玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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少女趣味としてのアイドルマスターシンデレラガールズ22話

第22話 The best place to see the stars.




脚本:高橋龍也


なんだよなあ・・・。
ワイも葉鍵世代のアラサーだからな…。今回の少女たちの描き方は逆にワイの高校生時代の青春時代の雫痕To Heartなどのギャルゲー文脈の懐かしさを感じさせるものだった。そう言うわけで、ヤングアニメファンには唐突なシリアス展開とか、ライブがトライアドプリムス以外は止め絵とか、そう言う批判的に見えるかもしれんねえ。だが、この少女に対する感覚はすごくエロゲ全盛期を感じた。


そして、
監督 - 高雄統子
シリーズ構成 - 高雄統子、高橋龍也


なんですよ!


つまり、京アニAIRKanonCLANNADけいおん!を手掛けた高雄監督のリリカルな少女漫画的・key的な感性とLeaf Visual Novel Seriesの文脈が合わさり最強に見える。

  • 少女への欲望

エロゲーとはレイプです。これはもう、言い訳しようがない。すまん。でも、男性の本能として言わせてもらえば、女性を支配して自分のものにして快楽を貪るのは気持ちいい。そう言う風に身体と脳ができている。(一応社会的動物でもあるので普段は抑圧している)
萌えとは、その本質に女性、少女への凌辱というか欲望がある。美少女を欲求してるんですよ!
それを女性監督が描くというのが、今回のTHE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS第22話の感覚だったんじゃないかと言う印象を受けた。
そして、アイドルと言うのも本質的には性欲の捌け口の代替です。着飾った衣装は花のような生殖器のようなものだし、ダンスや歌も生理的にアピールするものです。アイドルのライブは実質セックス。
そこで、アイドルの美少女たちが数万人のファンを相手にするという凌辱劇が今回のライブ。美代常務は遣り手ババア。346プロダクションは遊郭。プロデューサーは女衒。
そう言うわけで、今回、文香が倒れたりトライアドプリムスやプロジェクトクローネがド緊張したり、島村さんが吹っ飛んだりするのも、「男の相手がしんどい女」とか「大人の世界に適応するのがしんどい子供」とか「セックスしたくないんですけど社会的成功やお金のためにはこれも仕方ないしと割り切る嬢」とか、そう言うアイドルの闇を表現しているんじゃないかなあ。


久しぶりに美少女アニメでレイプしてる罪悪感を感じた。オタクがクールジャパンとか萌えが文化とか言われてるけどさあ…。女の子を食い物にしてる事なんだよねえ。いや、絵だから二次元だから性暴力としては性風俗よりは軽いのかもしれないけど。いや、僕はあんまり風俗言ってないし友達にも風俗の人が少ないので風俗の中の人はまた違ったメンタリティかもしれないけど。


なんか、アナスタシアがソロで歌いながら、ファンではなく1期ラストのサマーライブの後のシンデレラプロジェクトの仲間を思い出す演出とか、「客の男に抱かれながらも、心は友達のことを考えてる」みたいなエッチさを感じる。今回は開幕ライブでしたけど、速攻セックスのメタファーが入れられてて、ヤバい。
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  • 少女たちの支え合い

そんで、ライブで先輩たちが歌っている間に、(映ってないけど高垣楓さんもいたんじゃないの?城ヶ崎美嘉姉はコールが聞こえる)、シンデレラプロジェクトのみんなが円陣を組んだり手を繋ぎ合ったりするのも、しきりに目線を交わし合おうとするのも、「男を相手にするのはしんどいけど女の子同士で支え合おうね」という不安を分け合って勇気づけ合うマッドマックス怒りのデス・ロードの花嫁たちみたいなものなんですよ。
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アイドルアニメなのに、今回、基本的に「ファンや男の相手をするのは怖いししんどい」という女性的な感覚が描かれている。「ファンがたくさんいてくれてうれしい」ではなく「ファンの声援が圧倒的で怖い」っていう少女性なんですね。
ごめんな…。オッサンのファンで…。オッサンの相手をするの、しんどいな…。ごめんな…。せやけどオッサンもアイドルのことが好きやねん…。(クジラックス風)



