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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ガッチャマンクラウズインサイト09 集団的自衛権やネトウヨにも踏み込むバトル面白い

09 opt-out

オプトアウト 【 opt-out 】

オプトアウトとは、離脱する、脱退する、抜け出る、手を引く、断る、などの意味を持つ英語表現。

企業が一方的に送ってくる広告などの受け取りを拒否することや、そのために用意された制度や措置などを意味する場合が多い。

唐突ですがなんか、僕も猿になっちゃったんですよ。ずっとデレステでアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージの音ゲーをやってぷちでれらルームでマターリしてずーっとゲームばっかりしてて全然執筆活動してない…。
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あーーーー。僕は動物化しました。



espresson.hatenablog.com



ちゃんとした感想を書いてくださっているブロガーさんがいるので、僕はテキトーに思った事を書きますね。


今回はバトルが面白かったっすね!最近、「GATCHAMAN CROWDS insightは政治や社会への風刺メッセージがきつくてキャラクターのドラマになってねーな」とか言ってたんですが。
今回はゲルサドラ×丈+清音のガチバトルのバトルアニメーションも面白かったんだが。
(阿蘭は…?)
バトルアクションだけでなく、そこに至るキャラクターの葛藤がちゃんと描かれていて、今回はドラマしてた。ていうか、ガチクズはちょっとドラマチックな所と政治的メッセージのところと女装少年萌えハイヒール男性萌えの振れ幅が激しすぎると思うんだ。


清音がガールズに裏切られたり、裏切ったGIRLSのピンク髪のエリナちゃんもくうさまの空気におびえてたり、葛藤があった。

「空気ってそんなに悪いものですか。俺、ここんとこ空気に浸かりっぱなしでした。ていうのも、今気づいたんですけど。ガッチャマンてだけでみんなちやほやして くれて、女の子もいっぱい寄ってきて、好きでもないカラオケみんなで行って、大しておいしくないバーベキューみんなで食べて、そういうの凄く楽しかったん です! 何も考えなくても楽しいなんて、凄いことじゃないですか! 空気に流される幸せだって、あっていいじゃないですか!」

チャラ音、ずっとヒーローに憧れて真面目マンとして留年してヒーロー活動していて、やっと初めて手に入れた友達関係の幸せ感を吐露していて、泣ける。
好きでもないし美味しくないバーベキューが楽しいというリア充の虚構な幸せに浸っていたと告白する清音。ヒーローをやってた時には味わえなかった友達関係は虚構でからっぽで大しておいしくも好きでもないけどかけがえないみたいな、そんな青春。清音もボケーっとガールズとチャラチャラしてるだけに見えて色々感じてたんですねーって言うドラマ性がある。
それをスルーするうつつちゃんという、ガッチャマンの中での清音の寂しいポジションも暗示させて、だから清音はガッチャマンではなく大学のサークルに行きたくなったのかなあ。


そんな世の中やガッチャマングループの空気を作っちゃったことに責任を感じて戦いに行く枇々木丈さんもドラマ性がある。バトルもカッコよかったけど。


あと、ルイルイが「くうさまの影響でお話しできる状況ではありません」というメチャクチャシュールなダメ人間になっていたのも面白いし、その爾乃美家累を救うためにスマホの総裁Xが拘置所に面会に来るというシュールな絵面も面白い。そこから拘置所の中の犯罪者の鈴木理詰夢がダメ人間になっているルイルイをテレビ電話で罵倒したり、リズムがスタイリッシュ脱獄からの予言成就に行くラストの引きもドラマチックで面白かった。


うんうん。今回は色んなキャラの描写があるし、色んなキャラの立場が変わったり意見をぶつかり合わせる展開があるので、バトルが象徴的だけど、ドラマが動いて面白かった。
ゲルサドラとべったりだった三栖立つばさが別れて実家に帰るという物理的な距離の動きとか。あと、丈と清音は勇んで戦いに行ってからボコられるまでが様式美。

