玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

怪人でも #仮面ライダークウガ 第25話、第26話はキツい

 仮面ライダークウガのYouTube配信は土曜日の夜ですけど。最近、本格的に寒くなる前にスチームクリーナーで家のカビの掃除をしたんですが。それで二階の窓枠の結露によるカビなどを除去したら疲れて、風邪を引いて布団の中でグラブルの鬼滅の刃コラボをしたり寝たりして過ごしていて、金曜日になった。


 おっさんが張り切って大掃除とかしたらすぐ体調を壊す。クウガは空を飛ぶ怪人から手足を貫通する遠距離射撃を受けても数時間で完治して羨ましいな!


 もちろん、精神障害者でもあるので、精神も限界だ。(医者にはあまり精神障害者であることをおおっぴらにせず、アニメやドラマの批評家として冷静な書き手として振る舞えと言われているのだが。精神の炎が暗黒面と光の両面があるものの、精神的に燃え上がらなければ文章なんか書かないで単純労働で人生を終えるよ)


Episode25”彷徨”、26”自分”



 やめろ、悩める福島県栃木県在住の小学6年生が東京に住んでいた頃に模型屋のコンテストに出したV2ガンダムのプラモデルが今も飾られていることにちょっとした懐かしさを覚える描写はオレに効く。
MG 機動戦士Vガンダム V2ガンダム Ver.Ka 1/100スケール 色分け済みプラモデル



 悩める小学生六年生は12歳。仮面ライダークウガは2000年放映。平成仮面ライダーは20作品を経て令和に突入。
 僕は小学六年生の時に機動戦士Vガンダムを見た。1993年。7年しか違わない。
 仮面ライダークウガ当時、オダギリジョー氏は25歳の役を演じ、僕は18歳だった。今はオダギリジョー氏はおやっさんとおなじ44歳、僕は38歳のおじさんになった。
 少年とおじさん、光陰矢の如し。当時は僕は25歳の青年のオダギリジョーさんと12歳の少年の中間にいて、仮面ライダークウガにハマったオタクだったのだが。今はみんな、ざっくりおじさんです。


 高寺プロデューサーは自分がウルトラ特撮の深みに影響されたっておっしゃいますが。90年代のちょっと賢い小学3年生が作るガンプラはV2ガンダムって、クウガのオタクとしてグロンギ語で21世紀のネットデビューでハンドルネームを決めてから富野オタクとして活動しているオレにクリティカルヒットです。高寺プロデューサーたちにとってのウルトラが、僕らの世代の黒富野ガンダムだったんだよなー。(いや、幼稚園の時に基礎教養としてウルトラとゴジラの再放送と大百科は履修してましたが)


 そういうわけで、ちょっと僕は冷静にクウガの感想を書けないでいる。まあ、あらすじとしては今回からゴ集団のゲリザギバス・ゲゲル(セミファイナルゲーム)が始まって、ゴ集団のゲームは複雑で、武器を使い始めて、怪人の爆発もでかくなる、というバトルのインフレ回なんですが。
 バトル、五代雄介の人生にとっては主題ではないという。ライジングペガサスフォームの変身時間の短さも相まって、バトルは25話後半の初戦と26話ラストの決戦だけに絞る。
 で、25話後半でクウガは感度数千倍のペガサスフォームで、敵のフクロウ種怪人、ゴ・ブウロ・グから射撃を受けて手足を貫通されて、めっちゃ痛い。(平成ガメラを意識したのか、吹き矢でペリットを打ち出すというものだが、別に矢がナマモノである必要はあったのだろうか?)
 めっちゃ痛いけど、白のグロウイングフォームになりつつも敵の翼に連射したライジングブラストペガサスを一発当てて撃ち落とした。しかし、ブウロは封印エネルギーが怪人の核になる魔石ゲブロンに達する前に自ら刻印された翼を空中で引きちぎって生き延びた。車の上に落ちて派手に炎上したらしいが、逃走してグロンギ怪人の集会所に戻ったブウロはカミュ全集を読みながら、傷を癒やす。特に痛そうにしたり治療を施されたりはせず、本を読んでたら翼くらい元に戻るという。まあ、原子や分子を組み替えて武器にするのがクウガやゴの能力だからなあ。自分の体もある程度物体として操作できるのか。


