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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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アニメオタク目線での真田丸が面白い その2 実写なのに人形劇っぽくて面白い

  • 前回の訂正

nuryouguda.hatenablog.com



前回の月曜日に、日曜日に録画した真田丸を見て削除して雑に「OPがアニメっぽいよね」という記事を書いたのだが、大きな誤りだった。
公式サイトを見たら、
www.nhk.or.jp

www.nhk.or.jp

オープニングで描かれている城は真田信繁の空想上の城ということで、私が「前半は武田の城で、後半に真田の赤備が出るのがいい」と書いたのは間違い。
ていうか、OPの中盤に出てくる倉庫の中の甲冑を武田信玄の甲冑だと思ってたけど、土曜日の再放送を見直したら兜に六文銭と鹿がついてたので真田の甲冑だった。


なので、前回の記事は10ブクマがついたし、はてなポイントを読者の人からもらったので多少評価されたと思ったけど、間違いだらけの的外れな記事だった。顔から火が出るほど恥ずかしい。
そもそもこのブログはアニメブログなのに大河ドラマを語るとか、歴女の人から「アニヲタが大河を語ってるんじゃねーよ」と手斧を投げられるかと怯えていたのだが、実際には黙殺されたということなんだろうなあ。


後半に敵っぽく徳川家康の名前がテロップに出るからテンションが上がるって書いたけど、その後に真田昌幸草刈正雄がトリでクレジットされてるって土曜の再放送で再確認したし。あー。


しかし、まあ、的外れな文章を書くことで、実際に的が外れているのか気を付けるきっかけにはなる。まず射てみなければ的に当たったか外れたかどうかも気にしにくいので。毎回必中で絶対間違えない文章を書かなければいけないわけではないし。素人の無料ブログだし…。チラシの裏だし。(チラシはグーグルアドセンスだ)


いや、私の文章が的外れでも真田丸のOPがテンション上がるということには間違いはないのですが!
アニメのオープニングみたいにテロップの長さが変わるということに着目しましたけど、むしろテロップとカットの切り替わりに効果音っぽくオーケストラの音が鳴るのとか、テロップがカット割りになってるのとフェードアウトになってるのと割れるなどのフォントいじりをしているという点の方がアニメっぽいなーって再放送を見て再確認した。

www.nhk.or.jp

公式サイトのテロップ職人のインタビューはこちら。


とりあえず、適当な文章を書いた後は実作と公式サイトを確認するようにしよう・・・。
いや、ちゃんとしたライターなら上げる前に検証するんだろうけど…。
というか、最近の番組には大体公式サイトがあるのだが、私が公式サイトを見たくなるほど面白い番組は割と少ない。

  • そういうわけで、今週の話

とりあえず、私の書いていることは的外れだしスタッフから裏を取ったわけではない視聴者の印象論に過ぎないのだが、書きたいので書く。
前置きの前置きが長くなったが、もう一回前置きを言うと、とにかく私はアニメばかり見ているので実写が苦手だ。
と、言うのも3年前に母親が自殺する直前に家庭が崩壊しているのに、崩壊しているからこそ、まったく会話のない家庭なのに、「とりあえずNHKを流しておけばいいだろう」という父親の考えからか、毎日夕飯時に「純と愛」の録画を流していて(日曜日はサザエさん)、母親は「純と愛」を見て、「うちも家族がバラバラや」と言い残して自殺したという経緯があって、実写のドラマを見るのがトラウマになった。

nuryouguda.hatenablog.com



まあ、個人的な事情はともかく、昨今の実写ドラマはハイビジョンを超える4Kとか言って滅茶苦茶画質がいいというか役者の毛穴まで偏執狂的に映すので情報量が多くてしんどい。
実写ドラマは刑事ドラマなどの感想をTwitterで突っ込んでいる人を見ると、脚本は大味でリアリティもないライトノベル萬画原作のドラマも多いが、肉の体を持った人間が演じるし、その上CG処理もされるので現実を描いているのか虚構を描いているのか分かりにくい。
そもそも何がテーマなのかわかりにくいドラマも多いし、売れっ子役者を映したいだけのバラエティー番組の延長のようなドラマなのか、芝居を映したいのか、物語を見せたいのか、わかりにくい。
その上、実写は演出家と脚本家と俳優の意思統一がアニメ以上にバラバラになりやすいので、ホンと演出と芝居の意図の方向性が違っていて解釈しにくい作品もある。
例えば、某刑事ドラマの終盤で世界の命運をかけた戦いなのにビルの屋上で俳優たちが立ちっぱなしで口論しているだけのものがあり、「これは舞台劇なら成立するだろうけど、実写で東京都心を映しているのに戦場がビルの屋上だけとか意味が分からないし、どう解釈したらいいのだろう」というものがあったりした。
ものすごい緻密な政治とか経済を題材にしている割に俳優の顔芸で評価されるようなものもある。


