玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ベルリの殺人考察第3部第20話A ベルリのシャドウ・キア

  • 放送当時の感想

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  • 目次

「はじめたいキャピタルGの物語」・「ガンダム Gのレコンギスタ」感想目次 - 玖足手帖-アニメブログ-
Gレコ2周目の感想目次 殺人考察&劇場版(パリ) - 玖足手帖-アニメブログ-


  • 前回の殺人考察

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  • 前書き

 AパートはG-セルフに主人公が乗っていないのでサラッと書けるかと思ったら、キア・ムベッキ隊長がなかなかコクの有る行動をしてくれたので、半パートだけど1万9千文字書きました。ごめんなさい。どんどん長くなるな…。サブタイトルの「フレームのある宇宙」までたどりつけてない。

  • なぜベルリは自分の似姿を殺すのか

 前回の20話の前提条件について述べた殺人考察は「ベルリは自分に似ている人物を殺すことでストレスを感じている」という観察結果を述べた。観察としてはそれでいいのだが、物語において、それはどのような効果を持っているのか?それは富野監督の直近のインタビューにヒントが有る。

www.gundam.info

 それと僕は作品を通して世直しをしたい。でも世直しの方法論を示すことはできないんです。だから未来に起こる問題をテーマにしている。宇宙エレベータの技術的な問題やフォトン・バッテリーで表しているエネルギー問題を、そこでやっている劇を通して問題提起しています。それを観た子供たちが30年後、50年後に答えを出してくれるかもしれないと期待しています。今日改めてこの作品を観てもあまり上手じゃない、一般的に伝わるように作られてないと反省はしています。でももしこれを見て、5、6人でも伝わる人がいるならば『Gのレコンギスタ』という作品は50年持つと思います。そのうぬぼれがないと作品を作れない。その自負心を持ってやっています。


(Gレコ放送中のインタビュー)

www.inside-games.jp
―『G-レコ』を子供に見てほしいというのはそういう側面もあるのですね。


富野 
そうです。「元気であることは大事なことだ」という人生訓をちゃんと持てるということはすごく大事なことです。そういう健やかな子供が育てば、今の大人たちのような愚かなところに脚をとられず、なにか健やかな解決方法を思い付く未来がやってくるかもしれない。大きいところでは世界の状況、小さいところでは「ガンダム」ビジネスを展開している人々、そういうものを見ても、僕含め愚民に出来るのは、もうたかがしれているんです。そういう愚民は突然賢くなったしません。人間とはそういうものです。
ニュータイプ論はありえない、というのが「ガンダム」を35年やってきた結論です。だから凡俗に出来るのは、よりよき未来に向けて種をまくことぐらいしかできないと覚悟を決めた、という事でもあるのです。

 つまりそういうことなんである。富野監督は子どもにGのレコンギスタを見せたい。そして未来に世直しの種を撒きたい。現在の僕も含めたガンダム世代の大人は革新に失敗した。大人のくせに自分のその日暮らしの仕事のことで汲々としている。富野監督はそういう大人にはもう期待を持っていない。


 しかし、Gのレコンギスタは色んな人が出るアニメなので、子供向けと言いつつ大人のキャラクターも出す。その際に、大人のキャラクターはどのような意味を付加されるのか。
 

 簡単に言ってしまえばGレコのベルリに似ている、ベルリに殺される大人たちは、「過去の人類の失敗の象徴」であり、子供に対しては「きちんと成長していかなければ、君も前世代の大人がやったような間違いを繰り返すコピーの大人に成長してしまうんだよ」と恐怖をもたせる、というか、人生に対する真剣味を持たせるためのキャラクター配置なのだろう。

 ベルリは飛び級生で勉強はよくできて、授業範囲の事はわかりきったつまらないこと、と第1話で言っていたが、その教官のデレンセン大尉とも戦ってしまうし、冒険の旅に出れば教科書以上の体験をしていく。
 そして、ベルリは自分に似た要素を持ちながら敵になる、間違った大人になった人、つまり自分の「駄目な大人になる未来の可能性」と戦っていくという教養小説的な要素があるのだ。
 だが、自分の未来の可能性を殺していくと選択肢は狭まるし、終盤のベルリはかなり張り詰めてしまうのだが。
 同時に、ベルリに命を奪われた、とくにデレンセンやカーヒルなどはベルリが間違って成長した場合の姿(Fate風に言えば赤アーチャー)であるが、ベルリやアイーダをある程度育ててくれた人でもあり、上手くできなくてベルリに殺される人生だったとしても、そういうった過去の大人たちの業も背負ってベルリには未来に行ってほしいという気持ちもある。


