玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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現代思想が強いDEVILMAN crybabyをいまさら見た感想

 そりゃ、なんもかんもNetflixが全部悪い。今年の3月にレンタルビデオ屋に行く機会があったので借りようかな~って思ったけど、ネットフリックスのせいでレンタルビデオもないので諦めた。その時は替わりに出崎統監督のブラック・ジャックFINALを借りて見た。
 独占体質で金持ちのNetflixが悪の企業とまでは言わないけど、動画配信サイトは増えすぎだし、以前は他の配信サイトで解約に失敗して事件化手前まで行ったので、バンダイチャンネルGyaO!以外の配信サイトは入れたくない。


 というか、僕は情報の独占は嫌いですからね。だからコミケで本を作ったり、noteで有料記事にしたりオンラインサロンを作ったりしないで、はてなブログで無料の記事を数万文字書いているわけです。(ほしいものリストからお酒を数ヶ月分融通してくれる読者の人には感謝の念が堪えない。まあ、物をくれた人を特別待遇するつもりはないし、会員の管理をする能力は僕にはないのでやりませんが)


 あと、言い訳なんですが、Gレコの記事を書かない限り他の記事を書かないスタンスでいようと思ったんですが、1週間前にガンダムTHE ORIGINをくさす記事を書いた後、安彦神の呪いだか、今年二度目の夏風邪を引いてしまい、先日まで寝込んでカルデアからカジノに行ったりしていた。
 なのですが、デビルマン クライ・ベイビー京都市出町桝形商店街の出町座の企画上映として8月17日から8月23日まで3000円で上映されるということなので行ってきた。Gレコの記事を書いてないのに他のアニメ見るとかよくないけど、悪魔の仕業なので仕方がない。
 企画上映がなかったら高いブルーレイを買う可能性すらあった。

京都・出町座にて上映決定! | DEVILMAN crybaby | 公式サイト
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 出町桝形商店街にはたまこまーけっとの頃からお世話になっている。同人誌を書いたりもした。デビルマンを見てはじめて知った人の愛、その優しさに目覚めた男になったので、出町座に置いてある京都アニメーション募金に数千円入れてきた。無職としては完全に映画を見てテンションが上って調子に乗ってしまった結果の悪手なんですが、悪魔の仕業なので仕方がない。

たまこまーけっとの商店街なのでちゃんと京都アニメーションに行くと思う。銀行で口座番号をちまちま書く手間が省けたと思えば、まあ・・・)


 そんなDEVILMAN企画上映ですが。まあ、そもそも、たまこラブストーリーの時点で親が死ぬ話がきつかったので、それも見てないし、夜明け告げるルーのうたも母親との関係がしんどそうだったので見てないし、「きみと、波にのれたら」も死んだ彼氏がどうこうとかつらい感じなので見ない気持ちだったんですが。(ていうか、親しい人が死ぬので盛り上げる映画多いよね・・・)
 デビルマンは名作だし見とくかーって思ったけど、よく考えたら全人類死ぬしキツい話だった!(うっかりしていた)



 悪役デーモン族ガンメンが不動明の親になってて、夫婦の愛情とか親殺しとかの要素がぶち込まれてて、めちゃくちゃキツかったですね。


 他にも当然、美樹のアレはキツイし、墓のデスマスクもキツかった。

  • 原作からの改変など色々

 まあ、話題作ですし、これのためにNetflixに加入した人もいるくらいなので議論百出しているだろうし、いまさら僕がどうこういう価値はそんなにないんですが。(5年前のGレコの話はする)


 悪魔に取り憑かれてもデビルマンになってた人間が原作より早く出ていた。そもそも、原作のデーモン族は氷河期で南極の氷の中に眠ってた間に人類に地上を支配されてたわけで実体があるんですが。クライ・ベイビーの悪魔(デーモン族とは言われてないっぽい)は神にアレされた後、想念としていて、少しずつ人間社会のドラッグとか荒れた場所から人間に取り付いて復活していて、その過程でデビルマンも生まれていたらしい。
 悪魔王ゼノンによる無差別合体がなかったし。


