昨今、Gのレコンギスタは劇場版を空前絶後の5部作に富野監督がまとめているし、先日フランスはパリのJapanExpoでGレコの劇場版第一作「行け!コア・ファイター」が公開された。
それに合わせて、ガンダム40周年記念サイトでもGのレコンギスタの劇場版の動画を含む記念動画が配信されている。(ユーチューブでも見れる)
gundam40th.net
作画がめちゃくちゃキレイになっていて、音響も新しくなっていて、いいことなのだが。そして本来僕はGレコの分析かキンプリの感想を書くべきなのだが、思いついてしまったので書いてしまう。悪い癖なんだけどね。悪い癖なので2万文字も不毛な妄想が続きます。
- サンライズの問題
しかし、サンライズは全力を上げて富野監督のこの五年越しの(TV版の企画段階から考えたら12年以上・・・)大事業に力を入れていない。
福井晴敏のラインのムーンガンダムやナラティブやユニコーン2や、鉄血のオルフェンズの外伝とか、富野監督が小説を書いたのに別の人が作るアニメ版「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」や、安彦良和先生が書いた機動戦士ガンダム THE ORIGINの再編集やSDガンダムワールド 三国創傑伝や、ガンダムビルドダイバーズRe:RISEなどの富野監督じゃないガンダム作品の製造ラインを5個も6個も進めている。
僕は富野ファンだし、ザンボット3で富野監督を中心に据えてオリジナルロボットアニメを作っていこうとしたサンライズの発足当初のことも伝聞で知っているので、富野監督を大事にしてほしい。
また、富野贔屓なしでもサンライズが同時にガンダムを、それぞれ対象年齢が違うにしても作りまくるのは会社の体力的に不安感を感じる。
また、サンライズはガンダムだけでなく、アイカツ!やラブライブ!のシリーズ物をやっているし、大友克洋監督による新作SF長編アニメ映画「ORBITAL ERA」と大友克洋先生の原作版に準拠した「AKIRA」を作るそうだ。こないだまではコードギアス復活のルルーシュの映画とシティーハンターの映画を作っていた。TVシリーズは昨年の異世界居酒屋とDOUBLE DECKER! ダグ&キリルのあと、今年は発表していないようだが。
オーバーキャパシティでは?Gレコの劇場版の作業が5年もかかっているのはアニメーターが他の作品に取られて、手が空いているときしかGレコの作業ができない、という話も聞いている。また、ナラティブの作画も一部荒れていたそうだ。
なので、畢竟予算や戦力が分散されるし、僕のような富野由悠季ファンとしては富野監督が5部作というガンダム史上最大の作戦に挑んでいるのに冷遇されていると感じてしまう。
実際、Gのレコンギスタは健全な内容なのに深夜放送で、ハードな内容だった鉄血のオルフェンズが夕方に放送された。そしてその放送枠は消滅した。
- バンダイの問題
で、サンライズも一杯一杯なのだが、その90年台からの親会社であるバンダイナムコホールディングス業界を見てみると、やはりガンダムのアニメはガンプラを売るための装置として経営者に見られているように感じる。ガンダムユニコーンやビルドファイターズに旧作ガンダムのモビルスーツが登場するのも、金型を流用したガンプラを売って儲けたいというバンダイの方針を感じる。それとガンダムトライエイジ。
で、バンダイの部署分けでいうと、ソフビ関係がウルトラマンで、変身グッズが仮面ライダーとプリキュアで、合金合体玩具がスーパー戦隊で、フィギュアがアイカツ!やラブライブ!、アイマス(ランティスによる音楽もココらへん)で、プラモデルやコレクションアイテムがガンダムやヤマトということになるのだろう。ゲームはどれに対しても出しているようだが。(僕はコンパチヒーロー世代)
どうもバンダイの方針としてガンダムはホビー事業部のプロジェクトという縦割り組織に組み込まれているようだ。例えば、戦隊モノと利益が競合する超合金のガンダムグッズはほぼ出ない。GUNDAM FIX FIGURATION METAL COMPOSITEというのはあるらしいが。
なので、企業で楽をすることを考えると過去の作品のノスタルジーを煽る商材が重視される。具体的に言えば宇宙世紀のジオン軍や閃光のハサウェイ。
宇宙世紀を題材にしたガンダム作品の振り返りと、そのシリーズの拡大を目指す「UC NexT 0100」 PROJECTそしてその第二弾として『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』が発表となり、盛り上がりを見せる 宇宙世紀シリーズ! ガンプラからもその展開に合わせ、宇宙世紀を彩る様々な機体をキット化! 作品の展開と共にガンプラでも宇宙世紀シリーズを楽しもう!
https://bandai-hobby.net/site/UC_NexT0100_PROJECT/
僕らのようなSDガンダム世代も40代に近づいて、SDガンダムを豪華にしたフィギュアが出てきたし、今年は閃光のハサウェイとF90シリーズが再開発されるようだ。小説版機動戦士Vガンダムに出たセカンドVのプラモデルも出る。
バンダイによる宇宙世紀年表に福井晴敏の二次創作ガンダムのユニコーンの設定が紛れ込んでいるのは、F91の頃からリアルタイムしてきた富野監督のファンとしては度し難いのだが、バンダイは営利企業なのでそういう作家性よりも売上が重要視される。ガンダムユニコーン関連の商品を売るために箔付けとして宇宙世紀年表に組み込む。権威付けでしょ?
