玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

なぜ映画Gレコはわかりやすい? 1 音速おじさんの死の意味

  • 前回のあらすじ

nuryouguda.hatenablog.com

 大抵のテレビ番組、そしてアニメ作品は「レイヤーの上下関係の分割」によって構造を整理しているのに対し、Gのレコンギスタはそれがリアルの現実のように整理されていないで、各々のキャラクターが自意識を持って戦い合っているのが、「テレビ番組としてGレコは異質である」という僕の意見なのです。
 その、どのキャラクターも生き生きとしている、記号化された役割をこなすだけの人物が少ない、というところが富野作品の魅力であり特徴でもあるのですが。癖の強さでもある。


 「テレビ版のGレコはレイヤー構造がフィクション的に整理されていないので、テレビ番組なのにテレビ的ではなく、わかりにくい」という一文を述べるために、かなり長く過去の記事を引用してしまった。


 では、次回はなぜGのレコンギスタの劇場版はわかりやすくなったのかを短く述べます。

 つまり、前回のあらすじから弁証法的に今回は何を書くのかというと、バレバレですね。「劇場版のGのレコンギスタはTVアニメから劇場版になったけど、内容としては大衆に親しまれているテレビ番組のように整理されたのではないか」という、劇場版に対しては割と喧嘩を売っているようなことを書いてしまおうと思います。
 自分でも富野監督たちが一生懸命映画を作ろうとしているのに「それはテレビだよ」っていうのは敵対行為だと思う。なので、劇場版第一部を見たときから着想を得たのだが、回避性人格障害が発動して書けていなかった。(まあ、映画館に行くたびに風邪を移されたり、政治やソシャゲにハマったりしていたのでブログ時間を取れなかったわけだが)

akiba-souken.com

─ 「行け! コア・ファイター」を見た人は、みんな「わかりやすくなった」と誉めています。わかりやすくなった理由を「セリフで補っているから」だと捉えている人が多いようです。


富野 説明不足な部分をセリフで補ってはいるけれど、そのとらえ方は間違っています。状況説明しているのではなく、キャラクターの感情の流れを正確に描けば、お話はわかりやすくなるんです。セリフが増えたように感じるのは、キャラクターのかけ合い、やり取りがハッキリしてきたからであって、むやみに増やしたわけではありません。劇場版『Gのレコンギスタ Ⅱ』「ベルリ 撃進」ではセリフを足した記憶はあまりなくて、むしろテレビより削っています。なぜかというと、流れをスムーズにするためです。


(中略)
流れがテレビよりわかりやすくなっているとしたら、それはセリフで状況説明しているからではなく、いくつかのシーンで、カットの繋ぎ方がていねいになっているからです。カットの繋ぎをていねいにやらないと、観客が「ちょっと待てよ?」と、立ち止まって考えてしまう。そういう余計な隙間を入れず、第2部から第3部へ向けて上昇していく気持ちをカットの積み方や音楽の使い方でつくっていく。それが、映画が本来的に持っている性能です。


(中略)

富野 映画を見るうえで気をつけてほしいのは、既存のカットを入れ替えたり、削ったりするだけで格段にわかりやすくなるということ。カットを削ると情報が減ると思いますか? 逆なんです。劇としてはふくらんで見えるんです。削っているのに、いろいろ付け足しているように見えるでしょう? そこが、映画のいちばん面白いところです。



 

 富野監督は「映画として正確に流れを作ったのでわかりやすくなった」とおっしゃっている。
 僕は「テレビ的ではなかったGレコがテレビ的になったのでわかりやすくなった」と書こうと思う。
 これには僕と富野監督の世代の違いによる「映画」というものに対しての捉え方の違いとか、僕が「大衆はテレビ的なものをわかりやすいものと思っている」という意見を持っているとか、そういう違いがあります。


 とりあえず僕は、民放地上波のテレビバラエティ番組はパターナリズムや格付け権威主義や有名度やセンセーショナリズムとかクイズ形式とか金額評価などの手法を用いて大衆にも価値観がわかるように作ってあるという、意見を持っています。


 その手法の一つがレイヤー構造です。ヒエラルキーです。動物は強者と弱者に対する感受性が本能的に強いからです。


  • 音速おじさんはなぜ殺されたのか?

