玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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噛み合わない!富野と宇野の対談!2015

 
 (パソコンがフリーズして一時間くらいかけて書いた導入が消えたのでちょっと拗ねている。テキストエディタより常時保存のグーグルドキュメントで書きます・・・重いけど。短く書く)
 拙者、TVアニメ ガンダム Gのレコンギスタを批評している侍。TV版をリアルタイムで全話感想を書き、同人誌にGレコの記事を載せてもらい、それをブログに載せ、2周目でベルリの殺人考察を1クール目まで書いた。
 それで折り返しでGレコがテレビ的にどうかという記事も書いた。
 消えたバージョンでは各記事を紹介したけど、めんどくさいので総目次で見てください。
nuryouguda.hatenablog.com


 で、今から粛々とベルリの殺人考察の2クール目を書くのがいいと思うのだが、喉に引っかかった魚の骨のようなものが、富野監督と宇野常寛の対談です。
 


ガンダム Gのレコンギスタ オフィシャルガイドブック

 「ガンダム Gのレコンギスタ オフィシャルガイドブック」の頭の対談です。
 悪い本じゃない。
 でも、おかしくないというより、変でしょ?宇野常寛と富野監督の対談は4時間半で2万6千文字にも及ぶ。字が小さくて読めなああああい!
 それが本の冒頭に位置している糞構成です。糞長くて文字が小さい対談を読まないとキャラクター紹介とかスタッフインタビューが読めない。ふざけんなよ。
 ていうかキャストインタビューとスタッフインタビュー、キャラクター紹介とメカニック紹介が何故か分割されているのも謎構成です。キャラ紹介、メカ紹介、各話解説、スタッフインタビュー、で最後に監督の談話、というのがセオリーだと思う。それが本の冒頭に宇野対談だよ!宇野さんが目立ちたいだけでしょ?ゴミ!読みにくいんだよ!だから絶版になってAmazonで1万6千円にも高騰するんじゃん。
 大体2万6千文字の何が偉いんじゃい。俺は4時間あれば4万文字書けるぞ。重要なのは中身でしょ!西尾維新でしょ!



 あと、「地球は四角くない」って、最高にダサい帯の間違いは学研がマヌケなのか、編集したプラネッツかセブンデイズウォーがカスなのかわかんねーけど。正しくは「世界はぁ~っ!四角くないんだからぁっ!」だからな!アイーダさんが時々アレだと言っても、球が四角いとか言うわけ無いだろ。メインヒロインを舐めてんのか。
 

 ホリエモン万博でカジサックとかキングコング梶原雄太と炎上したけど、宇野さんのそういう自意識過剰で自分以外に対して心底雑なのが一時が万事さあ!しゃらくさいんだよ!

teleo.hatenadiary.jp
宇野常寛さんがキングコング梶原にからかわれてご立腹な様子だけど、しかしオタクやサブカルを嘲笑してのし上がってきた人が、いまさら被害者ぶっているのは欺瞞にしか見えない。

宇野常寛さんの言う「レイプファンタジー」とは、主に麻枝准の作風を揶揄したものだが、しかし、麻枝とは関係のないギャルゲーマーも「気持ち悪いレイプファンタジー」という印象を外部に与える意図で思いついたキャッチコピーであることは、察せられるべきであろう。


 ていうか宇野さんはネットの大半に嫌われるか無視されてて、オンラインサロンとか本に金を出すのは1割もいないのか・・・。そのくせ自分を褒めたり買ってくれたツイートをRTして信者を囲うのか。俺はブログを褒められてもいちいちRTしねーし、ふぁぼで終わらせて晒さないよ。そういうところの宇野がダサいんだよ。
 はい、宇野さんをディスりましたよ(ノルマ)


 では、感情抜きに本文を読み解いていこう。

ameblo.jp
富野監督と評論家の宇野さんの特別対談が良かった。
小さい字がビッシリ(2万6千字)で驚いたけど。

対談は5/13にされたようで、BD・DVD用手直しの最中。
宇野さんは監督を好きな上、口が立つので監督の考えを上手く聞き出せててありがたい。
ただ、持論に当てはめて考える傾向もあるようで、時々監督もそうじゃなくてと返しています。


例えば宮崎さんの「風立ちぬ」は、監督は高く評価するが過去論だとしています。
だからGレコは未来への問題提起としたかったが演出がネックで、と続くのですが、議論はなかなか噛み合わず。




でも対談だけで私には買いでした。

 対談だけで買いでした、って言ってくださる人ですら「議論は噛み合わず」とおっしゃっている。噛み合ってない・・・。ちなみに、この本の宇野さんについて言及しているブログを、この上記の記事以外にグーグル先生は見つけることができませんでした。



 宇野さんは自分の本の母性のディストピアを買ってくれた人に対してもインスタントな反応しかなくなったネット時代の知性とか言ってて、実際スゴイ失礼なんだが、自意識過剰すぎて自分しかGレコを批評してないみたいな印象操作をしている。だけど、俺とかおはぎさんとかすぱんくさんとかあでのいさんとか同人誌を出すくらいGレコを批評している人はいますっ!
nuryouguda.hatenablog.com
 宇野さんは紙の本はこれから消える〜〜〜って言いながら紙の本を出してるから僕みたいなブロガーよりも偉いとか思ってんのか?意見や情報は広く共有されるべきだし、それは落合陽一の手品ショーとかキングコング西野の自己啓発本とかはあちゅうとイケハヤのセミナーやオンラインサロンじゃないだろ!だから俺は無料で文章を公開ジャイ!僕の文章は無断コピーや引用は大歓迎だしミームを繁殖させたい。
 ていうか、本放送中に見もしないで口をつぐんでいた人が放送が終わって答え合わせしてから自分の本の宣伝も兼ねて対談するのは言論人としても富野由悠季のオタクとしてもどうかなーっておじさんは思っちゃうなあ。Gレコの本放送のときに宇野さんはラジオで富野作品特集をしたのにGレコについて触れてなかった恨みは魂魄百万回生まれ変わっても恨み晴らすからな。


