分に対するご意見がどういうものなのでしょうか。
kaito2198 2013-09-07 16:00:31


@kaito2198 要約すると「トビアがベルナデッドを救う幼児的な正義感、家父長制的なマチズモ(強い男の子が、弱い女の子を守る)ための方便として機能している。 同作は「裁く父」から「封じ込める母」へと象徴秩序の変化したことで行き場を失った富野作品に対する、新教養主義を利用した家父長制的なマチズモの復権を支持する立場からの批判として位置づけできる。
だが長谷川のこの立場は富野作品の根底を成していた母性のディストピア問題を無視することで成り立っている。子供達への無邪気な信頼は常に無批判な幼児的居直りを可能にしてしまう危険性と隣り合わせなのだ。 (「ゼロ年代の想像力」より抜粋。)
Sensyu_Chris 2013-09-07 20:30:01


まぁこの間の講義では宇野さんはクロボン(無印)について露骨に興味ないと云ってましたが、私はゴーストはVガンダムの抱える母性ディストピア問題に対して、長谷川氏なりに真摯に解答を打ち出そうとしていて好感が持てます。
Sensyu_Chris 2013-09-07 20:44:38


@kaito2198 無印だけでいえば長谷川作品だと思いますね。ただゴーストはVガンダムに対してのアンチテーゼをメタ的ではなくかなり直裁的に行ってるので今後の展開を見守っていきたいですね。
Sensyu_Chris 2013-09-07 22:22:19


@Sensyu_Chris ありがとうございます。過ぎる論は嫌ですけど、ドゥガチを正確に指摘した点に関しては素直に宇野氏を評価したい。
kaito2198 2013-09-07 22:27:34


@kaito2198 横槍を入れるようで難ですが、宇野氏はドゥガチ云々というよりは、宇宙世紀を少年の成長願望を満たすための受け皿として描き直して、富野的な問題意識を無視されてしまうことを批判しているのだと思います。

Sensyu_Chris 2013-09-07 22:36:18

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

僕はいい年をしてマンガばかり読んでアニメを見ているボンクラで幼児的なオタクです。
だから、かっこいいロボットに乗った少年が頑張って女の子にモテるのは「うわぁかっこいい〜」と思う。
なので、宇野さんが「強い男の子が、弱い女の子を守る構造は家父長制的なマチズモだ!」とか「母性のディストピア問題を無視した、無批判な幼児的居直りだ!」とかクロスボーン・ガンダムを評することに対しては違和感を持つ。
というか、かっこいいロボット萬画は楽しいので、それについて文句を付けられると楽しい感覚の興がそがれるので嫌だなーって思う。
うん。僕は娯楽の消費者であって、宇野さんのような高度な知性で世の中を批評する社会学者ではないのだ。
ロボット萬画が少年の成長願望の娯楽作品になってるのは別に悪いことじゃないし、かっこいいロボットがバーンってビーム剣で怪ロボットをやっつけるのは爽快だと思うんですが。何が悪いというのだ!


ですがですが、今回のクロスボーンガンダムゴースト6巻はそういう宇野さんのような意見に対する作品としてのアンサーにもなっていると思うわけで、そこが面白い所。
要点を言うと、「女の子だってジュブナイルで成長したい!」という意思をベルが見せる所。
ガンダムの女性ファンがいたのかどうか問題」が先日Twitterなどで話題になったけど、女性だってSFを読みたいわけです。ティプトリー新井素子先生みたいな女性作家もいるし。そう言う意識はクロスボーン・ガンダム外伝スカルハートから登場する星の王子様に憧れる宇宙少女のトゥインク・ステラ・ラベラドゥを通してクロスボーン・ガンダム長谷川裕一作品でも描かれている。
長谷川裕一先生は「オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界」と言う本で「日本で2番目にオタクの心がわかっているまんが家(by岡田斗司夫)」と言われたり、「長谷川裕一というまんが家は、オタク第一世代であり、SFへの耽溺を出自に持ち、その作品において、ロボットと人間という問題では手塚治虫の、ユートピアという問題では宮崎駿の、宇宙観という問題では富野由悠季の、美少女という問題では吾妻ひでおの、いわばオタク文化の先達の遺産を継承し、展開している稀有な存在です」と言われたりしている。

