玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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つながる映画! #キンプラ の原則!王権理論!

 公開初日にKING OF PRISM -PRIDE the HERO-を3回見た。

 みんなに言いたいことがありま―――す!


 キング・オブ・プリズム-PRIDE the HERO-は熱い映画だけど、実は細部まで計算されつくしている!
 次々と奇跡が起こるけど、そのすべてに映画的な意味があるのだ!


 僕も映像の原則を広告欄の一番上に常備している富野由悠季監督のオタクだし、菱田正和監督も富野由悠季監督に影響を受けてサンライズに入ったり∀ガンダムGのレコンギスタの演出をしたりした。
 そういうわけでキンプリとガンダムの両方のオタクである僕は、両方のファンから期待を受けている。やれやれ人気者はつらいね(破嵐万丈の声で)。


 実際、私は前回のKING OF PRISM by PrettyRhythmの感想記事を菱田正和監督に読んでもらってRTしてもらったことがある男だ!
 その時に菱田監督(青葉譲さん)に「よく分からんけど熱い」って言われたけど、よく分からんけど熱い作品を作ってるのは貴方ですよ!!!!
 でも、菱田監督もファンの意見や時事ネタを取り入れてキンプラを作ったし、僕の記事を読んだうえでキンプラの話を書いたので、僕もキンプラの星座の一部だと思います。応援上映を盛り上げてきたプリズムエリートの皆さんもスタァです。もちろん、燦燦と輝くヒロ様達に比べたら僕の輝きは微々たるものですが、それでもファンが集まれば銀河にもなるでしょう…。


 キンプリはよく分からん…。しかし、熱い…。そして何回か見るうちに、数々のワイワイわくわくハチャメチャバトルメイキングドラマプリズムショーは決して単に激しかったりエモーショナルだったり過激でわけわからん情報の奔流と言うだけでなく、そのワンカットワンカットに非常に繊細な意味があると気付く…。
 僕も3回しか見てないので全部は分からんけど書いてみる。


 ところで、映像の原則という富野監督の本はあくまで富野監督の意見です。


 映像の原則と言えば、上手下手、左右の位置関係の演出について言及されることが多い。僕もそういう記事を書いてきた。しかし、上手下手の感覚は富野監督と菱田監督では違うはずだ。マリオカートばっかりやってる菱田監督とパズルボブルばかりやってる富野監督ではゲーム脳の位置感覚が違う。
 あと、最新の映画は録画やネット配信で見直してレイアウトについて語るということができない。だから、映像の原則を利用してキンプラを読み解く記事が期待されているかもしれないけど、画像解析はできません。
 キャシヰさんのような若いのに千のナイフ(僕も大好きなエッチ萬画家の一人だ)先生の影響を受けた絵が上手い女子に期待されると三十代独身男性としては気持ちいいのだが、実は僕は萬画家になるのは大学生の頃に挫折したしアニメのスタッフをやったこともないし、アニメーターになる経済力もなかったので、実はそんなに期待されるほど絵コンテが書けるわけじゃないんです。すまない…。


 しかし待ってほしい。映像の原則は絵コンテの教科書です。では、絵コンテとは台詞とざっくりした絵と秒数が書いてあるだけの物か?ちがうのだ!

『コンテ』とは、コンティニュティの略語が日本の映画用語になったものですが、アメリカではストーリー・ボードと呼ばれています。
 continuity=連続(状態)。(論理的に)密接な関連ー続き。(映画、ラジオ、テレビの)撮影[放送]用台本。(番組の間に入れる放送者)つなぎ[語り]の部分。
【研究社 NEW COLLEGIATE 英和辞典より】

 この言葉のとおり、コンテと言うのは”映像作品を作るために”どのように撮影するのかという計画を記したものなのですが、コマ・マンガに似ているためにコマ・マンガと勘違いしている人がほとんどです。
 -映像の原則by富野由悠季-15p
映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)


 キンプリについて語るなら、むしろ画像やプリズムショー演出よりも、ここです。
キンプラはつながりの映画です!


 ものすごくカット割りが多い映画だ。

菱田: 大変さで、3Dパートも含めれば1000カットを超えるような作品になったのが一番の原因ですね。


――「キンプリ」は約450カットだったので、倍以上ですか。


菱田:そうです。その大量に増えたカットを完成させる作業が最後の2週間に固まったので、それは大変でした。ただ「キンプリ」よりも間違いなく各カットの情報量もクオリティも2倍、3倍になっていますよ。
webnewtype.com

 カットが多いアニメは情報量が多いと思いがちだ。まあ、多いんですけど。しかし、シーンが長い映画と違って、カット割りが多い映画は「語られている情報も多いが、その情報と情報の間の余白の数が多い」と言うことです。(ワンカットが長い映画もいい作品はいいんですよ。ローマの休日とか夏エヴァとか)
 これがキンプリもキンプラも70分ちょいの短編映画なのに数時間もある大作を見たように体感時間が長く感じる理由です。カットとカットの間の一瞬よりも短い虚無に、これまでのプリティーリズムシリーズや井内秀治監督作品や歴史的偉業や宇宙との関連性で脳が直感的にスパーキングする”想像の余地”が詰まっていて、色んなことが煌く。
 僕も思ったね。「キンプラって実はプリティーリズムレディースパーキング後半2クールの総集編じゃないの?」って。エーデルローズ男子部新入生7人のドラマの掘り下げ方とか、普通の単発アニメ映画の作り方じゃなくてテレビシリーズがある前提のアレですもん。





 こういうタグが発生するのも非常に納得がいく現象だ。この描かれてないけど存在するように見える余白、ハンバーグみたいな、つなぎの部分の濃厚さが本筋の旨みを引き出している。神浜コウジくんは料理も天才だ。

 

 なので、映像の原則をもってキンプラを語るなら、イマジナリーラインとかワンカットの構図よりも、むしろ154pの「フォトジェニーとリズム論」だと僕は思います。

 ロシアでモンタージュ論が語られている頃、フランスでは、監督と言うより評論家であるルイ・デリュックが、映画の動く写真に魂の躍動を見て、フォトグラフ(写真)ではなくフォトジェニー(映像美といって良いでしょう)が大切と言いだしました。
 それを受けてジャン・エプスタンは、被写体の動性および個性のみがフォトジェニックであり、優れたカットは精神的価値(valeur morale)をも観客に喚起させると言いました。
(中略)
 岡田真吉はこれを要約して『映画で感動を与えるためには、映像的美しさだけではなく、シーンとシーンをつなぐリズムの正しさが必要』と規定しました。
【『映画講座第2巻』/三笠書房/昭和28年刊】


 新しい媒体に対する畏怖する心が、このように映像を過大評価するような理論をつくりだしたのでしょうが、映画の理論といってもこの程度のものとすませていいでしょう。
 しかし、映像に馴れすぎた我々は、少しはこういった「薬」を飲む必要があると思います。アニメから映像を実感するようになったぼくにしてみれば、映像にそのような力があろうと感得した先人のセンスは、自戒の言葉になっています。

キネマ旬報ムック/映像の原則by富野由悠季

 プリティーリズムが始まる2011年ころに、すでに富野監督がフォトジェニーなリズムにプリズムの煌きが詰まっていると映像の原則改訂版で述べています。プリズムジャンプは魂の躍動。プリズムショーは映画にも通じる原則!



