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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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アニメオタク目線での真田丸が面白い その3 声優の生っぽさがいい

感想 ドラマ

前回までのあらすじ
nuryouguda.hatenablog.com

三週間くらい間が空いたので瞬発力が切れた。


とりあえず、要点だけ書く。


真田丸は人形劇とかをやっていた三谷幸喜の脚本で、演出も大げさなので実写が苦手なアニメファンから見ても芝居が分かりやすくて面白い。


アニメにはガンダムの富野監督が言った「絵コンテが8割」という格言がある。


では、残り2割は?っていうと、演者になってくるわけですが。


真田丸で言うと、声の芝居が印象的だ。声優が出ているからというわけではない。動きはカメラワークとか照明とか衣装とか所作で細かく決められていて、アニメの絵コンテで規定されるような演出だ。しかし、芝居の動きが演出で決められていても声は役者のものだ。アニメでも絵は細かくタイムシートやCGで理性的に描かれても、声優は生だ。(初音ミクの歌もあるんだけど、ディズニーが手描きアニメーターを捨ててCG路線になっても声はいまだに人間がやっているというのがある)


真田丸で声が印象的な場面を二つ上げる。

  • 方言?各陣営の雰囲気つくり

北条氏政を演じる高嶋政伸さんってこんなにゆっくり喋る人だったっけ?というのが第一印象。「食べる分だけゆっくりと」という攻め方に関しての台詞も追加されて、北条氏の家風が「ゆっくり」と印象付けられる。
そして、その息子の北条氏直を演じる細田善彦さんもかなりゆっくりというか、語尾を伸ばしたような喋り方をしている。
それで思ったのだが、どうやら真田丸においては陣営ごとに喋り方が変わっている気がする。
もともと、日本は文明開化するまでは国ごとに訛りがひどかったし、真田丸のテーマは地方豪族なので、方言を演出の一つとして使っていてもおかしくない。もちろん、16世紀の日本の方言を完全に再現したテレビドラマというのもあり得ないので、そこは考証で決め込んでいくというよりは、役者の声の調子でなんとなく雰囲気を醸成する方向なんじゃないかな。


それで、上杉景勝を演じる遠藤憲一さんは違法アップロード追求おじさんらしく「硬い」感じの喋り方だ。愛の人である直江兼続の村上新悟さんも表情の作り方も含めて重々しく硬い。上杉家の剛健で真面目な感じが出ている。


織田は割と速攻ほろんだ。


徳川家はのちに天下を取ることが確定しているので、どことなく全体的にハッピーで楽しそうな印象。伊賀越えの時に雑兵を殺しまくりながらコントみたいにやっていたり、のんびりとして器が大きいのか小さいのかわからないが愛らしい徳川家康内野聖陽さん、飄々とした執事っぽい本多正信近藤正臣)おじいさんとゴリゴリの武闘派の本多忠勝藤岡弘、)おじさんの重臣コンビの漫才があったり、僕らの世代のアイドルの斉藤由貴さんの阿茶局がかわいかったり、楽しそう。


また、照明の色合い的にも北条は麦色、上杉家はメタリックな青系統、徳川家は錦色っぽい雰囲気がある。
信長の野望シブサワ・コウ監修の3DCG地図でも分かりやすく色分けされているし、ゲームやアニメみたいに見た目や喋り方の雰囲気が陣営ごとに違っていて、あんまり歴史に詳しくない僕みたいなアニメオタクが見ても「あー、このシーンはこの陣営のこいつが映ってるのかー」と分かりやすい。



そして、真田家や信濃の人々は主人公なので基本的に喋り方は一番ニュートラルであり、同時に陣営で統一されているというよりはキャラクターごとに変わっている。
少年主人公っぽさがまだ抜けていない真田信繁、のらりくらりとしながら突発的に叫んだり愚痴ったりする行動が読めない父・真田昌幸、真面目でまっすぐな真田信幸。忍者の頭領の出浦昌相、黙れ小童おじさん室賀正武など、喋り方の性格が印象的になっている。
また、スパイの叔父さんの真田信尹はスパイだから色々嘘をついたりだましたりするけど、だからこそ喋り方は一番標準語っぽい。
他の陣営は雰囲気を割と統一しつつ、真田家の周辺の人間関係は個性的に描いているというのは、真田丸という真田家を中心にしたドメスティックな目線という劇の全体構造に合致してて面白いし分かりやすい。主人公の信繁に近い人ほど個性が際立つように見える、という目線の置き方。