 って言うか、この対談(オンエア1ヶ月後の5月中旬)の冒頭で「覚えているか自信がないのですが」と謙遜から入った富野監督に対して宇野さん、「僕はちょうど見終わったばかりなので新鮮です(笑)」って言うでしょ。これさあ、「あー放送を見てくれてなかったんだな。仕事のためにまとめて見たんだな」って思っちゃうでしょ。いくら宇野さんがトミノファンオーラを出しても、初っ端に「この人は本放送を見てくれてなかった」という印象があるよね。それで富野監督も対談の序盤はサンライズの愚痴だし、自分から宇野さんに「面白くなかったでしょ?」と言ってしまう。屈辱じゃね?
 宇野さんも宇野さんで「正直中盤まではかなり辛かったです」って言っちゃうの、失礼じゃないかと思う。
 まあ、僕みたいに毎週最速リアルタイムで見て、寝て、次の深夜に関東で放送されているときに録画を同時再生しながらツイッターの実況を見て、そして感想ブログを一晩で書き上げて寝る、という無職ライフをしたGレコファンの方が気持ち悪いよね・・・。暁美ほむらみたいなところあるよね・・・。ごめんね・・・。気持ち悪いファンで・・・。おじさん、オタクだから・・・(^^)



 と!いうわけで、今回はいかに宇野さんと富野監督が噛み合っていないのかを構造解析して行きたいと思います。

  • 噛み合わないお話の定量

 さて、どうやって噛み合わない度を見える化できるか?と言うと実は簡単なのです。と、言いまするのは、この対談はほとんど宇野さんが自分の思い込みや過去の富野由悠季像から「これってこういうことでしょ?」と臆見を言って、その度に富野由悠季監督が「その通りです」「そうだと思います」「そうですね」「そんなことをする気はありません」「そういう意見ははじめて聞きました」「そういう誤解をされているけど」「そこまでとは思わないけど」と、肯定したり否定したりする対話法で成されています。富野発言の冒頭の「そ」が本当に多い。
 宇野さんは脳天気なので富野監督に「その通りです」と言われたところで自己肯定していると思うけど、わりと否定されている部分も多い。





 まあ、僕自身が宇野さんに8年前に「ちなみに、あなたのそのコミュニケーションこそが、富野的なものをまったく吸収していないことを端的に示していると思います。では。」というすごい雑なブロックを食らった復讐でもあります。富野的なものを吸収してたら偉いんか?ほんまか?
nuryouguda.hatenablog.com


 俺は出崎統の影響も受けているので、富野監督は神だと思うけど、「いいかい、神様なんぞは、自分がやりてぇことをさんざんやって、すんませんでした、とせいぜい許し願っておしめぇよ。そんなもんよ」という気持ちもある。白鯨伝説のエイハブは最高にかっこいいし、富野監督も出崎統監督は天才すぎてパクれなかったと葬式で言ってた。ちなみに、高畑勲監督(パクさん)の葬式では宮さんと鈴木Pに「パクさんの弟子と思っていいいですか」と聞いて了承されたので、パクさんはパクれたのかな?(雑なダジャレ)


 では行ってみよう。この対談は五月雨式に宇野さんが「こうですよね?」と言って、さらに富野監督は明後日の方向に自分の言いたいことを言い出すので、線形に、文字の順番通りに、リニアーに読んでいくとクソ読みにくいです。そのうえ牽強付会する宇野に腹が立つので、「肯定する富野」「はぐらかす富野」「否定する富野」に整理していくのが読解の役に立つと思います。
 多分、宇野さんはインタビュアーとしてはあんまり才能がないので、対談の割に読みにくいし、ネットでも話題にならずに1件しか感想がヒットしなかった要因だと思う。


 まあ、富野監督も割りと適当に物をいうからな・・・。話を合わせようとしても富野監督が脱線する場面もあり、そこは一方的に宇野さんを責められない部分でもある。同時に宇野さんがやっぱり牽強付会する面もある。
ch.nicovideo.jp
 宇野さんはこの対談でも、(課金してまで読まなくてもよろしい)ニコニコチャンネルの記事でも2015年に「富野由悠季は戦後アニメを終わらせて再生させる!」「庵野秀明は鬱になって作品を作れない」とか大塚英志の2周遅れのコピーみたいな思い込みの意見を言ったけど、その翌年に「君の名は。」と「この世界の片隅に」「シン・ゴジラ」が大ヒットしたので、まあ、ご苦労さまでした。カッコ悪いよね。状況は絶えず変化しているのだから自分の個人的な意見で断定的なことは言えない。
 宇野さんの頭のなかでは宮﨑駿、富野由悠季押井守庵野秀明くらいしかいないかもしれないけど、サトジュンとか新房昭之とか幾原邦彦とかあおきえいとか菱田親分とか荒木哲郎とかアイカツおじさんとか、実作製作者は批評家がなんと言おうと藻掻きながら作品を作っている事実があるので、それを無視して自分の意見に閉じこもる宇野はまあ、富野的なものを吸収しすぎちゃったのかなー?


 悪口はこのへんで、仕分けていきます。

  • 肯定的な富野

1.

宇野「日本のアニメーションは独自の進化をしすぎて」
富野「その通りです。”演出”を名乗っている人たちが、ここまで動画の癖を知らないとは思わなかった」


2.

宇野「でも富野さんは、ああやって(風立ちぬのラストのように)きれいな嘘をついて死んでいくのは嫌なわけですよね」
富野「僕にはあれはできませんよ。僕には宮崎さんほど、学識とか能力がないから。つまり、とても怖いことがあって、才能とか能力のある人の力が発揮されてるのはどの部分かって考えると、過去をどのようにきれいに語るかってところに才能は行使されてるんじゃないかって思うんです。僕にはそういう基礎学力がないから、それはできない。だからこうやって訳の分かんない1000年後とか2000年後の世界を考えるところに行っちゃうんだよね。これ、劣等生の遠吠えです(笑)。」


3.

宇野「ロボットアニメが青少年のものじゃなくなっているからでしょうね。サンライズのスタジオの会議室でこれを言うのはちょっと勇気がいるんですけど・・・・」
富野「絶対そうだと思いますね。そういう意味では完全に衰退産業に入っているんでしょう。僕は見ていないのですが、ガンダムのプラモデルが戦う作品がありましたよね?」
宇野「『ガンダムビルドファイターズ』ですね」
富野「あれが子ども向けというのがわからない。商売のマーケットの都合、つまり大人の都合だけで作ってる作品のような気がします。僕は、単に分かりやすく噛み砕いたような作品が子ども向けだとは思ってない部分があって、ファーストガンダムの時代に出会ったような、どこか未来志向を持っている人たちを刺激するような作品を作りたい」


4.

宇野「今、ファーストガンダムBlu-rayで買っている30代、40代が一番見たくないところかもしれませんね。彼らは小学生や中学生の頃のファーストガンダムを見て、少年兵が巨大な体を手に入れて大人と一緒に大活躍していく姿に憧れてたわけです。でも、今は逆に自分が30代、40代になって、たとえば『機動戦士ガンダムユニコーン』が典型ですが、あれは(おじさんが)説教している話なんです。(中略)だから、そういう意味ではロボットアニメは役割を終えたと思います。あれはいびつな戦後社会のなかで大人になる方法がわからない男の子たちに、不器用ながらも大人のなり方を示してあげたものだった。」
富野「それは過去論としてかなり正確なものであり、僕自身も同じように感じます。つまり全部昔話なの」


5.