 で、僕もキンプラは本当にすごく新しい媒体で畏怖すべきものだと思う。というか、従来のアニメ映画の文脈から飛躍している。
 そもそも、応援上映というのが女児アニメ映画の文化を成人にやらせるという新しい媒体だ。アニメ文化のカジュアル化と映画館のデジタル化、とかネット配信とか録画技術の進歩で3年前のテレビシリーズのスピンオフが受容されやすくなったとかインタラクティブとかそういう事情がキンプラにある。キンプラは監督のパンフレットのインタビューにあるように、応援上映の盛り上がりを受けてさらに尖ってエリート向けに作られている。なので、単品の映画としては観客が理解するためとかテンポを整えるための、一般映画やテレビドラマみたいな「間」がほとんどなく、クライマックスの連続だし、感想マンガで言われるように映画で示される情報が全体の一部というくらいカット割りが激しい。


 私も、キンプラはテレビシリーズがないのに総集編みたいなハイテンポな映画だと思った。
 で、これは映画の作法としてはたしかに逸脱的で外法なのだが、しかしだからといってダメとは感じられない。むしろ、こういう新しい媒体や文化をアニメファンとして受容できるかという器量を見せるところだと思った。僕の好きなガンダムは今でこそ日本を代表するコンテンツになっているけど、ロボットアニメは本当に40年前は最下等の俗悪趣味だったので。でも、俗悪な物でも文化になりうるということは歴史が証明している。


 まあ、キンプラはやっぱり変な映画なんですけど。


 しかし、私は自分ではアニメ制作をしないわりに、絵コンテ主導のアニメが好きです。トリガー系の作画アニメーションも技術的にはすごいとは思うけど、やはり感情的に盛り上がるのは絵コンテというさきまくら派閥です。キンプラはキンプリのヒットを受けた割に、意外と作画は低予算ですからね。同トレスとか同カットみたいな共通構図が結構多くて、最前列で見たら主線のドット荒れが目立つしょぼい部分もあった。
 もちろん、CGはすごいし、ルヰのプリズムショーはデレステでやったらスマホが爆発するくらい布が風と重力でなびいていてむちゃくちゃすごいと思った。でも、実は作画アニメとしてはそんなにヘンテコではない。カメラをあまり傾けないので、レイアウトもそんなに凝っている風ではない。菱田監督はそういう演出家ではないようだ。
 Gレコの感想でも、菱田正和さんの絵コンテは見やすいと書いた。
nuryouguda.hatenablog.com
 だから、構図やアニメーションの動きのレベルでは、それほど変なことをしていない。プリズムジャンプは壮大だけど、絵として複雑というわけではない。きらびやかだけど。


 でも、キンプラはすごい情報濃度が強い映画です。それはなぜかと問われたら、やはり「つなぎ」が強いからだと思います。
 絵コンテは構図だけでなくリズミカルなつながり、コンティニュイティなのです。
 そのカットとカットの間隙の「つなぎ」に画像以上の膨大な情報を連想させられるので、キンプラは視聴者の脳を活性化して行間からドラマを感じさせられて感動するのだと思う。

 繋がれた絆が今、動き出す。これがキンプラのキャッチコピーですし。絆の話なんだよ!


 以下はキンプラのストーリーに沿った行間の感動体験作文なので、箇条書きです。もちろんネタバレだ。2万8千文字ぃ!


tkihorolo.hateblo.jp
 ↑ここら辺を参考に





 プリティーリズム レインボーライブ(RL)をやっていた時は僕も精神的にきつかったので、前半はあんまり見れてなかった。
nuryouguda.hatenablog.com
 でも、そんな過酷な家庭環境でも煌いているスタァ達を見ると、元気が出たわけではないけど好きになった。(元気が出るのは適切な服役と栄養と睡眠と適度な運動と金銭です)
 そんなわけで、家族の問題を俺の代わりに乗り越えてくれるスタァ達はすごいと思っていた。僕も男性メンヘラなのでヒロ様のことはRLの頃から大好きだったのだが、今回はヒロ様がついにキングに即位して最高だった。俺はクズだけど、俺に似ているダメな部分もある共感できるヒロ様が俺の代わりに輝いてくれるとあしたのジョー2の敗者の栄光を感じる。


  • pride騒動

 冒頭如月ルヰのprideで「究極アイドル 愛♡LOVE YOU」のパフォーマンスがテレビでやってて、それに合わせて法月仁のテレビインタビュー、エーデルローズ生達のリアクション、「Theシャッフル」の登場とヒロ様へのネガティブキャンペーン、ヒロ様のリアクション、それに対する山田さんのフォロー、氷室聖のプライドが使えないとかプリズムキングを出せないと融資が打ち切りとか、立て続けにアバンタイトルで出る。
 ここら辺もテレビシリーズだと3話くらい使いそうだけど一瞬でやる。ルヰのショーと仁のテレビインタビューと雑誌とかの記事をほぼ同時に混ぜて見せるのはコンテのつなぎ方としても面白い。
 同時に、コウジくんの曲をルヰに奪われて新しい曲もシャッフルに取られるヒロ様がコウジ君との「つながり」が切れたように思ってしまう。テレビのマスコミの力でぶちっと切られてしまう。
 また、コウジくんがジョージの息子という「つながり」を仁に利用されたり、ヒロ様と山田さんが仁にネガキャンされた同士というキング二代の「つながり」が生まれたり。つながりが切れたり生まれるところが面白い。
 あと、ルヰはシン君(ていうかシャイン?)がすごい好きで、コウジくんのことはどうでもいい。なので、コウジくんとヒロ様のつながりを代表するPRIDEをどうでもいい感じに歌うんだけど、ルヰがシン君とかプリズムの煌きを愛する気持ちはあるので、やっぱりコウジくんの持つプリズムの煌きを引き出す。しかしそれはヒロ様の歌い方ではない。同じ曲でも違う所につながりが生まれるようなプリズムショー。
 また、法月仁はテレビに向かって善人ぶって慇懃にインタビューを受けていると見せかけて「百億!」と叫ぶので、最初の方はテレビ番組の中のインタビューっぽかったけど途中から仁がヒートアップして行って、視聴者や記者とどういうつながりか曖昧になっていくのもミュージカル映画的なライブっぽさだ。

  • 同時3組バトル

 黒川冷に相談する仁科カヅキを追う香賀美タイガとそれをサポートする十王院カケル。その流れでストリートファイトをするカヅキ。
 ハリウッドへコウジに会いに来たヒロ。
 ルヰと川でプリズムショーをしながら過去を知らされるシン。
 前作のキンプリではコウジくんとシンくんのプリズムショー練習と同時に大和アレクサンダーと仁科カヅキのプリズムバトルが並行して中盤の盛り上がりとして描かれたが、今回はそれよりも序盤に3組がさらにハイテンポでハイテンションで描かれる。
 これは前作の応援上演に対して菱田監督がさらに挑戦的に取り組んだところだと思う。前作の二組同時プリズムショーに応援を入れていたプリズムエリートに対して、さらに増やしてきている。
 まあ、仁科カヅキのストリートファイトはCGはないんだけど、ヒャッハーしている人たちの個性的なキャラデザインが光る。
 また、仁科カヅキが先輩の黒川冷さんを通して聖との過去のつながりを聞かされ、後輩のタイガに見られることで未来へのつながりも生まれる。現在のカヅキはストリートファイトで自分と向き合って修行やエーデルローズからプリズムストーンへの移籍を決意する。このつながりの変化が面白いし、同時にエーデルローズからプリズムキングカップに出るのは3人の枠という決まりからカヅキがプリズムストーンに移るのは上手い。タイガがカヅキを差し置いてエーデルローズ代表をするのはおかしいけど、別の所属なら…という構成的なテクニック。(あと、もともとはオバレの三人を想定して取っておいた枠なんだと思う)
 

