玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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4年間のインタビューに見るGのレコンギスタの「夢とロマン」に関する富野監督発言の変遷分析

昨日からドコモのdアニメストアで配信が始まった富野監督最新作の「Gレコ」、みなさんもご覧になったかと思う。
月額400円くらい払えば富野監督のアニメがスマートフォンやパソコンでいつでも世界中で見られるという電脳世界の恩恵である。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000458
世の中が進歩したな、と思う配信形態である。だが、富野監督は文明の発展には疑問符を投げかけているし、作品でもそれをテーマにするということ。


先日、日経エンタテインメント9月号の「ガンダム Gのレコンギスタ」に関する富野由悠季監督のかなり最新に近いインタビューを読んで、驚愕した。

富野:「G-レコ」では、科学技術の進歩を禁止しているのですが、それは夢やロマン、希望がないということなんです。そのとき人はどうするのかが物語の着地点のひとつ。
 例えば、現実社会はこの1000年で経済も科学も飛躍的に進歩して、それを幸せだと享受している。でもそれ以前の人類が不幸だったのか?というとそうではない。夢がなくても個々の幸せがあるはずで、その個々の幸せのために作中では戦いがあります。
https://randal.blog91.fc2.com/blog-entry-2402.html

おいおい!おかしいだろ!富野監督!あなたは「夢とロマン」を視聴者に見せるアニメ作家だったはずだ!


なぜ、富野監督はGレコで夢とロマンと希望を禁止するのか?


「夢とロマン」というのは、近年の富野インタビューにおいて、かなり重要な位置づけのキーワードだった。12年前のオーバーマンキングゲイナーでは「愛と勇気は言葉 信じられれば力」がキーワードだった。


で、富野監督のインタビューは活字やウェブで残されているのですが。その中で「夢とロマン」について富野監督が語ったことを時間を戻しながら、思い返してみる。

  • 現実の現代日本にも夢や希望はないと語る富野監督

2014年ニュータイプ9月号でも、富野監督は夢と希望を否定している。

https://nuryouguda.hatenablog.com/entry20140807/1407410133nuryouguda.hatenablog.com
アニメというのはもう少し外を向いている表現媒体で、そのエンタメ性を考えたら、「進撃の巨人」ではなく「ワンピース」や「アンパンマン」の方が真っ当なんです。ガンダムはいいにつけ悪いにつけ高度成長してしまった。
この場合の高度成長というのは日本の高度成長と感覚的にぴったり当てはまります。経済が高度成長して果たして世の中は豊かになったのか?
 その挙句に安倍政権が生まれ、今の世の中になってしまう。それが人のつくる社会というものでしょう。そこになんの夢と希望がある?
 それがガンダムという作品だったんじゃないのかと考えたのです。
 アニメってそういうものじゃないだろう「ドラえもん」的に継続していく作品もあるわけで、それらはガンダムのような高度成長スタイルをとってるわけではない。そういうことを∀ガンダムで確かめてしまったから、それ以後ガンダムをつくる気がまったく起こらなかったのです。なのに他人は一生懸命つくっている。どうしてかというとそれがビジネス、大人の仕事だからです。そういう大人の仕事をやめようと思ったんです。それが脱ガンダムという言い方になっています。

安倍晋三総理大臣の内閣の消費税増税からの見かけ上の経済成長について、富野監督は「夢もキボーもない」と、自民党の現政権を批判している。世が世なら逮捕である。
この富野監督の言い方も微妙なのだが。富野監督は仕事の合間にインタビューに答えている時は半ば何となく口を滑らせている様子なので、あまり論理的に組み立てられているとは言い難い。
ただ、富野監督はなんだかんだ言ってセンスがある人なので(ファンの私はそう信じたいし、好きな感性の持ち主なので)、富野監督の言った事を組み直してみたい。


つまるところ、ガンダムは高度成長を至上命題とする大人のビジネスに成ってしまっている。
それは現政権の経済戦略とも一致する大人の現実的社会的行動である。
そこには夢も希望もない。それゆえ、今のガンダムには夢も希望もない。(逆説的にだからこそガンダムにはリアリティがあった、ともいえる)
今回、富野監督はGのレコンギスタの制作にあたり、「そういう大人の仕事をやめよう」と思い、「脱ガンダム」をキャッチコピーにした。つまりリアルは地獄であり、夢も希望もないので、そんな現実的なものを描いてしまったガンダムからは路線をずらそうという意図がある。
では、高度成長する経済、現政権、ガンダムビジネスには夢も希望もないが、それに対して「夢と希望がある」物は何かというと「『アンパンマン』『ドラえもん』的に継続していく作品」と言う。
富野監督がアンパンマンドラえもんのどの要素について、「夢と希望のあるアニメらしい作品」と評価したのかは分からないが、ガンダムのような「右肩上がりに高度成長する作品ビジネス」ではない「表現」として評価しているのだろうということは分かる。
それ以上に富野監督がアンパンマンドラえもんをどう評価しているのかはいまいちよくわからないのだが。
作中の時間が進まないアンパンマンドラえもんのループする世界の安楽さなのか、アンパンマンドラえもんのかわいさなのか、アンパンマンの健全さなのか、ドラえもんの「漠然とした架空の未来」のロマンなのか、子供向けに絞っているからなのか、どの要素を取って富野監督が「アニメらしい」と評価したのかは監督の個人的な感想なので私にはよくわからない。
ガンダムの右肩上がりの売上を評価するビジネス誌
https://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20140904-00037868-r25
実際、アニメ制作と言うのは金(というか人件費)がかかる仕事なので、売り上げがあるに越したことはないし私も可能で無駄のない限りグッズを買って課金したいのだが、ビジネス成長だけを持って絶対善と言う大人のビジネスに対しては、富野監督は「それはやめよう」と言っている。本人がである。