 劇場版の画像を使うのはしないが。YouTubeでGレコはTV版第1話(第2話も)と劇場版第一作の冒頭が公式配信されています。
 どちらも冒頭に1分30秒、オープニングテーマがあります。そこは飛ばしてよい。
 オープニングテーマ明け、アバンタイトルでカーヒル・セイントとデレンセン・サマターによるG-セルフの争奪戦が描かれます。劇場版の第一作の冒頭配信はここまで。主役メカのG-セルフは出るが、主人公のベルリ・ゼナムは登場しない。
 それを見比べてほしい。
www.youtube.com

 こちらがTV版の冒頭。映像の流れとしては富野流の映像の原則としてスムーズな導入感を出すためか、右側から左側にモビルスーツたちが移動しながら、アメリア軍のカーヒル・セイント大尉はG-セルフを捕らえ、キャピタル・アーミィデレンセン・サマター大尉はラライヤ・マンディを拾い、大気圏パックもキャピタル陣営が手に入れる。
 TV版のエンディングテーマの絵を見て分かる通り、カーヒル・セイントとデレンセン・サマターは同格のキャラクターです。
 そして、サブタイトルになっている謎のモビルスーツであるG-セルフが機体とバックパックパイロットに分割され、正体がわかりにくくなり、謎の美少女のラライヤ・マンディも記憶を失い、物語が謎めいて始まります。
 別の国の「同格」の二人の男が争いながら、謎のモビルスーツの分割されたパーツをそれぞれが手に入れる、という場面です。


 以下の四角形の括りの中の文章はTV版に対する修飾文節なので飛ばし読みしてもよい。

 TV版のGレコは次々と謎が現れるアニメでした。第1話のサブタイトルが「謎のモビルスーツ」だし、ファーストカットもG-セルフの謎感を出しているし、中盤までもG-セルフが強すぎることの謎が演出的にも強調されていた。
 しかし、未来の時代の宇宙の設備や政治状況などの「設定としての謎」を解き明かすことが主題のアニメではなく、むしろベルリ・ゼナムアイーダ・スルガンの内的な変化のほうが本当の主題だったと、僕は思います。
 ただ、大抵のSFアニメは「世界の謎」とか「超能力の謎」とかを解き明かし、正解を知った主人公が間違っている強大な悪役を打倒して勝利するまでを描くことが、内面よりも重視されるテンプレートとしてあります。

nuryouguda.hatenablog.com



 SFTVアニメのテンプレートとして図示してみたが、「世界の謎を解き明かすことが、主人公のパワーアップにつながる」というのが定石です。


 ですが、Gレコはさらにロボットアニメのパワーアップ主義とは逆行するように最強最終兵器のパーフェクトバックパックを得てもベルリは特に嬉しくなくてむしろ辛かった、ということもあるし、ビーナス・グロゥブに行って帰ってきたことも物理的にも人間関係の変化としても表面上はわかりにくかった。即物的には金星マシーンと耐熱フィルム程度。
 金星まで見に行った行程でいろいろな体験をするベルリとアイーダの内面の変化が物語として重要だったのだろう、と僕はGレコのベルリの全部の殺人シーンを考察する中で感じたのですが。あまり、そういうナイーブな見方をする人は少なかったのかもしれない。


 それは、リギルド・センチュリーという、一種の異世界と言ってもいい未来世界のキャピタル・タワーやシラノ−5やビーナス・グロゥブなどの未来的な宇宙構造物がデザインとしても機能としても物語の舞台としても魅力的であったために、視聴者もベルリやアイーダの内面を慮るよりも宇宙空間を金星まで行く中で登場するいろんなメカを見ることを楽しむことの方を期待してしまった面もあると思う。
 で、富野監督的にはメカや未来世界は道具立てでしかなく主題ではなかったので、SF的なスタンダードなメカものを期待した人には「金星まで行ったけど、何の意味があるのかわからなかった」という感想を抱かせることになったのがTV版の問題であろう。(実際、そういうコメントを頂いた)
 まあ、富野監督もやはりメカもの監督の手癖があって、「謎のモビルスーツ」というメカニカルファクターを視聴者の興味のフックとして利用していこうという意図もあったのだと思う。楽しいアクションアニメにしたいという気持ちとしてはメカを強調するのは正しいのだが、Gレコは一方で全体主義や金融資本主義への批判という思想だったり、人間ドラマも描く作品だったので、メカに気を取られてしまうとストーリーの感覚が届きにくくなったのかも。