  • みんなの空気の怖さ

んで、くうさまは空気を読んで空気に流されて空気を乱すものは排除するんだー。っていう。
『真紅の天使 やがてその形を変え 優しき獣たち 現る 彼らの名は一つではない』
という獣が、JJロビンソンのくうさまへの予言だったのだが。
彼らの名は「一つ」ではない、つまりくうさまは色んな名前を持っている、とも見れる。

espresson.hatenablog.com

 名前が一つではないというのは、確たる自己がない、何者でもなく、何者かになってまえるような存在であると。

 そしてそんな何者でもないものでなく、何者かであろうとするものを疎ましく思う人たち(cluster「群衆」)がやはり答えじゃないか。少なくともそれ(集合的なもの)に類する何かだと思いますね。


逆に搦め手として彼らの名は「ひとつではない」だ。と見ることもできる。なので、くうさまは「一つになろうぜー」って言って人を飲み込んで消してしまうんだが、「ひとつ」で完結している完璧に機能する全体主義ではない。「一つになろうぜ」っていって、一つではない人をわざわざ排除するというのは、「ひとつではない」という事を証明しているわけなんですね。
だからくうさまはひとつになりたいとしているけど、ひとつになりたいと言う時点で一つではないんですよねー。


その象徴的なのが、ガッチャマンのパイマンがゲルサドラの広場に乗り込んできた時に最初に椅子を投げて攻撃したゲルサドラ派のモブのおっさんが、次に登場してガッチャマンションに殴り込みをかけようとした時に他のメンバーに「やりすぎだろ」って言われて、くうさまに「あつくなってんじゃねーよ」って言われて飲み込まれた所。
椅子を投げた時のオッサンは場の空気と一致していたが、そうやってゲルサドラを守ろうとする気持ちをエスカレートさせたオッサンはマンションに殴り込みに行くときには場の空気と外れたから飲み込まれる。くうさまに確固たるルールとか目的は無く、「ゲルサドラを守るためにガッチャマンに暴力を振るう」と言う点で一貫していたオッサンは、ただ単にその時々の「大衆の平均値に近くない」と言うだけで排除された。
ヤバいな。


そして、その空気は一気に相互監視社会になって、言いたいことを言えないし言っただけでくうさまに飲まれるという地獄になった。
何が正しいのかはわからず、とにかく「みんな」という流動的で見えない「空気」に近いかどうかだけで生き死にがかかるとか、地獄すぎる。


そんな風な監視管理ディストピア社会に対して「ウソツキ!」と叫ぶのが「犯罪者・梅田」の娘だったり、反旗を企てるのが拘留されていた過激な平和主義テロリストの鈴木理詰夢という「社会から外れかけている犯罪者」というのもなかなかエッジが効いている。


            

   赤き指揮者が旋律を  

   変えるとき      

   人は自らの色を失い  

   色無き風に      

   過ちの牙を突き    

   立てる        

              
赤き指揮者はVAPEのリズムで、色無き風はゲルサドラで、どうやら来週はゲルちゃんがピンチなんすよーみたいなことをはじめちゃんが言うので、ゲルサドラが悪だから排除!してメデタシメデタシと言う話でもなさそう。ゲルサドラを排除しようとする人々の攻撃は「過ちの牙」なんだそうだ。


nuryouguda.hatenablog.com

  • ゲルサドラ=アメリカ

じゃあ、なんで丈さんはメディア戦略をしてゲルサドラを当選させようとするのか。
それは「クラウズ否定」=「武装放棄」なんですね。丈さんは憲法9条護憲派で、かつアメリカの基地駐留を容認する安保体制派。
自民党護憲派と言うのはちょっと変かもしれないが、まあ、とりあえず「自国民に戦う武力を持たせないで、武力はヒーローや宇宙人(アメリカ)にアウトソーシングする」という考え。


宇宙人と言う外国人であるゲルサドラは外国人だけど、国民の意志や空気をすごくよく聞いてくれる。
また、ディズニーキャラクターのようなポップな親しみやすさや外面の良さがある。
なので、戦後の日本から見た「公平で民主的なアメリカ様」の要素がある。
ガッチャマンクラウズ1期はある意味戦争で、2期は戦後なのだが。その戦後の日本における「公平で正しくて強いアメリカに従いたい」という空気、「日本は武力を持ったからたくさんの人が死んで敗戦した。だから武力を持たせた戦犯を否定したい」という感情とリンクしている。