(0080,0083、08小隊もそうなんだけど、アニメになったらもう富野関係なく宇宙世紀年表に入る。クロスボーン・ガンダムはボーダーライン)
と、なればGレコのような宇宙世紀の中からはみ出しているよくわからないものはプラモデル商戦から外される。僕としては1/100のG-セルフくらいは出してほしいし、GレコのMSはデザインもイケていると思うのだが。(Gレコで抜擢された形部一平氏が鉄血のオルフェンズやムーンガンダムなど、ガンダムの仕事をたくさんしているしキット化もされていることを思えば、実績はある)
ただ、今年に入って、今まで商品展開としては割りと冷遇されていた∀ガンダム(もちろん、MGの∀ガンダムとターンXは名作ですが)がシド・ミード展などで再評価されたこともあり、時間を重ねればその時若かったファンが企画権を持ったり、購買力を持って商売につながるということはある。
- ガンプラ世代の問題
- マツコ・デラックスの良くないところ
ファーストガンダムブーム世代過ぎて最初のガンダムしか見てないだろ!今やってるORIGINとごっちゃにするのがよくない。Gレコをリアタイしてないのがよくない。全人類見るべき!
まーなー。マツコ・デラックスもなー、仕事してるしなー。やっぱアニメ見る隙がないのかなー
トーク番組としての雰囲気は良好だったし、富野監督も楽しそうにしていたし、サンライズの若手プロデューサーを叱咤することも出来てよかったのだが。
マツコ、あの年になってトリプルドムのプラモデルを買って人に作ってもらっているのか。まあ、忙しいだろうし人に作ってもらうのはまだいい・・・。だが、やっぱりファーストガンダムなんですよね。富野監督はそれ以降も色んな作品を作っているし現在も作っているのに、マツコさんのような人口の多いポスト団塊の世代や新人類世代のガンダム世代からすると「楽しかったガンダム・ガンプラブームを作ってくれた人」で、富野監督が止まっているのだ。可哀想!
富野監督はマツコ・デラックスに対して「スタジオで作業をしていたのだから、そういうファンの声は知らなかった。今回マツコさんに褒めてもらって嬉しかった」と言ったものだが、嘘である。ガンプラブームをニュースなりファンレターで知らないわけではないのだ。なにしろアニメ新世紀宣言みたいなイベントをやってのけた当事者なのである。ガンプラ好きでサンライズに入ってきたようなメカデザイナーとも仕事をしていた時期もある。同人作家だったカトキハジメさんのガンダムセンチネルを経てのVガンダムとか。
だから、マツコ・デラックスとのトークは番組としては面白かったのだが、富野監督にはかなりの演技と韜晦があって、本心と額面通り受け止められない。
なぜ演技をしたのかは分からないがテレビ的にマツコを立てたほうがおいしいと思ったのか、マツコがガンプラブーム以降の自分の仕事を知らないようなので、自分もマツコのことを知らないふりをしたのかもしれない。
富野由悠季の世界展を見に行く予習としてグレートメカニックGという雑誌を購入したのだが。今日買ったので、富野監督のインタビューとシーラカンス風間さんのコラムしか読んでいないのだが。
富野特集の他にエルドランシリーズ特集や藤津亮太さんの「僕達の好きなアニメの戦争」コラムの「イデオン」、「ダグラム」についてのコラムがあった。
読んでないのにこういうことを言うのは悪いのだが、20年前に通り過ぎた「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」じゃん。
まあ、エルドランシリーズはおもちゃの新発売の宣伝という側面もあるし、藤津亮太さんやシーラカンス風間さんのコラムも富野由悠季とその作品特集「僕たちにとってトミノ作品はどのような意味があったのか!?」も歴史的資料をちょいちょいと定期的に雑誌媒体で今の若者に伝えるという意味もあるのだが、どうもオトナ帝国の臭いがする。
で、グレートメカニックGの最後のページの広告が「硬貨を入れると昭和名曲が流れる赤電話のおもちゃ貯金箱4860円」なのだ。昭和を懐かしむオトナ帝国じゃん・・・。
最新アニメの新幹線変形ロボ シンカリオンや荒野のコトブキ飛行隊の特集は悪くはないのだが、鉄とレシプロ戦闘機のプラモデルとか模型ってまさに手垢がつきまくったオタクのノスタルジーの象徴でもあるんですよね。シンカリオンは大人もこどもと一緒に戦って楽しめるアニメだったわけで、それはそれで意義はあるのだが。オトナ帝国の匂いもなきにしもあらず。
また、富野監督のインタビューであったJAXAの職員がオリンピックの応援のために人工衛星からガンプラを宇宙空間に披露する計画をするという話題。
www.jaxa.jp
富野監督のインタビューではガンプラという玩具を宇宙線に耐えさせる素材にするための研究などについて、富野監督は好意的に語っていたのだが。
JAXAの宇宙飛行士の人や室伏広治選手までが「子供の頃にガンダムを見ていて好きだったので仕事でやれて楽しい」というのも、オトナ帝国の匂いがする。もちろん、宇宙開発という実務の現場でガンプラをいじってお祭り気分をするというのがレクリエーションになるという富野監督の言うことも正しいのだろう。
ただ、やっぱり「ファーストガンダムのヒットがでかすぎて他の富野作品、今まさに生まれ出ようとしているGレコの扱いが軽くなっているのでは」ということをオタクとしては思ってしまう。
結局ガンプラ世代はガンプラブームという世間に認知された大ブームの当事者であった子供時代の自己肯定感が忘れられず、その追体験を大人になってもやってるんじゃないの?