 TV版への印象論が長すぎた。
www.youtube.com

 こちらが劇場版の冒頭。同じくオープニングは飛ばしてもいい。TV版のアバンタイトルまでと同じく、カーヒル・セイント大尉とデレンセン・サマター大尉のG-セルフ争奪戦が描かれますが。
 TV版の簡潔な「坊主頭に先をとられた!」というデレンセン・サマターのセリフが、アメリア軍とキャピタル・テリトリィとの対立関係や謎のモビルスーツを奪い合っていることの説明セリフに変わっていることが目に付きますが。


 むしろ重要な変更点は「音速越え!」とカットシーの性能に驚くアメリア軍の海賊部隊のおじさんが殺害される描写が入っていることです。冒頭から殺害を追加するということの意味を分かれよ!
 TV版でもカーヒル以外のグリモアが冒頭で画面を横切りますが、テレビ版では生き延びたのに、劇場版ではそのグリモアは射殺されます。


 また、映像的にもTV版は基本的に右から左に進行する、安定したカメラワークでした。(G-セルフが部分的にしか映されなかったり、バックパックが外れたり、ラライヤ・アクパールが落下したり、という小技はあったけども)
 劇場版での殺害シーンではデレンセン・サマターカットシーのド派手な縦の動きが加わります。成層圏で翼を折りたたんで音速超えの高速背面飛行をして、画面内のデレンセンの顔も天地逆になって叫びながら、下方向にいて当たらないマシンガンを連射するグリモアを圧倒するようにヒット・アンド・アウェイしながら一発で正確に仕留めます。しかも、すれ違いざまにグリモアが回避運動する先を読んで一発だけ発射して仕留めるという、ファーストガンダムアムロみたいな予測射撃をデレンセンはします。ニュータイプ
 「即席の軍隊のくせに・・・音速越え!」と断末魔を叫びながら殺されるアメリア軍の音速越えおじさん(仮称)は富野流の映像の原則では劣位とされる画面向かって左(下手)の下方向に押し付けられるように映され、弱さが強調されます。
 そして富野流の映像の原則のレイアウトでは強者の側である画面向かって右の上からカットシーは襲いかかって殺す。
 そして、音速おじさんのグリモアが爆発する光を見ながら、デレンセン・サマターは天地逆からスタンダードな姿勢に戻って、カットシーも翼を悠然と開いて、技量としてもメカとしても強さが強調されます。


 また、追加キャラクターとして音速おじさんだけでなく、大気圏バックパックを鹵獲するように命令された、デレンセンより低空を飛んでいたカットシーパイロットがケルベス・ヨーだと明かされます。デレンセンが下方向のケルベスに命令するセリフを加えることで、彼が軍隊の中でも上位の強者だと、ここでも強調されます。


 そして、TV版では欠番になったカットシーの手のひらの中で、呼吸困難で苦しんで恥も外聞もなくよだれと涙を流しているラライヤ・アクパールという弱者をカットシーが見下ろす絵も追加されます。
HG 1/144 カットシー (ガンダム Gのレコンギスタ)


  • ファーストカットの意思表示

 映画のファーストカットは重要なのです。

blog.goo.ne.jp

映画のスタイルのひとつに、ファースト・シーンに、映画全体に関わるテーマや情報を入れるというものがあります。

「冒頭は結末を内包する」とに言われたりします。


 富野監督も自信を持って冒頭配信を紹介していました。

anime.eiga.com

テレビシリーズと比べ、大きな絵の変更点はないが、セリフや音楽の入れ方が異なっており、その仕上がりに富野監督は「少しの違いだけど、スッと物語が入ってくる。これこそが映画なんです。テレビ版のときはそれができていませんでした」と自信をのぞかせ、「もしできることならば、はじめ3分を観ていただけませんか?」と呼びかけた。