だから、なんで鷺澤文香さんが倒れたのかって言うのもすごく論理的で、速水奏と宮本フレデリカと大槻唯ちゃんはギャルじゃないですか。塩見周子も初期設定が家出少女なので。「男慣れしてる」っていうか、対面することへの耐性があるわけで。(スターライトステージで追加された大槻唯の裏設定として「初対面の人ともスキンシップする」というのがある)
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でも、文香さんは場慣れしてない人で、しかもさらに上乗せとして橘ありすという「頭でっかちな子供」とユニットを組まされるわけで。女の子同士で支え合って男の相手を耐えていこうという構図の中で、橘ありすは支えになれないわけで、だから文香は精神的な支えが無くなってぶっ倒れる。(多分、プロジェクトクローネに引き抜かれるときに担当Pと引き離されたのでは?よくわからんけど)
でも、まあ、ライバル視されてたシンデレラプロジェクトがプロジェクトクローネの事故をカバーする形で「支え合い」してグループが補完されることで心がほだされて、橘ありすが「ありすでいいです」って下の名前で呼ばせるように心を開いてくれて、文香さんは支えを得る。ここら辺はマリア様がみてるの「妹は支え」という格言を思い出すとわかりやすい。百合ですね。
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ただ、そこまで常務が予定していたとは思えない。どうも常務は「透明感のある文香と清潔感のあるありすの年齢差コンビ」という「商品」を想定していて、その本人の気持ちはあまり考えてなかったのではないかな。
それもまた、「大人の世界で男を喜ばせるために少女を利用する大人の女」という厳しさが感じられる。
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そんで、シンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネが和解したのをちょっと引いて城ヶ崎美嘉が見てるのは、「カリスマギャル」の美嘉はそういう支え合う仲間無しで一人で大人の男の支配するアイドル界を突っ走ってきたから、「私にはああいうの、無かったな…」という顔にも見える。
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今回は短いカットでたくさんのアイドルのリアクションを拾っていて群像劇でもある。そして、本体モバマスのゲームに誘導したいんだろうなあ。


んで、nuryouguda.hatenablog.com
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劇場版THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!の感想でも書いたけど、今回の渋谷凛と本田未央の鏡の前での対話は、劇マスの千早と春香のファミレスの鏡の前でのやり取りの再現で、女の子同士が勇気づけ合うし、視線の力を鏡で増幅して絆をアピールしてる演出なんですね。
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でも、島村卯月さんは大して仲が良くないし別のユニットの輿水幸子小日向美穂小早川紗枝さんに背中越しに雑な視線のやり取りをするだけなので不安感が募る。

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渋谷凛は「未央とは話したから卯月とも話したい」って思うんだけど、「用があるってわけじゃないんだけど顔を見たくなった」って言われた後話を切り上げてトライアドプリムスと合流する凛を見て、卯月は「あー凛ちゃんが取られてしまう」という見捨てられ不安を感じる。
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未央は前回の舞台とか1期の引退騒動などでメンタル値が若干島村さんよりも強化されているし、今回は鏡の前で凛と顔を付き合わせて対話したので安定している。
むしろ、本田未央はトライアドプリムスの北条加蓮神谷奈緒を相手に先輩面して手を握りすることで自分もメンタルを安定させつつ、トライアドプリムスとニュージェネレーションズの手打ちも図って相互に支え合うようにした。
それはいいんだが、島村さんはそのちゃんみおの動きに追従しているだけで、実は本心からトライアドプリムスというか、渋谷凛のことを許したわけじゃなかったっぽい。
ちゃんみおは加蓮と奈緒と手を取り合ったけど、しまむーが手を取ったのはしぶりん。つまり、卯月はトライアドプリムスとの間に心理的な壁がある。それで、島村さんは凛ちゃんが秋の定例ライブの後にニュージェネレーションズに再合流してほしいと思ってたけど、そうならなかったので最後に壊れた。


