玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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#Gレコ劇場版 行け!コア・ファイター 初日ネタバレ3割感想

 (石井マークさんの声で)「Gのレコンギスタが映画になるということで、僕は劇場に備えてインフルエンザの予防接種を受けた。それで逆に過労と風邪が悪化してしまったのだけど、なんとか公開前日にTV版の考察を終えられた。熱と頭痛がひどくて体力は限界。でもGレコの映画は初日に見るしかなかった。ひどく汗をかいて帰ってきたのだけど、バッテリーが切れる前に感想記事を書く!」


 というわけで電車で普段行かない映画館まで遠征して昼の回の劇場版Gのレコンギスタを見てきました!一日に昼と夜の2回しかやらないので、流石に僕も6時間イオンモールで時間つぶすよりはさっさとシャワーを浴びて記事を書いて、寝たい!疲れているんだ!ていうか、劇場に備えてTV版の考察を徹夜続きで無理やり終えて体はがたがたなのに映画の公開日が母親の自殺の命日と同じとか俺はどんなハードモードで生きているんだ!(仕事は体を壊したのでやめた)
 一度兵庫県立美術館富野由悠季の世界展の先行上映は見たのですが。


 とりあえず見ろ!映画館に行けなくても配信でいいから見ろ!でもなるべくデカいモニターといい感じのスピーカーで見ろ!映画館の音響が最強ではある!



 課金もしろ!



 映画館に行けなくてもパンフレットは通販やガンダムカフェで買え!


 このパンフレットが良くてさあ!!!!




 インタビューもいいけど、本当にアニメの製造過程がすごくいい。で、パンフレットに載っている絵コンテと原画の鑑賞は1日では終わらないので、ネタバレ感想は今日は書けません!無理です!もう、映画自体も良すぎたし。


ここまで前置き!
(でも勢いで書いているので、この文章は徐々にネタバレが増えていきます)(かなり雑語りしたのに1万1千文字になった)

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  • 映画になっている

 感想は色々あるけど、「映画になっている」これに尽きる。わかりやすくなっているとか、心情描写が増えているとか、作画が足されているとか、いろいろな意見があるけど、それは「映画という媒体に最適化された結果」だと思う。
 僕もGレコの劇場版が試写会で「わかりやすくなった」とTwitterで噂されて、「は?我はTV版を60回は見て、コマ送りもしまくって全話の殺陣を分析してわかるまで見たが?単にわかりやすくしてお粥みたいな映画になったら許さんぞ?大して見識もない雑種が一、二回見て分かる程度のアニメになっていたらゴミだろう」と英雄王仕草をしていたのだが。
 映画になっていたんだよ!それは許すぞ。
 TV版だと毎週「あのシーンがわからん!」「あの新キャラがわからん!」という興味で何度も見る興味と意欲になったけど。映画は5話分のストーリーをスパーッと見せる!だからわかりにくさを単に説明で減らすんじゃなくて感情がそのシーンに集中できるように余計なノイズを減らすアレンジにしたって言うこと。だから単なる総集編ではないんだよ。その感覚を理解れよ!



 まあ、配信されてるからスクショできるけど、TV版をスクショしまくった我が今更アレするのはナニではあるが、劇場版は金を払えば誰でも見れるので今回はスクショはせぬ。
 金を払え!カネがないなら我が建て替えてやろう。(我より無職度合いが高いものに限る。労働しているものはそれで払え)

  • カットされたシーンと足されたシーン

 我は60回は見ている(TV版の本放送の時に感想を書きながら流しっぱなしにしていたのと、2周目の殺人考察を書きながらスクショをする際に何度もコマ送りしたので、延べで60回くらい)。なので、もう、音楽的感覚としてTV版の流れを覚えているのだが。
 映画は違う流れなのだ。


 演奏会に例えると、TV版が一曲ごとに主題を打ち出していく曲構成だとして、映画版は90分のグルーヴ感の盛り上げと変調の連続をつなげていくDJミックスプレイと言えばわかりやすいだろうか。