 ルヰとプリズムショーをしながら前世のなんやかんやで封印されたりプリズムワールドのなんやかんやを聞かされるシン君。正直、私個人はプリズムワールドの決まりごとはちょっとよく分からない面がRLの頃からあった。なんか使者は同じ世界に一人しかいないとか、バグとか、記憶がどうのこうのとか、正直りんねちゃんたちが可哀想だし理解するのが難しかった。
 プリズムワールドがファンタジーなのかプリパラシステムみたいなプログラムなのか、ちょっとよくわらんのだけど、(菱田監督もりんねちゃんがデータ的な存在みたいに言ってたし)夢オチというテクを使うことでちょうどよく誤魔化されてて、言葉でプリズムワールドの設定を説明しなくてもなんか異世界ファンタジーっぽいつながりがルヰとシンの間にあるんだなーって思わせる塩梅。
 ただ、シン君がプリズム十字架で拘束されるのと同時に、ヒロ様もコウジくんにハリウッドでプリズム惑星グランドクロスで拘束されていたので、プリズムワールドのファンタジーっぽいパワーが人間世界のプリズムスタァとも同じように繋がっている何かの力なんだなーって匂わされてて、同時にやる意味はある。
 ヒロ様をプリズムショーで説教するコウジくんを、なぜかハリウッドの映画システム(?)が撮影していて服装を変えてスター・ウォーズっぽい世界に変えてる。ルヰのプリズム前世はほぼ完璧にファンタジーだけど、映画の世界のハリウッドのプリズム撮影技術もなんかプリズムショーのなんかの力を流用しているメガ兄ホログラメーション的なファンタジーパワーの技術転用って感じで、プリズムキングカップですごいことが起こっても納得できる技術的な伏線を張っている。


 で、やっぱり重要なのはヒロ様を突き放すコウジくんですけど。
 コウジ君がヒロ様と会う前に、ハリウッドの大作映画の出演者たちと仲良くしているシーンが印象的。前作のキンプリでは、「金のために仕方なくハリウッドに行って大作映画に作曲家として参加するコウジくん」という被害者っぽい印象が強かったが、おそらくプリティーリズムレディースパーキングの32~34話くらいで、ハリウッド編があったのだと思う。最初はコウジ君も金のために仕方なくハリウッドに行ったしモチベーションが低く、ハリウッドのスターたちもよく分からない日本から急に来た若い天才とうまく接することができなかったのだろう。でも、コウジくんも映画作りを通してハリウッドの映画業界の人が金のためだけではなく芸術に真剣に取り組んでいる生き様を感じて、ハリウッドの人もコウジくんのプリズムの煌きを感じて仲間になるって言うプリズムライブが34話であったんだと思う。コウジくんもハリウッドの人と新しい「つながり」を作ったんだよなあ。エーデルローズとかなるちゃんの助けを借りずに。まあ、そのハリウッド映画を作るコウジくんの話数は劇場版ではカットされたけど。プリズムストーンにもその映画のポスターが貼ってあるのでDJ.COOとかなるちゃんとかプリズムストーンの人もそれとなくハリウッドを応援してたとは思うんだけど。(33話のなるちゃんといとちゃんがお忍びでコウジ君のハリウッドでの仕事を覗きに行く珍道中はギャグの中にも人情があってよかったですね)
 それで、自分一人でも新しく広い世界の人とつながることの大事さを知ったコウジくんだからこそ、シュワルツローズに曲を書くかどうかとか言う狭い世界のつながりを聞きに来たヒロ様を突き放すことができたんだと思う。まあ、二人とも離れたところで泣いちゃったんだけども。でも、ヒロ様もこれで氷上(スケートリンク)の狭い領域のプリンスから惑星レベルの広い器量を持つキングになるきっかけを得たんだよなあ。だから、コウジ君がハリウッドで得たつながりがヒロ様の王政の下地になっている。
 ヒロ様は自分とコウジの二人のつながりをすごい大事にしてたんですけど、世間に叩かれて、コウジくんを頼るだけだとキングには成れないんです。(まあ、べるに泣きつかないだけマシ?べるはクイーンなので、孤独を耐える女王に並ぶキングになるにはヒロ様も孤独を知らないといけなかった)
 ヒロ様は価値のないくるみ割り人形でヤンキーに唾を吐かれるくらい落ちぶれたけど、そういう最底辺も知った上で、すべての人の上に立つキングになるわけで。
 あと、シン君とルヰのプリズムショーが夜だけどヒロ様とコウジ君のバトルが昼から夕方って言うのは「時差」のせいだと思うのですが、それも「惑星レベルでの地球のつながり」とかハリウッドと日本には慣れていても同じ曲でプリズムショーをするスタァ達のつながりみたいなのを感じさせる。

 
 それでもヒロ様はウジウジするけど、氷室聖は恥を忍んで過去の傷を晒して、過去の兄とのつながりを訴えて、ヒロにプリズムの煌きを放ってほしいと言う。これもつながり…。

  • 修行編

 Just do itとかそういうサブタイトルがついてたけど。なんか夏エヴァみたいにアイキャッチでRainbow Live2 とかOver the Rainbow2って出て正当な続編のつながりをアピールしていた。

 カヅキは創界山の虹の滝に行って回る修行をする。
 エーデルローズではプリズムキングカップの出場者が実力でヒロ、人気投票でタイガが選ばれるが、太刀花ユキノジョウは一条シンを推す。シンがプリズムジャンプを飛べなくなっているのは他のメンバーも知っていたが、それでもシンを推薦する。このエーデルローズ生達のつながりも短い尺で濃密。
 ユキノジョウは歌舞伎の修練ためにプリズムショーをしていたが、いつしか歌舞伎よりもプリズムショーが大事になってしまって、それが父親の山寺宏一さんとか母との軋轢になっていたのだけど、プリティーリズムは監督曰くプリズムジャンプを飛べばすべてが解決する世界なので歌舞伎の舞台でユキノジョウがプリズムジャンプをして父に怒られるけど母とか大向こうの人に褒められるとか言う話が37話あたりであったはず。それで、ユキノジョウは自分を見つめ直して歌舞伎とプリズムショーのどちらも選べない自分よりはプリズムショーに一心不乱なシンの方が選抜にふさわしいと思ったり、それを他のメンバーが尊重したり、そういうエピソードがあったんだと思う。
 タイガは木で懸垂をして、木属性の力を得ることで木刀のプリズムパワーを得て白虎の加護を己の物にしたとか。ユキ様のことばかり考えていた西園寺レオがタイガの衣装を考えることで自分の新しい世界を広げたり、そういうエピソードがプリティーリズムレディースパーキングのいろいろな話の中であったんだと思う。
 もちろん、涼野ユウくんといとちゃんがヒロ様の曲を作る話もあった。
 劇場版ではカケルがプリズムシステムを汎用化する話が主に取り上げられていたけど、これは具体的に見せておかないと設定的に難しいので採用されたエピソードですね。


 プリズムの女神のような声を持ちながらダメな家族になってしまった母親から、父とのつながりを聞かされて、ヒロ様はなんとかちょっぴり立ち直って練習に復帰するけど、まだそれだけでは後輩のシンやタイガにも追いつけない。
 そんなヒロ様にコウジくんがカヅキ先輩に電話して「元気付けてやって!」って言って、カヅキ先輩からミナトにカレーのレシピが転送されて、合宿のカレーになって、ヒロ様がリンゴ(自分)とハチミツ(コウジ)のつながりを再認識して覚醒!ここでいまいち影が薄くてあんまりプリズムジャンプを飛んでないミナトがつながりをつなげる役回りをしているというのがいいんですけど、本当にコウジくんはテレビシリーズの頃からやることが遠回りだよな…。
(ていうか、前作でカヅキ先輩が「時空を超えて会いに行くぜ!」って言ってたけど、ヒロ様とコウジくんは普通に飛行機で日米を行き来してる。カヅキ先輩はアメリカに行かないで創界山…)