 富野監督はガンダム世代も含めて、大人たちに失望してしまっているが、そういう大人たちの失敗を無視したり歴史的な因縁をなかったことにするんじゃなくて、そういう間違った先行事例や歴史を受け止めて、新しい未来に活かせる何かを生み出す子どもを期待しているんだろう。まあ、Gレコは楽しいロボットアニメであればいいと僕は思っているので、富野監督が子どもにそういうふうに過大に期待するのはVガンダムのウッソの両親みたいだし、そういう期待と義務を押し付けられる子どもはしんどかろうと思う。
 でも、本当に大人がダメになってしまったので、せめて未来の数十年後の子どもに期待するしかない、というところまで監督は追い詰められてしまっているのかなあ。精神障害者の37歳としては申し訳ない。重機の運転くらいできるようになっておくべきだったか…。


 なので、ベルリが自分に似た人を殺すのは、ベルリにとって苦しいことであると同時に、ベルリが過ちを否定して未来に向く、という要素でもある。(教養小説だなあ)

 なかなか20話の分析に行かなくて申し訳ないのだが、それだけ殺人と向き合うことは大事なことなのだ。最近は読者や視聴者に興味を惹かせるためにキャラクターを殺す作家が(最近でもないか)いるが、キャラクターにとって他のキャラクターは生きた人間なので、それを殺すことはだなあ!


 前回の殺人考察で触れた「戦争における『人殺し』の心理学」に関係する感じでもあるが、富野由悠季著:「密会 アムロララァ」P102

 ララァは、その機体のパイロットが、悲しいことが現実のものになったことに慟哭している、と感知する。
”かんべんしてくれっ……!!”
 自分の攻撃で死んでいく人々に、おびえる。
 戦争なら、仕方のないことなのに、少年は、自分とおなじものを抹殺する権利がないことを知って、泣いているのだ。
 人は、おなじものに同化し、一体化しようとする性質がある。
 にもかかわらず、同類を損傷し抹殺する行為が、自分の痛みになるのが、ア、ム、ロ、さん!
 そうでない人は、かつてのララァのように、同類から拒否され、排除され、卑下されつづけた者たち。
 そうでなければ、同類を排除することによって、自らの安逸を手にいれようとする人たち。
 そうでなければ、知恵をもてるがゆえに、狂気という不幸を実践できる、肉体をもった人!
 知性は、自らの動物以下の行動を、利己的な貪欲さで正当化することができる。
 知というのは、肉体を動物以下にすることができる道具なのだ。
 アムロには、その知恵はない。
 ララァは、ようやく、なんであの少年に心惹かれるのか、ということがわかった。
『そうなんだ、優しいアムロさん……そういうあなたなら、ニュータイプだわ』
「凄いな……あのパイロットは、ニュータイプとして覚醒をはじめている。ララァとおなじレベルか、それ以上にな」
 シャアは、少年の能力をスペックとして捕らえている。
「……はい……」
 答えてみたが、気持ちが悪かった。
 シャアの理解は痛い。
密会 アムロとララァ (角川スニーカー文庫)

 というふうに、ガンダムでは最初の主人公のアムロから、同族殺しに悩む主人公が描かれてきた。同時にGレコでも扱われた差別や、安逸を求める愚民や、知恵を持って戦争を弄ぶ敵、というのもある。富野由悠季の根本的な人間観や、キャラクターの関係性についての見解かもしれない。
 肉体派のNTとして見たシャア・アズナブルについて書いてみた記事はこちら。
nuryouguda.hatenablog.com


 そして、今回のGのレコンギスタ第20話でのキア・ムベッキ隊長はまさに、知恵を持って戦う人だ。では、やっと第20話の解説を始めます。
 今回はベルリの殺人考察とキア・ムベッキの殺人考察が交錯します。書くのがめんどくさいけど頑張るぞ。

  • のんきな導入のベルリ





 冒頭の回想によればベルリはフラミニア先生についてほとんど恨みを持っていないようす?