と、5話の感想で書いた。


そこから今回はより進んで、くうさま=空気=透明な嵐=同調圧力=みんな=集団的自衛権
と、見ることができる。
現実の国会の答弁などでも、戦闘行為や補給作戦などの適応に関して不明瞭で明確なルールが無いようすの集団的自衛権ですが。
どうも、GATCHAMAN CROWDS insightはそこへの批判意識もあるような気がする。hazukinoblog.seesaa.net
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集団的自衛権は「みんなの秩序」を守るためのものなので、一見「みんな」に属している人からすると「安心」「温かい」と思える。
ただし、ガッチャマンクラウズ インサイトが今回描いたのは「みんな」を構成する個々の権利や幸せを守る事が平和ではなく、「秩序」を守るために個人を排斥したり消滅させて言論を封じるありさまだった。
集団的自衛権でアメリカに守ってもらえるとか、間違った国におしおきできるとか、言う。
でも、それは相手が間違っているとか、自分が正しいからではなく、「みんな」という強くて数の有利のある側に属しているから、に過ぎない。
今回、ゲルサドラは丈と橘清音を武力で退けた。
そしてまた、ゲルサドラが原因で生み出されたくうさまは暴力で人を消す。
そして、消された人の周りの人は「消された奴が間違ってたんだよ」と言うしかない。これは、対テロ戦争でアメリカ軍の空爆で何百人ものISISが殺されても「殺されたテロリストが悪い」と言って、その周辺の歴史や金や物や政治の流れを無視する先進国の我々「みんな」の態度にも重なる。
テロを起こさざるを得ない、ゲリラ戦をせざるを得ないくらい追い込まれた人もいるのがこの世界だが、それを「秩序を乱したから」と圧倒的武力で消滅させるのがこの世界でもある。
また、それは人種や国が違う他者だから排斥する、と言うのともまた違って、同じ国の人でも「空気」を乱したり違う意見を持ったら排斥する。
だから、ゲルサドラを守ろうとしたオジさんは排斥された。


アメリカはメディアと武力が支配する国と言う側面もある。ケネディの選挙ではイメージ戦略が重視されたし。
アメリカ=空気として見た場合、面白いのがチャップリンのエピソード。
1920年代までポップスターとしてみんなの空気を代表していたコメディアンだったチャップリンはアメリカを拠点として英仏、日本にも大人気だった。が、1936~1940年ころにナチスを批判した「独裁者」と資本主義を批判した「モダン・タイムス」で反感を受け、WWII戦後のアメリカでは共産主義者として赤狩りに遭ってアメリカを追放された。
空気を読むことに長けていたコメディアンが自分の芸術性を出すと追放される。これは今回のガッチャマンクラウズとか、ネットの炎上事案やネット私刑にも通じますね。


そして、くうさまはゲルサドラ(アメリカ)にも制御できないらしく、ここらへんは国際経済の影響で国が吹っ飛ぶのを描いた「C」の中村健治監督らしく、「経済とか集団的自衛権といったものはたとえアメリカ本国でも制御できなくなる」というスタンスのようだ。
というのも、「集団的自衛権だから」と言った時に、目的や目標や責任の所在はもはやアメリカや多国籍軍には存在せず「集団の秩序を守る」という組織維持のための組織維持になってしまうからなんですねー。実際アメリカが今行っている世界各地での戦闘行為がアメリカに本当に利益を出しているのかと言うと結構謎。
ここら辺の秩序維持の自己目的化は、安倍晋三総理大臣の戦後70年談話での

世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。」g5arastradero.cocolog-nifty.com

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。toyokeizai.net

という、「ブロックがダメだから、公正な「みんな」のシステムを繁栄させよう」という意見を見ると、批評的だ。みんなシステムの自由と公平さは果たしてどうなるのか?みんな以外の誰かはどうなるのか?と言う点で現実社会とアニメがリンクしてる感じ。
卑怯者の島: 戦後70年特別企画
戦後70年談話の論点