アンパンマンについての富野監督の最近の発言は以下

物語がどういうことかというと、一つだけ説明できます。ある概念を含有している。「オレがこういうテーマが好きだからよぉ」というだけで、物語を作ることが出来るかというと、例え「アンパンマン」でも……「アンパンマン」の世界は成立しません。あのやなせさん、先日亡くなるまで実を言うと本当に存じ上げてなかったのは、「アンパンマン」の映画、大っ嫌いだからです。大嫌いなんだけども、子供たちに、チビちゃんたちにあれだけ好かれているのは何だったのかということが分かってきたり。それからやなせさんのキャリアが分かってきた時に、あの「アンパンマン」というのが、やはり一「作家」という言い方をします、漫画家なんだけど一作家です、物語を作ってた作家。やはりあの戦争体験があったりして、飢えに対する恐怖感というのが「アンパンマン」に全部現れている。作品というのは、物語ることが出来る作家というのは、自分の人生観とか体験論というのが絶えず張り付いているのかもしれないし、そういうのがなければ物語を作ることは出来ないのではないのかな、ということも理解していただきたい。僕にはやなせさんの様な戦争体験はないし、貧乏ではあったけど徹底的な貧乏ではなかった。盗みをしたのは一回だけです。小学校の一年生だか二年生の時に、飴玉一つだけ駄菓子屋からかっぱらってきたので袋叩きに遭ったことがありますけども(会場笑)。盗みをしたのはそれだけ。それでは物語は作れないよね。大学四年で骨身に沁みて分かりました。
山梨英和大学 紅楓祭 富野由悠季監督講演会「今、受け継ぐべきガンダムスピリッツ」メモ - シャア専用ブログ@アクシズ

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ドラえもんについて

https://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-2304.html
(マイアニメ81年8月号から)
―最後に、これからはこういう作品を作りたいとか、こういうテーマのものを手がけたいといった抱負をお聞かせください。


富野 具体的にはまったくありません。
 ただね、今までの話と全部違っちゃうかもしれませんけど、僕が憧れている作品があるんです。「ドラえもん」なんです。
 つまり、それは僕自身の作品世界にないものだからかも知れない。しかし、アニメ作りをする以上、あのような世界を作りたいと思うわけです。その理由は“優しさ”を描いているからなんです。最初に言った人と人との関わり合いは、それしかないと思えるからです。あの「ドラえもん」の世界が持っている基本的な優しさと健やかさは、チビちゃんだけのものじゃない。それを平易に表現するということはすばらしいことです。
 だから、ああいう素材の作品を作れるものなら作ってみたい。
 これは僕のですね。

富野監督にとっては、アンパンマンドラえもんに表現される「やさしさ」こそが「夢とロマン」なのかもしれない。富野監督は多少偏屈な所があるので、ストレートに優しさを表現できるような作品は少なく、白富野3部作でも歪な家庭や感情のすれ違いなどがあったのだが。Gレコはやさしさを目指したいのだろうか?
ちなみに、富野監督が世界で一番評価しているアニメーションは今のところビートルズのイエローザブマリンらしいですよ。
All you need is Love.

  • アニメの夢とロマンとは少し違うGレコ

アニメビジエンスVol.04 クリエイターズVOICE 第1回 富野由悠季 - シャア専用ブログ@アクシズ
富野:『ガンダム Gのレコンギスタ』(以下、『G-レコ』)をやらせてもらったおかげで、いろんなことを考えさせられましたね。あらためて、「アニメで表現しなければいけないものは一体何だろう」と思ったときに、己の思いの丈を語るだけではダメだし、自分の思いの丈を語るものであれば一枚の絵を描けばいいだけなんです。もっと恐いことを言うと、実写を撮ればいい(笑)。アニメというのは、そういうものよりもはるかに遠いところにある表現媒体。
 だからこそ、メッセージ性や、夢とロマンが出てくるわけですが、『G-レコ』で少し違ってきました。


――ある意味、別の物への置き換え論がたくさん出てきますよね。


富野:そう。アニメという、スタジオワークでやらなくちゃいけないものを作るときに、個人の思いの丈なんて関係ないですね。100万人に応えられる夢とロマンを提示しないといけないからです。つまり、アニメは記号性のものすごく高い表現媒体だから、イチ作者の、イチ監督の思いの丈で作る作品では媒体がもたないということです。つまり、アニメという媒体はかなり欲の深い媒体なんです。


(中略)


アニメって夢とロマンを売るものなんだから終末論は絶対やっちゃいけない。でも、ガンダムワールドを継承しながら終末論をやらない物語ってあり得ない、というところまで考えて時代設定をしていきました。


(中略)


だから、アニメを作るということの意味は何なんだろうかと言ったら、まさに夢とロマンを貼り付けていく物語を作っていくところにあるんじゃないのか、と思うわけ。10年ヒットしてるシリーズアニメは何か考えれば、アニメだから許される物語なんだっていうところにきちんと定義していくというのが一番大事なことで、アニメという表現媒体の性能を理解して企画を立ち上げていく、作品を作っていく、というのがアニメに関わるスタッフにとって一番大事なんじゃないかということです。

今年の6月の段階で富野監督は「アニメは私小説的な思いの丈以上に『夢とロマン』を表現する媒体だが、Gレコはそれとは少し違ってきた」と、かなり微妙な言葉づかいをしている。
「夢とロマンを表現するアニメ」の中で「少し違うGのレコンギスタ」とはなんだろうか?