陣営ごとに喋り方が方言っぽく変わっているので違いが分かりやすい。
同時に、主人公の陣営の真田家の人たちは個人的に見えるので真田家を中心にしているというドラマの方向性が分かりやすい。
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第2話で泥を顔に塗って逃避行をしていた真田昌幸の妻の薫の叫び声が印象的だ。
なにがどう印象的なのかというと、泥は見た目で分かりやすいのだが、斬られた野盗に抱き着かれて薫が絶叫するのだが、なんで絶叫したのかっていうと腹を切られた野盗の内臓が薫にぶちまけられたからなんですよね。
でも、画面には血は一切出ていない。これは三谷幸喜が「家族で見られるワクワクする番組を作りたい」という方向性に配慮して、残酷なシーンを描かない方針の表れだろう。
だから、ビジュアルとしては流血描写は最低限に収められている。伊賀越えでたくさん斬殺していた徳川勢がコントみたいになっているのも残酷性を排したいという方向だろう。
しかし、それで殺人描写を排除しているのかというとそんなことはなく、バリバリ人が死ぬ戦国時代だし、死ぬか殺すかっていう駆け引きが楽しい残虐ファイト娯楽時代劇でもある。人が死ぬところの直接的なグロい描写は見たくないけど、死ぬか生きるかっていう感情の大きな振れ幅のドラマを見たい、という娯楽番組としての二律背反である。
そこで、「ぶちまけられた内臓」そのものを描かずに、「内臓をぶちまけられて最悪の気分になる高畑淳子の絶叫」を聞かせることで、不快感やグロ描写を最低限にしつつ、「命が軽い戦国時代でも自分は死にたくないという人間の生々しい気持ち」を感じさせてくれるわけです。
さすが、仮面ライダーBLACKRXで着ぐるみと格闘して毎週絶叫していたマリバロンは見立て芝居が上手いなあ。


かなり誇張した人形劇みたいな絵作りの真田丸だし、ビジュアルでグロ描写を入れるのは簡単なのだが、そこを見せないで「生の役者の声で生や死を感じさせる」っていう風になってる。はっきりした演技の演出手法や誇張したシナリオの組み方は人形劇みたいなんだけど、全部が全部作り物ではなく、最後の最後では声の芝居の生命感を乗せるために役者にゆだねている所が面白いですね。


6話で信繁の姉の松が琵琶湖に落ちて記憶喪失になるという大河ドラマというより大映ドラマみたいな壮絶な展開があるんだが。
松が一人死んだと思って困り果てる信繁や小山田茂誠の超悲しそうなリアクションが印象的だが、その裏で一緒にいたはずの大勢の安土城の人質の女子供はたくさん死んでるんだろうなー、って暗示されてる。人質の女子供が明智光秀勢に虐殺されて残酷!っていう見せ方もできたはずなんだが直接的に殺人シーンを描かないでその分のインパクトを「姉の行方不明」という信繁の個人的感情にスライドさせて見せる手法が上手いですね。
また、松的にも単に水に落ちて記憶喪失っていうんじゃなくて、自分で助けようとした人質の人たちを自分のせいで殺させたかもしれないという自責の念もあって記憶喪失なのかもなーっていう風に、大河で水落ち記憶喪失という無茶な展開の説得力に利用してもいる。


また、最新9話でも、信繁と親しい梅の兄の作兵衛が隣村の農民と争って殺人をしてきたのが直接的には描写されず、うっすらと顔などについた返り血で示されている。殺人描写そのものではなく、それを受けて「戦は嫌だ」と信繁に語る作兵衛や梅の死生観への説得力というか命のやり取りの感覚を間接的に描いている。あと、信繁と梅が寝たというのも間接的に描いている。死や性を直接描かないけど、無視するわけではないし暗示させることで印象的にするという「自分が子供のころに見た大河ドラマのように、お茶の間に向けてワクワクする武将の冒険譚を見せたい」三谷幸喜氏の意向が演出レベルで行きわたっていて良い。