 パッと見は「説明セリフとアクションシーンが増えたね」くらいの印象でしたが。GレコがTV版でどういう作品だったかを考えてみると、劇場版は「そのスタンスを変えるぞ!」という意思表示が冒頭の変更でなされていると思う。


 この記事の最初の方で「GレコのTV版はテレビ的に整理されておらず、各キャラクターが同じ土俵(存在強度)として生き生きと主張して殴り合っていた。対して、劇場版は映画だけどむしろ逆にテレビ的に整理されたのではないか?」と結論を書いたので、ここまで読んでくださった読者は退屈だったと思う。


 つまり、劇場版のファーストカットの改変はどういう意味を主張していたのかと言うと、縦の動きや勝負の強弱や上司と部下の描写が追加されることにより、「上位と下位」のレイヤー構造、キャラクターのヒエラルキーが整理されるんだぞ。ということです。


 単純に説明セリフが増えたという表層しか読み取れないのはガノタレベルが低い。僕くらい強化されたオタクは映像の方向性の流れという、気の流れとかシルエット・フォーミュラー(幻影公式)とか形そのものの機能性から意味合いを読み取るのです!ふははははこわかろう。


  • 正解をはっきりさせる

「Gレコはキャラクターが生き生きしているのはわかるが、誰が敵で味方なのかわからない」という不安感を抱いた視聴者が多かった。僕はその不安感こそがリアルだと思って、その不安を感じながら殺人を繰り返してメンタルが限界になっていくベルリくんを考察していたのですが…。

nuryouguda.hatenablog.com


 そういうキャラクターが表に出さない内面の苦労を行動や状況やセリフの前後関係やカメラワークから推理するといった、シャーロキアンのようなオタク的な見方をするのは僕くらいのもので、大抵の視聴者は「正解がわからない。正解を知りたい」というグーグル世代だったようです。


 とある新海誠ファンのはてなブロガーから天気の子を見に行く金をもらった返礼として、彼にGのレコンギスタの第一部を見に行くように指示して金を渡した。それから半年以上経って再び連絡する機会があったのでGレコについて聞いたところ、「劇場版で正解が明かされるんでしょう?ならTV版を見なくてもいいと思う」という功利主義的な意見をもらって、オタクとしてはまあ、ちょっとムカッとした。


 でも、最初の機動戦士ガンダムもTV版の全41話を見るのがだるいし、劇場版で済ませる。っていう人も多いし、ガノタも人にすすめるときに入門編として劇場版をすすめることが多いし。(ターンエーガンダムの劇場版は映像のテクニカル度合いはTV版以上なのですが)
 ガンダムのそういう見られ方は当然、当事者の富野監督もわかっているだろうし、「今後に見られ続けて残っていくのはTV版Gレコではなく劇場版だろう」ともおっしゃっている。(機動戦士ガンダムのテレビ版がパッケージ化されていなくて劇場版しかなかった80〜90年代は暗黒だったが)
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 なので、全五部作の映画を作るというのは作家性が強い気もするけど、ビジネスとしての長期的なプランニングもあるんだと思う。

 テレビバラエティ番組の論考を通じて何が言いたかったのかというと、「芸能人は格付けランキングでレイヤーが分かれている」「他にも、事件の対象、コメンテーター、司会者、道化の芸人、声だけのナレーター、女の笑い声、「チーン」とか「ガーン」といった効果音」などの要素で「上位と下位のレイヤーが分かれている」ということです。


 パトレイバー内海課長は日本人の卑しさを言うわけだが、進化心理学、生物進化学として考えれば、寄生獣のミギーが言ったように単純な「動物は強弱やヒエラルキーに敏感である」ということなのです。

