玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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Gのレコンギスタの萬画、1、2巻を読んだ。

ガンダム Gのレコンギスタの毎週のテレビ版の感想を書くのに必死で、萬画版の感想を書く時間が無かったのだけど、ちゃんと買って読んでましたよ。当たり前じゃないですか。
ガンダム Gのレコンギスタ(1)


で、まあ、ガンダムのコミカライズというと独自のアレンジがあるのは、昔から、ときた洸一先生からの慣わしなのだが。あのややこしいアニメを萬画という媒体や月刊というペースに合わせてかなりうまくアレンジしていると思う。
が、萬画という媒体を生かすために書き文字やセリフで富野由悠季作品の滅茶苦茶多い情報量を圧縮して表現しようとしているが、そのためにルビ振りでの表現が多い。「海賊」と書いて「メガファウナ」と読ませるなど。まあ、悪くはないんだけど、ちょっと多いので全般的な雰囲気としては軽薄に見えないことも無い。


いや、好きずきの問題だと思いますけどね。


あと、全体的に健やかで明るい少年漫画という雰囲気になっているので、富野アニメに有っためんどくさい部分がかなり軽くされている。アニメ版も元気のGを目指すということで他の富野アニメよりは明るさを指向していたのだが、こうやって対比させられると、やっぱり富野作品はややこしかったんだな、と実感する。
第1話でもデレンセン・サマター大尉がG-セルフの背中に爆弾を仕掛けたというのは絵コンテでは嘘だと書いてあるけどアニメではセリフだけで、真偽が微妙に不明だった。(絵としては爆弾は登場してないので嘘なんだけど、セリフだけ聞いてたら混乱する)しかし、萬画版では吹き出しの中に書き文字で(ウソ)って書いてあるのでわかりやすい。ややこしい富野アニメを分かりやすい萬画版に直している。
だが、アニメーターが高速で何枚も絵を描いて動かす戦闘シーンやアクションを萬画だと3コマくらいで表現しなくてはいけないし、アニメそのままの構図を微妙に引き写した部分もあったりして、そこは萬画だけを読んでいたら理解しにくい部分もあると感じた。アニメ版と萬画版が相補的というか。


ガンダム Gのレコンギスタ(2)<ガンダム Gのレコンギスタ> (角川コミックス・エース)

メディアの性質の違い上、デレンセン・サマター大尉がコロコロされる難しい場面もかなりアレンジが加えられている。しかし、アニメではコロコロした後にベルリがそれを内に抱えたまま1週間オンエアのインターバルを挟んでテンションを元に戻すのだが。萬画版ではデレンセン大尉という父親的なキャラクターが退場した後にハッパ中尉が登場して彼が疑似的な父親役を引き継いでるような演出に変わっている。また、萬画版ではベルリは親にストレスのことを言って受け止めてもらうし、ノレド・ナグさんも「親のような包容力が欲しい」と言っている。富野アニメだと「自分のストレスは自分で抱えるし親は当てにしない」という雰囲気が強い。Gレコでも富野版のベルリはやっぱりいろいろなストレスを人に告白して慰めてもらったり、しない。
そういうベルリの独善的で傲慢な性格というか天才すぎて自分のストレスを自分で抱え込み過ぎるというか、自己完結的な感じは萬画版では薄れている。萬画版では親や周りの人に辛さを告白して理解してもらって、という雰囲気になっている。マスクとマニィのガランデンでの会話も「分かり合ってるっぽさ」がぼかされていたアニメ版よりもかなり増えている。
分かってほしいと言って、分かってもらえる展開がある分、萬画版は分かりやすさが増えていると同時に、「分かってもらえるだろう」という人間に対する信頼感が高い。富野作品にはそこら辺は薄い。分かってもらえるとは思ってないのでニュータイプがすごい希望であると同時に、ガンダムの続編は全てわかり合えない方向に行ってましたからね
萬画版Gレコには「分かってほしい」「分かってくれるだろう」という感覚が強化されているので、信頼感が強いと同時にちょっと甘いかな、とも思うし、それが若さというか対象年齢の低さ、子供向けとしての正しい健やかさなのかな、という気もする。やっぱり「周りに分かってもらえる」という信頼感のある子どもの方が真っ直ぐに育ちますからね。僕みたいに周りを疑って生きてるとメンヘラになりましたから。
そう言う風に演出の対比を見せられると、やっぱり富野版のGのレコンギスタは子どもに見てほしいと言いながら子供向けじゃなかったんだよな、富野作品ってやっぱり分かりやすく作りたくても分かりにくくできちゃってるんだな、と再確認する。
ただ、萬画版の方が説明セリフが多いし展開もテンプレート的なセリフも多い。なので、アニメ版の方が日常会話レベルの生っぽい台詞だったとは思う。その生っぽい分、分かりにくいのも事実。なので、セリフが説明セリフではなく日常レベルの平易な言葉づかいの方がフィクションとしては分かりにくくなるのか?とも思うし、子供に向ける作品としては情報が整理されてるテンプレと、分かりにくい生っぽさと、どっちが正しいのかちょっと分かりかねる。


で、ベルリ・ゼナム君の話だが、後半の第16話「ベルリの戦争」でベルリは抱え込んだストレスを周りに伝えることができずに、戦闘という形で発散してしまう。nuryouguda.hatenablog.com
しかし、萬画版のベルリはストレスを口に出して周りの人に支えてもらったり、周りの人を守るために自分は戦う、というメンタルの整理の理由づけができる人物にアレンジされている。
なので、萬画版の「ベルリの戦争」がどうなるか、ちょっと気になりますね。太田多門先生はどう後半をアレンジするんだろうか。


同じキャラクターとストーリーでも、演出が違うとキャラクターの性格が違って見えてくるんですね。勉強になります。