  • 生きていたいという気持ちと命の軽重

まあ、正直、戦国時代なのでガンガン人が死ぬわけですが。だから基本的に人が死ぬのが日常的になってる。でも、そんなのをいちいち描写してると番組的にグロくなるだけなので死ぬシーンはあんまり直接描写しない。
じゃあ、人が死ぬのをドライに描くハードボイルドな番組とか、死をエンタメにしている軽薄なドラマかっていうと、またそうでもない。
ここで生きてくるのが「人質」と「身分」の描き方なのですが。
正直、日常的に雑兵がたくさんぶち殺されてる時代なのに親族の数人を敵に預けていても、なんでそれで軍事作戦が左右されるのか、それがどうしたって現代人から見ると思うんですが。どうやら、身分の高い武士の人は「親族の命は超大事だから命がけで人質を取り戻したり守ったりする」という死生観があるようだ。
まあ、それが歴史的な事実なのかっていうとよく分からんのだが。とりあえず、このドラマの中ではモブはガンガン死ぬけど親せきや知人の生き死には重要だし、信繁は「周りの人に死んでほしくない(けど敵の北条の雑兵とかは死んでもいい)」という策を弄したりする。
なので、メインキャラの大名や武士と雑兵や百姓には明白に身分の違いとして命の重さが違う。
第7話の「奪回」で祖母のとりやきりを滝川勢から信繁が救出しようとするが、その作戦を語るところで下女は信繁の話を聞いているが自分の生き死にを信繁たちにゆだねていて自分では何もしない。身分が違うから。
もしかしたら、これは歴史的には不自然なのかもしれないけど、メインの武将たちの身内感覚とか感情で平民の生き死にが変わるのは、たくさんの人の命にかかわる内戦状態を描きながらもドラマとしてキャラが立っている武将たち数十人に視線がフォーカスされて筋書きが整理される、という効果になっている。
正直実際の戦闘では誰の命も平等に死んで行くのだが、大河「ドラマ」としては命の軽重にメリハリをつけることで芝居として分かりやすくなっているし、武将たちの感情や気持ち一つで状況が激変することで、叙事的な事件の羅列ではなく抒情的な感情の変化という人間ドラマとして楽しめる番組になっている。
そこに説得力を持たせるために、役者の声や存在感で「生きていたい」「死にたくない」という生々しい感情を表現させている。客観的な見た目や台詞として殺人シーンや身分の違いのシビアさを描いてしまうと、それはそれでハードボイルドでかっこいいのかもしれないけど、どこか他人事に見える。真田丸が面白いのは、客観的な事実や史実としての歴史上の事件の生死ではなく主観的で生々しい人々の人生にまつわる生き生きとした感情の変化を劇として見せてくれるところだ。
シナリオの構成や演出としても、主人公に近い人々の人生を生々しく描くために、脇役の大勢の死を整理して直接的に描かない。かといって人命を軽視しているわけではなく視聴者には見えてないけど信繁たちは周りの人の死を見てきているわけで、それに対するリアクションとして人命が描かれている。(モブと脇役のグラデーションとして第8話で春日信達の調略が描かれた)
そのメインキャラクターのリアクションを以て、死にたくないという人間の一番根源的な生の強い感情を描く劇になっているので、迫力がある。
身分の違いを描くのは現代日本でもまだまだ差別があるし、いろいろと政治的に真面目になってしまうので活劇には不向きな要素なのだが、身分の違いを利用してキャラクターへの焦点の当て方の整理に使っているのは上手いと思う。(ただ、そこも一辺倒ではなく、信繁と梅の身分違いの恋とかも描かれている)


日本全土の内戦状態という戦国時代を舞台にしながらも、主人公たちの家族や地元の土地への思いという狭い感情を生き生きと描くことで、歴史的な広がりと土着的な生命感を両方描こうとしている。


ここら辺は、アニメオタクとしては機動戦士ガンダムシリーズに近いと思う。
ガンダムシリーズでも政治や全体状況を描く面と主人公たちの周りの感情ドラマを描く面があって、それが上手くいっている作品とか、いってない時がある。
なので、アニメオタクから見ても真田丸は面白いのです。まあ、ビームサーベルでチャンバラをするガンダム自体が割と時代劇の影響を受けてるんだけども。