それと、僕みたいなSDガンダム世代も子供の頃に買えなかった怨念返しをリニューアルされたエルドランや勇者シリーズのフィギュアを買いまくることで晴らそうとしていて、未来を向けていないのではないのかという。
しかし、第一次アニメブーム世代が還暦を迎えようとする中、喜寿を通り越した富野由悠季監督は未来に向けてGのレコンギスタを作っている。
パリのJapanExpoの会場でフランス人のファンに対しても、
https://twitter.com/hugues90/status/1147436192054566912
日本では深夜にしか公開されず、公開した気がしない一部の若い層からの支持を得て新たに完成させたい
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、あなた方に向けて作っていない、大人に楽しんで貰おうと思っていない、皆様のお子さんたちに観てもらいたい
と、日本で言っていたようなことを言ってしまう。一貫しているとは言うものの、子供時代のガンダムへのあこがれを持ち続けて日本から来たオタクイベントに行くようなフランス人には冷水を浴びせるようなものだろう。
実際、20年前の∀ガンダムのとき、永野護ほどの天才をも含むプラモ・ファンが∀ガンダムを糞だと言った事実がある。(永野護がミード・ガンダムを糞だと言ったのはファイブスター物語アウトラインで読める)エッセイのターンエーの癒しに書いてある。
(P43)
またガンダムをやるというのは、会社側や出資者に、それ以外のアイデアがないからだと思われて当然だろう。赤字をださないために制作する作品が、ガンダムしかないという発想では、若者の失望を買うだけである。
ぼくは、作品自体が救済事業になってはならないとおもうから、ぼくなりの指針をしめした『∀』のコンテをきる。が、そんなコンテが四、五本スタジオにおかれるようになっても、スタッフたちの抵抗感はなくならなかった。
それでも、『∀』のスタジオのフィーリングに処女体験の空気がただよい、戸惑いながらもおもしろそうだという空気がかんじられれば、ぼくはこれなら『∀』の人気は早い時期にでるだろうとおもえるようになった。
が、この勘は見事にはずれた。
ガンダムの呪縛は、外にもかかっていたのだ。
なんで、人気が出ないのか? その自問自答に、
「いつものことじゃないですか」
バンダイ・ビジュアルの渡部繁氏がそう言って笑ったのは、1999年の中頃だった。
「あいつらが邪魔しているんだ!」
そういったのは、講談社でムック本を編集してくれている大徳哲雄氏だ。
あいつら、というのは、旧来のガンダム・ファンというよりも、プラモ・ファンのこと。
(中略)
才能---力があれば、オン・エアの時間帯がどうとか、メカ・ファンがいようがいまいが、人気はでるはずなのだ。
それが低迷するというのは、力がない証拠である。
(P44)
ぼくがガンダムのメカ・ファンだったら『∀』は承認しない。そんなことはわかっている。
(中略)
メカ物という方向からでも、『∀』をみてもらって、これだって結構気持ちがいいよ、ぼくだってキエルさんのスカートのなかをみたいとおもっているんだもの、というメッセージを伝えたかった。
そういうプレッシャーが、最後までのしかかっていたのが、『∀ガンダム』だった。
が、それでも、ぼくは、『∀』の志は、オタクになってしまっているような若者たちに一番必要な物語だという確信だけはゆるがなかった。
(P45)
いい作品であればヒットするという原則は、この世界にはないのだが、まったく新しいものにしていかなければ、今後のガンダム・ワールドの展望などは絶対にないという確信も、またゆるぎない。
演出手法も、新しいものをつくるための手習いとして正しかった、絶対に無駄ではない、といいきれる。
が、それにしてもどうしてだ……という状況のなかで『∀』のオン・エアは終了した。
それでも、諸君、ぼくは、
特攻隊の零戦を見送っている娘たちも美しいよ、そういう彼女たちを見守る視点というものも獲得してもらいたいと願ったから、『∀』をこのようにしたのだとわかってほしい。
そういう心をもてば、心は外にむいて、自閉にならないですむから! と……。
1999年2月末日に、キネマ旬報社からぼくの『全仕事』をテーマにしたムック本(ゴミまではいっている本という意味)のゲラ刷りがでていた。
■筆者注 最近復刊された。監督はゴミとか言うものの、インタビューが豊富であり、ガンダム以前に参加した鉄腕アトム以来の作品の演出・絵コンテのデータ集は資料的価値が高い。
そのゲラの一部に、あの大松竹でプロデューサーをやっていて、社内の組織変革によって辞任させられた奥山和由氏との対談がある。
そこで、氏がおっしゃっていたことは、
「キャラクターが確立するとコアのファンに寄りかかり、そのニーズに対応するようになって内容が薄くなる。そのうえで、日本のサラリーマン主義がかさなって、クリエーターに権利も金もわたさずに、『一度お役にたったのだから、もっとお役にたて』とやらされるので、アイデアを持ってきてくれるクリエーターの体力をつけるという発想はどこにもない。だから、ますます中身は薄くなる」
氏の言葉に応じて。ぼくは、
「(そういう)瑣末なところでつくっている状況だから、正攻法が異端となって、有効かもしれない」
といったことを口にしていた。
この”正攻法の作り方”という考え方が、『∀』制作の当初の考え方である。
Gレコでも、また繰り返すのか!20年前の∀ガンダムを!