七月末のインタビューでは「Gレコはファンタジー」と定義している。

富野:「G-レコ」はファンタジーなんです。僕は「G-レコ」をリアルだとか、リアルロボットだなんて言ったことは一度もありません。「ハリー・ポッター」を観て、空を飛んでいるのがおかしいなんて言いますか? ファンタジーなんだから、おもしろければいい。それがすべてです。


□僕は「ガンダム」を創りたいわけじゃない
――「G-レコ」公式サイトには、「元気のGだ! ベルリとアイーダの冒険はすごいぞ!!」というキャッチコピーがありました。この“冒険”というコピーからはワクワクさせる、今までの「ガンダム」とは違うものを感じました。


富野:だから言ってるじゃないですか。僕は「ガンダム」を創りたいわけじゃないんだから。「ガンダム」を継承していたら、“冒険”なんてできません。(中略)今でなくてもいいんです。「G-レコ」を観た子供たちが大人になったとき、「ガンダム」に疑問を持ってくれればいい。「G-レコ」はそのための、脱ガンダムにつなげるための布石となる作品なんですよ。
https://randal.blog91.fc2.com/blog-entry-2398.html


今年5月末に出たガンダム劇場版3部作BDでは

劇場版 機動戦士ガンダム Blu-rayトリロジーボックス プレミアムエディション 富野由悠季インタビュー - シャア専用ブログ@アクシズ
人類史を変えることなんてできない。変えていけないことまでわかっちゃったから、せめてお馬鹿なアニメのフィクションでは「変えてみせる」みたいなことをやってみせる。それを反面教師としてリアリズムで考えていくってほしい。もうこの歳だし世直しできるポジションにいない。
だから、フィクションを語る人間にできることは極端な言い方をすると「理念を伝える」ってことをやるしかないんですから、実践を数世代かかえてやってくれる英知(シャアに言わせてます)を待ちたいのです。

と、ガンダムについて語っている。
ガンダムにおける「夢とロマン」とは「理念」の事なのだろうか?だが、ガンダムは「夢とロマン」を表現できるフィクションのアニメーション表現としては「理念」が頭でっかちになりすぎたのだろうか。近年の富野監督は「リアルなガンダムには夢とロマンはない!」と言っている。


だが、Gレコでは、そういうアニメの持ちうる「夢とロマン」とは少し違うものを提示したいらしい。「アニメーションは夢とロマンを見せるもの」と言いつつ、「科学技術成長を禁じられたGレコの作品の世界内には夢もロマンもない」とも言う富野監督は何を考えているのだろうか?

  • それ以前の富野監督の「夢とロマン」への言及

2年前に震災から1年半の時点で、富野監督が京都、岐阜、梅田の西日本で連続して講演会を開いた。
大阪での夢とロマンやフィクションとリアリズム

富「だからアニメは”俺の気分はこうなのよねー”ではできない」

富「嘘八百のリアリズムというものが嘘八百ではない」

富「リアリズムな仕事の人のほうがフィクションでモノを考えるようになってるじゃないか!」


富「前回の講演から日本大変事が起こり地震原発、領土、政界のことなどもあります」

富「ここ数年本気で考えるようになってきた」

富「でも、僕レベルの人間では良い結果は考えようがない。リアリズムとして考えると、あまりいい結果を思いつかない。その結果は無残なものでしかない。」

富「一市民に過ぎない僕は、もう専門家に任せるしかないし、決定に従うしかありません」
nuryouguda.hatenablog.com


岐阜での夢とロマンは、織田信長を輩出した土地柄に合わせていた

富野に言わせれば「既にインドと中国も増えすぎた人口を食わせていくためにかなり無理をしている」という事らしい。有限の地球論は富野がガンダムの頃から言ってきた事だが、それがコモンセンスにならず、いまだに右肩上がりの幻想に有識者も政治家も経済人も大衆も期待している。


まあ、富野監督は「東日本大震災で社会が変わるという事を、戦争や共産主義を経験していない若い人も実感したのではないか」と言ってた。


で、現実は本当に辛いもので、だから祭りも必要。


しかし、現実の問題を解決するには専門家に任せるしかないって富野監督。
それでも、野田総理の「領土問題は存在しない」という発言は外交の実務を全く考えていない発言であり、それは浅井基文元外務省アジア局長によれば、「日本の尖閣諸島の領土問題が存在しないという理由は総理の頭の中の認識。今は自縄自縛状態。」 という事らしい。野田総理の態度は「自分が楽をしたい、という思考停止によって、現実を見ずに、現実をフィクション的に解釈している行動」と、富野監督。

そういうわけで、既に総理大臣ですら現実を見ずにフィクション的に行動しているという恐ろしい世の中だし、その他の政治家も一つの自分の主義主張で世の中全体を分かったと思って、自分の論理の強さをアピールして票を取り合うバーチャルなタコツボが乱立する政治闘争に明け暮れている。

そのせいで、ここ20年は自民党民主党も短期内閣が続いていて、そのような現実の無残な様を見ると陰鬱になるしかない。との事。


しかし、富野監督は「ガンダムはフィクションでもリアルなものを目指した」という事。

現実的に考える大人の思考回路では「アニメやマンガには何ができる」「ただの娯楽でしかないじゃないか」とみなされるが、人類が始まってから娯楽は過酷な現実の中で生きるために必要なものとして発生した。それが太古にはお祭りであった。そのように自然の神々に感謝し、自分の気力が癒され、復活の期待感を持って、明日も生きて行こう、という事を普通の人々同士が確認し合うのがお祭り。


で、現実の貧困や独裁政権からの脱却をめざして改革は期待されて、織田信長のようなヒーローを期待するが、結局一つのヒーローや主義主張では500年以上の政権運営は歴史上存在していない。本当の人類の力はアレキサンダーやナポレオンと言ったような英雄ではなく民の力である。

その民の力、みんりょく、と言ったものは、なんだというと「今、生きているから自分からは死にたくない」という本能的復元力から発生するものだ。そういう普通の人間が力。

そのような欲望は、学術的論理ではなく気候風土に培われたものであり、植物的と言えるかもしれない。だから、明確な改革は存在しえない。普通の人は革命はできない。世の中は圧倒的に普通の人が多い。