その点、アニメはガンダムの監督富野由悠季曰く「絵コンテが8割」。
映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

アニメはだいたい絵コンテで見せるべきものの方向性が一つに定められているので、アニメは私みたいなアスペでも分かりやすい。(というか、昔のディズニー以外のアニメは同じキャラクターをたくさんの絵描きが描いているので方向性をコンマ秒で定めないと作れない)


もちろん、ホビージャパンで連載していた元アニメーターの石田敦子先生の萬画「ふわふわカタログ」のあの話のようにカリ城を「作り物だから」という理由で否定するくらいアニメが苦手な人もいるのだが。私のように逆にアニメの方が見やすいという人もいる。

ふわふわカタログ (ヤングキングコミックス)

ふわふわカタログ (ヤングキングコミックス)

富野由悠季監督が語る「アニメの専門化とリアリティの喪失」、そして『ガンダム Gのレコンギスタ』 (2) アニメも含めた「社会構造の問題」 | マイナビニュース

富野監督:問題を明らかにして次世代に残す、となった場合、アニメという媒体の素晴らしさによって未来が少し見えてくるんです。アニメとは画を動かすもの、動画です。画というものは「記号性」が高いんです。35年間、ガンダムが人気を保っているのはアニメという「記号」で表現されているものだから。一番一般的な概念、常識というゼネラルに考えられている「100年語り継いでいい」ようなものの考え方、「摂理」を伝えるには一番便利な媒体なんです。


あー、特撮と実写版パトレイバーは見てた。特撮はなー。またアレだからなー。
アニメおたくにもこういう議論がある。
alphabate.hatenablog.com



そんな風なアニメオタク目線の私から見ると、真田丸はわかりやすくていい。

  • リアリティレベルが低いのがいい

特徴的なのは第一話なのだが。第一話はアニメでも実写でもその作品世界がどの程度のリアリティなのか視聴者に提示する導入だが。
浅間山の噴火に絡めた真田昌幸の一連の台詞を見てわかるように、真田丸は「劇」のお話とか感情を見せたいのであって、歴史的なリアルを見せたいのではない!と宣言しているのがわかりやすくていい。
大河ドラマに付き物の幽霊演出を第2話でやることで最初からクライマックスという感じを出しているのもいい。


大河ドラマは「重厚な史実と考証に基づいたリアリティのある本格ドラマ」として期待される面が大きい。そういう周りの期待に対して「リアリティなどやらない!これは活劇だから、活劇としての台詞回しや芝居の面白さを見せる」という批判覚悟の(視聴率低迷続きによる背水の陣か?)方針をしっかりと維持していこうという意識がしっかりしていて偉いと思う。
もちろん、リアリティレベルの低いお芝居チックな筋立てや演技や演出に不満のある人も多いと聞く。「チャチに見える」と言う人もいる。
しかし、インターネットで戦場や殺人やセックスの動画がいつでもだれでも見れる21世紀において「リアルな殺陣」とか「リアルな戦」というのをテレビドラマで放送する意味というのは果たして幾ばくのものか。
親が自宅で自殺している私としては別に殺人をリアルに見せられてもいまさらという感じがある。
残酷な話や陰惨な人間関係を見せて「これがリアルだ!」とか言われても、「まあ、私も親が自殺してるんですけどね」と不幸合戦になって不毛である。プリティリズムレインボーライブの良さは不幸な家族ではなく、そこから立ち上がろうとするプリズムの煌きなので。
(そういうわけで、事故事件の衝撃映像やワイドショーの犯罪報道を楽しめる人は幸せな人生を送っているなあと思うのだが、20年ごとに都市が破壊される大震災が起こったり20年以上に渡って不景気が続いている日本において人生が安定して他人の不幸を他人事としてのみ楽しめる人も少ない気がする)