宇野「『Gレコ』に話を戻すと、なんで金星の奥に文明人が引っ込んじゃったのかと考えると、そういう(『危機の20年』のような)戦争で酷い目にあったからですよね?」
富野「そう。以前からこういう考え方はあったにしても、E・H・カーの本を読んで、ようやくきちんと言葉にできるようになった。だから、勘でやってきたことが間違いじゃなかったという意味では、ありがたいと思っている。でも、それを喋ったら最後。アニメ程度にメッセージは一切いらん。まず、とにかく子どもに訳が分かんなくても見せる。そして、なにかおかしいんだよねっていう種を埋め込んでおけば、その解決策は彼らの代か、またその次の代で見つかるかもしれない。つまり、この2、300年で突破できなかった理想と現実の折り合いに対する解を手に入れたいと思っているわけだから、それは一代や二代で解決できるわけはないでしょう。となれば、僕程度のメッセージは言わないことにした(後略、あんまり関係ないけどFSSみたいな時間感覚ですね)」


6.

宇野「『Gレコ』で気になるのは、ベルリというキャラクターなんですね。僕が思ったのが、ベルリというのは意図的に空洞にしてあって、アイーダの方が話を引っ張っていくんだと見えた。役割が違う二人がセットで姉弟なんだとずっと思っていたアイーダが、後半まで煮え切らなかったところが問題だったのでしょ?」
富野「そうです。アイーダとベルリの表現方法を間違っていた部分については、安田朗くんが言っていたことで、アイーダはもっと泣いてくれなくちゃ困ると。(中略)その通りです。物語性(ストーリーテリング)を本来展開するはずの主人公のふたりが立っていなければ、物語は成立しないんだっていうのを、『Gレコ』はやれなかった。作品は物語性が大事だっていうところに帰結するわけで、『Gレコ』は『ONE PIECE』のような吸引力を持てなかった。キャラクターの持つ体温が分かるようにしておけば、『Gレコ』の背景にあるものを、1万人のなかに2、3人は考えてくれるんじゃないかな」

  • 中庸の富野

1.

宇野「たとえば、物語に登場したあるキャラクターに「どうやら過去に付き合った彼氏がいるらしい」という描写が差し込まれると、怒り狂ってファンがグッズを燃やすとか」
富野「だから漫画をそのまんま作るんですよね。その問題は背景画を描く美術という仕事にもあって「なんでこんなに絵が描けなくなったのだろう」と思ったんですが、「自分たちはこの十数年、設定を描く仕事をやってないんです」と言われた」

2.

宇野「そういうものが、今のマーケットで求められている」
富野「そのことも分かったのですが、しかし、キャラクターを動かすという、本来の意味での演出論に関して言えば、自分が出来損ないの演出家でしかないことが自覚できない人の描くコンテの凄まじさというのはあきれるほどです」


3.

宇野「アニメを見て考えさせられるっていうことだけでもう不快だ、というファンが多くなってきたということじゃないかと思うんです」
富野「まったくそうだと思います。わからないって言われることは僕にとって予定通りではあったんだけど、やっぱり言われればガックリきます。でも僕はずっと以前に、このガックリ感とものすごく似た経験をしているんです。それは『機動戦士ガンダム』の放送が終わって映画になるまでの1年ぐらいです。そのあいだ、僕らは袋叩きにあいました。」
宇野「それはテレビシリーズが視聴率不振で打ち切られたからですか?」
富野「それもあります。(中略)大人っていうのはみんな同じ反応をするんだっていうのも分かった。だったらもう馬鹿な大人にわからせるアニメを作る必要はないってはっきり思ったんですね」


4.

宇野「(前略)仮想敵だったはずのディズニーも大きく変貌してしまった。そうなったときに、自分の人生にケリを付けることしかやることがなくなって、宮﨑駿は筆を折ったというのが僕の感想です。」
富野「その感触は間違いないと思います。でも同世代人の同業者として『風立ちぬ』のようにまとめてくれてありがたかったという気持ちはあります。ただ、あれを手伝わされいてる若い人たちには申し訳ないなと思う部分もありますね。これからアニメで暮らしてこうと思っているスタッフが楽しいと思える仕事をしたいと考えた時に、『Gレコ』のような作品を、子供向けのアニメにして作ることができたらいいなと思っています。」


5.

宇野「富野さんたちの世代が、ディズニーとは違う方法論で作られているアニメってものが存在し得るんだってことを数十年かけて証明したんだと思います。(中略)それはなにかそのジャンルのパイオニアだけに許された特権のような気もするんですよ(後略)」
富野「本当はそういうものを作りたかったですね。このまま野垂れ死にをしたくはない」


6.

宇野「今回の安田さんをはじめとするデザイナー陣から上がってくる、あの全員が全員アクの強いデザインをよくひとつの作品に押し込めたなと思います。あんな力技は見たことない」
富野「本当にそう言ってくれるとうれしい。なまじの作業じゃなかったから(笑)(中略)単純にキャラクターの情感だけはとってるからなんです」


7.

宇野「今回はこれまでだったら切り捨てていたようなものを受け止めようとしていますよね。ジット団もありだし、バララもありなわけですよ。今回、ああいったキャラを活かしたいと思った理由はなんでしょうか」
富野「なにも考えてないっていうのは嘘なんだけども、今みたいに質問されると「あ、きっとどこかで考えてたんだろうな」って思う。」


8.

富野「(前略)一方的な好き嫌いで敵味方として扱っていく、という物語論にスッといけなくて、現れてくるキャラクターを育てていきたいって思っていることがすごくある。それは新しく手に入れた感覚です」
宇野「昔の富野作品だったら、役割が終わると死ぬことが多かった(後略)」
富野「絵空事の物語でも、物語の世界の中で実在したという手ごたえを得たら、もう作り手の都合では動かさない。それが本能的にできるようになったんでしょう。僕程度の人間でもそれなりにキャリアを積み重ねたからこそできるようになったのかと思っています。」
宇野「その話を聞くと、ますますベルリだけが役割に縛られてる感じがしますね」
富野「はい。だから「ベルリ、お前いったい何者なんだ?」ってことはこれから考えてあげたい」

9.

宇野「すごく素朴な質問なのですが、アイーダが姉だってわかった後にベルリに恋愛させようと思わなかったんですか?」
富野「それは、あの劇構成の中でやってる暇がなかったんですよ。でもたとえば、ノレドはなんなのさって意識はずっとしてはいました。」

10.