 そんで、原作ではデビルマンはデーモン族を押さえつけた精神力の持ち主として(ヒンズー教修行僧が一斉合体攻撃で逆に全員デビルマンになったり)、割りと正義として描かれていたのに対して、クライ・ベイビーデビルマンは凶暴性が増しているし殺人も犯すし、むしろ悪く描かれている。友情が芽生えたり裏切ったりするし。不動明も凶暴性に苦しんでたし。まあ、性衝動の増加はデビルマンレディーでもやってたので冷奴先生の原作思想からぜんぜん違うわけでもないんですけど。
 (むしろ、90年代はデビルマンレディーも地上波でやってたので、性的描写がNetflixだから出来たっていうのはちょっと盛りすぎだと思う。サバト哀しみのベラドンナの影響に見えたし。まあ、現在の日本の地上波に規制が増えて、逆に海外で資本を持っている外国人の顔色を伺う島国根性はあると思うけど。でも、子どもの悪影響を云々するんだったら、どうせ子どもは親のタブレットで見るよなあ(というシーンも有る))


 ゲイの幸田マンと百合のミーコマンが2大デビルマンとして描かれていて、原作であった「一大デビルマン軍団を結成する!」宣言がなくてうーん。って感じでした。好きなんですけどね。
 そもそも「一大デビルマン軍団を結成する!」というセリフ自体がかっこいいし。
 全貌を表したデーモン族に対して圧倒的不利に立たされた主人公の不動明が少年を卒業して軍団のリーダーになるという成長が、戦闘としても乾坤一擲になるという所が男らしくてかっこよかったんだけど。
 原作と違ってクライ・ベイビーでは牧村美樹の優しいお気持ち書き込みと泣いてるデビルマンと抱きつく子どもたち、というふうに、ちょっと甘くなっている気がする。やっぱり独自の軍事組織を立ち上げるのは左翼やオウムを連想させるからだめなのだろうか・・・。僕はコスモ貴族主義者なんですが・・・。クロスボーン・バンガードとか円卓の騎士とか好きなんですが。



 あと、太郎を始め牧村家の末路も原作と逆になってましたねー。牧村父がキリスト教徒っぽくなってるのは海外資本の映画だからかなー。ハリウッド映画のゾンビものみたいなリアクションだった。
 なんというか、時代が違うからかなー。ハレンチ学園で鳴らした永井豪先生としては子供向け萬画雑誌のスキを突いて「ススムちゃん大ショック」などで「大人が敵だ!」とか「社会が敵だ!」「きれいは汚い、汚いはきれい」をやってたけど。今回のアニメ映画は原作漫画ファンの比較的高年齢層に向けていたからか、「大人が敵だ!」というより、子どもが悪魔になる葛藤とかを出して行きたかったのだろうか。
 70年代だと漂流教室とか機動戦士ガンダムもそんな感じだよね。大人は駄目な社会しか作れないし公害したり戦争するので、子どもがデビルマンとかニュータイプになろうみたいな。漂流教室もグロさの中に、かなり啓蒙思想入ってますしね。(まあ、富野監督の近年の発言からすると、結局人間はアニメや漫画を見た程度ではニュータイプにはなれなかったし、腐敗した組織を継続させているかメンタルが壊れる感じですが)
 子供に向けて大人が敵だ!ではなく、神奈川県川崎国の高校生のメンタルの問題での争いを見せていくのは、当時の子供で今のおじいさんだけでなく、ハイティーン層にも売りたかったのかなあ。まあ、なんか幸田もミーコも不安定で、ちょっと仮面ライダー555くらい二転三転している。なので全10話にしては(小道具で見せてはいるけど、)詰め込みすぎな割に、戦いの規模が一大デビルマン軍団から個人の内面になってる感じで、ちょっと組織作りのワクワク感は減った。
 だいたいオルフェノクみたいな感じだったしなあ・・・。
小説 仮面ライダーファイズ (講談社キャラクター文庫)


( 話は変わるけど、構成としてはカメラマン、シレーヌ、陸上甲子園、内戦、アーマーゲドンとして句読点が各所に打ってあるのだけど。映画館で一気に見た。Netflixでも一気に見た人が多かったと思う。1週ごとに見ていくのと、印象は違うと思うのだが。毎週ワクワクして見れたGレコの映画はどうなるんじゃろ)