そもそも論として歴史ドラマの面白さはなんであるのかという根源的な疑問に行き着く。歴史なんかもう決着が決まっているのである。ちょっと調べれば諸説はあるものの、だいたいわかる。
公式サイトにも年表が載っている。
そういう決まりきったジャンルで何を面白く見せるのかというと、その時々の感情の揺れ幅とか芝居のテンポの感覚的な面白さなのではないだろうか。それを見せるためには表面的なリアリティレベルの現実っぽさなどは捨てて活劇として見せようという判断もアリなのではないだろうか。
活劇としてフィクション性を出すからこそ、殺人や戦争が起こっている戦国時代でも見ていてストレスを感じにくく娯楽としてみることができるというのはある。
そういうわけで、私は真田丸は毎週ワクワクしてその場その場の楽しさを楽しむために見ているので毎回録画は消しているのだった。新選組!は全部録画したけど、12年で見返したのはそのうちの数本だけだったりするし…。新作アニメも多いし…。すまねえ…。

  • リアルがあるのがいい


筋立ての構成がそんな風にリアリティが低いし芝居がかった感じなのに、所作が異様にリアル。
私は扇の開き方なんか知らねーよ。視聴者が理解できない昔の風習のリアルをぶち込んでいる。作兵衛が何の説明もなく林業をして隣の国と紛争してたり藁で槍を研いでいたり謎の滑車で動く的でダーツの練習をしてたり、信繁が異様に細かく刀の曲がり具合を直していたり、昔の人が日常的にやっていたけど今の私たちには理解できないことをやっているのが異様にリアル。
正直、最近20年のハイビジョンの大河ドラマはロケシーンとセットシーンのリアリティの違いが目立って嘘くささが目立つ。(昔の映画は解像度が荒かったからファンタジックに見えていて、思い出補正で美化されたという面もあるだろう。)だから、映像の見た目のリアルさを高めていくのは限界がある。そこで、真田丸では小道具の扱い方や所作に視聴者がパッと見で分からなくても本物の文化を入れることでリアル度を高めている。
正直、知らない仕草をされても大多数の視聴者は認識できないのだが、リアリティの低いお話なのに細部の仕草や小道具はものすごい知識でリアルにやっている。
浅間山の噴火の下りなど、「こんな都合よく噴火しねーよwww嘘くさwww」と思うのだが、天生10年に浅間山が50年ぶりに噴火したこと自体は事実なのである。
なので、史実に残っている部分や資料に残っている風習や道具は実在に近いのだが、それ以外の余白の部分はものすごく劇的になっている。このリアルと虚構を両方やっていくというのが面白い。
私はガンダムなどのロボットアニメが好きなのだがリアルっぽい戦場で嘘だけどかっこいいロボットが出ることで、リアルと虚構の相乗効果で面白く感じる。
史実で生きてるに決まっている(公式サイトにも年表が載っている)信繁の姉の松が湖に落ちて死んだかと見せて記憶喪失になるというアニメみたいな展開もリアルと虚構のギリギリのラインを攻めている感じでおもしろい。

  • 芝居がわかりやすいのがいい

大泉洋堺雅人が目を引ん剝くのがゲームの信長の野望のキャラクターっぽくてわかりやすくて面白い。
地図も信長の野望とコラボしてて分かりやすいし。
最近のドラマでは役者の顔芸が話題になることが多い。半沢直樹とか。
しかしリアルな現代ドラマで顔芸をされても、「いや、現実の人はそんな動きはしないだろ」と視聴者として気持ちが萎えることがある。あと「シンクロしました」とか言う刑事はいないだろとか思ったり。
ただ、真田丸は上記のように全体の雰囲気や脚本の構成の段階から芝居がかっているし、史実に題材をとっているが現実そのものを描くつもりが毛頭ないということを視聴者にも宣言した上でやっているので、わざとらしい誇張した芝居をされても「ああ、この作品の中の人はこういう態度なんだな」と、アニメの絵柄の誇張具合を確認するように納得できる。
草刈正雄真田昌幸が「息子たちよ!」とか言うのがすごいわざとらしいし芝居がかっているのだが、現代語でもなかなか「息子たちよ!」って言う父親はいないのだが、真田丸の劇中のキャラクターとしての真田昌幸はその他にも全体的に芝居がかっているしすごい嘘つきなので、「史実通りの喋り方をきちんとしている」というのではなく、「この人はこういうキャラクターなのだ」とアニメキャラクターを見るように認識できてキャラ立ちがわかりやすくていい。
現代劇でここまで誇張した演技をされるとすごい違和感があるのだが、所作とか小道具で「昔の人で、今の人とは違う動きをしますよ」という演出上の雰囲気作りができている後なので、演技の許容範囲の幅も広くなっているのだろう。ここら辺はアニメのルパン三世がもともと現実の人とは違う絵なので超人的な動きをしてもいいような雰囲気だったりするのにも似ている。
そういうわけでアニメっぽい。
そう言えば、新選組!では三谷幸喜さんは沖田総司役の藤原竜也さんについて「目を白黒できる演技が良い」と言っていた。現実の人間は目を白黒させたりはしないのだが、そういうアニメっぽい演技を求めるのかもしれない。
あと、真田昌幸が毛皮を着ていたり、陣営によって衣装や照明の色合いが決めてあるのもアニメの戦国BASARAみたいでわかりやすくていい。陣営の衣装の変化はその陣営の得意な武器とか経済状況や文化も表しているので、そこらへんもガンダム連邦軍ジオン公国軍みたいでわかりやすい。