 なので、足されたシーンや減らされたシーンについて、各個に「あのシーンが好きだったのに!」という意見はあるのだろうが、そういう各論ではなくて、映画というメディアに変換されるに際して最適化されたということ。



 テレビの3話はクリム・ニックがロボットアニメの敵キャラでゲストで課題でその回の主役だったけど、映画では中盤の盛り上げと海賊の島へ誘導するためのきっかけの効果を担ったキャラなので、印象的なシーンがカットされているのはファンには不満かも知れないが、全体の流れとしてはそうなるのが自然と思えた。
 ベルリがいじめられるシーンが減ってるのとか、TV版の20分の長さでは必要だしフックになるイベントだけど映画の90分の流れではノイズになるので整理される、って感じ。


 というか、テレビは毎週違う色を見せていく媒体だからその回ごとの主役やゲストが主張するが、映画は全体的にベルリとアイーダの視点でまとめられているので、その目的に沿った構成になっている。わかりやすさはその結果にすぎない。テレビは毎回よくわからないことが押し寄せるのを一週間ごとに咀嚼していくのが楽しかったが、映画は変な引っかかりにこだわる暇をなくして交響組曲としてまとめなおしているので。
 まあ、わかりやすくなっている事自体はいいのだが。なぜなら、ガンダムは劇場版というパッケージで初見さんにとりあえず紹介して、そこからTV版の沼にはめていく商法で40年やってきたので。なので、Gレコが今後数十年生き残るために口当たりの良い劇場版というパッケージができるのはビジネスとしても価値がある。
 やっぱりTV版を見返すのはオタクでも体力を使うので、映画5本だと「今日はこの部を見るかー」くらいの気持ちで見れるし再放送や配信もしやすい。



 というわけで、富野監督は「TV版はゼロ号」と仰っているけど、劇場版が完全にTV版の上位互換になっているかというとそうではなくて、音楽的アレンジに近い感覚でメディアの違いに合わせて編曲しなおした、という感じの表現だと僕は言いたいね。
 挿入歌の使い方も劇場版ならではの長尺。ちょっと押井守映画の謎挿入歌場面ぽさもあるけど。


 クリム・ニックのお立ち台のカットが話題だけど、アイーダさんの第1話の名言とかデレンセンの葛藤もカットされているので。それもカメラの焦点をベルリに合わせるという目的に沿って理論的にきちんと組まれている。



 テレビでは1話でアイーダさんがG-セルフを使って奮闘するというのが見せ場になったし、第1話でアイーダさんの魅力も放送しないといけなかったけど、映画ではアイーダさんの魅力は後半で描写できるので、最初のベルリとの接触アイーダさんの顔が出ないのは「謎の女性」という雰囲気で導入を作る構成として本当に正しい。


 クリム・ニックの描写が冒頭でカットされているのもそうで、映画1部全体を見るとクリム・ニックというキャラクターの強さとチャーミングさは後半のラライヤとの絡みなどで表現されているわけで、ちゃんと分量が調整されている。
 また、映画としてもクリム・ニックは中盤に攻めてくる怪ロボットのパイロットなので、テレビほど紹介を丁寧にしないほうが映画としてはサスペンス感が高まる。(こういう文章はネタバレかも知れないが、TV版の考察を終えた次の日の公開初日に「エイヤ!」と記事を書くために僕も勢い任せな面があるので)



  • TV版の考察を終えた次の日の鑑賞としては

 テレビ版の最終回の考察を昨日終えて、そして冒頭の劇場版に行くっていうハードスケジュール(まあ、先月肺炎で倒れていた自分が悪いのだが)の体験をしたのだが。
 ものすごい温度差があるな。


 アイーダさんとベルリの仲がめちゃくちゃ悪い!
 ルインとベルリの仲がいい!マニィは平和主義!
 クンパ大佐が周りに対してまだ気を使っている!