宇野「『∀ガンダム』で、ロランという男なんだけど女にもなるようなキャラクターが出てきたときに、富野さんは”少年の性衝動としてのロボットアニメ”みたいなものを描く気がなくなったんじゃないかという気がしました。(後略)」
富野「今言われたから気がついたんだけど、機械信奉の感じがなくなったんだろうね。」
宇野「(宇野さんが自動車免許を持ってないという話)」
富野「そうは思うけれども、今のマシンという問題を組織と置き代えてみると、ロボット的なものは映像作品のなかでギミックになりうるんじゃないかな」

(関係ないけど、シンカリオンみたいな話だな)


11.

宇野「昔だったら直接地球に隕石落としたのが、今は金星の奥に引っ込んで「お前たちはこれぐらいのテクノロジーを使っていればいいんだよ」と細々と送り続けているわけですね」
富野「そういう意味では、『Gレコ』は極めて閉塞性の高い作品なのかもしれないと思う。しかし、それも含めて考えるべき一番大きなテーマはこうやって置けたわけだからと開き直るしかないなあ(後略)」


12

宇野「戦後アニメーションっていうのは宮﨑駿のように過去を語って自分史をまとめて終わりにしてしまうか、押井守庵野秀明のように作れなくなるかっていう袋小路にありますよね。」
富野「そこから抜け出るためにはどうするかって考えて、昔語りをしないというところに落ち着いたわけです。解が見えないにしても、現実逃避はしちゃいけないんじゃないかと思う。だからこそ嘘八百のなかにリアリズムを放り込みたいっていうのが『Gレコ』からはじまる・・・」
宇野「戦後アニメの再生、ですね」
富野「それこそが僕みたいに勉強のできなかった人間の意地。学識だけが天下ではない。だから哲学を乗り越えるっていう命題が僕のなかではハッキリしちゃった(大笑い)」
宇野「僕もずっと『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』を見たときに戦後アニメっていうのはこの人たちが作って、この人たちが抱えていた実存みたいなものを解決することで一緒に終わっていくんだなって思ってたんですよね。」
富野「だけど、それで終わらせてなるものかと思いますよ。それはまず、すごく簡単な話で、パブリックに向けて厳然とした媒体がある。そこに僕程度の個を出す必要はないから、物語るときに何を出すかとなると、悔しいけど『源氏物語』ってなっちゃったわけ(笑)。もうひとつ紹介したいのは(中略 日本刀とか日本家屋とか日本の服装の歴史とか水田とか和算の話を最後にいきなりワーーーーッって言う。多分時間が押してたことに気づいたんだと思う)
梅干と日本刀 日本人の知恵と独創の歴史(祥伝社新書)

そういうものを読んでほしいけど、読めとは言わないで僕の作品を見たら分かるようにしておきたい」
(中略)
富野「まだまだしぶとく生きたいと思っています」(おしまい)

 ここで対談は終わる。



  • 話を変える富野

1.

宇野「なんで主人公がベルリとアイーダだったのかなということなんですが」
富野「ベルリとアイーダについては、もうちょっと見ている子どもが感情移入できるような作り方にした方が良かったんじゃないかというのは、本当にその通りです」
宇野「富野さんがもう自分に近い大人や老人から物語を始めたくなかったのかなとも思ったんですけど?」
富野「それもありましたが、もう一つ問題があります。これは企画の段階からいい部分と悪い部分の両方があることは想像していたのですが、僕は宇宙エレベーターが嫌いだっていうことを一番始めに置きたかったのと、今のような宇宙開発は止めてほしいという主張をはずせなくて、物語を宇宙エレベーターのある地球から始めることにこだわったんですよね。
これはアニメの問題ではなくてリアリズムの問題で、馬鹿な人たちにこれ以上税金使わせたくないというところから始まっている。」
宇野「でも今の現役世代は、それほど宇宙に関心はないと思いますよ。(中略)宇宙とかデカいこというとネットでロマンチストに見えるかも、くらいのことしか考えていない。」
富野「だからこそ、その問題をはっきりと映像にして、10歳前後の世代にすりこんでおきたかったんですよ。だから、『Gレコ』の物語の入り方は、僕はあれ以上のことは考えられなかったんです。僕がリアリズムから始めたいと思ったことが物語の足を引っ張ったのは事実です。」

2.

宇野「でも、そのリアリズムっていうのが『Gレコ』のポイントだと思います。僕はまず1話と2話を一緒に見たのですが、これはまあ、はっきり言えば富野由悠季がハリウッドに嫌がらせを始めたなと思った(笑)。(中略)ひとりひとりの体験はばらばらで、乖離している。これに対して劇映画の描く世界は作者によって統合された視点を持って、整理されている。(中略)アニメは最も整理され、統合されたリアリティを持つもので、今のアニメと特撮しかやらなくなってしまったハリウッドは、その力でグローバルなコンテンツを量産している。そんな中で富野由悠季は、ほとんど嫌がらせのようにアニメで、それもファンタジーでわざわざ乖離した現実の世界をシミュレーションしている。」
富野「それはすごく自覚しています。自覚しているからこそ、『Gレコ』の作品構造や世界観を僕はこのように作らざるを得なかったということはあるんだよね。言ってしまえば嘘八百を並べているのですが、そうした方が見やすいだろうと思ってやってみたら、少なくとも20話し以降はアニメの性能ってかなりいいものなんだと自覚することができた。」

3.

宇野「すごく皮肉な状況ですよね。アニメは本来一番整理された映像であって、否応なくある程度統合された世界になってしまうもののはずなのに、『Gレコ』はそれを意図的に破壊しているじゃないですか。(中略)わざと現実以上にバラバラのものを描こうとした。この皮肉が、僕にとって『Gレコ』でいちばん突き刺さったところなんです。
富野「そうですね、アニメの表現って本来はものすごく高性能なんですよ。『Gレコ』の特に後半5話分くらいで、あれぐらい舞台を行ったり来たりできるというのがアニメの高性能さの証です。(中略)それは、事象があちこち飛んでも、話としては一気に見られるものにしたかったということなんです。(中略)そうするためにはどうしたらいいか。それはすごく簡単なことで、キャラクターのだけは全部統一して流す。(中略)そうすると話があちこち飛べる。今これに気づいてる映画人ってそんなに多くないよね 」

4.