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

なんですが、長谷川裕一先生の作品に出てくる女の子が守られるだけのオタクの願望の人形のような女の子に過ぎないのか?と言うと、それは怪しいと思う。
オタクと美少女については、ゴーストはかなり自覚的に描いている作品。そもそも、主人公のフォント自体がガンダムマニアのハッカーのオタクで、ガンダムのMS図鑑サイトを運営したり、人工知能AIに美少女CGの外見と喋り方を調教するようなひどいおたくだ。ご主人様と呼ばせる。初音ミク文化圏を意識したものかと。長谷川裕一先生自体がすごいオタクだからなー。
んで、彼の冒険と同時に、彼を「初めての子供同士の友だち」と呼ぶニュータイプ木星の姫であるベルナデット・ドゥガチの成長も描かれるのが本作。
ベルは、前作のヒロイン、テテニス・ドゥガチの娘だ。テテニスは若くしてユピテル財団の当主となり、木星共和国の政治のシンボルとなり、政治の荒波にさらされて精神を病んで、10年間社会から隠れた生活を送るために、同時に宇宙生物を探索して外宇宙に地球人が進出するという夢を見るために、海王星までのアルゴ・オディセア計画で外宇宙を放浪していた。その旅の最後に彼女が外宇宙への憧れを込めて名付けた宇宙細菌「エンジェル・コール(天使の呼び声)」を発見する、と言うのがゴースト編の冒険の始まりである。
ゴースト編のフォントとカーティスの冒険もすごいが、それに先立つ10年間のアルゴ計画編も回想シーンで語られるだけだが、物凄い宇宙開拓だ。


で、その母親が「星の世界の女の子の夢」を見るための旅の都合で、外惑星探査船の中で生まれ育って自分以外の子供を見たことが無いというベルはあからさまに母性のディストピアの箱舟の中で育てられた女の子だ。
ここは二つ重要な点があって、前作で守られるヒロインだったテテニスが成長して子供を箱(船)に閉じ込める母親になるという時間の流れと、そう言う環境でも生まれた女の子もまた自分の力で成長していていく、と言う母娘のサーガの流れですね。
「地球や木星の間で人類が戦争するのは良くないから、外宇宙に進出する夢を見るために、ミノフスキードライブ船を開発し、宇宙生物を探索する」というテテニスの夢はあまりにも飛躍している。テテニス・ドゥガチは心のきれいな女性で、前作のヒロインのまま成長した。だが、そんな心も見た目もきれいな女性が政治と言う荒波で心を疲れさせて変な理想主義でよくわからん計画を立て、その結果として宇宙病原菌を手に入れてしまう。テテニスには悪意はない。テテニスは貧乏な木星の民を救いたい一心で、平和主義で政治をしていた。その平和主義が、ザンスカール帝国のカガチに利用されたり、抑圧されて暴走するサーカス部隊のようなタカ派を育てることになっている。
この女心や少女が夢見た理想が裏腹に転化していく、と言うドラマは、なかなかすごいんじゃないだろうか?テテニスの理想が戦乱を呼んでしまう、というのは伝説巨神イデオンのカララ・アジバの理想が破滅を招いた構図に似ている。
そして、それは母性のディストピアという批評家の一言で片づけられるものというよりは、もっと広い、人間の人生や社会のままならなさや切なさみたいなものとして捉えた方が詩情があると思う。
そして、彼女を裏から支える元ヒーローのエージェントのカーティスがその女の理想が招いた戦乱の尻拭いをするようにロボットで何度も死線をくぐる戦闘に身を投じる、と言うのも単純に女を守るだけの話と言う枠を超えた大人の苦みを感じさせる物語だ。


そんな高貴な理想を持った母親と、侠気を持った父親(代わり?)のカーティスに育てられたベルナデット・ドゥガチは天真爛漫だが、世間から隔絶して育ったので性格がアンバランスだ。
いつもうさぎのぬいぐるみを持っていたが、それについて「こんなの!分離・個体化期における移行対象にすぎないわよっ!」と言う。物凄い知識とニュータイプ能力の才能と個人としての成長がアンバランスなのだ。こういう変な性格の美少女は萌える。
だが、そんな萌え美少女が、自分のニュータイプ能力を生かして盲人のカーティスにテレパシーで視覚情報を伝えて、彼と共にモビルスーツで戦う。これは萌えだけでなく、女子供を戦場に巻き込む行為であり、Vガンダム的なゆがみである。
これについては作者も、そしてカーティスも自覚的で、「人が人を殺すところや人が死ぬ所は、人が最も人に見せてはいけない光景だ」と分かっている。わかっているが、ベルのその能力を借りて戦闘を視てもらわなければ、勝たねば、死!というのも富野作品のエッセンスを継承した戦場の過酷さだ。修羅の連続!
で、そのベルのニュータイプ能力を使う事を、一時は禁止していたカーティスだが、ベルの能力に命を救われ、共に戦う事を決意し、

それでもお前が進むのを選ぶなら
倒れかけた時はその背中をおれが支える。
つないだ手は決して離さない。
おまえは―――
おれの―――
命だから!