 人間関係が激変する物語なんだなあ、というのが最終回をこってりと考察した次の日に冒頭を見ると実感する。
 その人間関係の激変が劇場版5部作でどうリライトされるのか興味が尽きない。しかも第2部が来年2月に公開とか3ヶ月毎かよ。はやっ!TV版から映画まで4年かけたのに(アフレコは2016年にやっていたので、何だったのかという気はする)


 でも、ノレド・ナグさんは一貫して元気で可愛いノレド・ナグさんなのでえらい。今回序盤を見返したけど、自分を蹴ったアーミィの職員にも「アーミィってなんなんです?」とか平然と言ってて、勇気と元気がある女の子なんだなあ〜〜〜。アイーダさんとの関わり方もベルリ抜きの場面でも今後劇場版で展開していくだろうし。

  • 作画がいい

 新規作画がいい。その分、TV版のままのシーンが弱く見えるが、TV版自体もアベレージは高いしTV版の作画が弱いシーンもガンダムイデオンの頃のいいシーンと同等くらいの良さはある。アニメーターの技量が底上がっているということは富野監督も認めている。
 そもそも、TV版も突発的に作画がめちゃくちゃいいシーンとか、原画マンに拠って結構バラバラだったりした。そういうTV版のいいシーンはあんまり変わってなくても劇場版に耐えている画力がある。でも新作シーンはもっといいのでとても豪華。
 なんだけど、映画としてみるとやっぱり凸凹していて、ピクサーとかディズニーの3DCGが主流の絵柄が均一なアニメ映画界ではGレコはちょっと変なアニメかもしれない。でも、手描きアニメの意地は見せている。
 展開の変化を音楽に例えたけど、作画の良いシーンとちょっと抜けてるシーンも音楽的な緩急、と言うと擁護しすぎ?予算が潤沢で全シーン吉田健一リライト、ってなるとクリーンにはなるだろうけど、Gレコの手書き作画の良さは均質さではないので。鉛筆っぽい筆致のカーボン粒子のちょっとしたブレとかじわっとした感じがGレコの絵の良さ味だとおもっているので。CGドラえもんスタッフでルパン三世もCGになる予告編を見て、それもヒットするのだろうけど。(ガンバは・・・)でもG-レコはサンライズ第一スタジオの手書きガンダムの意地なので…。
 パンフレットに載っている原画もすごくいいので無限に鑑賞していられる…。

  • 声の演技が映画スケール

 パンフレットに載っている制作進行向けカット演出の変更指示表とかでも「テンポアップ」というのが頻出していて、全体的にテンポが早い。で、先月に富野由悠季の世界展のイベント先行上映で劇場版Gのレコンギスタを見た時は「全体的にセリフの言い方がマキ気味で急いている感じがする」と思った。
 僕も演劇経験があるので、下手な役者(僕のことだが)はセリフをこなそうとしてテンパって早口になりがちという実感がある。で、そういう感触を兵庫県立美術館のホールで見た時には感じてしまったのだが。
 映画館で見たら、速いのは速いのだが、急いている感じはしなかった。ちゃんと緩急をつけるべきタイミングではゆっくりの口調も使われていたし。


 音響環境の違いだろうか。映画館というのは独特の環境なので。兵庫県立美術館で見たときとは感覚が違っていたのか…。配信ではまだ見てないというか、配信で見たらまた感覚が違って感想が書けなくなると思ったので見てないのだが。
 

 テンポは事実、演出指示されているとおり、上がっているが、映画という流れで見るとそれが適しているのか・・・。ココラヘンの演出の感覚は素人の僕の能力に余るのでこれ以上は書かない。



 というわけで、ネット配信されているけど感覚として映画館のスクリーンの大きさや音響環境で印象が違っているのがわかったので、2週間限定公開だけど、まあ、何回か見に行きたいと思う。体調を治すべきだが。しかし、もっと上映回数が多くて周回できると思ったが1日に1回くらいしか映画館では見れなさそう。交通費はそこまでデカくはない距離なのだが。