んで、くうさまは女子高生がマックで勉強していると「勉強なんかするなよ。みんなでカラオケに行った方が楽しいだろ」とバカな消費者になることを推奨するメディア戦略を行う。
まあ、バカな消費者がこの社会の平均値の「みんな」なので、「平均点を上げようとする勉強家」とか「自分だけ賢くなったりアップデートする奴」は足を引っ張られる。
あと、主婦の集まりでも「主流派の奥さんの子供の絵の展覧会を見に行く」が推奨されて、「自分の家族を優先する佐々木さん」は排除される。
だが、幼稚園で「絵を描いている」梅田の娘の愛ちゃんは「ボール遊びをするみんな」から外れているので排除されそうになる。絵を描くことの善悪は関係なく、「みんな」かどうかしか判定されないのが地獄。



いや、勉強したり絵を描いたりする自己努力は大事だと思うんだが。「みんな」はそんな風に個性を発揮して集団から傑出しようとする奴は妬む。


今期のディストピアものでは「下ネタと言う概念が存在しない退屈な世界」が「健全育成法」で監視社会なんだが。「下ネタ~」はまだ「健全になるためにみんな同じ」という「価値観」は在るんだが、ガッチャマンクラウズインサイトのくうさまは「みんな同じなら手段や価値は問わない」という自動的な排除システムになっている。ユリ熊嵐も「学園」とか「クマではないヒト」と言う価値観はあったが、くうさまはもっと根源的に「どう違っているかは関係ない。違っているからダメ」というシンプル化されている分、無茶苦茶になっている。

「空気の中に居れば、確かに気持ちがいいのかもしれない。だが、行き過ぎた一体感は、外に出ようとするものに無言の圧力をかける。そうなったら、人は自分で考えて動けなくなってしまう!」


「一時的に幸せになれたとしても、それでは、社会は成り立たないんだ!」

東大卒公務員の丈さんは勉強の大事さとかを分かってるはず。
だから、ゲルサドラに反抗する。勉強して社会を支える優良な奴もいないとダメなんだよ。パンと娯楽だけを享受するバカな消費者が資本主義を回すだけでは社会は機能しないんだよ。
で、エリート公務員(ただしノンキャリア)の丈さんは「ゲルサドラが賢くて、みんなの意見を公平に処理できる有能なものなら、バカな日本人に任せるより、ゲルに統治させたらいい」と思って選挙活動を応援した。所謂ガンダムF91の貴族主義みたいなもの。「2:6:2」の法則を考えてたし。
だが、ゲルは一つ一つ違う大量の意見を処理しきれずに崩壊し、「バカなみんなの平均値」に均一化させるくうさまを生み出した。


また、一ノ瀬はじめが「そうっすねぇ、空気の中はぽかぽかほっこりっすもんねぇ。でも、外に出ちゃったらどうなんすかね」って言ってる。
空気から外に出た人が排斥される、と言う意味でもあるが。
集団的自衛権と考えると、「核の傘から外に出てやって行けるのか?世界の荒波と対峙できるのか?日本人よ」と言っているようにも聞こえる。


外に出る力を得るための学びとか自己鍛錬も必要なんじゃないのかって言う。
いつまでもアメリカが味方でいてくれるとも限らないし、自衛隊の消費する石油や金属資材が安定供給されるとも限らないんだぜ。


だが、ネトウヨとかマイルドヤンキーは集団性にこだわって個性がある人を潰したりするし、自分の意見も空気に流されて変えたりする。そんな人が世界で生きていけるのか。どうなのだ。という事を問いかけているのかもしれん。このアニメ。

  • 一ノ瀬はじめの特異さ

だから、世界をアップデートさせる内発性のある努力できる爾乃美家累みたいな人は社会を支える大事な人材なのだが。ルイルイは色々背負いすぎて猿になってしまった。
そんなルイルイに発破をかけるために、はじめは総裁Xに考えろって言って、その結果、鈴木理詰夢をルイルイに面会させる。
はじめは色んな人のやる気スイッチを押せる人だというのが中村健治監督の設定なんだが。
今回はじめが総裁Xを通してルイルイにやる気スイッチを押そうとしたら、鈴木にも変なスイッチが入って「空気を変えたくなった」と言って、JJが緊急予言して、はじめが「ゲルちゃんを守るんすよ!」って言って飛び出す羽目になった。