だから、普通の人の日常的な疑問や仕事を通じて、緩やかに変化させるのが民の力。

そのため、普通の人には前向きさや向上心を持たせるべきだし、愛とロマンは明日の生きる力になるし、決してうつ病を喚起するような心性はよくない。


富野監督は「ギレン・ザビとかを書いた本人の実感からすると、やっぱり現実的には皆殺しで人口を減らすのは難しい。今の中東の内戦を見ても、人口を減らすのは難しい。三千発の核を使っても人間は生き延びちゃうと思う。だから、人口を減らすにはコモンセンスを広めて穏やかに数千年かけて減らして行くしかない」

との事。

やっぱり暴力よりも思想の方がパワーがあるんだろうか?
nuryouguda.hatenablog.com

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

岐阜は今はあまり都会ではないのだが、その商工会議所に招かれた富野監督は、地付きの人の力とか、普通の人が気候風土に寄り添って明日も生きていこうという「愛とロマン」の民力を語って、岐阜の人を励ました。と、同時に岐阜のヒーローである織田信長のやった急進的な「夢とロマン」は永続しない、と語った。
急進的な改革ではなく、一年ごとの祭や農耕暦に寄り添った緩やかな愛とロマンの重要性を説いた。そして、今の増えすぎた人口や発達しすぎた科学技術や社会は殺害ではなく思想において穏やかに縮小すべき、と仰った。
これは、Gのレコンギスタで技術発展の禁止が宗教的に禁じられているから、という宗教の思想としての強さを語ったものであろう。Gレコの1話でゲル法王が説法した「尊いタブー故に、人は永遠の安らぎの中で、生命を全う出来るのですから。」という、閉じた社会の中で人が社会を発展させずに人生を安穏と生き延びる世界観は岐阜の講演会の時からすでに富野監督の高層にはあったようだ。(そもそも、4年前の2010年のガンダムエースの「はじめたいキャピタルGの物語」でもすでにクンタラの設定は名前だけはあったので、宗教と差別のアイディアは構想の初期段階から有ったと推察できる)


京都での夢とロマン

nuryouguda.hatenablog.com

「我々人類は2500年の文明を持つが未だ平和を手に入れていない」

「我々人類は巨大な組織や国を運営する能力がないのではないか」


原発事故などで政権や巨大組織のウソが露呈した」「東電の安全神話はフィクションのアニメ以下であり、現実を見ていなかった」

「だがフィクションを見ずに、本当の現実に対峙する、リアリズムに対峙すると絶望するしかない」「絶望は死に至る病である」

「死刑になるために殺人をするようなメンタリティは明日を考えられないからで、絶望しているから」

「その絶望を振り払うには、我々が今生きていることを信じる」


「そして、問題を解決するのは次の世代に任せるしかない」「だけど、私たちやあなたたちは1万年の文明の末裔なのに、問題を解決する手段を発明できていないので、無理」
「その発明ができないという歴史的現実と対峙すると絶望して死ぬ」


「だから、次の世代に受け渡す作品は、リアルそのままではなく『愛とロマン』を感じさせるものでなくてはならない」

「だが、我々の問題を次の世代に丸投げしてしまうのでは、若い世代は嫌がる」「なぜなら、自分はハッピーに暮らしたいという個人の欲があるからだ」

「自分はハッピーに生きたいという事もまた、『夢とロマン』であり、若者らしさだ」


「京都の話にすると、京都は日本の都であり、保守の象徴である」「それでいて、京セラや任天堂のように革新的な企業を生み出している」

「つまり、トラディショナルなものを死守する保守と、それに反発する革新と、両方が必要」

「これを英国に例えると、ビートルズBEATLESは、英国の底辺の港町から脱出しようという伝統への反発心であった」

「革新を生み出すスプリングボード(反発板)として、伝統・保守派は必要」


「ただし、そのような若者の反発心が通用したのは20世紀まで」

「有限の地球という事が見えてきた21世紀では新しいシステムを生み出さないと破滅」

「この地球を次の一万年以上の未来、人間が永続的に使うには」「孤立主義ではなく、個々の蛸壺に入らずに、他国が隣に存在するということを認め合って、融和できるようにしていかなくっちゃ」

「その発明を模索し続けるなら、欝になって絶望しているのではなく、顔を上げていけるのではないか」

「だけど、我々大人は次の世代にこの地球を受け渡すにあたり『この程度のレベルにしかできなかった』という謙虚さを持たなくてはいけない」

「次の世代に伝えることは、「教える」という態度ではなく、「申し訳ないが次に頑張ってくれ」というお願い」

「だが、そのお願いは謙虚に子供たちに頭をたれながらも、溌剌とした態度であるべき」

「我々はこの程度のレベルにしかできなかったけど、「このレベルにしかできなかった」ということを伝えていくことはできる」「そのように謙虚に自分にもできることがあると思えるのは喜びだ」


それに対して、私はこう質問した

次の世代に伝えると富野監督は言うが、それはレトリックだ。

なぜなら、我々は2500年の失敗の歴史の結果だ。一つ次の世代程度で革新が起こるわけがない。

実際には次の次の次の・・・世代にまで伝えていかなくてはいけない。どの程度先の世代を監督は想定しているのでしょうか?それはどんなふうに行うつもりですか?