21世紀初頭に刊行されはじめたガンダムエースは面白い漫画を輩出しもしたが、同時に宇宙世紀に凝り固まるガンダム・ファンという層を醸成した面もある。それが現在のサンライズのGレコ以外のガンダム・ファンに向けた複数の作品制作ラインである。
Gレコに本気で投入するなら、リギルド・センチュリーからみて過去の遺物で黒歴史である宇宙世紀ガンダムに人員を割く判断にはならない。
結局、手がたくバンダイが儲けられるメカ・ファンに向けた商品展開でリスクヘッジをしているつもりの経営判断だろうとおもう。
- こどもの問題
別に上記に記したことは単なる事実や書籍の引用であり、特に今いう必要があることではないのだが、Gのレコンギスタの劇場版の公開と同時期に出た富野監督のとあるインタビューを読んで「この問題は難しいぞ」と思ってしまったことが、これを書いている理由なのである。
現代、マンガやアニメをエンタメやキャラ萌え、コスプレといったわかりやすい部分に落とし込んで済ませている官公庁の大人たちには、違和感を覚えています。
今後の課題は「現実がマンガ・アニメ以下にならないようにする」ために、「作品に子ども心を揺さぶるモチベーションを封じ込めて、みんなで共有できる広場を作っていく」ことだとぼくは思っています。
(中略)
大人主導のリーダーシップでは、マンガやアニメが持っている力は削がれてしまい、現実の世界にマンガ・アニメ以下のものを持ち込むということが起こってしまいます。だからこそ、子ども心こそが原点であるということは、絶対に忘れないでほしいのです。
長年にわたって人気を博しているタイトルを見てください。そこにはただのエンタメではない、子ども心を揺さぶる力があります。マンガやアニメが素晴らしい媒体なのは、表現がわかりやすく、子どもにも読み解きやすいからです。幼い頃に出会ったもの、刺激を受けたものは、人生に決定的な影響を与え続け、死ぬまで忘れることはありません。なぜかと言えば、そこでは一般社会が言うところの力の真理、権利の真理、美学の真理が語られているからです。
たとえば一見チャチに聞こえる「百万馬力」という表現がありますが、これは子どもの夢や理想を語った言葉です。そしてその夢や理想を実現するのが、大人の役目なのです。
大人になってしまった人たちは、自分が子どもの頃に夢見ていたことは何なのかを思い出すために、マンガやアニメを見直していただきたい。子ども心に触れることによって、ワールドワイドになっていくマンガやアニメを、より優れた媒体にするための道筋を作れると信じています。そのような意識を持つことが、マンガやアニメの先進地帯である豊島が発進するべきメッセージではないかと思います。
(中略)
だからお話しした通り、「子ども心」とはそういうものに影響されていない心のことなんですよ。子ども心が持っている夢や希望やロマンというのは、とんでもないものなんです。そのとんでもないところに根ざしていくということを、われわれはもう少し意識していかなければいけないのではないかと思います。
こういう話は小中学生にこそ聞かせたいですね。今は訳がわからなくていいんです。「あのジジイ、変なことを言ってたよね」ということを記憶してくれればありがたいなと思います。世の中には雑多なことを考えている人がいっぱいて、そこから出てくるものが一番力を持っている。だからそういうところから生まれた発想こそが、30年後、50年後に表に出てくるんです。
富野監督は「子ども心」を持った小中学生にGレコを見せて夢や希望やロマンを喚起したい。
ぼくは富野作品のオタクなので、Gレコをヒットさせたいのだが、反出生主義なので子どもがおらず、小中学生にGレコを見せる手立てがない。(このブログを小中学生が読んでいるとは思いにくい)
そして、だ。富野監督が語ったように、
長年にわたって人気を博しているタイトルを見てください。そこにはただのエンタメではない、子ども心を揺さぶる力があります。マンガやアニメが素晴らしい媒体なのは、表現がわかりやすく、子どもにも読み解きやすいからです。幼い頃に出会ったもの、刺激を受けたものは、人生に決定的な影響を与え続け、死ぬまで忘れることはありません。なぜかと言えば、そこでは一般社会が言うところの力の真理、権利の真理、美学の真理が語られているからです。
それって、ガンダムのことですよね?
つまり、Gのレコンギスタは脱ガンダムをするにはしたのだが、やはりガンダムだしロボット戦闘エンターテインメントだ。
そして、そのジャンルでは「機動戦士ガンダム」が、すでに「子ども心を揺さぶる作品」として君臨している。それで幼いころにガンダムに出会ってガンダムのファンになった60代から30代の大人にとっては、「宇宙世紀の機動戦士ガンダムこそが」「人生に決定的な影響を与え続けるもの」になっている。
つまり、つくり手が富野由悠季かそうじゃないかなどは殆どの人は問題にはせず、ブランド、そして幼少期の思い出としてのノスタルジーとしての「機動戦士ガンダム」に金を払い、富野由悠季が作ったにも関わらず「宇宙世紀ガンダムっぽくないGのレコンギスタ」には金を払わない。つまり、売れない。売れないと会社組織のバンダイナムコホールディングスが判断すると、Gレコの宣伝も作画予算もしょぼくなり、Gレコの公式ツイッターは企業の顔色をうかがってツイートしなくなり、なかなか作業が進まなくなる。
そして作品というかキャラクターブランドとなってしまったガンダムは作り手の思想を離れて記号として延々とリバイバルされ続け集金装置となりはてる。そして巨大化した企業組織はメッセージや物語を伝えることよりも自己保身のために過去の遺物のノスタルジーを利用して劣化コピー商品を売り続ける。
こういう論理が成り立ってしまう。
結局、子どもの頃に出会った快楽の追体験をしたいだけなのがぼくを含めたアニメファンで、そこに新しさなどはないのかもしれない。
富野監督が「子供時代に影響を受けたものは強い」と言ったことがそのまま「だからすでに多くの元・子どもに影響を与えている宇宙世紀ガンダムのほうがGレコよりも売れ筋になる」とイコールになってしまうのだ。少子化も進んでいるし、オトナ帝国的な「アニメと言えば子供の頃に見たようなやつ」という意識でアニメを認識している圧倒的多数の一般の大人にとって、「子供の頃に体験したガンダムブーム」の呪縛はやはり大きく、ルックスだけでGレコよりも宇宙世紀ガンダムを手に取るだろう。
丸亀製麺などでキティちゃんとコラボしているガンダムも、ガソリンスタンドとコラボしているシャアもファーストガンダムの記号であって、最新作のGレコの広報ではない。
新世紀エヴァンゲリオンですら25年前の作品になってしまった。
では、子どもに新しいものとしてGレコを見せよう、というのが富野監督の目論見の一つであろうとおもうのだが。
悲しいことに、子どもは映画館にGレコを見に来てくれるのだろうか?大人ですら新しいものではなく、過去に見た思い出を追っているだけの現状で。
第二次世界大戦中に生まれたキャプテン・アメリカが大活躍するアベンジャーズが興行記録を立て続けて、ディズニーもアニメの実写化やリメイクを繰り返している。ゴジラもリブートばかりだ。トムとジェリーは半永久的に走り続けているし、シンプソン一家は永遠に黄色い。
そして、子どもは保守的だ。大人向けドラマは役者の流行り廃りやトレンドアイテムに合わせて新しく作り直される。時代の流行に合わせて時事問題を取り入れた映画やドラマが作られる。(シャーロック・ホームズですら現代劇になる)(ただ、実写の役者はジャニーズや伝統の仮面ライダー出身俳優、NHKの朝ドラヒロインか秋元康事務所のアイドル、たちの顔がすげ変わるだけかもしれない、という硬直している部分もある)
が、富野監督がよく言うように「アニメは実写にはない記号として時代を超える性能がある」からこそ!「古いアニメである宇宙世紀ガンダム」が同じ土俵で「Gレコ」に立ちふさがってしまう。しかも宇宙世紀ガンダムにはノスタルジーのブーストがかかっている。
サザエさんととちびまる子ちゃん。これらがただ長く続いてるだけで国民的アニメ扱いされているのに反吐が出る。
平成も終わろうとしている時に未だに昭和のノスタルジーを引きずっている老害番組に意味はあるのか?子供に付き合って見ている親でさえ知らないような大昔だぞ。子供は見たがっているのか?面白いと感じるのか?バンダイが公開している子供の好きなキャラクターランキング
https://www.bandai.co.jp/kodomo/search_cara.html
に一度でもこの2作品が入ったことがあるのか?(ちびまる子ちゃんはブーム当時にあったかもしれない)
他の国民的アニメと呼ばれる作品はどうか?