 G-セルフはクレッセントシップの前デッキに移送されるが・・・




 前回のラストではメガファウナのメインクルーはブリッジに集められていたが、本放送の時の感想でも書いたが、Git団は4人か5人、フラミニアとヤーンを入れても10人にも満たない人数でクレッセントシップをハイジャックしたので、歩兵戦力が圧倒的に足りず、メガファウナのクルーを拘束することはできなかったようだ。何日くらい経ったのかわからないが、メガファウナのクルーはわりとメガファウナの中では自由になっているようだ。眠らされたベルリも逆に疲労が取れて割りと好調の様子。

  • テン・ポリス出動


 ロザリオ・テンの警察テン・ポリスの使うMSポリジットが接触してくる。ポリジットは前回第19話でアルケインでクレッセントシップの円の中央を移動する時の背景にいたけど、前回のポリジットはロザリオ・テンのポリジットではなく、クレッセントシップの所属?

キア「我々の考え方がリギルド・センチュリーの正義だということが」








 G-セルフについて舐めプをしていると本放送の時の感想でも書いたが、この時点のキアはG-セルフを脅威だと思っておらず、クレッセントシップのエンジンを活性化させたもの、という認識。技術的な興味を優先させている。
 また、ポリジットの抵抗を排除すると言うのがキア・ムベッキより先にクン・スーンだというのも、後々効いてくる。キア・ムベッキもポリジットにG-セルフぶつけて爆発させると言っているが、ポリジットも撃破するとは言っていない?


 カット割りがベルリ主観とキア・ムベッキ主観で細かく割られているのだが、文章で多少まとめる。

 当初の予定通り、ラ・グー総裁に会うのを目指したいベルリ。

 ジットラボとロザリオ・テンが同じシー・デスクにあるような感じだが、いまいち位置関係がはっきりしていなかったのがTV版の欠点。劇場版ではキャピタル・タワーのナットも個性的に色分けされることになったのだが、オーシャン・リングも変更されるのだろうか。




 キャピタル・タワーのケーブルやザンクト・ポルトカシーバ・ミコシを盾にしてきたように、ビーム攻撃されない場所を飛び飛びで移動していこうという、メガファウナの基本方針。
 ジット団はロザリオ・テンではなくジットラボにクレッセントシップを強制的に向かわせているが、ベルリは逆にこっちの方からジットラボに行こうと提案する。



 研究所なのだから反撃されない、という理屈だが。凄いメカを持っている敵にハイジャックされて「ジットラボに向かえ」と言われている状況で、「反乱する空気を臭わせつつ、言われた場所に自発的に行く」というのが、ちょっと分かりにくい。ジットラボにはMSもいるはずなのに…。(砲台とかはなかったけど)
 ジットラボから敵が発進する前に自分たちが先に襲撃をかければ先手を取れる、ということか?


 前回、ラライヤさんがリンゴに「クンタラなんて大昔のことじゃないですか!」と怒ったが、ジット団もクンタラを知っているようだ。だが、人肉食をするほど困窮しているわけではないので、おそらく地球人のサンプルとして人体実験に使ったり調べたりしたいということだと思う(食べるより残酷かも)。
 ジット団は凄いメカを持っているので地球人はおとなしくなったと思ったのかもしれないが、海賊は反骨精神と戦闘経験があるしベルリはG-セルフに自信があるので戦う。
 ところで、このシーンでは操舵士のステアなどが無重力で浮いて寝ながらミーティングに参加している感じだが。少しでも休める時に休もうという態度か?全員が棒立ちにならないレイアウトの面白さがある。


 メガファウナはジットラボに向かおうとするが、ベルリはアイーダさんに「姉さんは真っ直ぐにロザリオ・テンに突っ込んでくださいね」という。アイーダさんには敵地の制圧より「宇宙にある海の夢」を見つけて欲しい気持ちなのか。しかし、アイーダさんのMSはメガファウナの上に位置しているんだから、結局ジットラボには行くんだよな。





 視聴者も気になっていたベルリの傷は大丈夫そうだ。姉といちゃついているベルリをみて、ノレドさんは少し嫉妬する。前回はベルリがアイーダさんを姉と認めたことを女子高生3人組が喜んだのだが、やっぱりベルリがアイーダさんを異性として見ているというか、弟の立場を利用してスキンシップするのは腹立つのか。