 まあ、70年代に大人は敵だって言えたのは、敗戦の記憶とか公害問題などで大人を叩きやすかっただけかもしれないのだが。現代は、むかし「大人は敵だ」って言っていた学生運動世代が政権を取ったり取り返されたりして景気が悪くなりつつも、オトナ帝国的に自己弁護して、大人のダメさと向き合えなくなっている時代なのかなあ。おたく差別がなくなったのはいいのだが、いい大人が子供の頃に見たアニメのリバイバルグッズに入れ込んだり・・・。いや、僕も駄目な大人なんですが!働いてないし!ガンダムのオタクという最底辺のめんどくさい身分ですし。
 ただ、大人は駄目と言っているだけでは結局、良くならんかった面もある。かといって、いい案もないので、結局自己弁護して、よく知らない他の政治思想の持ち主を相互に叩いて自分が正しいと思い込む殻に閉じこもっていくのだろうか。
 クライ・ベイビーでも露骨に排外主義が悪魔の仕業みたいな場面があった。(でもパトリオッティズムで反抗する軍隊も出てきて、どうなんでしょうねー)


 大人が悪いって言う要素はクライ・ベイビーにもあるんですが、ドラッグ汚染とか高校生くらいの子どもも悪いし、子どもも貧困だし、逆にインターネットで悪行をしたり売春してて、子どもも悪い、というのがあった。70年代啓蒙思想な原作に対抗して、現代を描きたかったのかなあ。スーパー高校生を持ち上げるメディアの裏ですり潰されていく子どもたち、みたいなのもあった。でも、それ、あんまり悪魔関係ないよね。
 パトリオッティズム的な愛国心を持てないけど、川崎市のダメな地元に無理やり郷土愛を感じていくか、ハーフだったり同性愛者だったりして主流派になれないけど、ネットとかスポーツで自己愛を膨張させていくか、という若者の問題も描こうとしていたのかなあ。悪魔関係けど。



 悪魔特捜隊も名前と本部のタワーのデザインが好きなんですけど、出ないと見せかけて終盤に謎の研究所がちらっと出てて、どっち付かずな。。。
 クライベイビーでは悪魔特捜隊みたいな組織だった人間の抵抗は嘘くさいけど、軍隊とか暴徒はリアルに描ける時代、みたいな感じなのか。石を投げてた相手にすぐ謝るのはどうかと思ったけど。



 そんな感じで、人類が全体的に悪い。人類が悪いんだけど、人類が悪魔の疑いをかけた人を虐殺するのは割りとニュースとかでよく見るいつもの光景だったので、風刺ーって感じでした。


 牧村美樹がハーフという設定は劇としては割りと効果的だと思った。僕はInstagramやってないので、スター高校生のつぶやきが世界を変える云々はちょっと微妙だと思ったけど。デビルマン軍団を集めるには、今の世の中に改変するんなら、インターネットなのかなあ・・・。あと、ニコニコ動画みたいな文字列も海外展開をする割には日本語が多すぎてウヘーってなった。まあ、タイ語も読めないんですが。
 僕は長文を書くけど、世界中からのレスポンスは大して気にしてない・・・。あんなに即レスするものなんだろうか・・・。ガッチャマンクラウズはベルク・カッツェの悪党としてのルールが独自のもの(悪意を倍増させて攻撃するが、悪意がないところでは無力になる)だったので、インターネットがうまくガジェットとして使えてたけど。ガッチャマンクラウズインサイトは、まあ、ちょっと難しかったけど・・・。やっぱり現代に啓蒙思想をやるのは難しいのかなあ。戦争世代の話を聞こう、という程度のところに落ち着いてしまい・・・。


 かと言って、現代思想社会学者も哲学というよりオンラインサロンとかファンとか信者を集めて集金、みたいな奴だし・・・。Instagramみたいな即興の書き込みに一喜一憂するのもアホくさいと思ってるし。




 ていうか、話を戻すと、デビルマンクライベイビー、世界が滅ぶかどうかの戦争をしているし、サタンがアジテーションするより先に割りと早めに人類が荒廃しているのにインターネットやスマホが普通に使えてて、うーん。って思った。だけど、サタンの戦略が情報戦なので、サタンのためにサーバーの管理や電力供給をするシステムエンジニアやインフラエンジニアの悪魔もいたのかなあ・・・。じ、地道だ・・・。
 でもサイコジェニーの催眠は鉛を通過しないらしい。原作と違ってサタンを洗脳してたんじゃなくて、サタンは素で記憶喪失だったから、クライ・ベイビーのサイコジェニーも弱体化したのかなあ。石仮面の正体がバレるところのホラー感とかちゃぶ台返しは好きだったんだけどなあ。



 それで、悪魔がインフラを壊さないでいてくれたおかげで牧村美樹がインターネットを使えたのでデビルマン軍団ができたんですが。ていうか、最近のアニメはインターネットの流行を取り入れないといけない決まりでもあるのか?