参考:週間高世帯視聴率番組10
・名探偵コナン。グルグル漫画だが昨今ではマンネリを打破すべく新展開を投入しヒット。映画も公開するたび興行収入を更新する異常さ。
・クレヨンしんちゃん。時代設定を明確に現代にすることで設定や小道具も時代を反映にした物になり古さを感じない。サザエさんよりはよっぽど現代の家族像に近い。それでも野原ひろしが35歳にして年収650万の商社係長。専業主婦に子供2人犬1匹を養いながらマイホームマイカーを持つ野原一家は十分に勝ち組と言えそうだが…。
・ドラえもん。2005年の全面リニューアルは当初こそ否が多かったように思うが今では十分に浸透し、好きなキャラクターランキングでも上位常連。現代の科学力がひみつ道具を凌駕しない限り子供達に夢を与え続ける意義のある番組だろう。
・アンパンマン。圧倒的子供人気を放送当初からずっと維持し続けている化物。アンパンマンが嫌いな子供なんていません!世の親御さんにとっても頼りになる味方。
その他ワンピース、ポケモン、プリキュア。戦隊ライダーガンダムもかな?マンネリ化しないよう変化を入れながら継続し続けている。挑戦の結果浮き沈みはするけど何もせず飽きられて終わっていくよりマシだ。
関わっているクリエイターは凄いと思うし尊敬している。
サザエさんとちびまる子ちゃんじゃなくても、上記に上げられている子どもが好きなものは20年、30年以上のキャリアを持つ。(プリキュアは15周年だが、セーラームーンからの流れはキューティーハニーを挟んで続いているとも言える)子どもは保守的だ。というか、親が保守的なのだろうか?
未就学児童くらいの子どもが能動的に見たことのないアニメを見ようとする、ということはよっぽどオタクの素養がある子どもでない限りありえない。
だいたいの子どもは親に与えられたアニメ、子供同士のコミュニティで見ることを許されたアニメ、実績の保証されたアニメを見て育つ。
では、2016年に大ヒットした「君の名は。」は新しいのではないか?という仮説も立てられるが、それも違う。
あれは、背景美術と作画が、当時、解散状態にあったスタジオジブリのスタッフによって「見たことのある安心感のある名作っぽい雰囲気」に仕立てられたのでヒットしたのである。あと人気バンドの話題性と中高生をドキドキさせつつ適度に安心感を保証する地点に着地させるライトノベル的なシナリオ。
(有名俳優を声優に起用したことによる、一般層でも見ても恥ずかしくないアニメという雰囲気作り。特にキャラクターの年齢に合わせて中高生から大学生、新卒サラリーマンも見ても恥ずかしくないという構成。)
細田守の時をかける少女、サマー・ウォーズもそうだろう。
ではその大本のジブリはいいのかというと、ジブリも「和製ディズニー」を志向していただろうし、実際にスタジオジブリはディズニーと資本提携をしている。
つまり戦前のディズニーのノスタルジーを追っているわけで、そしてディズニーやジブリの題材を考えてみれば元は児童文学やグリム童話など、もっと古いもの、赤ちゃんの頃に読み聞かせてもらったおとぎ話のノスタルジーに向かっているのである。
地上波のテレビ番組は子どもを含めた家族で見るという前提があるからか、クイズ番組も小学生レベルだし、小学生でもわかるスポーツやお笑いや人間関係をおちょくるバラエティが多い。一部のeテレの教養番組など以外はほとんど子どもでもわかるレベルであり、逆説的に大人も子どもレベルのものを見る一億総白痴になっている。それ以外のハイターゲットの番組はやはり「懐かしの昭和歌謡」や「昔のスポーツ選手や芸能人のあの人は今」みたいなオトナ帝国だ。それか金の話。
これでは人間に進歩を促すなど絶望的だ!
富野監督はよくご高説をおっしゃるが、この閉塞したアニメ業界、というか「子ども心に行動を支配されすぎる人間の習性」に支配された人間社会でなあ、「未来という閃光があるつかめプライド つかめサクセス元気のGは 始まりのG」という風に能動的に未来的なGレコがヒットできるのか????
という風に困ってしまう。
何しろ、グレートメカニックGの富野特集の末尾が特徴的なのである。
(P31)
さて現在、富野監督の作品をどう見るべきだろうか?