 テレビ番組はヒエラルキーやナレーションやBGMや効果音やワイプやタレントのコメントによって、「映像を見てどういう気持になるのが正解か」が示されて、視聴者はストレスを感じることなく映像を楽しむことができる。その際にガイドになるのが動物的な上下関係の本能的な感覚です。テレビ番組はテクノロジーの産物に見えますが、快楽原則に沿っている。結局、ギルガメッシュ王たちが文明社会を築いてから現代までの期間よりも遥かに長い神代の石器時代を生きて、それに適応していたホモ・サピエンスの本能的な反射行動のほうが知性的ふるまいよりも強固なのではないかと思います。進化心理学とか、サピエンシズムとか、そういう…。
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 最近の視聴者はアニメを見る際にもストレスを避けている人が多く、また政治思想的にも正解を求める人が多く、(僕はコウモリみたいなやつだけど、自分の政治的ポジションをツイッターで固定して自分こそが正解だとアピールする人とか、わりといますね)そのせいで思考の柔軟性を失っている人が多い、と僕のような世捨て人の精神障害者は感じています。(まあ、世捨て人なのであんまり実社会には関わらないほうがいいと思うけど。門川大作京都市長京都アニメーションを揶揄したので落選させようとして共産党候補を支援したけど、負けたし。共産党とれいわ新選組の連合も怪しかったけど。(山本太郎さんは口が回るなあとは思う)まあ、自民党と連合した立憲民主党も怪しかったので、結局、や人愚滅という念を強くした選挙戦であった)


 ブギーポップは笑わないブギーポップは自分を自動的だと言ったけど、むしろ現代社会の大衆こそ自動的な反射で動く哲学的ゾンビなのではないかと感じることがあります。





 だから、バーザムさんのこの意見も正しいんですよ。



 なんでかって言うと、もう、身もふたもない事を言っちゃいますけど、富野監督は劇場版Gのレコンギスタを第5部まで作る金がほしいので第一部はとにかく売れることが目的なの!
 富野監督は思想性が高いとかよく言われるけど、金のために複数のアニメ会社から絵コンテを大量に請け負って生活していた時期があったし、ガンダムシリーズというバンダイナムコアミューズメントとかいう企業をドラゴンボール級に支えるビッグコンテンツを売りまくったし、フリーランスのコンテマン時代やザンボット3とかの初期作品も「いかに次の仕事をもらうために売れるものを作るか」を意識して仕事してきた人でもある。


 その結果、売れたのもあるし売れなかったのもあるけど、とにかく78歳まで仕事が途切れないで生活できるくらいには売れてるからな!作詞家としてもレコードやCDをバリバリ売ってるし、森口博子さんはそれで今も売れてるし!
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 Gレコはわかりにくいと言われて、正解を求める多くの人に見られなかった。富野監督はメッセージを伝えたいけど、その前に見てもらえないとメッセージもクソもないので。そういうわけで、劇場版は見てもらって売れるためには何でもするし正解をわかりやすくするっていう富野監督のサバイバリティが出てるなあと思う。


  • 単に説明するだけではない

 ただ、富野監督がインタビューで否定していたように、正解の説明が増えたからわかりやすくなった、というだけではない。(もちろん説明セリフは増えたが)


 ファーストカットで音速おじさんとデレンセンの上下関係が映像の感覚としても重視されていることを思えば、TV版のフラットなキャラクター配置から演出プランをガラッと変えて、「主役」「敵」「サポート」「脇役」「モブキャラ」を整理していくっていうことだと思う。


 クンパ・ルシータ大佐が序盤からベルリに「流れ者」として警戒されているとか、終盤のジュガン・マインストロン司令を演じる諏訪部順一さんの口調の悪役っぽさとか、キャラクターのポジションがセリフとか演技プランのレベルでも整理されていっている。もちろんBGMの変更による雰囲気の誘導方向の変更もあるだろう。


 そういうヒエラルキーが重視されていくのだと思う。そういう点ではTV版のごちゃごちゃとして猥雑な、誰が誰をいきなり刺すかわからない(実際ベルリは刺されている)デンジャラスなリアルは地獄描写の部分が好きだったオタクとしては、「まとめすぎじゃない?」と寂しく思ってしまう面もある。


 だが、音速おじさんの入れ方は「説明セリフとアクションを増やす」というだけではなく、映像の作り方としてアイディアと意味があるし、大抵の視聴者が知覚しない暗示的な演出だと思う。そういう暗示的な部分でTV版との制作志向の差異をファーストカットで宣誓しているのは、やっぱり富野監督の映像作家としての技量の高さを感じる。