宇野「確かに富野さんはファーストガンダムの頃と逆のことをされてるような気がするんですよ。ファーストの頃は、「フィルムを見ればわかります」が口癖だった。あの頃の目的は、フィルムを見れば分かるものを作ってアニメの可能性を広げることだった。(中略)ところが『Gレコ』は逆で、もう最初から最後まで描かれているのは現実と同じぐらいに乖離した視点で描かれる状況で、そしてそれをまとめないまま、映像の流れのなかで気にならない用に見えてしまう演出をやる方に切り替えてしまった。もうフィルムだけを見ただけでは絶対にわからない。ちゃんと感じて、考えないとわからないようにわざとつくってある。この方法論が完全に逆転しているというのは、富野さんの中の変化なのか、それとも時代の要請だったのか、どっちなのでしょうか。」
富野「時代の要請っていう言い方はできます。(中略)だけど、もう一つは、本当は言っちゃいけないことかもしれないけど、やっぱり年をとるとこれができるのかもしれないなという感じもしている。それで、前の話に戻ると、演出に関して言うとその人がその自覚を持ってくれない限りできないんです。アニメーターは単純にカットの中でのリアクションを、きっとこうだろうという部分を熟練で持って補ってくる仕事です。その熟練の部分とこちらが思っていたことがシンクロしている部分があって、あなたの仕事は正しいと受け入れられる。(中略)もう一度『Gレコ』以後の作り方についてのスタンダードな作りをやるしかないんだろうなと思うようになったんです。この話は今みたいな言い方だけだとわかりにくいから、あえてタイトルを出すと宮﨑駿さんの『風立ちぬ』(中略)は、”過去論”なんですよね。思い出話だからああいう形でいいけれど、アニメというのは実写じゃないんだから、今更思い出話をやる必要はないだろうとも思うわけ。だから『Gレコ』はこの方向性で間違ってなかった。そういう意味でのカウンターとして出したという意識は、制作が始まったときから自覚的に持っていました。だからこそ、時代の要請と取れるかもしれない。(後略)」


5.

宇野「僕はアイーダが金星から帰ってスカッシュする22話まで、まったく彼女を好きになれなかった。アイーダが泣きながらスカッシュする(著者注、アイーダが泣くのは玉ねぎを切る時)のを見て、ああこの子はこういう生真面目さを持て余している子だったんだとわかって、そこからやっと物語に乗れた気がするんです。」
富野「そういう意見ははじめて聞きました。でも、そうだと思います。『Gレコ』は、子どもが共感するものにしたいからアイーダとベルリの話にしたのです。でも、結局そこが作劇的に最もいい加減になってしまった部分です。(中略)アイーダについてはおっしゃる通りなんですが、それ以前に、僕がアイーダで間違えたことがひとつあったんです。それは、カーヒルっていう彼氏についてです。(後略、以下いつもの愚痴)アイーダのような問題のあるキャラクターもあったけど、全体的に今回のキャラクターは良かったと思ってます。(中略)好きになったらちゃんとああいう風に作れる。だけど、アイーダはそうではなかった。」


6.

宇野「戦後、日本の文化空間では正面切って暴力や戦争の本当にヤバいところは描けない。(本当にそうか?)(中略)アニメこそがここ数十年で日本人の自意識を反映した映像になったわけです。でも、その役割というのは終わってしまった。もうロボットを方便にする必要なんかどこにもないのに、昔の富野さんが作ったアニメを好きな人たちが今も作品を作り続けているというのが、気になりますね」
富野「そういう意味でも、”巨大ロボットもの”というジャンルそのものが古めかしいものになってしまいましたね。だから、僕はもっとファンタジーにしなくちゃいけないんだという意識があって、今回のような世界観を構築したという部分があります。だから、一番いけないのは、僕がリアリズムの問題としてもっている宇宙開発の問題に関する意識。そのあたりが邪魔をしている(中略)さらに、組織の成立と組織と個の軋轢というのは、絶対にコントロールしようがないという問題について、もうちょっと触っておきたかった。それは今の国家論とも多少隣接する部分でもあるので、なんとしてでも入れたいっていう欲があって、それが物語の邪魔をしている。」


7.

宇野「富野さんが『機動戦士Zガンダム』以降、ガンダムシリーズをああいった話にしたというのも、ロボットアニメの役割なんて終わっていくんだぞという自覚が、80年代90年代にかけて強くなっていったからだと思うんです。」
富野「本当は理想論で言えば、僕は文芸作品を作るというところに行きたかった。ただ、『風立ちぬ』のようなものを作って自分が作家になったと思うのはとても危険なことなので、それも違うだろうとも感じるようになった。だから、自分が死ぬまでにどういう作品を作ったらいいかという方向性は見えていません」


8.

宇野「『Gレコ』のような作品の居場所は、シネコンにもYouTubeにもなくて、斜陽と言われる日本のテレビの片隅にしかないんだなという気もする。だから、そこから逆襲していかなくてはならない。」
富野「だから、僕はガンダムの3番煎じ4番煎じを作るのが作家的な行為ではないんだってことを、身内の人間に一番わかってほしい(後略、以下、ハリウッドと金融と社会の運動の話が長く続く)」

9.

宇野「富野さんは、とてつもなく強い100年たっても倒せないような仮想敵を見つけた。そいつを倒す方法まではわからないけど、倒すべきものとか乗り越えなければならない壁が見えているだけでも全然違う気がします」
富野「第二次世界大戦終戦の頃を知るようになった去年あたりから、具体的に人間の面倒臭さっていうのがよりわかるようになってきましたね」

 
 
 
 
 

  • 否定、反論する富野

1.

宇野「まとめないまま流れで見せてしまう映像を見た時、やっと『Gレコ』のコンセプトが分かったな。このトーンでなぜ最初からやらなかったんだろうな」
富野「やらなかったんじゃなくて、やれなかったんです。だってダビングの段階で半分以上絵が上がっていなくて」

2.

宇野「富野さんはこの10年、割り切って現場から距離をおいたと」
富野「いや、そんなことはありません。この仕事は続けていなければ駄目で、宮﨑駿さんが偉いなと思うのは作り続けることによって現場のコントロールもできるし」

3.

宇野「今の日本のアニメ業界そのものが抱えている問題じゃないでしょうか」
富野「そうです。でも逆に、現役スタッフのいいところもすごくありました。特に40代後半から50代前半のアニメーターのなかに、僕が思っている以上に力があって、仕事をこなすことのできる、深夜アニメに慣らされていない人たちがいることが分かったことです。だから、アニメーターとして20年30年やってきた人たちが『Gレコ』の仕事を面白がってやってくれたので、彼らが10年くらいは有効に働けるような作品作りをしなければならない」


4.