 でも、ヒロ様はそれで覚醒!母から「自分の知らない父はちゃんとした人」といわれるのももちろんつながりの話だけど、自分の人生の中で繋いできた、たしかに自分が紡いできたプリズムのリンゴとハチミツの煌きを再確認して「俺はできる!」ってヒロ様は思う。親の愛ももちろん大事だけど、やっぱり上を目指す男としては、自信を確認できるのは自分の人生の中で自分がいつの間にか作ってきた絆とかパワーのエピソードで。ヒロ様はコウジくんのハチミツに応援されるだけでなく、自分のリンゴも確かに煌きだったと再確認して、って言うのが大事。俺はできる!って思うのは、コーチに「お前はできる!」と言われる以上にパワーが湧く。
 そこで、ロッキーとかジャッキー・チェン酔拳の修行シーンみたいになるヒロ様だけど、パンの耳(過去の自分の原点)を牛乳で流し込んでフィジカルを鍛えつつプリズムの煌きを回りながら放ったり砂浜で後輩たちを追い抜いたりしてすごいわかりやすく強くなっている。やっぱり修行シーンは王道・・・。食って運動して強くなるのは分かりやすい…。
 でも、自分一人でトレーニングをして強くなるって言うだけでなく、ここでパンの耳という過去の自分を飲み込んで、氷室コーチの思いを受け止め、先代キングの指導を受けて、後輩を追い抜くっていう過去現在未来とつながっていくヒロ様は他のスタァよりもキングにふさわしいな…、と修行シーンで伏線が張ってある。
 また、ヒロ様が一人で自己完結して覚醒するんじゃなくてコウジ、カヅキ、エデロとのつながりの上で輝きを増していくので、映画のコンテとしても描いてないけどその間に確かにあるスタァたちのつながりが暗示されていて、説得力がある。PRIDE the HEROというタイトルの時点でヒロ様が勝つのは大体わかるんだけど、それが出来レースっぽくなく、しかも説得力があるようにドキドキワクワクさせながら見せるために、ヒロ様がコウジくんとのつながりを切られた後に、周りの人と改めてつながっていくんですね。
 それで、本編では落ち着いて見えたミナトだけどエンディングではヒロがカレーを全部食べてくれたことで号泣していて、彼は彼で嬉しかったんだなあ、と。
 かなりカット割りが多くてピーキーな映画なんですけど、ここら辺の構造の王道っぽさはすごいシンプル。

  • プリズムキングカップ シュワルツローズの先鋒たち

 それで、プリズムキングカップが始まるわけだが。

「汝、心によりて統べられれば汝は王なり、肉体によりて統べられれば、汝は奴隷なり」(マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス「断片」より引用)

 とプリズムキングカップ サンダーストームセッションで述べられる。
 いきなり紀元前の共和制ローマが出るのがヤバい。紀元前からのつながり!
 で、Theシャッフルの高田馬場ジョージのショーから始まるのだが、杉田智和だよね。歌は小林竜之さん。自分で歌わない口パクアイドルって言うのも舞台裏のつながりなのだが…。
nijimen.net
 ジョージはそもそも前作のキンプリで出てきたシャッフルの四つ子のつながり(苗字は違う)に加わったよくわかんねー奴なんだが、仁に対する謎の忠誠心とか八百長でもキングになりたがる姿勢とか、妙な存在感を示す。あと、杉田は大和アレクサンダー役の武内駿輔くんと仲がいい。これもつながり?


 んで、ジョージはユウくんに「大したショーじゃない」って言われながらも買収された審査員とプリズムウォッチをつけた十王院財閥の取引先のOLの八百長の点数で暫定トップに。高田馬場ジョージはクズなので口パクアイドルだし自分に実力がないってわかってるけどTheシャッフルのリーダーに押し入って、アレクとタイガとカヅキのショーを見ても「俺が1位!」とか言ったりシン君に「俺の方が上!」って言ってるので、ただのクズとは言えない謎のメンタルの強さがある。
 実力も大事だけど、贔屓して点をつけてくれるって言う八百長も含めてつながりでもある、みたいなプリズムショーの側面を見せるジョージ。
 近年の声優界で上坂すみれに匹敵するヤバさを持つ杉田(グラブルでは伊藤かな恵のツレ)なのだが、ゲスト声優の杉田がヤバいというだけではない。ゲスト声優の山寺宏一(ユキノジョウの父)堀内賢雄(カケルの父)が割ときちんと脇役の仕事をしているのに比べて、高田馬場ジョージはくどい存在感を放つ。四つ子の絆をぶっちぎってソロでキングカップに出るヤバさとか。

「歌がとてもうまい友人(事情があってショーはできない)の歌を広めるために口パクで頑張っている」みたいな殊勝な背景はジョージにはないと私は信じている。仮にそんな知り合いがいるとしても、同情ではなくたんに「俺よりもコイツの歌の方がカラット稼げるジョイ☆」みたいな損得だけでゴーストになってもらったに違いない。(個人の感想です)

いずれにせよ、法月仁がジョージをルヰに次ぐスタァとして扱っているのは、この「高得点」に対する欲求と悪びれなさが評価されているのではと思える。記憶ではなく記録に残るショーができるのは、ジョージのようなタイプだ。
harimarin.hatenadiary.com


 そんなヤバいジョージがなぜ点数を稼いでキング3位に成れたかって言うと、プリティーリズム伝統の「ガヤ」の力が大きい。がやねるー!十王院財閥とかシュワルツローズの取引先のOLが観客採点をしている。
 審査員が買収されてて、観客もシュワルツローズの手先の女性サラリーマンという所で、エーデルローズ陣営のピンチが強調されるのだが。しかし、プリズムの煌きとは表面的な感情ではなく心の飛躍だ、というのは菱田監督も十王院カケルも言っている。カケルとプリズムウォッチ開発者とのエピソードは30話でちょろっと描かれただけだと思うけど、カケルはプリズムウォッチが煌きに反応するということを確信しているっぽい。
 で、僕も前作のキンプリの応援上映感想で観客は流されやすいと書いた。

俺は若い女性プリズムエリートに囲まれて「殺す!」って叫んで気持ちよくなったけど、プリズムガヤのみんなも他の観客の気持ちを考えているのかっていうとそうじゃないだろ?嫌いな食べ物はみんなばらばらだし。
プリズムガヤねるはタイガにもアレクにも「そうだそうだ!」って言ってて、全然意志統一できてないし。
オバレの活動停止宣言の後、アニメの中も映画館もサイリウムとかキンブレが消えて静まり返ったのに、シン君が「はじめてプリズムショーを見たときのことを!」って言うと、手のひらを返して赤いライトを振って感動するのに、その数秒後に法月仁と一緒にブレードを青に切り替えて「グロリアス・シュワルツ!グロリアス・シュワルツ!グロリアス・シュワルツ!」って叫んで映画が終わるし。


このビッチどもが!
しょせん女の感情は目の前の快感に反応するだけ!世の中に残るのは記憶でなく記録だ!女は勝者についてくる!
nuryouguda.hatenablog.com