はじめのマッチポンプじゃん。


鈴木理詰夢みたいな過激な平和主義者(赤いし共産主義者?)をはじめが炊き付けたとも見える構図。はじめの戦争責任はどうなんだ?
また、ゲルサドラが原因でくうさまが暴れまわって、つばさちゃんが傷ついて泣いてる時も、はじめちゃんは優しく声をかけた。
「待ってるっすよ。ゲルちゃん救えるのは、きっとつばさちゃんだけっすから」
「ヒーローってなんすかね♪ なんなんすかねなんすかね♪」


なんか、投獄されている共産主義者にも裏ルートで面会したり、ゲルサドラの武力やメディアを応援して失敗したつばさにも責任を追及したりしないなど、はじめはどの勢力にも属さない超然とした感じがある。
やっぱり、はじめ、天皇なのでは?


でも、天皇みたいなはじめに元気をもらってやるぞー!って戦ったりやる気スイッチを押されても、天皇天皇で一人一人の蛮行にはいちいち責任は持てないし、鈴木のように変なスイッチの入り方をする奴もいる。
だから、天皇が絶対正しいと言うわけでもなく、やっぱりみんなでアップデートしましょうって言う話なんでしょうけど。


ただ、はじめちゃんはカッツェのような「呪い」を引き受けたり、JJの「預言」を解読したり、シャーマニックプリンセスみたいな所はすごくあるよね。
つばさは飛来したゲルの巫女としてガッチャマンに選ばれた感じでもある。


うーん。だが、うつつちゃんも草花の生命を感じたりする巫女性はあるわけなので。はじめちゃんばっかり突出してるけど、うつつちゃんも活躍してほしいなー。今のところケアル役に留まっているけど…。
天空橋朋花アイドルマスターミリオンライブ!)の小岩井ことりさんと、神崎蘭子アイドルマスターシンデレラガールズ)の内田真礼たその絡みがもっと見たいですね。
(余談だが、はじめちゃんがJ.J.ロビンソンの予言を読めるの、熊本弁で書いてあるグリモワールだからなのであ?)


  • みんなでアップデートできるんかいな

みんなでアップデートしよう!って言ってみんながクラウズで自主的にプログラムを組んでいたのが1期最終回だったんだが、2期は「自主性とかだるいし」ってみんなが猿になっているというちゃぶ台返しなんだが。
「みんなで社会を支えるために不断のアップデートを欠かさないようにしよう」と言うのもしんどいよなー。ルイルイが猿になるのも分かる。まあ、復活するだろうが。
僕も国立大学を卒業したがメンヘラになり、六本木ヒルズに努めるが過労死寸前になり、国立大学で働くが部署内政治に負けて無職になるという、努力が報われてないし自分でダメにしてきた人生ですが。
うーん。



あと、「見聞を広めて外に出ろ!」って言う意味ではガンダム Gのレコンギスタにもガッチャマンクラウズは似ている。内発性を高めて社会をよくする人材になりましょうって言う。
ぼんやりモニターを眺めてるだけなのがアニメファンと言う猿なんだが、そういう猿に「癒し系アニメだよ」「万能感だよ」と提供するアニメでもいいのだが、説教系アニメというのもある。
ただ、これにも落とし穴があって、「物を考えろ!勉強しろ!」というアニメや小説を読んだからと言って自分もものを考えたり勉強したつもりになって、実際は何もしない、と言うのが危ない。
司馬遼太郎とか。
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

どうなんすかねー。僕は社会に貢献できるんすかねーって言うか社会に貢献する必要とかあるんすかね。僕はせいぜい小さな自分を守る程度の一匹の人間なのでは。
しかし、小さな家族を守っていればそれで正当化できるのかと言う歴史や地理の社会的動物としてのヒトという見地もある。

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ヒストリエ(9)



あと、「アニメは子どものもの」という意見もあるし、僕みたいな人生が半分終了したオッサンではなく、未来を考える学生さんとかキッズに考えるきっかけを与えるためにGレコやガッチャマンクラウズがあってもいいかなーとは思う。
ガンダム Gのレコンギスタ  9(特装限定版) [Blu-ray]