 現代社会での異邦人であるグロンギのゴ・ブウロ・グがアルベール・カミュを読むのはどういう心境なのか。(ていうか、全巻買ったのに1冊くらいしか読まないで戦死するのな)
 まあ、そんな怪人の気持ちなんか関係なく、クウガは即射殺するけど。怪人の方も人間を一方的に射殺するが。ゴ・ブウロ・グはほとんど苦痛なく、射殺ではなく「撃ち込んだ微細なペリットを心臓に貼り付けて心筋梗塞を起こさせて殺す」という、ちょっと手のこんだ殺し方をする。被害者も心臓が止まるまでは撃たれた感じはしても痛そうではなかった。前回のメ・ガリマ・バと次回のゴ・ベミウ・ギも被害者に苦痛を与えず即死させる戦法だったので、ガメゴの暴力性やジャラジの卑怯さが際立つんだよな。バダーのバイクアクションはかっこいい。悪いけど。


 しかし、クウガと一戦交えてブウロが読書しつつ休憩している間、仮面ライダークウガこと五代雄介が何をしているのかと言うと、「どうせ2時間は変身できないし、その間に自分の恩師が今教えている小学生の家での面倒をみる」です。怪人がカミュを読んで知性の高さとか哲学っぽさを醸し出しているけど、それは所詮自己満足。ヒーローである五代雄介はライダーに変身できなかったらできないで、その時間を利用して子供の面倒をみて人助けする。


 男としての格が違う!


 五代雄介は仮面ライダークウガに変身できなくてもすごいいいお兄さんなんだよな。そういう点で、心の歪んでいる僕としては仮面ライダーにはなれないと思って、怪人を自称しているわけだが。
 五代雄介が家出した小学生を見つけてもすぐに声をかけないで、神社に落ち着くまでこっそりバイクで追跡するの、ちょっと不審者っぽいけど、まあ、その、役人の警察官ではないお兄ちゃんとしての距離感と言うか。(警察官は未確認生命体関係で家出少年にまで手が回らなかったのか)(一条さんが刑事としての姿を夏目実加に見せるのも後半に)


 しかし、傲慢な言い方だけど、ヒーロー物という感じではなく、長めのカット尺で間を取った芝居をオダギリジョーさんがするの、演技が上達したなあって感じだ。その後の平成仮面ライダーシリーズや戦隊モノもイケメン俳優を育てたって言われるけど。


 オダギリジョーさんだけでなく、ポレポレの朝比奈奈々や警察の連絡係の笹山望見も演技や振る舞いが安定してきている中盤。役者の成長もあるし、キャラクターもいろいろな事件を乗り越えて安定してきている。朝比奈奈々は演技の先生をガルメに殺害されたけど、ずっとしょんぼりしているだけでなく、ちょっと休んだらポレポレのおやっさんとくだらない遣り取りをする元気を取り戻す。(まあ、傷は残っているのが後々描かれるし、クウガはテレビに写ってないところでの時間経過のほうが長い)
 そういう、人間って戦いだけじゃないよね、みたいなのがクウガぽさなんだよなー。戦いに命をかけるけど、人生は戦いだけではない。という。ずっと怒り続けたり悲しみ続けるのも難しいという。生活感。
 僕も怪人ですけど、ずっと悪いことばかりしているのではなく、割とスーパーの安売りを気にしたりして生活してますからね。


 で、この番組が上手いのはレギュラーキャラクターが感情的にも役割としても安定してきたところで、不安定な子どものゲストをぶち込むという。まあ、理論的と言えば理論的だが。
 

 神崎先生も教師として自信を失っていたところを五代雄介との再会でやる気を取り戻したけど、それだけで教育がすんなり行くわけでもない、という二段目のリアルさ。(蝶野さんのガメゴ戦でのエピソードもそうだね)


 で、今の僕はおっさんなんですけど、クウガのリアルタイムでは思春期の終わり際で、そこで親族の自殺が相次いで不安定になっていた時期。親族が自殺したら葬式が行われるだけではなく、遺産相続とかで揉めて、親の精神が不安定になり、結局親もその12年後に自殺したんですが。
 なので、今回家出をする霧島拓少年が、単に現代っ子の優等生でVガンダムのオタクだから家出をしたってだけでなくて、祖父母の死による親族の遺産争いとか親や親戚の汚い部分を見て、限界になったんだろうなあという要素が、まあ、演出としてはそこまで強調されてないけどあって。当時はあんまり言語化できなかったのだけど……。(インターネットのブログとかTwitterとかもなかったので、手帳を持ち歩いて妄想を書きなぐるというメンヘラだった。Twitterもその妄想ノートの延長という感じなので、それを政治家が使ったりするのはなんだかなあって思う。2007年の英語版しかなかった頃のTwitterからやってるので)
 当時クウガに引かれたのはそういう部分もあったんだと思う。いや、普通にクウガが強くてかっこいいというのが大きいけど。
 