 前作の応援上映で、シン君の素晴らしいショーを見た後にも平気で「グロリアス・シュワルツ!グロリアス・シュワルツ!グロリアス・シュワルツ!」って叫ぶプリズムエリートを見てキンプラに菱田監督が反映させた感じはあると思う。
 特に自分の意見とか価値観を持ってないけど、金とか目の前のショーで意見をコロコロ変える、自分が気持ちよくなりたいだけのプリズムショーのファンの身勝手なクズっぽい応援の仕方がある。
 でも、そういうつながりも菱田監督はキンプラにシュワルツローズ親衛隊として反映させたわけで、それもつながり!シュワルツローズしんえい隊は忠誠心の高いプリパラのそふぃしんえい隊と違って生々しい給料とかで応援とかのポジションを変えるクズなんだけど、プリズムキングはそんな愚民どもも「直感的なコモン・センス」で従えるだけのカリスマ性を持つのではないか?ということが示される。
 本当に麗しく素晴らしいキングのショーは金銭や損得を超えて、あまねく愚民にも素晴らしさを想起させるのだ、というアリストテレス先生の徳のコモン・センスを描くために、まずは買収されて表面的に点数をつける審査員とかプリズムガヤの描写が必要だし、そのためには高田馬場ジョージみたいな口パクのクズっぽい新キャラが必要になってくる。色々なクズを演じてきた声優の杉田智和さんが本当にクズの人間かは僕ははっきりとは分からないのだが、そういう灰汁の強いクズっぽさはある。そういうインパクトのあるキャラとして、新キャラのジョージと杉田の起用はかなり意味がある。


 そして、大和アレクサンダーのプリズムショーが始まる。FGOのクー・フーリン・オルタとかグラブルの闇SSRバロワみたいなソシャゲのボスみたいな衣装の大和アレクサンダー。開幕のマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスの言葉にあるのと同時に、アレクは観客たちを自分の肉体の腹筋で奴隷にしようとする、アンゴルモアの牢獄のプリズムジャンプを放つ。
 プリズムガヤの観客たちは金で動くけど、そういう金の損得も心ではなく肉に属することなので、奴隷になる。
 それでアレクは観客を人質に取って仁科カヅキを挑発するのだが。
 菱田監督曰く、「ストリート系のアレクは本当は女の子の気を引きたいけど恥ずかしいのでできない中二病」らしいので、女の子を力で奴隷にするけど女の子の心を受け止める度胸はない器の小ささが、この激しいショーの中で露呈する。アレクは観客の女の子を奴隷にすることはできても、女の子の心を受け止める器量はない。逆襲のシャアみたいな。
 また、法月仁とアレクはお互い嫌いあっていて利用し合う関係ということだが、法月仁の計画では大和アレクサンダーに会場を破壊させて失格にして高田馬場ジョージをキングにして法月仁が利益を独占するというシナリオだったようだ。だから大和アレクサンダーは筋肉がモリモリでも、仁科カヅキに対する闘志やプリズムショーを汚い大人に利用される当て馬のガキに過ぎなかったという…。こういう汚いつながりもある…。アレクは圧倒的な力で会場を破壊するけど、それも汚い大人の仁に利用されていて、そのことをアレクは自覚できない器量の小ささがある。
 前作のキンプリでは、大和アレクサンダーが仁科カヅキを彼の自爆が無ければ圧倒していたかもしれないっっていうショーがあった上で、アレクには力はあっても器量はないと見せたキンプラのショーはなかなか意味が深い。
 プリズムショーは力や技が強ければいいというわけではない。プリズムの煌きはやはりファンやみんなの心に訴えるものが無ければ…という。
 それで、プリズムガヤをRLから務めてきた前作の主人公グループの女性声優が今回もシュワルツローズしんえい隊などのがやを務める。これも前作からの「つながり」なのだが、無責任な観客とか金で動く親衛隊は、主人公のヒロ様やエーデルローズに思い入れが全くない分、ある意味ピュアに判定を下す民主主義的な公平さでもある。しかし、流されやすく一貫性の無い大衆でもある。
 それを導き、サイリウムの色を変えるのが英雄たちなのだ。
 また、しんえい隊やプリズムがやねるはアニメの絵としては2枚くらいの並びで同トレスや同シートで表情がちょっと差分がある程度の群衆に過ぎない。ここら辺の予算のけちっぷりも、キンプリがヒットしても調子に乗らない作り手の注意深さでもある。同時に、技術的には同じ絵のモブなのにショーに合わせていろんな人を応援する感情の変化が得画れていて、これは興味深い。モブだし絵には予算を使われていない。(あやねるのギャラはよく分からんけど)
 で、このような表情があまり変わらないモブを使って演劇をすることの源流の元は古代ギリシャ演劇の仮面劇のコロスにさかのぼれる。

ウィキ 古代ギリシアの演劇
コロスは登場人物が考えていることを代弁して観客に伝える役目を持ち、12人全員が1人の登場人物に対応し、同じ仮面を付けていた。

ウィキ コロス
コロス(古代ギリシャ語: χορός, koros、 英: chorus)は、古代ギリシア劇の合唱隊のこと。
コロスは観客に対して、観賞の助けとなる劇の背景や要約を伝え、劇のテーマについて注釈し、観客がどう劇に反応するのが理想的かを教える。また、劇によっては一般大衆の代わりをすることもある

 プリズムガヤはネタのように扱われるが、実は演劇的にはかなり古典的で重要な役回りなのだ。さすが、前作でギリシャ神話で星座になったキンプリだ。古代ギリシャ演劇にも造詣が深い。感心する。
 そして、その無個性な大衆の代弁者であるコロス的なしんえい隊たちがラストに個性を獲得して推しのスタァを獲得するのは、少ない絵を使って、彼女たちの多くの感情のドラマを暗示していると言える。

https://twitter.com/aobajo/status/876427625102585857
 キンプラの脚本家の人もガヤの「クソが!」を重視している。クソが!
 コロスは殺せない。

  • プリズムキングカップ 仁科カヅキ大統領

 そんな観客を巻き込んで破壊をする暴君、大和アレクサンダーをプリズムバトルで止めようとしたのが、仁科カヅキの後輩の香賀美タイガ。
 カヅキ先輩への気持ちをもとに錬成した木刀や白虎でアレクに対して、微妙に優勢に戦う。アレクは自分が一番強いって言う自信と自分本位の筋力で戦おうとするが、タイガは自分のためだけではなくカヅキ先輩やエーデルローズのためっていうのもあるし、「プリズムショーを楽しむみんなのため」という公益の心があるので、そこで筋力よりも煌きがアレクを上回ったのだろう。
 しかし、両者の龍虎相討つプリズムバトルは結局ドローになる。また、ここでタイガの木刀に「唯牙独尊」と書いてあったのも示唆的で、タイガはプリズムショーを破壊する暴君のアレクを止めようとするけど、まだ広い視野を持ってなくて唯牙の自分の気持ちでプリズムショーをしてるということ。修羅場返しもリフレクト系の強い技だが、相手のカウンター狙いなので単独の技としては弱い。コゲンタの白虎のパワーを得たのも、まだまだ火事場のバカ力レベルに見える。