  • 陣営の配属パターンわかりやすいのがいい

武将がいて、軍師がいて、家来の武人がいて、若者がいて、忍者や野武士がいるというのが大体の陣営のパターンで分かりやすい。
佐助と服部半蔵っていう有名忍者が活躍するのがわかりやすくていい。佐助の死んだふりとか最高ですね。
あと、昌幸ハウスの忍者ギミックも楽しい。鹿の角が昌幸の後ろの刀置きであるのが後に赤備えの兜に行くのだろうか。

  • 役者がパーツになっているのがいい

実写ドラマなのに「バンクシーン」があるのがアニメっぽくて壮絶に面白かった。
3、5、6話の西村雅彦演じる室賀正武が大泉洋演じる真田信幸に「黙れ小童!」って叫ぶシーンなのだが、カメラアングルと着物が同じという。
実写で3回もバンクしないだろ!アニメか!
まあ、撮り貯めなのかな?
でも微妙に唾の飛び方が違うんですが。
様式美というか、このキャラはこういうことを言うんだという説得力でもあるんだが。さすがに実写でバンクシーンを使ってるのを意識したのは初めてかもしれない。
でも、アニメでもバンクシーンは使いまわしだと気づかせないようにするものだが、「黙れ小童!」を決め台詞のようにして意図的にわかりやすく印象深く見せつける演出はすさまじすぎる。(会議のシーンはまとめ撮りで、まとめ撮りと気づかれても貧乏臭くならないようにわざと「黙れ小童!」を目立たせて森を隠すために気を目立たせたのかもしれない。)
保守的なドラマ演出だとしないと思う。少なくとも「本格的でリアルで重厚な大河というブランドを守る」という意識では出てこないだろう。
だが、おもしろい。
なぜか。
まず、決め台詞というのは面白い。
大河の竹中直人の秀吉の「心配御無用!」もすごい決め台詞だった。実写だが、日本の歌舞伎や演劇では決め台詞で分かってることを同じように言うから面白いという文化がある。
演劇では現実そのままをやるから迫真というわけでもなく、歌舞伎や宝塚の殺陣を見ると分かるように様式化しているからこそ見せたいものの意図がはっきりして面白いという分かりやすい快感がある。水戸黄門の印籠とか戦隊ヒーローの変身シーンとか。
決め台詞が来たら反射的に面白いというサザエさんの波平の「back come on!」とかでも分かりやすいのだが。
繰り返しのシーンとかは要素が繰り返されるので演出的に見せたいものがはっきりして、芝居として理解できやすい快感というのがある。


繊細な芝居のドラマも良いのだが、何を考えているかわからん奴は見ていて面白くないし、かといって説明台詞ばかりを淡々と言われても劇として面白くない。
なので、芝居の動作を伴いつつも物語を進行させキャラクターの性格を印象付け、そのうえで面白いことをして見せるという複数のことをやるのが芝居には求められるのですが。
そこで、筋立てと演出と俳優の演技に方向性が違ってしまうと、印象が散漫になってものすごく面白くないことになってしまう。
だから、真田丸はすごくわざとらしい芝居だし現代語でも古語でもない台詞回しだけれども、「見せたいもの」の表現が統合されていることで分かりやすい。
分かりやすいというか、統合されているので、かといって浅い芝居なのかというと、そうでもない。
嘘ばっかりついている真田昌幸が嘘を言っていると分かっているのに信用してしまう滝川一益を演じる段田安則さんの微妙な目線など、繊細な芝居もある。だが、ここはここで「繊細な芝居をやっている」ということ自体がそれまでの筋立てと演出との前振りによってわかりやすいので納得しやすい。