 それで限界になった霧島拓くんは死んだ祖母と暮らしていた実家のある東京に未確認生命体の危険を承知で行くのだけど。そこで、小学6年生なりに低学年の頃とは町並みが変わったり駄菓子屋のおばさんが老人ホームに入っていなかったりして寂しくなるとか。(小学校低学年でV2ガンダムのプラモデルを模型店の展示に出すのは大したものであるが、自分の作ったプラモデルに自分の名前が入っているけど、その模型屋はクリーニング店に変わっていてプラモデルもホコリを被っているとか)子どもだけど時間経過に敏感、みたいな繊細な描写がある。おっさんは10年くらいずっとおっさんのまま停滞しているけど、子どもは数年での変化に敏感なのか、みたいな。子供番組で子どもを描くことの丁寧さとか。(単に怪人の人質になるとかいう類型的な要素というわけではなく)


 BGMのクラシック調の使い方やハンディカムの揺れたカメラワークも思春期前期という感じであり、2000年放送という感じでもあり。
 僕もVガンダムのオタクの小学生だったけど、成績は霧島拓くんと同じく体育以外はオール5だったんですよ。まあ、小学校の勉強は簡単だけど。僕は体育は1か2だったけど。で、作文も自分の優秀さを自覚して、教師受けすることを書く、みたいな事をした自覚はある。
 

 あと、霧島拓くんの書いた未来についての作文は超全集下巻に全文収録されているのだが。「テレビで医者のいない海外の島を見て医者になりたい」という、それっぽい文章なのだが。優等生だと自覚していてその能力を活かしたいのだけど、そこに不満や不安があって、本音を書けないという。「ぼくの場所がない」と書きたいのだけど、そんなの点数をつける教師には言えないので消す。
 本音を消してそれっぽいことを書くのだが、その中に「僕はたまたま日本という国に生まれましたが、これがもっと貧しい国であればこの年まで生きているかもわかりません」という虚無っぽいことは消し忘れている。僕も小児喘息であったし皮膚にもアレルギーがあったし、筋力と運動神経は壊滅的で、東京で過労になって自律神経がぶっ壊れて精神障害になり、薬が手放せなくなったので、まあ、分かる。


 この年になると、福祉に寄生して自分の生存だけを優先してやろうという精神疾患なりの図太さや福祉担当者や法律に対する対応の慣れが出てくるのですが。まあ、小学六年生で、「自分は頭がいいけど、サバイバル能力は低いし、ガンダムのパイロットみたいなスペシャルに成れない」と思っている霧島拓くんは「たまたま日本に生まれて偶然生きてる」とか、「信頼していた親族も遺産争いで揉める」とか、「済んでた街の風景や人の関係も変わる」とかを見るとパラダイムがアレするわけで。うーん。それも僕も実感してきたので。
 子どもと思春期の間で、現実がそこまで信用できるものではないということを知ってしまったわけで。その点ではいつまでも国家や権威を信奉しているような大人に比べると霧島拓くんはかしこいというか、聡いのだが。


 でも、そういう風に悩んだり塾をサボって終業式のあと、午後にちょっと東京に来てみたり、ということを五代雄介はサムズアップで「納得の行く行動」と評価してやる。(まあ、大人になってから考えると塾を一回サボるとか、大したことないし)


 五代雄介は「納得がいかないときは納得がいくまで何年も悩むのも納得がいく行動だ」と家出経験者として評してやる。五代雄介も6年生で父親がアフガニスタンで死亡する前年の5年生の時に限界になって家出したらしい。最初から聖人君子ではなかったのか。
 ヒーロー番組で子どもに対するヒーローのこういう、戦いではない部分での距離のとり方はすごく難しい気がするのだが。
 五代雄介が霧島拓くんと目線を合わせるために階段を一段降りたり、緊張をゆっくり解いていく喋り方だったり、後半で霧島拓くんも五代雄介と同じように足を伸ばして緊張がほぐれたような非言語的な見せ方だったり。まあ、うまいなあ。