 アイーダさんの替わりにベルリがG-アルケインに乗ってG-セルフ奪還作戦をして、それからジット・ラボ経由でラ・グーという偉い人に会いに行くぞ、とケルベス中尉の呼びかけで、みんながキャピタル・ガード伝統のウォークライをする。


 キャピタル・ガード出身なのはベルリとケルベスだけだが、アメリア軍のアイーダ、オリバー、ルアンにトワサンガのラライヤとリンゴも参加する。


 パイロットじゃないのでノレドは疎外感を持つ。ところで、このノレドのゴムはモビルスーツの部品を分けてもらったものだという。「そのゴムすごいねー」とマニィが話しかけるが。なんで宇宙に出てからゴムを取り替えたのかって言うと、おそらく地球で使っていたゴムに比べて、モビルスーツに使われるゴムは宇宙線による架橋反応や高分子主鎖切断反応による劣化に耐性がある、ということだろう。地上でも原子力発電所などで使われるゴムの部品などにはいくつも工夫がされていて論文もネットによくある。
 ノレドのパチンコ、次回21話でジット・ラボの成人男性が持っていた武器にもなる工具を吹き飛ばすほどの威力を見せるのだが。
 宇宙ではゴムが宇宙線で変質するから耐性のある素材に取り替える、というの劇中で説明ないし、僕みたいな理系崩れなら分かるけど、ほとんどの視聴者や富野監督が見せたい子供にはわからんやろ…。でも、前回の握ったら光る塗料とか、そういう科学や宇宙に対する興味のキッカケを子どもに見せたいという監督の意気ごみがあるんだろうなあ。


 一応、元気なさそうなノレドの心配をするベルリ。ノレドはベルリがモビルスーツ戦をするのを心配する。ベルリはノレドに安全なところに隠れろという。



 ノレドにヘルメットをかぶせてやるマニィはガランデンで仕込まれて宇宙に慣れているようだ。リンゴにも「ノレドは歴史政治学もやるんだろ」と言われるが、マニィとノレドは後方支援に満足せず、結局次回、MSに乗ってしまうんだなあ。
 富野監督は「女性の復元力を描きたい」と言っていたし、マニィは「女の力でー!」だけど、女が積極的に戦いに参加してしまえるメカニックの怖さみたいなのもあるよね。
 しかし、Gレコの女性は戦うだけではなく、恋もするし妊娠もするし、「戦士としての女キャラ」「守られるヒロイン」「妊婦」「美女」とかの要素やジェンダーとしての役割がキャラクターごとに固定されているんじゃなくて、どのキャラクターもそういう要素を多かれ少なかれ組み合わせて持っているという感じだ。まあ女性にはいろんな側面があるよね…。
 女性キャラクターの役割が固定されてなくて、色々する女子が多いのがGレコや富野作品なので、そういう点で女性ファンが多いのかもしれない。(美形もいるしね)ツイッターでもGレコのファンアートを書いてる人は女性が多いし。(まあ、男性はプラモデルを作っているので男性ファンがいないわけでもない)(僕は絵もプラモデルも作ってないけど、文筆で・・・)

 そういうメガファウナの中でのモビルスーツ発信の反乱行動に気付かず、テン・ポリスの方を危険視して、クレッセントシップに脅しをかけるキア・ムベッキ隊長。




 人間爆弾といえば富野監督の残酷描写として有名なので、僕達視聴者はびっくりしたし、キア・ムベッキは悪人だと思った。しかし、それはミスリードで、人間爆弾に見せかけたパーティーグッズだった。
 この論のタイトルでキアはベルリのシャドウだと述べた。


 色々あるのだが、キア・ムベッキは自分が頭がいいと思っていて、実際に優秀な成績で研究所の局長にもなった。それで物事が自分の想像どおり分かりきった展開になると思っている。パーティーグッズを爆弾にするという発想もおもしろいし、同じ金星人を殺さないで言うことを聞かせるために効率的な手段としてもうまい。
 そういう、頭でっかちな面は序盤のベルリに似ている。ベルリポインツ!