と戦場でモビルスーツの座席に二人乗りしている時に思う。


ジャブローでの戦闘が終わってもマリアの街にベルが同行した時にも、

わかってるよ。おれだってお嬢様をこれ以上危険に巻き込みたいわけじゃない。
だが こんなとき
おまえなら”どうしたい”と思う?
”やる”と決めたことを誰かに―――
例えば親に反対されたらそれで納得して引き下がるものか?
あの子は自分で決めたことを自分の力でやろうとしている。
ならば私にできるのは
全力であの子を支えることだけさ

とフォントに語る。そして、フォントも「おれもこの子の支えになります」と思う。ここで、新世代でヒーローとヒロインの関係性につながる。
「一人では無理でも、二人なら支えられる」と。
これは、マチズム的にヒロインをヒーローが守り、少年の成長願望を満たす受け皿と言うだけではないと思うんだ。
むしろ、娘は親から受け継いだ因縁と能力を自分のものとして成長しようとするし、父親も娘の力を借りるし、娘も新しい世代の友人の力を借りて支え合う。単純に守り守られるだけではない。こういう複雑な関係が生まれるのも、クロスボーン・ガンダムシリーズF91の時代からVガンダムの時代まで脈々とサーガを積み重ねてきた結果なんだろうなあ。アムロとシャアの14年間の戦い(あるいは閃光のハサウェイまでの26年間)よりも、F91シーブックからゴーストのフォントの時代までの30年間の方が長いんだからなあ。


機動戦士ガンダムユニコーンフル・フロンタル人工知能と役割を植え付けられたクローン人間でありながら「自分が大人であるという事を自覚的に武器にする」というキャラクターに対し、カーティス・ロスコという仮名を背負った「彼」は大人であることで発生するめんどくさいこと、色んな世間や周りの女性や子供たちや部下との関係を実力で切り抜ける人で、大人であることを武器にするというより、大人であることのしんどさを背負っている。かつて少女を守って冒険する少年だった「彼」は大人の苦さを知り、それでも友人の遺した想いのため、好きな女性の理想のため、娘の未来のため、戦う!か、かっこいいいいいいい!
やっぱり長谷川裕一作品は家父長的な価値観が銅の河野と細かいことを言う以前に、単純にヒーローの生き様がかっこいいですね!


そして、世代交代がVガンダムのテーマなので、今度こそカーティスは死ぬかもしれん。いや、ハンゲルグ・エヴィンのように生死不明ということもありうる。どうなんだろうか。
17年前の鋼鉄の七人では参戦しなかったシーブック・アノーはどうだろうか?神の雷作戦は書籍販売されたので、事後的に木星の復活を知ったはずだ。ゴーストの時のシーブック・アノーは47歳。再登場したローズマリー女史も47歳。まだまだキンケドゥさんが出る余地はある?
いや、コスモバビロニア木星の因縁は19年前に断ち切れたので、木星ザンスカールの諍いにキンケドゥが改めて首を突っ込むということはないか?パイロットよりも、もはやパン屋歴の方が長いだろうし。
ああ、どうなってしまうのかーっ!
木星じいさんの脱出計画とゴールデンエッグス部隊の交戦は?
(どうやら、ゴーストで描かれるのはウッソがすでにV2ガンダムに乗り換えている時期のようなので、Vダッシュ時代に出会った木星じいさんはすでに地球圏にはいない様子。残念)


そして、「幼児的な居直り」でぬいぐるみを抱いてばかりいたベルは、ジャブローでの激戦を潜り抜けた後、マリアの街に入ってからはぬいぐるみを持っていない。
明らかに、成長している。
女の子だって、ジュブナイルSF小説の中で成長するんだ!
それが、戦場の闇に飲まれるのか、健やかなものとなるのか、それはまだ分かららない・・・。