 少年との悩み相談が一段落したところでちょうど怪人が再出現して、ちょっと行って射殺していくのは都合がいいと言えば良いのだけど、一条さんは五代雄介が子供の面倒を見ている間にずっと怪人の動きを推理して捜査していたので、戦闘状態は一条さんの方で継続していたので!そこで、バトンを渡すようにコルトパイソンをパトカーからバイクに乗る仮面ライダークウガにすれ違いざまに不法譲渡するシーンと有無を言わせぬ長距離連射と空中大爆発がカッコいいので、まあ、許せる。法律的にはアウトだけど。
 リアルな子供の悩みを描きつつ、活劇のテンションのフィクションっぽさを一気に上げて仮面ライダーらしさも出すって言うやつな!もともとペガサスフォームは短期決戦タイプなので!


 あと、霧島拓少年の「賢い自分の能力を人のために活かしたいけど、その人達が暮らす社会や世界は正しいのだろうか」というVガンダムのオタクみたいな不安、たまたま自分は日本に生まれて偶然生きてるという恐怖感は五代雄介も共通しているんだな。父親が戦場カメラマンで死亡していて、今はクウガとして2000の技と能力を生かして人のためにギリギリ連勝を重ねて戦っている。五代雄介は社会や人が正しいかどうか判断するよりも先に、それを守ることを選択して赤のクウガになった。(やっぱり衛宮士郎っぽいな)
 でも、この後クウガの戦いの激しさがマスコミにバッシングされたり、そもそもパワーアップしすぎたら人間性を失うかも、みたいな不安が五代雄介に襲いかかってくるので。


 霧島拓くんの悩みは五代雄介が少年から青年になるにかけて経験したものでもありつつ、クウガになってから再度苦悩することの前触れでもある。うーん。作劇が上手い!
 五代雄介は少年や奈々に「君がいるところが君の居場所だよ」とか「きれいごとがいいんだもん」と言ったりするんだが、そういう五代雄介の居場所や体が終盤では、どんどんきつくなっていくので。
 視聴者も「きれいごとを言っているお前はどうなんだ」とツッコミを入れつつ、五代雄介が死闘に身を投じていくのを見てしまう。


 おやっさんと奈々が海やプールに行きたがるのも、ギャグシーンや神崎先生とおやっさんを離す段取りでもあり、次回の怪人が海やプールを犯行現場にするという前フリになっている。(おやっさんが神崎先生と話し合ったら、オッサン同士の会話になってしまうからな。第10話で神崎先生の事情を知った大学院生の桜子さん、雄介とともに教え子だった妹で現在は保育士の五代みのり、の性別と年齢を超えた語らいが重要)


 しかし、2000年当時は50代の神崎先生が「今の世の中は楽しいことに金を使って、考えないようにして生きろ、っていうテレビにあふれている」と嘆くのだが、僕の現在の戸籍上の自殺してない方の父親は僕に対して叱責以外の言葉を発しない。そして、夕飯は一緒に食べるが無言で、父親はテレビにだけ反応する。テレビは売れた商品やスポーツマンの活躍や売れた芸人を楽しそうに喧しく喋る。それに反応して哲学的ゾンビのように驚いたり笑ったりする父親の前で無職のダメ息子としておとなしく飯を食っていると、ちょっとこんばんは気持ち悪くなってしまった。
 母親が自殺する前も、母親は毎日、伯父が自殺したことで家に転がり込んできた祖母と言い合いをしていて、父親はそこから顔を背けてずっとテレビを見ていた。今は僕が父親から顔を背けられている。


 そういうこともあり、今回は仮面ライダーの感想というよりは屈折した少年時代を引きずっている醜い子供部屋おじさんのノスタルジーみたいな文章を書いてしまった。でもオタクなので思いついたことはブログに書き殴って外に出さないと頭がいっぱいいっぱいになってしまう。書きかけた作文を消すのと、ブログに書き散らしてしまうの、どっちがいいんだろうね。(そして酒の勢いで午前三時に書きあげたあと、一気に鬱になって嘔吐した)



 まあ、親と言っても他人なので、自分でやっていくしかないし、医療も法律も福祉も(自主規制)もサバイバルの道具に過ぎないし、こういうブログを書いて読者からアマゾン欲しい物リストを通じて物をもらったりして、怪人である僕は生き延びようとしている。

  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z


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