 頭でっかちな作戦のせいで死んだのはデレンセン・サマター大尉もなのだが、それがキャピタル・ガードという軍ではない組織の癖なのかもしれない。そして、ジット団も実際は研究者集団なので戦士ではないし、軍隊でもない。ベルリも自分が軍人になったとは思っていない。ベルリポインツ!



 ポリジットから尋問を受けるキア。(ビーナス・グロゥブを挟んだ、この距離だと(同じシー・デスクにあるらしい?)ロザリオ・テンに行くのかジットラボに行くのか、ほとんど角度が変わらないようなきがするが・・・)



 クレッセントシップに技術的な問題が発生している、というのは嘘なんだけど、キア・ムベッキ隊長はこの時点で「なんとか嘘で上手く誤魔化して戦闘を避けたい」という意図があったのかもしれない、という可能性がある。
 右上を見ているので、嘘を想像して考えて乗り切ろうとしているサイン。(左上を見る時は過去の事実を思い出すサインらしい)
 人差し指を付けたり離したりするのは、苦し紛れである心理状況のサインでもある。


 キア・ムベッキは口では「テン・ポリスを叩く」と言っているし、演出的にも悪人だとミスリードされているが、細かく仕草や台詞を見ていくと実際の戦闘行動には後ろ向きな態度だといえる。


 しかし、そこを部下のチッカラ・デュアルジャスティマがポリジットに殴りかかって戦闘状態になってしまう。



 実はこれと似たようなことが以前にもあった。
 第4話でベルリはキャピタル・アーミィカットシーとの戦闘を止めようとしたけど、割って入ったクリム・ニックによって戦闘が激化した。

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「僕はベルリ・ゼナムです!攻撃しないでください!船にはノレドとラライヤもいるんです!」と、長文で訴えるベルリ。しかし、ミノフスキー粒子によりその電話音声は通じない。(ちなみに、スピーカー発振での音声も通じないので、離れて飛行しているカットシーにはG-セルフの声は聞こえない)


だが、デレンセン大尉、熟練!シールドをG-セルフ接触させて「接触回線(お肌の触れ合い回線)」でベルリとコンタクトを取ります。で、もう一度ベルリは教官殿に状況を説明しようとするんだが。「接触回線で聞こえる!」というコミュニケーション成立の期待感を上げておいて、「僕はベルリ・ゼナムです!」って言った所でクリム・ニックが割り込む!攻撃!
あー。

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 キャピタル・アーミィを知らないからこそ、キャピタル・タワー運行長官の息子という彼の内面に無意識的にある選民意識、ノブレス・オブリージュで(そして、それはベルリが養子だからより意識的に強化されている)、ベルリは「自分が説得したらアーミィも兵を引くだろう」と多寡をくくっている。知らないものに対してそんな舐めた態度でいると足を掬われるのだが、ベルリはまだ戦争を知らないし防衛組織の公務員志望なので「自分の組織が実戦に積極的になるはずがない」という9条の下の自衛隊みたいな甘ったれがある。


 ベルリは千年戦争をしてないキャピタルの安定を宗教レベルで信じているので、戦争という概念を知らない。同じようにタワーをメンテナンスしていれば同じように安穏と暮らせるという楽観主義で生きている。
 だからベルリは自分が戦争をするという発想自体がないし、ベルリは誰かを傷つけたり、戦って勝ったり奪ったりしたいとは思っていないが、実は彼にも闘争本能はある。それは女に認められたい、愛されたい、選ばれたい、という本能だ。

 これと同じく、キア・ムベッキも、ピアニ・カルータの思想に影響されていたにせよ、本当の戦争を知らない人間だ。ベルリポインツ!
 また、キア・ムベッキが通信で騙してポリジットとの戦闘を回避しようとしたのに、部下のチッカラが先に戦端を開いてしまうのも、4話でクリム・ニックに戦端を開かれてしまったベルリポインツ!