現在の富野監督の作品は、かつてのように少年向けと言い切れないし、実際に視聴している層の中心は、かつて富野監督の作品を見て少年時代を過ごした30代後半から50代にかけての人々だろう。そして作風としても、かつてのような「過激さ」は影を潜めた観もある。しかし、それは「歳をとって大人しくなった」というわけではないだろう。
その作品や描く世界は、現在でもなお学習し続け、世の中を見つめ続けた成果がアウトプットされている。そういった意味で富野監督は、齢80に近づいた今でもクリエイターであり、またプロの職人でもあり続け、僕たちに多様性というものを提示し続けてくれているのだと思う。
富野ファンは少年時代に見た富野作品のノスタルジーを追いかけ、しかし、富野由悠季本人は学習し続け進化し続け、未来に進み続けている。
富野ファンは富野監督と生き方が逆なのではないのか?
だから、こういうことも起きる。
岡田斗司夫
┃“富野の味”を守るのは君たちだ!
ところで、「Gレコはわけわからん」って俺が言ったら、「それが“富野の味”だろ!?」って言われたんだけど。富野さんの味というのは「いろんな設定やアイディアを盛り込み過ぎて最後がガタガタになる」ことであって、そこまで“味”と言っちゃいけないよ!
そんなガタガタの状況でも最後はピシっとキマるところがあるんだ。ターンAはピシっとキマったんだよ。聖戦士ダンバインも、最後ワッタワタになりながらもラストのナレーションでキマった。『機動戦士ガンダム』も、アムロが最後に乗り捨てて宇宙に消えていくコアファイターのコクピットから漏れ出た光が十字架に見える、というラストカットで「おお! すべてが繋がった!」っていう快感があるわけだよね。
つまり「最後、ガタガタになりながらも、ひとつの世界が見える」という。これが富野さんの味であって、第一話からわけわかんないのは味じゃないよ(笑)
そこまで味だと認めてはいけない! それはね、寿司屋のオヤジをダメにしたり、ラーメン屋のオヤジをダメにする方法であって。僕らは“善き客”として、良い物は「良い!」とすごく言うし、ダメなものは「ダメ!」とちゃんと言わなきゃいけないと思うよ。
で、あと、僕がこんだけ言って、もし富野さんがメゲてしまったら。
そりゃもう、レコンギスタファンの皆さんは、「岡田斗司夫は“老害”です! あんなヤツの言うことはどうでもいいんです! 富野さんには俺達が付いていますから!」って言って支えて欲しいんだけど。……「俺を老害って言うんだったら、富野さんはどうなるんだ?」とは思うんだけどさ(笑)
Gレコ、俺は相変わらず1話2話しか見てないんだけども。でも、なんか富野さんの“悪い癖”が出てると思ったので、「どうかにゃあ?」と思ってます。
この動画の全長版はクラウドシティと岡田斗司夫のひとり漫画夜話 「グラゼニ」10月26日号で絶賛公開中
ライター:矢村秋歩(FREEex)
岡田斗司夫さんのこの論は、「Gレコは最初からわけわからないので1,2話しか見ていない」のに、「過去の富野作品は最後に辻褄が合うので良い」と矛盾したことを言っているのでおかしい。Gレコは最後、修羅を経てからの登山の禊でまとまったよ。
ただ、確かにGレコに「ダメ!」って言いたい部分はあって、それは作品そのものよりも「Gレコのオンエア前に主人公の血縁関係とか、目的地とかをガンダム展やアニメ雑誌で得意げにネタバレをしやがって、グルーブ感を返せよ!」というお気持ち。
また、富野ファンのオタクの駄目な部分もあって、それも「∀の癒やし」で追求されている。
(225P)
つまり、ぼくがやろうとしていることがわかっているスタッフがあつまったときのスタジオの仕事は、アニメ雑誌の編集者からよいしょしてもらえるわかりやすさはあったのだが、その理解は、アニメとして、トミノ作品としてわかる、というせまい了解でなりたっていた。
だから、一般的にいう人気は獲得できなかった。外に出られなかったのだ。
それらの作品が「ザブングル」「ダンバイン」「エルガイム」「Zガンダム」で、「ガンダムZZ」は論外である。
この問題は、いま、この原稿をかいていてようやく気づいた。
せまい了解のうえになりたっている作品の意味性は深刻だ、ということである。オタクを誘導する作品でしかなかった、ということもできる。
当時はこう思いつくことはなかった。いい仕事をしていると錯覚して、明確な取り巻きがちかくにいたからなおのことである。
ここでいう取り巻きというのは、スタジオのスタッフではなく、アニメ関連の業務についているスタッフや仕事師のことで、マーケットとの仲介者たちではあるのだが、そのマーケットはそもそも極微的なものなのである。
しかし、それでもお金を出すのはそういうひとたちで、ふつうのひとたちではない。これがジレンマになって、仕事をせまくしていく。
ただ、ぼくがこうして5年もかけてベルリが人をぶち殺してきた経験のお気持ちの分析をする程度には、ネタバレにならない部分での「殺人者の心の動きの表現」とか、あとぼくは怠惰なので読んでないけど富野監督が読んできた難しい本から翻案した世界観とか、面白さはあった。
うん。ぼくは富野監督の信者だからというだけでなく、普通にGのレコンギスタを何度も見ても面白いと思っているし、執着している。
何しろオンエア当時の僕の気持ちとしては「毎週長文でGレコの感想を書いているけど、来週、もしつまらなくって書く意欲がなくなったら、富野監督のファンを辞めるしかない」という不安であった。しかし、ぼくの個人的な気持ちだが、Gレコは最後まで面白かったです。富野ファンを辞めずに済んで、とてもよかったです。それはゆずれない。
(だが、それも俺がオタクなだけで、一般的な人気ではないのか?)