  • 音響

 音響が良かったなあ。モビルスーツの戦闘とか水しぶきとか、そういうサウンドエフェクトの感覚がよかった。4DXとかではないが迫力と体感があった。
 あと、TV版ではモノローグは少なかったけど、劇場版はモノローグを結構使っていて、それがちゃんとモノローグとして異質化されるエコーとかの処理がかかっている。なので、モノローグがモノローグとして個性化されているので、逆にモノローグが増えても説明くさいとは感じない音響リズムになっているような(文章にするとわかりにくいが、感覚的なもの)。


 また、今回は「行け!コア・ファイター」というタイトルでコア・ファイターがラストの主軸になるのだが、TV版ではコア・ファイターがドッキングする前に音楽が停止して「無音で自動合体するG-セルフは恐ろしいメカなのでは」という感じなのだが、劇場版では勇壮な音楽が続いて、アイーダとの間に絆ができたようなニュアンスを匂わせつつスムーズに次のG-セルフの戦闘シーンに流れていくので、印象がかなり違っている。
 それで、ベルリの戦闘はいろいろ殺人とかウンコとか困ったイベントがあったけど、コア・ファイタードッキング成功からのラスト戦闘(テレビ5話)ではポジティブな印象に変わっているのでベルリくんの視点の映画としてはそれで良い気分でエンディングに向かえる。けど、アイーダさんは最悪なので。アイーダさんが泣き崩れるのはTV版では5話ラストのスパイスとして添え物感があったが、映画の流れになるとカーヒル大尉とも絡んで女性の感情の流れの辛さとしてクライマックスの位置になる。
(次回への引きのスパイスとしては、むしろ第6話相当のデレンセンが危機感っぽく描かれている。ウィルミット長官に対するアーミィもあくどい感じになっているので、引きのクリフハンガー感はそっちが担当している)

nuryouguda.hatenablog.com
 Gレコの総括としては放送後に同人誌に寄稿したりした。
GGG ガンダム Gのレコンギスタ アイーダ・スルガン 約1/10スケール PVC製 塗装済み完成品フィギュア


 それで、ベルリがアイーダに対する恋心が、近親相姦として似たものだから惹かれているのか、近親相姦として禁じられているけどそれを上回る性欲があったのか、TV版ではちょっとぶれていて、結局アイーダが姉と知った後のベルリの性欲の向かい方がはぐらかされた、みたいなことを書いた。


 富野監督もアイーダが姉と知った後のベルリのリアクションを書き直すとか、カーヒルと寝ていると監督が思いこんで嫉妬してやる気をなくしたアイーダさんの描写を劇場版でやり直すという。


 なので、ベルリの失恋の前段階を補強するために、逆に消える恋人であるカーヒルの印象を強くしている。カーヒルへの恋と義理と、現実に助けてくれるベルリへの嫌悪と戦場で抱いてしまう信頼と、やっぱり許したくない気持ちと義務と、とかいろいろアイーダさんにある。


 それが新作カットの宇宙服を脱ぎ捨てるシーンで示されている。


 で、アイーダさんが着替えるシーンがかなり印象的で、僕は女性のファッションについてはアイカツカードくらいの認識しかないのだが。まあ、服装で気分が変わるというのがかなり描写されている映画だと思った。


 TV版では身なりを整えてもらってクンパ大佐が紳士だからってなるけど、劇場版では完璧に身なりがもとに戻らないままアイテムだけ渡してもらって、という微妙な塩梅で。(ほんと、このクンパ大佐のアイーダさんを籠絡しようとする新しいセリフが、新しいセリフなのに、最後まで見た視聴者としては実に「クンパ大佐はこういうことするよな!」という感じですごくおもしろかった。逆にクンパ大佐が好きになった)