 なぜ、キア・ムベッキチッカラ・デュアルに戦端を開かせてしまったのか?
 それは、富野監督がキア・ムベッキについて述べたことのとおりで、「(声優の中井和哉氏に)このキアってキャラクターはすごくかっこいいから、かっこよく演じてほしい」 ということ。つまり、キア・ムベッキはかっこいい。正確には「部下の女性の前で格好つけている男」ということなのだ。だから、キア・ムベッキ本人は実はそんなに殺人をしたいわけではない人間だが、Git団のトップとしてレコンギスタには犠牲もやむなしという「イズム・主義主張」を掲げてかっこよく部下を牽引するために、部下には弱肉強食の理論を言っている。それに心酔している部下は殺人を正当化して(というか、殺人の責任を仮想的にキア・ムベッキに取ってもらっているつもりになって)戦端を開く。
 また、Git団の主要なメンバーがクン・スーンチッカラ・デュアルフラミニア・カッレなど女性というのも彼が「格好つけている」というポイントだろう。(ローゼンタール・コバシがオネエなのもそういうふうに心酔していたから?単にオカマを出したかっただけか?)
 キア・ムベッキ隊長はデレンセン・サマター大尉に似ている点があると指摘したが、女性の部下に主義主張を教えこんだり恋愛したり、格好つけて武力計画を練るところは、カーヒル・セイント大尉にも似ている。前半で死んだデレンセンとカーヒルという「間違った大人」の要素がここに来てキア・ムベッキというキャラクター造形の中で融合して再出現している。
 もちろん、「間違った大人」と言っても、悪人とか言うわけではない。グシオン・スルガン総監も人格的にはいい父親だったが、アイーダさんに「軍の組織に迎合して死んだ」と「間違った大人」として総括されてしまう。人間的に善か悪かということではなく、富野監督が「こういうふうに大人は間違ってきたんだ」と子どもに見せて、未来の子どもに新しいことを考えさせるためのフックとしての「過去の大人がやってしまう間違い」。


 「ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス」のキア・ムベッキの項のデザイナーの西村キヌ氏のコメントによると、

 監督ラフに「メカフェチフェミニストが同時に成立するので、女性は(彼を)好きになっちゃう」と書いてあって、おいおい最高だな〜と思い、勝手に超カッコいいつもりでデザインしました。
ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス

とのこと。
 主人公のベルリも女性には物腰が柔らかいし、メカフェチなので、やはりここもベルリとキアは似ている。ベルリポインツ!


 キア・ムベッキがもしかすると殺人に対してそれほど積極性を持っていない、女性の部下の前で格好つけている人物で弱肉強食の思想を持っている割に本質的には戦士ではない、という風に書くと「富野監督がキア・ムベッキは一番かっこいいキャラだと言ったから、カッコイイと思うし、好きだ」という富野ファンの人に怒られるかもしれないのだが。
 絵を見ていると僕にはそういうふうに見えてしまったのだ。


 しかし、主人公と対立する、超技術集団の隊長で弱肉強食の主義主張を掲げて部下を牽引しているが、本人はそれほど殺人が得意ではない、というのは、バトルアニメではなかなかない、複雑で珍しい人物だ。(だからラスボスにならなかったのだろうけど)
 本質的にはキア・ムベッキはやはり技術保全局長という研究者で、戦士ではないのに研究の結果として武器を手に入れて、ピアニ・カルータの思想に染まったのが不幸なのだろう。まさに、「知恵をもてるがゆえに、狂気という不幸を実践できる、肉体をもった人!
 知性は、自らの動物以下の行動を、利己的な貪欲さで正当化することができる。
 知というのは、肉体を動物以下にすることができる道具なのだ。」
 技術が本来戦士ではない人の闘争本能を芽生えさせるか助長するのでは?という文明批評かもしれない。

  • ポリジットとの戦闘


 話はぜんぜん変わるけど、ポリジットがジット団と戦闘する前にブースターユニットを切り離すの、増槽を捨てる戦闘機っぽくてカッコイイよね。



 バッテリーとオーシャン・リングにビームを向けることは絶対に禁止だ、と、金星に来てもザンクト・ポルトのようなタブーが意識されるが、今回はそれが…。今までは運良く「やらかす」という結果にならなかっただけで、Gレコでは割りとヒヤリ・ハットな感じでビームがかすめることは多かった。(ドレット艦隊としては不本意ながらガビアルを爆発させたり、ということもあった)(アイーダがウィルミット長官のグライダーを撃とうとしたり、クリム・ニックが指揮するサラマンドラが知らずにグシオン・スルガンの乗っているグライダーを撃ったこともあった)
 Gレコは結果として大規模破壊や不幸をやらかすかどうかは確率で、やらかしがちな行動は頻発している。運任せなところがある。アニメはコントロールできる媒体と言われるが。