 そこで、破壊されたプリズムキングカップの会場に登場するのが仁科カヅキ。
 ストリート系の先輩の黒川冷のリベンジなのか、「観客も関係者も含めて全員浮かせればスケートリンクが破壊されてもプリズムショーができるだろう」という逆転の発想で重力に対するフリーダムを発揮する。
 浮かせちゃうんだ…。黒川冷の過去の敗因を堂々と塗り替えるのもつながり…。
 その勢いでカヅキ先輩は『by the people, for the people』と、プリズムキングカップの新たな聖火着火をして、会場をプリズムショーで再建して再度、新たにプリズムキングカップを作る。
 これがまたいい…。プリズムキングカップは大人たちの思惑とか若くて視野の狭いジョージやアレクみたいなスタァのエゴとか資本主義のショービジネスで作られたけど、それをカヅキ先輩はリセットして「ファンの、ファンによる、ファンのためのプリズムショー」という公益に立脚した芸術活動として再定義して、会場を作り直した。それは自分が失格になるという尊い自己犠牲を伴いながらも新たなルールを制定する。それは仁科カヅキ大統領が、暴君大和アレクサンダーの牢獄に捕らわれたファンたちを解放する奴隷解放宣言でもあるのだ。
 実際に阿吽と風神雷神に象徴されたサンダーストームセッションを、カヅキ大統領が作り替えたことでビジュアルでも分かりやすい。と、同時に、その脇にアレクの竜(サンダー)とタイガの白虎(ストーム)を排することで陰陽大戦記魔神英雄伝ワタルを想起しつつ、プリズム戦国時代のアレクとタイガの戦いも全否定せずに新秩序の大統領令の中に組み込む度量の大きさを見せている。
 ストリート系として、ファンの女の子にキャーキャー言われるのが苦手だったカヅキ先輩が、ファンのために新たな会場と秩序を作る勇者になるというのは成長が感じられる。大勢の女の子の好意を大統領として受け止める度量を発揮したカヅキ先輩は素直に超面白カッコイイです。(まあ、大会が終わったらまたあんちゃんとわかなちゃんから逃げ回るカヅキくんになるわけだが)
 そんな度量の大きい男を見せられると、そりゃあ女の子を奴隷にするしかできなかった不器用なアレクだってカヅキに惚れ直すしかない。もともと大和アレクサンダーが仁科カヅキに突っかかっていったのも好意や実力を認める気持ちの裏返しだったので。(だからエピローグでアレクが裸一貫で男を磨く展回もすごく納得がいく)
 そんなアレクの不器用な暴力とかタイガの真っ直ぐな後輩らしさも飲み込みつつ、大統領として新たなフリーダムな会場を再構築したカヅキ先輩はすごい。アレクが悪いとかタイガがいいというのではなく、二人の龍と白虎の式神を取り込んだうえでプリズムの殿堂を作って、ストリート系の群雄割拠の戦国時代をアカデミー的な秩序体型に組み込む政治的手腕には感心する(ダンスの話です)。


  • プリズムキングカップ シンとルヰ

 しかし、仁科カヅキが大統領に就任しただけで終わらないのがキンプラのすごい所。
 仁科カヅキは国家レベルの大統領になって自分の犠牲と引き換えに新たな国技館をプリズム建築したが、シンとルヰはまた別次元のプリズムスタァだ。
 シンがプリズムショーをできたのは会場を直したカヅキ大統領のおかげだが、シンはシンで前世では世界を滅ぼしかけたやべープリズムスタァで、ルヰはそれを止めるために来たプリズムワールドの使者だという異世界レベルの神話が始まる。異世界のパワーは国家レベルの大統領よりもヤバい。
 ヤバいんだけど、シン君はまだ自分が異世界の人だということをあんまりちゃんと認識してないっぽい。なので、まあ、前作のキンプリのラストのショーからあんまり変わってないというのもあり、そんなに得点も伸びず…。もちろん、純粋な気持ちになったがやねるたちのハートを掴んで観客の得点は伸びたのだが、高田馬場ジョージを抜かすことができなかった。
 ラストでシンはヒロに対して改めて憧れの気持ちを抱くが、やはり本人の気持ちとしてはヒロを超えた実感はないというのが現状なのだろう。前世の記憶がよみがえったらまた違うかもしれないが、今のところ前世のことは夢としか思ってないので。
 前作のキンプリについて、僕はこんな記事を書いた。
nuryouguda.hatenablog.com
 プリズムスタァたちのわがままさ、エゴイストっぽさを得点にまとめた。この記事は菱田監督にもリツイートされて読まれた。
5位速水ヒロ
4位如月ルヰ
3位大和アレクサンダー
2位法月仁
1位一条シン
 という結果になった。キンプリの頃のヒロは5位だったけど、それは後輩や周りのことを気にしているからマイナスが付いたわけで減点された。ひたすらわがままだったアレクや仁は得点が伸びた。一条シン君はプリズムショーに対する情熱で1位を獲得した。
 しかし、今回「キングはわがままなだけでいいのか?」という絶対王政の徳に対する問題提起がなされた。
 それで、シン君は前世で「俺はみんなを魅了するプリズムショーができるからそれで世界が滅んでもいいじゃん」というスーパーわがままスタァのシャインだったわけだが。僕の記事を読んだ菱田監督の中で、「そんなわがままで他人を魅了するだけのスタァがキングになっていいのか?」という疑問が生まれたのだと思う。(偉そうな俺)
 大衆を魅了する煌きを放つのは大事だけど、じゃあ、それで大衆とかがやねるを扇動して熱狂させていればそれで全体主義的な国家元首としてそれでいいのか?


 続編があるのかはともかく、キンプラの時点でのシンはプリズムラッシュで観客のサイリウムを強制的に変えたりするパワーを持つけど、まだ世界を滅ぼしたり大衆を自分のために使うほどの覚悟には至っていなかった。それが今回の4位という結果になった要因なのだろう。
 しかし、審査員を納得させる王の力を発揮できれば今後、或いは…。


 というわけで、結果的にシン君は4位だったしシン君自身も自分のプリズムワールドの因縁を自覚したわけではない。だからと言って、シン君のプリズムショーがショボかったかって言うと、そんなことはないのはがやねるたちの熱狂で分かる。
 シュワルツローズしんえい隊の女性たちは金に動かされ、アレクに破壊されたりカヅキ先輩に再構築されて混乱の極みだったけど、シン君がわりとちゃんとしたプリズムショーをしてくれたおかげで平静を取り戻したところがある。(プリズムラッシュってなんやねん、みたいなのはあるにせよ)
 また、シン君は結局4位だったし買収されてる審査員を動かすまでには行ってないけど、ルヰの心は動かせた。みんなの心を動かすのも大事だけど、一人の気持ちを動かすのも大事。一つのキスで世界は変わる。それで動かされたルヰがPrideを使わない選択をしたことがヒロのショーにも影響をしている。
 なので、キンプラは脈絡がなく奇跡が次々と起こるように見えて、一つの演技、1actが次の展開の伏線になって、それが濃密につながっているから、一見脈絡がない無茶苦茶なプリズムジャンプでも説得力が生じるわけなんですね。構成力!