私は学生時代に演劇部に入っていて、演技の経験があるのだが、筋と演出と俳優の理解の方向性が違ってしまうと、その結果として出る動きの芝居はつまらないものになるということは舞台で何度も滑ったことで体感として理解している。
いや、まあ、私は稽古を続ける根気もなかったし役者としては正直ダメダメな経歴なんですけど。社会人としての職歴もダメダメですけど。
そんな乏しい感性の私でも、やっぱり実写を見てて「黙れ小童!お前程度の役者が頭で考えた芝居なんかするな!演出意図の通りに表現しろ!」と思う時がある。
アニメでもたまにある。演出意図と違う動きを描くアニメーターもある。アドリブがうまい人もいる。


それで、ここまでアニメオタクだけど意図的に黙っていたけど、真田丸には声優が出ているという話をする。
仮面ライダーの本郷猛を演じた藤岡弘、さん、仮面ライダーBLACK RXのマリバロンの高畑淳子さん、機動新世紀ガンダムXガロード・ランを演じた高木渉さんとか。ヒーロー人気者を演じた方が登場していてきちんとした芝居をしていていい。
www.nhk.or.jp

声優の演技だからどうこう、という言い方はあまりしたくない。機動戦士ガンダムハウルの動く城のソフィーが出てたし。ハウルには大泉洋さんも出てたし。
ただ、その高木渉さんのインタビューで「頭で芝居するなよ」という言葉があるように、役者が勝手に膨らませた演技ではなく全体の演出意図で見せて行こうという方針があるのかもしれない。
役者の売名行為で見せて行くのではなく、役者をパーツとして使って作品を構築していくという演出の方向性としての覚悟が定まっているのが決断力があっていいと思う。
また、意地悪な言い方かもしれないが、偉大なる父の武田信玄の息子の武田勝頼の役に平幹二朗さんの息子の平岳大さんを起用したり、秀吉以来また段田安則さんが滝川一益を演じたり、織田信長の息子の織田信忠を若手俳優の玉置玲央さんが演じていて若いのに重責を背負った感があったり、HEROなどのドラマで善人を演じていたが最近は悪役を演じることも多い小日向文代さんが人たらしから暴君に変身する豊臣秀吉を演じるなど、役者のバックボーンのネタもキャラクターを立てるためのパーツにして使ってるんじゃないか?と思うようなところもある。本郷猛は戦国最強の化け物だし。
かと思えば、吉本の藤井隆さんが猿飛佐助のモデルの俊敏な忍者をやってて意外性がある人もいる。

  • 人形劇みたいなのがいい

つまり、この記事の結論を言うが、リアルな役者と小道具を使ってはっきりした芝居、誇張して分かりやすい物語を見せて行くのは、最近の三谷幸喜さんがNHKで手掛けてきた新・三銃士シャーロック・ホームズのような人形劇に通じる。
人形劇は子供向けと侮るなかれ。
NHKの人形劇、プリンプリン物語の人形造形の友永詔三さんなどの美術は芸術の域に達している。新・三銃士シャーロック・ホームズも人形という作り物であるが、木や布の質感の本物らしさや、人形遣いの生っぽい演技など本質的な要素を抽出して表現している。
NHK連続人形劇 プリンプリン物語 メモリアル・ガイドブック
シャーロックホームズ 冒険ファンブック: NHKパペットエンターテインメント (ワンダーライフスペシャル)

そのような人形劇のラインの延長線上に真田丸を置くと、高木渉さんなど役者も共通しているし、理解しやすい。真田丸大河ドラマでは珍しいバンクシーンや現代語でも古語でもない変わった台詞回しがあったりわざとらしい噴火や記憶喪失などの珍妙な展開があったりするのだが、大河ドラマの異端として見るのではなく、演劇をしてドラマの脚本や映画監督をした三谷幸喜と美術や撮影技術を蓄積してきたNHKがコラボレーションした人形劇シリーズの延長線だと思うと、「劇の面白さ」を見せて行こう、という意気込みがそのまま続いているのだなあ、と分かりやすいのではないか。
人形劇はアニメーションと同じく、実写よりも誇張している。しかし、その分、分かりやすい。だから子供向けだったりするのだが、子供が面白がるからと言って大人が面白がれないわけでもなく。
はっきりとした物語や演出の提示の仕方、そして暗示的な素材や時代考証の本物志向など、人形劇のような作りこみの仕方の作品は大人が見ても活劇として感情が高ぶるし面白い。
また、やはり三谷さんは舞台もやっている人だからか、まあ、能や狂言や歌舞伎などの舞台の芝居だと現実そのままの動きではなく誇張したり反復することで面白さを増す演目もある。歌舞伎のチャンバラとか全然抽象化した段取りですからね。(こないだの昭和元禄落語心中でやってた)
大河ドラマのチャンバラも太平記以前は歌舞伎出身役者の文化を引き継いだ映画の流れで段取り的だったのだが、昨年逝去されて真田丸武田信玄訳が遺作となった林邦史朗さんがリアルな斬り合いのような殺陣を大河ドラマに持ち込んだらしい…。
まあ、ここら辺のロマン主義とか自然主義を突き詰めるとめんどくさいので、私のような浅学者はここら辺にしておく。