 ジロッドが器用に複数のビーム砲台を操ってポリジットと戦う。



 ジャスティマもまだサーベルを使ってないし、この時点ではまだ死んでないが、ポリジットの盾は硬い。戦艦をぶち抜くサイズのジロッドのビーム砲を食らっても、ポリジットの盾は3分割できるユニットの一部が外れるだけ、という。こういう細かいところでロボットの装甲の強さを見せていくの、うまいなあ。

 3機編隊でシールドを外にしてファランクスみたいに飛行するのも戦術がある組織的な戦闘能力という感じでいい。


 ポリジットは意外と性能も高いし訓練も積んでる感じだった。シールドを一部破壊されても、ジロッドに反撃してビームライフルを使う。


 「そこまで嫌うか!」には色んな意味があると思うが。キア・ムベッキ隊長はG系MS部隊を見せるだけでポリジットは怖じ気づいて戦わないで勝てると思っていたのかもしれない。しかし、ポリジットも反撃する。∀ガンダムのムーンレィスの初期の戦術の失敗に似ている。
 また、ベルリも序盤はキャピタル・ガードが武力を持ってキャピタル・アーミィになるとは思っていなくて争いは言葉で解決できると思っていた。そういう共通点もベルリポインツ!



 クレッセントシップの甲板に乗っていたメガファウナが離脱する。それはクレッセントシップのブリッジを監視するカメラには写っていないのかもしれないが・・・。単にポリジットとの戦闘で忙しかったからというだけかも。まあ、人間爆弾はフェイクだったが。



 やる気まんまんのラライヤさん。

 G-セルフを見張っていたジット団のリジットのビームライフルを避けつつ、牽制のビームを撃つラライヤのネオドゥ。その後ろから、ベルリの動かすG-アルケインが敵のビームの直撃をアルケインのシールド(センサー・バーナーは耐ビームコーティングにもなる?)で受けながら突進して


 そのままシールドでリジットをクレッセントシップの先端ドックから突き落とす。そこにネオドゥが追い打ちでリジットの右腕を撃ち落とす。ラライヤとベルリの見事な連携。また、G-アルケインのメイン装備であるロングビームライフルを最初から持たないで、むしろ格闘戦ではジャマだからと、シールドだけでリジットに押し勝つベルリはやっぱり戦闘センスがずば抜けている。並の兵士ならロングビームライフルを手放すのは怖いと思いそうなのに。ベルリは格闘で勝てると自信があったんだな。力量の見せ方がうまい。(ロングビームライフルを使ってクレッセントシップに傷をつけたくないというのも大きかっただろうけど)




 そして、フラミニア先生を突き飛ばし、G-セルフの頭を掴んで揺すってヤーンを排除する。ベルリにしてはかなり荒っぽいのだが、やっぱりいきなり注射された恨みがちょっとはあったのかもしれない。あと、G-セルフは自分のものだという意識。

 フラミィとは親しかったラライヤだが、突き飛ばしてベルリにサムズアップ。G-アルケインもサムズアップ。ラライヤさんなりに裏切られた気持ちを晴らしたのだろうか。




 改めてジットラボを目指すメガファウナキア・ムベッキは強制的にジットラボに行けと言っているのに、メガファウナは自発的にジットラボを目指すので、ちょっと変な感じはする。



 突き飛ばされたフラミニアとヤーンを無視してメガファウナとそのモビルスーツは進んでいくが、マニィは気を利かせてクレッセントシップに二人が漂流したと伝える。終盤仲間になるフラグ?
(人間爆弾の件でクレッセントシップが微妙なリアクションをするのが初見では面白かったけど、ネタバレを見たあとでは割愛する)



 ネオドゥに右腕をやられたリジットは意外と素早くキアのジャイオーンに報告に行く。が、戦力低下しているのでキア隊長の指示でクレッセントシップに戻って、そこからラボに戻ることになって、助かる。