だが、岡田斗司夫さんのようなとても詳しいオタクであっても、過去の富野作品に詳しくて執着しているほど、未来に進もうとする富野監督と逆行して乖離する力場は働いてしまうし、脱落する人は出るだろう。
(そもそも危機の二十年とかハンナ・アーレントの思想をアニメにぶち込もうという富野監督の高邁な試みがおかしいし、Gレコを全部見たぼくはハンナ・アーレントは映画で済ませて本は買ったけど読んでないけど、Gレコのどこに全体主義があるのか、未だに明確にはよくわかっていない)
安彦良和先生ほどの人でも「機動戦士ガンダムのときの富野さんが絶頂期だった」と言って、過去に執着して、「ORIGINを描きながらあの時の富野さんならどう描いただろう」と思いつつ、逆襲のシャアを見てないのにララァがお母さんというのをORIGINにぶちこんでしまう。
そういう脱落した富野ファン、ガンダムファンの受け皿としてORIGINとかイデオン風味の福井晴敏ガンダムとか、ガンダムキャラをハッピーエンドに変えたビルド時空とか、水島精二監督、長井龍雪監督、岡田麿里さんたちの記号だけ借りたアナザーガンダムとか、富野原作だけど富野監督が関わっていない閃光のハサウェイとか・・・。ガンダム以外にも富野作品に影響を受けた大人気コンテンツのシン:ヱヴァンゲリヲンとか幾原アニメや菱田正和アニメがあるんだと思う。(これは失礼な言い方なのだが)
で、そういう安定感のある作品に人気が集まって、ハイエンドなGレコはやっぱり売れないのかもしれない・・・。
それで、とりあえず飲み会で「ジークジオン!」とか言ってればガンダムファンだー、連邦よりジオンの方がドイツっぽくてカッコイイみたいなおじさんが増えていくの。
あと、頭を使わないで見れる「みるタイツ」「手品先輩」「何でここに先生が」「ダンベル何キロ持てる」みたいなポルノアニメ。
(7/8追記)
いろいろ書いたけど、俺は変態のオタクだから
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) July 7, 2019
みるタイツ
好きだなあ
かろうじて、なろう、ラノベ、少年少女マンガ雑誌のたまに出るヒット作がギリギリ新しさを供給しているのではなかろうか。進撃の巨人とかゴールデンカムイとか、そこら辺。(まあ、それも過去作や文化への取材に基づいていて勉強なさっているのだが)(なろうとか、バイオレンスマンガが果たして新しいのかは議論の余地があるのだが、割愛)
(↑このマンガがすごい!2019)
- ぼくの問題
(この項目はほとんど愚痴なので読まなくてもいいです)
ぼくは子供の頃に読んだコミックボンボンのガンダムやセシリーの尻のイメージに囚われて子供時代を辞められていないだけのオタクなのではないか?そもそも大人になったオタク向けの雑誌のグレートメカニックGで「僕たちの好きな富野作品」「僕たちの好きなエルドランシリーズ」「僕たちの好きな電車や戦車や飛行機」という言葉遣いがなされる幼稚性という問題もないか?
と、思うのだが、ぼくだって六本木ヒルズで過労になって脳に不可逆的な障害をくらってしまって社会に適応できないという情けなさがある。その情けなさとか、満たされなかった、と言うかむしろ虐待されていたし親が自殺に追い込まれるような家庭環境での子供時代の怨念を30代後半の精神障害者保健福祉手帳持ちになった今でもアニメにぶつけてオタクをやっているのではないか?幼児の頃に見た宇宙船サジタリウスとかのロマンを富野作品にノスタルジックに見出しているるだけかもしれない。
俺は気持ち悪いオタクの病人ですね!
本当はアニメなんか見向きもしないで仕事をして金儲けをするのが、そして実質的な仕事について子どもに誇れる夢や希望やロマンを実現するような男の仕事をするべきなのかもしれない。だが、俺にはこういうアニメでダラダラ楽しんで余生を過ごしたいと思う程度の生き方しかできない・・・。だから富野監督はぼくのようなクズは嫌いなんだと思う。ごめん・・・。ごめんなさい・・・。
あとは、少しでも本を読んで勉強でもすべきなのだが、ついついゲームしたりGレコの重箱の隅をつつくような分析執筆作業をして時間をすっ飛ばしてしまう・・・。
そして、富野監督のグレートメカニックGのインタビューで「昔の維新志士はソシャゲをしなかったのでたくさん考える時間があったので革新論ができた」って説教されてしまう・・・。ネトゲ廃人を主人公にしたオーバーマン・キングゲイナーを作った富野監督なのに・・・。(維新志士がインテリというのはトミノ世代の司馬史観じゃね?と思わないでもないが・・・)
ごめんなさい・・・。アイマスのソシャゲ4つもやってて、グラブルとFGOでも理想編成強化周回ばかりして全然シナリオ進めてなくてすみません・・・。(というかソシャゲ7本は自分でもダメだと思うんだけど…。アイマス好きだし・・・うう・・・結局どれも中途半端)
でもソシャゲは僕みたいな社会不適合者がネットでTwitterの薄いつながりの友人かどうか怪しい人たちや疎遠な親戚と共通の話題を持てるものでもあるんです・・・。あと、読書も大事だけど、軽薄な流行にアンテナを立てておくのもオタクとしてのエクササイズだと思うんですが・・・大槻唯ちゃんや殺生院キアラさんなどの男をダメにするソシャゲの女性に40万円もリボ払いしてすみません・・・。先日完済しましたけど・・・。仕事が決まらないので富野由悠季の世界展の図録はまたリボ払いにしました・・・。貯金と広告収入でギリギリのライン・・・。
オタクとしてアンテナを張っておくと進撃の巨人が壁の外に出て急展開したり、アニメ化が終わったわたモテが急展開したり、ということを知れたりもするわけで。
いや、本当はメッチャ難しい本の読書して英語とプログラム言語をマスターしてハイソサエティーな仕事に邁進してハイクラスのインテリコミュニティに属するべきかもしれないんですが・・・。うう・・・。やっぱりメンタルヘルスが学生時代でガタついて、就職に失敗して完璧に折れたダメなオタクは富野監督から見てもダメだと思う・・・。Gレコのわかりにくいと言われるところの解説を映画の完結までに終わらせたら、無能なるコスモ貴族主義者の宿命として断頭台の露に消えます・・・。
- 富野監督の問題
じゃあ、富野監督は非常に勉強なされて未来をきちんと洞察なされている偉い人なのか?というと、そういう部分もあるしそうでない部分もあると思う。
それがグレートメカニックGの富野由悠季の世界展についての部分。
ただあえて言うと、富野由悠季が作家だと認知された時に、展覧会のポスターで展示のすべてが終わっているんです。僕は幼稚園時代から宇宙とか宇宙旅行とかに抵抗感がまったくありませんでした。そんな僕が中学の時に描いたものが、今回の展覧会のポスターなどに掲載されている宇宙船と宇宙服の絵です。こうした子供時代があったことで、後にアニメの世界に入った時に『ガンダム』を作り、それ以降もなんとか生き延びられたということが、ポスターの1枚の中に入っています。ある意味、これで完結しているんです。
だから、作品の成り立ちを展示する今回の展覧会だけでなく、作品から派生した今回のガンダム衛星なども含めて『富野由悠季の世界』展であると考えてみると、いろいろと見えてくるものがあると思います。
https://www.tomino-exhibition.com/
なんだい!富野監督も子ども時代のノスタルジーに縛られているのではないか!