 で、ルヰのプリズムショーはプリズムワールドの使者らしく、オーロラライジングや無限ハグを連続させて男子初めての4連続で満点、フルマークを出す。仁に言われてprideを歌ってるだけだったら、多分ルヰでもフルマークは出せなかったのだと思う。しかし、シン君のプリズムショーを見て自分の歌を歌おう!って思ってプリズムのよく分からん呪縛を解き放ったルヰだからこそ、できた純粋な愛のショーなのだ。


 また、ここでプリズムジャンプの比較だが、アレクが競技場を破壊して、それをタイガが阻止しようとして、カヅキが競技場とオリンピアのルールを再構築する。ここまでは国家レベル。
 シン君のプリズムジャンプは惑星としての地球を太陽が照らして新しい命が生まれるジャンプ。
 ルヰはさらにその惑星を包み込む愛のジャンプで、さらにスケールが広がっている。しかし、如月ルヰは月の眷属なので太陽のシャインのシンへの愛という所でブレーキがかかっていた。
 プリズムジャンプは奇抜だが、徐々に国家から惑星レベルにプリズムの煌きの影響範囲が広がっていてパワーアップしていっている。

 そして、最後にヒロ様のプリズムショーになります。
 この映画のタイトルとポスターを見た時点で、だいたいヒロ様が優勝するのは分かっていたのですが、会場が爆破されたり再構築されたり前世や惑星の話が出てきて「マジでヒロ様が優勝するだけで収拾がつくのか?」というドキドキワクワクが高まります。ガヤの女の子も金に釣られてヒロ様にブーイングをしたりするし、大会そのものが無茶苦茶になっています。
 それを、ヒロ様がまず、視線で黙らす。
 すごい。
 徐々にヒロ様の色に染まる会場のサイリウムチェンジ。


 また、ここでPrideをヒロ様が使えたのは、シン君の影響を受けたルヰがPrideを使わなかったこと、そしてカケルが伍友グループの人を説得したって言うつながりがあるからこそ。伍友グループの人が十王院カケルみたいな若い高校生の言うことで、シュワルツローズに逆らったり十王院財閥の真田を裏切ったりできるのか?というのはあったと思う。しかし、伍友グループの人が大会中のギリギリでプリズムシステムオープンソース化のカケルの提案に乗ったのは、シンとルヰのプリズムショーで煌きを感じたからだと思うし、それもまた映画的なつながりの連鎖だと思うのですよ。
 プリズムジャンプをしないカケルだが、ギリギリまでヒロ様がキングになるためにビジネスをしてて、それはそれでプリズムショーとは違うけども確かに煌き。伍友グループの人の選択に影響を与えたシン君のショーもやはり素晴らしい!という有機的な構成。


 それで、ヒロ様はそれまでの演技をしたスタァ達の煌きをさらに超えるショーをする。
 そもそもprideっていう曲はコウジくんの作詞作曲をヒロが盗んだとか「iが違う星が違う」とHEROに成れないHIROとかスタースプラッシュを否定する歌詞が織り込まれていたりするけど、それを飲み込んだうえでヒロ様はやっぱりprideでセイントスプラッシュを飛ぶ!もう、泣くよね。器が大きくなったヒロ様、泣ける。
 それで、前半では惑星のグランドクロスに拘束されていたヒロ様が惑星をビリヤードで再構築してパックス・ヒローナを設立するじゃないですか。シン君のプリズムジャンプが太陽で地球を照らし、ルヰのプリズムジャンプが太陽と地球を繋げる感じだったのを、大きく超えて、ヒロ様は自分が太陽になって惑星をビリヤードですよ。すごすぎでしょ。スケール感がどんどんでかくなっている。
 また、RLではヒロ様はみんなのものの愛・N・Gのアイドルからみんなを電車に乗せるスターライトエクスプレスに発展した。これも単なるアイドルから交通機関になるだけでもかなりすごいのだが。
 キンプリではスターライトエクスプレスはギリシャ神話で星座になった。
 で、カヅキ大統領が民主制国家を作ったので、交通機関のスターライトエクスプレスよりでかくなった。シン君とルヰはさらにでかい惑星レベル。
 いやー、これはスターライトエクスプレスでは超えられないでしょ?って思ったらヒロ様は新作のプリズムジャンプで太陽系のソーラーシステムと地球を自分色に染め上げて作り直したからね。すげえよ・・・。



 そして、カヅキ先輩とコウジくんを分身で生み出して剣とマントを貰って、プリズムの女神から戴冠して王になるヒロ様。カヅキ先輩は自分の分身をヒロ様に操られてるけど、完全に同意している。この絆の確かさ。この時点では出てないコウジくんがマントをくれるのもプリズム的に当然だ!ってヒロ様が思えているからこそのこのイリュージョン。信頼関係と自信。
 そして、金の損得とかプリズムショーの出来栄えに左右されていた観客をも絶対的に魅了して、その声に応えて王として自分色に染まった星に降り立つヒロ様。
 ここに多数決の民主主義や商業主義をさらに超えた本当の実力、大衆を絶対的に魅了する自然的なコモン・センスによる絶対王政を打ち立てるヒロ様!
 すごい。
「セイントスプラッシュ」
二連続「太陽の沈まぬ王国!ヒロイック・キングダム」
三連続「銀河ブレイクショット伝説!絶対王政☆パックス・ヒローナ」
四連続「朕はプリズムショーなり!王位戴冠!ザ・キング・オブ・プリズム」


 日本人はコモン・センスを「常識」として、しばしば慣例とか習慣と同義にしてしまうが、そもそものcommon senseは誰でも普遍的に同じ感覚を持つ判断力という意味。そして、それに支持されるヒロ様の王政はアレクの暴力や仁の金の力や見かけのショーのよさを超えて、さらに普遍的な人間共通の「価値観」を構築する。
 だから「朕はプリズムショーなり!という」宣言がネタではなく、仁をもひれ伏させる力になるのだ。
 法月仁はプリズムショーを利用して金儲けをしているけど、プリズムショーの普遍的なコモンセンスの原則には従わざるを得ない!敵であっても認めざるを得ないほどの尊き徳を権限させるヒロ様だからこそキングにふさわしいのだ!
 キンプリの時点での僕の採点では、わがままさやエゴイスト度合いでは法月仁はトップクラスだったが、「わがまま」を超越した「王の器」でヒロ様が法月仁に勝つ。
 わがままで他人やアレクを利用して暗躍したのが法月仁だが、自分の行うことがまさしくプリズムの本質であり、またどんな利害関係のある人でも関係なく共通して価値を認めざるを得ない素晴らしく麗しいプリズムの煌きを感じさせる王者として、ここに速水ヒロがキングとして即位した!
I am KING OF PRISM!
 フランス革命を経て民主主義国家になった近代の我々だが、価値を見失いがちな昨今。
 名実ともにKINGの価値を実感させてくれる君主は(現実的にはそういう人を選定するのは非常に難しいことだけども)、価値観を見失った21世紀の我々には頼もしく見える。
 べる様のバラの革命を経て、あえてヒロ様が王政復古する意味を感じろと、君は!


 また、ここで観客と審査員の点数オーバー・ザ・トップO.T.T.でヒロ様がルヰを抜かすけど、それを判定より先にルヰ本人が認めて「君がトップだ」というのも、宗教的権威であるプリズムワールドの使者のルヰが王権を神授するように見えて歴史的に確かだ。
 勇者のカヅキが剣を、天才芸術家のコウジが衣を、女神が王冠を与え、プリズムワールドの代弁者である宗教的な巫女や司祭であるルヰが認めることでナポレオン・ボナパルトガイウス・ユリウス・カエサルの戴冠のような万民が認める王の中の王が誕生した!
 また、観客の大衆の一時的な熱狂だけでヒロ様が王になったのではなく、その採点を無効化しようとした十王院グループ重役の真田を、カケルと伍友グループがプリズムシステムのオープンソース(普遍化)で止めて、その支持基盤を盤石な物としたというのも重要だ。
 万民が納得して、自然と支持する、地球と太陽系すべての人間が自然に敬意を抱く法則としての価値を持つものが王なのだ!パックス・ヒローナ!
 また、キンプリはミュージカル映画としての側面もあるが、悪の力によって王権を2度も手にしたヴィランの法月仁を、平民の底辺から実力によって上ってきたヒロ様が正当な王として即位するのは文字通りのシンデレラ・ボーイのストーリーとしてもディズニー映画やアイドルマスターに勝るとも劣らない構造的な強固さを持っている。