(最後まで見た視聴者としても、冒頭のベルリの生意気感が減って、「空気を読む若者」というのが強調されているのは、むしろ終盤のベルリの行動と一致して見える。具体的には23話で養母と再会した後にアイーダとラライヤとノレドに愚痴ったベルリが「空気を悪くしてごめん」みたいに謝る性格描写があるので、TV版の冒頭で授業の空気を乱すベルリの方がむしろ違ってたかも?という印象。アイーダさんとの口論でもベルリの宇宙世紀を俯瞰した理屈っぽさが減って個人的感情のセリフに変わっている)


 で、アイーダさんの着替えが映画のテンションの高低というか彼女の機嫌のバロメーターとして機能している。着替えが映画的な見どころ、というのは∀ガンダムの劇場版のウェブサイトでも指摘されていたことだが。


 メガファウナで自分の服を取り戻してやっとプライドが戻ったという感じなので。TV版でクンパ大佐に良くしてもらってご機嫌になっているアイーダさんとは機嫌が回復するタイムスパンが変わっている。TV版の時間感覚だと数週間に渡ってうじうじされると面白くないので切り替えさせるが、まとめた映画だと違ってくる。


 そういうふうに女性のアイーダさんが着ている服で気分や行動を変えている一方、それを見る男性のベルリがアイーダさんの服装の変化による魅力に反応するのが劇場版で付け足されててエッチだ。


 TV版でもベルリは囚人服のアイーダさんの背中を見てエッチな気持ちになって誤魔化してたけど。TV版はその背中を見た程度の童貞臭い間合いだったのだが。


 劇場版ではメガファウナに帰還して正装になったアイーダさんの美しさにベルリが見とれるので。(そしてその視線の変化に敏感に反応するノレド・ナグさん)


 でも、正装になったアイーダさんはドニエル艦長にベルリを糾弾するように言ってキレてるので、ベルリが異性として惚れ惚れした視線を向けてるのをあんまりに気しない。


 さらに、ラストではドチャクソエロい体の線が全部見えるインナースーツでアイーダさんがベルリを褒めるのだが、ケツの線まで描き足されてて視聴者としてもエロく思う。ベルリもすごい「うわぁナイスバディ」みたいな思春期の視線を向けるのだが。TV版でもこのシーンはアイーダさんはインナースーツだったのだが、そこまでエロい雰囲気にはなってなかった。ベルリも割りとスッと流すので(「おあいこですよ」ってTV版のベルリがスッと流すのがアイーダさんの内心の怒りと泣きにつながる流れだったけど)。


 でも、劇場版のベルリはアイーダさんがエロい格好しているとエロい!って顔になる。で、男性に性的に見られる女性の問題ってのがTwitterフェミニズム界隈で炎上したりしているけど、この場面のアイーダさんは自分がエロい格好をしているということを意識する余裕が無いくらいマジでキレている。だからエロく見られてもそこに嫌悪感が行くのではなく、無理に芝居している自分自身に怒りが発生してっていう。
(重い宇宙服を着るのは鬱陶しくて仕方ないけど、かと言ってベルリのために着替えてやるのはもっとムカつくので、エロい体を自覚ぜずにインナーで出向くくらいキレているっていう)


 このベルリのアイーダへの性欲があるんだけど、アイーダさんと認識が微妙にすれ違って、というのが実家に帰った時の破局への伏線なんだろうか。
 弟に性欲を向けられて気持ち悪い!っていうルートが新設されたりもするのだろうか・・・?