師、答えて曰く

「3、4世代、2、300年後には変化が見えてくるだろう」「なぜならその頃には人口が減っているから」「人口は10億以下にしなければならない」


「人口が70億もいるというこの現実は狂気」「その上で右肩上がりの成長、経済回復しか理想として想定できない政治、経済は狂気」
「だから、次に作る作品はそういう発展を目指すものではなく、次の百年に通用する新しいものにしたい」
「右肩上がりのシステムではなく、永続的にもたせるシステムは江戸時代の幕藩体制にあるのではないか」

「江戸がそんなに偉いのかよ」って気分は私としてはある。江戸に戻るというのも過去を承認するノスタルジーに過ぎないのではないか?という反発心を抱いた。そして、この程度の答えしか引き出せなかった自分の質問能力の低さを恥じた。

しかし、その反発的疑問は次の人の質問と富野監督のその回答への思いつきによって多少解決した。一人だけでは無理だ。


■私の次に私より年上の女性が質問をした。

私は子供を養育する仕事についています。1つ、2つ下の世代の子供たちに、「(希望とリアルと)世の中のことをどう伝えていけばいいかよくわかりません。何を伝えていけばいいでしょうか?」

この質問は質問者の実際の社会行動の実感から出たものであり、私のレトリック的な質問よりも高度なものだ。

師、答えて曰く

「やはり子供に伝えるべきメッセージは「愛とロマン」である。ただし、「愛とロマン」や「希望」という言葉使いは大人のもので、子供には伝わらない。子供にはもっと体感的に、足を伸ばしてぐっすりと安心して寝られるということを感じさせるのがいい。

その、安心して眠るためには「また明日」「目が覚めたらまた遊ぼうね」と、人生が続くという明日を信じる実感を持たせるべきなんだ」


「江戸時代の人間にはその明日を信じるためのシステムがあった。

それは「祭り」だ。」

「毎年毎年繰り返す季節の中で、「これからいい夏が来る」という季節感からくる喜び。台風が過ぎ去って実りの秋、「嵐でまた村の何人かが死んだが、それでも生き延びた俺たちは楽しく収穫祭をやろう」という、大人たちが人生を楽しんでいる態度が希望になる」

「気候風土に寄り添ったハレの気というものは、民主主義のシステムやインテリの政策ではなく、もっと根源的な生きる歓びになる。」

「富野が子供の時代にはあったローカルな青年団は子供の目線と土地を結び、人格育成につながっていた」

「もちろん、地域社会の中では犯罪や暴力もあった。だが、その清濁併せ持つ感覚が人間の心性ではないか」

「そのように、次の世代に一つ一つ申し送りするということを繰り返していく」


そのように、日本の気候風土に寄り添っていこう。その中で日本人には(毎年花が咲くような)復元力がある。

津波で押し流された田んぼに、また稲穂が付いたこともある。

40歳男性から

気候風土の違う他国に対する選民思想のぶつけ合いが戦争の根底にあることを、ガンダムで知りました。どうしたらわかりあえるでしょうか?

という質問があった。


師、答えて曰く

「答えられたらとっくに世界は平和になっている」

尖閣諸島問題を見るに付け、野田首相温家宝首相のメンツを潰したことで、中国人の認識論を日本人はわかっていないと言える」

アメリカはバットマンアベンジャーズも自由は正義というが、銃を持つ自由にまつわる問題は引きずっている」

「つまり、人間の認識論は気候風土に左右される性癖と言える」「ヨーロッパですら、あの領域に複数の国があるということは認識の違いが各民族にあり、差別もある」

「認識論の違う相手に対することができていない」

「他人の信条を否定したら殺されても仕方がない」「だが、人間には知能だけでなく感情があって違う心情を持つから、個体差があって個人の識別ができる」

「だから我々はまだ共通の人類としての言葉を持っていない」「人間の認識能力はまだ子供だ」「しかし今までのSFでの認識論の拡大(ニュータイプなど)をする未来志向はファンタジーでしかなかった」

「今後、リアリズムに対峙する作品を作っていきたいと思う」

とのこと。

文明の接近 〔「イスラームvs西洋」の虚構〕

文明の接近 〔「イスラームvs西洋」の虚構〕

富野監督は「明日もまた生きられる」という(アンパンマンドラえもん的な)「愛とロマン」を子供達に伝えるのが大事と仰って、同時に、「そのような大人の考えた言葉づかいのロジックは子供には伝わらないので、祭という気候風土に適したシステムで、高揚感などで生きる喜び(アンパンマン的だ)を感じさせるようにしよう」と、仰った。
だが、同時に僕に対して富野監督は「現代には夢も希望もないし、お前らは増えすぎたのだ。だから、実際に地球が安定するのは4世代後の200年後以降で、それまでに人類は10億以下に減らないといけないし、お前らは地獄の中で生きるのだ」と言った。うへぇ。
なので、

(将来)政治家や経済人になる子供たちに、10〜15歳のあいだに、「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」っていうことを刷り込んでおくんです。そうしたら50年後に首相になってる奴に「お前が今やってることは馬鹿だろう!」って言えるでしょ?


そういう物語を作っていきたいということで、「Gのレコンギスタ」の制作を始めたということなので、大人の皆さん方は見る必要はありません!!
皆さん方のお子たちに見せてやってください!! 本来、アニメというのはそんなもんだろう!!