 このように、機動戦士ガンダムシリーズのコスモ貴族主義を改めて問い直したようなヒロ様の即位はサンライズのアニメを見ていた僕としてもなかなか感動できるものだったし、アリストテレス古代ギリシャの時代から続く、「英雄とは何者か」という論にも答えようとした映画が、この作品だったと思う。


 王とは血筋なのかとか、実力なのか、社会的地位や権威なのか、大衆の支持なのか?古来から問われてきた。そういうテーマの物語はたくさんある。ガンダムとか銀河英雄伝説とか。
 魔神英雄伝ワタルのような超おもしろかっこいいプリズムショーの中で、キングとなるヒロ様を描いたキンプラはすごい。
 キンプラスペシャルサンクスはプリティーリズム レインボーライブのシリーズ構成の故・井内秀治監督だが、井内監督は80年代の新・エースをねらえ!聖戦士ダンバイン重戦機エルガイム機動戦士Zガンダムで頭角を現し、魔神英雄伝ワタルシリーズ、魔動王グランゾートママは小学4年生で当時キッズだった僕の心を鷲掴みにした。学生時代には徹夜明けにクラッシュギアTURBOをニチアサでキメるのが習慣だった。
 キンプリがヒットした後のQuick Japanかなんかのインタビューで菱田正和監督が富野監督のガンダムの影響でサンライズに入社したものの、井内秀治監督に菱田監督は「富野さんのやり方だと潰れるよ」って言われて井内監督のキッズアニメの系譜を受け継いで陰陽大戦記からプリティーリズムに行ったとか。
 ワタルも世界の王をどうするかみたいな話だったし、富野ガンダムも貴族や王族について考える作品が多い。
 富野監督と並び立つ出崎統監督の「ベルサイユのばら」でも、90%の平民の意志を受けてフランス革命を起こしたものの、その後は王権や誇りの無い社会になってしまったという話があり、なかなか理想的な王をフィクションにおいても描くのは難しい。
 で、キング・オブ・プリズム プライド・ザ・ヒーローは戦争ものとか戦記物みたいな殺し合いやたたかいではなく、芸能界のショーとか氷上アスリートの大会を通じて「大衆の支持と本人の実力の両輪によって、その徳の尊さを証明する王の即位」という、非常に普遍的な社会的な人類全般の問題に肉薄するテーマを描き切ったのがすごい。しかも、それが一地方や一つの国のの権力争いがどうのこうのではなく、この惑星の人類すべてに対して君臨する王として訴えかけたのがすごい。



 うーん。
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 あと、僕は個人的に不幸な家庭でダメダメな人生を送っている低収入のオタクなんですけど、ヒロ様は不幸な家庭で低所得な生き方をしていたのに、王まで上り詰めて感動しました。
 僕は輝けないダメダメなおじさんなんですが、ヒロ様は僕の代わりに、輝けなかった多くの男子メンヘラの屍の上に堂々と光り輝く王位を戴いてすごいと思いました。
 ファンの女の子がときめいてキングを支持する気持ちもあるけど、僕みたいに自分はダメでもヒロ様が輝いてくれることで自分も間接的に輝きに触れるような気がするのはある。自分が貧乏だから金持ちのトランプを応援するアメリカのおじさんもいるけど、トランプ大統領よりもヒロ様の方がかっこいいと思う。ヒロ様はひとに悪口を言われても自分は黙って頑張るので。いや、まあ、RLの前半はアレだったけど…。


 そういう風に個人的な思い入れを王に託すみたいなところはある。


 しかも、ヒロ様は一人で「俺はすごいんだ!」って言っているのではなく自他ともに「君がキングだ!」という仲間や強敵たちとのつながりの上に強固な王権基盤を築いたのですごい。


 そんなわけで、前作のキンプリの段階では一番わがままでエゴが強いように見えたシン君や仁を憧れさせて平伏させたヒロ様の戴冠は素晴らしい!
 王様は威張ったりわがままをする権力者でもないし、かといって大衆の公僕のシステムでも感情を煽るアジテーターでもない。宇宙に通じる理、徳の素晴らしさを体現し、多くの人がその麗しさに自然と敬意を払うような、そういう貴い人が王なのだ。


 ヒロ様の王国の民になりたいと心から思う。
EZ DO DANCE -K.O.P. REMIX-



 しかし、キンプラは王の即位の後、速攻ヒロ様たちオバレは高校を卒業してしまう。プリズムキングカップのエンドロールの後にアンコールがあるのは初見から当然だと思ったし、卒業式ライブは素晴らしかった。


 だが、そのすさまじい所は、ここまで宇宙的なレベルで完璧な王位に君臨しながら、即「Thank you & Good bye 青春!Forever!」って映画を終えてしまう所。こんな素晴らしい王様にはずっと君臨してほしいのに、映画の最後で「まあ、これも彼らの青春の一ページなんだよ」って幕を引いてしまって、また未来に進むところが…。いさぎよいというかすさまじいというか…。


 太陽系の王に即位した所で人生の上りやゴールではなく、青春の後も人生が続く、フォーエバー、って青春ドラマのように爽やかに終わっていくヒロ様…。今後、語られることがあるのかないのかわからないけど、ヒロ様は太陽系の王よりももっと先に進むんだろうな…。という余白のスケール感!うーん。巧い!


 でも、ヒロ様が殿堂入りしても、エーデルローズ新入生でプリズムジャンプが映像化されてないメンバーのためにレディースパーキングするかもしれないので、そこはみんなの応援次第ですね。


 また、キングになることでクィーンのべる様と改めて対等に向き合うことができるようになったヒロ様にはまた新しい大人のドラマが生まれるかもしれない!うーん。これはこれで・・・。
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  • まとめ

 キンプリやキンプラはテンポが速くて普通の映像作品よりも想像の余地がめちゃくちゃあるのに情報量もある変わった映画ですが、その中心には「みんなに良さを伝えること」とか「みんなが良いと思う徳」とか、そういう人間の倫理の根幹に関わるテーマが一貫しているし、競技から国家、国から惑星へ、地球から宇宙へ、というスケールの広がり方やキャラクターの成長がちゃんと段取りを置いて描かれているので。
キンプラはいいぞ。


  • 余談

 キンプラはこのように菱田正和監督の過去の作品や三重野瞳さんの歌とかで関係がある井内秀治RLシリーズ構成の過去作品のワタルやグランゾートなどにも関係しているので、テレビシリーズとか過去のアニメを見なきゃって思う人もいるかもしれない。しかし、リンカーンとか古代ギリシャ演劇の影響もうけている。また、井内監督も単体で発生したわけではなく先輩の富野由悠季出崎統永井豪松本零士の影響もうけているので、元ネタを掘ろうと思ったらすべてのアニメを見ないといけない。僕も先日新約聖書を全部読んで、そこからアリストテレスやカント、孫子、竜樹、風姿花伝などを読みつつ映像の原則や富野アニメも見ている。これはハッキリ言ってライフワークレベルなので!元ネタにも元ネタになった作者の人生があり、それは人類の歴史や宇宙とつながっているのだ!だから限られた人間の命では全部は見れないので、とりあえず今やっているキンプラを見ろ!
 って言うか、菱田親分はキンプラを作ってばっかりいるのでキンプラを見ろって言うけど、僕は僕で今やっている進撃の巨人とか月がきれいとか覆面系ノイズとかカブキブ!とか、そういういろんな現在進行形のアニメと取り組んでいるので。一つの作品に取り組んで作るアニメ作家も素晴らしいけど、とにかくテレビでたくさん粗製乱造された作品と格闘しながら踊り狂うオタクという生き方もある!
 そうやってみんな何かを見つけようとしているんだろう!ビープレートとかもう一人のオルファンとかさあ!

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