玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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バイストン・ウェルも一つの世界なんだな。

ファウ・ファウのいる世界に一方的に救ってもらうんじゃなくて、バイストン・ウェルに悪影響を与えるような生活は改めよう。
オーラマシンって核兵器に対するカウンターだったのかも知れんし。
しかし、そう言う世界の意思を代弁する霊的な蟲のようなもの、単なる機能にしては、ファウ・ファウもチャム・ファウもキーンもニーもエレもシーラも他のコモン人も、皆生きていた。それがドラマなんだよなあ。くぅ〜〜っ。
バイストン・ウェルは人の思いが作った世界だが、人の思いだけで自由になるものでもない。
ファウ・ファウ物語のあとがきのトミノの心理は正確にはよくわからないんだが。

「あるかも知れぬ事なれば、あるかも知れぬとして聞くのだぞ!」
人が作った物語は、口先だけのものでなく、文字の中だけのものでもなく、まして、意識の中に封じ込められただけの物でもないのです。
現実を支えるものなのです。
それは、個人の創作以上に、現実の物になったのです。

と言う感じの主張は僕の脳内妄想にも近しいフィーリングかも。
トミノはこの頃の黒トミノのいうバイストン・ウェルは逃避だったというが・・・。聖トミノは新たにリーンの翼を作る・・・。これはどうなんだろうな。
やはり、思惟の世界も現世に対になるものとして必要なのだな。
逃避でもいいじゃないか。押忍というのは前向きな忍耐と言う。
押避!
一生脳内妄想します!