 そのファーストカットで上下関係を描く映画にすると宣誓しているので、TV版では殆どなかった本音をセリフで言うとか、モノローグが増えるというのも、演出技法の違いとして受け入れられる。
 つまりどういうことかと言うと、人間関係に上下関係のレイヤー構造があるのと同様、描写にも現在進行の場面を写すだけでなく、モノローグとか回想シーンといった技巧的にいじった存在レベルの上下関係のレイヤー構造を使っていくということ。それがファーストカットの音速おじさんの死の生贄を持って宣誓されて劇場版が開幕していくわけです。


 音速おじさんの命は、命は力なんだ!命は、この映画を支えているものなんだ!それを、それを…!こうも簡単に失っていくのは、それは、それは、大事なことなんだよー!
HG 1/144 グリモア (ガンダムGのレコンギスタ)


 ふー、「脇役の死に方から作品論を語る」っていうガノタの厄介をやってしまったワイ・・・。オタクだからやれるんだろ!


 まあ、モノローグとか回想シーンで説明が増えるのは、やっぱりTVバラエティとかネット検索とかで簡単に正解を求めるようになった現代人に富野監督が合わせてデチューンしているような印象も受ける。


 もちろん、公開当時に書いたと思うけど、TV版で毎週、放送されていない曜日に「アレは何だったんだろう」と一週間悩んで次回を見るのと、映画としてひと続きに悩む暇がない密度で見るのとではメディアの違いは歴然としてある。なので、TV版はリアルタイムで開示される情報を咀嚼して悩みながら見たり、ベルリくんが徐々にメンタル限界になっていくのをハラハラしながら一歩一歩、半年かけて見守っていくのが映像体験として楽しかったけど。劇場版は視聴者を悩ませる描写やノイズを減らしてスピード感で見せていくという媒体の違いによる最適化はあるんだろうなあ。


 映画や小説を作る技法として有名な三幕構成とかもあるけど、結局、そういう技巧を使って製作者は作るのだけど、その目的は視聴者をあまり考えさせずに雰囲気を誘導して引き込ませる、自動的に次々と興味を惹かせて最後まで見せるということなので。全五部作を最後まで見せるという目的のためには、第一部はとってもわかりやすく整理して入り口を広げるってのは戦略としては正しい。
 そして、TV版でああいう多人数の心情のもつれを描いた富野監督だが、自分の作家性とか子どもたちに伝えたいメッセージの思想とかを一旦脇において「わかりやすく沢山の人が見れる第一部」を作って、限定上映というハンデもありながら興行収入の成績をそこそこ出して、上映館も増やす成果を出した。80手前の年齢になっても、頑固な作家性にこだわらずに戦略的な路線変更をできる手腕は、やっぱりすげえなって思う。


 そう考えると、ベルリの心情を何年も書けて見返して考えていたオタクの僕としては、劇場版は違うスタンスで見ていかないとな、とは思う。


 ただ、富野監督は怖い人なので、第一部がわかりやすい入り口として作ってあるからと言って、ラストの第5部がどうなるかの保証はない。それが富野アニメ。
 上下関係を強調するとしたら、コスモ貴族主義的な凄惨な展開になる可能性もあるし、演出の吉沢俊一さんも第三部はヤバいと漏らしていた。

  • さて目的は

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――富野監督はテレビアニメ『Gのレコンギスタ』(以下『G-レコ』)の放送後、盛り込みたい内容が多く「観づらいアニメを作ってしまった」と語っていましたが、今回の劇場版ではどんな作業をされたのでしょう。


富野由悠季監督(以下、富野監督)「整理して観やすくした、それだけのことです。そのために部分的に余分なカットは割愛もしたし、徹底的に不足しているカットは新たに入れ込んだりしています。しかし、それほど追加するものはありませんでしたので、いまはこのようになりましたという言い方しかできません」


富野監督「『G-レコ』で大事なのはアイーダとベルリの姉弟話。画面に一番出ているベルリとアイーダの関係がよくわからなかったら、子どもには観られない。テレビシリーズではそうなってしまっていたんです。でも劇場版を観れば、2人の関係をしっかりと見ることができます。