文香が倒れたり、トライアドプリムスがギリギリだったり、今回もメンタルの綱渡り。デレマスアニメはどうも「アイドルは過酷だし、ファンと向き合うのは怖いし、そもそも十代の少女にそんな大量のファンの相手が務まるわけないだろ」というアイドルが「必死」に「がんばる」のを「鑑賞」するアイドルブームに対して、「それはひどい」というスタンスで作っているのかもしれない。
本当に良く倒れるアニメだ。

  • 男の論理と少女の感覚

それで、ライブがなんとか乗り切れて美城常務に対して今西部長がめっちゃ良い事を言うじゃないですか。
「上から見る景色もいいが、下で支えるのも大事。ここにはアイドルと言う夢で結ばれた女の子の絆がある」とかなんとか。
それで、武内駿介Pが現場の判断を優先して成果を出して、シンデレラの舞踏会の企画を存続させる。
ここでライブが成功したまま終わっていたら、普通にいい話。美談。


でも、それって男の理屈ですよね!知るか!!!!!私はしんどい時は笑えないんですよ!!!!!なんで私の気持ちを無視して凛ちゃんは行ってしまうの!!!!!!!大して仲良くない小日向美穂さんと話しただけで悩みが解決するわけないじゃん!!!!!!!!そんな都合よくいかないよ!という少女の感覚で、というか本人も言語化してないくらいのメンタルの悪化で島村卯月が笑えなくなる展開が入っている。
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男性のプロデューサーを中心としたミーティングのシーンで卯月にピントが外されたり、撮影現場でプロデューサーさんに「がんばりますがんばります」って言ってる二人の足元の間に電源コードが置いてあって断絶のメタファーがあるとか。
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「男の論理、サクセスストーリーにはついて行けない」って感じの島村卯月の「アイドルという少女を利用した物語消費に馴染めない」という少女的な乙女チックな違和感がある。
これ、高雄監督が女性監督だからなのか、髙橋さんがエロゲーライターだったからなのかちょっとわからないし、どっちのアイディアか謎ですが。
「男と女の分かり合えなさ」とか「少女を商品として消費するために仕事で笑顔を作らせたい大人と、自然な笑顔が作れない子供のギャップ」とか「少女同士の絆を美談にする男の理想像であるアイドル像と本人の内心とのギャップ」とか、そういうズレがすごくある。


今回、すごいな、と言うか、よくやるなーって思ったのは、これまで基本的に善人で割と正しいことを言うポジションだった今西部長の「いい話」に対して「いや、17歳の女子である卯月はそんな話は通じないし個人的にこじらせる」という物語性と言うかアイドル像への挑戦をぶつけてきてる所。それで、逆に今西部長という脇役のオッサンの達観した感じよりも島村卯月の個人的感情の方が重大なんだ!という主人公性をアピールしている。
島村卯月が現場でちょっとミスして、ちょっと「すみません!」の声が大きくて会話が「がんばります」しか言えない状態になった。演出で重大っぽく見えてるけど、客観的には「不調で撮影が上手くいかないのでリテイク」という現象だけ見たら大したミスじゃない。でも、卯月の主観では「自分のせいでプロデューサーが大人の世界で責任を被ってしまう」「プロデューサーにがんばりますって謝りたいけど、プロデューサーもなんだか分かってくれない感じがする」「凛ちゃんとも離れた」「私は一人なんだ…」というメンタル悪化スパイラルに陥っている。
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  • 孤独な卯月