  • ポリジットを殺害し、宣言

 ポリジットがジロッドに反撃してきたからか、G-セルフが奪い取られたからかクン・スーンジロッドのビットでポリジットを殺害する。


 ポリジットのシールドは硬いので後ろからオールレンジ攻撃。


 そして宣言。「我らがジット団はレコンギスタを目的に決起した」

 テン・ポリスに対する殺害と宣戦布告がキア・ムベッキではなく、クン・スーンによると言うのも、もしかしたらキア・ムベッキ隊長からすると想定外だったと見ることができる?
 ∀ガンダムのポゥみたいに戦闘で血が上ると殺してしまう女。




 もしかすると、キア・ムベッキ以上に好戦的な女性ふたり。富野監督は米軍のドローン爆撃機パイロットで女性も戦争に加わっていることに不快感を示していた。なので、戦闘マシーン技術を得たら女性の方が苛烈というのを描こうとしたのかも。(ダンバインZガンダムVガンダムでとっくにやっていたとも言えるが)
 機動戦士ガンダムの時点では「女性は本質的に守りの性質があるので、戦士にはならない」と企画書に書いていたけど、なんだかんだとセイラさんも戦場に出たし、富野アニメには女戦士は多い。


  • Bパートに行く前に

 本放送の時の感想は初見だったのでキア・ムベッキ隊長は悪人で強い戦士だと思っていたが、人間爆弾のネタバレを見たあとだと、それほど悪ではないとわかった。むしろキア・ムベッキはポリジットに嘘をついて乗り切ろうとしたりして、戦闘を避けてたのかもしれない。暴走しているのはジット団の部下の女性で、キア・ムベッキピアニ・カルータの弱肉強食の思想を本人以上に、本人ではないからこそ自分の暴走と暴力の免罪符にしているのかも。「自分は隊長の思想に従っているだけだから」と。これも全体主義の形かもしれない。(キア・ムベッキの死後のフルムーン・シップはさらにキア・ムベッキを偶像化する)


 また、キア・ムベッキにとって誤算だったのはクレッセント・シップが降臨祭を済ませずに、しかもG-セルフによってスピードアップして金星に戻ってきたことだろう。
 トワサンガのハザム政権にメガファウナの処理を依頼されたというのもあるが。キア・ムベッキの技術信奉の思想や、ポリジットの反撃を予想してなかったように見える点から見るとG系のメカを見せると周りは黙ると思い込んでいた気がする。
 そのためには、本来はあと1週間位後に決起する予定だったのではなかろうか。具体的には(後に地球人に奪われることになる)組み立て中だったジット団のコンキュデベネス、G-IT、ジーラッハG-ルシファーマズラスターユグドラシルダハック、トリニティなどのメカを完成させてから、その威容によってロザリオ・テンの連中も黙らせて、フルムーン・シップで地球を完全に蹂躙する予定だったのだろう。
 でも、トワサンガでの地球人との揉め事や土砂災害とかで、クレッセントシップは早めに帰路について、しかもスピードアップした。なので、キア・ムベッキはリジットと3機のG系マシーンだけでクレッセントシップを制圧する作戦をせざるを得なくなった。
 想定外の事態に振り回されたり、予想が覆されるのは、ベルリ・ゼナムくんも何度も食らってきた。ベルリポインツ!


 そういうわけで、キア・ムベッキは「作中で一番かっこいい男」というだけでなく、主人公のシャドウでもあり、また、かっこいい主人公が少しずれて覇道を目指す男に成長した未来の可能性のメタファーでもあると思う。仮面ライダーオーマジオウみたいな。
 オーマジオウといえば、かつての主人公の成れの果てとしては、リーンの翼のサコミズ王もそういうところがあったな。声が小山力也さんだし。


 新訳Zガンダムでもカミーユクワトロ・バジーナ大尉を含めてシロッコハマーンを観察していた面がある。
 キングゲイナーも人生が二周目のゲイン・ビジョウと少年のゲイナー・サンガとのダブル主人公だったし。
 21世紀の富野作品は「大人が間違ってしまったにせよ、そういう上の世代を若者は観察して、もうちょっと上手くやってほしい」という願いが見受けられる。

 まあ、世代論はVガンダムブレンパワードでもやってたし、もっと言えば技術をうまく使えなくて滅んだトリトン族とポセイドン族の闘争を描いた海のトリトンからやってたといえばやってた。無敵超人ザンボット3のビアル星人もトリトン族のリメイクっぽいし。そういう作風で、子どもたちに未来を考えてほしいというのが富野監督の基本的な方針なのかなあ。

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