と、「お子たちに見せてあげましょう」と仰っているのだが、実際にはまだまだ人類の地獄のような終わりのないディフェンスのような文明の撤退戦は200年くらい続くだろう、と言うのが富野監督の本心なのです。割とひどい。お子たちに「愛とロマンのアニメだよ!だから生き延びようね」って娯楽作品を見せるけど、その子たちが地獄の中で生きるだろうというセカンドインパクト後の碇ゲンドウみたいなひどさがある。しかも、エヴァンゲリオン碇ユイよりもひどいのは「子どもたちの世代では世界は平和にならないし、天国にもならないし幸せになれない」と分かった上で「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」と律する態度を刷り込ませようという教育する意図があるのだ。
なので、「Gレコはお子たちに夢やロマンを見せる楽しい作品だね」と油断したり安心したりはしゃいだら、地獄を味合わされるだろう。お子だからといって安心してはいけないのだ。


  • 東日本大震災の1週間前の私と富野監督の夢とロマンをめぐる口喧嘩

最悪な思い出です。
まあ、富野監督の梅田での講演会に行った次の週に母親が自殺して「富野監督の話を聞いても自分の家庭すら維持できない俺はクソだ」と思ったのも最悪な思い出ですし、基本的に私の人生は最悪です。
nuryouguda.hatenablog.com
東日本大震災の直前の富野監督は、まだ夢やロマンを持っていたのです。

nuryouguda.hatenablog.com
「エコ+クリエイティブ」がテーマ。
環境ジャーナリストの枝廣淳子さんと富野監督はガンダムエース2007年11月号の「教えてください。富野です」で監督と対談。
枝廣淳子さんは富野監督に「人類が生き延びるためにゴミ問題を解決するニュータイプに成らないと滅ぶ」って。富野監督は「アニメや超能力とは全く関係のない、科学的な分野で初めてニュータイプが語られた」と喜んだ。

と、言うわけで、震災が起こる半年前の富野監督はガンダムエースの「教えてください、富野です」の連載(単行本は「ガンダム世代への提言」)で各界の識者と対談して勉強して、宇宙エレベーターコクヨのエコ活動などにも関心を示して、そういうインテリの技術者や科学者の知見に期待するそぶりがあった。
なので、震災の1週間前の豊島公会堂ではこう発言した。

nuryouguda.hatenablog.com
https://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3197.html
富野は「この一年、宇宙エレベーター研究を通じてアカデミックに触れ、人類の英知に希望を持った」らしい。
富野は「地球環境の事についてはニュータイプになる宗教的修業をしなくても、地球が有限だと意識すればいいし、アカデミックにはそれは抽象論ではなく具体的課題だ」と言った。アカデミズムと関わって「人類も捨てたものではない」という富野。
富野は「孫が生まれて、自分の後に続く物が居るのは安心できる。人類の文明も僕の孫と同じなんです。だから、それが200年程度で滅びるのは容認できない。孫の命と同じように、人類を1万年続く存在にしたい」と言った。


富野は政治批判をした。

「全人類の事を考えられず、自分の派閥、自分の企業が数年継続する事しか考えられない大人というものは許しがたい!

そのような政治家しか、選んでこれなかったのが現代の我々やあなた方なのだ、と、考えなくてはいけない。

かと言って、我々の高度経済公害汚染世代や、その上の戦中派の世代が正しいとは言えない」

と。


「富野は人類の英知に絶望してはいない」と言ったが、愚民はその前に地球を食いつぶすぞ。と、私は思う

震災の1週間前の富野由悠季監督は、民主党の政治家は批判したがそれでもアカデミズムや技術者の未来を目指す努力などはまだ認めていた。しかし、それが震災でひっくり返ったのだ。

2012年の秋の京都で富野監督は

原発事故などで政権や巨大組織のウソが露呈した」「東電の安全神話はフィクションのアニメ以下であり、現実を見ていなかった」

と発言した。組織に取り込まれたアカデミズムが虚構だと言う風に、富野監督は震災をきっかけとして転向したように思える。(もちろん、震災前から科学技術を盲信していたわけではない、と言うのはブレンパワードのリクレイマーの描き方や、ガンダムダンバインからの核兵器批判を含んだ作品群からも見て取れる。軌道エレベーターについても、「失敗するだろうが基礎研究としては有益。」と距離を取ったコメントをしていたし)


しかし、私のどこが酷いのかと言うと、震災の1週間前に富野監督に僕が呪いの言葉を吐いてしまったからだ。

nuryouguda.hatenablog.com
「富野監督は人口を減らしたいとか、未来について考えるとおっしゃいましたが、半分は嘘です。監督がおっしゃらなかった事があります。つまり、どういう事かというと、未来の終局は死だという事です。そこから目をそらして、軌道エレベーター技術の研究に未来のロマンがあるなどと、希望を軽々しく語る態度は嘘くさいと思う。
死を無視して未来の希望を語るのはズルいと思います。人の生きる希望が人口を増やした。
富野監督の作品でも人類を血の生贄にした虐殺の上に成り立つ世界観の作品は多くありましたよね。
未来を考えるには、未来に向かうために必要な血の生贄からは目をそらすことはできません。それにどう向き合えばいいのか分かっているのですか!

まあ、ここは公共の場だから、監督が全部を答えられないという事情は分かっていますし、そこは適当にぼかして答えてくださって構わない」

って質問しました。


で、

富野「公共がどうとかではなくって、そんな事を語ると物凄い時間がかかるから、ここではまとめられぬ」と。

富野は「虐殺作品は若気の至りでやりました」とか、「虐殺や鬱屈した作品を作る事は簡単だ」って言った。
「二百年かけて自殺や戦争をせずに人類の人口を減らして軟着陸させる希望を持ちたい」
と、答えた。


富野は「地球が有限だといつも意識したらニュータイプになれる」って言ったが、俺は電灯を点けるだけで事故で寝たきりの父を抱えて原発の内部で働く幼なじみを思い出して罪悪感に苛まれる。ニュータイプになるより先に鬱。


富野は「孫が生まれて、自分の後に続く物が居るのは安心できる。人類の文明も僕の孫と同じなんです。だから、それが200年程度で滅びるのは容認できない。孫の命と同じように、人類を1万年続く存在にしたい」と言った。

だが、その子孫繁栄の欲望が人口を増やしたし、富野が批判する官僚や政治の情実も、自分の家族や味方を優遇するという点では、監督の孫に対する感情と同じではないか?そんな温かさが地球を潰すんだ。


政治家にとって、自分が生み出してきた組織は自分の子や孫のような愛着がわいて、本能を知恵で正当化して暴走してしまうのではないか?監督もそれと同じなんじゃないのか?
だが、僕にとっては、孫が出来た程度で安心されては困るって思うんですよ!