「大人の世界に向き合う時に少女は支え合いたい」というモチーフが多用された今回のラストで「だが、島村卯月は一人、城を去る」と強調されて「魔法が解けちゃった12時」。
ここでまたすごいのは、渋谷凛がトライアドプリムスと同時並行しているから島村卯月は「私から離れていくのね」って百合的にストレスを感じていたんだが、凛は凛で「よくわからないけど、卯月と会った方がいいと思う」という女の勘を繰り出してプロデューサーと一緒に卯月の撮影現場に来た。だから、二人は思い合ってると見えるんだが、島村卯月がパニックになった時に「なんでプロデューサーの隣に凛ちゃんがいるの?私は一人なのに!」という感じの主観カットがはさまるのがまた女の子のこじれた感じが出てて、ものすごく盛り上がる。
凛ちゃんと離れているのが嫌なのか、プロデューサーが分かってくれないのが寂しいのか、二人が一緒にいて自分が阻害されるのが嫌なのか、いろいろ混ざっている。
だけども、第1話の島村卯月を思い出してみたい。「たった一人でもアイドル養成所を辞めないでがんばっていた」と言うのがプロデューサーと出会う前の島村卯月の基本設定だった。
第5話「壁の花にはなりたくない」で前川みくが「デビューできなくて私は一人じゃん!」ってキレたんだが。今度は島村卯月は「みんなが成果を上げていく中で、私はなんかプロジェクトの中の味噌っかすなんじゃないの」という劣等感が生まれたようだ。
だが、これは大事だ。
「みんなのために、みんなの一員としてプロジェクトの構成員として仕事をします」という路線に卯月は「耐えられないしがんばれない」とNOを突き付けた。本能的に。それは、「一人でも頑張る」という島村卯月の本質的なシンデレラの素質なのではないか?
だから、島村卯月が憂鬱になった今回のラストだが、「がんばります」しか言えないパニック状態になった島村だが。むしろその事が彼女の本質的に奥の方に在る「我の強さ」なんではないだろうか。
それが、シンデレラプロジェクトの中で本当にガラスの靴を得る特別な真のシンデレラになるのか、それともやっぱり「みんな」に合流するのか?


うーん。

  • ファンは応援しかできない

しかし、本当に今回は「アイドルの過剰な頑張りを、お客様の金で買った鑑賞権で大勢のファンで囲んで楽しむ」というファンの圧力の重みと、それになんとか耐えて夢を目指したい女の子たちの必死の支え合いと、それでもなお支え合いからこぼれる主人公、という色々な要素で「アイドルとは」「美少女アニメとは」「萌えオタの罪とは」みたいなものを突き付けられたようで、涙が出てきた。


ごめんな…。ファンの声援、鬱陶しかった?でも、ファンは鬱陶しがられても応援で好意を伝えるくらいしかできない。
でも、1ファンに過ぎない僕はアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージに課金して、モバマスのプロダクションマッチフェスのコンボを繋ぐためにエナドリをがぶがぶ消費するくらいしか応援できない…。
アニメを見た後、無力感をかみしめて、島村さんや消費されるアイドルがかわいそうで、泣きながらデレステの譜面をやりきれなさをぶつけて叩いていました…。


一人でお城を出る島村さんを何とかしてあげたい。でも画面の中の島村さんを助けることはできない…。課金するしかないのか…。課金するしかないんですか!ちひろさん!
でも、この「手の届かない所で苦しんでる女の子」と言うのも実にギャルゲー的だし、アイドル的とも言えるんだよな…。
ていうか、プロデューサーがもっといろいろわかってやれよって思うんだが、「男と少女は分かりにくい」という関係でもあるし、Pの中の声優の武内駿介さんが若干18歳で「声はしっかりしているが実は子ども」と言うのは文香を支えきれなかったありすとも重なっている。武内さんの低い男の声だが、ちょっと混ざって聴こえるたどたどしさみたいなのも、またこの不器用なプロデューサーにマッチしている。
さて、彼は王子様に成れるのか、それともあくまで馬車に過ぎないのか。彼のドラマも、佳境では注目なのだ。


それに、島村さんも消費されるアイドルという冥府魔道を自分の意思で選んだんだろ?という自己責任論もある。というか、養成所を最後まで辞めなかったど根性、そしてトップアイドルになりたいという欲望は島村卯月の気持ちでは?だが、アイドルへの憧れも昔見たトップアイドルから与えられた借り物でしかなかった?
さて、どうなるんだか。
春香さんや映画の可奈は過去の自分の初期衝動を思い返して「みんな」の引き上げで復帰したが。それは流石に繰り返さないだろう。
では、どうするのか。


脚本:高橋龍也
絵コンテ:益山亮司、長町英樹
演出:長町英樹
作画監督:和合薫、田中裕介、長町英樹、松尾祐輔




話は変わるけど、今回の怒涛の挿入歌の作詞作曲編曲のそうそうたるメンバー、すごいな!