宇野「ハリウッドのヒットチャートを見ると、もうCGアニメと特撮しかない。(中略)ハリウッドのパブリックに開かれた映像は分かりやすくするために現実と徹底して切り離され、リアルは、プライベートなYouTubeにしかなくなっている。」
富野「そうなったとき、公共に向かって作品を発表するときの問題。(中略)これを使うと年寄りの言葉になっちゃうけれど、楽しいものと啓蒙作品の両方があってもいいんじゃないかってことです。だからこそ『Gレコ』はきちんとした完成形を作りたいと思うようになったし、今もメインスタッフと、再編集する時にどうしたら良いかということを相談しているところです。」


5.

宇野「『風立ちぬ』がゼロ戦の話だというのもすごく象徴的ですね。(中略)結局、日本のアニメは”ゼロ戦”みたいなもので、暴れまわって性能の良さを証明したけど勝てなかった飛行機だって言うことでしょう」
富野「それはとても正しいのですが、『風立ちぬ』に関しては、僕は宇野さんより評価がはるかに高いんだよ。僕みたいな飛行機好きの人間にとって、『風立ちぬ』はゼロ戦の話じゃないんです。こんなにも正確に航空史を描いた映画ってのはあれしかないって言い切れる。そういうリアリティの意味でもとても素晴らしい映画です。だけど、それも含めて過去論なんですよ。(後略)」


6.

宇野「そのときに状況が複雑とか情報量が多くてわからないと言う人たちを相手にする必要はないと思ってます?」
富野「もちろんそんなことをする気はありません。ただ、僕は『アナと雪の女王』を見てないのですが、あの楽曲をひとつのエンターテイメントとして仕立て上げたことに関しては正直悔しいくらい見事だと思っています。そういう部分を『Gレコ』的なものに、職人技として上手に取り込むことはしたいですね。」

参考
nuryouguda.hatenablog.com


7.

宇野「富野さんはベルリもそんなに好きじゃないですよね。」
富野「そう。だから困ったんです」
宇野「でも、ベルリをああいったつかみ所のないキャラにしたのは、確信犯ですよね?」
富野「ああしか作れなかったというのが本当のところです。ベルリがなんでああなったのかは僕にはわからない。それこそ、宇野さんのような人から、もうちょっとこうしてくださいよと言ってもらわないといけなかったのかもしれません。」


8.

宇野「ロボットアニメというか、戦後アニメを終わらせるしかないんじゃないですか」
富野「それは意識していますが、(中略)手描きのアニメが逆にレアになる。このレアさ加減を、今の10歳以下の世代にわからせる作品があるべきなんじゃないかと考えています。それを『Gレコ』を作った中堅のアニメーターたちが働けるうちに手描きでやる。そういう目標が出てきたので、もう2,3年はがんばらせてもらいたいと勝手に思ってるのね。」

9.

宇野「収穫で勝負をすると負けるから種まきをやるってことでしょうか?」
富野「そうです。でも、それはキャリアがあるからいえる言葉だって言う気もしています。ただ、種まきをするだけでは済ませたくはなくて、俗にいう作品賞を取れるようなものにはしたいよね」

10.

宇野「みんな今、アニメが作れなくなってるんだと思うんです。宮﨑駿は戦後アニメーションは役割を終えたとして筆を折った。押井守セルフパロディでお茶を濁している。庵野秀明は鬱になってアニメを作れない。それより下の世代の作家たちは、深夜アニメのルーチンを守りながら必死に状況に対応している。」
富野「暮らしを立てていくうえで深夜アニメに対応しながら作るっていうこと自体は、僕は生活者としてはいいと思っています。(中略)重要なのは、これが後どのくらい続くのかって言うこと。それは考えないといけないでしょ?」


11.

宇野「富野さんはこれまで、劇場作品をわざと回避してきたのでしょうか?」
富野「そういう誤解をされているけど、営業力がなかったし、気が小さかったから自分から打って出ることができなかっただけの話です」


12.

富野「(前略)10歳前後の子どもたちが「映画って訳わかんないけどすごいんだよ」「アニメってすごいんだよね!」って言われる物を作りたいんですよ」
宇野「戦後のアニメがどんどん量的に拡大していく中で、富野さんたちが掲げていたような”アニメだけが描ける体温や情感があるんだ”って言うテーゼは、明らかに実写映画との距離感で成立していた。(中略)でも、当の仮想敵だった実写自体がディズニーとYouTubeに分解されて、それが人間の脳を調教し始めている今、もはや実写を仮想敵にして何かをやるということはないんでしょうね」
富野「そういう時代は突破しました。『Gレコ』を作るにあたってもうひとつ教えられたのは、人類っていうのは元々、太古からユートピア(理想)を求める”ユートピアニズム”であり、リアリズム(現実)に対応していくのはその後なんだといくことです。(中略)教えられたのはE・H・カーが書いた『危機の20年』という本からです(ここから長いので後略)」
危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)


13.

宇野「さっきもお話しましたが、僕は富野由悠季がテレビシリーズか、あるいは2時間の映画で作家として積み上げてきたようなものの完成形が見たいという気持ちが心のどこかにあります」
富野「宇野さんが言ってる完成形っていい方はとても怖い言い方なんですよ。作り手だったらみんなそう思うんだけど、それは神の手でも降りてこないかぎり絶対にできるわけがない(後略、モナ・リザの話など)」


14.

富野「調和なんかしてませんよ(笑)」
宇野「異物感が残ったまま共存してるあの感覚が圧倒的に気持ちよくて」
富野「僕は宇野さんがそういうこと言うのが単一民族の発言だなあという気がしている」
宇野「でもアニメって放っておくとそうなっていくものでしょう。単一民族という神話を信じたくなるように、調和が見たくてアニメを見る人は多い(後略)」
富野「まったくそうです。これもちょっと嫌な言い方をしますけど、自分の自我にシンクロしたくなってしまうというその根性は、ちょっと狭くないかと思うようになったわけです。日本人はもともとが多民族だったはずなのに、昭和のはじめの時期に”大和民族”って言い方をして統一感を取ろうとした。「あの偏ったインテリジェンスって一体なんなんだろう?」って考えてきました。だから僕はそういうことを考えた時、ちょっと頭のいいインテリなんか存在として絶対に認めないってところにまでいくようになった」

15.

宇野「ガンダムファンたちは、言ってしまうとセックスのはけ口をガンプラに吐き出してきたわけです。そのことを富野さんはわかっていて、だからこそ『Zガンダム』も『逆襲のシャア』もあんな展開になったわけだと思うのですが、『∀ガンダム』のころには、もうそういった問題は相手にしないっていう気持ちになった。そのときになにかあったのかなという気はします。」
富野「自分のなかであったことは本当にわからないし、事件的なことは一切なかったと思う。結局、技術に対して極度に懐疑的になってしまったというのが一番大きなことじゃないか。つまり、男の仕事がなくなってしまったんじゃないかということ。だから(後略。百姓とキングゲイナーの話)」


16.