 というわけで、テレビ的な登場人物のヒエラルキーの整理をしていくという目的は、結局主人公二人に焦点を当てるということだろう。
 テレビ版は半年間毎週やっていたので、マジンガーZや長浜ロマンロボットシリーズやダイターン3みたいに、その回のお当番の怪ロボット軍団やゲストキャラを目立たせるのも必要だったけど、映画は主役二人にビシっと締めさせる。


 まあ、当然といえば当然の演出プランですね。


  • 実はこのシリーズは続きます。

 今回はヒエラルキーの整理という要素で劇場版Gのレコンギスタを語りました。
 キャラクターの上下関係と、現在と回想やモノローグなどの撮影する次元の上下関係のことです。


 でも、それ以外にもテレビ的な技法は使われているなあ、と思うので、また記事を書こうと思います。


 これでやっと、Gレコの記事を書くまでは、と封印していたクロスボーン・ガンダムDustの最新2冊が読める…。でも実は「ベルリ撃進」を見た次の日からコロナウィルスではなく、雑な風邪を移されて寝たり起きたりソシャゲをしたりしていたので、実は第二部のパンフレット、まだ読んでないんですよ…。第二部のBDの販売がコロナウィルスの影響で延期になったのは、スタッフさんやバンダイの社員の人には困ったことだろうと思うけど、僕みたいに世界中に感染症が蔓延する前から、寝たり起きたりしている病弱なオタクとしては、チョット締め切りが延びた感じはある。免疫力が低下するレベルの精神障害者の闇は深い。新型コロナウィルスに感染したら重症化すると思う…。薬と酒と不摂生で脂肪肝だし。
 まあ、自律神経の異常で不正発熱してると思って2週間放置していた昨年末に病院に行ったら細菌性の肺炎だったのでメンヘラの闇は深い・・・。元気でいられるなら、元気でいられるなら、それに越したことはないけど、そういうわけにもいかないんだよ。
Gの閃光



  • 余談

 でも、こういうブログを書くのが僕の本分だとは思うのだけど、やっぱりデレマスの順位が下がってしまうので、うーん。ってなる。せっかく今日、野々村そらちんが声付きアイドルの結城晴ちゃんとユニットを組んだのに…。

 ポイントサイトから始めたゲームも熱くならないでさっさと辞めるようにしなきゃなあ…。でもコロッサス・マグナ編成を作ったので古戦場から逃げたくねえ…。グラブルFGOのメインシナリオもやらなくては…。
 無職のくせにポイントサイトでクレジットカードを何枚か作っているけど、ポイント目当てにクレジットカードで買い物をするのを増やすのも、収入源がほぼない無職には綱渡りなんですよね・・・。


 というか、ポイントサイトで小銭を稼がないでもいいくらい爆速でブログの広告収入が入ったらいいんですけど。まあ、今月末にグーグルから入るのでモバマスに17万突っ込んだけど、なんとか当座の現金は確保できるみたいです。(まあ、読者の人に送ってもらったスープはるさめとかカレーライスとかサトウのごはんがあるので、金がなくても食事はできるんですけどね。食事はできるけど、現金で皮膚科に行かないと梅雨や夏の肌荒れがアレルギー持ちとしては死活問題だったりする・・・)



 とりあえず死なない限りはガンダムのオタクとして怪文書を生産していくぞ!!!!!



 でも、怪文書を書いてたら不眠症が改善されないのです。でもなー。筆が進むのはやっぱり草木が寝静まってからだし、一つの記事を複数の日に分けて書くとアイディアを脳内でドライブするためのアイドリングの時間がかかってしまうので、一気に書きたいっていう癖があるんだよなあ。まあ、構想は数ヶ月しているけど。
 でも、プロライターとか小説家は毎日コツコツやっているそうなので、そこが僕とプロの力量の違いなんだろうなあ。


 現在午前三時だけど、アップロードしても誰も読まないと思うので、予約投稿しますね。


https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z


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 実はここ2ヶ月間、貢物が来てないので、神格がさがっています。かんなぎです。山本寛監督です。タタリ神になるぞー!


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