 3人に分かれていた悪魔王ゼノンも割りと早めにインターネット地図を活用した悪魔の統率をしていたので、寄生獣の逆輸入かもしれないんだけど、初期のデビルマンにあった「人間が闇を恐れるのは本能的にデーモン族の気配を感じるからだ」みたいな、ダークなホラーな感じが薄かったですね。シレーヌとかカイムなど悪魔の方も性欲は強いものの、シュッとしたスーツを着こなしててスマホも使いこなして、そんなに暗い深い深遠に住まう妖獣という感じは薄れてたなー。(TV版のデビルマンは見てないので、TV版のデビルマンには賢い妖獣も出てきたかもですが)



 デビルマン軍団が集まったキッカケが牧村美樹の書き込みっていうのは、インターネット時代で効果的な部分と「小娘の書き込み程度で動くのか」というショボい部分と、原作では勝ち気ながら犠牲になるだけだった牧村美樹をアーマゲドンに微力ながら関与させるドラマツルギーとしての旨さとか、まあ、いろいろな要素がありますね・・・。牧村美樹の書き込みで人類が感動したと見せかけて、やっぱり原作通り焼き討ちしていくのはうーん。




 肝心のアーマーゲドンですが、人類が滅んでいるのかデビルマン軍団と共闘しているのかいまいちはっきりしてなかったので、いっぱい爆発とか光線(ミサイルの噴射炎?)とかが出てる割に、誰がどっちに対して攻撃しているのかという戦略とか殺気がちょっとよくわかんなかった。


 まあ、デビルマン不動明とサタン飛鳥了の殴り合いがテーマなんでしょうけどね。悪魔王ゼノンは動く所が見れただけでよしとするか・・・(暗くてよくわからんかった)(というか、作画のカロリーの緩急が日本のアニメとはちょっと違う感じな気がした。ピンポンは楽しく見れたのだが。たくさんいる悪魔がかんたん作画だったので、まあ、勢いで行った部分もあるけど制作陣の苦悩も感じてしまった)(デビルマンが手足をドッキングさせるのはおもしろかった)


 なんか、サタンがATフィールドを出したり、不動明が射精したりエヴァンゲリオンの影響も強いと思ったけど。貞本義行渚カヲルみたいにネコ殺そうとするし。


 バトンが強調されてたけど、ジョジョの奇妙な冒険的な文脈で言えばピアスとか言葉の「受け継ぐもの」の不動明と、バトンを受け取ることを理解しない進化の頂点である「完全生物」のサタンが分かり合えないのが湯浅政明監督が原作通りにやると見せかけてねじ込んだ部分なのかなー。

 不動明の勉強もスポーツも大した事ない(って飛鳥了に世界規模で晒されてめっちゃdisられる)の、幼稚園では元気にふざけてばかりいたけど、実は何の才能もなかった野原しんのすけのメタファーとも取れる。子どもとしては「人のために泣く」のは美点なんですけど。高校生とか戦士にとってはそれは大した力にはならず、人類は滅ぶ。
 んで、幼少期の飛鳥了を感動させたのも、そういうしんのすけみたいな無力な子どものピュアな感情で泣いている不動明の涙だし。幼少期の物知りキャラの飛鳥了は、クレヨンしんちゃん的に言えば大人に超能力を利用されたり排斥されたりして幼稚園に迷い込んだ妖精みたいな存在で、飛鳥了の物知りエピソードの聞き役としてすごいすごいという不動明しんのすけぽさある。
 だから、サタンが不動明を愛した理由としては、原作では「両性具有だし」程度で不明瞭だった部分が幼児体験のエピソードとして作り直されているのですが。