宇野「やっぱり意見の半分は気にしなくていいと思います。僕が小学生の頃に放送された『Zガンダム』も散々わけがわからないとか、そんな話いっぱいありましたからね。」
富野「ですが、生きている人間の現在進行形の話で言えば、気をつけつつ、自惚れもしていないと自滅していく感がある。今お話したような心構えをもって、多少の意地ももって。そして、仕事という形でしばらくやらせてもらえるようにしたい」


17.

宇野「これはもう種まきだって言ってしまった以上は、ネットでどう言われようと雑誌でどう扱われようとそんなことは一切気にせず、今ここで富野監督がおっしゃったことがこういう本にアーカイブされて、『Gレコ』をたまたま見た人が「なんじゃこれ」と思ったときのサブテキストになっていればいいんじゃないでしょうか」
富野「だけど、今アニメ雑誌とか媒体のことを考えると、ちょっと嫌な言い方だけど、そろそろ全部チャラにして作り直さなきゃいけないときが来たんじゃないのということも言っておきたいですね」

18.

宇野「もちろん、ネットに慣れてない世代のために紙の本は残ると思うのですが、向こう半世紀くらいで人類は紙の本からさよならするでしょう。紙の本はランプみたいな形でアンティークとして残っていくと思いますよ。(中略)体験には値段がつくと思いますけど、消費される情報そのものには値段がつかないと思います。本はまだ手触りのあるものですがディスプレイのなかにあるものにはお金はつかないですよ。」
富野「ますます暗い話になりますね・・・。でも未来予測なんてできるわけがないんだから、たとえこういう嘘八百の世界でも、解を求めるような行為をしてはいけないのではないのかな。『Gレコ』の作り方の基本にはそれがあります」

19.

宇野「『Gレコ』はシネコンYouTubeに調教された人類に対してのテロみたいなもんじゃないですか。ああいったものを映像だと思っている人に対しての・・・」
富野「いや、そこまでとは思わないけど(笑)。でも、僕の世代であえてロボットアニメの体裁でこれをやったのは、簡単にそういったものに負けたくないという思いもあるからで(中略)やれて良かったと思ってます。」


20。

宇野「僕が思っていた以上に、富野さんはいろんなことに絶望して、開き直られた上に『Gレコ』があったんだなって、今の話を聞いて思いました。」
富野「なまじ考える時間が長かったせいでこうなっちゃったんですよね。この歳でそういう風に考えることができて『Gレコ』が作れたっていうことで、命拾いをした面もある」


21。

宇野「クリム・ニックなんていうある種の愛すべきこざかしさをもったキャラに対して、昔の富野さんは凄く唾棄してたと思うんですよ。ああいったものに対する距離感が変わってきたと思いました。」
富野「距離感が変わってきたと同時に、それ以上にクリムなんかはもうちょっといいタマになるんじゃないかという期待を鮮明にもっています。逆にイデオロギーを持っている人間の怖さとか偏りというものが、毒でしかないということを断定できるようになってきた。実名は出しませんが、みなさんが知っている政治家たちが極めて古いタイプでしかなくて(世界的にヤバいので中略)世界というものを見ることが一切できない不幸な人たちでオタク以下です。そういう人たちにも届く言葉を作りたい。で、そのためにアニメというのはかなり便利な媒体だと思っています。10歳の子たちからそういうことを分からせるようにしていきたいと思ってるけど、そう思わせるためにいちばん大事なのはやっぱり面白い物語しかないんですよ」
(中略 富野監督が源氏物語を現代語訳で最近、通して読んだ話)
富野「『Gレコ』がこんなにバタバタといろんな設定をとりこまなくちゃならない作品で、なぜこれができたのかというと、それは『源氏物語』でやってることと同じなんですよ。人の情さえ通しておけば何やっても大丈夫というのは、どうも『源氏物語』から教えられたかもしれない。物語というと起承転結とか大団円とかが必要だって僕も思っていました。だけど、そうじゃないらしい。なんでもできるのが物語なのかもしれないって」

  • 傾向と対策

 肯定6、どちらでもない12、違う話を始める9、反論する21。
 48の部分に分けてみたのだが。
 うん。
 圧倒的に話が噛み合ってないな!肯定の3倍以上の反論があります。


 まあ、話をなあなあで合わせるのが良い対談というわけでもない。はあちゅうオンラインサロンみたいに教祖様の意見に付和雷同して同化するカルトも気持ち悪いし。
mecchanikukyu.hatenablog.com

 また、反論を引き出すことで話が面白くなる面もある。あと、性格的に富野監督が天邪鬼で反論したがるのか、単に宇野さんの認識が間違ってるだけか、そもそも二人の見ている方向や高さが違うだけなのか、いろいろあります。
 とりあえず、自分、不器用ですから引用と並べ替えという古典的手法を取った。まあ、大学は理系だったんだけど。(中略)を入れたので、丸パクりではないというところで宇野さんは我慢していただきたい。2万6千文字の対談を雑談込みで2万4千文字の記事に収めたし。中略部分を読みたい人は本を買ってあげてね!吉田健一さんのキャラクター解説も読めるよ!まあ、キャラクターデザインワークスは別にあるんですけど!
ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス
安田 朗 ガンダムデザインワークス




 で、まあ、とりあえずこの分析からなにか建設的なものを見出すとしたら、富野監督が何に頷き、何に首を振ったのかという傾向と対策。
 富野監督が宇野さんの言った臆見に同意した6箇所はどれも「サンライズ作品の駄目なところ」「自分の作品(Gレコ)の失敗したところ」「謙遜」ですね。宇野さんは割といろんなものをダメだと言うのですが、富野監督がそれに同意するのは自分と身内のダメさ。臆病な性格?というか正確を期すために自分がハッキリと知らないものに対しては同意しないという態度が見える。


中庸の富野監督は、宇野さんの言うことに同意しつつも「でも、」と付け加えるような感じ。あるいは宇野さんの言ってることをスルーしてる感じ。宇野さんの臆見がアニメオタクの評論家として大枠は正しいけど、実製作者の富野監督からは注釈を加えたい、と言ったところか。