 アイーダさんがインナースーツでいるっていうのが、宇宙服を脱ぐことで強調されているし、それがエロく見えるように描写と視線が足されているので、泣くアイーダさんが、まあ、テレビと同じ服装でも、陵辱された感じに強調されて見えた。僕がエロいおじさんだからそう見えたのかもしれないけど。劇場版なのでテレビよりちょっとアダルト。で、カーヒルとの関係もやっぱりそうなんだろうねっていう。テレビでは監督はそういうカーヒルとの関係に勝手に嫉妬してアイーダさんへのやる気をなくしたって反省していたけど。


 テレビではアイーダさんが「ベルリはカーヒル大尉のことは忘れて良い」と言うのは24話までかかってしまったけど。テレビでは忘れたように見えて、終盤で「忘れて良い」と言い出すことで「まだ裏で引きずっていたのか」という効果があったけど。
 劇場のテンポではどういう感じでカーヒルを引きずって、どこらへんで吹っ切るのか?


 そういう女の服装と体と感情と、男の視線と行動っていう富野監督が「新海誠アニメとは違うぞ!」と主張する点である性欲でドライブするドラマっていうのがどう転がっていくのか。劇場版はそこも見どころですね。
 絵柄が上品なので、下品にはならないだろうけど、かなり本能的な要素なので。一般的な女性が見るとどう思われるんだろう。
 一般的な女性はまず、ロボット物という時点で見ないと思うけど、服装と体や、視線を向けられる女性っていう要素は最近ネットで頻繁に炎上するくらい、現在の女性の関心事だと思うけど。どうなんだろうねえ。ザンクト・ポルトで一瞬だけ着たアイーダさんの謎気合ドレスはどうなるんだろうか・・・。


 見られる体と言えば、チアガールももちろんだけど、マスク大尉が強調されていましたね!


 まあ、マニィとの関係性をスムーズにするためだが。(テレビでは困惑するのが週刊のテンポにあっていたが、映画だとスムーズなほうがいい)あと、恋するマニィの視点なので、マスク大尉の後ろの雲が微妙に新海アニメみたいな虹雲っぽく印象派っぽい雰囲気を出していて、恋だねえって。富野監督は新海アニメをライバル視しているけど、その技法はパクったりするのかもしれない。背景マンの手癖かもしれないけど。
 マニィとマスクの関係ってだけでなく、マスク大尉自身もあの時はキャピタル・アーミィという組織に自分を認めさせるためにメチャクチャ格好つけていただろう。そういう気合のある歩き方だった。
 なので、見られる対象としては男性もそうなんだ、という部分でバランスが取られている作品なので、美少女がエッチに見える、というだけのアニメでもない。(そもそもチアガールにエリート学生が品定めされるっていう学校でもあるし、体育会系の右翼団体のアーミィのベッカー大尉にルインがパンチで品定めされる軍なので)


  • まとめ

 なんか話がエッチな方向にそれてしまったけど。ストーリーとしては大枠は変わってないけど、映画という媒体というのを強く意識していて、それに合致するような編成作業が行われている。というのが第一印象。
 それで、同時に服装とも関連した肉体と、それをまとうキャラクター同士の視線の交換とか関係性の描写が強化されて行くようだけど。
 でも、劇場版第1部ではそれほど描かれなかったけど、Gレコは「肉体を持つ人間を殺す」という要素もあるアニメなので。生命力は富野監督の作品の特徴だが、生命力や生の感覚を強調すると、それが失われた時のしんどさが増すのでは?
 アイーダさんはカーヒル大尉一人の死でかなりしんどさを劇場版で表明していたけど。ベルリはもっと殺していく未来が待っているので。
 でも、富野監督は子供向けに楽しく見て欲しい、と言っている。うーん。どうなるんでしょうねえ。



 まあ、作画と音響は確実にレベルアップしているので、あんまりしんどい部分に目を向けすぎなくても、ワクワクバトルアニメとしてワイワイ見ていけばいいのかなあ〜〜〜???



 配信を見たりまた映画館に行ったら新しい感想が湧いてくるかもしれないけど、初日はこんな感じです。というか、劇場版に合わせるためにTV版の考察を突貫で終えるためにかなり無理して徹夜して体を壊したので、もう寝ますね!!!!!土日も本来なら劇場に行くべきだが、ちょっと3日くらいひたすら寝たい気持ちでいっぱいですね!

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