と、「富野監督の優しさも地球を潰す一因と同じですよ!」って言いたかった。


僕の質問は上手くなかったけど、「未来のために豊かさを否定するのが必要だが」って言ってくれた3人くらい後の質問者さんに上手く繋がって話が膨らんでまとまった感じで良かった。

それで、富野監督は「資源と人口を安定させるために豊かさを求めるな、と、途上国に言うのはかなり酷いことだ。ですが、それは必要です。ですから、豊かさを求めないという新しい思想を獲得させなくっちゃあいけない」って言う話にまとまった。

富野は自殺や戦争による解決はよくないって言ってたけど、「人類が豊かさだけを求めずに、一万年生き延びる知恵や新しい思想を身につけるためには、過酷な時代があるだろう。それは日本では二百年、世界ではあと五百年かかる」、とも言ってた。



まあ、僕の目的としては、富野に講演会で理論的回答を求めるだけでなく、質問を通じて、「こういう人間もいるんだよ」って雰囲気を見せて、次回作に何かしらのバタフライ効果を期待した。


で、富野監督に「二百年か五百年くらいかけて、豊かさを目指すのを禁止させて、人口を減らして文明を小さく軟着陸させるべき」と、言わせた一週間後に東日本大震災が起きて津波などで3万人死んだ。


うぅ…。つらい。
図らずも、私が「理想的には軟着陸だろうが、実際に文明を縮小させる過程では必ず犠牲や混乱が発生するし、そんな血の生贄に愚民どもは耐えられずに地球を食いつぶすぞ」とシャア・アズナブルやカロッゾ・ロナのように富野監督に言った予言が大震災と福島第一原子力発電所の爆発という形で実現してしまい、私は地震酔いも併発して鬱病が悪化したのだった。
僕のせいじゃありませんからね!僕はその時の状況を観測した結果「絶対にどこかで不幸が発生して人々は苦しみの中で死ぬんだろうな」と正確に予測しただけです。そしたら、原発は吹っ飛ぶし3年経っても「仮設住宅の避難所」と言う収容所が常態化して何人も自殺した。私の親は震災関連死ではないけど、自殺した。最悪だ…。
この件に関しては私は偶然にもニュータイプ的な予言を行ったのかもしれないけど、「嫌なことが起こる」って予測してその通りに嫌なことが起こっても、嫌な思いしかしないわけですよ!最悪ですね。しかも、「嫌なことが起こる」ってのは歴史的に確実であり、本当に有益な予言とは嫌なことを起こさないようにするためのものであるべきなので、僕のやったことは未来予測にもなってなくて、単に震災の嫌さをさらに嫌にするための事に過ぎなくて、悲しい。


そんなことは分かり切ったことを富野監督に口頭で言い放った上で震災を経験させた僕は、ちょっと態度が悪いですね。まあ、僕が悪い奴なのも単なる事実です。僕は悪党として存在します。富野作品が生んだ邪悪な鬼子として富野作品に付きまとう妖怪のような生き物です。本当にごめんなさい。

くだんのはは (ハルキ文庫)

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  • まとめ「Gレコの夢とロマンは虚構なんです」

Gレコのエンディングテーマの「Gの閃光」でも明言されているじゃないですか。

Gの閃光(アニメ「ガンダムGのレコンギスタ」エンディグテーマ)

Gの閃光(アニメ「ガンダムGのレコンギスタ」エンディグテーマ)

リアルは地獄!


現実的に物事を考えて、ガンダムみたいにリアリティをアニメに持ち込むと恰好は良くなるし、リアルロボットものと言うビジネスを作ることは出来たんですが、そんなものは今の富野監督から見ると「夢も希望もない現実の模倣」に過ぎないわけです!
だから脱ガンダムをする!
そういうGレコは視聴者の子供達には「愛とロマンの冒険譚」としてアンパンマンドラえもんみたいなお楽しみを与えるけど、それだけとはちょっと違う
「現実は過酷だぞ」という予兆や教訓も与えるのかもしれないのです。だからGレコが単なる娯楽作品だと思って見ていると、お前ら、酷いぞ!と、富野作品を全部見た男としては予言しておく。


そして、「夢とロマン」、つまり文明や科学の発展は人類が地球の資源を食いつぶして地獄を作り出す原因になる。Gレコの世界の中では発展は宗教的にタブーとされて、Gのレコンギスタの作品世界の中に生きるキャラクターには「夢とロマン」は与えられない!
夢とロマンが無い世界なのに、彼らは自分の個人的な「愛と希望」や「幸せ」のために戦わなくてはいけない、と作品世界の神である富野監督に明言されているんです。作品の中のキャラクターは自分が幸せになれないということを神から知らされないまま、それを求めて戦うのです。
地獄じゃん。
実際、Gのレコンギスタリギルド・センチュリーが始まる宇宙世紀の終焉では人工が10億人以下に激減して、自然はアマゾン川流域以外は滅び、砂漠になり、人類は食べ物がなくなって共食いをしてクンタラという被差別階級を生み出した、と言う「地獄を経過した」、「血の生贄の上に生き延びた」設定が∀ガンダム以上に序盤から明示化されている。富野監督も「文明崩壊の恐ろしさ」をクンタラを通じて視聴者に訴えたいと意図的に証言している。そうやって視聴者に刺激を与えたいらしい。


Gのレコンギスタキリスト教宗教用語の「レコンキスタ」に立脚して「神(GOD)の復権」という裏テーマを持つなら、神に作られたキャラクターたちは自分たちが哀れな被造物であるという事を知らないまま、さらに地獄の戦いに突き落とされるのかもしれない。
伝説巨神イデオン機動戦士Vガンダムのような構図をもう一度見せられるのかもしれない…。しかし、その上で鬱屈することすら許されていないのです。どうしたらいいんだ…。