 話を変える富野監督は、宇野さんをきっかけに勝手に話したい話題が出た場合、あるいは、宇野さんと同じ単語でも違う概念を頭においているようなすれ違いが発生している場合。宇野さんは強く「戦後アニメーションは一旦終わってGレコで復活する」というストーリーを念頭に置いて話を進めようとしているのだが、富野監督はそういう抽象概念で仕事をしていないし「1本アニメを制作した」という気持ちだと思う。また、宇野さんは戦後アニメや戦後社会という単語をすごくたくさん出すけど、戦時中生まれの富野監督は戦後日本という数十年じゃなくて数百年単位でものを考えているので、すれ違う。


 そういうすれ違いが発生しているので、富野監督が反論する場面も多くあったのだろう。
 宇野さんが見ている富野さんはやっぱり宇野さんがティーンエイジャーだった頃の黒富野時代が全盛期で絶望している印象が強いけど、富野さん本人は普通に生きてるし前進しているのでそこもずれている。
 また、宇野さんが想定している「大人」という単語は「ファーストガンダムファン、ガンプラファンのおじさん」と「ハリウッド」のニュアンスがある。対して、富野監督はもちろんハリウッドを意識している面もあるにせよ、「大人」は「広告代理店のサラリーマンとかスポンサー」とか「組織人」という社会的なニュアンスで言っているようすであり、さらにいえば「組織を支える構成員の一般大衆」と、逆にその組織のトップのオールドタイプや政治家などを指して発言している感じだ。
 ここらへんは宇野さんがガンダムユニコーン福井晴敏さんにガンダムファンの同族嫌悪と富野監督の尻尾の地位争いで敵愾心を抱いているのが理由だろう。ガンダムファンって割りと誰が富野監督を理解しているのかとか、知識が多いのかとかでマウントを取り合ってネットバトルに発展したりしがちなので。僕も反省したいところ。別に富野監督を理解したところでお腹は膨れないしなあ。作品を楽しむために、あんまり細かい解釈違いで喧嘩したりしないようにしたいのだが、たまにイライラしたときに雑なブロックを僕もしてしまい、反省する。
 で、富野監督が敵愾心を抱く大人は、もう、ガチでスポンサーの社会人とか、西崎義展Pのバックの政治団体とか宇宙エレベーター学会とか富野監督が仕事をしていく中で腹が立った人とか、人をそのような大人に育てる社会構造そのものとか、そこらへんなので。
 宇野さんがオタク同士の内輪もめをしているのに、富野監督は「中東の独裁者になるような人間の子どもに自分のアニメを見せれば数百年後に健やかな人類が生まれるのではないか」という謎の長期戦だし、射程が広く長い。
 ワールドトリガーで例えると、内蔵トリオン量の違いというか、器の大きさの違いというか。まあ、宇野さんはこれから批評会で名前を売っていきたいアラフォーで、富野監督は70代なので視点の違いと積み重ね量はありますね。というか、富野監督は「ぼくは勉強ができない」とか言うくせにめちゃくちゃたくさん本を読んでるのでビビる。(まあ、富野監督が劣等感を抱いて比べる対象が手塚治虫先生とか高畑勲監督宮﨑駿監督とかのレジェンド級に頭がいい人なので)宇野さんはほとんど印象論で話を進めようとしてるのに、富野監督は読んだ本とか実経験に即して話すので、言葉の強度も違いますね。
 また、宇野さんは「アニメは終わった」と言いたがるが、富野監督は逆に「アニメの性能って素晴らしい」と言ってるので逆。批評家として世間的にアニメが終わったという宇野さんと、実際に製作者としてアニメを作って性能論を語る演出家との違い。


 そういうわけで、富野監督と宇野さんを比べてみた時、やはり僕は僕の意見としては実際に修羅場をくぐって実際に物を作る人のほうが強いと思った。(まあ、僕が批評の批評をするような卑怯者だという劣等感はある)なので、あんまり自分の意見や印象に固執しないで、色んな本を読んだりいろんなものを見ていこう、というラストのベルリや少年グリグリ眼鏡な気持ちで行こうと思いました。おしまい。

  • おしまい

 この対談記事も3年前だし「君の名は。」「この世界の片隅に」「シン・ゴジラ」「ラ・ラ・ランド」「新幹線変形ロボ シンカリオン」のヒットでかなり富野監督の意見も変わってそうだし、ころころ意見が変わる監督に付き合わされるスタジオの人も大変だと思うけど、お給料分は作画を頑張って欲しい・・・。シティーハンターは僕の中では香の兄が死んだところできれいに終わっているので、せいぜいサンライズにお金を落としてあげてほしい・・・。でもオタクなので復活のルルーシュは見たいけど映画館でインフルエンザをもらうのはいやだなー。
 ネトフリやアマプラに入るのがめんどくさいのでデビルマンもケムリクサも見れてないんじゃよなー。
 でもコードギアスの解説を宇野さんにしてもらうなさけないサロン会員よりは幸せなアニメ体験をするためにアイドルマスターをすこっていきます!よ!(ギアス狩りとはなんだったのだろう・・・)
www.nicovideo.jp


おしまい


 よしっ。一晩で記事を書いて宇野さんへの執着を捨てたぞう。これでさっぱりと寝よう。
最新の富野・宇野はこちら!宇野さんが印税のために一生懸命書いた「母性のディストピア」の発売記念イベントです

note.mu
登壇者
國分功一郎(哲学者)
福嶋亮太(文芸評論家)
富野由悠季
宇野常寛(評論家)


富野 自己紹介はいやだ。私は今レトリックで片付けようとする人たちの中にいる。この本は厚いけど、半分で済む本。こういう場所に出てくるのは年寄りの任務。この本で袋叩きになっているが、情けないなあと思っている。アニメは哲学の対象になんてならない!言論で商売するのは大変だなあと思う。




 余談だが、富野監督が宇野さんとの対談で源氏物語を持ち出したのは、出崎統監督の準遺作、源氏物語千年紀Genjiを意識してのことだろうか?あれも貴種流離譚でアニメ版のGenjiは光源氏が近親相姦したがったり、女に雑な態度を取って一人になって旅に出るところで終わるので、ベルリがアイーダさんとくっつけずに、かといってノレドに対しても雑に振る舞ってしまい、旅に出て終わるのは出崎統監督の影響?
源氏物語千年紀 Genji 【初回限定生産版】 第四巻 [DVD]
Blu-ray出してほしい)
 でも出崎統監督は富野監督が葬式で言ってたけど、天才なので真似ようとしてもできないよな。Genji、出崎統作品の中でも実はおにいさまへ・・・と同じくらい好き。でも最高なのはあしたのジョー2ですかねえ。ていうかGレコでペースをグチャグチャに乱されたけど、本来は白鯨伝説の感想も書きたかったんですけど。まあ、怠惰なので12時間寝ますけど・・・。



-ほしい物リスト
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nuryouguda.hatenablog.com
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