 「人からバトンを受け取って、結果として人のために泣く」というのがクライ・ベイビー不動明のキャラ付けとして大きいのですが。バトンを受け取るということがわからんし、世界征服を狙うようになったサタンとは分かり合えない、みたいな作劇なのかなあ。
 幸田マンもリレーじゃなくて個人だったし、ピアスを受け継いでた美樹やバトンを渡してたミーコとは、そういうところが違うみたいな感じなのだろうか。
 あと、シレーヌとカイムの愛も、自分の体を受け継がせるっていう点で愛情として描かれていたわけで。サタンはそれがわからんかったけど。まあ、サタンは悪魔じゃなくて堕天使だから、実はデーモン族でもないんですが。(失楽園とは矛盾するけど、これはデビルマンなので)
 まあ、不動明が何度もパンチやバトンを渡そうとしても頑なに自分を曲げようとしないサタンのエゴイズムがあったけど、何度拒否しても渡しに来てくれるというか殴りに来てくれる不動明に甘えてた面もあるよね。


 そんで、最後に逆にサタンの長話に不動明が返してくれなくなってから、やっとサタンは愛情(大切なものを渡すことと受け取ること)っていうピングドラムとかさらざんまい(声優も似ている)みたいなこととかに気づくんだけど遅かったねー。かわいそうー。というはなしなのだろうか。
 幼少期の発達が障害すると、魔王も愛着障害するーみたいな?



 結局愛の話なんだよ。(仮面ライダークウガのラストもそんな感じだったし。クウガは全体的に大人っぽくて好きなんだけど、ダグバだけは子供っぽくて、ラスボスを子どもにするのは、大人の作劇としてどうなのだろうか・・・という疑問は今も持ち続けている)
 

 ただ、原作のサタンは統治者としての部分もあって、自分のやっていた人類虐殺が、神がデーモン族にした虐殺と同じだったと反省するラストでもあったわけで。(そしてバイオレンスジャックに続くのだが)
連載再現版 バイオレンスジャック(1) (KCデラックス)


 やっぱり原作の啓蒙思想的な部分が減って個人的な感情にダウンサイジングされてる感じはある。まー、70年代に子どもだったおじさんたちが優れた大人になったわけでもないし、むしろ不況なので。啓蒙思想は古臭いとして、インターネットで個人的な感情を吐き出しつつ、現実では格差が拡大して憎しみ合うだけ、というニヒリズムなのかなあ。それで、啓蒙思想が目指すところの社会発達も望めなくなった衰退社会では、狂った世界のニヒリズムの中で偶然見つける個人的な愛情を大事にするかどうか、みたいな感じなんだろうか。
 天気の子もそんな感じだし。


 僕としては幼少期にガンダムとかドラえもんとか手塚治虫啓蒙思想や、冷戦崩壊前後のコスモポリタニズムの盛り上がりを受けたので、(まあ、オウムのテロとか、民族内戦しちゃいましたけど)、Dr.STONEみたいな科学で社会を構築し直していこうという思想の方に惹かれるものがある。
Dr.STONE 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 なのだが、「勉強しても幸せになれない」というのが多くの人の現実だし、「地道に勉強するよりも、実家の太さとか、ネットでの影響力とかが重要だし、営業マンみたいなワンフレーズ・ポリティクスの方が金を沢山動かせる」というのもあるのかねえ。



 まあ、この文章も散文というか、散逸しつつある視聴体験についての雑感の雑語りの日記のチラシの裏なので、全然整理してないしダメダメなんですが。
(ちゃんとした批評として意見を述べる文章構造にしようとしたら、サタンと不動明のバトンと愛の話に絞るべき)
 
 
 やっぱり読書習慣をつけないとなあ・・・。でも、水着沖田さんを引きたくてたまらない。
キリスト教の修練
聖書とアリストテレスは読んだので、次はキルケゴールかカントに行きたいところだが、富野由悠季の世界展の図録が。

akasakatamon.com
冷戦以後、結局、人は進化しなかった。やはり人類は理想論としてニュータイプ論を掲げておいて、そこを目指さないと、もっとぐちゃぐちゃになる気がします。私はニュータイプ論を一時放棄しました。「人の革新」って本当に難しい問題です。


 けど、もう一度、理想を掲げておかないと、政治、経済とも愚昧な方向に進むしかない。宗教や政治イデオロギーの対立、地政学、そういうものにとらわれて国家を統治していたら、地球の破滅は近い将来に起こるだろうから、そうでない方法論を編み出していかねばならない。そのために我々もニュータイプになろうではないか!!ということです。

 やはり、啓蒙思想というか、背筋を伸ばす感覚は持っておきたい。金はないにしろ。

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nuryouguda.hatenablog.com


(また駄目な記事を量産してしまったが、駄目はダメなりに、この記事が良いと思ったら読者登録お願いします!)