でも、それがアニメなんだろ?だって、アニメは虚構であり、虚構だからこそ現実と違って「夢とロマン」を持たせることができる。と言うのが、富野監督の持論。
そう言うわけで、Gレコの作中のキャラクターには「夢とロマン」が与えられないかもしれないけど、それを外側から見る視聴者にとっては、キャラクターの不幸すらも娯楽とする、と言う点で富野監督が今回参考とした韓国ドラマや君が望む永遠のような作品に成るのかもしれない。


しかし富野監督は「アニメにはメッセージ性や夢とロマンが出てくるわけですが、『G-レコ』で少し違ってきました。」と言う証言もしているので、もしかすると視聴者側も「夢とロマン」の虚構性に対して向き合わされるのかもしれない。あるいは、また違って何かがあるのかもしれない。
富野監督は今回「お子たちに見てほしい」と言っているが、トリトンザンボット3イデオンVガンダムも「お子たちに見てほしい」と言いながら内容はずーっと残虐ファイトだったわけです。子どもに対して、一切手加減してこなかった。なので、そろそろ覚悟する時かな。

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)

  • 少しだけ残された救い

そう言うわけで、「ガンダム Gのレコンギスタ」は、ポップなキャラクターデザインや「お子たちに見てほしい」という富野監督の言葉に反して、「夢とロマンは本当にあるのか?」と言う点で監督のインタビューを俯瞰すると「そんなのないよ」というハードな作品に成ってしまっているのかもしれない。
しかし、大阪で開かれたガンダム展の図録には富野監督のGレコに対する意気込みも書いてある。そこに多少の救いがある。

ガンダム展メモ - シャア専用ブログ@アクシズ
エネルギーや資源、環境、食料の問題を考えたときに絶対に行き詰まる。ガンダムのように、スペースコロニーに逃げ込むこともできない。みんなで窒息しないために、飢餓状態にならないようにするための方策をなんとか獲得していかなくてはいけない。だけど、それを具体的に示すことができない時代と言うのは、情けない。
だからこそ、今制作中の新しいガンダムGのレコンギスタ』では『愛とロマンと冒険』を前面に出しつつも、現代文明の問題を物語の中で抽象化して示すことで、視聴者の子供達に、『具体的にこういう問題を考えるべきなんだ。考えてくれ』というメッセージを伝える構造にしました。アニメというメディアが極めて人工的なフィールドだからこそ、こういうことができるのだと思います。


クンタラの話、思春期の話、学生運動の話、ガンダムを作った当時の話について、中略)


今回、『Gのレコンギスタ』を作るにあたっては『ガンダム離れ』を強く意識しました。具体的には「視聴者は子供だ」と徹底的に思うことです。そうしないと、従来の手垢にまみれたガンダム作品にひきずられ、対象年齢が上がってしまう。ガンダム的なものから離れ、できるだけ物語の原理原則にもどるため、自分の発想になかったようなものも取り入れた。若いスタッフの意見も無条件に聞いた部分もあります。
 『Gのレコンギスタ』では以前のガンダムに比べ『共存していかなければ』という皮膚感覚が強く出ていると思います。物語世界の中では、一度共食いまでいった人類が、その後千年の歴史を乗り越えてきた。その過程で『身近にいる人を許す』という感覚が育ってきたのではないか。物語背景として極限状態を描く事で『現実世界でそれはやりたくないね』ということを次の世代に口移しで伝えたい。このじいちゃんだって、そこまで人は愚かしい、とは思っていない。ファーストガンダムのキャッチフレーズは『君は生き延びることができるか』でしたが、それを『生き延びる様にしようね』という言葉遣いに持っていきたいと思います。


ガンダム以前に、極限状態で身近な人を許した人物を我々は知っている。
無敵超人ザンボット3の終盤の彼だ。
あるいはブレンパワードアムロとシャアもあれはあれで一つの形だったのかもしれない。ディアナは幸せである。
なので、富野監督のガンダム離れとは、決して富野監督が突飛なことをやろうとしているのではないと私は確信できる。ガンダム離れと言っても、全く違うことをやるのではなく、ガンダム以前に富野監督が持っていたやさしさのようなものを表現するのである。


なので、Gレコの登場人物の彼らは「愛とロマン」を求め、プライドやサクセスをつかもうとする冒険の過程で外道に堕ちたり、あるいは死んだり、地獄に生きることになるかもしれん。
女性の復元力を描きたい、と富野監督は語っているので男性キャラクターは死んでラストは「私は、あなたの子供を産みたかった……。今になって、そう思います……」という、一女性の語りで終るだろう、という機動戦士ガンダムの企画書案が再現されるかもしれない。


視聴者の僕らだって地獄のリアルで生きざるを得ない。
だが、「許し」という点で浄化されるかもしれない。それがレコンキスタなのかもしれない。
その「許し」が、アンパンマンドラえもんのような本当の幼児向けの作品にある健やかな「愛とロマン」なのかもしれないし、それをリアル化し過ぎた思春期向け戦争ロボットアニメというジャンルに持ちこんで、新しいフォースのバランスを富野監督が目指すのかもしれない。
だが、富野作品の浄化は聖戦士ダンバインで描かれた「テキストの戦争に沿った抹殺」やイデの発動のように描かれたこともあるので、やっぱり最後まで君の目で確かめろ!


そして、我々は現実で隣人を許すことができているのか?他人の不幸を飯の種にしていないか?
ああ、神よ。我々は、人が人を許すことはできるのでしょうか?
それもエゴなのか?
決着を人の手で付けることが、できるのだろうか・・・。


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