とも思えるし、派生したものを含めていろいろと見えてくるものが何なのか、という風にも思える。
うーん。富野監督はどこへ向かっているのか。
(米 7/8追記)
富野監督が気づかない、Gレコが売れずジオンが売れる驚きの理由! - 玖足手帖-https://t.co/xTCJCNJlNe
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2019年7月7日
「富野監督が気づかない」と書いたのは「富野監督もガンダム世代と同じく”子ども時代の影響に囚われている”」という意味です。
子供の頃の環境から自由になるのは難しいことなのかな。大人とは
それでも僕は自由意思を信じたい pic.twitter.com/GVohcgxadz
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) July 7, 2019
- 結論
まあ、ガンダム Gのレコンギスタの劇場版はこういうふうに色々と環境的にも、子ども時代に縛られる人間の本能としても、逆風のなかで作られているわけですが。
僕の気持ちとしてはヒットしてほしいし、第五部まで潤沢でカッコイイ作画で楽しませてほしい。
そして、お子さんがいらっしゃるリア充の富野ファンの御歴歴には嫉妬もあるけど、GレコのTV版の時に生まれた子も5歳になるわけですし、お子さんを連れて劇場に足を運んでいただきたく思います。売れないと続きがなくなるので・・・。
お子さんがいらっしゃらなくても富野オタクは劇場周回しろ!俺もするから!!!!口コミ映画レビューサイトに高評価を書き込もう!
僕もTV版の解説を早めに終えて、劇場版についても、なるべくわかりにくいシーンの解説するブログを無責任に、しかし異常に執着して細かく書いて皆さんの疑問を晴らしてわかりやすくして行きたいのですが・・・。がんばりますが・・・。
富野監督が参考にしたという方法序説などの課題図書を読めてませんでした・・・。(本棚に積んではある。やっとアリストテレスの初級本を読んだ)映画が完結するまでにはなんとか1,2冊くらいは読めるように頑張ります・・・。
Gレコは売れないっていう記事タイトルでしたが、普通に劇場版は大ヒットして富野監督が構想中の次回作につなげてほしいのでファンの人といっしょにがんばっていきたい。
(7/8追記)
だからオトナ帝国になったオタク界の問題を切る!
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) July 7, 2019
とかは本筋じゃなくて、普通に「子ども時代に影響を受けたコンテンツとどう付き合っていくか」という個人的な悩みの発露なんですよ。
あとGレコには売れてほしい。
- 頑張れサンライズ
いろいろバンダイナムコホールディングス内部での政治的な力関係もあるでしょうけど、Gのレコンギスタの広報担当の人には頑張ってほしい。
今の時代はソシャゲがトレンド!#Gレコ も ゼノグラシアの縁で #デレステ や #ミリシタ とコラボするとか!
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2019年7月5日
#スパクロ は #アイマス とコラボできたので Gレコもできるはずでしょ!
Gのレコンギスタを世界的に大ヒットさせてください
ベルリ・ゼナム!!!! pic.twitter.com/GVWDGRrOgI
#アイドルマスター を無理やりロボットアニメのゼノグラシアにした残虐のサンライズなら、#デレステ に #Gレコ の楽曲カバーコラボ企画をねじ込むこともできるはずだ。 pic.twitter.com/VOhk1jP3T2
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2019年7月5日
サンライズはアイドルマスターのキャラにサンライズのロボットアニメの主題歌を歌わせたCDを出した恩があるのだから、 #Gレコ と #デレステ のコラボで恩を返してください!そしてGのレコンギスタを大ヒット映画にしてください! @gundam_reco pic.twitter.com/Q8gqGxoIGR
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2019年7月5日
ガンダムのソシャゲでGレコ劇場版記念ログインボーナスとか、限定レアとか出せるはずだ。
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2019年7月5日
Gレコ本当に宣伝を頑張ってほしい。金をかけなくてもバンダイグループの身内で回すだけでも何かできると思う。
監督はパリまで飛んだんやぞ!!!!
なにしろしょっぱなに海外世界最速上映イベントをやらかしたので、とにかくもう、どれだけ怒られようがメチャクチャ盛り上げて楽しい映像体験を提供してほしいです。
アプリとかで全世界イベントなどをしているシン:ヱヴァンゲリヲンに負けるな!正々堂々ぶつかりあって戦え!
はー、時間を糞みたいに使った割に、特に長々と書いた意味のない結論に達してしまった。オタクってめんどくさいね。
キンプリスッスッス最終回のネットの感想を漁ってから寝ます。
(7/8追記)
突発的に書いた個人的な富野監督へのお気持ち表明ブログに150ブクマもついて、困惑している
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) July 8, 2019
Gレコについては賛否両論のようだ
http://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
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