  • 神と人と

神と人と言うテーマはクロスボーンガンダムに於いては非常に重要なテーマだ。
初代クロスボーン・ガンダムの終盤、超能力者のニュータイプ能力に目覚めた主人公トビアは、ニュータイプを教義に掲げるコスモ・クルツ教団に勧誘されるが、人間を超越するニュータイプになることを拒否し、最終決戦に臨むとき神に祈る。
「神よ、どうか手をお貸しにならないでください。決着は人の手で付けますから」
と。
なので、新興宗教国家ザンスカール帝国の前から宗教的なテーマは盛り込まれた作品であった。
そう言う観点から見てみると、クロスボーン・ガンダムゴーストのネーミングは非常に神話的、キリスト教的だ。
テテニス・ドゥガチが旅行したアルゴ・オディセア号はギリシャ神話から来たものだし、彼女が宇宙生物「エンジェル・コール」から「宇宙の知識」を手に入れ、林檎の花(マンサーナ・フロール)と名付けられた播種船で外宇宙に飛び出し、地球圏の争いを無くそうとした考えは、∀ガンダムの前史に当たるNTの地球脱出計画やVガンダム外伝の脱出計画とも符合する。
同時に、堕天使の呼び声で林檎の種を宇宙にばら撒き太陽系を脱出する、と言うのは容易に林檎の果実を手に入れたアダムとイブが失楽園に符合する。
カーティス・ロスコが所属する木星の特務部隊「蛇の足」(セルピエンテ・タコーン)は「存在しないもの」という暗号だと語られるが、アダムとイブを堕落させた蛇(サタン)に蛇足を付けてその後の尻拭いをする、と言うアイディアの暗示にも取れる。


また、前作の主人公のトビア・アロナクスという名前も聖書的で、

トビア
Tobias|「神は善」|ヘブライ語
■天使と一緒に旅をする
http://flamboyant.jp/bible/bib266/bib266.html

と言う意味がある。聖書のトビアは父の失明を直したのだが、カーティスの目はどうなるのか?
アロナクスは海底二万海里の主人公のアロナクス教授から。


で、今回、エンジェル・コールを持ち逃げして主人公のカーティスと敵対したエリン・シュナイダーの懺悔が語られる。
彼は、ザンスカール帝国のエンジェル・ハイロゥを兵器として使われることを良しとせず、エンジェル・コールをザンスカール帝国上層部に売ることと引き換えにエンジェル・ハイロゥを10万人を収容する宇宙船に改造して中のサイキッカーを救おうとしたとのこと。
彼は善意の人だったのだ。(木星共和国だけが生き延び、地球の人類は滅んでもいいと思って細菌兵器を使おうとしたが、地球から木星に移住する人は拒まないというのが本音だった)
そんなエリンの名前は、容易に機動戦士ガンダム閃光のハサウェイのマフティー・ナビーユ・エリンに連想される。マフティー・ナビーユ・エリンは、スーダン語、アラブ語、古いアイルランド語の合成による造語で、「正当なる預言者の王」とでもいうような意味である。そして、マフティーに扮したハサウェイ・ノアは犠牲となる。
エリン・シュナイダーもエンジェル・コールに感染し、自ら自殺を図ったが、キゾに誘拐された。


このように、初期のネーミングから(そして過去の長谷川作品から流用して)神話的要素が設定段階から盛り込まれていた。
そして、6巻からは宗教都市、マリアの街でサイキッカーのもう一人のマリアと、ザンスカール帝国のマリア・ピア・アーモニアとの宗教的内部対立が描かれる。


確かに過去の私の感想を読むと、私はクロスボーンガンダム・ゴーストを爽快な「海賊武侠小説」だと思って楽しんでいた。
だが、ここにきて、Vガンダムの女性的な要素とか、世代をまたぐ人の営みとか、新興宗教や古代遺跡や神話の要素が入るにつれ、これはもはや宇宙戦国時代を駆ける武侠たちの活劇と言うだけでなく、人間の命とか、宇宙の中での神と人とのかかわりの歴史とか、そう言うオーガニック的に広いものになりつつあるのではないだろうか?
と、予感する。



まあ、色々、神話の話とか宇野常寛さんのバズワードとか入れて話を膨らませたけど、要点としては「クロスボーン・ガンダムゴースト、面白くなってきたね」ということです。