また、大河ドラマのファンの人が不満点として言う、(私の知人にも言われた)「本能寺の変明智光秀の死が軽く流されている」という点がある。
そういう人は「歴史的な重大事件を紹介する歴史番組として真田丸はふさわしくないのではないか」とか「役者の一世一代の見せ場なのでやらないのはダメなんじゃないか」という意見を持つ。たしかに、みんな知ってる大事件を仰々しくやるというのも、それはそれでインパクトがあって面白い。


しかし、三谷幸喜さんのインタビューを読むとそういう「歴史年表的なつくりはしたくない」という話だ。
もっと「目線を下げた歴史ドラマ」がコンセプトで等身大の一人一人の人を描いていくそうだ。

www.nhk.or.jp



製作統括の屋敷陽太郎氏も

www.nhk.or.jp

「歴史上有名な事件だから」ではなく「歴史的に小さな事件でも、登場人物にとって大切なシーンだから」描くことが大切だと思っています。

とのこと。
そういうわけで、真田家にとってはチラッと見ただけの織田信長明智光秀の死よりも、それによって自分たちが巻き込まれる事件や紛争に生き残れるかどうか、家族が傷つくかどうか、ということの方が大事なんだ。
ここら辺も、本能寺の変という大事件を名役者がたっぷりと時間をかけて重々しく演じるのを見せる、というよりは人形劇のようにそういう史実の要素も「真田丸という物語」を盛り上げるために組み込むパーツの一つとして、信長だからと言って贔屓せず、あくまでも大事なのは「面白い作品を作る」ことだ、という意識がスタッフ、キャストがきちんと持っているようで、筋が通っている。
まあ、その「歴史の教科書の有名事件より登場人物のドラマを優先する」ということが果たして正しいのか間違っているのか、有名事件を盛り上げた方がよかったのかは私にはわからないが。とりあえず、作品としての方向性が定まらないよりはいい。


また、織田信長真田信繁の関わりは薄いけど、織田信長の所に行った際に弓置き場で本田忠勝と徳川家康と人間同士として対面して、最終決戦までの伏線を作っていくのが丁寧。家康は伊賀越えで主役のように扱われて、人間味のあるライバルというか、ダブル主人公のように扱われている。ここら辺はアニメのコードギアス反逆のルルーシュ地球へ…を思い出すが、三谷幸喜作品でダブル主人公と言えば振り返れば奴がいるとかがある。
そんな三谷幸喜さんはガンダムの富野監督にも認められている。

富野
物語を作る時に、作者というものがいるわけだけれど、僕程度の人間だと、全登場人物のあり方をイメージして書いているわけじゃないんです。どうしてもストーリーを進行する人物だけ追っかけて書いています、それが絵コンテになると、ストーリーを担っている人物の後にいろんなキャラクターが立っているのが見えてきます。そうするとただ立たせているだけではもったいないから、そこに“劇”をつくりたくなる。それで演劇として組んでいくと、キャラクターが主張を始めるんです。三谷幸喜さんのような人なら最初からそういう脇の動きも想定できるんでしょうけれど、自分の場合はどうしても、絵コンテで後追いで膨らめていくことになるわけです。
animeanime.jp

  • しかし、絵コンテは8割に過ぎない

ここまでの文章では真田丸は人形劇のように素材をはっきりと並べているのが面白い、というような趣旨のことを書いた。だからと言って、三谷幸喜の設計図通りにパーツを当てはめて製造された製品か、というと、そうではない。絵コンテや設計図は8割で、残り2割はスタッフや役者にかかってくる。
なぜなら設計図で見せたいなら小説を書けばいい。そうではなく役者を使うことには、存在感のある小道具という以上に芝居にするという意味があるのだと思う。


つまり、声優が大事という話だが、これは次回に続く。
毎回感想を書くのはしんどいので、次回で真田丸の序盤の感想は終わります。


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